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朝のガスパール
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【この小説が収録されている参考書籍】
朝のガスパールの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
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1991年。なんと、もうすぐ30年も経つのだ。 当時、リアルタイムで読んでいた自分としては、 30年後の評価が、これ程高くなっている事には驚きを禁じ得ない。 「パプリカ」と同時期で、筒井康隆円熟期、と言って良かった当時の、 この作品への評価は、今日ほど高くは無かった、と思う。 その予見性、メタ構造作品としての先見性、 いずれも30年後の今だからこその評価、と言える。 当時は寧ろ、失敗作だ、とすら思っていた。 というのは、 この作品の予告段階、「笑犬楼よりの眺望」その他で、 筒井御大自身が語っていた、ネット連動への期待が、 実現しなかった、という思いが強かったからだ。 作中で引用される「電脳筒井線」での、 まだ2ちゃんも無かった頃の「荒らし」、 罵倒、ネットの負の側面の断片達への印象は、 今日では、あまりに当然のモノと取られるだろうし、 それらを実名で晒して、罵倒返しで遣り込める、 筒井御大の腕力に皆、呆れ、驚嘆するのだろう。 しかし、開始前、筒井御大も、そして多くの読者も、 「ネット集合知」幻想、「ネット性善説」幻想、 と言うべきモノを抱いていて、 本当に、作者が思いもよらぬ展開で、先読み不能になる、、、、。 様な希望を持っていた。 蓋を開けると、建設的なモノよりは、破壊的な、 非難、罵倒、負の意思が、多勢を占めた、と言って良い。 また、建設的な提言を試みても、 筒井御大の知性に及ばず、事前に準備した枠組みを、大きく、 より建設的な方向へ動かす事は出来なかったのではないか? (これは、投書の方でも大差無かった、と思われる) 登場人物の大量虐殺は、たしか中盤では無かったかと思うが、 「嗚呼、筒井さん、諦めたな、、、。」と感じた記憶がある。 そっから先は、小説としてはヤマ場ではあるのだが、 例えば、途中でヒロインの運命を、読者の意見で書き換える、 ルート分岐が登場するのだが、殆ど一発ギャグと言って良く、 大笑いした後で、 「本来はもっと繊細な事がやりたかったんじゃないかなぁ」 と複雑な気分になった。 読者罵倒にしても、先行短編の再利用の側面があり、 ヤクザとの最終決戦も、当時としては「懐かしの筒井ドタバタ」だったと言える。 言わば「手癖」で纏めてしまった、と感じた。 また「連載中は病気も出来ない、他の仕事もセーブする」と予告していたのが、 (たしかエッセイで)連載終了前に家族旅行に行った、内容が書かれて、 「あー、投げちゃった」と思った記憶がある。 自分の読者達、殊に若い連中が掲示板で露わにした、 負の意思の表出、への絶望と、 この作品での「挫折」が、 その数年後の断筆騒動に及ぼした影響は、 大きかったのではないだろうか。 追記) 上記の書き込み後、再読。 登場人物粛正と、ルート分岐の順番が逆であった。 と気がついたが、修正せず追記にしておく。 なぜ勘違いしたかというと、 ルート分岐が中盤、1992年1月掲載分なのだが、 前月下旬に「電脳筒井線」1巻が発売され、 若い読者達の「荒らし」が明らかになっていて、 その一部が、このルート分岐の章で作中にも登場したからだ。 更にその直前、二回目のパーティー終盤でも、 既に、筒井線での荒廃状況が反映されたような不穏な描写が始まっていた。 なので、「どうもこれは上手くいってないようだ」と感じ、 「本来はもっと繊細な」とか「諦めた」といった感想になったのだろう。 再読して、ルート分岐の部分は、おそらく当初構想の宿題、 「やっておきたい展開」を消化したんだなぁ、と感じた。 直後から怒濤の破滅的ドタバタで、終盤まで突き進む。 登場人物粛正に先んじてヤクザ達が登場するのだが、 彼らは実に痛快に下品に終盤を盛り上げる。 それはおそらく「筒井線」や投書を占めていただろう大多数、 当時既に「下流国民化」し始めていた読者達に対応しての、 登場人物交代、では無かったか、と思う。 | ||||
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読了:2017年104冊(8月11冊)★3.2 『朝のガスパール (新潮文庫)』1995/7、筒井 康隆 (著) いかにも筒井康隆らしい本。かなり“虚構”です、オンパレードです。本書は朝日新聞に連載されていた小説であるが、その内容がいつも通り斬新である。本書は、堂々と小説中で感想や意見を募り、それを小説中で発表する。それも小説中に作者(筒井康隆)と編集者が登場し、その内容にあーだこーだいう場面が定期的に訪れる。こんな小説がいままであっただろうか?実際に、読者の意見を、読者が読むという機会は少ないので、それはそれで新鮮だった。