■スポンサードリンク
Zの悲劇
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
Zの悲劇の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.88pt | ||||||||
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全50件 21~40 2/3ページ
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 四部作の中では見劣りする、という評価が多い本作であるが、単純にみても他の多くのミステリより高いレベルの先品である。 しかし、本作の持つ意味を考えると、その評価はけっして低くできない。 本作でクイーンが試みたことや、本作のしかけ、四部作の中での位置づけなどは、多くの評論書にも書かれている。 「X〜」と「Y〜」は確かにロジックミステリとしては最高峰だろう。 だが、本作がなかったら、その緊張感のまま最後の作品に流れていくことになる。 それでは、最後の作品が「X〜」や「Y〜」以上のレベルでなければ、読者が承知しないことは明かである。 前二作で頂点に達した著者にとって、それは至難のことであり、不可能だったのだろう。 しかし、最後の作品の構想は「X〜」当初からあったはずなので、だからこそ、本作がクッション役を果たしたのだと思う。 しかし本作だって、タイムリミット・サスペンスとしてアイリッシュ「幻の女」などと比べても遜色ない出来だ。 そして、他のレビュアーが述べているように、徹底したロジック。 このロジックだけでも、本作の価値は高い。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| オリジナルがリリースされたのが1933年というから、今から約80年前。21世紀の今再読しても相当面白いのは、プロットがアきちんと練り込まれているのと、作者独自の「読ませる」工夫が随所に施されているからだろう。ページを繰るのがもどかしくなるその巧みさ、さすが。越前敏弥の新訳も読みやすくてなかなかいい。 元警視の娘ペイシェンス・サムが一人称で登場し、語り手と探偵役をかってでる。ドルリー・レーンは後半部分に失敗を重ねながら登場するが、最後は鮮やかな逆転勝利を収めるのは「X・Yの悲劇」と同じ流れ。しかしこのときレーンは早や70歳、寄る年波には勝てず、いよいよ最終章「最後の悲劇」へとなだれ込む、そこに見えてくるのはこれまた結構なお楽しみだが、本当に最後の悲劇となる…… | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| クイーンの三つの「悲劇」ものは推理小説の評価史上有名だが、はっきり言って、今読むと、イマイチなのも多い。 本作も、あまりおもしろくはない。「数学的」解決法も、コジツケめいているところもあるし。ドルリー・レーンの推理も、そう大したものとは思えない。 背景となる「伝奇的な過去」も、なにか、コナン・ドイルの昔のホームズ長編のようで、古くさいよ。 ただ、次作「最後の事件」を読む前提として、本書には目を通しておいた方がいいだろう。サムの娘の登場とか。(それ以外に意味があるとも思えないが) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| クイーンの三つの「悲劇」ものは推理小説の評価史上有名だが、はっきり言って、今読むと、イマイチなのも多い。 本作も、あまりおもしろくはない。「数学的」解決法も、コジツケめいているところもあるし。ドルリー・レーンの推理も、そう大したものとは思えない。 背景となる「伝奇的な過去」も、なにか、コナン・ドイルの昔のホームズ長編のようで、古くさいよ。 ただ、次作「最後の事件」を読む前提として、本書には目を通しておいた方がいいだろう。(それ以外に意味があるとも思えないが) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 「X」「Y」を読んでからこの作品を読むと あまりの盛り上がりのなさに がっかりせざるを得ない作品です。 いやいや、本当に地味なのですから仕方ないです。 それはレーンが名推理を発揮するまでのこと。 そこまではちょっと辛抱する必要があります。 もちろんこう言っているわけですので、 一番いいシーンはこの名推理の場面。 