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隻眼の少女
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隻眼の少女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点2.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全163件 81~100 5/9ページ
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大どんでん返しを経てなお、疑問が残る。 岩倉と二代目みかげの二時間は一体なんだったのか。 そこで岩倉は何か重要な役割を与えられたのではないか。 この後みかげが服を着替え髪も直しているというところもまた、想像を掻き立てる。 三代目みかげの父親はほんとうは岩倉なのでは…とか。 また腹話術、オコジョを使ったトリックというのは確かに安易。 しかし安易だからこそ、読者はひっかかりを覚える。 しかも二代目みかげは、このトリックの指摘を黙って聞いているだけで、否定も肯定もしていない。 『娘の指摘を受けたみかげの満足げな態度が、すべてを肯定していた』 という、静馬が受けた印象が書かれているだけでだ。 静馬の目を通して描かれるみかげの心理描写が信頼できないことは分かっているのに、「このトリックは正しかった」とスルーしていいのだろうか。 コンタクトレンズも気になる。 殴打された被害者がしていたのはハードレンズなのに、発見されたのは本の間に挟まった『干からびたコンタクトレンズ』だ。 干からびるのはハードじゃなくてソフトレンズだから、発見されたのはソフトレンズなのだろう。 すると被害者は片目にハード、もう片目にはソフトレンズをつけるという、おかしなことをしていたことになる。 そこに目をつぶったとしても、衝撃に弱いハードレンズが目に残り、衝撃に強いソフトレンズが落下するというのはやはりおかしい。 そもそも「両眼の視力が悪い」からでなく『左右の視力に開きがあるので』コンタクトをしていたという書き方からして気になる気になる…。 確からしい証拠を並べ、推理を重ねてたどり着いた犯人がことごとく否定される中、本書の最後にたどり着いた答えが本当に正解だったのかどうか。 多くの引っかかりをもとにして都合良く論理を構築し、別の犯人を指摘することもできるだろう。 クライマックスである二代目と三代目の対決の場面も、二人のみかげによる、あるいは更なる第三者を加えての小芝居だったとも考えられる。 小芝居を利用して、すべての罪を一人の人間に負わせた上で殺した? 18年前のように? 将来十数年後に、四代目みかげが登場し、真実を暴くべく三代目みかげと対決するのかもしれない。 そしてさらにその十数年後に五代目が…。 閉じられた世界の中で、真実が分からないまま犯人探しが永久に繰り返されるという皮肉。 そういった大きな枠組があることを想像させられた。 まさに怪作。 | ||||
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水干姿の隻眼の美少女、険しい山々に囲まれた鄙びた寒村、その地で古くから伝わるスガル伝説、無残に殺されていく美しき三姉妹―。この作品はそんな横溝作品を彷彿させるような設定の下、数々の「探偵小説」(推理小説ではなく)をエッセンスに緻密に織り込み創り上げられた作品ですが、これはミステリー(推理小説)でもなく、もちろん探偵小説でもありません。 「二転三転する状況」、「名探偵と言われた母の名に恥じぬように懸命に推理する水干姿の隻眼美少女探偵」、「それをあざ笑うかの如く犠牲者を生み出していく真犯人との戦い」など、一見すると古きゆかしき古典探偵小説の王道のように感じますが、読むほどにどこか不安定な危うさ、不協和音が散りばめられているのを感じ不安になるように仕組まれています。 それはあざとさと緻密さの見事なバランスで構築されており、「探偵が警察の捜査に協力し難事件を解決する」という名探偵コナンのような設定そのものがすなわちファンタジーであり、それに「現実感が無い事」や「どこかで見覚えのあるシチュエーション、トリック」である事なども作者は百も承知で書いていて、作品を読んだ読者がそういう反応をするであろう事をニヤニヤとほくそえみながら書いている姿が目に浮かぶようです。 この作品は、現実味のない設定・状況で構築された甘い世界を読者に自然と受け入れさせておいて、最後の最後にそれを嘲笑うかの如く世界全てを崩壊させるという作品として創り上げており、同様の効果を持つ作品として「向日葵の咲かない夏」などが挙げられます。 