九尾の猫

【この小説が収録されている参考書籍】

【この小説が載っている参考書籍】

評判

九尾の猫の評価:

4.30/5点 レビュー 50件。 A ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.30pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全65件 41〜60 3/4ページ
No.25
(5pt)

さすが、えらりぃ

ひさびさに、エラリークィーンを読みました。

いやぁ、やっぱり、すごいわ。
最初は、翻訳がちょっと〜とか思っていましたが、途中からは、気にならなくなるくらい、ぐいぐいテンポのいい展開。

ニューヨークで、「猫」という犯人が、無差別のように見える殺人をしていく。絹の紐で首を絞めるというやりかたで。

なんというか、精神科的な話なので、ちょっと、アンフェアな気もしないではないが、筋はとおってしまう。。

エアコンもないし、警察は馬も使っているくらいの、古いお話なんだけど、やっぱり、上手い。。
九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
B000J8NA3W
No.24
(5pt)

さすが、えらりぃ

ひさびさに、エラリークィーンを読みました。

いやぁ、やっぱり、すごいわ。
最初は、翻訳がちょっと〜とか思っていましたが、途中からは、気にならなくなるくらい、ぐいぐいテンポのいい展開。

ニューヨークで、「猫」という犯人が、無差別のように見える殺人をしていく。絹の紐で首を絞めるというやりかたで。

なんというか、精神科的な話なので、ちょっと、アンフェアな気もしないではないが、筋はとおってしまう。。

エアコンもないし、警察は馬も使っているくらいの、古いお話なんだけど、やっぱり、上手い。。
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)より
4150701180
No.23
(5pt)

精神と哲学のタペストリーに誘引された鏡の消失点においてその心は砕け散る

アメリカの推理作家エラリー・クイーン(フレデリック・ダネイとマンフレッド・ベニントン・リーの従兄弟同士による合同ペンネーム)の
1949年作。
ニューヨーク市民を恐怖に陥れる連続絞殺魔〈猫〉!動機もなければ目撃者も容疑者もいない!悪気のない〈猫〉の殺人遊びにエラリーが挑む!
これはあれだね。いわゆるところのミッシング・リンクものってやつ。でもそれだけじゃなくてね、その中でヒステリックな群衆心理と様々な
現実レベルが重層的に関連し合ってひとつの哲学が花開いてるんだ。
ミステリという手段を使って、本物らしさと、見事な見せかけの中間に存在するミステリの可能性を模索。知的かつ感覚的にミステリという
媒体の可能性とその創造の過程について考察してるんだね。
ミステリを描くという行為についてのミステリの肖像的なものともいえる。実際問題、現在までのミステリ創作の流れにおいて意識するか
しないかは別として、もちろん間接的なものとして、本作の影響をまったく受けないなんてことはないのかもしれないなあ。
作者にそれだけの苦悩があったから。ラストのエラリーの悲愴ぶり。。
さて、そんな哲学的側面も素晴らしいんだけど、なにより本作で〈猫〉が引き起こす恐怖は明らかに赤狩りを反映したものとしてとれるんで
あって、それに対して濃密な芸術性でもってして答えたってところが素晴らしいと、そう思うんだよ。なにより健全だ。しかし狩るまでもなく
どっかの国ではもう必要ですらないと思われてる(笑)・・・んだけど、本当のところ〜ですらないなんてものが健全なのかどうか甚だ疑問。
これはまったくナンセンスで悪気のない素朴な概念で思うことなんだけどさ、奴隷ってのは奴隷主にとっては当然ながら必要なんであって、
もしいなくなればそれがそのまま面当てになるわけさ。しかし、のたれ死にしようが何しようが無関係ですよ、いつでもどこからでも自動的に
補充されますからねっ!なんてものは奴隷ですらないんであって。それがある意味で精神的に成り下がっているんであれば、相対としての
必然的法則によって奴隷主は自らを猿並みだと宣言してるんだけど。同じ猿なら芸があったほうがいい。
九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
B000J8NA3W
No.22
(5pt)

