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最後の喫煙者



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最後の喫煙者―自選ドタバタ傑作集〈1〉 (新潮文庫)

2002年10月30日 最後の喫煙者―自選ドタバタ傑作集〈1〉 (新潮文庫)

ドタバタとは手足がケイレンし、血液が逆流し、脳が耳からこぼれるほど笑ってしまう芸術表現のことである。健康ファシズムが暴走し、喫煙者が国家的弾圧を受けるようになっても、おれは喫い続ける。地上最後のスモーカーとなった小説家の闘い「最後の喫煙者」。究極のエロ・グロ・ナンセンスが炸裂するスプラッター・コメディ「問題外科」。ツツイ中毒必至の自選爆笑傑作集第一弾。 (「BOOK」データベースより)




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No.38:
(5pt)

だが、よく聞け。あいにく説明はないのじゃ。うむ。説明は、何もないのじゃ。

非常に作品数が多い筒井康隆には、数多くの傑作集が存在するので、過去に読んだ作品と再び鉢合わせする機会も度々あるのだが、再録されるのはやはり面白いからであって、まぁどっちみち短編なんだから気にせずパーっともう一回読んでやってしまえということになる。そして、どれもこれもとんでもないパンチを雨あられとこちらに見舞ってくる。再読のものも勿論遠慮無しにバチバチやってくる。

さて、本書は自選したドタバタものを編んだものだ。
奇怪な状況の到来、狂った世界はエスカレートしていく一方でどんどん激しさを増していく。そこに言葉遊びも相俟って、もはや手が付けられない。
筒井氏のドタバタはクセがかなり強い。馬鹿ばかしくもクセが強いという様な作品はまだ良いのだが、こここ、これは非道い、と思わずにはいられない程、正に字の如く非道を極めたブラックなものも数多く、実に笑える。あ、い、いや、女子供には見せられない。更に、エロ・グロ・スプラッターも加わった「問題外科」は、どう考えてもイっちゃってる。ひひ、ひひひひ。
ヘビースモーカーの小説家と、暴走した健康ファシズムとの闘いを描く表題作「最後の喫煙者」は、ドタバタというよりも理路整然とした文章で、ぐぐぐと読ませてくれる。オチもキッチリついていて筒井氏の筆力のお手本の様な話だ。
「老境のターザン」では、会話主体のギャグが切れが良く、幾度か思わず吹き出した。
本能寺の変の直後の秀吉陣営の姿を描いた「ヤマザキ」は、途中迄は文献を元に推敲したかの様な、至って真っ当に秀吉の戦略を辿る展開を見せておいて、突如として電話機、新幹線ひかり号、電器剃刀やらトラック便、はたまた国道2号線といった現代のツールが登場しまくるといったナンセンスな展開となる。そうして散々好き放題書き散らかしておきながら、ラストは投げっぱなしで済ませるという快作である。
そう、同じ滅茶苦茶でも、筒井氏は作品によって作風を使い分ける。飽きのこない小説家なのである。

収録作品
「急流」
「問題外科」
「最後の喫煙者」
「老境のターザン」
「こぶ天才」
「ヤマザキ」
「喪失の日」
「平行世界」
「万延元年のラグビー」
最後の喫煙者―自選ドタバタ傑作集〈1〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:最後の喫煙者―自選ドタバタ傑作集〈1〉 (新潮文庫)より
4101171432
No.37:
(1pt)

ちゃんと考えて欲しい

商品自体はとても綺麗だったのですが、検品済のシールを本にそのまま貼られていて、剥がしずらく、本に剥がしあとがついてしまいます。
少し考えればそうなることくらい分かるのに適当に貼られていて流石にないなと思いました。
最後の喫煙者―自選ドタバタ傑作集〈1〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:最後の喫煙者―自選ドタバタ傑作集〈1〉 (新潮文庫)より
4101171432
No.36:
(5pt)

「最後の喫煙者」は何を思うのか(笑)

筒井康隆さんの短編集は半世紀前に愛読していて、「アフリカの爆弾」などに腹を抱えていたものですが(笑)、現在では、「他民族・他人種の蔑視(と、誰かが見做す事物)」とか、いわゆる「差別(と誰かが見做す)用語」とか、そういうものが原因で、生き残りにくい時代なんでしょうね(幸い、絶版にはなっていないようですが)。

