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Zの悲劇
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【この小説が収録されている参考書籍】
Zの悲劇の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.85pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 1~20 1/2ページ
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アメリカの上院議員が殺され捜査が始まるが・・・というお話。 「Y]の後、10年くらい経ってからの事件という事で、若干前二作と違った感じで、語り手も前の作品に出てきた警察の人の娘という事で、何があったのかは知りませんが、色々な意味で違う感じに思えました。 前二作のインパクトが強く、特に「Y」は全ミステリの頂点に位置する事が多い性か、比べると少し損する感じではありますが、これはこれで面白い作品だと思います。 犯人も意表をつく感じで、前二作の謎解き程インパクトはないですが、筋は通っていて意外なので、素直に楽しめました。 題名から、今の所謂「Z世代」がどう読むかとか気になりました(あんまり関係ないし、読んだらつまらないで”悲劇”になったりして)。 前二作よりも影が薄いですが、それなりに面白い4部作の3作目。機会があったら是非。 | ||||
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米上院議員の30%弱が司法関係出身 米国ドラマ、とくにLaw and Order SVU等を見ていると郡検事が政治家に立候補する設定が良くある。現実の世界で最近ではカラマハリス副大統領がそれである。郡検事自体が選挙によって決まるアメリカでは政治家への流れが自然なんだろう。 1933年に発表された本作でも、Yの悲劇までは地方検事だったブルーノが知事になっており、当事件を担当する地方検事ヒュームは上院議員を狙っている(被害者は選挙区が同じでライバル政党の現上院議員)。この当時から検事職は激しくそういう(政治的)傾向だったんだなあ・・・。長年よくこれで問題起きないね、と。小説の中でもサラッと触れているけれど、被害者を調べることでライバル政党の弱みを手中に収める立候補者(検事)はそれをキャンペーンに利用できるわけだから。 さて、小説は今までの三人称形式からサム警視(現在は引退して探偵)の娘ペーシェンス・サムが語り手と変わった。若いお嬢さんらしくX,Yより軽快なタッチになっていて文体も変化した。こういうのもアリかなって楽しんで読んだ。 エラリー・クイーンはチラチラ犯人を思わせぶりしないから好き。超脇役な看守の「目つきが怪しくて何か嫌な予感がした」とかの記述はあるけれど、犯人自体は最後まで素振りを見せてない。動機は事件解決後に明らかになるという方法。だから情況証拠や時系列をコツコツと並べて考えるしかない。 | ||||
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本作『Z』で重要な登場人物サム警部の娘ペーシェンスが追加されます。その明晰な推理力は実は次作『レーン最後の事件』への重要な複線なのですが、ここではコメントは差し控えますね。 名作の誉れ高い『X』・『Y』に比べ余り騒がれない『Z』ですが、プロット以外に読者に色々考えさせる側面を併せ持っていると思います。 1つは徹底かつ詳細な死刑執行の描写です。 研究熱心な作者両名であるからして、死刑執行の場面を間違いなく見学に行ったに相違ないと思わせる描写力です。特筆できます。 もう1つはペーシェンスを題材とした女性の恋愛感情の描写の追加です。このファクタはここまでのエラリー・クイーンの作品にはかつて登場したことが無いものです。まるでミステリーを卒業し、恋愛小説の分野にデビューする気なのではと思わせるまでの描写力です。 次作『レーン最後の事件』では、この女性心理描写はより一層作品の中枢になっていきます。複線に複線を重ねるクイーンの用意周到な『技』を感じる一冊です。 | ||||
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XとかYに比べて、評価の低い作品だけど、小説として盛り上げようとしてたり、そんなに酷い内容だとは思わない。ただ一説にあるように「国名シリーズ」からプロットを持ってきたんじゃ?なんて説もあるから、それが本当のところなのかな? なんて思ったりもする。でもでも、「Xの悲劇」はヴァン・ダインの「ベンスン」「カナリア」っぽいのと「Yの悲劇」は同じく「グリーン家」「僧正」っぽいのを見てると、こちらは、当時別の筆名だった自身の「国名シリーズ」のもじりと受けとられそうに書いただけなのかもしれない…なんて思ったりもする。 どっちにしても、小説としての面白さを求めようとする姿勢は買いかな…。当時「本格推理」はパズルとしては秀逸でも、小説としてはイマイチなものが多かったような気もするしね。だから小説として面白いクリスティが部数を伸ばしたんだと思う。本作は「本格」としてフェアであることと、「小説」としてのスリルの両立を目指していると思うんだけど…。 | ||||
