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レディ・ジョーカー
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【この小説が収録されている参考書籍】
レディ・ジョーカーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.49pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全108件 81~100 5/6ページ
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長期に渡って著名な著者だが、何故か拝読するようになったのはここ2年程.まず本作読了での感想は「巧い」の一言に尽きる.多くの著者の世評にあるよう「経験したかのようなのディテール」の精密さ、地道な調査・資料等によって裏づけられた場面細部の構築によって、所謂スカスカ感やウソ臭さから遥かに遠いリアリティがある.ビール会社における上級経営職の職務内容のリアル、工場等における現場仕事のリアル.この様な事実に裏づけられたタイプの作品は必要以上の情報を盛り込むとストーリテリングのダイナミズムを失速させ「書きすぎの冗漫」に陥る点で歴史モノと同じ性質のリスクを持つが、本作における情報の再構築によってフィクションに仕上げるスキルは見事としか言いようが無い.著者の実力はフレデリック・フォーサイスや「レッド・ドラゴン」時点でのトーマス・ハリスに匹敵するレベルだろう.このスタイルを成立させる資質として、想像力や言葉への感受性といった所謂「小説創りの才能」に加え、極めて明晰な知力-理解力・分析力・論理的構築力-が必須であり、更にそれを十二分に発揮する為の作劇のトレーニングが欠かせない.その上で執筆と訓練に当てる「充分な時間」だ.著者が拙速の多作派でないのはそれが理由なのが明らかだと思う.まだ未読の作品が多くあるため、楽しみで仕方が無い. | ||||
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高村薫の本を読むときは、腰を据え、物語に没頭する覚悟で臨まなくてはならない。 深く暗い絶望感を持った人間達には、雑念を振り払って対峙しなくてはならない。 本書では警察官、大企業の重役、犯罪グループ、闇社会等、極めて個性的な人物達が登場する。 結末に向かう過程で悪夢は繰り返される。まさに絶望そのものだ。 これほど吐き気を感じる読後感は、後にも先にも経験がない。 とはいえ本書は傑作である。登場人物達の事件を巡る攻防は読み応え十分だ。 嫌悪感を与えながらも、ここにはリアルな人間が包み隠すことなく描かれている。ただ合田雄一郎はやさしく成り過ぎたか。 僕らは生きていく中で、好むと好まざるとに関わらず、社会的立場というものを得てしまう。 さらにその背負った立場ゆえの葛藤、呪縛にもがき苦しむ。その姿こそ本書の最大の魅力だと思う。 本書の題材が、1984年に世間を賑わせたグリコ・森永事件であることは明らかだ。この事件にまつわる様々な説が、物語りの中にちりばめられている。「日本はどうなってしまうのか」の一文は、絶望感に対する著者の強いメッセージである。本書はミステリー・社会派作家としての、著者の最高傑作である。 | ||||
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企業に勤めたことのある人間、会社のしがらみを知っている人間であれば、共感しながら、読める本です。それでいて、企業という組織から離れれば、人間っていうのは、本当はこうなんだよなぁ、と思わされるストーリーです。誰が正しいとか、誰が間違っているとか、という視点でなく、人間が組織で生きていったときに見えてくる弱点を読んでいくような本だと思います。そして、人生も考えます。 | ||||
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上下2巻のこの本、かなり読み応えがあると思います。社会問題系ミステリーと言った感じでしょうか。社会の醜い部分を細部に渡って描いてあります。多少業界用語や難しい言葉もありますが・・読破の価値大の本です。 | ||||
