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ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編



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ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編の評価: 4.08/5点 レビュー 132件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.08pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全132件 81~100 5/7ページ
No.52:
(2pt)

皮を剥ぐ男  壁にかかった人皮

本屋で立ち読みしたときに読み出しがとてもいい感じ
っだたので、一気に3部買ってしまいました。
買ってしまった手前読まなくては勿体ないと思い読破しましたが、
感想としては、正直しんどかった。
読んでいても頭にイメージがわかず、読んでいる目の前の文字がそのまま頭に浮かんでくる
感じ(アマゾンのレビューで改行もせずに横もいっぱいまで使って
書いてある長文を読まされているような??)でぜんぜん入り込めませんでした。
独特の世界観や、読者に結末を委ね色々深読みさせるというスタイルが
好きな人ははまるのでしょうか?
村上春樹の小説は題名のセンスのよさに惹かれ手に取るのですが
やっぱり僕には合わないようです。
ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)より
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No.51:
(3pt)

新しい結末を求めて!

これまでの作品を超えるモノとしての3部があり、村上作品の特徴のひとつである(レイモンド・カーヴァーみたいに!)短編を元にした長編作品という枠から、さらに超えて結末を模索するように感じました。2部までは確かにこれまでの作品と同じ村上春樹さんの特徴(あちらの世界とこちらの世界という2つの世界が出てきたり、自身に非は無いものの巻き込まれる事や、様々に魅力的な脇を固めるキャラクターたちや、スーパーナチュラルな何かを持った鍵になる人物、主人公に好意的な複数の魅力的な女性の登場、使用される楽曲の選曲の素晴らしさ、時々出てくる固有名詞を交えるのが絶妙な事とか、物語を終えた後の余韻の深さ等)を備えていますが、その中でも少し(「妊娠」という今までの村上作品にはない現実的重さ=責任を伴うもの、現実の名前の付く戦争=圧倒的暴力に繋がること)変化がありますし、さらに3部に至ると今までにない要素がさらに加わります。現実の日本の政治の世界への繋がりと、名前の付く戦争(圧倒的暴力)への暴力を介した繋がり、そして物語の終着点の新しさです。それ以前のままでなら、間違いなく2部で終わっていたと思います。しかし3部を作ることで物語の結末が新しいのです。自身の手を汚し、象徴としてでも、あちらの世界であろうとなんだろうと、主人公が暴力的解決策を実行する事は今までにないことです。今までの作品であるなら、一見平和に見えるこの世界は非常に暴力的な、理不尽な世界である事を示唆して、なお自分から暴力的解決策を取らない、降りかかるものに対しては必要最小限度の介入をする、あるいは第3者が助け出す、または既に手遅れ(だからこその諦念が《ニヒリズムとは似て非なるものなのに!》あるいは深い喪失感にリアリティを持たせる事に成功していた!と個人的には考えます)、というパターンだったのに。
ただより様々なキャラクター、事件、世界、時間、など村上さんの得意とする(あるいはいつもよりもさらに広い)世界と時間を扱った為と思われるますが、その大きさ故のリアリティが、説得力がなくなってしまっていると私個人は思います。例えとして良いか悪いかワカラナイけれど、「羊をめぐる冒険」に羊男が出てくる、彼は実際の人物に見えて実は存在しない、鏡には映らない「ナニカ」である、文章で書かれている。あちらの世界の人物(「ダンス〜」では実際羊男に会うには暗闇を通してドルフィン・ホテルからあちらの世界であるいるかホテルに行かなければ会えない)で私個人は納得できる説得させられる。しかし、「ねじまき鳥クロニクル」に出てくる【仮縫い】という行為に、井戸の底に下りる事で壁をすり抜ける行為に、顔に出来るあざに、文章で描かれていても説得力やリアリティを感じないのです。これだけ詰め込めば仕方のない事かもしれませんけれど。ですが、ここまで村上春樹作品としての世界を広げるならば(狭い、個人的世界で勝負していたからこその成り立ちみたいなものがかなり消えてしまっていると私は思います)それ相応の細かなものひとつひとつに対する入れ込む何かが足りなかったのでは?と思ってしまいます。
また、暴力的解決策を取らざる得ない程の自身と対比する「悪」を登場させるという構図を取ることにより、結局の所(もちろん自身を「正義」と表記する事は無いのですが)結果として自分を正義に置く行為になってしまっています。その遠因に「ダンス〜」の時と同じ様に「遺伝子」を使い、また、戦争の影を落として綿谷ノボルに「悪」を背負わせ、また「クミコ」にもその影響を与えることが、私にはちょっとアンフェアで納得できなかったのだと感じました。いままでの作品で出せていた、またはしつこく繰り返されていた、巻き込まれることで被害者的立場のモノが発する、受け入れるチカラ、強さ、が自身を信じ、暴力的解決を取ることで私には、説得力を、納得を得られませんでした。普通に生活する事で手を汚さない人間はいませんが、だからこそ誰もが進んで手を汚す必要は無いし、汚れに慣れてしまうことの恐怖、いつ自分が汚れそのものとして扱われても不思議ではないこの世界にいることへの配慮を思い出させる事の出来る小説として成り立っていた部分が抜け落ちてしまっているように感じられるのです。ま、それだけではどうしようもないのですけれど。「やれやれ」とつぶやくことでは何も解決しない!とアンチ村上春樹さんたちが言う気持ちも少しは分かりますが。
ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)より
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No.50:
(4pt)