精神と哲学のタペストリーに誘引された鏡の消失点においてその心は砕け散る

アメリカの推理作家エラリー・クイーン(フレデリック・ダネイとマンフレッド・ベニントン・リーの従兄弟同士による合同ペンネーム)の
1949年作。
ニューヨーク市民を恐怖に陥れる連続絞殺魔〈猫〉!動機もなければ目撃者も容疑者もいない!悪気のない〈猫〉の殺人遊びにエラリーが挑む!
これはあれだね。いわゆるところのミッシング・リンクものってやつ。でもそれだけじゃなくてね、その中でヒステリックな群衆心理と様々な
現実レベルが重層的に関連し合ってひとつの哲学が花開いてるんだ。
ミステリという手段を使って、本物らしさと、見事な見せかけの中間に存在するミステリの可能性を模索。知的かつ感覚的にミステリという
媒体の可能性とその創造の過程について考察してるんだね。
ミステリを描くという行為についてのミステリの肖像的なものともいえる。実際問題、現在までのミステリ創作の流れにおいて意識するか
しないかは別として、もちろん間接的なものとして、本作の影響をまったく受けないなんてことはないのかもしれないなあ。
作者にそれだけの苦悩があったから。ラストのエラリーの悲愴ぶり。。
さて、そんな哲学的側面も素晴らしいんだけど、なにより本作で〈猫〉が引き起こす恐怖は明らかに赤狩りを反映したものとしてとれるんで
あって、それに対して濃密な芸術性でもってして答えたってところが素晴らしいと、そう思うんだよ。なにより健全だ。しかし狩るまでもなく
どっかの国ではもう必要ですらないと思われてる(笑)・・・んだけど、本当のところ〜ですらないなんてものが健全なのかどうか甚だ疑問。
これはまったくナンセンスで悪気のない素朴な概念で思うことなんだけどさ、奴隷ってのは奴隷主にとっては当然ながら必要なんであって、
もしいなくなればそれがそのまま面当てになるわけさ。しかし、のたれ死にしようが何しようが無関係ですよ、いつでもどこからでも自動的に
補充されますからねっ!なんてものは奴隷ですらないんであって。それがある意味で精神的に成り下がっているんであれば、相対としての
必然的法則によって奴隷主は自らを猿並みだと宣言してるんだけど。同じ猿なら芸があったほうがいい。
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)より
4150701180
No.21
(5pt)

まるで刑事ドラマのような

著者の中〜後期の作品は、どんどん本格ミステリ度合いが少なくなるように見える。
しかし、本作も紛れもなく本格ミステリである。
ミッシング・リンクものであり、広い範囲から容疑者を絞り込んでいくという、まるで警察小説のような設定だ。
だが、クイーンのロジックは相変わらずである。

クイーンにしては結構長い作品であり、読みでがある。
導入は割とすんなり行くが、途中でのたるみは、少々気にはなる。
これはプロット上、仕方のないことかもしれないもだが、もうひと工夫あっても良かったかもしれない。
作品の雰囲気は、デアンドリア「ホッグ〜」にも似ているような気もする。
「ホッグ〜」もまた本格ミステリであったが。

本格原理主義者には、受けは宜しくないかと思う。
クイーンとしては、新機軸を打ち出そうとしたのかもしれない。
失敗作だという評価もあるが、それでも私は本書のクイーンのロジックを、若干の破綻があるにせよ、この設定へのチャレンジを、そして相変わらずの本格愛を、評価したい。

クイーン作品の中でも、なぜか愛着のある一冊である。
九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
B000J8NA3W
No.20
(5pt)

まるで刑事ドラマのような

著者の中〜後期の作品は、どんどん本格ミステリ度合いが少なくなるように見える。しかし、本作も紛れもなく本格ミステリである。ミッシング・リンクものであり、広い範囲から容疑者を絞り込んでいくという、まるで警察小説のような設定なのだが、クイーンのロジックは相変わらずである。

