ゼンデギ
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| 本書は2010年に発表されたイーガンの9作目の長編。日本では6番目の長編として2015年に『白熱光』に次いで翻訳・出版された。 当時の評者は『宇宙消失』以来のイーガン恐怖症(?)に陥っていたので、新刊は購入しても積読していた。ただ、本書だけは早々に読了した友人の話を聞いてそれほど恐れなくてもよさそうだと思っていた。しかし恐怖症を克服する(?)まで時間がかかった上に、日本での出版順に(短編集を含めて13冊(12作))読んできたので、本書に辿り着くまでずいぶん時間がかかってしまった。結局10年間積読していたことになる。 『ゼンデギ』という表題は意味が分からず、イーガンの作風もあって少し不安感を覚えるが、英語の“Life”を意味するペルシア語であり、作中に登場するVRゲームの名前だとわかると少し安心する。 読後感を一言でまとめると、イーガンの長編としては予想外だったということになる。 これまでのイーガンの長編は、発端は日常的に始まっても早い段階で現実とは相当に異なる設定の舞台(仮想世界、未来社会等)に移行していた。また、登場人物もいわゆる一般的な社会人ではない場合が多かった。それは、奇想とも言えるアイデアを語るために現実とは異なる舞台や登場人物が必要とされたためだろう。 しかし、本作は、発表年に近い近未来のイランを舞台に、オーストラリア人の男性ジャーナリストとアメリカでの研究経験を持つイラン人の女性ゲーム開発者を主人公にしているため、舞台となっているイランの日常生活こそ多少の異郷感があるが、SFとしては比較的日常的な物語として描かれている。 これは、『順列都市』、『ディアスポラ』、『白熱光』など、特に癖の強い長編の印象に捕らえられている評者にとっては予想できないことだった。 しかし、イーガンの作品全体で見ればそれほど珍しいものではない。政治的な混乱の中にあるイランという舞台こそ初めてだけど、中短編の中には本作のように一般的な社会人を主人公にして近未来の技術を描いた作品もある。つまり、本作は、これまで中編にしていたようなテーマを長編として描いた作品ということになる。 中短編と長編の違いはどこに有るのだろうか。 さまざまな定義があるとは思うが、仮に、アイデアを語ることを柱とするのが短編。そのアイデアに何らかのドラマを加えて描くのが中編とするならば、長編はそのアイデアとドラマを十分に膨らませて、中短編では描き切れないものを描く。そして、読者にひとつの物語を読んだという満足感を与える。それが長編ではないだろうか。 本作のアイデアの主テーマは仮想人格。昨今流行の人工知能ではなく、実在の人間の人格を仮想空間上で再現するというもの。イーガンの過去の作品には、長篇、中短編共に仮想人格が登場するものが多いが、それらの全ては完成されたものとして登場していた。技術的に発展途上のものが描かれていたこともあるが、全体的な生命進化の流れとして、進化した生命は必然的に仮想空間上の情報生命体に移行すると想定されているものが多かった。 しかし、本作で描かれるのは、初期的な仮想人格。人類最初の仮想人格は、誰が、どのような目的で、どのような方法で生み出そうとするのか?それを描いたのが本作である。 このテーマのSFは、仮想人格を人工生命の一形態と考えるなら過去にも数限りなく書かれている。 イーガンは、歴史的な傑作も数多いこの分野に何を付け加えようとしたのだろう? 想像するに、イーガンは、人工生命の実現は当面の目標としては困難だが、機能が限定されたものならば最新の技術を使うことによって実現可能ではないかという発想で本作を構想したのではないかと思う。 評者が考えるイーガンのアイデアのポイントは以下の5点。 仮想人格は脳マッピングデータによって脳ネットワークを再現することで実現されるが、その技術の確立はまだまだ先になる。 ゲームや映画に登場するプロキシ(キャラクター)の機能を向上させることにより、機能が限定された人工生命を産みだすことができるのではないか。 有名なスポーツ選手の能力を測定してプログラムすることができれば、ゲームのキャラクターとして再現することができるだろう。 個人の運動能力が仮想空間で再現できるのならば、個人の人格もある程度再現できるのではないか。 個人の人格を仮想空間で再現するためには、どのようなデータを測定する必要があるのか。 このアイデアに従って、仮想人格を実現するためのプロジェクトが進んでいく。 一方、ドラマについては親子の関係が描かれる。このテーマについては中篇の「ひとりっ子」や長篇の『ディアスポラ』などで描かれているので、イーガンにとってはなじみ深いテーマなのではないだろうか。ただ、本作ではそれが長篇としての大きなテーマになっているので、過去のどの作品よりもドラマチックな設定で踏み込んで描いていると思う。 本作は二部構成で、第一部は発表の3年後の西暦2012年を、第二部はその15年後を舞台にしている。 