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(短編集)
遠い接近
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【この小説が収録されている参考書籍】
遠い接近の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.52pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 1~20 1/2ページ
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ぼくの父も戦中派で中国戦線に従軍し線路工夫の監督のようなことをしていたが、かれが何より憤っていたのが徴兵制の日常だった。各地方自治体の議会に徴兵委員会が設置され、そこで選抜が行われる。各委員の家に贈答品が殺到する。縁故をたどり金銭その他をわたす、あるいは色仕掛けで主要な委員を籠絡しようとする母親や妻が出現する。その体験を清張氏も共有していたらしいが、伏せてあることは多い。父はその母親を売女と呼んでいた。男三人の兄弟で、次弟が特攻隊で八月15日が出撃日、末弟は医学校に入れたが長野の山奥でドイツ語の初歩を習っただけ、売女の件は二人とも知らなかったらしい。戦後は次弟が日銀参事官、末弟が美濃部都政の幹部だった。 | ||||
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徴兵制の暗部を描いた松本清張の作品だ。誰を優先的に、戦争の現場に徴収させる優先順位は何かということがわかった。町内で良い協力的な市民は優先的に徴収に引っ張られていく。徴収された市民は、軍隊に入るための訓練をさせられるが、それがすごいしごきであって、戦争中の徴兵にとられた市民が1番不幸であると思った | ||||
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清張作品の卓越性はその社会性・娯楽性・文学性にあると言われるが、本作はその全てがトリプルA。 最終末に主人公を待ち受ける陥穽は秀抜。舞台は戦時~戦後だが現代小説に翻案しても一流のトリック。 ご一読を強くオススメする。 | ||||
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どうせ復讐するのなら、もっと他に復讐すべき人物がいるのでは?・・・ という根本的な疑問もありますが、それはまあともかくとして、 読む前は「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三 みたいは話なのかなあ、と思いましたが、だいぶ違いましたね。 あそこまで過激ではありませんでした。 でも復讐の方法が、何というか、手が込み過ぎているというか、 回りくどいというか、清張らしいというか(笑) 策士策に溺れるみたいな感じにしたかったんでしょうか? この辺は評価が分かれるところだと思いますが、 でも軍隊内部の話とか、召集令状が発行されるまでの手続きとか 一般にはうかがい知れない世界なので そういう点は面白かったし、興味深かったです。 | ||||
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召集令状の発行にはこのような実態があったのだろうなと思います。 実際に東条首相がやったことも明らかになっていますし。 清張さん自身も高齢で召集されて軍隊生活も体験されたようなので、 終戦後の生活も含めて、臨場感があります。刑事コロンボを見る時 みたいに犯人の側に立って「逃げ切ってくれ」と思って読みました。 | ||||
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ずいぶん茶色。 | ||||
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一気に読み終えた。 佐倉の歩兵連隊の中は、陸軍によって隠されていたと思うので、虐待とかの様子を詳しく描写していて、松本清張だなと思った。 歴史的に見ても戦争時代は近いので、遺族としては知りたい部分もあったので買ってみた。 人物たちも生き生きとしていて、とてもよかった。 | ||||
