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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数1418

全1418件 1341~1360 68/71ページ

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No.78: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

表題作は必読

東京創元社によるカーの第2短編集。日本独自に編まれた短編集だが、本書は各編メリハリがあって好きな方である。

なんと云っても本書は表題作に尽きる。カーの中でも傑作の部類に入る短編だ。20年前神隠しにあったかのように一週間少女が失踪した事件の元となった妖魔の森の家と云われるバンガローに再びその少女がその家に入るといつの間にか姿を消していた。しかも家には鍵がかかっており、周囲はHM卿も含め、ずっと見張られていたのだ。しかも誰も出て行ったものもいないという、扱われるモチーフはカーが得意とする密室物。しかも妖魔の家なる怪奇色も施してぬかりがない。そしてそれを実にすっきりと解き明かす論理はカーにしては(?)非常に整然としており、カーの作品の最たる特徴が出た作品だ。だからこれに比べるともう1つの密室物である「ある密室」がやや強引さが目立ち、やや劣る。
その他収録されている作品のうち、「軽率だった夜盗」は数年後読むことになる『仮面荘の怪事件』の原版となる短編だし、「第三の銃弾」は逆に長編であった原版を省略したカット版で、数年後早川書房から完全版が出版された。
残りの1編「赤いカツラの手がかり」は着想が面白く、あまりのバカバカしさに苦笑を禁じえないが、後の『帽子収集狂事件』に繋がるユーモアがあり、結構好きな方である。

以上、不完全版が2編収録されているが、読んだ当時はそんなことは知らないので気にならず、むしろヴァラエティに富んだ短編集だという印象が残った。しかし本を手にとって浮かぶのはやはり表題作が醸し出す雰囲気。本書はこの1編を読むだけでも価値がある作品集と云えるだろう。

妖魔の森の家 (創元推理文庫―カー短編全集 (118‐2))
ジョン・ディクスン・カー妖魔の森の家 についてのレビュー
No.77: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

これがカーとの出会いでした

ミステリ黄金期の三大巨匠といえば、クイーン、クリスティ、そしてカーであることは周知の事実である。そのうちカーについては私はミステリを読み始めた早い時期から触れていた。未だに絶版作品が多いので、全ての作品を読破したとはいえないが、ほぼ80%は読破したように思う。

で、本書はそのカーの短編集で収録作10編中6編で探偵役を務めるのがマーチ大佐。本書のタイトルはこのマーチ大佐が所属するスコットランドヤードの部署の名前。もちろん現存しない部署であるのは云うまでも無い。ちなみに基本的にこのマーチ大佐は本書のみで探偵役を務め、他の作品でも出てくるものの、単なる一登場人物に留まっている。

収録作の中で印象に残っているのは「空中の足跡」、「銀色のカーテン」、「もう一人の絞殺吏」、「目に見えぬ凶器」の4編。しかしこの4編が特に優れているというわけではなく、出来不出来を別にして今に至っても記憶に残っている作品。
まず「空中の足跡」は今読むと滑稽だろう。というよりもこれは雪の足跡トリックで誰もが一番に思いつく犯行方法だと思う。特に某作家が編んだ推理クイズ集に必ずこのトリックが収録されていたことでも有名だ。
「銀色のカーテン」は雨の中で行われた殺人事件というイメージが鮮烈に残っており、またそこで使われたトリックも納得できる。後日、同様のトリックがチェスタトンのブラウン神父シリーズのある短編で使われているのを思い出したが、シチュエーションと仕掛け方が違っている。
「もう一人の絞殺吏」は歴史ミステリだが特に読後の味わいがなんともいえない余韻を残す。個人的にはこれが本書のベストだ。ちょっとチェスタトンの作風に似ているかもしれない。
「目に見えぬ凶器」は読後当初、「いくらなんでもそれはわかるだろう!」と眉唾物として捉えていたが、その後、このトリックと似たようなシチュエーションに遭遇し(同様の犯罪が起きたというわけではない)、ああ、やっぱり気づかない物なのかと改めて考え直させられたという意味で印象深い。とはいえ、作品的には並みの部類。

語り口にかなり個性を感じたものの、なんだか子供騙しのトリック、小粒な仕掛けを大げさな表現で糊塗して、過剰に演出しているとしか思えなかった。しかし本書こそ私がカーとの最初の出会いで、以後今に至るまで、カーの未読作品に遭遇すると必ず読んでしまうようになるのだから、縁とは不思議なものである。

不可能犯罪捜査課 (創元推理文庫―カー短編全集 (118‐1))
No.76: 4人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

評価が難しい作品

以前、綾辻作品の中でもっとも賛否両論分かれる作品だろうと『人形感の殺人』の感想に書いたが、それと双璧を成す、いやもしくはそれ以上に賛否両論分かれるだろう作品が本書である。

吹雪舞う冬山に遭難した劇団“暗黒天幕”の一行は山中に聳え立つ洋館に辿りつく。高級な調度品に装飾された館「霧越邸」に命からがら飛び込んだ一行。しかしそれは惨劇の幕開けであったという、“吹雪の山荘物”そのままの設定。
閉ざされた館で起こる連続殺人事件で作者は綾辻行人となると、館シリーズを思い浮かべるが、本書はノンシリーズである。それについては後述するとしよう。

今回一番目立つのはペダンチックに飾られた霧越邸を彩る一流の調度類について語られる薀蓄だろう。家具、照明器具はもちろん、書斎に置かれた万年筆の類いに至るまで、全てが高級品であり、それらについて事細かに語られる。こういう内容は雑学好きには堪らなく、無論、私もその一人であった。そしてそれらの中には犯罪の煽りを受けて、無残にも壊され、また殺人道具として使用される。この勿体無さは『時計館の殺人』で次々に壊されたアンティーククロックに匹敵する。私は作中人物が、これら職人が精魂込めて作り上げた芸術ともいえる物を躊躇無く壊す、もしくは意図的に壊す行為は、なんだか綾辻氏のある哲学、美学に裏打ちされた行為ではないかと思う。例えばミステリに関する既成概念を打ち砕くとか、過去の偉大なミステリ作家が築き上げたトリックやロジックの砦を敢えて壊して、新たな本格を作るといった意気込みというか。この辺はまだ漠としたイメージでしかないので、また綾辻作品に触れた時に作品と照らし合わせて考察していきたい。

