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李歐
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李歐の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.35pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全72件 1~20 1/4ページ
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ちょっとBLが混じってますが、 騙されたと思って、毛嫌いせずに読むことをおすすめします。 | ||||
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初版とはかなり違うため驚きました。彼女のご自分の作品に対する余りにも真摯で自分に厳しい姿勢に打たれました。 | ||||
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以下ネタバレ 読んでいて疲れるしこんなにも振り回されるし読者が読みたいのは李歐と一彰が再開した後なのにそれはほんと〜〜にほんの少しだし、一彰は自分が無くて男にも女にも簡単に体を開くし醜い部分、社会の暗部を描写した小説だけどその中で李歐だけが美しく、彼の美しさが際立っている。 この小説の醜い部分や暗部は全て彼の美しさを引き立てるためだと言わんばかり。 極めつけは終わり方。 息子に2人の父親ができた、2人が互いの心臓に接吻をした、2人の愛が結ばれた、美しくて涙が出そう。 | ||||
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作者は丁寧に主人公の生い立ちを説明する。なぜ彼がそうなったか、彼が自覚しようとしないに関わらず。出会いと別れ、起こったことと起こらなかったこと、愛と憎しみを丁寧に描く。読み手は作者と一緒に、大阪の下町、昭和の日本から現在まで、それも相当ヤバイことから、決して経験できないことどもを味わうことができる。スリリングな快感である。 | ||||
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大阪市のリアルな地名が出て来て楽しく、地図を見ながら読み進めていました。主人公の人柄に惚れた。 | ||||
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これは学生の頃に読んだが未だに覚えている作品である。 漫画のBANANA FISHに似た感覚も覚えるのだが、日本と大陸、生き残ること、強烈に刻み込まれる名作だと思う。 | ||||
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一気に読んだ。コミック的ではあるが、マークスの山を思い出させる好著。 | ||||
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李歐が主人公ですが、紙面の多くを割いている吉田一彰が人間的な魅力が全くなく、 はっきり言って嫌な奴なのでそこの点だけで読むのが苦痛でした それがゆえに李歐の存在がなおいっそう際立つのでしょうが... | ||||
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主人公二人、吉田一彰と李歐。 この二人の、人格や生き方がふわっと地面から浮き上がっていて現実感のない感覚が蔓延している。 面白いのは「現実味」や「実感」を表現した文章が多いことで逆に言えばそれ以外は一切リアルな生を感じずに生きている主人公たちの話だ。 その感覚を更に顕著にしているのが物語を覆っているホモセクシャルの世界。 それが相まってなにか煙幕のなかをふわふわしているようなそんな感覚を文章から味わえるとても不思議な感覚の本。 楽しかったです。 | ||||
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「我が手に拳銃を」の前段階という事で、期待するとかしないとかではなくて、「携帯からちょっと離れたい」欲の方に動機があって今読み始めました。「我が手に」は私には最初にして最大の高村作品だった気がします、もう20年近く経つか?その舞台の場所がどこであれ手に取る様に分かったからでもあります。 こちら「李歐」を読み始め、やっぱり場所の隅々まで分かるからも手伝い、当初の「携帯から離れよう」は既にテンキになったみたいで、電車の中でも仕事場でもこの小説を側に置いての生活になりました。携帯というのも、ある音楽グループのブログチェックに日の大半の時間を費やしていたのですが、思えばこのグループが好きなのも歌詞の言葉が好きだからで。しかしこの高村作品を読むとその好きな言葉が歌詞の比ではなく、言葉の海の様に無限に溢れて来ていて、これではもう音楽?歌手?の出る幕がない、どころか私には極少量の音楽の中にある言葉より断然こっちじゃないか!と私の暮らしの季節が変わった喜びがありした。しかもたった数百円で。 「何の根拠もないのに、一彰は不安も疑念も湧いてこず、聞いていると何だか楽しくなり、ひとかけらの暗さもない壮大な無邪気さにつられて胸が躍り続けた」(P.206、この文の前後辺りの)、そんな言葉、世界、情景、心情、自由。歌以上です。私から生活にどっぷりはまっていた音楽を奪ってくれたこの小説に、間違いなく5つ星です。 Ps.私は溶接とバネに興味が湧く人なので、いつかその記載のある小説の部分も読みたいです。 | ||||