また、全体を通して奇数章は、主人公の一人、ジャーナリストであるマーティンの物語を、奇数章はもう一人の主人公、ナシムの物語を描いている。 この中で、第一部の奇数章は、アイデア、テーマとの関係は希薄で、舞台背景とキャラクター紹介の意味合いが強い。一方、偶数章の方は、ナシムが技術者であることからキャラクター紹介と同時にアイデアの技術基盤が紹介されている。 第一部は、発表時点からすれば近未来だが同時代感覚が強い。あまりに日常的なうえに展開も緻密なので、読んでいる間は本書のテーマを忘れてしまっていた。 特に奇数章については政治的ドキュメンタリーがテーマだったのではないかと疑うほど。その設定については結局、第二部で架空歴史になってしまったけれども。 なお、第一章に登場する〈Audacity〉は、評者も音源をデジタル化する時に使っていたので、主人公の気持ちはよくわかる。振り返ってみれば恥ずかしく、買い直すほどのものではないようなコレクションも確かに自分の一部であって、人格の一部を構成しているのだと思う。 第二部になるとメインテーマが動き始める。 詳述すると結末を明かしてしまいそうな気がするので、以下は箇条書きにとどめる。 ゲーム〈ゼンデギ〉のシナリオとして描かれている『シャーナーメ』の物語には、良きライバルであるテッド・チャンの世界への接近を感じる。 ナシムが予感し、ロロも忠告するキャプランと〈イコノメトリクス〉による〈ファリバ〉の未来は『ブレードランナー』に通じる世界かもしれない。 キャプランはナシムに「もしうまくいかなかったとき、自分でゴミを片付ける覚悟はあるか?」と問うが、これは『フランケンシュタイン』以来の課題に対する回答だなと思う。 読了後にネットでの評価を見て初めて気づいたのだが、本書はイーガンの作品の中では読者の評価はあまり高くないらしい。近未来のイランを舞台にしてその社会と政治体制についてしつこいまでに細かく記述していること、また、過去の長編で描かれていたような発想の飛躍が見られないことが主たる原因のようだ。評者は2人の主人公の日常と同時に、2人を取り巻いている社会状況も興味深く読んでいたので、その低評価は意外だった。 近未来を舞台とすることのリスクが現れているのかもしれない。舞台となっている時代が現実に到来し、架空のものとして描かれていた仮想人格がAI、ディープ・ラーニングによって実現しようとしていることが、本作の“売り”の一つを時代遅れにしてしまったと考えられているのかもしれない。(アポロ計画の実現が月面探検SFの時代を終わらせてしまった過去を思い出す。) 原文と比べたわけではないが、ところどころかなり理解するのに悩む表現があった。これは、『ディアスポラ』や『白熱光』では当たり前だったが、読み易いと思えた本作でも同様だった。論理の組み立ての複雑さと記述の細かさはこれまでの超ハードSFと変わらないということかも。 | ||||
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| 本作は日本語訳にして550ページ超にも及びますが、SFの骨子となる科学技術の構想に関する部分の情報量は全体のページ数の多さに比して遥かに少なく、本作自体の内容としては短編小説で事足りるレベルだと思いました。 イランの政治・社会情勢に関する部分、ゼンデギ(ペルシア語でlifeの意)内部での中世ヨーロッパ時代の冒険の部分などは、本作の科学技術である意識の近似的なデジタルコピーとはほとんど関係が無いといっても過言ではなく、作品全体に渡って科学技術と関係性の低い記述が多く、作中の言葉を借りれば、まさに音や映像の圧縮技術のように、この作品も冗長な文章を削ぎ落し、数分の1のサイズに圧縮してもなお読み手に与える印象は結果的に変わらないのではないかと思える程でした。 あくまでも想像ですが、元々短編用だったストーリーを長編用に肉付けしたのではないか、しかも作業的肉付けに終始したために、まるで550ページにも及ぶ乱数表を読まされているような気分になる作品が完成したのではないかと思いました。 しかしながら、その”肉付け”においては、与えられた一本のマッチ棒を巨大な特製火炎放射器に作り変えてしまうように、与えられた僅かな種を多角的・俯瞰的に解釈し、次々にイメージを展開・関連させていくというイーガンの力押し技を垣間見ることができるので、イーガン節が好きな人にはオススメできる作品であると言えます。 そのほか、企業の現場のリアルな描写や、産業サスペンスの要素などが含まれていたり、第26節においてデジタルコピーのマーティンが初めてテストランするシーンでは感動と涙を誘うものがありました。 気力がある方は是非一読されてはいかかでしょうか。 | ||||