さて、「最後の喫煙者」という短編についてです。

筆者は、「喫煙停止」の動き(「運動」/movement)が、40年ほど前にアメリカで始まったと記憶していましたが、改めて、それより前に「喫煙者バッシング」が発生していたことを、本書に教えて貰いました。一方で、経年的な経緯はともかく、「発祥の地」が米国であることは確実です。

「運動」初期のアメリカでは、『喫煙は「あなたの体」に悪い』という主旨でしたが、何年(というより「何十年」ですかね)か経つうちに、「副流煙によって周囲の人間が健康被害を被る」という主旨に「発展」していきました。

これに関し、最近、筆者が「とても気になること」が2つあります。
尚、以下は、「筆者が(「元」を含む)喫煙者であるか否か」に全く関係のない話ですので、どちらであるかは、特に表明致しません(誤解されかねないレビュー・タイトルですが[笑])。

【① 「タバコ」が標的となる根拠と理由】

まずもって疑問に思うのは、次の点です。
或る人物が、例えば日本国の東京都や関東地方に居住(または勤務。以下「居住」と総称)していると仮定したとして、「246」(注:国道246号線の通称)とか、例えば東京都の「○○通り」といった「幹線道路」沿いや、或いは、「京浜工業地帯」周辺に居住している場合に、一体、『その居住環境と、「(副流煙吸引を含む)喫煙」とは、どちらが「体に悪い」のか』という論点が、全く話題に上らないことです(笑)。

恐らく「喫煙排除運動」が米国で始まった頃と同時期?にお生まれになった、「平成生まれ」の方々は、『公害』とか『排気ガス』とか『大気汚染』という言葉自体を、お聞きになったことすらないのではないか - そこが話の要です。

筆者の関知せぬうちに、メーカーを問わず、「車の排気ガス」は「100%人体に無害」の基準を達成したのでしょうか?

筆者の関知せぬうちに、「工場の排煙」や廃棄物は、日本の津々浦々で、「100%人体に無害」の基準を達成したのでしょうか?

「嫌煙論者」さん達(注1)に言わせれば、『百歩譲って、車の排気ガスが副流煙と「同じくらい」体に悪いとしても、だからといって、喫煙が免罪符を得るなんて「論理」は、成り立たないだろ!』ということになるんでしょうが(笑)、筆者の言いたいことは、『だったら、2つとも同等に俎(まないた)に上げないというのは、「論理的」におかしいでしょう?』ということです(笑)。「体に悪い」(より具体的には、肺癌を罹患する)要因が複数あるのであれば、全て同等に、排除の努力をすべきですよね。

(注1)但し、大多数の方々は、別に「論」を展開しているわけではなく、単に『僕は・私は、「嫌い」だ』という「個人的好悪」を表明されているに過ぎませんが(笑)。なぜなら、この話題は本来、「論」を形成するほどの話題ではないからです(笑)。

現在でも、東京都の(少なくとも)特別区(の大多数?)には「公害病認定」という制度があり、東京都(または特別区)に移住してきた人が(例えば)喘息に罹った場合、医療費の全額補助と、「療養費」の定額支給が為されます。

このことは、行政自らが、『東京都には、大気汚染という「公害」が存在する』ことを前提としていることの証左ですが、では、なぜ「行政」は、ことさらに「喫煙」ばかりを「標的」にするのでしょうか(笑)?まるで、他の健康阻害要因は存在しないかのように(笑)?

(東京都のみならず、「運動」の本場である米国についても)その解答は簡単で、誰しも即座にお分かりかと思いますが(笑)、『(献金元でもあり、選挙時の票田でもある?)自動車メーカーや製造業をイジめるより、喫煙者という「個人」をイジめる方が、「遙かに簡単」で、「人的・費用的コストも、比べものにならないくらい、安価で済む」から』です(笑)。
しかも、「我々は、皆さんの健康を最優先に、政(まつりごと)を行っています!」という、有名無実の評判も得ることが出来るわけですから(笑)。

