五分後の世界

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評判

五分後の世界の評価:

3.97/5点 レビュー 129件。 E ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点3.97pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全253件 1〜20 1/13ページ
No.253
(5pt)

今読むべき本

外圧から国を守るためには、、、 これを考えておかねばならない
五分後の世界 (幻冬舎文庫) Amazon書評・レビュー: 五分後の世界 (幻冬舎文庫)より
4877284443
No.252
(5pt)

今読むべき本

外圧から国を守るためには、、、 これを考えておかねばならない
五分後の世界 Amazon書評・レビュー: 五分後の世界より
4877280049
No.251
(5pt)

緊迫感に満ちた理想郷

浅い読み方をすれば「日本バンザイ!」「日本人はスゴイ!」というカタルシスを得られるでしょう。しかしこの背筋の伸びた日本が成り立っている主要因は、恒常的な戦闘と死による危機意識です。生物の個体として平均をかなり上回る資質を持つ優れた人々が、明確な目的意識と努力、忍耐、鍛錬によって凛々しい国をかろうじて維持している。作者は冷徹な目で、そう成り得なかった人々を「非国民村」の住人として描いています。ともすれば優しさや配慮が暴走しがちで、裏では社会の二極化が進みつつある令和という時代に読んでほしい一冊です。
五分後の世界 (幻冬舎文庫) Amazon書評・レビュー: 五分後の世界 (幻冬舎文庫)より
4877284443
No.250
(5pt)

緊迫感に満ちた理想郷

浅い読み方をすれば「日本バンザイ!」「日本人はスゴイ!」というカタルシスを得られるでしょう。しかしこの背筋の伸びた日本が成り立っている主要因は、恒常的な戦闘と死による危機意識です。生物の個体として平均をかなり上回る資質を持つ優れた人々が、明確な目的意識と努力、忍耐、鍛錬によって凛々しい国をかろうじて維持している。作者は冷徹な目で、そう成り得なかった人々を「非国民村」の住人として描いています。ともすれば優しさや配慮が暴走しがちで、裏では社会の二極化が進みつつある令和という時代に読んでほしい一冊です。
五分後の世界 Amazon書評・レビュー: 五分後の世界より
4877280049
No.249
(1pt)

つまらなすぎるし、現実離れし過ぎてるし、あほらしい話

いやーとちゅうで、「もう、いいわ」ってなった。

本は最後まで読むのが、ポリシーなんだけど、さすがに、読む時間も、労力も、もったいなくなって、途中で読むのをやめました。

酷いね、こりゃ。意味が分からん。
五分後の世界 (幻冬舎文庫) Amazon書評・レビュー: 五分後の世界 (幻冬舎文庫)より
4877284443
No.248
(1pt)

つまらなすぎるし、現実離れし過ぎてるし、あほらしい話

いやーとちゅうで、「もう、いいわ」ってなった。

本は最後まで読むのが、ポリシーなんだけど、さすがに、読む時間も、労力も、もったいなくなって、途中で読むのをやめました。

酷いね、こりゃ。意味が分からん。
五分後の世界 Amazon書評・レビュー: 五分後の世界より
4877280049
No.247
(5pt)

乱世の今だから読むべき本

自分に優しくマイペースで生きようとするベクトルとは真逆の生き方を示す本。
生きる上ではどうしても犠牲になること、失うことが必要不可欠でその責任を自分自身で負えるかと突きつけられているような内容。
平和な時代が終わり乱世の現代に読むべき良書だと思う。
五分後の世界 (幻冬舎文庫) Amazon書評・レビュー: 五分後の世界 (幻冬舎文庫)より
4877284443
No.246
(5pt)

一度手放した本

若い時に読んで、これまで何度か読んだ本の一つです。読み終えた後の感覚が好きで、また読みたくなります。
手元に置いときたくて中古の本を購入しました
五分後の世界 (幻冬舎文庫) Amazon書評・レビュー: 五分後の世界 (幻冬舎文庫)より
4877284443
No.245
(5pt)

乱世の今だから読むべき本

自分に優しくマイペースで生きようとするベクトルとは真逆の生き方を示す本。
生きる上ではどうしても犠牲になること、失うことが必要不可欠でその責任を自分自身で負えるかと突きつけられているような内容。
平和な時代が終わり乱世の現代に読むべき良書だと思う。
五分後の世界 Amazon書評・レビュー: 五分後の世界より
4877280049
No.244
(5pt)