再読してみて!

一年くらい前に読んだねじまき鳥クロニクルを再読しました。
 
三部構成で長い小説であるにもかかわらずスラスラと読んでしまえるのはやはり村上さんの力と言えるのではないでしょうか。
読み終えた感想といたしましては、二回目という事もあり一回目の「わけが全然わからない、けれど面白い!世界観が好き」というところから「なんとなく流れがつかめてきて、漠然と、うっすらと理解できそう。そして、やはり面白い、やっぱり好きな世界観だ!」という感じに変わりました。
たぶんきっと何回読みなおしても、本当に言いたいことや、これこれこう、だからこう!というような事ははっきりとワカラナイような気がします。
オシイマモル監督が昔TVでいっていた言葉の中に「わからない物はわからないで良い。それを解ってしまった時はもうそれを卒業する時だ!!」って言うような事をいっていましたが何だかそんな感じがします。解らないからもういいや!ってなるのではなく、解らないからもう一回読んでみよう!ってなるこのねじまき鳥クロニクルはやはりすごい作品であるのだと思います。
ちなみにかぶれやすい私はカティーサークのオンザロックを飲むようになり、ロッシーニのアルバムを買い、「どろぼうかささぎ」を聴き、クラッシックも良いなぁー、なんて思っている今日この頃です、
ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)より
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No.49:
(4pt)

春樹の意図

読み終わった。
長かったけど、あっという間だった。
彼の作品にしては珍しく、拡散しまくるストーリーがある程度解明され、謎解きされ、収束に向かい、そして完結する(とはいっても、いわゆる普通の小説のようにストーリーが「完結」するわけではないが)。
とは言え、読売文学賞を受賞し、春樹の代表作ともいえるこの作品をより良く解釈するために、いくつかの評論を読んでみた。
その中でも僕の心を打った批評を書いたのは、やはり吉本隆明であった(『消費のなかの芸〜ベストセラーを読む』)。第2部のレビューに書いたが、この作品は1・2巻が同時に発売され、3巻はその1年後に発売された。つまりこの第3部は恐らく執筆当初は構想に入っていなかった物語であり、番外編に近い。
ではなぜ第3部を春樹は書いたのか?
吉本は言う。
「この第三巻目は全体的な印象で言えば、親切極まりない「解決篇」ということだとおもう。(中略)わたしにはこの第三巻は親切すぎて蛇足に近いとおもわれた。」
ではその理由は?
吉本は二つの点を指摘する。
@主格の変化
「本来(第1部・2部)では主人公「ねじまき鳥」が「僕」と言う一人称で物語が展開してきたのに、この第三巻に至って、章によって転々と主格が変わり、その都度、あれ、この文章は誰(何)が主体になっているのかと確かめなければならなくなる。そういわれなくても、主格の変転は、読む者に散漫な印象を強いる。その上作品が通俗化された印象も加わってくる。」
A文体のリズムの弛緩
「わたしは近年の村上春樹の半分の魅力は、文体のリズムがそれ自体で持っている詩的な語りの流露のこころよさにあるとおもってきた。だがこの第三巻は主格の転変がこのリズムを分断してしまっていることと相俟って、テンポが大幅に弛緩しているとおもえた。」
またさらに、吉本は、「物語としてここは展開があると感じたところが2箇所(@「僕」とナツメグの父の獣医とを重ね合わせる工夫をしているところ A第三部の終盤で、「僕」がいつも降りてゆく井戸の底からバットが消えている、という設定のところ)しかなく、そのせいで、この作品は、様々な挿話が複雑に工夫されて挿められているのに、単調な感じがして仕方がないという感想を禁じえない」と言う。
まさにその通り。
僕がこんな超超大作を、こんなにあっという間に読めたのは、そのせいだったのか。彼の文章が読みやすいからと言う単純な答えではなかった。
つまり総括すれば第3巻は必要だったのか?ということになる。春樹らしくない「収束性」をもった物語にする必要があったのか?と言うことだ。
だがきっと、春樹には何らかの意図があったのだろうし、何らかの使命感を持ってこの小説を「簡潔」させたのだろう。
ただ、「この作家は現役の作家の中では、頭一つ抜いたなと感じた。」と、@・2部を読み終えた吉本が言ったように、村上春樹はやはり、それでも、偉大な作家であると感じざるをえない3部作であった。
ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)より
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No.48:
(5pt)