で、この作品に対する私の評価はと問われれば作者のやりたい事は理解できるものの、では作品としてカタルシスを感じられるかと云えば、そうではなく、従ってなんとも中途半端な印象を持ってしまった。ずるい云い方になるが賛成半々、否定半々というのが正直なところ。綾辻氏の持ち味である日本なのにどこか異界を舞台にしたような幻想味と一種過剰とまで思えるロジックの妙、これが実にバランスよく施されているのが館シリーズだが、このうち幻想味の方にウェイトを置いたのが本書。最後にいたり、これが豪壮な館を舞台にしながら敢えて館シリーズにしなかったわけが解る。つまりそこからして綾辻氏は館シリーズからへの分化には意識的だったのだ。とはいえ探偵役島田潔は登場しないものの、文体ならびに作中の陰鬱さを感じさせる抑制された雰囲気は館シリーズと変らないし、また文中、中村青司がデザインしたと匂わせる表現もあり、そこに作者としての迷いも感じられる。綾辻作品世界のリンクであるくらいの内容かもしれないが、私はそれだけとは受け取れなかった。

ミステリの既成概念を打ち砕くために敢えて挑戦した企み、この手の作品には過去にカーのある名作があるが、そこまでには至らなかったと感じてしまった。その後の綾辻氏の諸作で彼がどのような本格ミステリ観に基づいて作品を著していったのか、さらに追っていこう。

霧越邸殺人事件<完全改訂版>(上) (角川文庫)
綾辻行人霧越邸殺人事件 についてのレビュー
No.75: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

実にオーソドックスな本格ミステリ

一応第2作目が出ているがシリーズと呼ぶには憚れるのが警視庁刑事明日香井叶とその双子の兄で探偵の明日香井響が探偵役を務める殺人方程式シリーズ。

新興宗教の教祖が教壇のビルに篭って、祈りの儀式をしていたはずなのに、他のビルの屋上で頭部と左腕を切断された死体として発見された謎を探るという、本格ミステリ。しかしなんだか法月氏の某作に似ているなぁと思った作品だ。
館シリーズと本作ではどう違うかというと、館シリーズは日本なのにどこか異界に迷い込んだような味わいがあるのに対し、本作では実にオーソドックスな筆運びである。本格ミステリと呼ぶよりも本格推理小説の方が本作のイメージに合うだろう。
しかし小粒感はあるものの、実に端正な本格推理小説で、私はすっかり騙されてしまった。特に犯人を限定するある行動に対する叙述が非常にさりげなかったので、その思いはひとしおだった。

そして本書の特徴は、殺人をなすべく、本当に方程式が登場すること。通常「殺人方程式」という呼称は犯罪者が精緻に組立てた犯罪を表すロジックのことを指し示す。つまりそのロジックが数学の証明問題に類似しているから、そういう風に呼ぶのだろうけれど、本作では犯罪を成すための方程式が登場する。ちなみに方程式は数学ではなく、物理の方程式。そうと聞いて、忌避感を抱く方もいるかもしれないが、非常に有名な方程式で、しかも微分積分とかも使われていない、小学生の算数の知識で理解できますのでご安心を。

しかし、この主人公が非常に「創られた」感じがあり、感情移入できなかった。これは私の性格的な問題もあるのかもしれないが、兄弟なのに名前の呼び方がどちらも「きょう」と同じなのがいただけない。紛らわしいではないか!この辺の作者の価値観が全く解らない。なんとなく同人誌に取り上げられることを狙ったようなキャラクターである。
ぜひとも読んで欲しいとは勧めないまでも、読んで損することは無い程度にお勧めの作品である。

殺人方程式 〈切断された死体の問題〉
綾辻行人殺人方程式 についてのレビュー
No.74: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(4pt)

やっぱり合わない

囁きシリーズ第2弾。この作品を読んで、綾辻氏が目指すのはサイコサスペンスの様式で本格ミステリ的サプライズを仕掛けようということがよく解った。
前作が女学園での惨劇ならば本作は双子の美少年の周りで次々と起こる不可解な殺人事件をテーマにしている。これで綾辻氏がこのシリーズで敢えて少女ホラー漫画で取り上げそうなネタを使っているのがさらに補強された形になる。
なぜかように少女漫画チックなモチーフを使うのだろうか。それはつまりそれは美しさには影があり、それは狂おしいほど残酷なものだということだろうか。これは綾辻氏の美学そのものであるのかもしれない。

前作では閉鎖された集団の中でいつの間にか形成される社会とは違った歪んだ常識が、そして本作では子供の独特の世界観で気づかれる価値観が物語の底に流れている。そしてそれらは全てある忌まわしい記憶に起因しており、その正体こそがこのシリーズにおけるサプライズだと云える。
あと本書では綾辻氏のある作品についてリンクがなされており、その作品は未読であったが、すぐに気づき、「おっ」と思ったものだ。館シリーズぐらいしか作品世界に相関性を持たせていないように感じたが、意外と探してみるとあるのかもしれない。

こういう物語が好きな人にはこのシリーズは堪らないのだろうが、私は実はかなり苦手。館シリーズに比べて起伏が少ないストーリー展開と、まだるっこしさを感じる抑制された文体。疲れているときに読むと何度も眠気で中断してしまうように感じた。

だから上の評価は全く以って私の好みに起因する。しかしショックが与える心、記憶への影響というものを理解している今ならば、この障壁は取り除かれて、この評価は高くなるかもしれない。なのでこういうのに興味がある人はぜひ一読してもらいたい。


▼以下、ネタバレ感想
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暗闇の囁き 〈新装改訂版〉 (講談社文庫)
綾辻行人暗闇の囁き についてのレビュー
No.73: 2人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(4pt)

この世界はなんか合わない

館シリーズと双璧を成すのがこの囁きシリーズだが、私の中では館シリーズよりと比してさほど印象に残っていない。片やど真ん中のバリバリの本格ミステリであるのに対し、このシリーズはサイコサスペンス的要素を備えたミステリであることがその最たる要因だろう。綾辻行人という作家は、どんな作品でもサプライズが無ければならないという持論があり、サスペンス調のこのシリーズもその主義は貫かれており、最後にあっと驚く真相が隠されている。
しかしどうも私はこの幻想風味の文体と物語が苦手で、耽美な美しさとか妖しい魅力などよりも一向に進まない物語へのじれったさの方が先に立ってしまい、あまり楽しめなかった。私はこの手の作品の良い読者ではないのだろう。

本書は女学園で起こる連続殺人事件を事件に主題にし、転校生である主人公に起こる幼少時代の記憶のフラッシュバックが挿入される。この失われた記憶とこの連続殺人事件が大きく絡んでいるのは無論だが、当時の私としてはこの設定がどうしても解せなかった。
本書を読んだ当時は大学生の頃であり、そのときの私の記憶力はそれから十数年経った今とは比べ物にならないくらいよく、自分の子供の頃のことはよく覚えていたのだ。その自分と主人公でしかも自分より若い高校生が子供の頃の記憶を失くすだろうかという拭えない疑問が作品の世界に没入することを妨げていた。あれから酸いも甘いも経験した今なら、過大なショックによる記憶喪失というのは十分理解でき、作者のこしらえた設定も受け入れることはたやすいが、当時はそんな青二才で、しかも意固地なところがあり、全く同調できなかった。

しかし、とはいえ、女学園という舞台と人物設定が百合族物と思わせ、それに加えて学園内でひそかに行われる魔女狩りという内容も、耽美な少女ホラー漫画を思わせ(実際作者は敢えてその世界を狙ったと思うが)、当時の私が親しんでいた世界とは真逆の内容で、生理的嫌悪をも抱いたものだ。
しかしそれでもめげず私はその次の『暗闇の囁き』を読むのだが・・・。

緋色の囁き 〈新装改訂版〉 (講談社文庫)
綾辻行人緋色の囁き についてのレビュー
No.72: 8人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)

待っていた傑作!