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赤紙が来て、戦争に行かされる、それとも行くかは個人の気持ちしだいだが、主人公は戦前の身体検査で乙種合格であったため、32歳で初めて衛生兵としてまたは、初年兵としての訓練を受けるのです。年齢が初年兵としては行き過ぎであること、乙種であることでもう戦争に行くことはないと思い始めていた時の突然の赤紙でした。「ハンドウを回されたな」という謎の言葉を追求するうちに召集令状のからくりをあばき、幸運にも帰還するのですが、家族は広島に疎開して、原爆投下により全員が亡くなり天蓋孤独で復讐を誓うのです。引き込まれるように読み進めて、どんでん返しが待っていました。 | ||||
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発端はいわば負の忖度。 役所の文書が闇なのは、今に始まったことではないようですね。 係長を公正さから逸脱させたいびつな愛国心は、いつの世にも存在し得るものだと思い知らされる昨今です 本作には国家に対する徹底的な反逆者が登場します。 でも、作者の松本清張はその反逆者、私的制裁と練兵休の安川哲次を、いささかもヒーローやヒューマニストとしては描きません。 あくまでもちっぽけなエゴイストとして造形します。 ちっぽけなエゴイストはそれ自体、軍隊にとってのアンチテーゼであり、国家に対する反逆者であるのは当然だと言えます。 ヒロイズムやヒューマニズムは日本では戦時中のプロパガンダにおいて使い果たされ、すっかりすり減ってしまったと清張は感じていたのではないかと想像されます。 戦争賛成であれ反対であれ、それがヒロイックに、あるいはヒューマンタッチで描かれるとき、それに対して清張の中では止むことのない警報ベルが鳴っていたのではないでしょうか。 ところで、本作は倒叙ミステリーです。倒叙ミステリーといえば刑事コロンボです。コロンボは修道女から浮浪者と思われ同情されますが、本作の“コロンボ”は魚屋の親爺と評されます。 この魚屋は、スーパーの鮮魚コーナーの担当者ではありませんが、もはやそのイメージは永遠に日本からは失われたと言っていいでしょう。 魚屋の親爺に限らず働く人の風俗は時代とともに変わりゆき、失われたり変造されたりするものです(早い話、「風俗」という語にしてからがそうではないですか)。 しかし逆に、国家に対する反逆者を排除する感覚は、日本では今後ますます強まっていくだろうという予感がします。 それも誰に強制されるわけでもなく、普通の人間の普通の感覚として強まっていくだろう。そんな気がしています。 たとえば「軍隊は運隊だと言うが、あれ本当だ。運の悪い人は死んだ。よかった、俺は生きて帰れた」(『p206)という言葉のリアリティが失われれば失われるほど、そうなっていくのではないでしょうか。 その一方、そういう言葉がリアリティを回復する日(つまり戦争)を望む人はいません。 あちらを立てればこちらが立たずというわけです。 | ||||
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文章に読者を最後まで惹きつける迫力がある作品です。また、プロットも秀逸で常人の及ばない発想には感嘆するばかりです。 しかしながら私には腑に落ちない箇所がありました。それは被害者の自殺偽装のトリックです。 作品の評価を左右するほど大きな齟齬ではありませんが疑問に思った箇所を挙げておきます。 最後に近い部分で主人公と捜査課長が一緒に自殺の現場を検証する場面です。 課長が「あの桧の枝の位置を見てくださいーーーー垂れ下がった足の先から地面までは1メートル近くもありましたよーーー」 このセリフと主人公が犯行後に現場を偽装する方法の箇所を対比すれば私の疑問が分かって頂けると思いますが如何でしょうか? 高さ1メートルの大石はおいそれと持ち上げられないーーー。 | ||||
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戦時中の召集令が隣組の世話役の思惑一つで決まっていたという着想(実際にそうであったかどうかは分からない)が極めて面白い。筆者は幸運にもその年齢に達しなかったのでわからないが、ありそうな話である。旧制高校の教練の教官が、「教練の授業をサボると幹部候補生の推薦をしないようにしてやる」といったことを思い出す。 | ||||