一人、また一人が消えていき、 やがて27人中26人が消え、 ついに最後の一人になるのです。 そう、尻尾も何も出ない事件なので、 犯人には「えっ」と思うことでしょう。 最後以外はちょっとの辛抱が必要な作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| XYZのうち、Zが一番好きです。 サム警視の娘の素人探偵が活躍するので、一番、身近に感じることができ、とても馴染めます。 Xは、恐る恐る読みました。 結末までの長い道のりでした。 Zは、楽しみながら読むことができました。 ミス サムが、結局誰を好きになるのだろうというのが、一番の興味の対象でした。 XYZを比較して、みると、3作に共通して出てくる人物を、第三話で客観化したところに、シリーズの起承転結があって面白しろいと思いました。 シリーズものを書くときの参考にしたいと思いました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 「レーン四部作」も後半。ふたりめの新たな主人公が登場します。ペーシェンス・サム。サム警視の可愛い娘です。冒頭ハムレット荘ではレーンも認める観察力と推理力を披露し、つかみも十分。今風に言えば萌えキャラ主人公の登場です。 たちのわるい政治ゴロ、フォーセット上院議員の刺殺で事件は始まります。論理的推理からいえば容疑者は犯人ではありえないはずなのですが、やがて第二の殺人がおき、再び捕らえられた容疑者に死刑の判決が下されます。死刑執行までに真相を明らかにできるのか、真犯人を明らかにすることができるのか、死のせまる無実の者を救う事が出来るのでしょうか。 追いつめられた立場の無実の容疑者を救い事件を明らかにする時間との戦いの要素、そしてそのスリリングさが本作の読みどころであり、読む者は目が離せません。特に死刑執行を直前にしてのレーンの推理の披露、消去法で犯人をたたみかけるように明らかにしていく場面は圧巻ものです。 一見するとめでたしめでたしで終わる本作ですが、気になることが一つ。ある登場人物の死について、ほとんど書き流すように書かれていますが、これはレーンが殺したも同然なのではないでしょうか。レーンの推理の披露が間接的とはいえこの人物の死をもたらしたのではないのでしょうか。 そう思った時、私の「レーン四部作」の評価は変わりました。推理のためなら人の死も辞さない男、ドルリー・レーン。 次回は「レーン最後の事件 (創元推理文庫 104-4)」弩級の驚愕が読者を待っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 「レーン四部作」も後半。ふたりめの新たな主人公が登場します。ペーシェンス・サム。サム警視の可愛い娘です。冒頭ハムレット荘ではレーンも認める観察力と推理力を披露し、つかみも十分。今風に言えば萌えキャラ主人公の登場です。 たちのわるい政治ゴロ、フォーセット上院議員の刺殺で事件は始まります。論理的推理からいえば容疑者は犯人ではありえないはずなのですが、やがて第二の殺人がおき、再び捕らえられた容疑者に死刑の判決が下されます。死刑執行までに真相を明らかにできるのか、真犯人を明らかにすることができるのか、死のせまる無実の者を救う事が出来るのでしょうか。 追いつめられた立場の無実の容疑者を救い事件を明らかにする時間との戦いの要素、そしてそのスリリングさが本作の読みどころであり、読む者は目が離せません。特に死刑執行を直前にしてのレーンの推理の披露、消去法で犯人をたたみかけるように明らかにしていく場面は圧巻ものです。 一見するとめでたしめでたしで終わる本作ですが、気になることが一つ。ある登場人物の死について、ほとんど書き流すように書かれていますが、これはレーンが殺したも同然なのではないでしょうか。レーンの推理の披露が間接的とはいえこの人物の死をもたらしたのではないのでしょうか。 そう思った時、私の「レーン四部作」の評価は変わりました。推理のためなら人の死も辞さない男、ドルリー・レーン。 次回は「レーン最後の事件 (創元推理文庫 104-4)」弩級の驚愕が読者を待っています。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 作者作品には『Xの悲劇』や『エジプト十字架』などのように推理の論理や結末にこじつけんがための「ご都合主義」が散見されるが、本書はその最たる作品で、本来無罪と判決されるべき被告人に、ただただ作者の都合に合わせるためだけの理由で有罪判決を下させている。 