館シリーズ第5作目にして日本推理作家協会賞受賞作である本書は当時全10巻と想定されていた館シリーズの折り返し地点でもあり、それまでの集大成的な趣を備えている。従って前4作を凌ぐ厚さで、内容も濃い。

まず時計館のデザインからして過剰だ。私は文庫で読んだが、文庫表紙の絵では単純に聳え立つ時計塔が描かれているのみで、学校のような感じを受けた。単に時計塔があるから時計館かと思っていたら、そうではなく、時計をモチーフにした円形の館を取り巻くように階段と廊下があり、「おおっ、やるではないか!」と胸躍ったものだ。さらに館には古今東西から集められたアンティーククロックが設えられているという装飾も物語に異様さを与え、私の本格ミステリ熱を掻き立ててくれた。
そしてその内容も前作の不満を一気に解消する面白さだった。第1作で登場した江南くんが中村青司が建てた時計館を訪れ、そこで次々と起こる連続殺人に巻き込まれる。そしてなぜか犯人は犯行と同時に館内のアンティーククロックをことごとく壊していく。そしてシリーズで探偵役を務める島田潔は鹿谷門実と名を変え登場するが、なんと彼は時計館ではなく、その外側にて行動しているのだ。
そして最後に明かされる犯人の動機と時計を壊した意味は、正に私にカタルシスを存分に感じさせる内容だった。「ああっ、そうだったのか!」とこれほど気持ちよく騙される快感もそう味わえない。

やはり読者が綾辻作品に求めるのは、この過剰さにあると思う。現実の日本とはちょっと位相が違った世界のように感じられる館にて、常識で考えると滑稽だと思われる一風変わった主たちとそれを取り巻く一癖も二癖もある反社会的な人物たち。彼ら彼女らが抱く過剰さと特異な館という異世界の過剰さが読者を異界へといざない、大伽藍を描いてみせる。そんな世界で最後に繰り広げられるのはあくまで地球上の法則・論法に則った謎解き。異界が決して魔法とか奇跡とかで解かれるのではなく、凡人が納得できる一般知識で解かれるところにこの気持ちよさがあるのではないだろうか。そしてそれは世界が過剰であればあるほど、ロジックの美しさを描く、そんな気がする。
特に本作で印象的だったのは、犠牲者の一人が館を逃げ出そうとして出口を開けたときに遭遇する、ありえない光景を見るシーンだ。このありえない光景は最後で明らかになるのだが、そのとき犠牲者が目の当たりにしたのは正に狂気の世界なのだ。この現実世界で気が狂わんばかりの光景というのはどういうものか、それを実に鮮やかに納得のいく常識的論理で解き明かす。ここに私は綾辻マジックの真髄を見た。

そしてこの館を覆う大きな仕掛け、つまり館内の時計を次々に壊す理由を知った時、綾辻氏は神ではないかとまで思ってしまった。ネタバレになるので詳しくは書けないが、当時学生だった私は色々世の中について考えを凝らしており、その中で至ったある真理というのがあった。しかしその真理を綾辻氏は操ってしまったのだ。あとがきで作者もこのアイデアの核を思いついたのは正に天啓だったと述べている。天啓という言葉を使うほど、このトリックは神の支配をも超えるすさまじいものだし、私もこのアイデアには恐れ入ってしまった。
いささか散文的で熱くなってしまったが、当時私が本書を読んで抱いた感慨を文章にするとどうしてもそうならざるを得なかった。『十角館~』という処女作の呪縛を私はこれで氏は超え、更なる高みへ行ったと思ったが、意外と世間の本書に対する評価は冷ややかであるのが不思議だ。しかし私は怖気づくことなく、本書は傑作であると声を高くしてここに断言する次第である。

時計館の殺人<新装改訂版>(上) (講談社文庫)
綾辻行人時計館の殺人 についてのレビュー
No.71: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(4pt)

シリーズの仇花

館シリーズ第4作だが、もっとも賛否両論分かれるのが本書だろう。結論から云えば、上の☆評価が示すように私は否の立場。今まで、特に個人的に好きな『迷路館~』の後ということもあり、期待が過大になったこともあろうが、読後の裏切られた感じは作者の企みに理解を示すものの、完全には払拭できなかった。特に当時は本格ミステリはかくあるべし!というような狭量な視野しか持っていなかったのでなおさらアンフェアと感じたように思う。もしミステリを数こなした今再読すれば、この評価もあるいは、と思ったりもするが。

もともと日本家屋を舞台にしているというのも館シリーズでは異色の存在である(と思っていたら、よくよく調べてみるとそこにある別館の洋館が本書のタイトルとなっている人形館だった)。そこに住まうのが飛竜想一という作家で、なんとも情緒不安定な人物である。彼の手記によって進む物語は終始陰鬱で(まあ、館シリーズ自体、トーンが暗いのではあるが、本書はさらに輪をかけて暗く重い)、読書も思うように進まなかった記憶がある。彼の身の回りに起きる不可解な出来事と連続殺人が事件であり、精神的に追い詰められた彼が島田潔に助けを求めるというのがあらすじ。
このように改めて本書の内容を思い起こしてみると、なるほど綾辻氏はあの仕掛けを成立するために伏線を張っていたことは解る。作者の仕掛けるどんでん返しとそれに呼応して読者が得られるカタルシスは同等ではなく、双方の価値観が合意に達した時、初めて成立する物だというのが本書では新たに抱いた感慨だ。恐らく作者は新本格の旗手としてさらにその名を確固たる物にすべく、クリスティーのあの有名作が当時の斯界に投げかけた衝撃を与えんと思っていたに違いない。実際新書版のあとがきでは読者の反応を期待半分、不安半分で楽しみしているといった旨の記述があるくらいだから、この推測は的外れではないだろう。
しかし結果的にはネット上に上げられている世間一般の感想と各書評子の評価から見て、作者の期待に反する物に終ったと云える。
まあ、館シリーズに咲いた仇花として残る作品だと云えよう。

人形館の殺人 <新装改訂版> (講談社文庫 あ 52-21)
綾辻行人人形館の殺人 についてのレビュー
No.70:
(7pt)