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本巻は「黒の図説」という通しタイトルのもと「生けるパスカル」「遠い接近」 「山の骨」「表象詩人」「高台の家」の五作品を収録。いずれも「週刊朝日」に 連載された力作ぞろい。入手をお勧めする。 いわゆる「私小説」というのは自分の体質には合わない。そういう素材は仮構の世界に 作り変える。その方が、自分の言いたいことや感情が強調されるように思える、というのが 清張氏の説である。骨の折れる一日の仕事の後、眠りにつく束の間を癒す時に読む小説は まず面白いものでなければならない。 興味深いことに「表象詩人」と「遠い接近」には松本氏の個人的体験が色濃い。前者は小倉の 文学青年時代の交友、後者は34歳にして召集を受け衛生兵として朝鮮に従軍した体験が基に なっている。戦争を主導した政府・軍部を真っ向から批判するというより、一枚の「赤紙」で 人生も家族も悲惨な運命をたどることになるしがない生活者の視点で物語られる。 昨今の浮薄で危険な好戦的風潮に踊らされているとしか見えない若年層ーいわゆるネットウヨ諸君も 願わくは「遠い接近」で描かれたかっての戦争・軍隊生活の内面をよく知ってもらいたいと思う。 何度も戦慄し気が重くなった。時代がどう進もうと人間は進歩しない。危機における人間集団では、 保身、暴力、幹部の怠慢、弱者虐待がむきだしとなる。 かっての国民は赤紙が届けば黙々として「名誉」の出征に赴いた。だが兵士不足の戦争末期、駆り出される高年者をいかなる手続きで選定したのか。それを追跡し責任者に復讐を果たすというのが、後半のストーリー。少々強引なミステリー仕立ての感があるが。 いずれにせよ前半の軍隊生活、戦後の闇市時代が活写され重厚な作品となっている。 | ||||
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主人公の過酷な経験は勿論同情に値するが、この経験はあの戦争の時代にはかなり多くの日本人が共有していたものではないのか?「霧の旗」ほどではないが、主人公の怨念は逆恨みと言えなくもない。 原爆で家族を亡くしたという悲劇を組み込まなければ、このルサンチマンの物語は成立しないのではないか? 清張さんご自身の軍隊経験が投影されていて、ファンには興味深いストーリーなのだが、傑作とは言い難い作品。 清張信者たちの憤激を招きますか? | ||||
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戦前、印刷の原版作画の職人として自営していた主人公に軍隊への教育(2ヶ月)召集が掛かる。主人公は虚弱体質で徴兵検査不合格となり、結婚して子どもを設け30代後半になっていた。徴兵検査の結果や年齢を考慮すれば、召集されるはずがなかった。そして、入営した日から、ある上官に目をつけられ連日、凄まじい制裁を受けることになる。この描写は読んでいて、反吐が出そうになるほどだ。清張の軍隊経験が反映してるのであろう。ところで主人公は、2ヶ月の我慢と思っていたところ、赤紙による正規の召集が掛かり戦地へ送られるのである。その間、広島へ疎開した家族は原爆で死んでしまう。ここまでが、本書のちょうど半分。 帰還した主人公は召集のからくりを探り出し、自分を戦地へ追いやった男への復讐を誓う。それに、自分を制裁した上官への復讐が絡み合い、倒叙型清張ミステリーが展開するのが後半である。警察が復讐を果たした主人公を追い詰めていくのだが、そこにはしっかりとトリックも準備され、ミステリーの落ちとして上々である。 日本では今、戦争ができる国への準備が着々と進んでいるが、兵隊がいなければ戦争はできない。どうやって兵隊を集めるか。その過程で、本書で書かれているようなことが起きないとは言えない。本書は別に反戦小説でもなんでもないが、物語前半の内容はリアルである。 | ||||
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清張の作品はだいぶ読破したつもりだつたがこんな傑作が、残っていたとは、終盤の筋書きは読ませます。 | ||||
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420ページの長編。印刷業を営む山尾は毎日家族のために家業に専念せねばならず、戦時訓練を休みがちであった。それを"反動"と受け取った軍のおかげで3ヶ月の教育訓練に呼ばれ、そこで古参の先輩兵士から地獄のごときイビリにあう。しかもそのあと本式の赤紙を受けて朝鮮へ出兵。稼ぎ頭のいなくなった親と家族は田舎の広島へ疎開、原爆により全滅する。 終戦後、東京に帰った山尾は、イビリにあっていた古参兵の仕事の手下となるが、恨みは決して忘れてはいない。また自分と家族を破滅に追い込んだ赤紙を出した役人まで突き止め、復讐劇を実行するのであった… 赤紙にまつわる手続きの実態と徴収された兵隊への扱いがどんなだったかを学べるとてもよい教材。しかもここまでの話は35歳で教育召集を受けその後朝鮮へ送られた松本清張の自伝そのもの。 一見、赤紙を出していた小役人をそこまで恨まなくても…と思うけれど、実際に辛酸を舐めた経験をしていない我々に何を言う権利があろうか。何もかも失った男の人生には復讐という残り火しかない。なんとも言えない虚しさが残る話でした。 | ||||