一度手放した本

若い時に読んで、これまで何度か読んだ本の一つです。読み終えた後の感覚が好きで、また読みたくなります。
手元に置いときたくて中古の本を購入しました
五分後の世界 Amazon書評・レビュー: 五分後の世界より
4877280049
No.243
(5pt)

無題

SFの設定を仮りた戦後日本批判。また、生への感覚が希薄になったことへの反動としての戦闘描写と生き延びるという思想。
最初に読んでから30年近くも経ってしまおうとしている。そして、日本は何も変わらなかった。変わるはずがない。
この小説は、未来的でもあるが、本当はノスタルジーなのだ。
五分後の世界 (幻冬舎文庫) Amazon書評・レビュー: 五分後の世界 (幻冬舎文庫)より
4877284443
No.242
(5pt)

無題

SFの設定を仮りた戦後日本批判。また、生への感覚が希薄になったことへの反動としての戦闘描写と生き延びるという思想。
最初に読んでから30年近くも経ってしまおうとしている。そして、日本は何も変わらなかった。変わるはずがない。
この小説は、未来的でもあるが、本当はノスタルジーなのだ。
五分後の世界 Amazon書評・レビュー: 五分後の世界より
4877280049
No.241
(5pt)

清潔!丁寧!

清潔で丁寧な包装でした!
買って良かったです!
オススメします!
ありがとうございます!
五分後の世界 (幻冬舎文庫) Amazon書評・レビュー: 五分後の世界 (幻冬舎文庫)より
4877284443
No.240
(5pt)

清潔!丁寧!

清潔で丁寧な包装でした!
買って良かったです!
オススメします!
ありがとうございます!
五分後の世界 Amazon書評・レビュー: 五分後の世界より
4877280049
No.239
(5pt)

「うおおぉ」ってならない人は正常。「うおおぉ」ってなる人は異常

「5分後の世界」とはバートランド・ラッセルの「世界五分前仮説」(もし偽の記憶を植え付けられたのならば五分前の記憶が本物の記憶だと証明することは出来ない=この仮説さえもバカげた仮説だと証明することは出来ない)を引用したもの。
「なぜいきなり別の世界に飛んだのか」、それは地下のアンダーグラウンドに向けて8回小型原爆を落とされ、アインシュタインが現地調査に来たほど磁場がめちゃくちゃになり、その影響で別世界にいた主人公が飛ばされてきた・・・

なんてことはどうでもいいんだよ!小説なんだから!小説って空想による産物だから!最後のラストシーンだよ!最後の主人公がとった行動!アレで「うおおぉ」ってならない人は正常!「うおおぉ」ってなる奴は異常!←もちろんいい意味で。・・・すいません15年ぶりに読んで熱くなってしまいました。
五分後の世界 (幻冬舎文庫) Amazon書評・レビュー: 五分後の世界 (幻冬舎文庫)より
4877284443
No.238
(5pt)

すばらしい

テーマ、スピード感、表現力、乗りに乗っている村上龍さん、感服です
五分後の世界 (幻冬舎文庫) Amazon書評・レビュー: 五分後の世界 (幻冬舎文庫)より
4877284443
No.237
(2pt)

今となっては害悪でしかない小説かな

普段はレビューなんか書かないのだが、あまりに他のレビューが酷いので書き置いておく。

まず、ニッポンマンセー的な愛国マインドを鼓舞されてしまった見るだに痛々しいレビューを参考までにいくつか梟首もとい掲示しておこう。

「自らの価値観を揺さぶられるようで、刺激的でした。今まさに日本人として読むべき一冊でした。」
「日本人としての誇り、そして伝統についてに考えさせられました。」
「日本人として生きることに誇りを持てなくなった今の世代の私達に平手打ちで目を覚まさせてくれた。」