アノ作家の投稿作品収録

このアンソロジーはシリーズ2冊目だが、確か原稿を公募した出版社の予想を超える応募数があったため、パート1と二つに分けて出版されたものと記憶している。従って本書は同時期の応募作によって編まれた物である。
ただ本書では当時既にミステリ作家であった司凍季氏が作品を寄せているだけで、これといった感慨は無い。が、近年になって短編集として刊行された田中啓文氏の「落下する緑」が93年刊行の本書に掲載されているのが特色といえば特色か。第1集はやはり購入者を惹きつけるためにそれなりの作品を集めたようで、また出来不出来の激しい玉石混交感もあったことで逆に特色が出てたが、第2集の本書は全体的に一定の水準の作品(プロ作家の司氏の作品も含めて)が揃えられており、可もなく不可もなくといった感じか。しかし田中氏の「落下する緑」は頭一つ抜きん出た感がある。先にも書いたが、近年になって編まれた田中氏の短編集の表題に同題が使われており、そのとき、既視感を感じ、『このミス』の解説を読んで「ああ、やっぱり!」と思ったものだった。
絵画を題材にした本格ミステリは1作は初期のこのシリーズに収録されており、そのどれもが秀作だったのを覚えている。この「落下する緑」もまた例に漏れず、味わい深い作品である。素人時代の応募作品ながら既に完成された端正さがある。

このとき(学生時分)に読んだのはこの2冊のみ。というのもその時点ではまだこの2冊しか出ていなかったのである。その後、刊行されるたびに買い続け、とうとう全15巻と特別編集版の3冊、さらにその後、二階堂氏によって引き継がれた『新・本格推理』シリーズまで買い続けた。それらの感想についてはのちほど。

石持浅海氏など、現在活躍する作家の登校時代の作品を読むにつけ、やはり後々作家になる人はその他の人たちは違う何かを感じた。プロになって短編集などに収録されない作品などもあるだろうから、資料的な意義から考えると結構貴重なシリーズなのかもしれない。

本格推理〈2〉奇想の冒険者たち (光文社文庫)
鮎川哲也本格推理2 奇想の冒険者たち についてのレビュー
No.69:
(7pt)

新本格興盛期が生んだアンソロジー

島田荘司のミステリで一気にミステリ熱が再燃した私は当時、本格ミステリと名の付く物ならば何でも貪欲に読んでいたが、これもその1つ。光文社が本格ミステリを一般公募して鮎川哲也氏を選者として文庫型マガジンとしてシリーズ化した本書は、当時創元推理文庫の日本人作家作品を堪能していた私にとって、東京創元社が「鮎川哲也と13の謎」と銘打った叢書を刊行し、それに親しんでいたことと、同社が鮎川賞を設立していたこともあって、鮎川哲也=面白い本格という刷り込みがなされており、一も二も無く飛びついたものだった。
しかも当時鮎川氏は立風書房から5巻に渡る本格のアンソロジーを敬愛する島田氏と編んでいたのも、さらなる後押しとなった。今思えば当時この両巨匠は社会派推理小説とエンタテインメント小説に席巻されていた当時のミステリシーンに新本格の旗印の下、本格ミステリの復権のため、このような活動を精力的に行っており、私はその活動に同調し、そのまま乗っていったのだろう。

鮎川氏亡き後、二階堂黎人氏を編者にして『新・本格推理』と名を変え、年1回刊行されていたこのシリーズだが、現在活躍されている作家の中にもここに応募されていた方は多く、後述する以外では大倉崇裕氏、霧舎巧氏、黒田研二氏、蘇部健一氏、田中啓文氏、柄刀一氏、三津田信三氏、光原百合氏などなど、なかなか豪華なメンバーが揃う(以上、Wikipedia参照)。
その記念すべき第1集目の本書にはこのアンソロジーをきっかけにデビューした村瀬継弥氏と後の鮎川賞作家北森鴻氏の作品が掲載されており、その他には前述の島田氏と編んだアンソロジーのうち『奇想の復活』という巻に作品が載せられていた津島誠司氏、すでにプロ作家となって2、3作発表していた二階堂黎人氏、そして一昨年作品集が刊行されたアマチュア作家山沢晴雄氏の作品が盛り込まれている。
その後村瀬氏は2作ほど作品を上梓した後、活動停止状態だが、北森氏の活躍はミステリ読者なら周知の通り。両者の熱心な読者ではないのでこのアンソロジーのみでの判断になるが、読後ほっこりと温かくなる、単純な謎解きに徹していない村瀬氏の作風の方が好みだった。
一方、プロ作家二階堂氏はさすがプロだけに筆達者振りを発揮。ディクスンのHM卿を主人公にしたパスティーシュ作品でその名も「赤死荘の殺人」。
また個人的に注目していた件のアンソロジーに作品が掲載されていた津島氏は期待はずれだった。ちょっと私には受け入れがたいトンデモ本格だった。
その他別の意味で印象に残ったのは太田宜伯という作者の手による「愛と殺意の山形新幹線」。このベタな題名の作品、なんと作者は高校生!従って文章は非常に拙く、人物の性格付けにもぎこちない物を感じた(大の大人が喫茶店に入るのが苦手だという性格はこの作者が高校生だからだろう)。題名から想起されるように時刻表を用いたアリバイトリック物であり、これは選者による鮎川氏の好みと高校生による投稿という意気込みに華を添えたに違いない。

総体的な出来はまあまあというところ。今読むともっと評価は低くなるだろう。なんせこの頃の私は未来の本格ミステリ作家の登場に立ち会えるかもしれないと、かなり新本格にのめりこんでいたのでがむしゃらに手を出していたから、そのときはそれなりに楽しんだ記憶がある。
無論、一度手をつけたシリーズは最後まで読む性質の私。次に刊行された2巻も買ったのは云うまでもない。

本格推理〈1〉新しい挑戦者たち (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也本格推理1 新しい挑戦者たち についてのレビュー
No.68: 8人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(10pt)
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読んで痛快、終わって爽快の大傑作!

世の中、傑作と呼ばれる作品はけっこう多いが、これは正真正銘の傑作。週刊文春が募集した20世紀ベストミステリで見事1位にも輝いた作品。とにかく冒頭から最後まで終始予想も付かない展開でしかもコミカルで敵味方双方のキャラクターも立っており、読後、この上なく幸せな気分になれるというけなしようが無い作品だ。

最初私がこの作品に触れたのは岡本喜八監督の映画版で、原作の存在は知らず、テレビで放送された映画を観たらあれよあれよという間に引き込まれてしまった。そして数年後ミステリに再び興味を持った私は『遠きに目ありて』で天藤作品に触れ、そこで彼の代表作が『大誘拐』というのを知った。そのときは昔観た映画と同じ題名だなぐらいしか思わなかったが、書店で探したところ、角川文庫で主人公のとし子刀自を思わせる暖かな微笑を湛えた老婆が正座する版画図とその右隅に“レインボーキッズ”と名乗っていた誘拐団の面々のイラストが小さく描かれており、そこで初めてあの映画と原作と作者が一致したのだった。