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女の人が読むと面白い作品かな、と思っていましたが。 新海誠も評価していたので、男の人でもおもしろいんだとおもいます。 | ||||
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男と男の美しい運命的な友情のお話を披露したかったんだろうなと思いつつ、私は没頭出来なかった。機械オタクでも機械の説明がここまで冗長だと疲れると思った。とにかく、最初から最後まで著者はマイペース(?)を保ちながらアップダウンの無さを維持した内容には別の意味で凄いと思った。再読は無いだろうと思う一冊でした。 | ||||
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李歐を読むとまるで映画を見ているような気分になります。それぐらい作者の筆力は高いと思うのですが、「李歐」の場合、なぜ李歐がそこまで一彰に執着するのかがイマイチ理解できませんでした。一彰が美しく妖艶で頭もよく金儲け大好きなパーフェクト男李歐に惚れるのは分かります。が、逆が分からない。「わが手」は一彰が李歐を助けたというくだりで一応理解はできますが。。結局一目ぼれってことなですかね。でも本当面白かったです。こういう本は好きですね。 | ||||
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すごく好きな場面がいくつかあって何度も読んだけど、おそらく大多数の読者の人たちとは違う感想だと思う。 俺がいちばん気に入ったのは、ぼんと守山耕三の関係。親子じゃないけど情を重ねていって……みたいな話が本当に好き。だったら髙村薫よりもっと感性に合った作家がいるよね、うん。ざっくり言うと、俺、髙村薫って嫌いかも。難しいし偉そうなんだもん。ただ、この部分があくまでサイドストーリーだからこそ感じ入ったというのはあるかな。疑似親子をもろにテーマにした小説なら、よくあるよくあるって思うし。国際関係の裏や暴力団、拳銃密輸なんか壮大に描かれている作品中だからこそ、守山のぼんを思う気持ち、守山にわだかまりを抱きながら「20年前の子供は間違いなく守山が好きだった」ことを結論付け、父のように慕う一彰の気持ちが清涼剤として輝いているのかもしれない。 この作品をBLとして、一彰と李歐の愛の物語として捉えている人は多い。そりゃそうだろう、心臓が妊娠した気分だ、なんて友情以上の思いがなきゃ言えない。だけど、ぼんと守山をBL的に見る人はいないんだろうな。よく知らないけど、やっぱBLは清潔感必須みたいだから。よりマニアな人だったら、むしろ守山みたいな汗臭い屈強なおっさんにこそ劣情を感じるんだけどね。いや、そういう目線を外して……基本実直な守山耕三の、すすぎ切れない愚かさを携えながらも出所後の一彰との短い生活に見出した幸福を思うと、俺もおっさんだけに切なくなる。汗臭い旋盤工のおっさんが思いを馳せる桜……なんだか異様に美しい光景だ。一彰の幼少期、母と守山が結婚したらいいのにと思ったり、別れの日に抱っこされたり……守山は守山で、ぼんのことをやたらきちんと見ている。「今日は大人みたいな顔してる」とか「ああ、六つのときとおんなじ顔しとるわ」とか。これらの記述は、人全般の普遍的な「父を求める」本能を震えさせる。 『李歐』は『わが手に拳銃を』を下敷きにほぼまるっきり別作品として創られたものだが、『わが手に』のほうの守山は、汗臭い屈強な旋盤工ではあっても、ほとんどただのヤクザだった。幼少期の一彰をあくまで「美人の母親の息子」としか思っておらず、長じて「戦友」にはなったものの、父子の関係を築いたとは言い難い。最初から最後まで、ぼんではなく母親を思っていたらしき描写も、下俗なバカおやじにしか見えない。この点だけでも『李歐』としての書き換えは大成功だったと、個人的には言いたい。 機械や拳銃の描写は「緻密ですね(棒)」のひと言。興味ある人には感涙ものなのか。ただ……宮部みゆきのなかで俺がいちばん好きな『魔術はささやく』を引き合いに出すけど(この作品の3年後に『火車』で超ブレイク、今や国民的作家の筆頭である宮部様だが、個人的には初期のこの作品が最高傑作だと思う)あのなかで錠前や錠前破りについての描写がずいぶんあって、そこが物語のまさに鍵のひとつだった。で、やっぱ個人的には錠前なんか興味なかったんだけど、ものすごく楽しんで読めたし、馴染みのない単語に引っかかりながらも具体的なイメージを頭に描くことができた。まあ、旋盤や拳銃よりも、錠前破りのほうがエンターテイメント性が高いという利点はあるにせよ……つくづく宮部みゆきの文章って「親切」なんだなと思った。