被告人アーロン・ドウは上院議員をペーパーナイフで殺害した容疑で起訴されるが、その証拠はアーロンが上院議員を強請っていた手紙とアーロンが当日刑務所から釈放されたこと、そして当夜のアリバイがないことの3点だけで、上院議員を刺し殺したという証拠がないばかりかアーロンが上院議員宅に当夜出入りしたという証拠すらない状況の中、アーロンは有罪として終身刑に処される。 これは、ラストで死刑台に送られたアーロンをレーンに救出させようと白熱の推理を展開させるためで、確かに緊張感の高いドラマに仕上がってはいる。 しかし、もしも作者のように自分の都合だけで被告人を有罪に処する人ばかりで裁判員が構成された暁には、無実の罪で有罪となる人が今までの何10倍にも膨れ上がることだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 作者作品には『Xの悲劇』や『エジプト十字架』などのように推理の論理や結末にこじつけんがための「ご都合主義」が散見されるが、本書はその最たる作品で、本来無罪と判決されるべき被告人に、ただただ作者の都合に合わせるためだけの理由で有罪判決を下させている。 被告人アーロン・ドウは上院議員をペーパーナイフで殺害した容疑で起訴されるが、その証拠はアーロンが上院議員を強請っていた手紙とアーロンが当日刑務所から釈放されたこと、そして当夜のアリバイがないことの3点だけで、上院議員を刺し殺したという証拠がないばかりかアーロンが上院議員宅に当夜出入りしたという証拠すらない状況の中、アーロンは有罪として終身刑に処される。 これは、ラストで死刑台に送られたアーロンをレーンに救出させようと白熱の推理を展開させるためで、確かに緊張感の高いドラマに仕上がってはいる。 しかし、もしも作者のように自分の都合だけで被告人を有罪に処する人ばかりで裁判員が構成された暁には、無実の罪で有罪となる人が今までの何10倍にも膨れ上がることだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 本書は名作「Xの悲劇」「Yの悲劇」の翌1933年に発表された作品だが、前2作とシリーズ最終作の「ドルリイ・レーン最後の事件」とに挟まって思いのほか評価が低い。 本書の評価が低い理由はいくつか考えられるが、1つは「Yの悲劇」から10年余りが経過してレーンがすっかり老け込んでしまい、かつて「X」「Y」ではあれほど放射されていたカリスマ性や威厳、魅力がすっかり失われてしまっていることにある。 2つ目は、1つ目に関連するもので、レーンは安楽椅子探偵のように事件の情報を聞くのが主で、外見的に主役として活躍するのは主にサムの娘、ペイシェンスであるということ。ただし、ペイシェンスの活躍がいけないという意味ではなく、レーンの活躍がほとんど見られないという点でのことだが。 3つ目は、これが最大の理由だが、レーンの推理に「X」「Y」ほどのキレがないということに尽きるだろう。本書ではほとんどの推理が可能性の範疇のもので確実性が薄く感じられる。 これらの欠点を補うのがペイシェンスのロマンスを交えた活躍と、最後の最後、死刑執行される直前のレーンの緊張感あふれる迫真の推理で、これらによって前2作にはほとんどなかったドラマ性が感じられた。 それに、本書は充分水準以上の推理作品で、それがあくまでも「X」「Y」ほどではないというだけのこと。比較対象が厳しすぎると思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 本書は名作「Xの悲劇」「Yの悲劇」の翌1933年に発表された作品だが、前2作とシリーズ最終作の「レーン最後の事件」とに挟まって思いのほか評価が低い。 本書の評価が低い理由はいくつか考えられるが、1つは「Yの悲劇」から10年余りが経過してレーンがすっかり老け込んでしまい、かつて「X」「Y」ではあれほど放射されていたカリスマ性や威厳、魅力がすっかり失われてしまっていることにある。 2つ目は、1つ目に関連するもので、レーンは安楽椅子探偵のように事件の情報を聞くのが主で、外見的に主役として活躍するのは主にサムの娘、ペイシェンスであるということ。ただし、ペイシェンスの活躍がいけないという意味ではなく、レーンの活躍がほとんど見られないという点でのことだが。 3つ目は、これが最大の理由だが、レーンの推理に「X」「Y」ほどのキレがないということに尽きるだろう。