映画が面白かったので原作はなお面白かろうと迷わず購入し、読んだところ、期待以上の面白さ。そのときは単純に映画をなぞるような読書だったが、今こうして内容を振り返るとかなり奇抜なアイデアでエンタテインメント性に満ち溢れた作品だというのが解る。
まず和歌山の山林を所有する大地主の柳川とし子刀自が“虹の童子”と名乗る誘拐団に攫われた。が、しかしなぜかその後の犯行計画の指示を出すのは誘拐された当のとし子刀自。しかも身代金まで自分で決める始末。その額なんと100億円!しかも身代金受渡しの模様をテレビ中継しろという前代未聞の要求を警察に出す。事件の捜査の指揮を執るのはとし子刀自に大恩ある井狩警部。しかし誘拐事件のセオリーからことごとくかけ離れた“虹の童子”らの要求に警察、マスコミそして全国民は翻弄されていく。

と、このようにあらすじを書いただけでもその面白さは解ると思う。誘拐された当人が犯行を企て、さらに身代金は破格の100億円!この作品が書かれたのは80年だが、当時から貨幣価値が下がった現代でもその金額は驚嘆するものがある。誘拐事件を扱ったミステリで作品の肝となるのはやはり身代金の受渡し方法だろう。単純に100億と読者を驚かすだけならば簡単に書けるが、80年代当時、インターネットも無かった時代にネットバンキングで画面上の数字を右から左へ動かすだけで金を送金できるわけもなく、当然受渡しは現金。その量、なんとジュラルミンケース67個分!この大量のお金をどう強奪するのか、このアナログ感覚が実にいい!
とにかく警察の思惑の裏の裏を行くとし子刀自の指示と全く予想が付かないストーリー展開はかなりミステリを読まれた方々でも面白く読めるだろうし、また結末で明かされるある真相は看破できる人はそういないのではないだろうか。

また映画にも触れたい。概ね小説、マンガの映画化作品というのは原作の出来を上回ることは無く、むしろ原作を阻害したと作品を愛する者たちから激昂を買い、けちょんけちょんにけなされるのが常だが、本作においてはそれは全くない。よく「先に読むか?先に観るか?」と云われるが本作はどちらでもよい。前述したように私は最初に映像から入ったクチだが、逆に原作でそれぞれの登場人物が映画のキャストで想起され、イメージ豊かな読書になった。これは映画版のキャスティングが実に優れており、また原作のテイストを損ねることなく、丁寧に作られた証左だと云える。読書中、とし子刀自は北林谷栄氏であり、井狩警部は緒形拳氏で、くーちゃんは樹木希林氏だった。古い作品なのでレンタルショップにあるかどうか解らないが、もし見かけたらこちらも観る事をお勧めする。

読んで痛快、終って爽快のこの作品、私の読書人生で5本の指に入る傑作だと断言する。

大誘拐―天藤真推理小説全集〈9〉 (創元推理文庫)
天藤真大誘拐 についてのレビュー
No.67:
(8pt)

今読むと古さを感じることが障害者への理解が進んだ証

くどくなるが、この作家も創元推理文庫で作品が出ていなかったら、全く手に取ることの無かっただろう。そしてその出会いは私にとって実に有意義な物となった。

本作は脳性麻痺で車椅子生活を強いられている信一少年が成城署の真名部警部が持ち込む捜査が難航している事件を明敏な頭脳で解き明かすという典型的な安楽椅子探偵物の連作短編集。しかし特徴的なのは安楽椅子探偵を務める信一少年が身体障害児であり、それに関する社会問題も提起しているところにあるだろう。収録されている短編の初出はなんと76年と30年以上も前のことながら、90年代になってようやく人々の意識が向きだしたバリアフリー不足の問題など、障害者が社会では生きるのには厳しい状況について触れられているのが興味深い。今その視点で読むと、既に使い古された内容と感じるかもしれないが、私が本作を読んだのは90年代の初めの頃だったので、このような内容は実に新鮮で、けっこう心に響いた記憶がある(まだ純粋だったのだね)。この信一親子にはモデルがあり、なおかつ天藤氏が当時から親交の深かった仁木悦子夫婦との付き合いも手伝って、身障者を主人公にしたミステリを書いたことが解説で触れられている。

で、それだけのミステリかといえばそうではなく、収録されている作品のレベルはなかなかに高い。単純なミステリになっていなく、読後考えさせられる内容もある。
どの作品か忘れたが、特に印象に残っているのは肯定できる殺人はあるかというテーマの作品。殺人は許されるものではないという通念を覆されるような思いをしたものだ。
あとどう考えても本当のような話に思えない証人を探す話は、なぜだか未だに記憶に残っている。

そして全作品に通底するのは天藤氏の人間に対する温かい視線だろう。前にも述べたが身障者に対する社会へのさりげない問題提起に、真名部警部と信一親子との交流(母親に対するほのかな愛情も含めて)と社会的弱者に対する優しさに満ちている。この感覚は宮部みゆき氏の諸作の味わいに似ている。数十年後、作者の写真を拝見する機会を得たが、その顔は優しき微笑を湛えており、この人ならばさもありなんと思ったものだ。
無論のこと、この作家の作品を追いかけることになるが、次に手にした彼の作品が私の読書人生において5本の指に入る傑作との出会いになったのだった。

遠きに目ありて (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)
天藤真遠きに目ありて についてのレビュー
No.66:
(10pt)

これぞ英国ミステリ女王のミステリだ!

本作から文庫本で上下巻による分冊刊行。ちなみにポケミス版は1冊だが、昨今よくある活字を大きくしたり、1冊の分量しかないのにわざわざ分冊にして浮利を得ようとする水増し分冊ではなく、上下巻に値するボリュームを持った作品である。つまり先にさんざん「疲れた、気が滅入った」を連発していた『黒い塔』よりもさらに分厚い作品なのだが、これは非常に面白く読めた。

本書の舞台は教会。教会の中で見つかったのは2つの死体。一人は元国務大臣ベロウン卿。もう一人は浮浪者ハリー。この奇妙な組合せの死に隠された謎を追うのがダルグリッシュなのだが、本作ではダルグリッシュだけではなく、彼の部下と共にチームとして捜査に当たる。今までの作品ではほとんどダルグリッシュの単独捜査だったのだが、よくよく考えるとこれは非常におかしく、現実味がない。それを実現させるためにジェイムズはダルグリッシュが休暇中に訪れた場所で事件に出くわすという手法を採っていたわけだが、仕事でも殺人事件に追われ、休暇でも殺人事件に出くわすということにさすがにジェイムズも無理があると思ったのだろう。しかもダルグリッシュは警視なのだ。どちらかと云えば署に居て、部下に指示を出して捜査を進める指揮官的立場なのに、自ら現場に出向いてしかもあわや一命を落とすという危難に逢ったりする、よく働く警視なのだ。
で、今回はこれが非常に功を奏している。特に部下のうち、女性警部のケイト・ミスキンはどこかコーデリア・グレイを思わせるキャラクターであり、ジェイムズがいかにコーデリアというキャラクターに未練があったのかを匂わせる。この2人が物語に彩りを添え、いつにも増してダルグリッシュのキャラクターに人間くささを感じる。