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今回は、サム警視の娘が登場し、天性の閃きに加えて、行動力があり、冒険好き、これが作品に華を添えています。もちろんレーンの推理、今回は特にあらゆる可能性を検証し、論理的にまるで犯人を法廷で追い詰めていくような様は最後息がつまるようでした。 | ||||
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4部作3件目の事件。かって読んでいたが今回再読、私は面白く読めました。クイーンとは違った面白さはやはり探偵役のドルリー レーンのキャラクターの素晴らしさだろう。 | ||||
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名探偵ドルリー・レーン四部作の三作目。XYに続いてZの悲劇である本作はあまり世評が高くないようだが、過剰なまでの演出が楽しめるエンタメ作である。 Xでレーンが協力したサム警部が退職し、聡明な美少女で探偵の才能を持った娘と登場。彼女ペーシェンスが語り手で話が進み、半ば付近でようやく彼女の憧れの的だが老齢のレーンが登場。彼らは殺人犯の疑いを掛けられた元囚人の男の無罪を信じて奮闘するが、この男の無実を証明しようと試した行為までも仇となって法廷闘争に破れ、さらに2人目の殺人まで罪に問われた男は死刑判決を受けて電気椅子に拘束される絶体絶命のピンチ。だが、死刑執行寸前にレーンが名推理を披露してその場にいた真犯人を指摘、逆上した所を取り押さえてめでたしめでたし、でも嫌疑を掛けられた男も心労が重なった由か絶命する、と言う実にドラマティックな展開。もちろん劇的なだけにツッコミどころは多い。あまりにご都合主義と言えばその通りだと思う。 レーンの推理はクイーンらしい論理的なもので、容疑者の可能性を一つずつ潰してこの人物しか犯人ではあり得ないと、その場にいた人物を犯人と断定するのだけど、逆上せず冷静に流されたらどうするつもりだったのだろう?(笑) などなど、本格ミステリとしては問題点を感じるが、可憐なペーシェンス嬢の頑張りと、彼女を認めつつ最後は何とか決めたレーンの存在感が本作を救った。最後に魅力的な青年に求愛されながら袖にして、レーンの片腕となる未来を想像するペーシェンス。歳の差あり過ぎだろうと思ったのは私だけではあるまい。 | ||||
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書き出しからラストまで、隙の無い論理性、それをいろどる名優レーンのハムレット城とその雰囲気がいろどりをそえて、すばらしく読み応えのある名作です。 | ||||
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読み終わっての感想は、この作品は、他のクイーンの国名シリーズや悲劇シリーズとは趣向が少し変わっているというものでした。それは他の作品が三人称によって語られていくのに対して、この作品はペイシェンスという女性の視点で描かれているからですが、これによって、殺人事件や関係者に対する彼女の心情面が細かくリアルに描かれ、読者が容易に感情移入できるようになっています。また、本作品は死刑囚の死刑執行と冤罪というテーマを扱い、死刑執行前までに冤罪を晴らさなければならないというサスペンス要素もあり、この点が他の作品にはない特徴になっています。 本格ものは、中盤で捜査過程を描く必要があるため、どうしてもその部分が冗長になりがちですが、このサスペンス性があるため、ラストまで退屈せずに楽しめました。とは言っても、クイーンの作品ですので、フーダニット(誰が犯人か)を中心とした謎解きに重点がおかれていることに変わりはありません。 国名シリーズでもそうですが、Zの悲劇においても、事件を解決するのに動機側からのアプローチはほどんどなく、事件現場に残された手がかりから推理を組み立てていく方法です。ですので、犯人の心理的側面やドラマ性はあまり期待しないほうがいいかもしれません。 | ||||
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王道のミステリーですかね。このシリーズはすべて面白かったと思います。ミステリーファンの方は1度は読まれたのでは? | ||||
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世間では「Xの悲劇」「Yの悲劇」の評価が非常に高いですが、 この作品も無実と思われる容疑者がどうなってしまうのかなどと言うハラハラ感など 読書の楽しみとしてはなかなか優れているように思います。 ミステリの論理性としては前2作に及ばないかも知れないけれど、 この作品は新たな登場人物であるサム警部の娘さん、 女性探偵ペーシェンスの一人称視点作品と言う事もあり、新鮮な気分で楽しめます。 ちょっと残念なのはドルリー・レーン氏が70歳という齢になり、 心身が以前より衰えている所。 あとこのシリーズならではなのか、後味もあまり良くないですね。 最後ああしなければもうちょっとスッキリ出来たのに…と個人的には思ったりしますw | ||||