・・・この時代のいわゆる「ポリティカル・ノベル」は結局のところ、軍国少年的な無邪気でそれゆえ有害な愛国心を鼓舞する結果しか生まなかったことがよくわかる。
この小説には多くの問題点があるが、その最大のものは戦前の天皇制を完全に有耶無耶に扱ってしまっているところにある(昭和天皇はスイスに亡命されているそうな)。戦後社会の発展は、国体の解体、軍部の解体、財閥の解体、身分制度の解体あってのものである。仮に敗戦が回避されていれば、戦前の日本国民もとい大日本帝国「臣民」の国粋主義的かつ野郎自大的な肥大した民族主義が温存されたことは想像にかたくない。一体、一億総玉砕をスローガンに本土決戦にもちこんだ軍部が、国体を護持したまま、突然翻意して生命至上主義とグローバリズムに覚醒したりするものだろうか?天地がひっくり返ってもありえない話である、というか意味不明である。
要は村上龍は、戦後アメリカナイズされて、ひたすらに浮薄で表面的なものになった日本文化のオルタナティブを示そうとした結果、今となっては無邪気なことに、戦前のニッポンを召喚してしまったのであり、とはいえそのまま召喚してしまうと勿論のこと理想国家になりえないために、何故だか知らないが、丸山眞男がクソミソに批判した戦前日本の「無責任の体系」を突如としてかなぐり捨て、西洋的な意味で自律的で責任ある主体として生まれ変わったジャパニーズを創造(というかただの妄想)している、ということだ。
とまれ、この小説の書かれた当時のマインドを理解するために必要な、この種の文化的な劣等感は今となっては多くの日本人にとって理解し難いものになっていると思われる。つい先日のオリンピックの開会式で改めて衆目に晒されたように、本邦にはもはや世界に誇れるものといえば、サブカルチャーと何とか命脈を保っている伝統芸能ぐらいしか存在していないわけだが、この小説の書かれた90年代半ばには状況が異なっていた。当時の日本はバブル崩壊後とはいえ、いまだに世界に冠たる(あくまで日本人の心のなかでは、ということだが)「経済大国」であり、技術大国であり、「経済一流、政治三流」などという言葉が普通に流通していた。そしてこの頃までの批評家・知識人が、自国を批判するときの最も典型的なレトリックは、日本は経済的な繁栄を手にしたが、固有のないし独自の文化・精神性を失ってしまっているというようなものだった。無論ここに見出されるのは一つの逆説であり、それはいわば屈折した形で表出された「一等国」としての余裕であり、「劣等な」文化を腐す態度はある意味で自国への揺るぎないプライドを証すものでしかなかったともいえるわけで、おそらくは村上龍がここで取っている身振りというのもそのような言ってみれば欺瞞的なものである。(だからこそ、アンダーグラウンドの日本は、この小説が書かれたころの日本と同じように高度な技術をもった国として描かれる必要があったわけだ。)
まあ五千歩ほど譲って、戦後の日本人が戦前の非科学的で自民族中心主義的な態度を猛省し、理想国に脱皮したことを認めるとしよう。ではそこで支配的な価値観としてどんなものが描かれているか。それは国体ではないし(おいおい国体はどこにおいてきた?)、無論現実の日本がとった社会民主主義(再分配を重視する一億総中流的な戦後民主主義)でもないし、まして共産主義でもない。それはあるところでは、生命尊重主義といわれているが、どちらかといえば能力主義、あけすけに言ってしまえば、選良主義といってよいと思う。いやもっと耳慣れた言い方をするなら、これは端的に、00年代以降さかんにもてはやされるようになる新自由主義である。
つまり、この本は日本人が敗戦後に導入したつとめて西洋的な価値観が欺瞞的なものであるとして告発しようと、そしてそれによって何というか日本人を「覚醒」させる警世の書的なものになることを意図されているのだが(もちろんこの種の姿勢自体は明治時代から散々繰り返されてきたクリシェである)、なぜか戦前的なものからの流れにオルタナティブとなるような理想の日本人像を接続してしまっているわけだ。これは屈折した形での日本の敗戦の「否認」といってよいと思う。つまり、ここでは「敗戦によって日本人が民族としての誇りを失ってしまった」という(今風に言えばネトウヨの)論理が、同時に敗戦なしには日本の国制が改まることはなく戦後日本の発展はなかったという事実と葛藤しているわけで、(おそらくはほとんど無意識的に)両者のいいとこ取りしようとした結果、わけのわからない事態(戦争には敗けなかったけど「覚醒」しちゃったスゲー国ニッポン!)に帰結しているのである。(蛇足だが、模範的な国民像を娯楽の糖衣に包んで馬鹿馬鹿しいまでにストレートに示すという意味では、どこかこの小説には旧ソビエト時代に盛んに作られた社会主義リアリズムの映画じみた無邪気さがある。実際あれはエンタメとして見れば、勧善懲悪的で普通に面白い。)
...でもって新しい価値観として、すでに言ったような、(00年代以降に日本に禍をふり撒いた)新自由主義風のエリート主義が接続されている。正確にいえば、新自由主義=悪という立場は単純すぎるし、それに与するわけでもないのだが、なんだよ結局その手の価値観かよ、ツマンネー、というのが正直なところである。まあ、以上のようにこの本はなんというか、2021年現在では、完全にオワコンと化した感じの内容で、とはいえその後の停滞した日本の右傾化を暗示している、ある意味で象徴的なものである。そして現代の日本でこの本が、日本人の戦後民主主義の欺瞞を反省するという文脈ではなく、「日本人スゲー」の文脈で読まれているところを見ると、消費期限切れどころか、害悪でしかないな、と思うわけだ。