ねじまき鳥ワールドに圧倒

 第3章では主人公がクミコを取り戻そうとする強い意志が感じ取れました。
 ラストは非常にサバサバとしたものですが、壮大なパズルを組み立てているかのような錯覚を覚えるほど、夢と現実、過去と今とが複雑に絡み合う。最後まで読み進め、ねじまき鳥ワールドに圧倒された。
ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)より
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No.47:
(5pt)

ねじまき鳥 現代への警鐘の声

「暴力」はこの作品の大きなテーマの一つです。
間宮中尉やナツメグの物語に登場する、戦時下での「巨大な暴力」。
もはや誰にも止められない凄惨で虚しい暴力を、村上春樹は見事に描き切っています。
それだけでなく、「その暴力はどのようにして巨大化してしまうのか」も、ボリス・綿谷ノボルの巧妙な戦略とそれに追従してしまう人々を通じて、しっかり書かれています。
この綿谷ノボル的な、「巧妙に人々を取り込んでいく暴力性と、それを受け入れてしまう人々」・・・という動きを、おそらく村上春樹は、日本の中にもアメリカの中にも
(この本は作者がアメリカ在住時に書かれた)強く感じ、危惧していたのではないでしょうか。
「彼らはテレビの言うことをそのまま信じているのだ」と、作者はわざわざ太字で書いています。
ボリスだけでは、綿谷ノボルだけでは、「巨大な暴力」は成り立たない。それを許してしまう多くの人々によって、それは巨大化し、止められない凄惨な流れになってしまう。
笠原メイはバイク事故を自ら起こし人を死なせ、クミコは自分で自分を汚す行動をとります。
一見不可解なのですが、誰にでも「闇・エアポケット」があるということ、暴力性の種を持っていること、時にはそれに「魅せられてしまう」・・・ことが書かれている様にも思えます。
その無意識の領域に、作者は踏み込んでいます。
妻を奪われた主人公はこの暴力に立ち向かいます。そこがこの第三部の大きな読みどころです。
この本が出されて10年以上経ち、テロやイラク戦争が起こり、日本では9条改正のみならず核保有なんて事まで言及される時代になりました。
「彼らはテレビの言うことをそのまま信じているのだ」という言葉は、私自身への反省として受けとめたい、注意しなければ・・・と思います。
暴力は本当に巨大化してしまってからでは遅い。この本は今の時代への警鐘として、私は受けとめています。
ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 (新潮文庫)より
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No.46:
(5pt)

心に焼き付く☆

一言では言い表せないような奥深さのある物語だと思います。
強く引き込まれました。
どこか奇妙で不可思議な話でありながら、あくまでリアリティを失わず、自分に近いものとして感じさせてくれました。
誰の中にもある「悪」「暴力」といったもの(それが人を変え、多くの人を損なっていくということ)について、「そこにある本当の脅威」、また「人と人との関わり」をとてもパワーがあることして描いているのが興味深いところです。
主人公・オカダトオルに対して、それぞれに心の闇を背負った登場人物達の結びつき、また様々な挿話やモチーフがリンクして、大きな迫力と深いパワー、説得性を持った物語が築かれていきます。
それは完璧に計算されたような物語というよりは、生き物のように動く、生々しさと感情を持っているように感じました。
特にそれが膨らんでいったのが、この第三部ではないでしょうか。
主人公は、闇の象徴のような「ワタヤノボル的な世界」から、そこに取り込まれてしまった妻を取り戻すために、しっかりそれと向かい合い戦います。その姿は強く、とても人間的でした。
何が何と全てをはっきりと言える訳ではありませんが、読み終わって(読んでる最中に)、とても考えさせられたり、感動みたいなものが大きかったのは確かです。
今でも思い出すと焼き付いているのがわかる私にとって特別な作品です。
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No.45:
(5pt)

