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流星ワゴン
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流星ワゴンの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全387件 141~160 8/20ページ
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だいぶ前に図書館で借りて読みました。 今回ドラマ化されるということで、なんとなくレビューを見てみると、すごく高評価なんですね。 はっきり言って、読んでいたときはひたすら退屈、はやく終わらないかな、と思ったことを覚えています。 私の心がひねくれすぎなのかもしれませんが、全く感動出来ませんでした…。 | ||||
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5年前、父親と8歳息子は交通事故を起こし、2人とも亡くなった。息子にドライブに連れて行って欲しいとせがまれ、不器用な父親が免許と取り、初めて自家用車を購入して信州にドライブに行ったその日のことだった。 リストラ、妻の不倫、息子の家庭内暴力。生きる望みを失った負け犬のような中年男性が、その亡くなった親子にワゴン車で連れられ、過去の大切な場面に連れて行かれるファンタジー小説。今の現実を知っているからこそ、過去に連れていかれると、様々な思いが去来し、その状況を悔いる場面は切実だ。人生において、やり直しをしたいと思う場面は、どんな人にでも多かれ少なかれあろう。しかし、このファンタジーの中でさえ、後悔が残る過去の場面で、人生の書き直しを行っても、結局は現実の世界はほとんど変わらない。 (小説の話だが)息子の願いで免許を取り、新車納入したその日に息子共々天国に召された無念さは想像を絶する。そんな2人が、「将来後悔するのではなく、今の現実から逃避することなく、しっかり生きて欲しい」と願うというアイデアはとても素晴らしい。現実社会で逆流を感じている人達への、心温まる作者のメッセージを感じる。 | ||||
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重松清作品を、好んで読んでいます。今回ドラマ化トいうことで未読書でありました、この作品を購入し感動中です。 | ||||
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連続ドラマになるということで読んでみました。 展開も面白く楽しめました。 | ||||
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人が生きていくのは難しい。でもあの分かれ道で出直せるなら・・・ 後悔しながらもそれでも「生」を全うするための勇気をもらえそうです。 | ||||
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38歳の自分に、38歳のオヤジ、38歳で事故死した親と子 内容は まるきりファンタジーなのに なぜか すっきりさせないで、切ないのだ。 切なくて、しつこくて、それで且つ惹きつけるのだ。 現実は厳しくても生きてみようと思った。 | ||||
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序盤は状況を理解するのに少しばかり 時間を要する。 過去の後悔巡る、やり直しの旅。 後悔のない人生何て有り得ない。 親父とチュウさんという2つの存在。 親子について描くならやはり重松清さんだと 改めて感じさせられた本であり、 心に染みる作品。 流れ星のような一瞬の出来事が その後を変える。 | ||||
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2015年1月18日よりTBS系でドラマ放映決定。単行本発行は2002年。テレクラにはまった主人公の妻の設定は、ドラマでは多少アレンジされるのだろう。 「死んでしまってもいいかな」と思っている人の前に現れるワゴン車。運転する橋本さんと健太くんは、交通事故ですでに亡くなっている人たち。 「死んでしまってもいいかな」と思ってしまった主人公の僕(カズ)と橋本さん親子の不思議なドライブに、死の床にあるカズの父親(チュウさん)が主人公と同じ38歳の姿で加わる。 ワゴン車でのドライブは、僕(カズ)を「大切な場所」に連れて行く。父親、妻、息子との間に起きた現実は変わらないが、これまで知らないで過ごしてきたことが見えてくる。いろいろ知ってしまった僕は、死んでしまうのか?現実の世界を生きるのか? ドラマ化で、広樹君世代(中学生)からチュウさん世代(60歳以上)まで、読者層はさらに広がるだろう。私は50歳代だが、この本は電車の中では読めないと判断し、年末自宅で号泣しながら一気に読んだ。 | ||||
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子供の受験、同じ状況で、ビックリ。その後のイジメも。この先は分からないが強い父親でありたいと決意できた。 | ||||