「向日葵の咲かない夏」は子供というファクターを通した一人称尾視点を最大限に利用する事で非現実を非現実として感じさせず、それ故に最後の最後に描かれるその狂気がより一層鮮明に衝撃的に映るように仕向けられているのが特徴ですが、この作品もまた同様の流れを感じました。(同じような一人称視点なのもそれ故でしょう) くどいようですがこの作品はミステリーでも無ければ探偵小説でもありません。物語の語り部であり、ある意味主人公である種田静馬は読者(特に男性)が自分を投影しやすいキャラクターとして、とにかく平凡で善良、優しいところだけが取り柄のような人間として描かれています。 その主人公が失意のうちに自ら死を選ぼうとしていた時に突如現れる水干姿、おまけに隻眼のツンデレ美少女探偵。今まで単なるモブキャラ人生しか歩んでこなかった主人公がその美少女探偵と出会い、殺人事件に巻き込まれ一緒に捜査に携わっていくというワクワクするような非日常感。そして事件の捜査を共にするうちに、いつしか惹かれあっていく二人…ってこれほど非現実的で都合の良い設定があるでしょうか? この現実感の無さに比べたら「水干姿の美少女探偵」も「あまりに無能な警察」も「民間人に不用意に情報を開示する不自然さ」も全然自然に映るほどです。(表紙の女の子がやたら魅力的なのもそれが目的だと考えれば納得) 「向日葵の咲かない夏」同様、現実にありえない事をすんなりと受け入れさせるその用意周到さは巧妙で、それ故に残酷な真実が恐ろしいほどの解像度で浮かび上がります。中二病のような世界観にどっぷり沈み、作者の思惑通りに薄幸の美少女探偵に恋をしてその悲恋に酔いしれ、お姫様の騎士気分に浸っている瞬間に、主人公共々読者をどん底に叩き落とす残酷なまでの「現実」―。これこそが作者の狙いでありこの作品のテーマだと思われます。 ですので、この作品の正しい楽しみ方として、まるでジェットコースターに乗るかの如くその世界と人物を受け入れ、導かれるままに登場人物に感情移入し最大限の加速を持ってどん底に叩き付けれらる事にあると言えるでしょう。もちろん、そういう作者の狙いを差し引いても、文章そのもののテンポの良いリズム感やスピード感は非常に心地よく、一気に世界に引き込まれる作品なのであまりジャンルやその他もろもろに拘らず楽しんで読んでいただきたいです。 | ||||
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まず人物が見えてこない、世界観が陳腐、これが「何とか大賞」?はぁっ タイトルや帯に騙されてはいけない典型・・・残念としか言いようがない | ||||
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この作家にしてはよく練られており、ある意味では推理小説として成り立つと思います。しかし、半ばごろまで続くありきたりなストーリー展開は、この小説に必要だったのでしょうか?他の方のレビューにもありますが、この表紙はインパクト大です。ジャケ買いも、いた仕方ないでしょう(笑い)。ラストのイヤミス感は独特ですが、クセになりそうです。 | ||||
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ネタバレ 作品全体の外側にもうひと回り大きな偉大な愛を設定したら治まりが良かったのでは? スガル伝説を活かして、初代スガルの母性愛が、親子のもつれを抱えた者達を運命的に集め、まとめて包み込み愛に導いていくというもの。 完璧なはずの親みかげ(2代目)も初代スガルの掌の上で踊っていたに過ぎず、最期には5人の子供を殺めた罪に懺悔し、スピリチュアルな能力をも併せ持った探偵、子みかげ(3代目)に真に母として禅譲するという結末。 初代スガル、偉大な愛の描写は少しでよく、読者がその存在に気づけば十分。初代スガルは神の分身であり、スピリチュアルな愛を物語の、人間の営みの底辺に据えることは、現代では違和感はないはずだ。 | ||||
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まず、子供向けの読み物で有ろうと思います。 ミステリ系を読み慣れた方には娯楽作品としてしか読めません。 何故コレが11年度のダブル受賞になったかがとても不思議です。 本格的なモノと比較しての至らない点は、 ・第一に、主人公とも言える探偵さんが犯人というのはセオリーから外れています。 コレではなんのための、誰のためのミステリなのか解らないからです。 無理をするなら、後半の娘のための作品と言うことになりますが。 ・第二に警察の捜査能力を大変過小評価しており非現実的で、あり得ません。 また、警察官が民間人に捜査情報をもらすことはほぼありませんし、 ましてや作中にあるように公然として捜査協力すると言うこともありません。 殺人などの犯行をあのように行えば、必ず多くの痕跡は残り、 それを見のがすような甘い捜査ではありません。 ・第三に状況証拠にもならないモノの積み重ねというか、ただの憶測のみで 物語が進行しています。 誰かをかばって自供するのなら、確定的な何かの証拠を突きつけられない限り あり得ないだろうと思います。 大きく上げれば以上ですが、細かく上げればその都度きりがない位の甘い点があり ミステリに慣れた大人の読み物、とはとうてい言えません。 ただ、ライトのベル等読者層の広がりを考慮し、 ミステリというモノを深く考えない、 読んで楽しければいいじゃん?、 ってノリで読むのなら、ありだと思います。 | ||||