そして、髙村薫は「あたしは頭がいいの」とツンと澄ましてる感じ。どっちが上か下かではないけれど、宮部ファンが巷に溢れていることが「現実」かなと。 ただ、髙村薫はこれだけハードボイルドな雰囲気や裏社会の緊迫感を骨太に描きながら、上記のぼんと守山のような関係性も的確に表現するのだから、本当に引き出しが多い人なのだろうと思う。その気になれば何でも描けちゃうのよって。守山のセリフのひとつひとつに温かさが感じられて、ドライもウエットも自由自在。すごい作家さんというのはわかる。乃南アサみたいに人と人とのもっともらしい関係性を描きながら、文章に性格の悪さ(作者じゃなく登場人物のね。作者も確かに性格悪そうだけど)がにじみ出ていて面白いとは思えるけどどこかシラけてしまう……という作風より、ずっと厚みが感じられる。 全体としては心惹かれた話ではないけど、守山耕三の描写だけで3冊分楽しませていただきました。 | ||||
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この小説は著者が1992年に書いた『我が手に拳銃を』の改作だという。高村薫氏は著作を単行本で出版した後、文庫に収録される際にも大幅な書き換えを行うといわれるが、標題まで変えてしまうのは珍しいと思われる。何を意図して改作したのかと興味が掻き立てられるが、前作が入手しがたく比較できないのが残念だ。 物語は構造的に前段と後段に分かれる。前編の主人公は吉田一彰である。後段に入ると一彰は語り手または聞き手の地位に退き、代わって李歐が躍り出てくる。交代は隠微に行われ判りにくいが、本書のタイトルからも、真の主役は李歐である。その「後段」では守山耕三、笹倉文治という戦争体験世代が加わって、物語が歴史の深みを帯びてくるのも特徴である。 吉田一彰は判りやすい。彼は自分の生を生きていない。冷酷な父と美人で浮気な母、大阪で出会う韓国や中国籍の怪しげな青年たち。6歳の少年にとってそこは「芝居小屋」で、自分も出演者の一人であるような気分。そこから生じる演技者たる自分への「不実感」と憎悪。そこから生じる「破壊願望」。 意味不能な人間たちに対し、鉄塊とそこから創り出される拳銃は彼にとって唯一実在が感じられる無機質だ。工作機械や拳銃の詳細を描写する著者の知識と表現力は圧巻だが、一彰にとってこれらの器物は、いくら構造が複雑でも、手順に従えば組立・分解・修復が可能であり、勿論破壊することも可能で、特に拳銃は、確実な制御のもとで確実に人命を奪うことが出来、実際に行わずとも、一彰の破壊願望を充足する。 大事なことは、李歐に出会うまで一彰は自分探しの旅をしていたということだ。その李歐に対する意識の目覚めが、凄惨な殺人であったのは、衝撃的だが、彼たるや、一彰同様に我々もその正体がつかめない。一彰のリアルに対して空想的すぎるのである。あるときは殺し屋、自己紹介ではギャング、またあるときは共産ゲリラの指導者で麻薬の密売人。シカゴでは相場師。ロンドンでは投資家。香港では、スイスでは……と世界を股に掛ける。いい加減にして欲しくもなる。大阪の町工場で、数百万円の手形が落ちる落ちないで苦労している一彰とは雲泥の差だ。 だから李歐に関してはこう言っていいだろう。彼は一彰の理想の分身であると。当然李歐と出会った後の一彰は変身する。李歐をあがめる一彰の気持ちとそれに応ずる李歐との関係はホモセクシャルとホモソーシャルの混在として表現される。リアリズム小説風に読んでここに嫌悪感を抱く書評は数多いが、本書のスタイルはガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(邦訳1972年)に代表される、マジックリアリズムというべきであろう。 ついでに言うと、高村氏は『海燕』1993年10月号で、「わたしは今に至るまで、ミステリーを書いているつもりはない。わたしは小説を書いているのであって、それがたまたま恋愛小説とか純文学とか私小説とかでなかっただけ」と述べているそうだ。氏をミステリー作家と規定し、その範囲で読んでいる読者が肩すかしを食わされるのも当然だろう。 ではこの本は何をいおうとしているのか。わたしの感想では二つ。一つは中国と中国人への賛美。現在の共産中国と金権主義中国人のことではない。引用される唐詩が語るような、4千年の歴史に育まれた本質的な中国と中国人像。それを具象化するように、金儲けに徹したはずの李歐が最後に目論むのは、黒竜江省の広大な原野の開発だ。この部分は李歐にとことん惚れ込んだもう一人の人物、笹倉の発言が適切に語る。実際、李歐と対等に付き合うことが出来る日本人は、一彰でなく、この老獪な人物しかいない。 「諸行無常にならないのが中国人です……利害なんか小さい話で、[わたしと]なにが合うたと言うて、多分世界観です」「なるほど、この東北の大地に立ちますと、今日明日やない、百年千年先の大地のために種をまく、というような発想でも、あながち生まれてこないとも言えません……」一彰が最後に会得したのもこの世界観だ。 その他、友好関係にあった、長い日中間の歴史も桜が象徴する。作者にとってこういうことが判ってもらえるなら、小説としての「座りの善し悪し」はたいした問題ではないのだろうと思う。 も一つ、これは日本人へのメッセージ。文庫版が1999年に出たことにも関係しているが、この頃からにわかに「内向き」になった日本の若者に、世界を駆け回る世歐を見せて、狭量な自国第一主義からの脱出を促していると思うのである。 | ||||
