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日本沈没
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【この小説が収録されている参考書籍】
日本沈没の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全109件 81~100 5/6ページ
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現実と異なる部分もあります。通産省・国鉄・電電公社は、今の読者からすると「?」でしょう。携帯電話も登場しません。新新幹線や珍妙な高層ビル、大型コンピュータ、映像デバイスの描写も古臭い。 しかし、そんな事は瑣末事で、本作の真価は大地震のメカニズムの実に丁寧な解説と、架空の理論に基づく「地震規模の超巨大化」 そして、政治・経済・社会の大混乱を描き切った点にあります。関東・関西の大都市を襲う大津波、引き裂かれる山体崩壊の恐怖、避難活動中にも容赦なく襲いかかる、日本列島崩壊に伴う諸々の大災害は、近年の大震災とその後の大混乱と重なる部分が多々あります。 いつか必ず来るであろう第二次関東大震災をも予言していると言っても過言ではないでしょう。私は被災し、大震災がいかなるものか知りました。本作のような良質のフィクションやノンフィクションを通じ、もっと多くの人に知って欲しい。それはおそらく、予想される被害を抑える事に直結します。 | ||||
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おの忌まわしい「東関東大震災」が発生し、かつまた、これから更なる「大地震」が発生する懸念が高まっている現時点で、この世界一とも言われている「地震大国日本」に生まれ育ってきた者としての「心構え」を検証するには最適な書です。「まさか」と思われる「日本列島沈没」も現実性を帯びるような現時点で、万が一にそうなった場合はどうなるのか、どうなって行くのか、切実なまでの描写はまさに日本列島沈没の「シュミレーション」を見せられている感を強く感じるのではないでしょうか。それには先ず「日本列島沈没上」を熟読下さい。映画とは全く異なる世界へ貴方をきっと誘う事でしょう。また、この恐ろしい自然の驚異はどうやって始まるのか、様々な科学的なデータに裏打ちされた文章表現にドンドン引き込まれていく事うけあいです。 | ||||
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「日本沈没上」に続き「日本沈没下」は否が応でも読まずにいられません。 大震災が迫りつつあるといわれている現在、万一、この日本が海底深く沈没をして行く様な事が起こったら、一体どうなるのか、ある意味、其の時の「覚悟」を迫る書です。 必ず「上」を熟読してから、「下」をお読みになる事をお勧め致します。 映画では決して表現の出来ない様々な「想い」が貴方の頭の中で交錯することでしょう。 | ||||
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30年前に本書を読んでおりまた同タイトルのTVドラマも毎週楽しみに見ていたのを良く覚えております。 今次、昨年3月の東日本大震災に遭い、本書の内容が脳裏にくっきりと浮かんできたのが再び本書を手にした理由でした。 読んでビックリ。列島が渋み行く際に海底が何メートルも隆起や沈降をしたり。これまでそんなことが起こるとは考えられなかったことがここにありました。 余りの迫力とスピード感で上下巻をあっと言う間に読み終えてしまいました。 今次の災害の悲惨さは言うまでもありませんが、本書で記述されている首都直下型地震のあり様はいつそのような事態になったとしても心の準備をしておくという意味で認識をしておく必要があるでしょう。 物語としても日本列島、日本国民とは突き詰めていくと何か国家とは国際社会とはと、本書は多くの重たい問いを問いかけているとも言えます。 | ||||
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30年前に本書を読んでおりまた同タイトルのTVドラマも毎週楽しみに見ていたのを良く覚えております。 今次、昨年3月の東日本大震災に遭い、本書の内容が脳裏にくっきりと浮かんできたのが再び本書を手にした理由でした。 読んでビックリ。列島が渋み行く際に海底が何メートルも隆起や沈降をしたり。これまでそんなことが起こるとは考えられなかったことがここにありました。 余りの迫力とスピード感で上下巻をあっと言う間に読み終えてしまいました。 今次の災害の悲惨さは言うまでもありませんが、本書で記述されている首都直下型地震のあり様はいつそのような事態になったとしても心の準備をしておくという意味で認識をしておく必要があるでしょう。 物語としても日本列島、日本国民とは突き詰めていくと何か国家とは国際社会とはと、本書は多くの重たい問いを問いかけているとも言えます。 | ||||