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ミステリは久しぶりだったのですが、面白かったです。ミステリの面白さを再認識したというか。本格ミステリの要素が良い塩梅で入っているので、最近、ミステリを読んでいないという方にオススメです。饒舌なところもなく、テンポ良く話が進みます。作者の力量が推し量られます。他の著作が読みたくなりました。 | ||||
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翼ある闇から20年。 いつの間にか、自分が新本格とは相容れなくなってしまっていた。 そういうことなんだと思う。 以前であれば、おおおおおお!! だったのが 今では はあ? っていうね。 それに気付いたのが収穫。 著者や著作が悪いのではなく。 そう思わないとこの本のために費やした時間が ただただもったいない・・・。 | ||||
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麻耶雄嵩の作品について、私は以前、『夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)』に関して、 <おそらく主人公・如月烏有は「聖なる愚者」なのだ。 いつの日にか彼は、パルシファルのように、自分が本当は何者であるかを知り、王位を継承する事になる。 「銘探偵」という王位を。 本作は、言わば壮大な序章である。 > と書いた。その思いは今でも、変わらない。 私にとって麻耶雄嵩とは、「探偵が探偵であることの“業”を、いつか描いてくれるに違いない作家」であった。 ひとりのメルカトル鮎という探偵が死んでも、別の者がメルカトル鮎の名を引継ぎ、名探偵としての“業”を背負う。だからこそ「名探偵」なのではなく「銘探偵」なのであろう、と思ってきた。 残念ながら、世間一般の人はもとより推理小説評論家ですら、そのように考える人はいない。 私は『木製の王子 (講談社文庫)』を、如月烏有が新たなるメルカトル鮎となるまでの成長譚の折り返し点と見ていたのだが、推理小説評論家諸氏は、完結篇と捉えた。 しかし遂に、麻耶雄嵩は書いてくれた。「探偵が探偵であることの“業”」を描いた作品を。 この『隻眼の少女』では、「御陵みかげ」と名乗る世襲制の名探偵が登場する。 第一部では、警察関係者からの信頼も厚い名探偵であった初代・御陵みかげの娘が、2代目を襲名する。 その18年後の第二部では、2代目の娘が、3代目を襲名する。 主人公にして視点人物である種田静馬は、その名前の通り「種馬」として扱われるであろうことなど、誰もが読み始めてすぐに、予想するであろう。 その予想をも覆す、オソルベキ結末が用意されているはずだと期待しつつ読み進めると・・・まさに、「探偵が探偵であることの“業”」の深さが、作品内世界を覆っていたことに気付かされる。 と同時に、視点人物である、いわゆるワトスン役が作品内世界に与える影響が問題にされていることに驚く。 通常、「後期クイーン的問題」を扱った作品では、探偵役が作品内世界に与える影響が問題視される。 だが、この作品では探偵役は世襲制で、途中で代替わりしているのに対し、視点人物は第一部でも第二部でも同一人物である。 そして、同一人物が18年の時を経て二つの事件に関わった事こそが、作品内世界に大きな影響を及ぼす。 考えてみれば、シリーズ作品におけるワトスン役もまた、常に作品内世界と関わっているのに、ワトスン役が世界に与える影響など誰も考慮してこなかった。 (大阪圭吉の『とむらい機関車』のような、高名な先例があったにもかかわらず!) この点に注目したことは、まさに麻耶雄嵩ならではであろうし、だからこその「日本推理作家協会賞、本格ミステリ大賞ダブル受賞」なのであろう。 一方で麻耶雄嵩は『貴族探偵』においては、探偵役は「探偵が探偵であることの“業”」を背負う存在であるというテーゼを極端な形で押し出すべく、探偵役はただ探偵であって、推理は助手が行うという大胆不敵な人物設定を行った。 そして、助手が視点人物の役目から解放されることによって、あちらの作品でも「視点人物が作品内世界に及ぼす影響」についての、ひとつの実験が試みられている。 日本の本格ミステリは、ここまで来てしまった。 これでは、一般の読者が付いて来るのはしんどいかもしれないが、こうした作品は誰かが書かねばならない。 現時点での麻耶雄嵩の最高傑作であり、来るべきところまで来たミステリの極北である。 | ||||
