万物理論
- カルト (79)
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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読み始めは、JPホーガンのような路線を想像したのですが、むしろPKディックでした。 | ||||
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未読の方はご注意ください
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宗教・思想と科学の対立、関係性が個人的な読みどころ。 また、汎性という概念とキャラクターが刺激的で面白い。肉(ホルモン)からの隷属の開放。しかし、それは自分なのか、そもそも人なのか(人である理由もないが)。 ディストレスの謎解き以降は、結論は面白いが、そこに無理に向かった感じがして、置いてかれた ロビンダンバーの「科学がきらわれる理由」を思い出した。 | ||||
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相変わらずぶっ飛んでる。今回はいろんな勢力が絡むのと、英語特有のまどろっこしい言い回しのせいで、どの勢力が何をやろうとしているのか、整理が難しかった。ただ主人公には感情移入できた方。最後に、人間同士が理解できると考えるのは幻想みたいなこと言い始めるのにはニヤリとした。汎性のアキリの描写の仕方が、不思議なほど魅力的で良かった。冒頭の、死体に語らせる技術は、それだけで一本書けてしまいそうなものだが、それ以後出てこなかったのは贅沢な使い方だなと思う。 | ||||
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題名、あらすじを読んで万物理論の実証を巡る論理思考的な戦いの話を想像していたのですが、 読んでみたら、それとは少し違い万物理論自体は物語を回すためのマクガフィン的な扱い以上のものになっていないように感じた。 いつの間にかモサラの万物理論自体が前提とされ、それを巡るカルトなど、設定のための設定としか感じられず、中盤以降はただひたすら長いと感じるだけで乗れなかった。 まあ、自分はあまり良きSF読者ではないのだろうと確認した一作でした。 | ||||
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6冊目のイーガン。 2冊の短編集を読んで、イーガンの小説とは何なのかということが少しわかりかけてきたと思って3作目の長編を読み始めてみたら、これがまた、ものすごい難物。 短編集では、いくつか手ごわい作品もあったが面白く読みやすい話も多く楽しめたけれど、長編はまったく別物。読めば読むほど謎が広がってゴールが遠ざかって行くみたい。迷路の中を進んでいるようで、現在地点のマップを作りながら読み進んだが、罠にかかったり、袋小路に迷い込むよう。やっとのことで読み終えたけれど、自分がたどり着いた場所が本当のゴールなのか、実は自信がない。 読書体験として相当濃厚だったというのは間違いない。通常とは違った意味でスリルとサスペンスにあふれていたと言えるかもしれない。果たして自分は無事に結末にたどり着くのだろうか?途中で遭難してしまうのではないだろうかと最後まで不安だった。 一本の長編の中にどれだけ情報量の多いSFネタを詰め込めるかに挑戦したかのような設定も混乱の元。でもそれこそがイーガン独特の世界を感じさせるのも確か。 本書の日本語タイトルは『万物理論』だけれど、原題は“DISTRESS(遭難)”、突如蔓延する奇病の名前である。どう考えても接点がわからないふたつのタイトルの関連が明らかになる時が物語の終わりなのだが、この関係は、『宇宙消失(1992)』とその原題“QUARANTINE(隔離)”の関係と同じ。 解説によると初期の3長編はどれも“主観的宇宙論もの”ということだが、『宇宙消失』は(読んでいる間はそうは思えなかったが)振り返ってみるとわりと単純(その代わりほど設定がややこしい)な“主観的宇宙論もの”だった。それに比べると本書はテクノロジーと人間の関係や、ジェンダーに関わる問題など複数のサブテーマが合流しながら流れていく暴れ河のような展開で語られる“主観的宇宙論もの”だった。 『順列都市』もそうだったけれど、本書も読み進んでいくうちにややこしいサブテーマがどんどん増えていく。しかし、それは無駄な話ではなく、そのすべてが本筋にしっかり絡んできて、それが語られるからこその結論になって行く。 構成を考えればパーツの組み合わせなのだろうけれど、そういう骨格が見えないほど肉厚で複雑なストーリーが語られる。 なお、『宇宙消失』は量子論をアイデアの基礎に置いた話、『順列都市』は数学論を基礎に置いた話で、いずれも理科系のアイデアが基礎になっているが、『万物理論』は、表題には似合わず理系っぽいところは多くない。 最終的にはすべてが解明されるのだが、それに納得するかどうかは読者次第のような気がする。 評者の場合は、こうきたか!という感心と、そう説明されてもなあ?という中途半端な感じを持った。 宇宙のすべてを解明する『万物理論』と言っても、数式ではないので、理科系ではなくても理解はできます。 しかし、言ってみれば哲学のようなもの。受け取り方によっては当たり前じゃないかと考えることもできるかもしれない。 そう考えると、本書のテーマは『万物理論』ではなく、過去の作品と同様、アイデンティティと人間関係かなと思う。 これが一つの物語にまとまとまっているのだから凄い小説だとは思うのだけれども、自信を持ってそう言い切れないのがかなり情けない。 これから先、イーガンの長編を読むのがますます不安になってきた。 | ||||
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"だから宇宙はただひとつの法則に従うのーひとつの万物理論に。宇宙はひとりの人間によって完全に説明される。"1995年発刊の本書は、著者曰く"主観的宇宙論"シリーズの1冊にして、無政府状態の島国国家を舞台に展開する緻密なギミック説明や意表をつく展開が知的めまいを引きおこすハードSF傑作。 個人的には『宇宙消失』『順列都市』と、今さらながら今年はオーストラリア生まれの覆面作家にして、ハードSFの代表的作家として受賞歴多数の著者作にハマってきている事もあり、本書も手にとってみました。 さて、そんな本書は第一部で"片目にAI付きのカメラ、腸にはメモリチップを埋め込んだ"映像ジャーナリストである主人公の人柄や時代設定を紹介した後は、主に南太平洋の人工島、移住者が国民の大半をしめ、無政府状態ーストートレスで開催されるアインシュタイン国際会議での【『万物理論』の発表を巡る研究者や暗躍するカルト集団とのやりとり】が描かれていくのですが。 執筆にあたっては関連分野の【学会誌などを事前にしっかり読み込む】事で有名な著者らしく、物語展開としては【前半スロー、後半は怒涛の展開!】と読みやすいものの、全体としては【学会でのスケールの大きな理論物理学の発表を聴講しているような】不思議な読後感でした。(だが、そこが"多少よくわからなくても、すっっっごくおもしろい"著者らしくて良い!) 一方で、本書では2010年発売のiPadに先駆けて、ノートパッドといった携帯デバイスが登場する他、様々な攻殻機動隊的な近未来ギミックが(相変わらずの)詳細な説明付きで描かれていますが、こちらに関しては近未来小説の宿命かもしれませんが【圧倒的にイメージが追いつけないわけのわからなさ】をSFに求める私には、最近の【WEBニュースで読んだような既視感】があって、本書に関してはちょっと残念でした(それとは別に、科学技術の発展によるジェンダーや身体論は興味深いです) SFに科学要素や学術リアリティーを求めるウンチク好きな誰かへ、あるいは未来社会の倫理観を考えたい方へもオススメ。 | ||||
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