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LJの入門書いうか雛型習作として高村薫「日吉町クラブ」(誇りたかき掟・角川ノベルズ収録)を推薦するよ。 ①人生の酸いも甘いもわきまえた男たちが、府中競馬場にたまたま集い 互いに共通の憤懣や屈託を認識し、共有しあう。 ②この憤懣を何かに転換できないか→犯罪につかえないかと犯意を抱く (※ この「犯罪動機」を説明するのが高村作品解説の最大のネック。 ま、読めば何となく情緒でわかるのだが・・・) ③府中競馬場につどう男たちと、誘拐対象である会社社長は相互の鑑無しを確認 (※ 警察の犯罪捜査は、地縁血縁知人の鑑捜査から始まる。 つまり相互の面識無ければ、警察は犯罪現場と犯人を結び付けられず完全犯罪となる) ④じゃ、誘拐犯罪をやろうかとなる ⑤読者は、犯人たちの虚無感に、ダンディズムなりヒロイズムを感じて酔うべし LJはこの犯人たちを中心に、戦後日本という壮大な地獄巡りを読者に仕掛ける作者畢生の大作。 | ||||
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久しぶりにすごい小説を読んでしまった、と思いました。何だか自分に重くのしかかってくるような、本の中に引きずり込まれるような、そんな感じです。高村氏は、一見無くてもいいような細かい描写や専門的な話を延々と書かれることが多いです。これを敬遠する方もいると思いますが、私は逆の意見です。登場人物たちが実体を持って読み手に迫ってくるのは、こうした丁寧な肉付け無くしてはあり得ない事だと思うのです。とてつもなくハードで硬質な文章と、行間から立ち上ってくる色気。こんな小説を書けるのは、高村薫さんしかいません。わかりやすく簡単に泣ける小説に飽きてしまった方に、ぜひ。 | ||||
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高村薫は仕事の描写を大切にする作家である。新聞記者たちのいったん事件が起きたときの独特の空気の描写やネタ元との付きあい方、大手企業社長の分刻みのスケジュールを適確にこなし判断していく様子、刑事たちの独特な仕事の内容、今回はとくに「行確」が執拗に描かれる。しかし、この作品の中でもっとも重要な役割を持った人間達の、その仕事内容がほとんど書かれていない。総会屋と政治家の仕事である。その事は何を意味するのだろうか。読者それぞれが考える事なのだろう。長編の利点であるし、高村薫の小説の利点でもあるのだが、いろんな読み方が可能だろうと思う。社会的事件発生のメカニズムとその発生源への考察、大企業の危機管理のあり方、男たちの誇りのあり様とその失意のあり様、幾つかの隠れた愛の形。ラスト前の簡単に触れられている事件後の半年の経緯。実はこれだけでも一冊の長編ができる内容があるのだが、高村薫は語らない。このあたり、スルメのように美味しい小説ではある。ラストの数ページは最近の長編の中でも白眉であった。このラストだけは文庫版「全面改稿」でも変えて欲しく無い。 | ||||
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現代の日本文き学が到達した一つの地点を示す文学的事件ともいうべき傑作。構成の骨太さ、文体の硬質さ、登場人物を書き込む筆の柔らかさ。そのようにいわば皮膚にひりひりと感じさせる刺激臭に満ちた 誠に過激かつ雄大な作品である。また 犯罪というものが いかに「人間性を示す」格好の題材であることを示すという点でも ドストエフスキーの「罪と罰」以来の作品と言っても 過言ではないとすら思っている。また 冒頭に出てくる 戦争直後に書かれた手紙に見られる叙情性は 高村が見せた初めての文章であり その一文が ラストで繰り返される場面では正直涙が出そうになった。まあ 800字では何も伝わりません。読んで下さい。 | ||||
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“リヴェラを撃て”を読んだ時は 普通のミステリーにはない重厚な文章にちょっと付いて行けなくなって女房から“あんたはCIA物が解らない”と笑われました。でも最近になって何となく高村さんの鋭い眼差しと帯のコピーフレーズが気になって“照柿”“李歐”“晴子情歌”“マークスの山”と読みついできました。いずれも長編、くどい程丁寧でエンジニアの様に細やかなデッサン、時に関を切る情熱に いささか持て余す事もあったのですが、昨日読み終えた“レディ・ジョーカー”はすごかった。1997年出版のようですが いよいよ映画化されましたね。正に日本のミステリーNo1と言えましょう。読まれてない方は是非読まれたらと思います。文庫版“マークスの山”の解説でどなたかが“高村は日本のドスイトエフスキーだ”と賞賛されていましたが、その通りです。社会と人間の深淵を見つめ尽くす眼力、一言一句ゆるがせにせず語り尽くす筆力に酔わされました。