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本屋の帯で買っちゃいました。「日本推理作家協会賞&本格ミステリ大賞」 読んで損はありません。タイトルと表紙の少女で興味がわく方ならね。 内容は、竜殺しの伝説が残る村で殺人事件が起こる。 そこに居合わせた青年と隻眼少女(巫女姿)探偵が事件に挑む。 容疑者は、竜殺しの末裔の家族達。 事件解決の間にも次々と起こる殺人事件。 そして事件は、探偵により解決に至るが・・・ ミステリ部分は、伝説と関連付けられた殺人。 探偵は状況証拠などから、推理して犯人を探しだす。 というオーソドックスなものです。 シチュエーションは、犬神家の一族 を思い出しました。 探偵が、隻眼少女で巫女姿w だからって、どうってことないですけど、いいんじゃないでしょうか。 探偵は奇抜な方が好きですから。 印象は、2時間にサスペンス劇場 みたいです。 人々の思惑がり、容疑者が2転3転して、最後は!? 最後は、「ずるいなー」って感じで、がっかりしました。 しかし、ずるいなーって思わせるぐらいには楽しめました。 文庫版なら、買って読んでみてもいいんではないでしょうか | ||||
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早読み得意、面白い本、好きな本だったらほぼ1日で読破できるのですが、これは2週間経ってもかばんに入ったまま。 読んではいるんですけどね、読もうとはしていたけど、とにかくつまらないのです。 だから、眠くなる。全然進まないし、次に読むときには前の内容を忘れていて、また読み返すという。 とうとう今日、第1部をぺらぺらとなんとなく流し読みしつつ、第2部の最後10ページくらいを読む、という方法で読み終わりました。 感想、とにかくバカバカしいの一言。馬鹿馬鹿しくても面白いものはおもしろいけど、これはつまらない。 ま、帯の文句につられて、ポイント集めのために買ってしまった本なので、自業自得ですが。 近所の中学校の古本市にでも寄付することにしましょうか。 | ||||
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推理が強引だよなぁ。絞り込みもそれじゃ絞り込めないでしょ。 子供がちょっと背伸びして読むような本で、大人が読むような本じゃないよなぁ。 そんな感じを深めつつ、駄作であるという確信も持ちつつも、 折角買ったので最後まで読まなきゃ勿体ないよなぁという思いと、 もしかしたら、このモヤモヤを晴らしてくれるスッキリとした結末を迎えてくれるかも、 という淡い期待と惰性で苦痛を感じながらも読み進みました。 最後まで駄作でした。 第一部を読み終わった後のガッカリ感と、第二部を読み終わった後のガッカリ感が同じくらいでしょうか。 とにかく動機が無茶すぎる。 物語の導入部分だけは少しワクワクさせてくれましたが。 | ||||
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「夏と冬の奏鳴曲」以来、作者の作品の論理が破綻している事には慣れっこになっているが、その代り、その作品は独特の衝撃性を持っていた筈だ。本作はオリジナリティが皆無で、その論理破綻だけが際立った駄作。作中で、"整合性"という言葉が何度も出て来るが、"整合性"を欠いているのは作者の構想自身であろう。 オリジナリティの欠如も目を覆いたくなる程の酷さ。全体の作風は三津田信三氏の「民俗学伝奇ミステリ」シリーズの出来損ないの様だし、物語の基底にある神話の骨子はハチ類等の雌雄を決する倍数体・半数体という遺伝学的性質そのもの。また、親子名探偵という設定は、これまた三津田氏の刀城そのもの。そして、メイン・トリック(と言える程ではないが)は、高木彬光氏の著名作品とクリスティの著名作品を組み合わせたもの。そこに横溝正史氏の著名作品の彩りを加えるという厚顔さ。 既存のピースを単にデタラメに繋げただけで、新規性も面白みもない。作者の欠点だけが出た作品で、読んでいて呆れる他なかった。ミステリ作家としての矜持を全く感じられなかったのは非常に残念だった。 | ||||
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読み物としては単純に面白いと思いますが、 推理小説の完成度や動機などといった点では無理 しており、非常に惜しい作品。 一読して損するといった類ではなく、読むか 読むまいか迷っている方は読んで損はありません。 | ||||