本書ではほとんどの推理が可能性の範疇のもので確実性が薄く感じられる。 これらの欠点を補うのがペイシェンスのロマンスを交えた活躍と、最後の最後、死刑執行される直前のレーンの緊張感あふれる迫真の推理で、これらによって前2作にはほとんどなかったドラマ性が感じられた。 それに、本書は充分水準以上の推理作品で、それがあくまでも「X」「Y」ほどではないというだけのこと。比較対象が厳しすぎると思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 本書は名作「Xの悲劇」「Yの悲劇」の翌1933年に発表された作品だが、前2作とシリーズ最終作の「レーン最後の事件」とに挟まって思いのほか評価が低い。 本書の評価が低い理由はいくつか考えられるが、1つは「Yの悲劇」から10年余りが経過してレーンがすっかり老け込んでしまい、かつて「X」「Y」ではあれほど放射されていたカリスマ性や威厳、魅力がすっかり失われてしまっていることにある。 2つ目は、1つ目に関連するもので、レーンは安楽椅子探偵のように事件の情報を聞くのが主で、外見的に主役として活躍するのは主にサムの娘、ペイシェンスであるということ。ただし、ペイシェンスの活躍がいけないという意味ではなく、レーンの活躍がほとんど見られないという点でのことだが。 3つ目は、これが最大の理由だが、レーンの推理に「X」「Y」ほどのキレがないということに尽きるだろう。本書ではほとんどの推理が可能性の範疇のもので確実性が薄く感じられる。 これらの欠点を補うのがペイシェンスのロマンスを交えた活躍と、最後の最後、死刑執行される直前のレーンの緊張感あふれる迫真の推理で、これらによって前2作にはほとんどなかったドラマ性が感じられた。 それに、本書は充分水準以上の推理作品で、それがあくまでも「X」「Y」ほどではないというだけのこと。比較対象が厳しすぎると思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 無実であるにも関わらず、死刑判決をうけた男を救うため、死刑執行 までに、事件を解決しなければならないという《タイムリミット》もの。 特に、まさに死刑が執行されんとする場面でのレーンの推理は、 クイーン全作品のなかでも白眉といってよく、圧巻の一言です。 《レーン四部作》の前二作では、犯人に直接結びつく手がかりに基づく 《演繹的推理》によって、事件が解明されますが、本作では、いわゆる 《消去法推理》が用いられています。 作中には、犯人を特定しうる決定的な手がかりは存在しません。 刑務所に厳格な日課があったというデータや、紙クリップの跡が二つある封筒、 死体の手首に残されていた血まみれの指の跡などの手がかりから、レーンは、 犯人の四つの条件を導き出し、犯人以外の容疑者を消去していくのです。 計27人の容疑者を次々と消去し、最後に残った一人を犯人として指摘するクライマックスの カタルシスは無類ですが、その後に訪れる皮肉な幕切れは、このシリーズならではの苦味 を残します。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 無実であるにも関わらず、死刑判決をうけた男を救うため、死刑執行 までに、事件を解決しなければならないという《タイムリミット》もの。 特に、まさに死刑が執行されんとする場面でのレーンの推理は、 クイーン全作品のなかでも白眉といってよく、圧巻の一言です。 《レーン四部作》の前二作では、犯人に直接結びつく手がかりに基づく 《演繹的推理》によって、事件が解明されますが、本作では、いわゆる 《消去法推理》が用いられています。 作中には、犯人を特定しうる決定的な手がかりは存在しません。 刑務所に厳格な日課があったというデータや、紙クリップの跡が二つある封筒、 死体の手首に残されていた血まみれの指の跡などの手がかりから、レーンは、 犯人の四つの条件を導き出し、犯人以外の容疑者を消去していくのです。 計27人の容疑者を次々と消去し、最後に残った一人を犯人として指摘するクライマックスの カタルシスは無類ですが、その後に訪れる皮肉な幕切れは、このシリーズならではの苦味 を残します。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 無実であるにも関わらず、死刑判決をうけた男を救うため、死刑執行 までに、事件を解決しなければならないという《タイムリミット》もの。 