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「日本沈没」は地震の阿鼻叫喚を描いた単なるパニック小説ではない。 そのかわり前半部には科学的な解説がたくさんあるし、政治やら社会やら、はては日本人論まで繰り出されるから、 こちらは脳みそが沸騰しそうになる。 エンターテインメント小説として読むと、あまりの歯ごたえに面食らうのだ。 これはSFなのか?現実の記録なのか? 震災の後で読むとわからなくなってくる。 | ||||
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本作で小松左京氏が真に描こうとしたものは、拠るべき国土を失うことで世界の孤児とならざるを得ない民族の悲しみと絶望、そしてその後の過酷な流浪の姿だった。 その国土喪失の理由を地殻変動による日本列島の崩壊・海没としたわけだが、そのスケールの大きさゆえに筆がなかなか進まず、そうする内にも様々な社会情勢の変化で次々と加筆・訂正を余儀なくされ、結局列島沈没までを「第一部」とした本書の上梓に9年という月日がかかったと、'73年の映画公開の頃、某メディアで氏が語っていたのを覚えている。 それだけの年月と工数をかけただけに、その内容は緻密かつリアル。それまでは地質学上のごく専門的な知識だった「プレートテクニクス理論」や「マントル対流」などといったものが、本書をきっかけに一般に広く知られる様になった。 また、当時高度経済成長期真っ只中で様々な分野に大きな影響力を持ち始めていた日本という国が無くなる事により生じる、世界各国間のパワーバランスの変化とそれをめぐる駆け引きがリアルに描かれているのが、今読み直しても非常に興味深い。 災害描写も生々しい。直接描写の部分もさることながら、災害による交通網の寸断で生じる物資不足とそれによる混乱など、今回の震災で実際に起こった様な状況がそこかしこにちりばめられ、そのリアルさにある意味慄然とさせられる部分も多い。40年前にこういったものを描き切った氏の分析力・筆力には驚愕せざるを得ない(巨大地震で首都高が崩壊する場面は、出版当時ある識者からあり得ないと批判されたらしいが、残念ながら阪神大震災で実際に起こり得る事が証明されてしまった)。 3月の震災による深刻な影響がまだ色濃く残るいま、この作品について賛否両論が出るのは仕方ないだろう。だが同時に、今だからこそという考え方もあると思う。シミュレーション小説としても秀逸な一面を持つこの作品、未読の方へは「未来への警鐘」としてご一読をおすすめしたい。 | ||||
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あらゆる面で、大きい人とされる小松左京だが、実は書きたいことの百分の一も書けないまま惜しくも逝ってしまったのではないか?この作品の第二部を谷甲州に委ね、『虚無回廊』は未完。未来の悲劇をあらかじめ再現するSF。希望に着地するために。燃えろ、SF魂!今こそ原点に回帰するために。 | ||||
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いくらフィクションだからと言って容易に人々を怖がらせるのは良くない。 3月11日、主に津波で沢山の日本人が亡くなった。 地震が頻発する日本においてこのような根拠のない不謹慎な内容は控えるべきだと思う。 この本は災害によって亡くなった方やその家族への冒涜だ。 3月11日以降にこの本を楽しんで読むことができる人は精神科に行ったほうが良い。 | ||||
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東日本大震災の後に読んだために 現実のこととして多くの事象が体感できた。 9年もかけて綿密に科学的・地質学的なことが立証されて いる上に、一つの国が沈没することで いかに多方面(対外関係の緊張・駆け引きや諜報活動、 国民の大移動、学者同士の対立、国の財産の保持など)での 決定や実行が機能的且つ迅速に動かなくてはならないことが 実によくわかるし、こうして文字にすることと 実際の動きとは全く違って 為政者や各方面のトップはほとんど 気が遠くなるような胆力がいることがわかった。 そして、この本出版後に起こった阪神大震災の情景が まるで「既視感」を感じさせるものだというのがすごい。 これに原発をからめたものが 東日本大震災なのだろう。 | ||||
