■スポンサードリンク


溺死人



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
溺死人 (創元推理文庫 (111‐4))
溺死人 (1984年) (創元推理文庫)

溺死人の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

■スポンサードリンク


サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全1件 1~1 1/1ページ
No.1:
(7pt)

溺れたのは果たして溺死人だけなのか?

フィルポッツと云えば21世紀現在でも古典ミステリの名作として『赤毛のレドメイン家』を著した作家としてその名を遺しているが、実は彼にはそれ以外にもミステリの諸作があって、本書は私が前出の作品を初めて読んだ大学生の時には既に絶版で長らく手に入らなかった1冊である。実に初版から30年経ってようやく復刊フェアにてその姿を手にすることが出来た。

報われない人生を歩んできた一介の旅芸人が自殺のために訪れた断崖の洞窟で別の溺死体を発見したことがきっかけで、死者に成りすまし、別の人生を送る。
よくある、特にウールリッチの諸作に見られる設定の本書で、特に目新しさは感じないが、これがまず1931年に書かれたことを考えると、いわゆる身代わり殺人というモチーフの原型ではないかと思われる。

しかしありふれた物語だけに留まらないのが本書が2014年に至って復刊されることの証だと云えよう。なぜならこの他人の人生に成り替わったジョン・フレミングと云う男が愚直なまでに善人であることがその最たる特徴と云えよう。

不遇な芸人で宿賃も満足に払えなかった彼は他者に成り替わった後で、きちんと滞納していた宿賃も払い、おまけにお詫びの金も添えて返却する。彼は報わなかった自分の人生を変えるために他人になりすまして、生きることを選択したのだった。

しかしそんな入れ替わりも早々に破綻してしまう。なんと4章目にして失踪者ジョン・フレミングは追跡者メレディスによって発見されてしまうのだ。
全12章のたった1/3を過ぎたあたりだから、これはかなり早い段階だ。

そしてそこから新たな謎が生まれる。ではジョン・フレミングが成り替わった死体とは一体誰の死体なのか?
メレディスは失踪人情報と財布のイニシャルからそれは骨董商ライオネル・S・ダニエルであると確信する。しかし彼には単なる骨董商だけの収入以上の裕福な生活をしており、彼のもう1つの人生への謎、そしてなぜ彼がダレハムの断崖で亡くなっていたかとさらに謎が重なってくる。
たった300ページ弱の厚みに謎の連鎖が詰まっている。

しかし最後まで読むと本書はミステリなのかと疑問を抱えてしまう。上に書いたように確かに謎は連鎖的に連なっていくが、肝心要の溺死人を殺害した犯人は探偵の推理ではなく、犯人からの自白で判明する。しかもその犯人は恐喝者であった犯人ライオネル・ダニエルを毒殺したことを罪と思っておらず、むしろ町のダニを駆除した善行だと思っているのだ。

そして最終章で探偵は一部始終を友人の警察署長に話してこの事件の始末を委ねる。

そして最終章の章題は「われわれも、おもしろがってはいないが」と掲げられている。これはつまり人の死をミステリと云う謎解きゲームの器に盛ったミステリ作家たちは罪を犯すことの意味という最も根源的な事を忘れて、知的ゲームに興じているのではないかという作者からの警句なのだろうか。

また本書ではところどころに主人公メレディスと友人の警察署長ニュートン・フォーブス2人の政治談議が挟まれるが、それがミステリ論議にもつながっている物もある。例えば死刑制度が無くなればミステリは潰えてしまうと断じている。

本書の原題は“Found Drowned”。つまり『溺死人発見』が正確な意味だが、溺れた者とはミステリというゲームに溺れた作家たちを指すのかもしれない。
そう考えると本書の題名はミステリ作家に対して何とも痛烈に響くことか。
本格ミステリの雄であるエラリイ・クイーンがロジックとパズルに淫した後に行き着いた先を既にフィルポッツは1931年の時点で警告していたと考えるとやはりこの作家は『赤毛のレドメイン家』のみで語られるべき作家ではない。文豪はやはり文豪と云われるだけの深みがあることを再認識させられた。


▼以下、ネタバレ感想

※ネタバレの感想はログイン後閲覧できます。[]ログインはこちら

Tetchy
WHOKS60S

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!