彼等のやっていることは、「事実」や「論理」を、「好悪」にすり替える手法です(注2)。
どんな物事に関しても、個々人には、「好き≒許容できる」ことと「嫌い≒許容できない」ことがありますよね。「タバコの煙って、嫌じゃないですか?」と問題提起し、「嫌だ」と思っていた人たちの背中を押して、『喫煙者は、あなたに害を為す「悪者」なんですから、肩を組んで、一緒に排除しましょう!他のことは考えず、一心不乱に取り組みましょうよ!』と「誘導」しているわけですね(笑)。

(注2)「手法」としてやっているのなら、別の意味で、その巧妙さに感心する要素もありますが(笑)、何も考えずにやっているのであれば、嗤うしかないですね(笑)。

さて、この「喫煙停止運動」の大元の原因を探るに際して、多少、話を大きくせざるを得ないのですが(笑)、世の中には、「グローバリズム」とか「グローバル経済」という言葉があり、それが大好きな人達(特に人文科学系の学者さん達)が、特に日本には、星の数ほどおられますよね。

この発想の大元は、米国の「ウォール・ストリート・ピープル」であって、早い話が、「1億人を相手に商売や投機をするより、10億人の市場を築いた方が、儲かるに決まってるじゃないか!」というのが、元々の発想なんです(笑)。
要は、一部の、特定の立場にいる人達が、更に懐を肥やそう、という発想をしただけのことであり、本質は、それ以上のものではなかったのです。

これに対し、特に、元々お人好しで、「人類は皆兄弟」的発想をしがちな日本人が、「そうだよ、世界の人々は皆、同胞で、どんな人でも同じ価値を持つんだ!」みたいな曲解を施し(笑)、本来、『抽象的・客観的視野に優れ、事実の本質を看破し、その国の「知的標準」であるべき』、「学者」さんまでもが、それに易々と乗っかり、今の日本になりました(笑)。

そのような皆さんは、呑気極まりないことに(笑)、『「ジェンダー・フリー」は、グローバリズムの成果のひとつ』とか、もはやカビの生えた「男女同権」(最近は「女性は男性より優れている」という「思想」に変化したようです[笑])まで持ち出して(笑)、色々の発言をなさると同時に、『「世界」が「喫煙」を悪い習慣と考えているのだから(注:世界の190を超える国々が、全て、そう表明しているわけではありません[笑])、もちろん、日本も同調すべき』という発想をなさいます。

しかしながら(笑)、そもそも、『世界の誰も、「グローバリズム」なんていう「社会思想」や「哲学」を発表・提唱したわけではない(つまり「定義」が無い=「(抽象)学問」ではない)』ことは、ここできちんと、思い出されるべきではないでしょうか。

「グローバリズム」というのは極めて「実利的」(経済的)な発想のひとつに過ぎず、「グローバリズム大好き」の皆さんがお手本と見做している米国でも、「人類は皆兄弟」などとは言っていないし、政府や市民がそんな「理念」?を実践していないのは、誰しもご存じの通りです(笑)。
或る意味、我が国はいま、曲解と拡大解釈に基づいた、実に滑稽な風潮に冒されているのかもしれません(笑?)。

「喫煙者バッシング」は、①元々タバコの匂いや煙が「嫌いな」人を誘導し、②「それを愛好する人」を標的にし、③「単なる好き嫌い」を肥大させて「理屈」にすり替えた、「政治的(国家的)正当性(Political Correctness)」という、全く得体の知れないものの、産物のひとつなんです。

では、「グローバリズム」が全世界に浸透し、全世界の各々の国家について、その国独特の歴史・伝統・文化が、絵の具を水で薄めるように消えていったとして、最後に「約束」されているのは、どういった世界なんでしょうか? 自由主義社会の最も根本的な大原則である「最大多数の最大幸福」が、いま以上に満たされる国が「約束」されているのでしょうか? また、誰かがそれを「約束」しているのでしょうか?