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違う本を買いたくて本屋に寄ったら、なんだろう 読まなきゃ!って思ってしまって 買ったその日に2度読みして ハマってしまった 調べると1月からドラマ化されるらしく、 だから前の方に並んでいたんだなあ 内容はあまり書かないとして ホントこの本はおすすめ (ドラマのでき次第でそっちは嫌になるかも) 父親が今の自分と同じ年齢だった時 どう思って私と接していたんだろう 気になってきた | ||||
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人生はやり直しが効くのだろうか? 本作品は、その問いに対して、雲間から射す一筋の光の様な希望で応える。 現実の厳しさを丁寧に説きながらも。 決して結末はハッピーエンドではないのだが、心の中に温かなものが残っているような感覚。 最近、芸人が脚本の同じようなドラマがあったようなww | ||||
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子どもの年令を二重に生きる、ということは多いに共感する。我が子はその年令の時に自分にはできなかったことを、多々しでかしてくれる。ただ、お前たちにはできずに、俺にしかできなかったこともあるのだが。 | ||||
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重松氏ってこんなファンタジーでハートウォーミングなのも書きはるんやなぁ~。人生の岐路って振り返ってみれば結構あるもんやけど、それをなぞって行くのは良いのか悪いのか・・・。人生なんて後悔の繰り返しみたいなもんやけど、岐路に立った時の自分を見つめ直せる旅に出れるのなら私も出てみたいと思ったわ。夫婦とは親子とは家族とは・・・身内やからこそ言えない事や理解し合えない事が多いんよね~^^;そこを何とか折り合いつけて努力していかんと、やっていかれへんもんやねんな~って、つくづく思い直させられましたわ^^ 親の心子知らず、その逆もしかり、又、夫婦でも・・・。他人には言える本音を家族に言えるよぅにしないと誤解を与えた(受けた)まま人生すすんでいくんやろなぁ~^^;家族には照れやら見栄やらで本音ってなかなか言えないもんやから、ホンマ努力しかないよね・・・。 | ||||
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重松清の「流星ワゴン」を読了した。感銘を受けた。 僕は高校の国語の教師の免許を持っている。 そこで、こんな論述問題を思いついた。 Q:重松清の「流星ワゴン」を読んで、芥川龍之介の「杜子春」、 漫画「one piece」や「明日のジョー」との共通点に触れつつ イエス・キリストの福音の始めを絡めながら自身の意見を述べよ。 A:それでは回答例 最初に、この物語を読んで感じた感想を記しておく。 それは、読む前と読んだ後で、自分の立っている場所が、 同じ場所なのに、何かがほんの少しだけ、でも確実にズレたと思った。 さて。この流星ワゴンという本は3組のいびつな父‐息子が登場する。 主人公の永田さんは、どん底の人生を過ごしていて、もう死んでしまったもいいかな? 何手思っている。そこへ「流星ワゴン」がやってきて、不思議な旅が始まるのだ。 ワゴンでの旅では、人生の大事な分岐点に戻される。 大抵人は、そこが分岐点だったのだということに気づかずに過ごしてしまう。 やり直しの現実の中では、最初は何も出来ず、ただ苦しいだけで、何かを伝えようとしても ちゃんと伝えられていなかった。そして当然、この先に訪れる絶望的な家庭環境を 回避することは出来ないのだった。 2回目の思い出の場所では、もう少し自分の意志を反映させることが出来た。 3回目には、もっと自由に思ったように言動を積み上げることが出来た。 しかし、そのようにして過ごした時間は虚しく消え、主人公が流星ワゴンへ消えると やり直しの現実を生きている人たち(家族など)の記憶には、 先の事を知っている永田さんの言動は刻み込まれない。 3回目のやり直し人生の時、彼は息子の受験を止められない代わりに 自分の家を売り払う計画になっている。また妻と共に出かけ、ビデオレターを残す。 そして、これですっきり。もう思い残すことは無いと考える。 それでこそ、もう死んでもいいかな?等と考えている。 芥川の「杜子春」や「one piece」やら「明日のジョー」に共通していたのは何か? きっといくつもの課題を乗り越えて、主人公やその周りの人たちが「成長」する、 成長譚になっているということではないか。 杜子春は仙人に頼んで何度も大金持ちにしてもらうが、その度に身上をつぶしてしまう。 お金のあるうちは寄ってきた人もお金が無くなると去っていく。 それを繰り返して、何もかもが空しくなり、自分を仙人にしてほしい、弟子にしてほしいと願う。 どんなことが起きても決して声を出してはならないと言われ、 何が起きても無言でクリアしてきた杜子春も、馬に変えられた母が鞭打たれる姿に、お母さんと漏らす。 成長のために課題を与えられ成長してクリアしていく物語。最後は言いつけからも自由になれる、 その精神が試されていた。 次々と課題が与えられ、それをクリアしていく経験がその人を成長させてくれる。 その成長譚とイエス・キリストの福音の光がどう関係があるというのか? ・・・長くなったので、この続きは http://t.co/Q0iXNSEb1W で確認してください。 | ||||
