朝のガスパール
※以下のグループに登録されています。
【この小説が収録されている参考書籍】 |
■報告関係 ※気になる点がありましたらお知らせください。 |
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点0.00pt |
朝のガスパールの総合評価:
■スポンサードリンク
サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
現在レビューがありません
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1991年。なんと、もうすぐ30年も経つのだ。 当時、リアルタイムで読んでいた自分としては、 30年後の評価が、これ程高くなっている事には驚きを禁じ得ない。 「パプリカ」と同時期で、筒井康隆円熟期、と言って良かった当時の、 この作品への評価は、今日ほど高くは無かった、と思う。 その予見性、メタ構造作品としての先見性、 いずれも30年後の今だからこその評価、と言える。 当時は寧ろ、失敗作だ、とすら思っていた。 というのは、 この作品の予告段階、「笑犬楼よりの眺望」その他で、 筒井御大自身が語っていた、ネット連動への期待が、 実現しなかった、という思いが強かったからだ。 作中で引用される「電脳筒井線」での、 まだ2ちゃんも無かった頃の「荒らし」、 罵倒、ネットの負の側面の断片達への印象は、 今日では、あまりに当然のモノと取られるだろうし、 それらを実名で晒して、罵倒返しで遣り込める、 筒井御大の腕力に皆、呆れ、驚嘆するのだろう。 しかし、開始前、筒井御大も、そして多くの読者も、 「ネット集合知」幻想、「ネット性善説」幻想、 と言うべきモノを抱いていて、 本当に、作者が思いもよらぬ展開で、先読み不能になる、、、、。 様な希望を持っていた。 蓋を開けると、建設的なモノよりは、破壊的な、 非難、罵倒、負の意思が、多勢を占めた、と言って良い。 また、建設的な提言を試みても、 筒井御大の知性に及ばず、事前に準備した枠組みを、大きく、 より建設的な方向へ動かす事は出来なかったのではないか? (これは、投書の方でも大差無かった、と思われる) 登場人物の大量虐殺は、たしか中盤では無かったかと思うが、 「嗚呼、筒井さん、諦めたな、、、。」と感じた記憶がある。 そっから先は、小説としてはヤマ場ではあるのだが、 例えば、途中でヒロインの運命を、読者の意見で書き換える、 ルート分岐が登場するのだが、殆ど一発ギャグと言って良く、 大笑いした後で、 「本来はもっと繊細な事がやりたかったんじゃないかなぁ」 と複雑な気分になった。 読者罵倒にしても、先行短編の再利用の側面があり、 ヤクザとの最終決戦も、当時としては「懐かしの筒井ドタバタ」だったと言える。 言わば「手癖」で纏めてしまった、と感じた。 また「連載中は病気も出来ない、他の仕事もセーブする」と予告していたのが、 (たしかエッセイで)連載終了前に家族旅行に行った、内容が書かれて、 「あー、投げちゃった」と思った記憶がある。 自分の読者達、殊に若い連中が掲示板で露わにした、 負の意思の表出、への絶望と、 この作品での「挫折」が、 その数年後の断筆騒動に及ぼした影響は、 大きかったのではないだろうか。 追記) 上記の書き込み後、再読。 登場人物粛正と、ルート分岐の順番が逆であった。 と気がついたが、修正せず追記にしておく。 なぜ勘違いしたかというと、 ルート分岐が中盤、1992年1月掲載分なのだが、 前月下旬に「電脳筒井線」1巻が発売され、 若い読者達の「荒らし」が明らかになっていて、 その一部が、このルート分岐の章で作中にも登場したからだ。 更にその直前、二回目のパーティー終盤でも、 既に、筒井線での荒廃状況が反映されたような不穏な描写が始まっていた。 なので、「どうもこれは上手くいってないようだ」と感じ、 「本来はもっと繊細な」とか「諦めた」といった感想になったのだろう。 再読して、ルート分岐の部分は、おそらく当初構想の宿題、 「やっておきたい展開」を消化したんだなぁ、と感じた。 