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五分後の世界
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五分後の世界の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全128件 61~80 4/7ページ
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現代日本に憂いを感じている人達には扇動的な作品だと思います。 事実「弱腰の日本」「太平楽で個人主義の国民」に少なからず落胆や憤りを感 じている私には、煽られる部分が結構ありました。戦闘描写は、戦闘そのもの よりも戦闘に携わる者の「在り方」「心の持ちよう」の方が重要だと思います ね。ことさら残酷なのは、心理学的には「雑念を払拭し空白を作る事に寄与」 しているのでしょう。これは個人的な見立てですし、覚束ない点も多いのです が……。 それと描写。正直うんざりするほど長いです。 長いのですが、ある種の人間には「恍惚感」があるのではないでしょうか? 当然ながら「そんなんねーよ」「チープだろ」って人も少なからずいるようで す。しかしそれは、分かりやすいテーマに立脚しつつ「戦闘」や「音楽」など 単純化されたシンプルな行為だけで伝えるために必要な事だと思います。 事実、これだけ明快であるにも関わらず「これが理想郷?」といったとんでも ない勘違いが数点あります。その点、チープとも取れ、さらに分かりやす過ぎ る著者の主張は、ある意味プロパガンダとして成功しているように思えます。 勘違いや捉え違いが少ない点を勘案すれば十分でしょう。 つまりレビュー自体に批判的内容が少ない事もその証になります。 いずれにせよ偏った作品です。それにも関らず好意的なレビューが多い時点で、 著者の手法は正解ではなくとも、大きく間違ってはいない、と評価できます。 多くのレビュアに高評価を付けさせるだけの「力ある作品」であることは、間 違いない事実であり、目を背けるべきものではありません。 | ||||
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この小説の醍醐味はどこにあるのかと言えば、読むときに感じる疾走感である。太平洋戦争の周辺を改竄し、新しいもう一つの逼迫した世界を作り出し、その世界に迷い込んだ男が戦闘する本能と快楽に目覚めていく作品だと言える。原子爆弾を落とされても日本は降伏しなかった。玉音放送の流れなかった日本の姿が、生々しく躍動的な現実描写と荒廃した世界が展開する。その反照が私たちの意識に何をもたらすのだろうか。降伏して、GHQに一時占領されて、アメリカ文化に呑まれそうになっても、こんな日本でよかったと思うだろうか。それとも、読書中ふつふつと湧き上がる闘志に戸惑うのか。日本人に問いかける。また、戦争したいかい?答えは否であってほしい。そこに男の幸せがあったとしても。小説というもう一つの世界を呑みこんで、今日を闘いながら生きていく現代人の想像力と伴走する、生きた作品。 | ||||
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幻冬舎社長が村上龍の最高傑作だとテレビで言ってたのを聞いて、奥から引っ張り出した。 そう、それが『5分後の世界』。 句読点が少なく読むづらいのはいつものことながら、暴力描写にはキレがあるものの、 状況説明や視覚的な描写が少なく、映画で例えるならばB級アクション映画を見ているよう。 この程度で高揚して「あとがき」に興奮を抑えられない様を露呈。 そこで実感。 「この作家書けない・・」。 幻冬舎の『ピアッシング』も駄作だった。エッセイで自己満足ぶりを読ませてもらうぐらいが丁度よさそう。 最高傑作と言うならば『愛と幻想のファシズム』かな。 | ||||
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この著者の作品には様々な感銘を受けてきた、がほとんどの作品が似ている 半島を出よ クジラの歌 希望の国のエクソダス そして五分後の世界 全部日本が酷いことになっている… 特にクジラの歌と五分後の世界は激しく被る 両方地下のような組織だし、謎の薬を人々が服用していたり…… この作風は嫌いではないが、さすがにクジラの歌は読むに堪えなかった 何故ならカギ括弧が一つもない。文体としてはあまり楽しむことができなかったのが残念でならない 話はそれたが、この作品もまた著者独特の風刺が効いていたが、やっぱり他の作品と被る 簡単な話、この作品を読むくらいなら上に上げた他作品を読むことをオススメする | ||||
