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朝のガスパール
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【この小説が収録されている参考書籍】
朝のガスパールの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全17件 1~17 1/1ページ
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1991年。なんと、もうすぐ30年も経つのだ。 当時、リアルタイムで読んでいた自分としては、 30年後の評価が、これ程高くなっている事には驚きを禁じ得ない。 「パプリカ」と同時期で、筒井康隆円熟期、と言って良かった当時の、 この作品への評価は、今日ほど高くは無かった、と思う。 その予見性、メタ構造作品としての先見性、 いずれも30年後の今だからこその評価、と言える。 当時は寧ろ、失敗作だ、とすら思っていた。 というのは、 この作品の予告段階、「笑犬楼よりの眺望」その他で、 筒井御大自身が語っていた、ネット連動への期待が、 実現しなかった、という思いが強かったからだ。 作中で引用される「電脳筒井線」での、 まだ2ちゃんも無かった頃の「荒らし」、 罵倒、ネットの負の側面の断片達への印象は、 今日では、あまりに当然のモノと取られるだろうし、 それらを実名で晒して、罵倒返しで遣り込める、 筒井御大の腕力に皆、呆れ、驚嘆するのだろう。 しかし、開始前、筒井御大も、そして多くの読者も、 「ネット集合知」幻想、「ネット性善説」幻想、 と言うべきモノを抱いていて、 本当に、作者が思いもよらぬ展開で、先読み不能になる、、、、。 様な希望を持っていた。 蓋を開けると、建設的なモノよりは、破壊的な、 非難、罵倒、負の意思が、多勢を占めた、と言って良い。 また、建設的な提言を試みても、 筒井御大の知性に及ばず、事前に準備した枠組みを、大きく、 より建設的な方向へ動かす事は出来なかったのではないか? (これは、投書の方でも大差無かった、と思われる) 登場人物の大量虐殺は、たしか中盤では無かったかと思うが、 「嗚呼、筒井さん、諦めたな、、、。」と感じた記憶がある。 そっから先は、小説としてはヤマ場ではあるのだが、 例えば、途中でヒロインの運命を、読者の意見で書き換える、 ルート分岐が登場するのだが、殆ど一発ギャグと言って良く、 大笑いした後で、 「本来はもっと繊細な事がやりたかったんじゃないかなぁ」 と複雑な気分になった。 読者罵倒にしても、先行短編の再利用の側面があり、 ヤクザとの最終決戦も、当時としては「懐かしの筒井ドタバタ」だったと言える。 言わば「手癖」で纏めてしまった、と感じた。 また「連載中は病気も出来ない、他の仕事もセーブする」と予告していたのが、 (たしかエッセイで)連載終了前に家族旅行に行った、内容が書かれて、 「あー、投げちゃった」と思った記憶がある。 自分の読者達、殊に若い連中が掲示板で露わにした、 負の意思の表出、への絶望と、 この作品での「挫折」が、 その数年後の断筆騒動に及ぼした影響は、 大きかったのではないだろうか。 追記) 上記の書き込み後、再読。 登場人物粛正と、ルート分岐の順番が逆であった。 と気がついたが、修正せず追記にしておく。 なぜ勘違いしたかというと、 ルート分岐が中盤、1992年1月掲載分なのだが、 前月下旬に「電脳筒井線」1巻が発売され、 若い読者達の「荒らし」が明らかになっていて、 その一部が、このルート分岐の章で作中にも登場したからだ。 更にその直前、二回目のパーティー終盤でも、 既に、筒井線での荒廃状況が反映されたような不穏な描写が始まっていた。 なので、「どうもこれは上手くいってないようだ」と感じ、 「本来はもっと繊細な」とか「諦めた」といった感想になったのだろう。 再読して、ルート分岐の部分は、おそらく当初構想の宿題、 「やっておきたい展開」を消化したんだなぁ、と感じた。 直後から怒濤の破滅的ドタバタで、終盤まで突き進む。 登場人物粛正に先んじてヤクザ達が登場するのだが、 彼らは実に痛快に下品に終盤を盛り上げる。 それはおそらく「筒井線」や投書を占めていただろう大多数、 当時既に「下流国民化」し始めていた読者達に対応しての、 登場人物交代、では無かったか、と思う。 | ||||
