(短編集)
ひとりっ子
- SF (392)
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日本での出版順に読んでいるので、8冊目のイーガン。 本書を読むまで、イーガンの中短編は、長編と比べると読み易く、比較的わかり易いという印象だったのだが、本書は途中からその印象が変わってしまった。 1995年に発表された「ルミナス」あたりから、一度読んだだけでは理解できない文章が増えてきた気がする。 振り返ってみると、わかり易いと思ったのは心理学または生物学的なアイデアの短編が多く、わかり難いのは数学又は物理学的なアイデアに基づいて組み立てられた話が多かった。何のことはない。理解しづらい難しい作品が増えてきたと思ったのは、1995年頃から数学や物理学的なアイデアを使った作品が増えてきたためだということなのかもしれない。 本作品集でも、理解に苦しんだのは数学論や量子論のアイデアで語られた作品群だった。しかし、苦しみながら読んだ作品でも理解は不十分ながら驚くようなストーリーが語られており、作品のテーマやクライマックスのビジョンを味わうことができた。 このようなアイデアの作品群(あえて理系とは言わない)を得意とする読者も少なからずいるとは思うが、評者のように苦手な読者も粘り強く読むことによって、努力に応じた成果が得られると思う。 なお、巻末の奥平泉氏の解説にいう“ザッハリッヒ”「身もふたもない」笑いという指摘は、いままで考えたこともなかった視点で、大いに納得するところではあるけれども、それだけじゃないとも思う。 個々の作品について整理してみる。 「行動原理(1990年)」 自己啓発や娯楽のために感覚を調整したり意識を変えるインプラントが合法化された時代。妻を強盗犯に殺された主人公は倫理感が強い人間だったが、このインプラントを使って復讐することを計画する。 中盤は、主人公がこの復讐を実行するのかどうか。そして終盤は、主人公が犯人と対面した時、その復讐が成功するのかどうかのサスペンス。 技術によって性格を変えることが可能になった時代。選択は個人の意思によるが、その結果に支配されるのもまた個人だった。 自分の意思や医薬品によって行動を決定することは現実にあるので、架空のインプラント技術によってそれを可視化しようとしたものなのか。佳作 「真心(1991年)」 複数回の離婚、再婚が当たり前になった時代。再婚から数か月、徐々に熱が冷め始めている夫婦。ある夜、妻は将来への不安を避けるために今の気持ちを固定するインプラントを使いたいと言う。 夫は感情を人工的に操作することに嫌悪感を持っていたが、妻のためにそれを受け入れることを決意する・・・。イソップみたいな話。佳作。 「ルミナス(1995年)」 110枚ほどの短めの中編。眠っていた主人公が何者かに襲われて何かを奪われようとしている場面から物語がはじまる。彼はなぜこのような状況に陥ったのか。 話は彼が学生だった頃に遡る。同じクラスのガールフレンドが、“数学の定理は、物理的系がそれをテストした場合にのみ真となる”というとんでもないアイデアを思いつく。これが“数学には、無矛盾性の〈不備〉が、宇宙の始原から散らばっている”という仮説に発展し、それが宇宙を揺るがす大事件の発端だった。 タイトルの“ルミナス”は中国が軍事科学用に試作した光スーパーコンピュータ。主人公たちは仮説を検証するために指導教官だったユワン教授の協力を得てそれを使うのだが、計算結果はとんでもない現象を引き起こす・・・というバリントン・ベイリーばりの奇想小説。“ルミナス”はかっこいいし、本ネタの数学的アイデアはものすごいし、終盤の展開はワイドスクリーン・バロック的。クライマックスがちょっと尻すぼみな感じだけど中短編なのでしょうがないか。『順列都市』のミニチュア版みたい。話についていくのが難しかったけれど、中身の濃い秀作。本書の中では一番好きな作品。 「決断者(1995年)」 「ルミナス」の翌月に雑誌に掲載された短編。読んだ時にはピンとこなかったが、整理してみるとなかなかの作品。 主人公は盛り場の暗がりで金持ちの中年男を脅してハイテクガジェットの眼帯(パッチ)を巻き上げる。それはバイオフィードバック式で、ストレスや興奮、精神集中などの測定値を画像の色や形でコード化して脳内にサブリミナル表示する。もしかしたら、これを使えば意思を決定している根源を探ることができるかもしれない。 主人公は再び盛り場の暗がりで待ち伏せして若者を相手にテストを試みる。 これもアイデンティティの追及がテーマの話なのか? サイバーパンクな哲学的なヴァイオレンス小説かも? 人間の意思決定の根源を探るというテーマは壮大で、結論も、ビジュアル的に“無限の歯車”が見えたような気がした・・・準傑作と評価しようかと思ったけど、秀作かな。 「ふたりの距離(1992年)」 両者ともに他者の自己認識について興味を持っている(俗にいえば、お互いが考えていることを知りたいと思っている)カップルが〈エンドーリ装置〉を使ってお互いの体を交換してみる話だけど、設定は次第にエスカレートして、両者が共に女性だった場合はとか、共に男性だったらとか、いろいろやってみた結果・・・当然、『君の名は』のような結果にはならない。本格SFらしい結論。佳作。 「オラクル(2000年)」 160枚超の中編。 陰惨な冒頭部から始まるが、すぐにロボットのようなものが登場する20世紀前半の物語になっていく。どこかで聞いたのとよく似た物語が別の名前で語られる改変歴史小説のようだ。最後のページで作者は本編の登場人物は架空であるとわざわざ説明しているが、解説によると、驚いたことに本編に書かれていることは一部を除いておおむね事実らしい。 作者は、伝えられている史実に合わせて本編の物語を作ったのだろう。趣味的な作品で時々みかける構成だけど、解説が事実ならば、このような複雑な設定をよく組み込んだなあと思う。 