答えは「ノー」です(笑?)。

「グローバリズム」に踊らされている皆さん、特に所謂「発言力」(注3)のある皆さんにとっては、「国の最終の姿」なんかどうでもいい(というより、全く考えていない[笑])んです(笑?)。
かつて「弱者」または「異端者」と言われてきた方々が、「強者」(注4)に変質したり、日常生活を送る上での「役割分担」が崩壊(注5)したり、「グローバリズム」(注6)がもたらした「歪み」が、いま、日本も含む世界の国々を侵食しています。

(注3)「発信力」と言い換えても良いですね。これらが多分に誤解を招く言葉であるのは「力(power)」という言葉が付いているからです(笑)。別段、彼等に何らかの『力(例えば人格・教養・見識)』があるわけではなく(笑)、要は、「通常の学生・勤労者に比して、不特定多数の他者の人目に触れる機会が多い」というだけの話です(笑)。単に、TVに出る機会が多いとか、何か発言するとすぐにマスコミが取り上げる(或いはマスコミが発言を依頼する)人達とか、得体の知れない「YouTuber」であるとか(笑)。そのような「立場」に登り詰める?(笑)には、何らかの「力(power)」が必要だった「かも」知れませんが、登り詰めた?からといって、『一般の学生・勤労者に勝る「人格・見識・教養」』が保証されているわけではありませんよね(笑)。

(注4)平均的な者よりむしろ優遇され、そうであることを当然のこととして無批判に甘受し、それを前提に、他者に、自己の権利や優位性を主張する者。

(注5)生活費を得るために仕事をしている配偶者または同居者(性別に関わらず)に対して、(通常、24時間・365日自宅にいることが可能な配偶者または同居者が)「自分の役割も分担して当然」と、有形無形の強制をする風潮。

(注6)「グローバリズムそのもの」の本質は上述の通りであり、グローバリズムそのものというより、それを曲解や拡大解釈した、『本質の分からない、雲を掴むような、発言力のある個々人の「嗜好(個人的好悪)」』。

もう50年前になりますか、筆者は、「久米 宏」氏が(所謂)メイン・キャスターを務めていた番組を観ていました。或る事柄に対する政府または行政の対応に、盛んに疑念を表明しておられました。純情な?若者だった筆者が期待したのは、『きっと、「こうすべきだった」という提示が為されるのだろう』ということでしたが、久米氏が話題の最後に言われたのは、「他にやりようは無かったのでしょうか?・・・では、コマーシャルです」でした(笑)。
因みに、当該の番組は「大人気」だったと記憶していますが、筆者にとっては、社会に出る前の、スネかじりの若者の分際にして、『マスコミは勿論、この世の中には、無責任に他者を「非難」する人達がいて、しかもその人達の「論」は、非難さえすれば、それで完結する。これは「論」ではなくて、単に「好悪」に過ぎない』ということを、覚らされた瞬間でした(笑)。

この事例ではっきり分かることは、①世の中には、『とにもかくにも政治・行政は「悪」くて、ひいては、世の中で「普通/良い」と思われている事々の多くは、古い時代の誤った固定観念だ」と思い込む人達がいる、②その人達は、「(そんなことをするのだったら)こうすべきだ」という代替案を持たない、③その人達の主張は、「生理的好悪」(換言すれば、彼等が育ってきた経緯 - 例えば小学校で「他の奴らは、なんて頭が悪いんだ」と思ったとか、虐められたとか)に基づいており、最終的には、説得力のある論理展開を期待できない、ということです。
だって、「(生理的/心理的)好悪」は「論理」ではなく、従って、一般に説得力も持ちませんから(笑)。
「僕/私は、全世界の猫を殺してしまいたいほど猫が嫌いだ。理由はかくのごとくである。だからあんたも猫が嫌いになれ!」って、「説得力ゼロ」じゃありませんか?(笑)。それと全く同質の「妄言」に、あなたはいま、誘導(洗脳)されていませんか?

これまた昔々のこと(笑)、元NHKアナウンサーの「下重暁子(しもじゅう・あきこ)」さんが、(当時の)「ウーマン・リブ(Women’s Liberation Movement)」の流れで、「(唯々諾々と古来の習慣に従って)専業主婦なんてやっている女性がいるから、いけないのよ!」と、声を大にして、TVで主張されていました(笑)。
これまた若者だった筆者にとっては、『世の中には、「自分が正しいと信じる事柄に沿わない人物は、正しくない」と思い込む人がいて、「彼らはそういう人物を非難することに正当性があると信じ込んでいる」、と覚った瞬間でした(笑)。
知人の家庭の話で恐縮ながら、彼の母親は「専業主婦」でした。夫の両親ともに夫の扶養家族であり、双方共に入退院を繰り返していました。その義理の両親と20年来同居し、夫の収入ひとつで「家計」をきりもりし、子供である彼を、真っ当に、なに不自由なく育てました。「下重暁子」さんに同じことができたかといえば(笑)、100%無理だったでしょうね(笑)。自分にできないことを成し遂げている人を、何の自省もなく「ダメな人」と断じられる人に、あなたは、敬意を抱き、そのご意見を傾聴する気になりますか?(笑)。