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最初に読んだのは高校生のときだった。映画版も公開され、ほぼ同時期に両方に接した。もちろん映画は藤岡弘主演のものである。どちらも興奮したことを覚えているが、特に小説の緻密さと現実感には驚愕した。 当時はSFといえば未来、または近未来を扱うのが当たり前であり、ほぼ同時代を舞台にしたSFは新鮮でもあった。日本列島を沈没させるために、地球物理学や地質学の最先端の知識が総動員されており、生じるクライシスが的確に描写されている。地震、津波、原発に対する危機感等が身近な今こそ、本書を読む意味がある。 ストーリーだけを単純に追えば、震災を扱ったパニック物というくくりもできる。しかし、本書が初刊当時に評価されたのは、内包された情報量とその処理である。単なる情報のたれ流しではない。そして、運命論というか日本人論というか、著者の主張するところはおそらく、“世界の中での日本人のポジション”ということだと思う。これは現在では、本書の初刊当時より低いのではないか。日本人のひとりとして、もっと頑張らなければいけない、という気持ちを奮い立たせる作品でもある。 そして、日本列島という土地を愛する、という気持ちを、強く駆り立てる作品である。 | ||||
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2006年の夏に某大学で小松左京先生にお会いして以来、私がアマチュアでありながら趣味として続けている小説の描写力に大きな影響を与えてくれたSFの大作です。かの1954年の映画「ゴジラ」の原作である、香山滋先生の「ゴジラ、東京にあらわる」と肩を並べると思います。 | ||||
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本書は私が小学生のときに読んだ作品で、それまで大人が読むような小説は一度も読んだことがなかったが、ものすごく面白くて家族中で後編が出るのを待ち遠しく思っていたことを記憶している。 そのころやはり流行っていた『ノストラダムスの大予言』とともに、終末ブームの頂点の作品だった。 | ||||
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書店で日本沈没第2部(上下)なるものを見つけた。最初のあたりを斜め読みした時点で、「第一部」なるものを読み、それをベースに読まないと絶対に楽しめないだろうと判断。しかし30年前の作品ということで、どの書店にも、もはや存在せず、古本を手に入れた。 当時日本中がこの話で沸き返った作品とあって、中身の濃い話だった。 日本列島が沈むという地球規模のメカニズムが非常にリアルで、まるで、自分が立っている大地が今裂けてもおかしくないような気分にさせられた。 小松左京氏は最後に「この作品は完全なるフィクションであり、いかなる実在の人物、事件もモデルにしていない」とわざわざ付け加えた理由もおおいにうなずけた。 一方、田所博士や若き研究員達をはじめとする個々の登場人物、一般庶民の動向、政府の動向など、人間の細やかな心理描写も見事。 規模の全く異なる話が、緻密に絡まって、非常に読み応えのある作品だった。そして、なんといっても「日本国」あるいは「日本国土」、「日本人」ということを、改めて考えさせられた。 読後、「異変後の日本国、日本人」はいったい今後どうなるのか?大いに気になる作品だ。小松左京氏自身も、これを書き上げた直後から構想を暖め、実に30年の時を経て、日本沈没第2部(上下)が登場となったわけだ。 | ||||