何故か“ジョーカー”を引かされた善良で優しい男達が突きつけた企業と社会への挑戦状、業界一のガリバー企業“日之出麦酒”城山社長の誘拐。事件は思わぬ方向に展開する、金融暴力・総会屋・政治ゴロ、闇の世界が暗躍する。それにしても大企業・警察と言った大きな組織で働く人々を見直しました。日之出麦酒城山社長の誠実で確かな実行力、加納検事の優しさ、そして迫り来る孤独に耐えてなお地上に立つ会田刑事の凛として涼やかな目。誠実故に苦しむ魂の咆哮、葛藤。高村さんはクリスチャンでしょうか?基調に流れる“神は存在し給うか”の旋律は正にドストエフスキーも奏でた物でした。私が今まで高村作品をよく理解出来なかったのは私の感性が高村さんの余りにも大きな感性に追い付けなかったのだと思い知らされました。 | ||||
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前作「マークスの山」でもその緻密な構成に圧倒されたが、それさえも軽く凌駕するレベル。柱一本一本まで精密な彫刻が施された大伽藍建築を見るかのようだ。これが一人の作家のなせる技かと思うと、ただただ驚嘆してしまう。かといって冗長な展開になっていることもなく、ストーリーは鮮やかに展開する。上下巻2冊を一気呵成に読んでしまうおもしろさだ。「マークスの山」で登場した合田刑事も所轄の刑事として登場し、警察サイドで異端の刑事として活躍するが、本作全体からすれば一部にしかすぎない。ここに描かれるのは、犯人サイドだけではなく、警察、マスコミ、企業、政治家、総会屋、株屋・・多彩な人物が織り成し、作中では見えない暴力装置と言われる、一大暗黒叙事詩・・・。冒頭の、昭和22年の怪文書に記載される鬱々とした雰囲気に飲まれ、1990年の競馬場で出会う、鬱屈を抱える男たちが描かれる。彼らが犯罪を決心するまでの描写がすごい。1995年、彼らはビール会社社長誘拐を企てる・・・。「かい人21面相」こと江崎グリコ事件に材をとった作品であることはすぐにわかるが、現実には迷宮入りした事件に、著者は人間が抱える深い業、暗い闇をつきあわせた・・。事件はその後、21面相事件をなぞり展開する。実際の事件と同様、犯人サイドが見せる色々な側面に、捜査陣は振り回され続ける・・・。本作の凄みは犯人たちによる終息宣言後の展開だろう。下巻の後半3分の2を占めるこの展開で、本作が単なるミステリの範疇から越えてしまう・・・。最後は著者が頻繁に描き出す、暗い情念を抱えた男たちが残る・・。事件によって人生を狂わされた人物が多数・・・。鮮やかな手口を見せた犯人たちの結末もまた印象深い。転落していった暗黒の口と対象的に、ラストシーンの風景が何ともいえない余韻を残す・・・。 | ||||
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上巻を読み終えた。下巻はまだ紐解いていない。買ってもいない。その上での感想である事に留意していただきたい。この本を買って半年、積んどく状態だった。1章の半分まで読み終えるのに半年かかった。しかしながら、そのあと上巻の全部を読み終えるまで三日かからなかった。要はこの小説、すぐにトップスピードに乗る乗用車ではなく、動き始めるまでは遅いが、いざ動き出すと猛スピードで走ることの出来、だれも止める事の出来ない、重戦車であった、ということなのだろう。 巨大企業の恐喝事件。とはいってもグリコ森永事件とは似て非なるものである。と思う。「レディ・ジョーカー」たちと、日の出ビール役員たちと、総会屋たちと、新聞記者たちと、警察組織との五つ巴の闘いが始まる。 物井は考える。「高のいうとおり、金は確かに回して儲けるものだろうが、財をなした人々が回しているその金は、元はといえばどこから来たか。」キューポラ工人だった自分から、あるいは姉や兄から絞り盗っていったものではないかと考えが至ったとき、温厚な爺さんだった物井は突然「悪鬼」となる。 大企業の社長、城山恭介は恐喝を受けたとき最初「20億ぐらいの裏金は何ということもない会社のために自分は死ねるだろうか」と自問自答してみる。「会社はそのために恩を感じるだろうか。」城山の答は速やかに決まる。 この小説の隠れた主人公は「金」なのかもしれない。みんながそれを巡って「悪鬼」となっていく。ひとり、合田雄一郎だけが前作とは違い、何かふっきれたみたいに爽やかに立っている。とりあえず今はそういう物語の様に思える。 | ||||
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沢山のレビューがあるので端的に。非常に丹精込めた文章が並び、長いのに、終わるのがもったいなくなるほど、頬ずりしたくなるような、飲み込んでしまいたくなるような珠玉の文章に綴られた作品だったと思います。 | ||||