特に、まさに死刑が執行されんとする場面でのレーンの推理は、 クイーン全作品のなかでも白眉といってよく、圧巻の一言です。 《レーン四部作》の前二作では、犯人に直接結びつく手がかりに基づく 《演繹的推理》によって、事件が解明されますが、本作では、いわゆる 《消去法推理》が用いられています。 作中には、犯人を特定しうる決定的な手がかりは存在しません。 刑務所に厳格な日課があったというデータや、紙クリップの跡が二つある封筒、 死体の手首に残されていた血まみれの指の跡などの手がかりから、レーンは、 犯人の四つの条件を導き出し、犯人以外の容疑者を消去していくのです。 計27人の容疑者を次々と消去し、最後に残った一人を犯人として指摘するクライマックスの カタルシスは無類ですが、その後に訪れる皮肉な幕切れは、このシリーズならではの苦味 を残します。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 無実であるにも関わらず、死刑判決をうけた男を救うため、死刑執行 までに、事件を解決しなければならないという《タイムリミット》もの。 特に、まさに死刑が執行されんとする場面でのレーンの推理は、 クイーン全作品のなかでも白眉といってよく、圧巻の一言です。 《レーン四部作》の前二作では、犯人に直接結びつく手がかりに基づく 《演繹的推理》によって、事件が解明されますが、本作では、いわゆる 《消去法推理》が用いられています。 作中には、犯人を特定しうる決定的な手がかりは存在しません。 刑務所に厳格な日課があったというデータや、紙クリップの跡が二つある封筒、 死体の手首に残されていた血まみれの指の跡などの手がかりから、レーンは、 犯人の四つの条件を導き出し、犯人以外の容疑者を消去していくのです。 計27人の容疑者を次々と消去し、最後に残った一人を犯人として指摘するクライマックスの カタルシスは無類ですが、その後に訪れる皮肉な幕切れは、このシリーズならではの苦味 を残します。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 皆さん書いているとおり、X Y 比べると どうしてもイマイチかなと わたしも思いました。 Yから10年の月日が流れ、ドルリーレーンも病を抱えているようで、エラリークイーンは最初から 4部作という限定をつけて書いたんだなということがわかりました。 主人公がサムの娘というのも違和感を覚えた一因でしょう。 相当な証拠がないため、犯人がわかっていても、犯人を指摘できないドルリーレーンの苦悩。 終盤にゆくにつれて 盛り上がっていく小説です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 皆さん書いているとおり、X Y 比べると どうしてもイマイチかなと わたしも思いました。 Yから10年の月日が流れ、ドルリーレーンも病を抱えているようで、エラリークイーンは最初から 4部作という限定をつけて書いたんだなということがわかりました。 主人公がサムの娘というのも違和感を覚えた一因でしょう。 相当な証拠がないため、犯人がわかっていても、犯人を指摘できないドルリーレーンの苦悩。 終盤にゆくにつれて 盛り上がっていく小説です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
|---|---|---|---|---|
| 本作は「X」「Y」があまりに賞賛されているうえ、前作までの3人称スタイルから新キャラ・ペーシェンスの一人称に変更され、前作までの重厚な雰囲気を壊してしまっているのでイマイチ評判の悪い作品です。僕も雰囲気の違いに戸惑い、かつペーシェンスに好感が持てなかったので、読書中はイマイチ楽しめなかったです。 しかし、読後には結構な満足感を得られました。クイーンの最大の魅力である「論理的な推理」の部分が非常に良く出来ていたからです(本作は元々国名シリーズの一作としてプロットが練られた、という噂があるそうです) 「X」「Y」だけ読んでやめるのはやっぱりもったいないですよ。ぜひ本作、そして「レーン最後の事件」まで読んで、名探偵ドルリイ・レーンの物語を最後まで見届けてください!本作「Z」は「最後の事件」への伏線とも言えますしね。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!