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本書が出た平成四年頃は未だ網際網絡は一般に普及しておらず、電話線を使った「パソコン通信」(サーバーを提供する会社に電話する)が主流の時代でしたが、その界隈で話題になっていた小説です。リアルとは別の時間、空間軸を持った生活というトレンドを何か斬新的な手法で表現したかったのでしょう。当時のバブルの世相を背景にして電腦をネタに皆でリアルタイムで妄想してみるとこんな感じなのかもしれませんが、結果としては意味ありげに脈絡の無い展開が延々と續く展開に、分かったフリだけして群れるファッションとしてのログ、ですね。当時の世相を反映している點では面白いかも知れませんが。 | ||||
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筒井氏の同時期の「パプリカ」では、夢から覚めてもまだ夢の中、現実なのか夢かわからない、そういう夢の階層化が表現されていましたが、「朝のガスパール」では世界自体が階層化されています。一番下位レベルにゲーム「まぼろしの遊撃隊」の世界、その上位レベルに、そのゲームをしている貴野原たちの世界、その上位レベルに、この作品(だけ)を書いている作家の世界。自分には上位レベルに行くほど話が面白く感じました。特に作家が新聞小説ならではの読者からの投書を論評・酷評する場面や、パソコン通信の内容に何日も猛烈に激怒するところなど、筒井氏のそばで仕事ぶりを拝見しているようで感銘を受けました。登場人物が「演じている」という視点も、役者でもある筒井氏の面目躍如だと思います。メタフィクションの傑作だと思います。 | ||||
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読了:2017年104冊(8月11冊)★3.2 『朝のガスパール (新潮文庫)』1995/7、筒井 康隆 (著) いかにも筒井康隆らしい本。かなり“虚構”です、オンパレードです。本書は朝日新聞に連載されていた小説であるが、その内容がいつも通り斬新である。本書は、堂々と小説中で感想や意見を募り、それを小説中で発表する。それも小説中に作者(筒井康隆)と編集者が登場し、その内容にあーだこーだいう場面が定期的に訪れる。こんな小説がいままであっただろうか?実際に、読者の意見を、読者が読むという機会は少ないので、それはそれで新鮮だった。新聞連載なので、登場人物が多すぎると読者が混乱する(切り抜きで残していない限り思いだせない)こと、やはり筒井康隆にはSFの内容を望むファンが多いこと、そして新規のファンはSFではなく人間模様のストーリーを望んでいること、など。 特に際立ったストーリーで仕立てられている訳ではない、この奇想天外な展開を純粋に楽しむ、というのが本書の読み方であろうか?筒井康隆作品を読みながらいつも思う。筒井康隆のメッセージとは何だろう?と。どんな小説でも何か読者に訴えたいことが必ずあるのである(だから小説を書く)。ちなみに本書で日本SF大賞を受賞している、、、文学的価値がまだまだ私には掴み切れない…、小説界の現代アートのようだ。 ───「何を書こうとしているのかわかっていて書いても面白くないだろうが」櫟沢は憤然とする。「コロンブスだって、そこにアメリカ大陸があると思って航海したわけじゃないんだぞ。俺は他の作家みたいに、安全な沿岸航海はしたくないんだ」(p.109) | ||||
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物語をサクサク読みたい人にはオススメ出来ないが、虚構について興味のある人にはオススメ。 | ||||
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個人的な筒井再読祭りで、再び手にした一冊。 当時は、なんか喜んで読んでた覚えがありますが、今読むと微妙かも。 特にまずいと思うシーンは ・過剰な投稿者批判 その日の分まるまる使って・・・しかも3,4日分続くし。 当時の”新聞小説ファン層”は、この期間ホントに憂鬱だったと思います。 ・登場人物過多 後半にて、”作者のシャドウ”に「新聞小説の枠を壊したかった」的なことを語らせてますが 既に門構えや造り自体が異常なんだから、他の部分で枠をはみ出す必要はなかったかもね。 余計にややこしくなるし。 ま、大勢を一気に退場させる荒業を披露することに繋がったので、有りと言えば有りだったかも。 ・他作品への依存 『パプリカ』を読んでいないと、まったく分からない部分が終盤ある。 ・(最初のにも繋がるが)作者上から過ぎ 作家側の”言葉への敏感さ”を語る部分が中盤あたりにあったと思いますが、 それは誰のジャッジなの?肥大した自我・自意識とも言える作者が行っていいのか?と。 また、終盤にガートルード・スタイン女史やピカソの言葉を借りて、 今作の正当性を主張する部分がありますが、だからソレのジャッジは誰が出来るんだと。 ピカソの言う”醜い作品”に、朝ガスが当て嵌まると、誰が言い切れるのでしょうか? (自分で言うのは違うだろうと) かつて『読者罵倒』で見せた強烈な罵倒芸の片鱗を見せる部分もありますが 筒井さんてホントに読者嫌いだったんだなぁ・・・。 また、一歩引いて思うのは、現在では作ることの出来ない作品だなーという事です。 現在の”新聞小説”ファンはもっと受け入れてくれないだろうし、 ネット面だと、今のツイッターやFBでやってたら、そりゃもう収拾つかんだろうなぁと。 パソコン通信という、牧歌的なものだったから、ある程度成立してた様な気がします。 とはいうものの、虚数の洞窟と、テーブルを手刀で割るシーンは 今でも変わらず「好きだ」と言える自分もいた。 | ||||
