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邪悪の家
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【この小説が収録されている参考書籍】
邪悪の家の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.05pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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『ビッグ4』の事件から数年ぶりにヘイスティングスが帰国しており、彼が語り手となる一冊。 文中に『アクロイド殺し』時に側にいなかったことを残念がる一文がある他、『青列車の秘密』以降であることも明記されている。 それに関して興味深いのは、本作は『青列車の秘密』から著者の再婚を挿んで、四年後に上梓された作品ながら、青列車で起きた事件は「今年の冬」(P.9)で今は8月だと書かれていること。 『青列車の秘密』が出版されたのは1928年3月で、そちらにヘイスティングスは登場しておらず、それは流れ的に自然なのだが【注1】、その年の9月に雑誌掲載された短篇「二重の罪」には、なぜか彼が登場していて謎だった。おまえは南米に移住した割に、英国に一時帰国し過ぎじゃないかとw もちろん「二重の罪」はポワロとヘイスティングスが同居していた時代の回想だとすれば問題はないのだが、本青にて青列車事件の年の8月前後に、ヘイスティングスが英国に一時帰国していたことが確実になったので、この事件の後、コーンウォールの休暇が中途半端に終わって過労気味のポワロをあらためてバス旅行に誘ったとすれば、すんなり納得できるw これはたまたまか、著者なり編集者なりの配慮か……。 アーサー・C=ドイルと違って、基本的に著者は事件の発生時期を明記しないのが常だが、本作で「チョコレートの箱」の事件が1893年の出来事だとわざわざ書かれていた。元の作品には書かれていなかったのに。この時期はポワロの活躍年表を整理しようとしていたのかもw 作品自体は、ポワロの謎解きの説明が始まると事件の様相がガラリと変わるのがとても見事なのだが、そこに至るまでは結構退屈である。『アクロイド殺人事件』の感想に、(ヘイスティングスの語りじゃないから)中盤はややつまらないといったようなことを書いたが、となれば、彼の語りでポワロとの掛け合いもある本書ではそこは面白くなってる筈なのだが、意外にそうでもなかったw 厳密に言えば、ユーモラスな二人のやりとりはプラスに作用するとして、ヘイスティングスのいつものアホアホ光線のマイナスでチャラといったところかww このあたりは、読者が彼の反応を「役どころに乗っ取った演技」として好意的に処理できるかどうかで評価が変わるところだろう。 退屈とは言っても、すらすら読めるのはもちろんである。むしろ比較的にオーソドックスな射殺事件一本だというのに、あーだこーだと考えさせるテクニックはさすがである。 例えば、――これは著者の本を何冊か読んでる人ならうなずけると思うが――ヘイスティングスが「そう、彼が関わっているとは思えないんだ」(P.63)と熱を込めて言えば、ああ彼はなにがしか関わってるのねと勘ぐるし、登場人物のひとりが体が不自由で家にこもりがちと言えば、ああいつもの欺瞞ねと思うわけであるw そしてそれらの疑念はある程度の意味で間違っていないのだが、中心の事件との関係が深いとは限らない。犯人の作為によって事件となる中心のストーリーと、それとは直接には絡んでいないような他者による作為のストーリーが幾つか、それらが重なり合って読者には全体像が見えにくくなるわけである。 実際本作の中心となる欺瞞についても、わたしは可能性の一つとしては挙げていたのだが、到底有機的にうまく説明づけられるわけもなく、ポワロの解説でパタパタパタと収まるところに収まっていく際に、爽快感を十分に味わった。 ここでふと気がついたのだが、いくつかのストーリーが賑やかに同時発生するという点は、『チムニーズ館の秘密』と近い。著者の“探偵小説”には、本格推理小説とロマン味に振ったスパイ小説があって、随分ジャンル的には異なる。本作は全然スパイでも活劇でも賑やかでもないが、作劇的には共通のものを感じておもしろかった。 というわけで、十分満足して読了したのではあるが、★4でも★3.5ですらなく、★3評価にしてしまったのは、冒頭に一点腑に落ちないことがあったからだ。 本作のヒロイン、ニックとはじめて出会ったシーンで、「突然ポアロは立ち上がり、~階段を下りていった」あと、「足元を見ていなかったらしく、木の根につまずいて倒れて」(P.16)しまい、すぐそこに歩いていたニックに起き上がるのを手助けしてもらい、彼女と近づきになった。 なにやらニックと近づくことにポワロの作為を感じないか? そして三人で座っているところを銃で撃たれたらしく、彼女の帽子に穴が開く。それまでヘイスティングスがそそのかしても、引退を続けると宣言していたポワロは、ここから自ら積極的に介入していくのである。 