本書はこれまでジェイムズが得意としていた緻密なまでの人物描写、心理描写の粋が素晴らしい形で結集した傑作となっている。
教会で一夜を過ごした後、急に大臣の職を辞した被害者の1人ベロウン卿。彼の私生活はスキャンダルに満ちており、夫婦のベクトルは御互い違う方向に向いた、決して誉められる物ではない。
その彼がなぜ浮浪者と一緒に殺されたのか?
そして被害者のみならず、今回ダルグリッシュの部下となるケイトの抱える闇も重く、単に男社会で孤軍奮闘する女刑事というステレオタイプの人物像になっていない。この厚みある人物造詣が物語をさらに深くする。
そして今回白眉なのは事件を決定付ける証拠の扱い方だろう。なんとも皮肉というか、綱渡り的というか、いやあ、こういうの、好きだなぁ、本当。

事件は正にこのベロウン卿に尽きる。彼がある特別なことをしようとしたその瞬間に起きたがために実に不思議な状況として警察の前に差し出されたのだ。これはカトリック社会である英国でしか起きない事件だろうし、また爵位など階級が残る社会構造もこの事件を構成する一因だろう。
よくもまあ、このような事件を考えた物だと実に感心する、そして結末に感嘆する作品だ。私は本作でダルグリッシュ警視シリーズ第2期の始まりを告げる作品ではなかったかと今になって思う。今のところ、本作がダルグリッシュ警視シリーズで私が最も好きな作品だ。

死の味〔新版〕 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
P・D・ジェイムズ死の味 についてのレビュー
No.65:
(6pt)

厚い上に細かすぎる描写は読者を選びます。

本作もCWA賞受賞でジェイムズ初期の代表作とされている。前回同賞を獲った『ナイチンゲールの屍衣』から名作『女には向かない職業』を間に挟んで発表された本書で再度受賞だから、この頃のジェイムズはまさに油が乗り切っていたと云えるだろう(ちなみに原書刊行は75年)。

今回もダルグリッシュは静養先で事件に巻き込まれる。よく休む警部だなぁと思われないよう、ジェイムズは一応ある設定を施しており、それはダルグリッシュが死の宣告を受けていたというもの。悪性の白血病に侵され、余命わずかと云われ、治療に専念していたら誤診だったという、なんとも滑稽な導入部である。療養休暇が余ったので、知り合いの神父から相談事があるとの依頼を受けて彼が勤める身体障害者の療養所へ向かい、そこで事件に巻き込まれるというのが本書のあらすじ。日本人だと誤診と解った時点で休暇を取止め、職場復帰するのだが、英国人は折角貰った休日だから有難く活用させていただこうと休むんだなあ。御茶の時間なども大切にするし、これが英国人と日本人の人生における余裕の持ち方の違いか。
で、件の神父は死んでおり、なんだかきな臭いものを感じたダルグリッシュはそこに留まり、色々調べると、そこで疑わしい死亡事故が頻発していることが解ってくる。しかもそこにはその施設の創立者が閉じこもって、餓死したといわれる黒い塔があり、さらに経営者の病気を奇跡的に治したと云われるルールドの水なるものも登場する。なんだかカーの作品みたいな曰くつきの伝承が語られるのが今までのジェイムズ作品に無い特徴だ。この舞台設定を意識してか、物語の語り口もどこか幻想味を帯びているような感じがし、なんだか靄がかかっているかのような雰囲気で進む。

しかしこれが非常に私には苦痛だった。かねてより何度も書いているがジェイムズの文体はうんざりするほどの情報量にあり、今回は登場人物もさらに多く、おまけに特殊な舞台設定でもあるので、人物の説明、描写、舞台の説明、描写がもうページから文字がこぼれんばかりに書かれている。初めから終わりまで全て見開き2ページが真っ黒だった記憶がある。しかもさらにページ数は増し、ポケミス刊行当時、最も厚い本であったらしい。その後、ジェイムズの作品は長大化し、この記録を自ら打ち破っていく。
とにかく陰鬱で重く、しかもなかなか進まない話に私はなんども本を投げ出そうかと思った。その後も色んな本を読んできたが、特にこの本は苦痛が先立ったのを肌身で覚えている。

ただ救われたのは意外な真相だったこと。それとダルグリッシュが犯人によって命を奪われそうになり、本書のモチーフとなる黒い塔に救われるシーンだ。ここで前半描写されたある特徴が一助となり、ダルグリッシュが難を逃れるのだが、こういう布石が最後にちゃっかりと活かされる小説というのを私は非常に好むのだ。
ずっと陰鬱だが、最後はなんだか明るい幕切れで、通常ならば終り良ければ全て良しと前面肯定的になるのだが、本書の場合は本当に気がめいる読書で、読み終って本当にほっとした作品だった。

黒い塔 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
P・D・ジェイムズ黒い塔 についてのレビュー
No.64:
(7pt)

意欲作ではあるのだが。

CWA賞受賞でジェイムズ初期の代表作。本の厚みも1.5倍くらいになり、今のジェイムズの作風はここから本格的に形成されたと云える作品。

看護学校で起きた殺人事件をダルグリッシュ警視(実は『不自然な死体』で既に警視に昇格していた)が捜査に乗り出し、解き明かす。今まで名門の屋敷や休暇で訪れた村など、限定された場所ではありつつも、黄金期の本格をそのまま踏襲する実にオーソドックスな舞台設定であったが、本作以降、教会、出版社、原子力発電所など、舞台は色んな職場を舞台に、そこで働く、もしくは関係する人々の隠された軋轢を解き明かすという趣向に変わっていく。このような舞台設定を採用していくことで、それ以前の作品と違ってくるのは、物語が一種、業界内幕物となってくるところだろう。元々ジェイムズは確か病院の事務か経理をしていたという経歴の持ち主で、最初にこの看護学校を舞台に選んだのは自身が詳しい業界だったからというのは想像に難くない(その後調べてみたら、2作目の『ある殺意』で既に精神病院を舞台にしていた)。これはセイヤーズが自分がコピーライターとして勤めていた広告業界を舞台にした作品を書いたのと合致する、と『不自然な死体』に見られるジェイムズのセイヤーズ崇拝に拍車を掛ける理由付けとして書きたいところだが、概ね作家というのは自分の詳しい世界を舞台に作品を書く傾向があるのでこれはこじつけにすぎるというものだろう。