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高村先生の渾身の一発。他の作品もいくつか読んだが、人物描写の深さと構成の巧みさ、そして全体を流れる独特のトーン、雰囲気。久しぶりに小説らしい小説を読ませてもらい、その独自の世界に引き込まれました。日頃、小説はほとんど読みませんが、この作品は別格でしたね。 | ||||
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犯罪者、被害者、それを追う警察や報道など、登場人物の過去や言動、考え方、家族、環境などを丹念に積み重ねることで、それぞれの行動に説得力が生まれる高村薫さんならではの大作だと思う。犯人にも被害者にも、警察にも報道にも感情移入できるから、終わり方もあれで良かった。物語の中盤で、「じいさん」が少なかったのが少し残念だったけど。 | ||||
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高村さんお馴染みの合田刑事シリーズで、その中の私の一押しです。何故なら、この物語は実際にあったことを書いているかもしれないのです。高村さんはこの物語を書くにあたって、3年半にわたって毎日新聞に「グリコ森永事件」の取材を行っています。そしてその毎日新聞は「グリコ森永犯今日にも逮捕」の誤報を大々的に夕刊に載せた経緯があります。物語の最後に何故この犯人が逮捕されないのかが出てきますが、それを読んだ時あの誤報がなぜ起こったのかピンときて、この物語の7割は真実と確信しました。そして真実を伝えることが仕事の筑紫哲也氏がこの物語を絶賛している事で、その確信はさらに深まりました。真実として読むと背筋が凍る一冊です。 | ||||
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長い長い物語でようやく昨日読み終わった。読むきっかけは実際のグリコ・森永事件自体が特異なものであり、それを物語のベースにした本書がおもしろくないわけがない!と。読みはじめ当初、いったい高村薫はこの事件の動機・結末をどうストーリー化していくのか、推理モノとして解釈していたが、結末を追い求めるだけの読み方から、次第にひとつひとつの描写を味わいながら一大叙事詩を読み進めていることに気付く。克明な背景、登場人物の描写によって次第に単なる推理モノの枠を超えて、ひとつの文学作品にまで昇華している。久しぶりに読みごたえのある本だった。たぶん何度も読み返すだろう。 | ||||
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マークスの山文庫版を読んだ勢いで、続けて読みました。二週間かけて上下巻読みましたが、その二週間は寝ても覚めても頭の中はレディジョーカーでした。プロットとは関係の無い無駄な記述が多すぎるという意見もありますが、実は犯罪のプロットは単なる素材に過ぎず、作者が本当に書きたかったのは、プロットとは離れた、各登場人物の人間的葛藤にあったのだと感じました。無駄な記述と思われることが、話の本質だったのです。多面的な人物造形は、それがあまりに画一的な山崎豊子の小説を幼稚に感じさせるほどです。 | ||||
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おおよそ、史上存在するあらゆる文学作品の中でも、最高の水準である。遠い将来に、この時代を総括しようとする際に、それを文学に求める場合には、この作品しか選択のしようがないのではないだろうか。読むと分かるが、これは書き手がその精神を切り刻んで書いているような作品だ。それだけに、この種の小説に関して事実上絶筆となったのは、残念ではあるが、またよく理解もできる。(そうそう書けるものではない)過去を振り返った時に感ずる、ある種の無常感をこの小説は呼び覚ますのだ。そして、、、魂は確かにとけた。 | ||||
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高村作品で一番読み返してます。警察内部の描写や、裏の事情話もスリル大。主人公の内面も他作品より自然というか、らしい。他作品の主人公の内面描写は、クドイ感じがしますがこの作品では一番の魅力です。でもこの作品も改稿されたら絶対読んでしまうな。。 | ||||
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