 クイーンにしては結構長い作品であり、読みでがある。導入は割とすんなり行くが、途中でのたるみは、少々気にはなる。これはプロット上、仕方のないことかもしれないもだが、もうひと工夫あっても良かったかもしれない。作品の雰囲気は、デアンドリア「ホッグ〜」にも似ているような気もする。「ホッグ〜」もまた本格ミステリであったが。

 本格原理主義者には、受けは宜しくないかと思う。クイーンとしては、新機軸を打ち出そうとしたのかもしれない。失敗作だという評価もあるが、それでも私は本書のクイーンのロジックを、若干の破綻があるにせよ、この設定へのチャレンジを、そして相変わらずの本格愛を、評価したい。
 クイーン作品の中で、なぜか愛着のある一冊である。
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)より
4150701180
No.19
(1pt)

駄作

ここのレビューではとても評価が高いですが、自分的には全くつまらない作品でした。
容疑者が絞れるあたりも偶然の産物であるし、そこから先はもう真相がわかります。クイーン一流の論理性・客観性を求めると、大いに失望させられます。
最終章の真犯人があぶり出されるやり取りも退屈そのもの。本来謎解きを主流にした作家なので、こういう展開に持ち込むと非常に違和感があるし、無理がある感じがします。
元々サイコパスの研究はこの時代まだ進んでいなかったので、現代のサイコパス物と比較すると明らかに専門性で劣るし、説得力にも欠けるでしょうか。(先駆的な作品と言えるのかもしれませんが。)
クイーンの中では異色の作品ですが、間違いなく駄作です。
九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
B000J8NA3W
No.18
(1pt)

謎解きをメインにすると肩透かしに.....

このレビューを読むととても高い評価を受けているのですが、自分的には全くつまらない作品でした。

容疑者が絞れるあたりも偶然の産物であるし、そこから先はもう真相がわかります。
クイーン一流の論理性・客観性を求めると、大いに失望させられます。

最終章の真犯人があぶり出されるやり取りも退屈そのもの。
本来謎解きを主流にした作家なので、こういう展開に持ち込むと非常に違和感があるし、無理がある感じがします。
元々サイコパスの研究はこの時代まだ進んでいなかったので、現代のサイコパス物と比較すると明らかに専門性で劣るし、説得力にも欠けるでしょうか。(先駆的な作品と言えるのかもしれませんが。)

クイーン作品は好きなので何回か読みなおしをすることが多いのですが、この作品は1回で充分でしょうか。
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)より
4150701180
No.17
(5pt)

間違いなく傑作のひとつ

結果的には精神・心理学的な動機づけが
すこし重いかとは思いますが、
小説としては、
もう一対の「夫婦」になる若い二人の活躍
との対比も意識に織り込んでいる、
なかなか重厚なプロットになっていると思います。

エラリーが内省的なのも、
常に過信しないことで、何かを見落とすことを防ぐ
という姿勢なのだと思いますが、
人間味があって素敵です。
エンディングのあたりも、ただの推理小説ではない、
目指す部分が老成していて素晴らしく巧い。

読み進めるうちに、残りのページ数から
色々と察しはつくのですが、
間違いなく傑作の一つだと思います。
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)より
4150701180
No.16
(5pt)

間違いなく傑作のひとつ

結果的には精神・心理学的な動機づけが
すこし重いかとは思いますが、
小説としては、
もう一対の「夫婦」になる若い二人の活躍
との対比も意識に織り込んでいる、
なかなか重厚なプロットになっていると思います。

エラリーが内省的なのも、
常に過信しないことで、何かを見落とすことを防ぐ
という姿勢なのだと思いますが、
人間味があって素敵です。
エンディングのあたりも、ただの推理小説ではない、
目指す部分が老成していて素晴らしく巧い。

読み進めるうちに、残りのページ数から
色々と察しはつくのですが、
間違いなく傑作の一つだと思います。
九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
B000J8NA3W
No.15
(3pt)