とはいえ、これは作者がこうした機微に当時は(まだ?)無自覚だったということに尽きるわけで、その種のイデオロギーを抜きにしてみれば、戦闘やワカマツのピアノの弾奏の偏執狂的なまでに緻密な描写は見事なものだと思う。
五分後の世界 (幻冬舎文庫) Amazon書評・レビュー: 五分後の世界 (幻冬舎文庫)より
4877284443
No.236
(5pt)

「うおおぉ」ってならない人は正常。「うおおぉ」ってなる人は異常

「5分後の世界」とはバートランド・ラッセルの「世界五分前仮説」(もし偽の記憶を植え付けられたのならば五分前の記憶が本物の記憶だと証明することは出来ない=この仮説さえもバカげた仮説だと証明することは出来ない)を引用したもの。
「なぜいきなり別の世界に飛んだのか」、それは地下のアンダーグラウンドに向けて8回小型原爆を落とされ、アインシュタインが現地調査に来たほど磁場がめちゃくちゃになり、その影響で別世界にいた主人公が飛ばされてきた・・・

なんてことはどうでもいいんだよ!小説なんだから!小説って空想による産物だから!最後のラストシーンだよ!最後の主人公がとった行動!アレで「うおおぉ」ってならない人は正常!「うおおぉ」ってなる奴は異常!←もちろんいい意味で。・・・すいません15年ぶりに読んで熱くなってしまいました。
五分後の世界 Amazon書評・レビュー: 五分後の世界より
4877280049
No.235
(5pt)

すばらしい

テーマ、スピード感、表現力、乗りに乗っている村上龍さん、感服です
五分後の世界 Amazon書評・レビュー: 五分後の世界より
4877280049
No.234
(2pt)

今となっては害悪でしかない小説かな

普段はレビューなんか書かないのだが、あまりに他のレビューが酷いので書き置いておく。

まず、ニッポンマンセー的な愛国マインドを鼓舞されてしまった見るだに痛々しいレビューを参考までにいくつか梟首もとい掲示しておこう。

「自らの価値観を揺さぶられるようで、刺激的でした。今まさに日本人として読むべき一冊でした。」
「日本人としての誇り、そして伝統についてに考えさせられました。」
「日本人として生きることに誇りを持てなくなった今の世代の私達に平手打ちで目を覚まさせてくれた。」