帽子の形状や被り方がよくわからないので、つばを撃ち抜かれることはあるのだろうが、銃弾がそれでエネルギーを失って、足元に落ちるというのは奇妙ではないのかな。つばの強度があって、婦人用の火薬量の少ない22口径とかならあり得るのだろうか。たしかモーゼルだったが。 そして、もしポワロたちがそこにおらず、ニックが射殺されていたら、後で銃を握らされて、自殺として処理されただろうとかなんとか……。 口内とかこめかみとか、自殺として不自然じゃない場所に命中していないとならないことをさて置いたとしても、消炎反応の問題は? 上にも書いたように、読みながらいくつもの疑念疑惑が浮かんできて、それがどのように絵に収まるのかを期待しながら読むわけだが、疑惑の取っ掛かりになったのは、これら冒頭のシーケンスのポワロの行動と態度にあったw で、それらが説明されることはない。えーっ……。 【注1】『青列車の秘密』の元になった作品1923年の「プリマス行き急行列車」には、ヘイスティングスは登場していた。 | ||||
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私は、団塊世代の直後の世代で、高校生の頃は江戸川乱歩に夢中になり、大学に入ると、ちょうど横溝正史ブームで、金田一耕助シリーズはすべて読破した後、日本のミステリ(森村誠一、高木彬光、松本清張・・・)にはまったものでしたが、アガサ・クリスティには全く縁がなく、60代になって、NHKの「名探偵ポアロ」のファンになり、未だに、再放送されるたびに毎回見ており、それがきっかけで、「カーテン」を皮切りに、「そして誰もいなくなった」「アクロイド殺し」「スタイルズ荘の怪事件」「ABC殺人事件」と読み進めてきました。そして、この「邪悪の家」を手にとり、期待も新たに読み始めましたが、ポアロとヘイスティングスの会話に違和感を持ってしまい、なかなかページをめくることが困難になってきました。テレビのデビッド・スーシェの吹き替えは、熊倉一男氏で、この二人の偉大な俳優と声優のおかげで、その独特の雰囲気を楽しみ、今まで読破してきたポアロ物もその”感じ”から逸脱するようなこともなく、気持ちよく、作品の面白さを堪能できたのに、今回の訳者の的外れな訳しかたのせいで、全く、ポアロの世界を楽しめなくなってきています。この訳者は、もしかして、ポアロの作品を今まで読者として読んだことのない人ではないでしょうか?あの慇懃丁寧だからこそユーモラスなポアロの雰囲気が感じられず、まったく別の人物になっています。ヘイスティングスだって、ポアロに対して、ため口はきいてないし、尊敬と愛情を持った接し方をしていたはずです。なんだか、がっかりな訳しかたになっていますが、他の方の評判では、けっこう面白い作品だと書いてありますので、頑張って最後まで読みたいと思っています。 | ||||
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本書については、まず2つのトピックを挙げることができます。 第一に、デヴィッド・スーシェが主演したTVドラマ『名探偵ポワロ』において、初めて映像化された長編の原作であること(邦題は『エンドハウスの怪事件』)。 第二に、クリスティが遺した何冊にも及ぶノートを読み込み、『アガサ・クリスティーの秘密ノート』を著したジョン・カランが自身のクリスティベスト10において『アクロイド殺し』に継ぐ第2位に位置づけていること。 クリスティについて多少知識のある人であれば、これら2つの判断について、不思議に思うかもしれません。他にも人気、評価の高い作品があるのに、なぜ、と。 しかし、半世紀を超えて展開されたポアロシリーズを俯瞰してみると、この『邪悪の家』が刊行された1932年という年が、一つの転換点だったことがわかります。というのは、この時期にクリスティはポアロ物を書き続けようと覚悟を決めたと思われるからです。 よく知られているように、クリスティはポアロを生み出したことを後悔し、早々と書くのを止めようとしていました。実際、国際的な犯罪組織を潰すという花道を用意し(『ビッグ4』)、田舎に隠遁させ(『アクロイド殺し』)、もう引退したのだ、というイメージを作り上げようとします。 ところが、『アクロイド殺し』という話題作で活躍した探偵役が消え去ってしまうことは、世間も出版社も許してくれませんでした。とうとうクリスティは『青列車の秘密』でポアロを再起用しますが、この作品はかなり嫌々書いたといわれ、本格的な復帰作とは考えていなかったと思われます。その後も短編では数作のポアロ物が書かれましたが、長編ではスパイ物の『七つの時計』(1929)、ミス・マープル物の初作である『牧師館の殺人』(1930)、特定の探偵役がいない『シタフォードの秘密』(1931)と続き、ポアロは登場していません。 しかし、この『邪悪の家』が発行された1932年からはポアロ物が量産されていきます。短編ではホームズが発表されていた雑誌として知られる“the Strand Magazine”にポアロ物が掲載されはじめ、長編では、1939年の『殺人は容易だ』までに出版された12作のうち、なんとポアロ物が11作を占めます。