直後から怒濤の破滅的ドタバタで、終盤まで突き進む。 登場人物粛正に先んじてヤクザ達が登場するのだが、 彼らは実に痛快に下品に終盤を盛り上げる。 それはおそらく「筒井線」や投書を占めていただろう大多数、 当時既に「下流国民化」し始めていた読者達に対応しての、 登場人物交代、では無かったか、と思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書が出た平成四年頃は未だ網際網絡は一般に普及しておらず、電話線を使った「パソコン通信」(サーバーを提供する会社に電話する)が主流の時代でしたが、その界隈で話題になっていた小説です。リアルとは別の時間、空間軸を持った生活というトレンドを何か斬新的な手法で表現したかったのでしょう。当時のバブルの世相を背景にして電腦をネタに皆でリアルタイムで妄想してみるとこんな感じなのかもしれませんが、結果としては意味ありげに脈絡の無い展開が延々と續く展開に、分かったフリだけして群れるファッションとしてのログ、ですね。当時の世相を反映している點では面白いかも知れませんが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
筒井氏の同時期の「パプリカ」では、夢から覚めてもまだ夢の中、現実なのか夢かわからない、そういう夢の階層化が表現されていましたが、「朝のガスパール」では世界自体が階層化されています。一番下位レベルにゲーム「まぼろしの遊撃隊」の世界、その上位レベルに、そのゲームをしている貴野原たちの世界、その上位レベルに、この作品(だけ)を書いている作家の世界。自分には上位レベルに行くほど話が面白く感じました。特に作家が新聞小説ならではの読者からの投書を論評・酷評する場面や、パソコン通信の内容に何日も猛烈に激怒するところなど、筒井氏のそばで仕事ぶりを拝見しているようで感銘を受けました。登場人物が「演じている」という視点も、役者でもある筒井氏の面目躍如だと思います。メタフィクションの傑作だと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読了:2017年104冊(8月11冊)★3.2 『朝のガスパール (新潮文庫)』1995/7、筒井 康隆 (著) いかにも筒井康隆らしい本。かなり“虚構”です、オンパレードです。本書は朝日新聞に連載されていた小説であるが、その内容がいつも通り斬新である。本書は、堂々と小説中で感想や意見を募り、それを小説中で発表する。それも小説中に作者(筒井康隆)と編集者が登場し、その内容にあーだこーだいう場面が定期的に訪れる。こんな小説がいままであっただろうか?実際に、読者の意見を、読者が読むという機会は少ないので、それはそれで新鮮だった。新聞連載なので、登場人物が多すぎると読者が混乱する(切り抜きで残していない限り思いだせない)こと、やはり筒井康隆にはSFの内容を望むファンが多いこと、そして新規のファンはSFではなく人間模様のストーリーを望んでいること、など。 特に際立ったストーリーで仕立てられている訳ではない、この奇想天外な展開を純粋に楽しむ、というのが本書の読み方であろうか?筒井康隆作品を読みながらいつも思う。筒井康隆のメッセージとは何だろう?と。どんな小説でも何か読者に訴えたいことが必ずあるのである(だから小説を書く)。ちなみに本書で日本SF大賞を受賞している、、、文学的価値がまだまだ私には掴み切れない…、小説界の現代アートのようだ。 ───「何を書こうとしているのかわかっていて書いても面白くないだろうが」櫟沢は憤然とする。「コロンブスだって、そこにアメリカ大陸があると思って航海したわけじゃないんだぞ。俺は他の作家みたいに、安全な沿岸航海はしたくないんだ」(p.109) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語をサクサク読みたい人にはオススメ出来ないが、虚構について興味のある人にはオススメ。 | ||||
| ||||
|
その他、Amazon書評・レビューが 17件あります。
Amazon書評・レビューを見る
■スポンサードリンク
|
|