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親子の話を書かせたらこの人の隣に誰が来る?っていうくらいの作者です。なんか想像の世界ですが、ほのぼのするし泣けます。 | ||||
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内容を書いてしまうとつまらないので、読後感を。 わたしも忠さんの年に近づきました。 忠さん、やっぱりカッコいいです。 | ||||
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物語半ばあたりまでは、「ファンタジー」というのが頭のどこかにあって、 展開はどうなるんだろう、どうなるんだろう、と「ファンタジー」として、登場人物の描写を追っていた。 見事に、作者の罠にはまったのだろう。 後半のチュウさんとのやり取りを追えば追うほど、彼らの物語の展開以上に、 自分の体験、経験、現在の自分、そして父、家族・・・の顔が思いうかんで仕方がなかった。 物語に連れ込んでおいて、一緒にワゴンに乗ったつもりでいて、気付いたら、自分自身を見つめる鏡の前で、ワゴンを降ろされていた。 そのころには、ちょうど登場人物はみな、新しい世界を、それが、サイテーの世界でも、歩き始めていて、 読んでいる自分だけが取り残されたような気分になった。 それなのに、いろいろなことが、「自分だけじゃなかったんだ。」という、温かくて、歯がゆい思いに包まれて、 活字の中にはなかったけれど、この物語の中には、僕と父も登場しているような気がした。 | ||||
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とても読みやすく、奥が深く楽しませてもらいました。おすすめです。 | ||||
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父親の死に際に父と息子が “奇跡的” に交流するという割とベタな設定ですが、 だからこそ泣けます。 確かに子には分からない親の気持ちや弱さ。 大人になると何となく想像できるのに、理解したくないというか、 親だから見たくないところがあるのですが、この物語のように 対等に向き合えたら親の本当の姿も優しい気持ちで受け入れられるのかも。 私は娘ですが、仕事人間だった父の心の中や私たち姉妹への 思いを想像しながら、温かい思いと締め付けられるような切なさを感じました。 良い作品です。 | ||||
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本書は、直木賞受賞後、最初となる長編作品である。単行本は2002年 に刊行され、本書は2005年に文庫化されたものである。 重松清の作品に登場する人物は、どこにでもいそうな市井の人々であ ることが多い。小説だからといって浮世離れしていないのである。現 実の世界を、その厳しさや、ほんのたまに感じる喜びや、体験を通し て不器用に気づき理解していく様子などとともにえがくので、リアリ ティーがある。そして、父と息子の関係であったり、学校でのいじめ であったり、友だち関係であったり、夫婦関係であったりをテーマに しながら、現実を飾らず、リアルに、そして温かくえがいていくところ に重松作品の特徴があるように感じる。 私は、そんな重松作品に魅せられ、これまで多くの作品を読んできた が、本書の物語設定は独特である。非現実的なファンタジー的な設定 になっている。 何の前兆もなく妻からは離婚を切り出され、一人息子は地元中学校に 通うのをやめて家に引きこもり、自分自身も会社からリストラを勧告 され、父親は末期がんにおかされ余命いくばくもない。人生に絶望し、 死んでもいいかと思った時、駅前のロータリーに1台のワゴンが停ま っていることに気づく。5年前に偶然、新聞の片隅で見た交通事故の 記事で死亡が報じられた橋本親子が乗っていた。息子の健太に誘われ、 そのワゴンに乗り込むと、主人公を、人生の分岐点に連れて行く…。 本書は、著者に珍しく、非現実的な設定でえがかれているが、ワゴン が連れて行く先で、妻の浮気、息子へのいじめ、不仲になった父親の 本当の思いといった、厳しい現実も知って、その現実の中で格闘しな がら父として、子として、不器用ながら懸命に対応していくというリ アリティーがえがかれている。 そして、本書に通底するのは、やはり重松作品の温かさである。 「過去はやり直せない、しかし、どんなに絶望しても、そこに希望は 必ずある」そんなメッセージを感じる長編です。 | ||||
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