しかも、この11作の中に『オリエント急行の殺人』『ABC殺人事件』『ナイルに死す』といった著名作が含まれているのです。 このように、1932年を境にして、ポアロは本当の意味で復活を遂げます。『邪悪の家』には、その先陣を切った作品として意義を見出すことができるでしょう。第1シーズンで1時間枠のドラマとしては始まったTVシリーズが第2シーズン巻頭のスペシャル枠にこの作品を持ってきたこと、クリスティの研究家であるカランが自身のランキングで上位に付けていることは、この観点から見ると頷けます。 そしてもう一つ面白いのは、この『邪悪の家』があたかもポアロのリハビリのように扱われていることです。ここでのポアロは迷走に次ぐ迷走を重ね、まったく精彩がありません。数ある諸作の中でも、ここまで繰り返し犯人に出し抜かれ、周章狼狽するポアロは滅多に見られないでしょう。 そのため、快刀乱麻を断つがごとき名推理を堪能することに推理小説の醍醐味を感じる人には、なんだこりゃ、ポアロ、しっかりしろよ、とツッコミを入れたくなるかもしれません。ですが、いかに偉大なるエルキュール・ポアロといえど、ひとたび引退を決意したからには、そう簡単に現役には戻れない――少なくともクリスティはそうしたくなかったのだ――と思えば、これも一つの趣向として納得できます。原題“Peril at End House”は、直訳すれば、エンドハウスにおける危機、といった意味になりますが、この危機にポアロの探偵としての危機もかけてある、と考えてみればどうでしょう? というわけで、この作品は誰にでもお勧めできる作品とは言い難いかもしれません。少なくとも、あなたがクリスティをまだ一冊も、あるいは数冊しか読んでいない、という場合は後回しにされることをお勧めします。しかし、クリスティという作家について関心を持ち、ポアロというキャラクターに愛着を感じる人には、ミステリという枠を超えて興味深い点が多々あるのではないか、と思います。 【補足データ】 初版:1932[昭和7]年2月(米版。英国版は同年3月刊行) 初版刊行時点でのクリスティの満年齢:41歳 長編として:全66作中の12作目 ポアロ物の長編として:全33作中の6作目 ヘイスティングスが著述者を務める長編として:全8作中の4作目 | ||||
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海岸で休暇を楽しむポワロに「三日間で三度も命が助かった」と話すニック。 リックが忘れた帽子のつばに狙撃された穴を発見。 ニックを守るために彼女の家エンジ・ハウスに急ぐボワロ。 でもこの犯人はだめでしょ。 | ||||
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エンドハウスの当主ニック・バックリーが再三いのちを狙われ、すんでのところで命拾いをする。そしてついに犯行が行われたかと思いきや、人違いでいとこのマギーが殺されていた。そして再びニックが狙われる…という本書、作者作品の中でもとくに練りに練られた構成で、随所に散りばめられた謎と伏線が最後の最後で見事に解決という一本の糸で結ばれている。犯人も意外性がある。 しかし、ニックはマギーが殺される前、ポアロを含め皆から神経質になっているとか不安がっていると指摘されていて、その理由は明らかにされ皆に納得されるのだが、それは同じ理由でマギーもそうでなければならないはずなのに、マギーに関してはそのようなそぶりはまったく記されていないし、その理由であればマギーには花火を楽しむ余裕などなく、ニックがそうしたようにマギーもラジオを聞くなどしたはずで、それらに反するマギーの記述が全体的に不自然で、納得がいかないしアンフェアにも感じる。 以上の理由で本書には意外性の「えっ!」と同時に疑問の「えっ?」が飛び交うため、傑作に推奨するには躊躇する。 | ||||
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エンドハウスの当主ニック・バックリーが再三いのちを狙われ、すんでのところで命拾いをする。そしてついに犯行が行われたかと思いきや、人違いでいとこのマギーが殺されていた。そして再びニックが狙われる…という本書、作者作品の中でもとくに練りに練られた構成で、随所に散りばめられた謎と伏線が最後の最後で見事に解決という一本の糸で結ばれている。犯人も意外性がある。 しかし、ニックはマギーが殺される前、ポアロを含め皆から神経質になっているとか不安がっていると指摘されていて、その理由は明らかにされ皆に納得されるのだが、それは同じ理由でマギーもそうでなければならないはずなのに、マギーに関してはそのようなそぶりはまったく記されていないし、その理由であればマギーには花火を楽しむ余裕などなく、ニックがそうしたようにマギーもラジオを聞くなどしたはずで、それらに反するマギーの記述が全体的に不自然で、納得がいかないしアンフェアにも感じる。 以上の理由で本書には意外性の「えっ!」と同時に疑問の「えっ?」が飛び交うため、傑作に推奨するには躊躇する。 | ||||