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村上龍氏というと限りなく透明に近いブルーやコインロッカーベイビーのようなちょっと壊れた人を 何か思いいれ一杯に、共感を滲ませながら描くというのが真骨頂ですが、私は実は戦闘物を書かせたら 当代随一なのではと思わされたのがこの作品です。 主人公がひょんな事から5分後の世界、戦後降伏することなくゲリラ戦を続けながら地下で生存を続ける 別の歴史を歩む日本に迷い込み、そこで戦闘に巻き込まれ理屈も納得感も何もないままとにかく必死で生き延び ようとするというのが話の格子です。つまりSFなのですが、SFとしての作りは設定や歴史認識の面からそれほど立派な 物とは言えないようい思います。 雰囲気的には戦国自衛隊とかバトルロワイヤルに通じるものがあるのですが、この本が秀逸であり私を引き込んだのは その戦闘シーンの描写でした。 その臨場感と爆発力は凄まじく、オリバーストーンもたじろくのではと思うほどの無残さと生々しさです。 火薬と血の匂いがするような、という形容がありますが文章でここまで表現するのは、村上氏が本来内面に 持つのはこうした肉食の残忍さなのではと思わせる内容でした。 経済物やハローワークもいいですが、たまには自分の本質(?)に立ち戻ってこうした作品を書いて欲しいな と思わせる一冊です。 | ||||
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文学はジャンルを超越する たしかそのようなお言葉あったはずです 高校生の時に読み、ひじょうに感銘を受けました ありがとうございました。 | ||||
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愛と幻想のファシズムに「なぜ日本は本土決戦をせず無条件降伏してしまったのか?なぜ国民は竹やりもって突撃しなかったのか?俺はこんな国にプライドは持てない」という会話が出てくるが、まさにそれを主題にした小説だと思う。 史実では行なわれなかった本土決戦を日本が経験し、8000万の命が奪われ、本土は分割統治され、生き残った26万の日本人が地下で未だに戦いを続けている。世界で日本人は伝説的に英雄視され、信頼され、尊敬されている。 こう書くと荒唐無稽な架空戦記で、ありえない設定にカッコイイ日本人を登場させ満足するような自慰的な小説に思われるかもしれない。が、まったく逆である。 僕が感じたのは現実の日本人に対する失望感だ。それは戦後日本人の堕落とかそんなレベルではなく、日本人という民族そのもに対する失望感である。 民族的な危機も、日本人という理由だけで目の前の親兄弟が次々殺される経験もしたことがない、どうしようもない甘さ、ヌルさ。 相手を知らず戦争を始め、自国の兵士を粗末に扱い、その癖早々に降伏して、日本の未来をアメリカに委ねてしまった日本人の無責任さ。 この小説の兵士が、現実の日本の状況を半世紀前の帝国軍のようだと称する場面が出てくるが、つまり現代と半世紀前の帝国軍とが繋っているのが現実の世界の日本人だとすると、繋がっていない、現代の日本人と半世紀前の帝国軍が変わっているのが5分後の世界の日本人なのだ。 この5分後の世界の日本人は、敵以上に敵を知り、生き残る事を最優先に考え、そして自分自身で未来を決断する。 勇気とプライドを持っているのだ。 それはバンザイ突撃や切腹のような無責任で実態のない勇気やプライドではなく、最善のことを認識しそれに向かっていく勇気とプライドだ。 村上龍は日本人にそれを学ばせる舞台として、8000万の同胞の死と他民族による日本本土の分割占領、入植という悲劇を用意したのだと思う。 それらを経験し、勇気とプライドを手にした日本人と、それを持っていない現実の日本人との対比を書きたかったのだと思う。 もちろん現実には8月15日に戦争は終わり、7年の占領の後に日本は独立し、現在1億2000万人の日本人が住み60年以上戦争を経験していない。 しかし「沖縄を犠牲にしただけで無知のまま生命を尊重できず何も学べなかったのかもしれない」日本人としてこの小説を読む時、架空の日本の鏡に写る現実の日本の姿が見えてくるのだと思う。 | ||||