・・・この時代のいわゆる「ポリティカル・ノベル」は結局のところ、軍国少年的な無邪気でそれゆえ有害な愛国心を鼓舞する結果しか生まなかったことがよくわかる。
この小説には多くの問題点があるが、その最大のものは戦前の天皇制を完全に有耶無耶に扱ってしまっているところにある(昭和天皇はスイスに亡命されているそうな)。戦後社会の発展は、国体の解体、軍部の解体、財閥の解体、身分制度の解体あってのものである。仮に敗戦が回避されていれば、戦前の日本国民もとい大日本帝国「臣民」の国粋主義的かつ野郎自大的な肥大した民族主義が温存されたことは想像にかたくない。一体、一億総玉砕をスローガンに本土決戦にもちこんだ軍部が、国体を護持したまま、突然翻意して生命至上主義とグローバリズムに覚醒したりするものだろうか?天地がひっくり返ってもありえない話である、というか意味不明である。
要は村上龍は、戦後アメリカナイズされて、ひたすらに浮薄で表面的なものになった日本文化のオルタナティブを示そうとした結果、今となっては無邪気なことに、戦前のニッポンを召喚してしまったのであり、とはいえそのまま召喚してしまうと勿論のこと理想国家になりえないために、何故だか知らないが、丸山眞男がクソミソに批判した戦前日本の「無責任の体系」を突如としてかなぐり捨て、西洋的な意味で自律的で責任ある主体として生まれ変わったジャパニーズを創造(というかただの妄想)している、ということだ。
とまれ、この小説の書かれた当時のマインドを理解するために必要な、この種の文化的な劣等感は今となっては多くの日本人にとって理解し難いものになっていると思われる。つい先日のオリンピックの開会式で改めて衆目に晒されたように、本邦にはもはや世界に誇れるものといえば、サブカルチャーと何とか命脈を保っている伝統芸能ぐらいしか存在していないわけだが、この小説の書かれた90年代半ばには状況が異なっていた。当時の日本はバブル崩壊後とはいえ、いまだに世界に冠たる(あくまで日本人の心のなかでは、ということだが)「経済大国」であり、技術大国であり、「経済一流、政治三流」などという言葉が普通に流通していた。そしてこの頃までの批評家・知識人が、自国を批判するときの最も典型的なレトリックは、日本は経済的な繁栄を手にしたが、固有のないし独自の文化・精神性を失ってしまっているというようなものだった。無論ここに見出されるのは一つの逆説であり、それはいわば屈折した形で表出された「一等国」としての余裕であり、「劣等な」文化を腐す態度はある意味で自国への揺るぎないプライドを証すものでしかなかったともいえるわけで、おそらくは村上龍がここで取っている身振りというのもそのような言ってみれば欺瞞的なものである。(だからこそ、アンダーグラウンドの日本は、この小説が書かれたころの日本と同じように高度な技術をもった国として描かれる必要があったわけだ。)
まあ五千歩ほど譲って、戦後の日本人が戦前の非科学的で自民族中心主義的な態度を猛省し、理想国に脱皮したことを認めるとしよう。ではそこで支配的な価値観としてどんなものが描かれているか。それは国体ではないし(おいおい国体はどこにおいてきた?)、無論現実の日本がとった社会民主主義(再分配を重視する一億総中流的な戦後民主主義)でもないし、まして共産主義でもない。それはあるところでは、生命尊重主義といわれているが、どちらかといえば能力主義、あけすけに言ってしまえば、選良主義といってよいと思う。いやもっと耳慣れた言い方をするなら、これは端的に、00年代以降さかんにもてはやされるようになる新自由主義である。
つまり、この本は日本人が敗戦後に導入したつとめて西洋的な価値観が欺瞞的なものであるとして告発しようと、そしてそれによって何というか日本人を「覚醒」させる警世の書的なものになることを意図されているのだが(もちろんこの種の姿勢自体は明治時代から散々繰り返されてきたクリシェである)、なぜか戦前的なものからの流れにオルタナティブとなるような理想の日本人像を接続してしまっているわけだ。これは屈折した形での日本の敗戦の「否認」といってよいと思う。つまり、ここでは「敗戦によって日本人が民族としての誇りを失ってしまった」という(今風に言えばネトウヨの)論理が、同時に敗戦なしには日本の国制が改まることはなく戦後日本の発展はなかったという事実と葛藤しているわけで、(おそらくはほとんど無意識的に)両者のいいとこ取りしようとした結果、わけのわからない事態(戦争には敗けなかったけど「覚醒」しちゃったスゲー国ニッポン!)に帰結しているのである。(蛇足だが、模範的な国民像を娯楽の糖衣に包んで馬鹿馬鹿しいまでにストレートに示すという意味では、どこかこの小説には旧ソビエト時代に盛んに作られた社会主義リアリズムの映画じみた無邪気さがある。実際あれはエンタメとして見れば、勧善懲悪的で普通に面白い。)
...でもって新しい価値観として、すでに言ったような、(00年代以降に日本に禍をふり撒いた)新自由主義風のエリート主義が接続されている。正確にいえば、新自由主義=悪という立場は単純すぎるし、それに与するわけでもないのだが、なんだよ結局その手の価値観かよ、ツマンネー、というのが正直なところである。まあ、以上のようにこの本はなんというか、2021年現在では、完全にオワコンと化した感じの内容で、とはいえその後の停滞した日本の右傾化を暗示している、ある意味で象徴的なものである。そして現代の日本でこの本が、日本人の戦後民主主義の欺瞞を反省するという文脈ではなく、「日本人スゲー」の文脈で読まれているところを見ると、消費期限切れどころか、害悪でしかないな、と思うわけだ。

とはいえ、これは作者がこうした機微に当時は(まだ?)無自覚だったということに尽きるわけで、その種のイデオロギーを抜きにしてみれば、戦闘やワカマツのピアノの弾奏の偏執狂的なまでに緻密な描写は見事なものだと思う。
五分後の世界 Amazon書評・レビュー: 五分後の世界より
4877280049