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流石はSF御三家!この一語に尽きます。 日本SF大賞受賞作品の中で(私も全てに目を通した訳ではありませんが)最も秀逸な作品です。 筒井康隆作品の共通項はどれ程、荒唐無稽な作品であっても若しかしたら有り得るかもと思わせるリアリティーではないかと思います。 そしてそれこそが天才・筒井康隆と凡百なその他のSF作家との絶望的ともいえる実力の差を如実に物語っているでしょう。 文句のつけようが有りません。 | ||||
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みなさんのように立派なレビューは書けません。 しかしながら筒井作品の中でも比較的レビューが少ないことに納得がいかず書いています。 時かけ、七瀬、ラゴス、パプリカ等を読んだのならなぜコレを読んでないのか疑問に思います。 笑ったり焦燥感に襲われたり泣いたり、と、めまぐるしい程の感情体験ができます。 | ||||
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「ご注意願いたいのは、この文章が既に小説の一部であると言うことだ。」 相変わらず人を食った書き出しです。「虚人たち」の解説で著者は小説のルールをからかっている、と言っていましたが、本書のからかいの対象は読者です。当初の触れ込みでは著者が読者の提案を受け入れてストーリーを作っていくという事でした。しかしほとんど建設的提案がなかった(と少なくとも作中からは判断できる)せいか読者の投書は「読者投書の感想会」で取り使われ、しかも終盤ではそれも櫟沢(この作品を書いていると言う設定の人物)が約2回分丸々使って読者の低劣さを罵る(「スカタン投書の言説は人目にさらされて子々孫々まで笑いもの。」)という展開になります。小説が読者を啓蒙する使命があるとするとこれほど直接的な働きかけは無いでしょう。 にしても某宗教関係者の意見も一部理解できます。読者の低劣な罵詈雑言や陳情も著者においしく料理されている感があります。「朝から人妻が操を捨てる話を読まされると、出勤前、または途上の亭主族は妙に落ち着かなくなる。」なんてただの投書なのになかなかナマナマしくていい文章だと思います。 | ||||
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インターネット普及前に 現在のネット時代の光と影を予見するような社会実験を行い それを新聞小説という形で発表した、天才にしかできない作品。 小説内の存在である人妻の貞操を巡って 舞台回し(これも虚構の存在)である「作家」が右往左往したり、読者の意見を容れて? 登場人物を大量殺害したり、「読者参加」小説のハチャメチャぶりには大爆笑させられる。 一方で、現在でいうところの「荒らし」の主体を小説内で揶揄したり、読者を罵倒したり、社会実験の全てを小説に巧みに取り込んでいく作者の悪辣ぶりには本当に関心させられる。 筒井さん あんた 本当に食えない極悪人ですなぁ。完全に脱帽。 | ||||
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新聞連載で、読者参加型の小説です。 「虚構と現実が入り混じり」と書くと割とありきたりに聞こえますが、 ほんとに混じっちゃってます。 終盤あたりは感覚として「本」ではない別のものに思えたくらいです。 筒井作品すべて読んではいないですが、今のところ一番好きな作品です! お勧めします。 | ||||
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怪我をして、入院していた時に、この本を読みました。 すごく夢中になったのを覚えています。最初のページから、グイグイひきつけられます。興奮して、体は動かせないのに、体中に力が入りました。退院してからもまた読みました。入院したことは、良くなかったけど、それでこの本に出えたんなら、すこし報われたかと思えたくらいでした。 | ||||