「グローバリズム」浸透の一端として、例えば、「在米ジャーナリスト」なる女性が、『アメリカでは「レディー・ファースト」が、ごく自然に行われている。それに比べて日本は「まだまだ」だ。日本人が反省すべき点である』みたいなネット記事を発表されたりします(笑)。明治・大正の時代や、昭和の中頃には、こういうことを言う「文化人」が沢山おり(笑)、懐旧の情すら覚えましたが(笑)、それはともかく・・(笑)。
もし彼女が、「このグローバリズムの時代には、日本人はアメリカ人と同質の習慣を持つべきである」と仰せになるのであれば、筆者は、『それは、「或る時、或る地域に、人間が集まって、共同社会を形成し、時代を経た結果、民族固有の社会形態や歴史が形成される」という、最も本質的な論点を全く無視した、極めて浅薄なご意見ですなぁ』としか反応のしようがありません(笑)。
昨今大流行の、『現在の「基準(などという上等なものではなく、単なる「風潮」)」で歴史的事実を再評価する」という、頭のいい人なら、誰しも誤りだと気付く(笑)「流行」(末尾ご参照)に照らして、日本社会・民族のなりたちや、いまの有りようがお気に召さないのなら、どうぞご遠慮なさらずに、お気に入りの米国に籍を移して下さい(笑)。地球に生を受けた人間は誰しも、自分が偶然生を受けた「国」が、いちばん自分に適しているとは限らないわけですから。ついでに、もし日本国籍を継続なさるおつもりで、いずれ帰国されるのであれば、表が雨天だろうがなんだろうが、外出先からそのままの土足でご自宅に入り、泥靴に一切関知せず、カーペットの上を歩き回ったり、ソファに寝そべって肘掛けに足を置いたり、そのままベッドに寝たりすることをお勧めします。また、歯磨きをした後は、ペッと唾を吐いて、水で口中を濯がないこともお勧めします。だって『アメリカの「風習」が正しくて、日本はまだまだ』なんでしょう?(注7)
但し、「日本人は、こうあるべき、こうなるべき」などというご主張は、どうぞ、ご自宅の中だけに留めて頂いて(笑)。

(注7)「それとこれとは話が違う」と仰りたいでしょうが(笑)、次のことをお考え下さい。一例ですが、左寄りの評論家の皆さんって実に面白くて(笑)、与党の政治家が収賄疑惑を国会で追及されているときに、第三者から「野党の○○さんにも収賄疑惑がありますね」と言われると、「それとこれとは話が違う!」と仰るんです(笑)。『「それ」と「これ」とは、ちっとも話が違わない』ことは、まともな国民なら誰にでも分かるんですが(笑)、「自分が正しいと思うことは正しくて、それに反対する者は間違っている」と簡単に信じ込めてしまう「幼児性」の発露に他ならないですね(笑)。それと同様に、当該の彼女が仰っていることは実に単純で、『自分にとって好ましいことが、アメリカで行われている。はい、それは正しい。じゃあ、他のこともアメリカに合わせればいいのに、って?なんで?自分が嫌なことは合わせないよ』ということですよね(笑)。そもそもなぜ、他者があなたの「好き嫌い」の話を真面目に受け取らなくちゃならないんですか?(笑)

回り道が長かったですが(笑)、ひょっとしたら、根源となった米国の「喫煙停止運動」というのは、米国のタバコ・メーカーが、彼等(「ウォール・ストリート・ピープル」及び政界人達)のご機嫌を損ねた(例えば、彼等または彼等の支持政党への献金を拒否したとか)結果なのかも知れませんし(笑)、そういう、単に「金に絡んだ」話だったのかも知れませんよ(笑)。米国のタバコ産業界と、政界・財界に、50年前に何があったんでしょう?是非知りたいですが、「陰謀論者」と言われて終わりなんでしょうね(笑)。

