■スポンサードリンク


かくして殺人へ



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

かくして殺人への評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

■スポンサードリンク


サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
全1件 1~1 1/1ページ
No.1:1人の方が「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

映画産業にはよくあることらしい

ヘンリー・メリヴェール卿ことHM卿シリーズ第10作目で『読者よ欺かるるなかれ』の後に書かれた、まだディクスンが脂の乗り切った時期に書かれた作品である。しかしこの作品は長らく邦訳されず、創元推理文庫、ハヤカワミステリ文庫のラインナップからいずれも漏れていた作品であり、初邦訳となったのがなんと1999年でしかも新樹社から刊行された。本書はそれを底本にして全面改稿された文庫化作品である。

田舎娘が初めて書いた小説がいきなり大ヒットとなり、それを契機にロンドンに出てきて映画会社で脚本の仕事にありつくというシンデレラストーリー的設定に、当時のイギリス映画業界の内幕を絡めたストーリー展開にすぐさま引き込まれてしまった。

脚本家の卵として田舎町からロンドンに来たモニカはカートライトの人柄に魅かれながらもなかなか素直になれず、年不相応の髭について不平不満を並べ、遠ざけようとする。一方カートライトはそんな田舎娘に次第に魅かれていく。
その間に立つのはハリウッドから招聘された名脚本家のティリー・パーソンズ。この50代初めのヴェテラン女性脚本家が2人の恋路を取り持っているのか邪魔しているのか解らない奔放さが実にいいアクセントになっている。

しかし彼女もまたモニカ殺人未遂の最重要容疑者とみなされる。彼女の筆跡がモニカに送られた脅迫状その他と酷似していたからだ。しかしティリーもまた毒入り煙草によって昏倒し、病院に運ばれることになる。

このモニカとカートライトを中心にした映画業界の人々を巻き込んだ殺人騒動で物語は進行し、シリーズの主人公であるHM卿が登場するのは150ページ過ぎと物語も半ばを過ぎたあたり。
しかしそれでもHM卿は事件解決に乗り出さず、戦時下という状況故か、映画会社が失った海軍の主要戦力となる軍艦が撮影された8000フィートものフィルムの行方を気に揉む次第。情報部々長という立場故、戦時下で軍の機密情報が敵国に知れ渡ることの方がHM卿にとって非常に重要なのだ。

残ること約50ページになってようやくHM卿は現場に乗り出し、快刀乱麻を断つが如く名推理を発揮して瞬く間に一連の騒動の犯人を名指しする。

カーター・ディクスンは事件関係者の勘違い、もしくは想定外の出来事で殺人計画が捻じ曲げられ、それがために不可解な状況が起こるという、ジャズ演奏で云うところの即興、インプロビゼーションの妙をミステリに非常に巧みに溶け込ませるのを得意としているが、本書においてもそれが実に巧く効いている。

本書で唯一不可能状況下での犯罪は封も開けていない、モニカが駅で買った煙草にどうやって毒入り煙草を忍ばせたかという物だが、案外無理があるトリックだとは感じる。

題名が差すように一人の男が殺人を犯すまでに至った一連の騒動こそがこの物語だが、本書が書かれたのが1940年。4年後にクリスティーが犯行に至るまでを描いた『ゼロ時間へ』を著しているが、私は彼女が同作を著すときに本書のことが頭にあったのではないかと考えている。
つまり本書はディクスン版『ゼロ時間へ』なのだと。そう考えるといかにもディクスンらしい味付けが成されているなぁと感心してしまう。

そしてだいたい作者が映画業界を舞台にした作品を書くときは作者自身がその業界に関わったことがあるからだからだが、やはりディクスン自身もその例に洩れず、解説の霞氏によれば本書が発表される2年前の1938年にイギリス映画界で脚本家として携わったらしい。その時の経験は散々だったようで、そのことが作品にも色濃く表れている。特に最後の台詞
「映画産業にはよくあることだ」
はその時の思いがじっくりと込められているように思える。

また余談だが前年の1937年に映像をふんだんに物語に取り込んだ『緑のカプセルの謎』が刊行されているのもまたこの時の経験が関係していると考えると非常に興味深い。

私はその後のHM卿シリーズも読んでいるわけだが、なにせ時系列的に読んでいないため、各作品での繋がりに対する記憶がほとんどない。本書に登場するHM卿の部下ケン・ブレークとスコットランド・ヤードの首席警部ハンフリー・マスターズ以外の登場人物は私の中では消失してしまっている。
その原因はカーター・ディクスンならびにディクスン・カー作品の訳出のされ方にもある。例えば近年新訳で刊行されたHM卿の作品は以下の通りだ。

2012年『黒死荘の殺人』;第1作目
2014年『殺人者と恐喝者』:第12作目
2015年『ユダの窓』:第7作目
2016年『貴婦人として死す』:第14作目
2017年本書:第10作目

このように順番はバラバラである。この辺が改善されると今後の読者も系統だってシリーズを読めるので助かるとは思うのだが。
しかしこうやって見ると上には書いていないが、ジョン・ディクスン・カー名義の作品も合わせると毎年コンスタントに新訳が出されていて、ファンとしては非常にありがたい状況ではある。ただ贅沢を云えば上に述べたようにシリーズが前後しない刊行のされ方をしてもらいたい。

また新訳となって実に読みやすく、しかも平易な文章で解りやすいのだが、一方で昔の訳本に載っていた注釈が全くないのが気になった。原作に挿入されていた原註はあるが、訳者による注釈は皆無である。
登場人物たちが引用する固有名詞は、例えばラリー・オハロランの絞首刑などと唐突に挟まれる比喩はその内容自体が解らないため、そのまま読み流すような形になったのが惜しい。恐らくは注釈を入れることで読書のスピードを削がれるのを懸念したためにそれらを排除したのかもしれないが、新たな知識や蘊蓄を得るのもまた読書の醍醐味であると思っているので、これらについてはきちんと注釈を入れてほしかった。勘繰れば逆に訳者がそれらの手間を省いたとも取られかねない。

いやもしくはWEBが発達した現代では注釈などは必要なく、興味があれば読者の方で検索サイトで気軽に情報を得ることが出来るから、注釈は不要とみなしたのかもしれない。

時代の流れともいうべきか。単純に昔の訳書を読みなれた者にとっての贅沢とすべきか。なかなか難しい判断である。

しかしやはり長らく文庫化されなかったカーター・ディクスン/ジョン・ディクスン・カー作品がこのように刊行され読めることは実に嬉しいことだ。まだまだ絶版の憂き目に遭って読めないでいるカー作品をこれからもコンスタントに刊行してくれることを東京創元社には大いに期待しよう。


▼以下、ネタバレ感想

※ネタバレの感想はログイン後閲覧できます。[]ログインはこちら

Tetchy
WHOKS60S

スポンサードリンク

  



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!