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周知のとおり、当作品は新聞連載小説として書かれ、パソコン通信や投書での意見、感想を作品に取り入れていくという実験的な手法で進行します。 主軸である夫妻の物語、作品内作品としての遊撃隊の物語、無責任で理解の無い投書にいらだつ作家と担当の会話、そして筒井康隆本人などの複数のストーリーが一気に集約していく終盤の展開に、リアルタイムの読者は大興奮でした。 しかし、文庫版は真鍋画伯による挿絵が収録されていないのが実に残念です。当時は毎日作品の内容に沿って挿絵が描き下ろされており、この作品の見所の一つでした。 | ||||
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コンピューター・ゲーム『まぼろしの遊撃隊』に熱中する金剛商事常務・貴野原。その美貌の妻聡子は株の投資に失敗し、夫の全財産を抵当に、巨額の負債を作っていた。窮地の聡子を救うため、なんと”まぼろしの遊撃隊”がやってきた! かくして債務取立代行のヤクザ達と兵士達の銃撃戦が始まる・・・・・・と粗筋だけ聞けばそう目新しい印象を受けないだろうが、さに非ず。多重虚構構造を設定し、最終的にその「壁」を全て取り払ってしまうという「実験」もさることながら、新聞連載という特性を利用して読者の投書、そしてパソコン通信『電脳筒井線』へのメッセージをも巻き込んだ前代未聞の読者参加小説なのである。 しかし、アイディアは非常に面白いと思うのだが、内容はそれほどではないと思う。手を広げすぎてストーリーの収拾がつかなくなっているような気がする(筒井作品ってみんなそうじゃん、と思う人もいるかもしれないが、筒井作品はメチャクチャに見えて筋が一本通っているというのが私の持論である)。 少なくとも現在進行形で読むことが出来ない今後の読者にとっては大して魅力的な作品ではないだろう。ただ筒井作品の登場人物たちが随所に出てくるなどサービス精神旺盛な作品なので、筒井ファンにはたまらない作品だろう。第13回日本SF大賞受賞。 | ||||
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今では考えがたいことだが、筒井康隆はアサヒ新聞に(!) 小説を連載していたことがあった。 もちろんただの小説であるはずがない。 連載しながらネット会議室や読者の投書を参照し、 展開に反映されるという形式を採ったのだ。 その結果はSFファンからはサロンのシーンが駄目だと言われ、 アサヒの読者からはSFを載せるなと言われ…。 発表当時は色々と気苦労も多かったようだが、 きちんと作品としてまとめてあるのはさすがの一言。 ファンならずとも、SFを毛嫌いしない方ならどうぞ。 | ||||
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第1刷発行は1992年。朝日新聞連載小説「朝のガスパール」執筆のために立ち上げたパソコン通信サイトのlog。横書き。筒井康隆は笑犬楼またはジャズ大名または唯野教授を名乗る。朝日新聞担当者、渡辺香津美、山下洋輔も登場。p62に麻紀の話題が出る。サイトというメディアの性質のためか本にして読むと狂騒的で未読の山に苦しんでいる。今ではサイトの方がメインで新聞の方がサブという時代。時の流れは速いなあ、という感想を持ってしまう。もう少し時間が経過すれば歴史考証として価値が出るかも。 | ||||
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紹介するまでもありませんが、この小説は1991年10月から1992年3月まで、朝日新聞朝刊に連載された小説です。ゲームの世界の人物が現実世界に出現するという超自然的な設定以上に驚かされるのが、この小説の展開が、投書やパソコン通信により読者から寄せられた意見に左右されるという、「読者参加」小説であることです。まさに「筒井ワールド」の新展開と言えます。インターネット全盛の現在ならともかく、単なる双方向通信の時代に、メッセージ数が23,805を数える(「電悩録ー解説にかえて」より引用)という事実はまさに驚異というほかありません。小説上で筒井は、櫟沢という人物に名を変え、筒井とは違う次元で、冷静な判断をくだしていきます。また、ゲーム「まぼろしの遊撃隊」の作者がご存知、時田浩作という設定も筒井ファンにとっては泣かせる話です。小説中で、美貌の人妻貴野原聡子が借金清算のため不倫を働く場面が、読者の要望で変えられてしまうなど、この小説の真髄を見せられます。野性の女性隊員穂高、チャーリー西丸など強烈な個性を発揮する人物も多く、決して途中で退屈することはありません。 | ||||
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