「十日間の不思議」とセットで読むのが良い

「十日間の不思議」で、エラリイは誤った推理により死なせずに済んだはずの人間を死なせてしまった自責の念から、もう二度と事件には関わりを持たないと決意するのだが、本書では「猫」による連続殺人を阻止・解決せんがために再び事件に関わりを持つ。なかなか手がかりがつかめない中、犠牲者がさらに一人、二人と増えてゆくが、ついに事件解明の手がかりと「猫」の正体をつかんだかに思えたが...。

内容は、クリスティーの「ABC殺人事件」を間違いなく意識したものだろう、無差別連続殺人のようでいて、その実、被害者たちにはつながりがあるというもので、そのつながりを解くことが犯人を見出す手がかりになる。

しかし、それでは終わらないところが作者らしいと言いたいところだが、作者作品を読み慣れた読者には、そのあたりの仕掛けは見え見えで、意外性は期待できない。
エラリイが最後に「十日間の不思議」と同じ挫折と苦悩を味わうあたりが人間ドラマとして生きていると感じる人もいるだろうが、謎解きを主眼に置く読者には物足りないことだろう。
九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
B000J8NA3W
No.14
(3pt)

「十日間の不思議」とセットで読むのが良い

「十日間の不思議」で、エラリイは誤った推理により死なせずに済んだはずの人間を死なせてしまった自責の念から、もう二度と事件には関わりを持たないと決意するのだが、本書では「猫」による連続殺人を阻止・解決せんがために再び事件に関わりを持つ。なかなか手がかりがつかめない中、犠牲者がさらに一人、二人と増えてゆくが、ついに事件解明の手がかりと「猫」の正体をつかんだかに思えたが...。
内容は、クリスティーの「ABC殺人事件」を間違いなく意識したものだろう、無差別連続殺人のようでいて、その実、被害者たちにはつながりがあるというもので、そのつながりを解くことが犯人を見出す手がかりになる。
しかし、それでは終わらないところが作者らしいと言いたいところだが、作者作品を読み慣れた読者には、そのあたりの仕掛けは見え見えで、意外性は期待できない。
エラリイが最後に「十日間の不思議」と同じ挫折と苦悩を味わうあたりが人間ドラマとして生きていると感じる人もいるだろうが、謎解きを主眼に置く読者には物足りないことだろう。
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)より
4150701180
No.13
(5pt)

謎解きよりも人間描写

人間描写に重きを置いたミステリーです。
なぜこういったかは終盤でわかると思いますが
その終盤を読むと人間がいかにしてそうなっていくか
と言うことがいっそうよくわかって面白かったです。

でも読み心地は残念ながらお世辞にも
いいものではありません。
読み終わった後非常に重苦しい気持ちにも
なりましたし。

しかしながら、それに余りあるほど
終盤の展開がものすごいです。
人と言うものはある種の感情を持つと
ここまで恐ろしいものになれるということ…

恐怖すら覚えました。
九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
B000J8NA3W
No.12
(5pt)

謎解きよりも人間描写

人間描写に重きを置いたミステリーです。
なぜこういったかは終盤でわかると思いますが
その終盤を読むと人間がいかにしてそうなっていくか
と言うことがいっそうよくわかって面白かったです。
でも読み心地は残念ながらお世辞にも
いいものではありません。
読み終わった後非常に重苦しい気持ちにも
なりましたし。
しかしながら、それに余りあるほど
終盤の展開がものすごいです。
人と言うものはある種の感情を持つと
ここまで恐ろしいものになれるということ…
恐怖すら覚えました。
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)より
4150701180
No.11
(5pt)