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パラレルワールド物というべきか”もし戦争が終わっていなかったら”というif物というべきか. 途中まではSF的な解説がなされることを期待しながら読んでいたが,そういう期待は裏切られる. この小説はあくまで村上氏の国家観,あるいは人生観を表現したものであって それ以上でもそれ以下でもない. 例えば,主人公は,このあり得ないような状況をわりとあっさりと受け入れている風に見える. 通常のSFであれば当然描かれるであろう,受け入れるプロセスの苦悩や 主人公による状況の考察,そこから脱出するための工夫というものは 一切描かれることはない. ストーリーらしきものはあるが,オチもないに等しい. 作者が表現したいものは,あくまでアンダーグラウンドなる日本の国家像なのだろう. ひょっとすると26万人という数字は 今の日本で,この世界の住人に匹敵するような使命感を持った人生をおくっている日本人は そのくらいしかいないという村上氏の推測なのかもしれない. ただ,この小説で描かれる日本はどちらかといえばディストピアであって これを理想郷として共有できる世界観の持ち主は少なかろう. | ||||
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濃厚で重圧なストーリーを期待していたのに、がっかりしました。ファンのレビューが多いので叩かれそうですが、正直、これはすごくチープな小説だと思います。扱うテーマのわりに著者の信念が伝わってこない。どこか産業的な印象を受けました。 | ||||
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読み始めも読み終わりも唐突だった。 いきなり別な世界に行ってしまうのは展開上、許せたとしても、あの終り方はないんじゃないかと思います。 結局、私の中には独特な世界観以外、何も読み取れず小説としても楽しめませんでした。 私の期待する方向が違ったのでしょうが、この本が著者自ら最高傑作と呼ぶならば、2度と同じ著者の本は読まないと思います。 | ||||
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大胆な設定による、もうひとつの未来を描いた作品だ。 世界情勢の設定が大胆である。本書の中で紹介される日本史の教科書に、その設定が詳しく解説されているが、「もし本土決戦を行わず、沖縄を犠牲にしただけで、大日本帝国が降伏していたら、日本人は「無知」なままで、生命を尊重できないまま、何も学べなかったかも知れません。」このフレーズがすべての始まりであり、物語の原動力であることは誰も否定しないだろう。 列強による分割統治、国内で続くゲリラ戦、地下に儲けられたゲリラの国家、先端の科学技術・・・、これらのモチーフは近未来史テーマの作品で扱われているかも知れないが、本書はその世界に突然放り込まれた主人公がいかに自分の立場を受け入れて、覚醒していくかを描いていている点が大きく異なるだろう。この点では「裏・戦国自衛隊」と言えるのではないだろうか。 軍人の行動や兵器の扱い、そして戦闘や死傷者の描写は非常に克明で、映像化は難しいなと思わせるが、これを細かく書き込むことで、主人公の置かれた状況が非常にリアルになっている。 | ||||
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小田桐はいつのまにか、自分がもといた世界とはまるで違う「五分後の世界」にワープしてし まったことを知る。何も知らぬままその世界に放り込まれた彼は、その苛酷で劣悪な状況を、 わずかな情報と体力だけを頼りにサヴァイブしていく… この作品はあるパラレルワールドを描いている。もしあのときああしていなければ、現在の状況 はまるで別の様相を呈していたかもしれない。そういう想像遊びというのは、僕も子どもの頃から 好きではあるが、本書のテーマとなっているのは「日本」である。日本が「あのとき」、ああしていな ければ、どうなっていたか。村上龍はそれを想像する。 