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苦悩する名探偵が最後に提示する解決編は、見事な論理で組み立てられていて、舌を巻く思いです。XやYの悲劇と比べても、まったく遜色は無く、むしろ死刑執行直前の室内で提示されるドラマチックな要素も加味すると、解決編の切れ味は、本作のほうが上回っているかもしれません。 一方で、女性探偵の嚆矢として名高い、語り手のペイシェンス・サムにしても中盤までは探偵として推理力の冴えを見せますが、それ以降はゴシック小説に出てきそうな、もったいぶった言い回しで慄くだけの平凡な姿に成り下がっています。 また、解決編が始まると、小説の多くの要素が無駄に感じられ、終盤に明かされる過去の因縁や犯行動機も、(現実世界でどうであれ)平凡、陳腐に見えてしまいます。 純粋な謎解きパズルとしてなら、最高に近いものだと思いますが、小説としてはもう少し高いレベルを臨みたいと思います。 | ||||
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四部作の中では見劣りする、という評価が多い本作であるが、単純にみても他の多くのミステリより高いレベルの先品である。 しかし、本作の持つ意味を考えると、その評価はけっして低くできない。 本作でクイーンが試みたことや、本作のしかけ、四部作の中での位置づけなどは、多くの評論書にも書かれている。 「X〜」と「Y〜」は確かにロジックミステリとしては最高峰だろう。 だが、本作がなかったら、その緊張感のまま最後の作品に流れていくことになる。 それでは、最後の作品が「X〜」や「Y〜」以上のレベルでなければ、読者が承知しないことは明かである。 前二作で頂点に達した著者にとって、それは至難のことであり、不可能だったのだろう。 しかし、最後の作品の構想は「X〜」当初からあったはずなので、だからこそ、本作がクッション役を果たしたのだと思う。 しかし本作だって、タイムリミット・サスペンスとしてアイリッシュ「幻の女」などと比べても遜色ない出来だ。 そして、他のレビュアーが述べているように、徹底したロジック。 このロジックだけでも、本作の価値は高い。 | ||||
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オリジナルがリリースされたのが1933年というから、今から約80年前。21世紀の今再読しても相当面白いのは、プロットがアきちんと練り込まれているのと、作者独自の「読ませる」工夫が随所に施されているからだろう。ページを繰るのがもどかしくなるその巧みさ、さすが。越前敏弥の新訳も読みやすくてなかなかいい。 元警視の娘ペイシェンス・サムが一人称で登場し、語り手と探偵役をかってでる。ドルリー・レーンは後半部分に失敗を重ねながら登場するが、最後は鮮やかな逆転勝利を収めるのは「X・Yの悲劇」と同じ流れ。しかしこのときレーンは早や70歳、寄る年波には勝てず、いよいよ最終章「最後の悲劇」へとなだれ込む、そこに見えてくるのはこれまた結構なお楽しみだが、本当に最後の悲劇となる…… | ||||
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「X」「Y」を読んでからこの作品を読むと あまりの盛り上がりのなさに がっかりせざるを得ない作品です。 いやいや、本当に地味なのですから仕方ないです。 それはレーンが名推理を発揮するまでのこと。 そこまではちょっと辛抱する必要があります。 もちろんこう言っているわけですので、 一番いいシーンはこの名推理の場面。 一人、また一人が消えていき、 やがて27人中26人が消え、 ついに最後の一人になるのです。 そう、尻尾も何も出ない事件なので、 犯人には「えっ」と思うことでしょう。 最後以外はちょっとの辛抱が必要な作品です。 | ||||
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XYZのうち、Zが一番好きです。 サム警視の娘の素人探偵が活躍するので、一番、身近に感じることができ、とても馴染めます。 Xは、恐る恐る読みました。 結末までの長い道のりでした。 Zは、楽しみながら読むことができました。 ミス サムが、結局誰を好きになるのだろうというのが、一番の興味の対象でした。 XYZを比較して、みると、3作に共通して出てくる人物を、第三話で客観化したところに、シリーズの起承転結があって面白しろいと思いました。 シリーズものを書くときの参考にしたいと思いました。 | ||||
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「レーン四部作」も後半。ふたりめの新たな主人公が登場します。ペーシェンス・サム。サム警視の可愛い娘です。冒頭ハムレット荘ではレーンも認める観察力と推理力を披露し、つかみも十分。今風に言えば萌えキャラ主人公の登場です。 たちのわるい政治ゴロ、フォーセット上院議員の刺殺で事件は始まります。論理的推理からいえば容疑者は犯人ではありえないはずなのですが、やがて第二の殺人がおき、再び捕らえられた容疑者に死刑の判決が下されます。死刑執行までに真相を明らかにできるのか、真犯人を明らかにすることができるのか、死のせまる無実の者を救う事が出来るのでしょうか。 追いつめられた立場の無実の容疑者を救い事件を明らかにする時間との戦いの要素、そしてそのスリリングさが本作の読みどころであり、読む者は目が離せません。特に死刑執行を直前にしてのレーンの推理の披露、消去法で犯人をたたみかけるように明らかにしていく場面は圧巻ものです。 一見するとめでたしめでたしで終わる本作ですが、気になることが一つ。ある登場人物の死について、ほとんど書き流すように書かれていますが、これはレーンが殺したも同然なのではないでしょうか。レーンの推理の披露が間接的とはいえこの人物の死をもたらしたのではないのでしょうか。 そう思った時、私の「レーン四部作」の評価は変わりました。推理のためなら人の死も辞さない男、ドルリー・レーン。 次回は「レーン最後の事件 (創元推理文庫 104-4)」弩級の驚愕が読者を待っています。 | ||||