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麻耶雄嵩の名前は知っていたが能動的に読もうとはならなかった。歳を重ねるにつれ、本格推理小説に挑戦するのが億劫になったのだ。本書も大体の内容を知るにつけ二の足を踏んだが、これを逸すると、麻耶を読むチャンスはもう二度と巡ってこないのではないかと思ったので頁を開いた。 意外と文章はしっかりしている。琴乃湯がある栖刈村の描写も味わい深い。そして連続殺人事件が発生する。大きなトリックがあるわけではなく、話は淡々と流れ、第一部が終る。途中で投げ出さない程度には面白いが、あっさり感しかなかったので、第二部に期待が膨らむ。 この辺りから真犯人の的がドンドン絞られ、私でも判るぐらいになってくるのだが、勿論、そんなヤワな解決になっていない。本格推理小説の醍醐味は予想外の犯人となるのだが、前提条件がフェアではないように思う。まぁしかし、そう目くじら立てずこういうのもアリだと割り切ると、随所に伏線があるよく練られた作品で、これはこれで充分麻耶雄嵩を楽しめた。 | ||||
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ミステリー小説としては 大変読み応えはあるんだけどね。 こういう展開は自作自演でなんでもアリで書けちゃうので、あまり好きではないかな。 あとは最後に事件が解決したあとに、犯人の主人公へ対する真実の感情を入れて欲しかった。 読んで良かったと言いたいための個人的な願望にすぎませんが。 そういうどんでん返しでもあれば、スッキリしますが、 単なる後味の悪さだけが残りました。 | ||||
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犯人の残す偽の手掛かりが細かすぎる。片田舎での殺人、しかも実績皆無の探偵相手に、こんな凝った小細工するのは、頭が良いというより偏執狂。また、探偵は、整合性を重視すると言う割には拙速に結論に飛びついては犯人に翻弄される。 読んでて違和感を感じたこれらの事は、読後に原因が分かるのだが、つまらなかったという感想は変わらない。名探偵の快刀乱麻ぶりを期待する向きにはお勧めできないミステリ。 | ||||
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“隻眼の少と女”といえば、そりゃあ映画で橋本愛さんが演じられた、 『アナザー』の見崎鳴でっしょ!! 駅中書店で平積みにされている本作を見かけ、もう表紙買い。 表紙はどうせCG合成でしょ、と思ったのですが、きちんと高根美里さん というモデルがいらっしゃるのだとか。 (検索してみると、最近は芸能活動休止中?、ザンネン・・・) 普段はあまり推理小説というジャンルを読まない私が、“萌え”心 の一心で拝読したわけですが。 “殺人”なんて、そんな簡単に出来るもんじゃねえだろ〜!!! とツッコみつつ、 “萌え”心を打ち砕かれるドンデン返しに、 やっぱり率直に感心してみせるべきなんでしょうか? ドウナノデショウ。 | ||||
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どの本も「関係者」のやらせのレビューは 詳しく書き込みすぎてバレバレなんだけど、 それを承知で設定が面白そうなんで読んでみました。 読み始めて、読み進んですぐに感じるのは 文章が決定的に下手だということ、平板でつまらないんですね。 読ませる文章を書く力量がないんですね。 珍妙な主人公、助手にされてしまった青年、各登場人物ともに 魅力的に描けないんで、ああ、勿体無いな、と思う。 読者を引き込み、わくわくさせるものが描けない三流ですね まずい料理を残せなくて無理やり食べて空しさが 残った時と同じ気持ちです | ||||
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設定がツンデレ系の美少女探偵と自殺志願の男性、というところまではまぁまぁ。 自殺志願の動機がつまらないけど、まぁぎりぎりの線。 「生首」が出てきた時点で「おっこれは本格物だな」と身構える。 最後の最後まで、犯人がわからない。もしかして、とは思うものの動機がさっぱり見えてこない。 残りのページ数を考えながら、 このページ数で片がつくつなると、ちょっと肩透かし系どんでん返しかな…と悪い予感はしていたが 結末、犯人、動機、やっぱりなぁ、という感じでした。 読み物としては楽しく読めました。ミステリとしては9割までA級、最後の1割が駄作。 | ||||
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