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作者中期傑作群(1930年代の作品群)の初頭を飾る代表作で、多くの解説で傑作と評されてはいるが、ベスト10に評されることは決してない。その理由は2つある。 1つ目の理由は、推理以前に読者に自然と犯人がわかってしまうということ。 作者は後に本書と同じプロットを用いてマープルものを執筆しており、そちらの方が一般的にはベスト10級と高く評価されているが、その作品ですら本書の欠点は克服されていない。それはこのプロットを用いた作品の宿命である。 そして、もう1つの理由こそが本書の最大の欠点で、作品の中においてさえも犯人はいつかは必ず誰の目にも明らかになるということである。 犯人のターゲットとされた人物と間違えられて別の人物が殺される。そのため、元々ターゲットとされた人物が殺されるか犯人がつかまるかしない限り、この事件は終わることがない。 この悪循環を断ち切るためには犯人の身代わりとなる人物が必要だが、犯人自身はこの身代わりを用意していない。計画的な犯行で、そんなマヌケな話はなかろう。 後のマープルものでは、この2つ目の欠点は一応克服が試みられるが、結局は失敗に終わる。しかし、その失敗から生じたほころびをごまかすために、犯人は次々と殺人を犯さなければならなくなるわけで、それは充分筋が通っており犯人の心理も理解しやすく、その点、本書よりこのマープルものの方が高く評価されるのは当然のことである。 以上、本書についてマイナス要素ばかり記したが、犯人が犯人ではないように思わせるための偽の証拠や工夫には感心させられる。ストーリーも面白い。 | ||||
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作者中期傑作群(1930年代の作品群)の初頭を飾る代表作で、多くの解説で傑作と評されてはいるが、ベスト10に評されることは決してない。その理由は2つある。 1つ目の理由は、推理以前に読者に自然と犯人がわかってしまうということ。 作者は後に本書と同じプロットを用いてマープルものを執筆しており、そちらの方が一般的にはベスト10級と高く評価されているが、その作品ですら本書の欠点は克服されていない。それはこのプロットを用いた作品の宿命である。 そして、もう1つの理由こそが本書の最大の欠点で、作品の中においてさえも犯人はいつかは必ず誰の目にも明らかになるということである。 犯人のターゲットとされた人物と間違えられて別の人物が殺される。そのため、元々ターゲットとされた人物が殺されるか犯人がつかまるかしない限り、この事件は終わることがない。 この悪循環を断ち切るためには犯人の身代わりとなる人物が必要だが、犯人自身はこの身代わりを用意していない。計画的な犯行で、そんなマヌケな話はなかろう。 後のマープルものでは、この2つ目の欠点は一応克服が試みられるが、結局は失敗に終わる。しかし、その失敗から生じたほころびをごまかすために、犯人は次々と殺人を犯さなければならなくなるわけで、それは充分筋が通っており犯人の心理も理解しやすく、その点、本書よりこのマープルものの方が高く評価されるのは当然のことである。 以上、本書についてマイナス要素ばかり記したが、犯人が犯人ではないように思わせるための偽の証拠や工夫には感心させられる。ストーリーも面白い。 | ||||
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昔読んだ時は邦題「エンドハウスの怪事件」だったような気がする。エンドハウスはヒロインが住む岬の先にある邸の名前。そこで、ポワロはヒロインに「3度も命を狙われた。助けて欲しい」と頼まれる。その矢先、ヒロインが狙撃されるという事件が。ポワロは否応なしに(ポワロは元々美女に弱いのだが)事件に巻き込まれるが、邸で行なわれたパーティーの最中、ヒロインの従妹が殺されてしまった...。 ミステリを読みなれた方なら犯人はすぐ分かってしまうのだが、クリスティ得意の多彩な登場人物の描き分けとストーリ・テリングの巧みさで読ませる。ポワロの奮戦ぶりも微笑ましい。大トリックこそないが、充分楽しめる出来。 | ||||
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昔読んだ時は邦題「エンドハウスの怪事件」だったような気がする。エンドハウスはヒロインが住む岬の先にある邸の名前。そこで、ポワロはヒロインに「3度も命を狙われた。助けて欲しい」と頼まれる。その矢先、ヒロインが狙撃されるという事件が。ポワロは否応なしに(ポワロは元々美女に弱いのだが)事件に巻き込まれるが、邸で行なわれたパーティーの最中、ヒロインの従妹が殺されてしまった...。 ミステリを読みなれた方なら犯人はすぐ分かってしまうのだが、クリスティ得意の多彩な登場人物の描き分けとストーリ・テリングの巧みさで読ませる。ポワロの奮戦ぶりも微笑ましい。大トリックこそないが、充分楽しめる出来。 | ||||
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