さらに、終盤、ファウストの展開をなぞっているところなどパロディ作品でよく見る手法だけれど、これほどレベルが高いと単なるパロディとは思えない。 マルチバースの世界で分岐を越えて人間を見守る存在の孤高。 量子重力理論と時空のゆらぎが本編とどのように関係しているのかまったく理解できない。 傑作だと思うが、正直なところ、適切に評価できる自信がない。 「ひとりっ子(2002年)」 180枚の中編。 ある出来事を契機として始まる主人公とその家族の半世紀が描かれる。 子どもに対する親の思いはいつの世も変わらない。たとえその子どもが何者であっても・・・ 主人公の選択は世の中に大きな影響を与えることになるのだが、その結果が前作と関係しているとは、あとがきで説明されるまでまったく気が付かなかった。そして、選択する者はその結果を受け入れなければならない。 “量子コヒーレンス”や“エヴァレットの多世界解釈”など難解な理論を組み合わせて語られる物語は、予想外の方向に展開し、意外な方向で決着する。 「ひとりっ子(シングルトン)」は、孤高の存在という意味で、クラークの『都市と星』のユニーク(アルヴィン)を言い替えた同義語ではないかと思っていたけど、ちょっと違うみたい。 ややこしいところを除くと、後半のストーリー展開が『ファイブスター物語 第一巻』と同じみたい。思い返してみると「オラクル」のヒロインなんて〈時の魔女(=光の女神)〉のエピソードになりそうじゃないか。 これも、確かに傑作だと思うのだが、どこまで正確に理解できているかまったく自信がない。できたらいつかちゃんと理解したいなあ。 クライマックスで、フォーカスが当たっている部分以外あっさり省略してしまっているのがちょっと寂しい。フランシーンのこととか。 | ||||
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SF小説でありながらもイーガンの哲学的考察を織り交ぜた作品が多く、そういえばイーガン作品の特徴はSF娯楽作品に終始するのではなく、緻密な哲学的考察が読者に殴りかかってくる作品が多いのだなと改めて気付かさせるそんな短編集です。とても楽しめました。 | ||||
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『The One』という映画があった。125のパラレルワールドに存在するもう一人の“自分”を抹殺することにより全能の力を得ようとした男の話だ。 『The One』は波動関数の収縮を体現したコペンハーゲン解釈をなぞった映画といえるだろう。に対し、本短編集に収録されている『オラクル』と『ひとりっ子』は、宇宙は量子が重ね合わさった世界へ分岐していくというドイッチュが支持する多世界解釈をベースにしている。 しかしこの多世界解釈、理論的には穴だらけで専門家に言わせるとかなりマユツバものらしい。その空白をイーガン流の想像力(ファンタジー)で埋めて、らしくみせたストーリー(フィクション)が上記2作といえるのではないか。 そもそも宇宙には量子デコヒーレンスによる波動関数の収縮を外側から観測する者がいない以上、科学的証明などできるわけないのであるが、クアプスなる架空プロセッサーを“ぼく”に開発させたイーガンは、“ヘレン”というAIロボットにその観測者の役割を担わせている。 ナチスドイツの暗号エニグマを解読するために古典コンピューターの原型を作ったといわれるチューリング。ホモセクシャルでもあった彼をモデルにしたロバート・ストゥーニーに知恵を授けたのがこのヘレン(観測者)という設定だ。 (ドイッチュ理論も個人的には十分スピリチュアルだとは思うが)どこかスピリチュアルなペンローズの量子脳理論は一蹴、大乗仏教の唯識と量子論を関連づけたがる輩などは歯牙にもかけない“ぼく”(イーガン)。 アンドロイドに宇宙でたった一つの意識をもたせることができるなら、多世界解釈の証明はおろか、分枝のベクトルだって変えて(未来を予測して)みせる。作家の壮大な自信を伺わせる連作である。 「(量子コンピューターの)能力の源泉は、膨大な数の並行宇宙で計算を分担する点にある」 デヴィッド・ドイッチュ | ||||
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意味が分かったときには叫びたくなった「ひとりっ子」を始めとする短編を集めたもの。 まさかねえ、量子力学的な多元宇宙論でのひとりっ子だとは思いもしないですよ。 あぁ、びっくりした。 そして、この本のもう一つの売りは、「オラクル」。 モデルはチューリング。 イーガンが過去を題材にしているのが珍しい。 ああ、でも、こうして未来を取り込んでいるのね。 夭折しなかったチューリングを描いていて興味深い。 イーガンのネタには、チューリングマシンを利用したものがあるから、書いてみたかったんでしょうねえ。 通常のイーガンの驚きのほかに、読んでいて楽しくもあった本でした。 | ||||
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インプラント技術による意識改革をモチーフにした個人やカップルの行動に関する話は、どこかディック作品を思い出させる。インプラントやパッチというテクノロジーガジェットの存在が個人の存在や行動にどういう影響を与えるかという考察を繰り返す作品群は、すごく興味を引かれる作品だ。 片や数学や量子論をモチーフに使った作品は、一読して難解。最後になって「あ、そうか!」と合点がいく気がした。理解しやすいシチュエーションの挿話に落とし込んでいるところは、作家の工夫というか努力を感じる。 | ||||
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