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| 前半の退屈極まる革命描写はバッサリ捨てても問題なかったのではないかと思う。これのせいでかなり読み進むのが大変だった。 中盤以降は、小学校低学年の息子を持つ父親として、主人公に強烈な親近感を感じざるを得ず。 結果として辛く、重苦しく、救いのない作品だった、という感想。 SFのキモとしてはタイトルの「ゼンデギ」(VRゲームポッド)よりも、そのアバターを作り出す「サイドローディング」になるだろうか。 人間を電子情報化する際に、脳マップをまんまアップロードするのではなく、一定のテストに対する反応から、それと同じ反応をする人工知能を作るもの。うまいサッカープレイヤーをサイドローディングすると、やっぱりサッカーの上手いアバターが出来上がる。 最近のディープラーニングされた人工知能の振る舞いに近いように思われて、さすがイーガン先見の明がある、と思う。 ただ、2017年現在、この手の”人工知能”は「道具」としての進化は続けているけど、西海岸的「人格のアップロード」文化とは馴染まないきがするなぁ、と思いつつ読み進めると案の定のラスト。肩すかし感は否めない。ただ、イーガンは西海岸的”それ”を信じているようだ。だとするとこのラストは何だろう。 とにかくこれだけ哀しい思いをしてこのオチか、という、ちょっと怒りにも感じた絶望感がある。こんな灰色一色のSF書く人だったっけかなぁ。それとも自分が何も読み取れていないのか。 冒頭のLPからのリッピングの描写や電子書籍化の際の取りこぼし描写(ラストを読んだ後この辺の描写をみればオチの示すところは明らかだ)についてこの先人類がどういう結論を下すのかはわからないけど、「時間の波に洗われる」ことが加速されているのではないかなぁ、とも思う。ScanSnapの前で紙束のpdf化に土日祝日を割いている身としては、結局「灰は灰に」ということなんじゃ?という気持ちでもある。 いや、面白かったんですよ!(付け足しのように) ただ、お話が、悲しかったので。 イーガンがいいたかったのは、”魂”は”振る舞い”とは全く違うところにあって、振る舞いの完コピが 魂を生み出すことはない、方法を変えないとね(例えばディアスポラのように)ってことなのかなぁ、 とは思う。思うけどもさ。 | ||||
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| イーガン2010年の作品で、時代は執筆時から見て数年後から少し未来。メインとなる舞台は二か所で、一つはイラン、そしてもう一つはタイトルにもなっている Zendegi というアーケード VR ゲーム(!)の世界です。 核となるネタはイーガンお得意の、人間を計算機上で再現しましょう、なのですが、本作品の場合、時代はごく初期の研究開発の段階です。脳の神経構造をそのまま再現する「アップロード」は技術的にとても困難で研究が頓挫する一方、多くの個体から得たビッグデータとしての脳を統計的なアプローチで再構成する技術が生まれます。ただ、それはあくまでも標準的な脳のモデルのようなもので、そこに個体として期待される振る舞いはありません。そんな中、「サイドローディング」という新手法が考案され、主人公(の一人)が自らの分身(作中ではプロキシ)を作る必要に迫られ、自らサイドローディングの被験者となって…というお話です。 サイドローディングというのは (詳しく書くとネタバレなので)ざっくり言うと、統計的に作られた大雑把な脳モデルに対して、個体の振る舞いをシステム同定し、調整して行く、というものでなるほどこういうアプローチなら技術的に未熟な段階でも実用的なプロキシが作れるかもと納得させられます。この辺りは非常によく書けていてさすがこのテーマを長年追い続けているイーガンならではと思います。 また、VR技術の描写も現代的かつ精緻で読み応えがあります。 一方で、作品の相当量がゲーム中のシナリオ描写に割かれていますが、正直これは割とどうでもいい部分な上に、日本人には馴染みの薄いペルシアのお伽話の世界なので、ちょっと読み疲れました。 あと、話の最後のオチが控え目すぎなのも、こっち系のイーガン作品の「 」や「」に比べると物足りないかなぁというのが個人的な感想です。まぁその分リアリティはあるんですが。 | ||||
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| カノグレッグ・イーガンの作品ということでかなり構えて手にとった。 が、意外に手におえないほど難解であるということもなく普通に読み進めることが出来た。 イラン民主化を描く冒頭はイーガンにしては少しエンターテイメントしてるなと思った。 ハリウッド的というか、映画的というか。 この箇所が知人などの言う冗長な箇所であったのだろう。 その後に書かれるVRMMOのようなシステムや脳マッピングなどはわかりやすいイーガン、一般人に妥協してくれたイーガンとして読めた。 | ||||
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