ついでに申し上げれば、同時期(30-40年前)の米国では、『飲酒なんていうのは、自己を律することの出来ない人間が行うことであり、「社会的エリート」には、あるまじき行為である』という話も、喫煙と同等の力価を以て主張されていました(本当のお話です[笑])。

しかしながら、恐らく、そんな主張があったことすら、今では、誰も認知していませんよね(笑)。日本の飲食店も、喫煙は禁止していますが、飲酒は禁止していませんし(笑)、本国米国の各種ドラマでも、台本に書かれている「エリート」達は、9割以上が、酒を好んで飲んでいます(笑)。
それは、米国の酒造メーカー各位が、「ウォール・ストリート・ピープル」や、政界人達に、上手に「寄って」いったからでしょうか?(笑)

いきなり末節の話に戻りますが(笑)、少なくとも、皇居の周りをランニングすることを習慣にされている方々や、必要のない娯楽運転(「ドライブ」)の大好きな皆さんが、「他者の副流煙が云々」と主張されるのは、お門違いだと思われますが、どうでしょう(笑)。
直近の記事で、「喫煙率がこれだけ下がっているのに、肺癌の発生率は高まっている。どうしてなんだろう?」というものがありましたが、筆者に言わせれば「当たり前」だと思います(笑)。

【② 「嫌煙者」について】

<前提>
まともな方ならお分かりの通り、「善悪」や「正邪」というものは相対的なものであり、「絶対善」や「絶対悪」が存在するのは、一部の宗教の教義上や、『自身の判断基準が絶対的であり、他者も、その「絶対性」に従うべきだ』と信じて疑わない、子供じみた(英語で表現するなら、”innocent/ naive”とも言えるでしょうか)人物の心の中だけです(笑)。

さて、最近よく見掛ける町なかの風景に、次のようなものがあります。

(例1)20-30代と覚しき女性が、歩行喫煙をしている男性の後ろを歩きながら、何度か咳払いをした後、歩を速めて当の男性を追い抜き、手で煙を払うような仕草を何度かして、そのまま早足で歩き去る。因みに、失礼ながら彼女の風体を観察するに、いわゆる「OL」さんではなく、学生さんか、いわゆる「フリーター」さんと拝察される。

(例2)
飲食店の外に設置されている「喫煙場所」で或る男性が喫煙している。そこを通りかかる20-30代と覚しき男性が、当の男性を横目で見ながら、せせら笑うような表情をあからさまに見せて、通り過ぎる。因みに、失礼ながら彼の風体を観察するに、いわゆる「サラリーマン」さんではなく、学生さんか、いわゆる「フリーター」さんと拝察される。

加えて言えば、知人から聞いた話ですが、彼が某医院に初診を願い出て、診療を受けた後に会計を済まそうとした際、20代と覚しき女性看護師(または医療事務のご担当?)から、「あなたはタバコ臭いです。他の患者さんの迷惑にもなりますから、タバコは止めて下さい」と言われたそうです。

以上のことがらに、明白に、致命的に、欠如している要素がお分かりでしょうか?

それは、社会において「相手がどのような人物であるか」と個々人独自の評価を下すときに、相手の「人格・教養・経歴・経験・見識」が完全に無視されていることです(笑)。

つまり、事例の彼女達・彼は、ひとえに「相手が喫煙者である」という事実「だけ」を以て、『喫煙者である彼(彼女)は、非喫煙者である自分より「あらゆる面に於いて低位」に位置する人間である。自分は正義の側に立っており、相手はその対極にいる』と、呆れるほど単純に、評価を下しており(笑)、その所為でしょう、場合によっては、あろうことか、『そういう「低劣な」人物を指導』し始めるんですね(笑)。

例えばここに、一部上場会社の社長を長年務め、当該社の「中興の祖」と言われるほどの経営手腕を発揮し、社員の多くに慕われた後、惜しまれながら引退した老人がいるとします。彼(または彼女)は世に言う「一流大学」に現役入学、卒業し、米国の大学に留学してMBAを取得しています。最後に付け加えるならば、たまたま、彼(彼女)は喫煙者でした。