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「レーン四部作」も後半。ふたりめの新たな主人公が登場します。ペーシェンス・サム。サム警視の可愛い娘です。冒頭ハムレット荘ではレーンも認める観察力と推理力を披露し、つかみも十分。今風に言えば萌えキャラ主人公の登場です。 たちのわるい政治ゴロ、フォーセット上院議員の刺殺で事件は始まります。論理的推理からいえば容疑者は犯人ではありえないはずなのですが、やがて第二の殺人がおき、再び捕らえられた容疑者に死刑の判決が下されます。死刑執行までに真相を明らかにできるのか、真犯人を明らかにすることができるのか、死のせまる無実の者を救う事が出来るのでしょうか。 追いつめられた立場の無実の容疑者を救い事件を明らかにする時間との戦いの要素、そしてそのスリリングさが本作の読みどころであり、読む者は目が離せません。特に死刑執行を直前にしてのレーンの推理の披露、消去法で犯人をたたみかけるように明らかにしていく場面は圧巻ものです。 一見するとめでたしめでたしで終わる本作ですが、気になることが一つ。ある登場人物の死について、ほとんど書き流すように書かれていますが、これはレーンが殺したも同然なのではないでしょうか。レーンの推理の披露が間接的とはいえこの人物の死をもたらしたのではないのでしょうか。 そう思った時、私の「レーン四部作」の評価は変わりました。推理のためなら人の死も辞さない男、ドルリー・レーン。 次回は「レーン最後の事件 (創元推理文庫 104-4)」弩級の驚愕が読者を待っています。 | ||||
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本書は名作「Xの悲劇」「Yの悲劇」の翌1933年に発表された作品だが、前2作とシリーズ最終作の「ドルリイ・レーン最後の事件」とに挟まって思いのほか評価が低い。 本書の評価が低い理由はいくつか考えられるが、1つは「Yの悲劇」から10年余りが経過してレーンがすっかり老け込んでしまい、かつて「X」「Y」ではあれほど放射されていたカリスマ性や威厳、魅力がすっかり失われてしまっていることにある。 2つ目は、1つ目に関連するもので、レーンは安楽椅子探偵のように事件の情報を聞くのが主で、外見的に主役として活躍するのは主にサムの娘、ペイシェンスであるということ。ただし、ペイシェンスの活躍がいけないという意味ではなく、レーンの活躍がほとんど見られないという点でのことだが。 3つ目は、これが最大の理由だが、レーンの推理に「X」「Y」ほどのキレがないということに尽きるだろう。本書ではほとんどの推理が可能性の範疇のもので確実性が薄く感じられる。 これらの欠点を補うのがペイシェンスのロマンスを交えた活躍と、最後の最後、死刑執行される直前のレーンの緊張感あふれる迫真の推理で、これらによって前2作にはほとんどなかったドラマ性が感じられた。 それに、本書は充分水準以上の推理作品で、それがあくまでも「X」「Y」ほどではないというだけのこと。比較対象が厳しすぎると思う。 | ||||
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本書は名作「Xの悲劇」「Yの悲劇」の翌1933年に発表された作品だが、前2作とシリーズ最終作の「レーン最後の事件」とに挟まって思いのほか評価が低い。 本書の評価が低い理由はいくつか考えられるが、1つは「Yの悲劇」から10年余りが経過してレーンがすっかり老け込んでしまい、かつて「X」「Y」ではあれほど放射されていたカリスマ性や威厳、魅力がすっかり失われてしまっていることにある。 2つ目は、1つ目に関連するもので、レーンは安楽椅子探偵のように事件の情報を聞くのが主で、外見的に主役として活躍するのは主にサムの娘、ペイシェンスであるということ。ただし、ペイシェンスの活躍がいけないという意味ではなく、レーンの活躍がほとんど見られないという点でのことだが。 3つ目は、これが最大の理由だが、レーンの推理に「X」「Y」ほどのキレがないということに尽きるだろう。本書ではほとんどの推理が可能性の範疇のもので確実性が薄く感じられる。 これらの欠点を補うのがペイシェンスのロマンスを交えた活躍と、最後の最後、死刑執行される直前のレーンの緊張感あふれる迫真の推理で、これらによって前2作にはほとんどなかったドラマ性が感じられた。 それに、本書は充分水準以上の推理作品で、それがあくまでも「X」「Y」ほどではないというだけのこと。比較対象が厳しすぎると思う。 | ||||
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