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先日、アウトロー系のBL小説を探し、読者のおすすめを見て購入しました。 主人公が男に惚れたがBL小説まで言えないと承知した上、興味津々と読み始めました。が、中盤から関係のない話が長引き過ぎてガッカリ。最後主人公の妻が突然亡くなり、やっと出会えた二人は息子と一緒に桜が満ちた楽土で幸せに暮らしている、というハッピーエンドを迎えましたが、ご都合主義し過ぎて言葉も失いました。山崎豊子や馳星周のようなリアリティが溢れる中国モノを期待していましたのに… 作中に出た文法錯誤が多い中国語はさて置き(何もかも「児」を無理に付ける)、リオウという人物自体の設定も現実感を欠けました。 別に狂熱な共産主義者わけでもなく、1960年の在日華僑が簡単に中国に戻るとは考えづらい。その時大陸は反右派闘争など一連の政治運動があり、背景から言えば危ないはずだったリオウの親は、外事局に就職できるのか。しかも、日本との外交関係が回復したのは70年代。専門技術者ならば研究機関に就職したはず。 数カ国語を流暢に操る美青年。日本の殺し屋と東南アジアの共産ゲリラなど異色な経歴。白いご飯にかけたスパイスのようなモノに過ぎない。ストーリー自体は、ただのご飯でした。 | ||||
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上梓されたばかりの頃に一度読んでいますが、もう一度読みたくなって手に取りました。 レビューが多いので、今更私の感想を書くのもなんですが、高評価があまりにも多いので少し 辛口をと思います。 初読の感想は主人公の同性愛傾向に驚き(一昔前ですから)町工場と空を覆う桜と、幻のような 中国系美青年の印象が強いだけでしたが、今回読み直してみて、改めて高村さんの他の作品との 類似に原点を見る思いでした。 母親譲りの美貌で背の高い青年が、破滅願望でもあるのか、高学歴なのにそれを棒に振るかのような 振る舞いをしてドロップアウトしていく。母親に対する複雑な思いからか、選ぶ女は趣味が悪いの一言。 そして女を捨てるか、女に捨てられる。それから女々しい。 「晴子情歌」「新リア王」の彰之と良く似ています。名前の漢字も一文字同じですし。 登場する女性は業が深そうな人ばかり。高村さんは女が嫌いなのではないかと邪推しています。 中国共産党とアメリカ情報部の暗躍も、笹倉や公安の刑事からの伝聞のみで、絵空事のよう。 それはまあ小説ですし、仕方ないかも知れませんが。底が浅いような気がしました。 このあたりは「リヴィエラを撃て」の諜報合戦の様子と重なります。 最後に日本を去って、幼い男の子を外国で育てるのはリヴィエラと同じ。 結局、作者の書きたいものはいつまでも一つで、男性の好みも変わらない。 評価が高いのは、高村さん好みの美青年二人が魅力的で女性の読者にうけているからでしょうね。 ごめんなさい。水を差すような意見で。初めて読んだ時はおもしろかったんです。 きっと私が年を取ったんでしょう。 | ||||
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私から見れば、いくら小説とはいえ、描かれている人物たちは全く非日常の存在で、架空、仮構の存在である。それなのに、彼らの生き方や人生のことを考え、ちらちらと自分の人生についても考えてしまう。 高村作品には、人に人生について考えさせる力がある。 もうとっくに読み終わったのに、何度もこの本の適当なページから読み直してしまうのは、作品に書き込まれた、考える「きっかけ」をまだ探し終えていないからであるようだ。 | ||||
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大阪の工場町の旋盤の音が伝わってくるような細かい描写がある。この筆者としては、センテンスも長過ぎず読みやすい。男の友情にロマンを抱き過ぎ? | ||||
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文章が読みやすく、次の展開も気になるのでスラスラ読めます。工場での作業とか拳銃については興味ないので読み飛ばしましたが。。 李欧と一彰の関係は、そうだったら格好いいな、ロマンがあるなという願望的な気持ちから、受け入れることができました。 李欧は、クソみたいな裏社会に生き、それでも一種の純粋さと楽観さが同居してる。それってカッコいい! でも、笹倉が李欧に惚れ込んで、李欧のために人生を捧げる理由がピンと来ません。違和感がある。 裏社会で生きてきた、非情で利己的な人間が、腕まで切るか?誰も人質にとられてないし、何の弱味も握られてないのに?しかも、自分は李欧に恨みがあるのに? 男ってねちっこくて、執拗に仕返ししそうなイメージあるのにな~と。 でも、まずまず面白いです。 読んで損ナシです~ | ||||
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