新聞連載なので、登場人物が多すぎると読者が混乱する(切り抜きで残していない限り思いだせない)こと、やはり筒井康隆にはSFの内容を望むファンが多いこと、そして新規のファンはSFではなく人間模様のストーリーを望んでいること、など。 特に際立ったストーリーで仕立てられている訳ではない、この奇想天外な展開を純粋に楽しむ、というのが本書の読み方であろうか?筒井康隆作品を読みながらいつも思う。筒井康隆のメッセージとは何だろう?と。どんな小説でも何か読者に訴えたいことが必ずあるのである(だから小説を書く)。ちなみに本書で日本SF大賞を受賞している、、、文学的価値がまだまだ私には掴み切れない…、小説界の現代アートのようだ。 ───「何を書こうとしているのかわかっていて書いても面白くないだろうが」櫟沢は憤然とする。「コロンブスだって、そこにアメリカ大陸があると思って航海したわけじゃないんだぞ。俺は他の作家みたいに、安全な沿岸航海はしたくないんだ」(p.109) | ||||
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個人的な筒井再読祭りで、再び手にした一冊。 当時は、なんか喜んで読んでた覚えがありますが、今読むと微妙かも。 特にまずいと思うシーンは ・過剰な投稿者批判 その日の分まるまる使って・・・しかも3,4日分続くし。 当時の”新聞小説ファン層”は、この期間ホントに憂鬱だったと思います。 ・登場人物過多 後半にて、”作者のシャドウ”に「新聞小説の枠を壊したかった」的なことを語らせてますが 既に門構えや造り自体が異常なんだから、他の部分で枠をはみ出す必要はなかったかもね。 余計にややこしくなるし。 ま、大勢を一気に退場させる荒業を披露することに繋がったので、有りと言えば有りだったかも。 ・他作品への依存 『パプリカ』を読んでいないと、まったく分からない部分が終盤ある。 ・(最初のにも繋がるが)作者上から過ぎ 作家側の”言葉への敏感さ”を語る部分が中盤あたりにあったと思いますが、 それは誰のジャッジなの?肥大した自我・自意識とも言える作者が行っていいのか?と。 また、終盤にガートルード・スタイン女史やピカソの言葉を借りて、 今作の正当性を主張する部分がありますが、だからソレのジャッジは誰が出来るんだと。 ピカソの言う”醜い作品”に、朝ガスが当て嵌まると、誰が言い切れるのでしょうか? (自分で言うのは違うだろうと) かつて『読者罵倒』で見せた強烈な罵倒芸の片鱗を見せる部分もありますが 筒井さんてホントに読者嫌いだったんだなぁ・・・。 また、一歩引いて思うのは、現在では作ることの出来ない作品だなーという事です。 現在の”新聞小説”ファンはもっと受け入れてくれないだろうし、 ネット面だと、今のツイッターやFBでやってたら、そりゃもう収拾つかんだろうなぁと。 パソコン通信という、牧歌的なものだったから、ある程度成立してた様な気がします。 とはいうものの、虚数の洞窟と、テーブルを手刀で割るシーンは 今でも変わらず「好きだ」と言える自分もいた。 | ||||
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コンピューター・ゲーム『まぼろしの遊撃隊』に熱中する金剛商事常務・貴野原。その美貌の妻聡子は株の投資に失敗し、夫の全財産を抵当に、巨額の負債を作っていた。窮地の聡子を救うため、なんと”まぼろしの遊撃隊”がやってきた! かくして債務取立代行のヤクザ達と兵士達の銃撃戦が始まる・・・・・・と粗筋だけ聞けばそう目新しい印象を受けないだろうが、さに非ず。多重虚構構造を設定し、最終的にその「壁」を全て取り払ってしまうという「実験」もさることながら、新聞連載という特性を利用して読者の投書、そしてパソコン通信『電脳筒井線』へのメッセージをも巻き込んだ前代未聞の読者参加小説なのである。 しかし、アイディアは非常に面白いと思うのだが、内容はそれほどではないと思う。手を広げすぎてストーリーの収拾がつかなくなっているような気がする(筒井作品ってみんなそうじゃん、と思う人もいるかもしれないが、筒井作品はメチャクチャに見えて筋が一本通っているというのが私の持論である)。 少なくとも現在進行形で読むことが出来ない今後の読者にとっては大して魅力的な作品ではないだろう。ただ筒井作品の登場人物たちが随所に出てくるなどサービス精神旺盛な作品なので、筒井ファンにはたまらない作品だろう。第13回日本SF大賞受賞。 | ||||
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第1刷発行は1992年。朝日新聞連載小説「朝のガスパール」執筆のために立ち上げたパソコン通信サイトのlog。横書き。筒井康隆は笑犬楼またはジャズ大名または唯野教授を名乗る。朝日新聞担当者、渡辺香津美、山下洋輔も登場。p62に麻紀の話題が出る。サイトというメディアの性質のためか本にして読むと狂騒的で未読の山に苦しんでいる。今ではサイトの方がメインで新聞の方がサブという時代。時の流れは速いなあ、という感想を持ってしまう。もう少し時間が経過すれば歴史考証として価値が出るかも。 | ||||
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