探偵クイーンの苦悩

前作の『十日間の不思議』で、自らの論理に裏切られた探偵エラリィの自己再生がメインテーマの作品。 かつて初刊行時からしばらくはアクロバティックな論理展開に乏しく従来のクイーンらしくないため、あまり評価されてませんでしたが、後年サイコスリラーの流行などを経て近年さらに再評価著しい作品です。 ゆえに、本格ミステリ的な仕掛け、いわゆるミッシング・リンクには、大きな意外性はありません(ただ深い意味はありますが) 作品は、生と死を前記のテーマに複合的に絡めて、未知の連続殺人による大都市市民の恐慌を迫力ある筆致で描いてます。
本作での探偵クイーンの懊悩は深く、当初は自ら事件に関わる事すら拒否します。 しかし、父であるクイーン警視の再三の要請と説得でようやく事件解決に乗り出し、やがて犯人を追い詰めたかに思えましたが…。
ライツヴィル物の諸作では、事件の渦中にあって、人間的な弱さを見せたクイーンは、前作に引き続き精神的なダメージを負います。 ただ、 最後のクイーンの悔告を聴いた老精神分析医の言葉に、僅かながら救いの光明を見せていて、余韻の深さはクイーン全作品中随一です。

『フォックス家の殺人』、『十日間の不思議』、『ガラスの村』と並ぶ、戦後のクイーンを代表する名作です。
九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
B000J8NA3W
No.10
(5pt)

探偵クイーンの苦悩

前作の『十日間の不思議』で、自らの論理に裏切られた探偵エラリィの自己再生がメインテーマの作品。 かつて初刊行時からしばらくはアクロバティックな論理展開に乏しく従来のクイーンらしくないため、あまり評価されてませんでしたが、後年サイコスリラーの流行などを経て近年さらに再評価著しい作品です。 ゆえに、本格ミステリ的な仕掛け、いわゆるミッシング・リンクには、大きな意外性はありません(ただ深い意味はありますが) 作品は、生と死を前記のテーマに複合的に絡めて、未知の連続殺人による大都市市民の恐慌を迫力ある筆致で描いてます。 本作での探偵クイーンの懊悩は深く、当初は自ら事件に関わる事すら拒否します。 しかし、父であるクイーン警視の再三の要請と説得でようやく事件解決に乗り出し、やがて犯人を追い詰めたかに思えましたが…。 ライツヴィル物の諸作では、事件の渦中にあって、人間的な弱さを見せたクイーンは、前作に引き続き精神的なダメージを負います。 ただ、 最後のクイーンの悔告を聴いた老精神分析医の言葉に、僅かながら救いの光明を見せていて、余韻の深さはクイーン全作品中随一です。 『フォックス家の殺人』、『十日間の不思議』、『ガラスの村』と並ぶ、戦後のクイーンを代表する名作です。
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)より
4150701180
No.9
(5pt)

大都市と対峙する名探偵の苦悩

◆〈サイコ・サスペンス〉もの

  本作は、トマス・ハリス『羊たちの沈黙』の大ヒット以降、
  広く一般に浸透した〈サイコ・サスペンス〉ものの先駆的作品。

  犯人の動機について精神分析的なアプローチをしている点や、「意外な真犯人」の
  案出など、フォロアー作品に与えた影響は、計り知れないものがあります。

◆〈ミッシング・リンク〉テーマ

  本作は、〈ミッシング・リンク〉テーマ(無関係に見える被害者間の繋がりを探る)の
  作品でもあります。

  そもそも、サイコ・サスペンスにおいて、精神異常者の特異な動機を描く上で、この
  テーマが選ばれるのは必然といっていいのですが、本作における「繋がり」は特に、
  即物的な論理を超えた哲学性、といったものが濃厚です。

◆ニューヨークという大都市の「生態」

  本作では、ある意味ニューヨークで暮らす名も無き「群衆」が主役だといえます。

  連続殺人鬼《猫》の跳梁により、怯え、惑い、狂奔する「群衆」。

  彼らの制御不能なエネルギーの奔流は、結果的に、
  《猫》による事件の、何倍もの被害を、彼らにもたらします。

  個人を超えた集団の力学に対し、何の対処もできないエラリイ。

  そこで描かれるのは、神のごとき〈名探偵〉ではなく、リアリズムの
  前に立ちすくみ、苦悩する一人の無力な青年の姿なのです。

九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
B000J8NA3W
No.8
(5pt)