CWA賞受賞ということで、では何が変わったかというと特にそれほどの劇的な変化は見られず、従来から最たる特徴であったジェイムズの風景描写、人物描写、心理描写が登場人物がそれまでの作品と比べて増していることで、その分増えた結果、このようなページ数の増大に繋がったという傾向が強い。とはいえ、そこに介在する人間の悪意についてはさらに露骨に書かれ、実際その心情を登場人物がぶちまけるシーンもあり、実際に直面するとかなりドン引きだろうと思われる。
こういう誰もが殺人を犯す動機があるという作品は犯人当て趣向の作品では意外性を伴わない危険性があり、本作もそう。特に動機面についてはごく普通であり、CWA賞受賞作という前知識から期待感を持って読むと、ちょっと肩透かしを食らう感はある。実際私はそうで、それが上の☆評価に繋がっている。やはり『皮膚の下の頭蓋骨』のような、目から鱗が剥がれるような動機などあれば、もっと評価は上がるのだろうけど、初期の作品だからしょうがないか。
物語の閉じ方は降り積もった悪意が解き放たれる思いがする。知りたくない人もいるだろうから詳しくは書かないが、既にぎくしゃくして、いつ壊れてもおかしくない状態だった関係性を一旦清算し、新たなる出発を予感させる。これはその後、ジェイムズ作品で一貫して取り入れられている結末だ。

とまあ、『皮膚の下の頭蓋骨』、『罪なき血』と後の傑作を先に読んでしまったがためにその後に読んだダルグリッシュシリーズがこのような評価になってしまうのは残念なところ。原本の刊行順で読めばまた感想も変わったかもしれない。

ナイチンゲールの屍衣 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
P・D・ジェイムズナイチンゲールの屍衣 についてのレビュー
No.63:
(6pt)

死体は不自然なのだが…

両手首を切断された男の死体がボートの中で見つかり、たまたま休暇を利用してその場所を訪れていたダルグリッシュが捜査に当たるというのが大筋。題名はこの両手首を切られた死体を指しており、わざわざその状態に焦点を当てているならば、作品の謎は犯人は誰かに加えて「なぜ死体は両手首を切断されたのか?」という謎が言及されるわけだが、あまりこの理由について目が開くようなロジックが展開されるのではないというのが正直なところ。

本作はこのダルグリッシュシリーズ、いやジェイムズ作品全般において、私にとって1,2を争う印象に残らない作品である(もう1つは『ある殺意』)。もう漠然とした印象しか残っていないのだが、なんだか文章が上滑りしたような感じがし、珍しくすいすい読め、さらにジェイムズ作品の中でもページ数の少ない作品であることもその原因だと云えるだろう。
あとこれは後にセイヤーズのピーター卿シリーズを読んでから気づくのだが、ジェイムズはセイヤーズをリスペクトしており、本書の題名もセイヤーズの『不自然な死』に由来して(あやかって?)いるらしい。そして最後のクライマックスシーンはセイヤーズの某傑作でのシーンをそのまま拝借したとのことで、これは云われてみて気づいたことである。

ちなみにセイヤーズの『不自然な死』は私にとっては非常に満足する作品だったが、そのオマージュのような本作の評価は上の通り。古今英国女流ミステリ作家の対決は本家が上だったといえよう(まあ、まだこの頃は駆け出しだったんだけどね)。

不自然な死体 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
P・D・ジェイムズ不自然な死体 についてのレビュー
No.62:
(6pt)

本の厚みは薄いが中身は濃いです。

アダム・ダルグリッシュ警部シリーズ第1作目にしてジェイムズデビュー作。現在刊行されている彼女の諸作品からは想像がつかないほど、本の厚さが薄いことに驚かされるだろう(大げさか)。本の薄さと相まって物語もシンプルだが、では内容も薄いかというとそうではない。

物語は富豪の旧家で起きたメイド殺しの捜査にダルグリッシュ警部が乗り出すというもの。富豪の家で起きた殺人事件で当然容疑者はその屋敷に住む人間達と従事する人々という、実にオーソドックスなミステリに仕上がっている。で、この事件を捜査するにつれ、表面では見えなかった人間関係の綾、愛憎入り混じった御互いの感情などの相関関係が浮き彫りにされる。このスタイルはジェイムズ作品特有のものであり、すでにデビュー作から彼女の創作姿勢は一貫しているといえるだろう。特にある感想でも既に述べているのだが、元々ジェイムズ作品の舞台となる場所というのは、実は裏側に潜む悪意などで、ぎくしゃくした人間関係が微妙な均衡で保たれており、それが殺人という行為が崩壊の序曲となり、ダルグリッシュが関係者を彼ら・彼女らに新たな方向性を指し示す導き手という役割を担っていることだ。本作でも外から見ると何不自由なく、平穏無事にその暮らしを継続しているような旧家の人々が実は危うい均衡の上で関係を成り立てさせており、その中心に被害者がいたと解る。

そしてジェイムズがこのデビュー作で最もやりたかったことは被害者の人物像を浮き彫りにすることだろう。通常殺人を扱ったミステリならば、動機を探るべく被害者の周辺を容疑者たちの間を渡り歩くことで犯人像を浮き彫りにしていくのだが、本作では被害者となったメイドの隠された本性が捜査によって見えてくる。未婚の母にして富豪の長男との婚約にこぎつけた、シンデレラのような女性が、実は・・・と解ってくるのはなかなか面白い。
だからといって本作が面白いかというとそうでもない。後の長大重厚作品に比べれば読みやすいものの、既に本作からくどいまでの緻密な描写が盛り込まれており、ミステリ初心者にはすんなり読める類いのものではないだろう。ミステリを求める向きの方々よりも濃厚な人間ドラマを求める方の方が性に合うと思える作家だ。

女の顔を覆え (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 129-6))
P・D・ジェイムズ女の顔を覆え についてのレビュー
No.61:
(10pt)

最高の人間ドラマ

ジェイムズ作品で数少ないノンシリーズの作品。今のところ、これが私にとって彼女の№1作品だ。

離れ離れになっていた実の両親を探り当てたらなんと父親は少女暴行罪で獄中死、母親は少女殺害の罪で服役中だった。そして母親はもうすぐ出所するという。主人公の女性は彼女に逢いに行くことを決意する。
そしてまた殺された少女の父親もその母親の出所を待っていた。彼女に復讐するために・・・とどう転んでも悲劇にしかならない重い設定。だからこの本を読んで爽快感というのは得られないことをまず云っておく。
そしてストーリーはもうこのゼロ時間に向かって進んでいく。変にトラブルが生じるとか、予想外の事態に巻き込まれるとか、そういったことは一切なく、当事者は“その日”が来るのを淡々と待つのだ。