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1973年3月に出版されたこの作品は、瞬く間に流行語、社会現象になって、同年12月に正月映画として公開。さらにTV版、ラジオドラマ版が作られるという大ヒット作になった。 私は当時わずか10歳だったけれど、父が買った新書版を読んで、今回文庫版を改めて読んでみて30年以上経過していまだに記憶に残っている文章の多いことに驚いた。 1964年の「東京オリンピック」で、世界に戦後からの復興を印象付けてからわずか10年余、何もかもが右肩上がりだった時代で、景気が良ければ逆に漠然とした不安も意識の底に薄く淀むような、そんな時代だったかもしれない。 本書の中で活躍する男たちは、戦災を経験して焼け野原から今の日本を再建してきたという記憶を持った人物が大勢登場する。前半の京都、東京の大地震を経験するあたりは特に、このくらいの震災はなんとかはねのけて頑張るぞ、という前向きな強い意志がそこかしこに溢れている。 今では彼方に霞んでしまった「日本人の生命力」がこんなにも輝いていることに改めて感銘を受けた。 「2006年版の映画」と比較すると色々面白い。 一番大きな違いは、小説は学会のアウトサイダー「田所」が日本近海の底に異変を見つけて秘密裏にそれが日本にとって何を意味するのか調べるところから始まるのに対して、映画は「日本は沈没します」と、米国の権威ある学会が発表して公知の事実とされるところから始まるところ。 小説では事実が国民に明かされるのはページ数にしては75%くらいまで進んでほとんど終盤になってから。つまり、映画は「小説の最後の25%」に前説をつけたものとも言える。 日本沈没はハードSFだ。「地球物理」をテーマとしたSFはそれまでほとんど無かったのではないか。火山の噴火を扱った「災害小説」や最近では地球温暖化を扱った「環境問題小説」は存在するが、大規模な地殻変動を直接テーマにしたSFはほかに例を見ない。 1973年当時はすでに忘れられていた「大陸移動説」がようやく再浮上して科学的に根拠が見つかり始めた時代で、現代のバイオテクノロジーやナノテクノロジーが盛んに SFのテーマになっているよりもまったくマイナーな科学分野を発掘して、まだまだ未開拓の部分をSF的にアレンジしたものだ。 だから、どういう仕組みで日本を沈めるのかということが、科学者の調査の描写や図解を交えて詳細に描かれていく。ここは映画ではほとんどさらっと流されている。 映画版で日本沈没のメカニズムとして使われた「メガリスの崩壊」は、最新の地球物理学で実在が確実視されている最新理論という点では、本家のアプローチに近いものがあるが、図上で事実として説明されるだけに終わっているのは残念だ。 実際にはメガリスの崩壊は過去地球規模の大噴火、気候変動の引き金となり生物種の大量絶滅の原因となったと思われていて、科学としては相当面白いネタではある。 着眼点は素晴らしいから、映画もじっくり膨らませて面白くなる可能性は有ったと思われる。 科学者の活動の裏では、秘密裏に政治経済の分野で日本人の避難計画が進んでいく。 これも、前半科学者の活躍以上に詳細に書き込まれている。だが映画では政治の問題も極めて簡略化されている。 小説のリアリティーを支えているのは、災害の描写の克明さだ。 小説では京都や東京など、大都市圏がかなり早い段階で大震災に見舞われて壊滅していき、首都機能の麻痺が問題にもなるのだが、映画では北海道と九州の大噴火から始まって、東京には地震が頻発するけれど、まったく壊滅には程遠い。 小説の記述は、戦災による焼け野原を経験した作者だから書き込めたリアリティーや人間心理の細やかなところが素晴らしく、迫ってくるところがあるけれど、映画は山が爆発したり大地が裂けたりという描写をコンピュータで描くのは簡単だけれど、流石のCGも、日本全国津々浦々の都市が崩壊していく様を書き込むのは大変すぎて「逃げた」と言われても仕方ないのではないか。 日本が沈む…というのに、下町の小さな居酒屋が最後まで健在で主人公たちがまったり生活しているのでは、まったく危機感が浮かび上がってこない。 映画が「日本沈没」を阻止してしまったのにも驚いた。 映画の政治家が「どうせ半分くらい死ぬんだから、難民受け入れの定員はこの程度確保できていれば問題ないんだ」などと開き直っているのに対して、小説に登場する人々は最後の1人まで助け出そうと必死の救助活動を展開して、救助隊の犠牲もまた増えていく。 日本と一緒に沈んでも良いと思っている老人たちも印象的だし、若者たちはやっぱり考え無しに立ち入り禁止区域に潜り込んで迷惑をかけるのも居る。 そんな人間ドラマが延々と展開していく。 そこに、同胞のために命を懸けて働く人たちの尊さを感じる。 映画も「同胞のために命を懸けて働く人」が描かれるのだが、地道な救出活動ではなくて、日本人の半分が沈むならば、沈没そのものを食い止めて見せようという大技だった。 小説のエピローグは日本と共に沈んでゆく人たちの心情と、海外に散っていった日本人の行く末を案じて、第二部の展開を思わせる余韻のある話になっているが、映画は「命を懸けて日本の沈没を防いだ英雄の賛美」で終わっている。ズバリいってアメリカ的だ。 緻密に構築した舞台の上で、人がどう行動するかをシミュレーションしていくのがハードSFであり、日本沈没は徹底して真面目に書かれている。 人間の行動がリアルだから、これが社会現象になるほど読まれたのだろう。 そこには戦後に復興をやり遂げた日本人の自然な愛国心が溢れている。失われていく国土と人間、有形無形のあらゆるものに対する優しさがある。 SFだからこそ、日本人を描くことに成功した傑作なのじゃないかと思う。 | ||||