連続殺人鬼《猫》の跳梁

◆〈サイコ・サスペンス〉もの
  本作は、トマス・ハリス『羊たちの沈黙』の大ヒット以降、
  広く一般に浸透した〈サイコ・サスペンス〉ものの先駆的作品。
  犯人の動機について精神分析的なアプローチをしている点や、「意外な真犯人」の
  案出など、フォロアー作品に与えた影響は、計り知れないものがあります。
◆〈ミッシング・リンク〉テーマ
  本作は、〈ミッシング・リンク〉テーマ(無関係に見える被害者間の繋がりを探る)の
  作品でもあります。
  そもそも、サイコ・サスペンスにおいて、精神異常者の特異な動機を描く上で、この
  テーマが選ばれるのは必然といっていいのですが、本作における「繋がり」は特に、
  即物的な論理を超えた哲学性、といったものが濃厚です。
◆ニューヨークという大都市の「生態」
  本作では、ある意味ニューヨークで暮らす名も無き「群衆」が主役だといえます。
  連続殺人鬼《猫》の跳梁により、怯え、惑い、狂奔する「群衆」。
  彼らの制御不能なエネルギーの奔流は、結果的に、
  《猫》による事件の、何倍もの被害を、彼らにもたらします。
  個人を超えた集団の力学に対し、何の対処もできないエラリイ。
  そこで描かれるのは、神のごとき〈名探偵〉ではなく、リアリズムの
  前に立ちすくみ、苦悩する一人の無力な青年の姿なのです。
  
九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (1978年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)より
B000J8NA3W
No.7
(5pt)

大都市と対峙する名探偵の苦悩

◆〈サイコ・サスペンス〉もの
  本作は、トマス・ハリス『羊たちの沈黙』の大ヒット以降、
  広く一般に浸透した〈サイコ・サスペンス〉ものの先駆的作品。
  犯人の動機について精神分析的なアプローチをしている点や、「意外な真犯人」の
  案出など、フォロアー作品に与えた影響は、計り知れないものがあります。
◆〈ミッシング・リンク〉テーマ
  本作は、〈ミッシング・リンク〉テーマ(無関係に見える被害者間の繋がりを探る)の
  作品でもあります。
  そもそも、サイコ・サスペンスにおいて、精神異常者の特異な動機を描く上で、この
  テーマが選ばれるのは必然といっていいのですが、本作における「繋がり」は特に、
  即物的な論理を超えた哲学性、といったものが濃厚です。
◆ニューヨークという大都市の「生態」
  本作では、ある意味ニューヨークで暮らす名も無き「群衆」が主役だといえます。
  連続殺人鬼《猫》の跳梁により、怯え、惑い、狂奔する「群衆」。
  彼らの制御不能なエネルギーの奔流は、結果的に、
  《猫》による事件の、何倍もの被害を、彼らにもたらします。
  個人を超えた集団の力学に対し、何の対処もできないエラリイ。
  そこで描かれるのは、神のごとき〈名探偵〉ではなく、リアリズムの
  前に立ちすくみ、苦悩する一人の無力な青年の姿なのです。
  
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)より
4150701180
No.6
(3pt)

作者も混迷の中に

本作は共同執筆者の一人F.ダネイが来日した時に自選ベスト3を聞かれ、その次点に挙げた作品。だが、この自選ベスト3は当てにならない。「昔(全盛期)よりも今の方が力がある」と言っているスポーツ選手のようなものである。本作は"猫"と呼ばれる殺人鬼がニューヨークを恐怖のドン底に落とすというサイコ・キラー的要素が目新しい。
だが、クィーンの華麗な推理はやはり見られないのだ。ニューヨーク警察陣や協力者の精神科医と共に混迷の中に沈んでしまう。連続殺人には共通点がある筈なのだが、それが見出せないのだ。これをリアリティがあると取るか、"クィーンふがいなし"と取るかは読む人次第であろう。そして、9番目の犠牲者が出た時、やっと光明を見い出す。読む方はこれ以前に犯人が分かっているのだが。
残念ながら、探偵クィーンと共に作家クィーンも混迷の中に沈んでしまったとしか思えない作品。
九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) Amazon書評・レビュー: 九尾の猫 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18)より
4150701180