例えばここに、国立大学の教授を長年務め、外国の研究機関で外人と協同研究をした結果、ノーベル賞を受賞した老人がいるとします。付け加えるならば、たまたま、彼(彼女)は喫煙者でした。

そういう人物が喫煙している姿を見ただけで、あなたは『彼(彼女)は自分より「格下」の人間』と断定することが出来ますか?(笑)
私見では、何の自省もなくそういうことができるのは、周囲にいる誰かから『「タバコを吸う人」は「悪い」人だよ』と教えられた「幼児」か、または、『私はタバコの煙が嫌いだ。従ってタバコを吸う人間はロクな人間じゃない。連中は「無条件に」私より低劣な人間であり、誰が何と言おうと、私が正しい』と、好悪と正邪とを自分の都合ですり替え、簡単にそうと信じ込める、あまりに幼児的な人物だけです(笑)(注8)。

(注8)ひょっとしたら、「特別に他者に誇る・勝るものが無い」人物が、「自分は非・喫煙者である」という一事(いちじ)を以て矜恃を持つという、屈折した心理なのかも知れませんね(笑)。

こういうことを言うと必ず出てくるのは、「優秀な人間はタバコなんか吸わないんだよ!」という、極めて論拠薄弱というか本末転倒というか(笑)、そういうご意見ですが(笑)、上記の(注7)で掲げた内容のように、本質を完全に無視したご意見ですね(笑)。

勿論、彼(彼女)たちはこのレビュー内容に猛反発されると思いますが(笑)、そういう皆様へ。
もう、いい加減に、『自分の嫌いなもの(喫煙でも飲酒でも、ひょっとしたら他人の習慣なら何でも)は「正しく」ないし、それを行う者が、世の中を悪くしている』という、全く説得力のない、人間社会というものの実態や本質を無視した「転嫁」は、おやめになりませんか?(笑)

なぜかといえば、あなた達は自己過信・自己満足のために、他人に迷惑を掛けているからですよ(笑)、「タバコを止めなさい」と「命令」し、アカの他人様(しかも患者=顧客)に不快感を与える、看護師さんのように。

その程度で済めば結構ですが、(もう起っているのかも知れませんが)喫煙者に暴力を振るうとか、果ては殺害するとか、そういう行為と全く同等のことを、普段、何の躊躇もなく行っていることに、お気付きになりませんか?もし、殺人犯が殺害動機を聞かれた際に、「あいつのタバコの煙で、俺の肺ガンの危険度が増したから」と答えたら、当然と思うんですか?(笑)

世の中はあなた達の好き嫌いで成り立っているのでも、あなた達の好き嫌いに沿って動いているのでもないし、あなた達の「好き嫌い」は、相手の「人格・教養・経歴・経験・見識」という「厳然たる事実」とは何の関係もないんですよ。そんなことくらい、保育園・幼稚園や小学校で、自然に覚りませんでしたか?(笑)

哲学の認識論を持ち出すつもりはありませんが(笑)、そういう方々の典型的な発言のひとつに、「あなたと私とは、住んでいる世界が違う」というのがありますけれど(笑)、誰にとっても、この「世界」は同じものであって、あなた方の好悪で「次元」が異なるわけではないのですよ(笑)。

<上に予告させて頂いた余談>

最近のアメリカでは、「黒板」(blackboard)という普通名詞が消え去ったり、どこかのスイミング・スクールのトレーナーが(人種の特定とは全く関係のない経緯で)「白」という形容をしただけで解雇されるとか、とんでもない事態になっているようです。
それを敷衍するなら、「黄色」(黄色人種)だって「赤」(北米先住民)だって排除対象になるべきですが、なぜ、そうなっていないのでしょうか?不思議に思われませんか?
要は、『「問題だ!と騒ぐ人」がいて、「同調する人」がいて、「世間的な大騒ぎ」になる』言葉だけが、排除対象になるわけですね。もし、以下が筆者の邪推なら幸いですが、「問題だ!と騒ぐ人たち」は、既に「人心誘導ビジネス」を構築しており、それに伴う利潤を得ているのかも知れません。いわゆる「環境テロリスト」さんたちのように。