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去る3月12日、大西巨人氏が亡くなられました。97歳。合掌。 大西巨人の代表作と云えば「神聖喜劇」(1960年連載開始〜1980年出版)。徹底した論理的な文体で、軍隊組織およびそれを縮図とした日本社会(日本人の民族性)を分析した大長編小説です。当初は左派系の文学誌にひっそりと連載されていたあの小説を、光文社から出版して広く世に知らしめるように便宜を図ったのが、実は松本清張さんなのだそうです。 この小説は、その清張さんによる軍隊小説(1972年出版)です。内容は、太平洋戦争中、東京の神田に住んでいる職人が、自分一人で家族を養わねばならん家庭の事情により、町内の軍事訓練になかなか参加できなかったことから、役所に目を付けられ、けっこういい歳なのに召集され、軍隊で年下の古年兵からこっぴどくイジメられます。一方、東京から広島に疎開させた家族は、原爆で全滅。敗戦後、家族を失った喪失感と生活の困窮から絶望的な日々を送っている主人公とは対照的に、軍隊で彼をイジメた古年兵は、闇市で儲けて羽振りのいい暮らしをしています。それを目にした主人公は、「自分さえ軍隊に行かなければ、イジメられて厭な思いもしないで済んだし、自分が身近にいて守ってやれば家族は死ぬこともなく、今でも幸せに暮らしていられたのに」とこの世の理不尽な不公平が我慢できなくなり、召集対象に自分を選んだ役所の事務員と、軍隊で自分をイジメた古年兵の二人に対して殺意をつのらせていきます。そして何食わぬ顔で二人に近づき、完全犯罪をたくらみます。しかし、思わぬところでボロを出して御用、と云う話です。 「神聖喜劇」の主人公・東堂太郎が、まるで宮本武蔵の「剣」を「知識と教養」に持ち替えたかのように、常に誇り高く、軍隊組織とそれを構成する日本人の民族性を相手に果敢に闘い続けたのに対して、こちらの主人公・山尾は、どこまでも受け身です。彼が唯一、積極的になれたのが、戦後、私怨による完全犯罪計画を立てて実行することであったところに、日本の庶民の心の弱さがリアルに表れています。大西巨人が「神聖喜劇」で乗り越えようとした日本人の心根が、おそらく「神聖喜劇」を意識して書かれたのであろうこの小説には、余すところなく描かれています。清張さんなりの「神聖喜劇」への返答であり、常に庶民の目線でこの世の不条理を描き続けた清張さんらしいところでもあります。「神聖喜劇」と「遠い接近」、併せて読まれることをお勧めします。 | ||||
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個人読書履歴。一般文学通算239作品目の読書完。1985/06/05 | ||||
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個人読書履歴。一般文学通算84作品目の読書完。1976/02/20 | ||||
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私は松本清張の作品が好きだ。彼の反骨精神が好きだ。弱者への温かい眼差しが好きだ。仕事に取り組む姿勢が好きだ。彼の生き方が好きだ。松本清張という人間が丸ごと好きなのだ。 清張の担当編集者であった著者の手に成る『松本清張への召集令状』(森史朗著、文春文庫)には、清張の魅力が詰まっている。 一家7人を支える中年版下職人に、意外な赤紙(召集令状)が届いた。戦局が絶望的な状況にある時期での召集令状は、死を意味していた。なぜ、自分のような家族持ちの中年男が戦場に駆り出されるのか。明らかに、この召集には、懲罰的意味合いが込められていたのである。生計を立てることに追われ、在郷軍人会や職場での軍事教練に出席できなかった清張は、徴兵事務を担当する出先機関の小役人に「不真面目な、けしからん奴だ」と睨まれていたのだ。 この経験と怨念は、後に『遠い接近』(松本清張著、文春文庫)という長編ミステリーに結実する。ミステリー仕立ての、すさまじい復讐劇である。 | ||||
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