ただ小説の中盤、その「あのとき」という分岐点から「五分後の世界」の歩んだ道程が、「国民 学校小学部六年教科書」という形でいっきに読者に提示されるのだが、著者のあとがきでの 語調とは裏腹に、その箇所によってこの作品の小説としての「限界」が露呈したような気がし た。あれは小説ではなくて、単なるシミュレーションだ。 それはさておき、きわめてメッセージ性の強い内容と時期(日本が「金しか出さない」と批判 を浴びた湾岸戦争期)に出版された本作を通して、村上龍はどちらの世界を支持するのか、 僕は結局よく分からなかった。 あの日、日本が降伏していなければ、ひょっとしたらこういう世界になっていたのかもしれない。 では、書いた当の彼自身は「こうならなくてよかったね」なのか「こうだったらよかったのに…」 なのか。そこんところが、よくわからない。 確かに、作中で小田桐は自分がもといた世界、つまり実在する戦後日本を吐き捨てるように批 判し、また反米や、日本の技術主義賛美に読める箇所もある。文芸評論家の斎藤美奈子も村上 がこの作品でアメリカの属国としての日本の屈辱を表現しようとしているみたいなことを書い ていた(『文壇アイドル論 』参照)。 しかし、そうなのだとしても、これを読んだ僕には、地中深くに巣ごもり、国連軍と終わりの 見えない殺戮を繰り広げる「五分後の世界」の側の日本にこそ、すこしも魅力的には感じなか ったのだが。。 と、こんなこと書いたのが蝉の音のうるさい夏の日の某日というのには、別に意味はない。 たまたまです。 | ||||
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「五分後」の世界にトリップした主人公が、旧日本軍の意志を継ぐテロリスト集団と行動をともにし、国連軍とバトルを繰り広げるという話。これだけ書くと何のこっちゃ、という感じだし、実際読後感も「それで終わり!?」って感じなんだけどね。 けど、「あとがき」で、村上龍は、これが自分の最高傑作だと言い切っている。本作は、だんだんセックスとか芸能とか、そういうものから離れてきた村上龍の画期をなす作品なのだと思う。セックス書くのは渡辺先生にまかせて、自分は世直しします、世の中に必要なのはサバイバル能力なんですよ、っていう主張をします、と。必ずしも心地よい主張でもないし、全面的に賛成するわけでもないが、この手の主張をする人があまりに少ないのが事実。その点で、村上龍的存在をぼくは高く買っている。 今読んでみると、みょうちくりんな舞台設定がされている本作より、『昭和歌謡大全集』や『半島を出よ』の方が戦闘に明け暮れる日常をリアリティをもって描ききっており、はるかに完成度は高いように思われる。つまり本作は習作のような位置づけなのだろうが、それにしても(今でも)十分に新機軸の刺激があり、読める一冊である。 | ||||
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かなりの期待高の先入観ありで読みました。期待し過ぎたのでしょうか。確かに面白いんですが何か物足りないんです(欲ばりすぎー)。私はSFが好きなのでもっとスゴイことになるのかなと思っていたのですがあれっもう終わりってな感じ、もうちょっと盛り上がってほしかった。でも十分に読む価値はあります。ヒュウガ・ウィルスが未読のままなのでそのうち読んでみようと思います。 | ||||
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昔読んだのを最近になって再度読み返してみた。 以前はとても面白かった気がしていたが、文章からして頭に入ってこない。 文章が不自然に感じるのだ。 なぜだろう・・・多分表現が今の時代にあっていないように感じる。 古くなってしまったんだね。 この本は時の試練に負けそうであると思った。 | ||||
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その時は単純に、このストーリーの中の日本人がとてもカッコイイなって思った。 今また読み直して気がついたことがたくさんあった。 第二次世界大戦を降伏しなかった日本は、現在生き残ってる国民は26万人らしい。 その26万人の国民達は驚くほど優秀に描かれている。 今の日本の人口から計算すると、約2%位の人口の計算になる。 単純に今の人口から見て、2%の人間はかなり優秀な人達であることが分かる。 