例えば、「腕」や「上肢」という言葉が上述のプロセスを辿った場合、『腕を失った方々に不快感を与え、失礼である』という利用で「腕」という名詞も排除される可能性があるし、そのうち、普通名詞・形容詞の大半が使えなくなるかも知れません(笑)。

加えて、「現代の基準・見方で過去を捉える」ことが大流行していて、アメリカでは「風と共に去りぬ」が「存在しなかった」ことにされているようです(笑)。中国の文化大革命(注8)や、ハングル導入後の韓国と同じ愚に陥っていることに、なぜ一般市民は気付かないんでしょうかね。これでは、中国の某地方の首長(注9)などの事例と一緒ではないですか(笑)。
しかもその「根拠」は、実体のない「グローバリズム/ポリティカル・コレクトネス(要は、「時々の政権政党が勝手に「正しい」と「思っている」ことが常識とされる風潮」)」なんですよ(笑)?

最後に、全くの「因みに」ですが(笑)、「Xファイル」という米国のTVドラマがありますよね。
中心人物のひとりに、「しょっちゅう喫煙をする、政府の陰謀の黒幕」みたいな者がいます。初期のシーズンでは、主人公たちは彼のことを「cancer man」(日本語字幕は「肺ガン男」)と呼んでいますが、後の方のシーズンになると「cigarette smoking man(紙巻きタバコを吸う男)」(ほどなく、単に「Smoking man」=「タバコを吸う男」)と、呼称が変わります(笑)。
制作陣は、誰に、どんな忖度をしたんでしょうか?(笑)逆に、たかが忖度で台本の呼称を変えるなら、最初から「喫煙=肺ガン」の「主張・宣伝」を意図したような呼称を使わなければ良いと思いませんか?(笑)
一方で、日本語字幕は「肺ガン男」のままです。これは字幕翻訳者の個人的主張なんでしょうか?(笑)
『視聴者は、「肺ガン男」と言えば、あの人物を指すと認識してるんだから、原語の言い方が変わったって、そのままでいいじゃない』と仰せになりたいかも知れませんが、別に、「タバコ男」に変えたって、誰を指すかは、視聴者には明確に分かりますよね。「意図的誤訳」と言われても仕方ありませんよ(笑)。

(注8)ご存じとは思いますが、「革命」の本来の意味は、『新たに天下統治の権を手中にした者が、それ以前の過去のすべて(文化文物)を否定し、廃棄すること』です。いわば完全な「文化的リセット」ですね。いままであった「国の姿」を、全て否定して捨ててしまうわけです。

(注9)かつて、中華人民共和国で、自分が首長を務める地域で列車の脱線事故があった際、「中央」が視察に来るというので、存命の負傷者ごと、車両を地中に埋めてしまい、「無かったことにしようとした」人物がいましたよね(笑)。また、有害物質を扱っている工場が火災で崩落した跡地(勿論、当該の有害物質が染み込んでいる)に、公園を作って、「無かったことにした」事例もありました(笑)。
最後の喫煙者―自選ドタバタ傑作集〈1〉 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:最後の喫煙者―自選ドタバタ傑作集〈1〉 (新潮文庫)より
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No.35:
(4pt)

「説明は、何もないのじゃ」

ちょっと変なことが発生して、どんどん加速度的に変になっていって・・・
どうなっちゃうのだろうと読み進めると、究極の状態まで行って、終わり。
というパターンの作品が多く、『ヤマザキ』の結末で秀吉に「説明は、
何もないのじゃ」と言わせているのがすべてだと思います。
エログロ的なものもあるので好き嫌いの別れるところでしょう。
私は筒井さんの作る変な世界は好きです。
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No.34:
(5pt)

問答無用の面白さ

忘れたものも含めて全作既読の筈。それでも圧倒的に面白い。「ヤマザキ」のセリフではないが説明は何もない、つまり問答無用の面白さだ。
 又日本社会の批判的内容が多いが、それが全く古びておらず、むしろ今日の状況を予言していたかのように読めて、作者の天才ぶりを再認識した。「最後の喫煙者」で描かれているのは、新型コロナ集団ヒステリーに陥った日本社会そのものじゃないか。
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