しかしこれが読ませる。ジェイムズの時にくどいまでの人物描写の精緻さは定評があるが、この2人の相反する立場の人々の心の移ろいを実に丹念に描いていく。
特に復讐者である少女の父親が、普通考え付くような積年の恨み辛みを晴らさんべく、ギラギラしたような人物ではなく、どこにでもいそうな小心者として描かれているのが、実に身近に迫っていいのだ。娘の復讐にやぶさかではないが、では殺される前に自分が身を呈してそのとき娘を守れたのか?という思い惑うところまで描いているのがジェイムズらしい。
そして最後に明かされる事件の真実で最後に物語は一転する。
単純に善悪で割り切れないところにこの小説の醍醐味はあり、読後深く考えさせられる。で、こういう小説だとジェイムズ特有の重厚な心理描写が実に活きてくる。物語の構造がシンプルなだけにそこに至る道程で関係者が孕む心の移り行きが非常にコクのある内容で語られる。

決して読後爽やかになる話ではないが、ジェイムズの特質がもっとも現れた作品としてぜひとも読んで欲しい作品だ。

罪なき血 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
P・D・ジェイムズ罪なき血 についてのレビュー
No.60: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

シリーズ2作目は重厚長大な本格ゴシックミステリ

女探偵コーデリア・グレイシリーズ2作目にして最後の作品。前作とはうってかわって、今度は孤島で起こる殺人事件の捜査にコーデリアが当たるという、古式ゆかしい黄金期のミステリのような本格ミステリ風作品になっている。
コーデリアの事務所を訪れた元軍人。彼の妻は女優であり、彼女宛てに数日来から脅迫状が頻繁に届いているのだという。彼の依頼はその妻が今度古城を頂く孤島の持ち主より公演の依頼を受けた、ついてはコーデリアに滞在中の身辺保護を頼みたいというものだった。
ヴィクトリア王朝様式の古城に招かれた人々は一見裕福そうに見えるが、それぞれに問題を抱えている、とミステリの王道を行くシチュエーション。

後にジェイムズ作品を読み進めていくうちに判ってきたのだが、この誰もが何か問題を抱えた人間が一堂に会しているというのはこの作家の作品の最たる特徴である。まだ本書では古城の内部を彩る豪華な調度品や島の風景の描写も精緻を極めており、これもジェイムズ作品の特徴の1つであることが後々解ってくる。つまり本書はジェイムズが本来の創作作法に則って書いた作品であり、『女には向かない職業』の方が、ジェイムズ作品としては異色だったということになる。
前作にも増して2倍以上はあろうかというボリュームと、見開きページぎっしり書かれた文章とで、1時間に40ページくらいしか進まなかった記憶がある。そんな小説は読み疲れして、早く終われ、早く終われと呪文のように頭の中で繰り返し、苦痛を感じながら読むのが私の常だった。
本作でもそうだった。特に前半はほとんど登場人物らの相関や事情、古城ならびに島の描写に筆は費やされており、事件が起こるのは半ばぐらいだったように思う。その事件も密室殺人などといった本格ミステリならではといった派手さもなかった。しかし、コーデリアが犯人の動機を探り当てる段になって、この重厚さによって私の目の前にかかっていた靄が一気に雲散霧消した思いを抱いた覚えがある。今読んでみて、この動機がそれほどのカタルシスをもたらすかどうかは判らないが、当時は「おおっ!」と声を上げたものだ。ネタバレになるので詳細は書かないが、この動機を期待しすぎるとガッカリする方もおられるだろう。しかし私はこういうのが好きなのである。まさしくこれは好みの問題と云えるだろう。
そんなわけで私の評価は1作目よりこっちの方が上。従って1作目を気に入った方は同趣向の作風を求めると、肩透かしを食らって、さほど楽しめないかもしれない。

しかしなぜ早川書房はこのシリーズを先に文庫化したのだろう。それがために私はダルグリッシュ警部シリーズを読むことなく、このシリーズを読むことになってしまった。元々早川書房は原書の刊行順に関係なく、売れ筋の本から訳出、刊行する傾向があったので、恐らくジェイムズ作品も比較的とっつきやすいコーデリア・グレイシリーズを文庫化したに違いない。ま、そんなことをぐだぐだ考えても意味のないことなんだが・・・。

皮膚の下の頭蓋骨 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 129‐2))
P・D・ジェイムズ皮膚の下の頭蓋骨 についてのレビュー
No.59:
(7pt)

今なおリスペクトされる女性探偵第1号

英国女流ミステリの大家P・D・ジェイムズ。彼女の代表シリーズといえばアダム・ダルグリッシュ警部物が連想されるが、それと双璧を成すのが本作を1作目とする女探偵コーデリア・グレイシリーズだ。しかし双璧と成すと云えど、実際にはこのシリーズ、たった2作しかない。なのに読者の支持は非常に高く、3作目を期待する声もあるほどだ(結局書かれなかったけど)。その人気の秘密は主人公コーデリアにある。突然勤めていた探偵事務所の上司の自殺でその事務所を弱冠22歳で引き継ぐことになったコーデリア。彼女のこの若さゆえにまだ残る純粋さが時に武器になり、時に仇となり、まだ彼女にとっては狭い社会との軋轢に悩まされるその姿に多くの社会で働く女性が共感したのだろう。
そんなコーデリアが引き受けた依頼は大学を中退し、自殺した青年の自殺した理由を突き止めて欲しいというもの。最初に手がける事件として、これほどコーデリアに向いている物もないだろうと思わせる、実に上手い内容だ。

とはいえ、事件はさほど印象に残るようなものでもなく、本作の主眼はやはりこのコーデリアが世間に揉まれ、亡き上司の教えを思い出しながら、徒手空拳で事件を探っていくその姿にある。特に私は捜査の途中、コーデリアが古井戸に落ちてしまい、そこから這い上がるシーンがあるが、そこにいきなり右も左もわからないところから必死に這い出ようとしているコーデリアの心情がメタファーとなっており、非常に印象深く残っている。

また本作の歴史的価値も高く、私がミステリを読み始めた頃、世間ではサラ・パレツキーやスー・グラフトンらに代表される4F物なる、女探偵を主人公にした作品が流行していたが、本作はそのブームに乗じた物ではなく、それに先駆けること10年以上も前に書かれた本格的女探偵物だということだ。ちなみに4F物とは作者、主人公、読者、そして日本では訳者が全て女性(Female)という意味。

が、そんな名作も、当時まだミステリ読みとしてはさほど冊数をこなしていない私にしてみれば、いささか退屈を感じたのも正直な気持ち。特にこの作品は章立てが少なく、1章が60ページぐらいあったような記憶があり、細かい章立てでいつでも読み止める事が出来る日本その他の小説に慣れていた私にとって、ちょっと読みづらかった。私はどうもある区切りがないと、読み止めることが出来ない性質なのでこれにはちょっと困った。

小説には読む時期というものがある、というのが持論だが、正にこれはそういう意味では読み時期を見誤った作品といえよう。いつか機会があればもう一度読み直してみたい。


▼以下、ネタバレ感想
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女には向かない職業 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
P・D・ジェイムズ女には向かない職業 についてのレビュー