今成功している経営者、実業家などのような賢さと同じものを、このストーリーの日本人がいとも簡単にやっているから、たぶんそういう人たちが生き残った国民のモデルになってるだろうと、簡単に想像できる。 100人に1人が1億円以上の金融資産を持っているといわれる今、それを持っている人たちの集団って思えば、どれ位優秀なのかが分かる。 このストーリーの中で日本人は国民、純国民、非国民と振り分けられ、今起こっている格差社会を上手く表現していているなぁと思った。 混血児が多く出て来るが、それは近い将来もっと増えるであろう外国人労働者のように思える。 読んだあとは、もっと強く賢く生きないといけない!って言う思いになる。 間違いなく、自分はこの話の中で言う、非国民にあたる人種だから、無駄をなくし、もっとシンプルに考えて行動しないと!という気分にさせられる、やる気が出る本だと思う。 たぶん、この本を読んで批判的なことを言える人は、2%にあたる人たちだと思った。 | ||||
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村上龍の作品を読んでいるといつも、「俺」を感じる。 自分はどうあるべきなのかを自問させてくるし、その答えを常に与えてくるのが村上龍の小説だと思う。それが答えなのかは分からない。 ただただ、強く生きたいと思う。全滅の危機があれば、足でまといであれば、何の躊躇もなく殺してくれるような信頼できる仲間と。 腹が熱くなる | ||||
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伝えたいテーマは、分かり安すぎるほどに良く伝わりました。 しかし、伝え方が巧みであるとは感じませんでした。 まず、文章に味がありません。 集められた情報の羅列、平凡な会話表現などが作者の固い頭を想わせます。 また、小説内の想像世界があまりにも勧善懲悪な設定であり、失笑することもありました。 ほかの村上龍作品を読もうとは思いませんでした。 | ||||
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「もしも日本が戦争のときにこうだったら・・」 最近だとかわぐちかいじの「ジパング」が有名だが、 「ここまで日本が降伏しなかったら」という話に惹かれてこの本をハードカバーで買った。 そして、今また読み直した。日本について真剣に考えるようになったからだと思う。 海外戦線で情報の大切さを学んだ兵士を中心とした人々が文字通り「地下に潜った」 人口26万人の「日本」 その国の教科書に書かれていること、そこに著作時の日本に対する気持ちが表われている。 【「沖縄を犠牲にしただけで、大日本帝国が降伏していたら、日本人は『無知』のままで、 生命を尊重できないまま、何も学べなかったのかもしれません」】 この本が出て十数年経つ今でも 日本はまだ学んでいない。 国よりも子々孫々の未来よりも決算期の数字が大事な日本人。 「矜持」どころか「正直な商売」すらできない日本人 責任の所在を明らかにしないことを連綿と続けている国家 このままいけば、「拉致」どころか 本当に「被爆」しても、「割譲」されても 目が覚めないのかもしれない。 それにしても、取材に基づいたリアルな描写に引き込まれていく | ||||
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からとても強く支持されそうな小説。村上さんの今の日本の現状を憂いている事は良く分かりますが、そのための手段として小説という方法で表現するなら(そう私には感じられました、私個人の感想です、また作品からどう感じる事も読者の自由であると私は考えます)、その設定が安易過ぎると思う。また誰の心にもあるいわゆるタカ派的なるものを満足させるファンタジーとしては有効ですが、その先が(手段なり、方法なり)放り投げられていてちょっと不満。安易なタカ派的カタルシス(生きている実感)が最高、という単純な思考が悲しいです。 激しい環境の中ではささやかな安らぎを大きな幸せに感じ、安穏とした環境の中ではすべての物事が薄く感じられる事を分かっていてあえて、単純化しているようで残念。ただ描写は様々なものに焦点が合っているクリアーな、クリアー過ぎる感じのする写真を見ている様でいて非常に上手いと思います。だからこそ、単純化し過ぎる点が残念。 | ||||
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