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なかなかおもしろいパニック小説でした。 日本が沈没してしまうというアイデンティティーが はじまり、日本各地を地震が襲ったり、火山が 噴火するというパニックの場面は、映画でも 恐ろしいですが、小説も怖いです。 なかなかおもしろい本でした。 | ||||
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ほんとに怖いパニックが起こり始めます。 映画も恐ろしかったですが、小説では想像しながら 読むので怖いです。 「お願いだからほんとに沈むのはやめてください」 | ||||
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昔から^-^;)/在るのは知っていたのですが、映画になったり、漫画が連載されたりで読んでみました。ちょっと古さはありますが(電話をかけにいくところなど)、古典的によくかかれたお話だと思います。 しかし、読んでいて、1970年当時と今の日本とそんなに変わっていないような印象を受けたのはちょっと面白かったです。30年経っても人間は変わらないのでしょうかね。 | ||||
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出だしは、面白そうだという期待を持たせてくれる。が、最初の100ページほどは、はっきり言って退屈である。しかし、前半の途中から、物語は急展開を見せはじめる。中規模の地震がひんぱんに起こり、休火山が次々に噴火する。そして、災害はその規模を増していき、ついに「その時」が来る… 東海地震、東南海地震、南海地震が同時に起こるかもしれないと懸念されている今、日本沈没の部分は除いて、地震の描写などは決して絵空事ではない。 ひとつの国が消滅するということがいかに大変なことか、この本は明確に示してくれている。国土を失うということは、単に生活が不便になるなどというなまやさしいものではない。国という存在によって私たちのアイデンティティーは成り立つ。それを失うということは、自分を作っている基盤が崩壊するということである。自分を取り戻すためには、自己の根底にあるものを再構築しなければならないのだ。それがどれだけ難しいかは、考えてみれば分かるだろう。 小松左京は、決して文章がうまい作家ではない。情景描写も、他の作家に比べて、真に迫っているとは言い難い。にもかかわらず、この小説は、人の心を引きつける。書かれた当時としては斬新な構想と、スケールの大きさで、十分読者を引っぱっていくことができる作品になっている。構想の勝利といえる。 | ||||
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出だしは、面白そうだという期待を持たせてくれる。が、最初の100ページほどは、はっきり言って退屈である。しかし、前半の途中から、物語は急展開を見せはじめる。中規模の地震がひんぱんに起こり、休火山が次々に噴火する。そして、災害はその規模を増していき、ついに「その時」が来る 東海地震、東南海地震、南海地震が同時に起こるかもしれないと懸念されている今、日本沈没の部分は除いて、地震の描写などは決して絵空事ではない。 ひとつの国が消滅するということがいかに大変なことか、この本は明確に示してくれている。国土を失うということは、単に生活が不便になるなどというなまやさしいものではない。国という存在によって私たちのアイデンティティーは成り立つ。それを失うということは、自分を作っている基盤が崩壊するということである。自分を取り戻すためには、自己の根底にあるものを再構築しなければならないのだ。それがどれだけ難しいかは、考えてみれば分かるだろう。 小松左京は、決して文章がうまい作家ではない。情景描写も、他の作家に比べて、真に迫っているとは言い難い。にもかかわらず、この小説は、人の心を引きつける。書かれた当時としては斬新な構想と、スケールの大きさで、十分読者を引っぱっていくことができる作品になっている。構想の勝利といえる。 | ||||
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