長い

主人公のクミコに対するセリフに鳥肌がたちました。個人的に村上春樹作品の中で一番好きです。
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No.44:
(5pt)

無意識領域でのコミットメント

村上春樹の大作であり意欲作。
それまでの村上氏ならば、第2部の虚無を残した結末で終わりにしてしまうようなところを、本作に於いては、さらに第3部にまで踏み入って、主人公オカダトオルが、「僕がクミコを取り戻す」という領域にまで手を伸ばしたことには、それまでの氏の作品に於けるテーマであった、諦念やノスタルジーといったものから立脚して、現実の問題に対して諦めずに格闘しようという、氏の新たな意欲が感ぜられた。
無関係と思われた様々な挿話や人物が、最終的に錯綜しつつも重なり合い、カタルシスを生むわけだが、現実の世界とは異なりながら、密接にその現実の世界と関連している、もうひとつ向こう側の世界というものの描写、すなわち「井戸」からの「壁抜け」の描写が、やはり印象に深い。
どんなに身近で解かり合えていると思っている人でも、その人の中には、必ずや深き「井戸」があり、過去があり、つまりはその人を十全に理解することとは、実は困難なのであり、<本当の自分>というものが何なのか、それぞれ自分自身でさえも解からずとも、いや寧ろそうであるからこそ、互いの奥の「井戸」を掘り上げつつ、<無意識領域でのコミットメント>というものを大事にしていくべきであるということを、筆者のメッセージとして受け取った。
釈然としない曖昧性を読者に残すことはいつものことだが、村上作品の中では、一番迫力を感ぜられる作品であるということは、間違いない。
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No.43:
(5pt)

井戸の中と風呂の中。

井戸の中で僕(主人公)が延々と考えたり、夢を見たり、あっちやこっちの世界で事件と関わる。そして、様々な人たちと出会って話をする。心の中の出来事と現実の出来事がシンクロして話は進んでいく。この小説は、ひとつの精神世界で、つくったのは「村上春樹」なんだけど「村上春樹」はそのきっかけと入口を開いたんだと思う。そこに読者が入っていくと、自分も井戸の底に降りて僕(主人公)といっしょに考えることになる。すると、その深い心情が時折痛く自分に触れてくる気がする。全部は分からないし、理解できたわけでもないのだがしみじみと何かを感じる。僕(自分)は毎日約二十分、自宅の風呂に浸かりながらこの長い物語に浸った。今回が二度目の読了なのに最後まで飽きない自分がいちばん不思議だった。
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No.42:
(4pt)

村上春樹の作品は初めてだったのですが。。。

他のありふれた小説と比べるととても抽象的で主題が捕らえにくい感じでした。
なので最近の若い人には読むのはちょっとキツいんじゃないかなって思います。
何が面白いって聞かれたら答えられないけど、どんどん読み込んでいってしまう不思議な感じ。そのような自分もすでに作者の世界観に引き込まれているのかもしれません。
読んで感じることは人それぞれだと思います。ちなみに自分は「目に見えない圧力」でした。。。
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No.41:
(2pt)

綿谷ノボル的な。。。

この長編をグイグイ読ませるのはさすが、という感じです。村上春樹さんの作り出す不思議な世界にはまり込んでいってしまいそうな。。
その不思議な世界は魅力的で好きなんだけれど、クミコやクレタ、シナモンも間宮中尉の話もすべて終結しないまま、この話はすべてが拡散してまっているような気がします。それが作者の意図するものなのでしょうか。この小説自体が至極綿谷ノボル的終わり方である気がします。
クレタはどこにいて実際に子供を生んだのか?痣のある獣医の力のことも、シナモンの父が何故殺されたかも、尻切れトンボのまま。
笠原メイのカツラの話は面白かったけれど。
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No.40:
(5pt)

渾身の力作ではないでしょうか?

約10年ぶりに読み返しました。作者渾身の力作だと、いま思います。
作者独特の節回しで、パラレルな世界にひそみ、そしてこの世界にも繋がり、顕在する、暗く暴力的なものと最後まで逃げずに戦っています。
ねじまき鳥の声を聞き、井戸を潜り、ノモンハンを抜け、最後にたどりつくクライマックスは作者の作品の中でも独特なものでは無いでしょうか、主人公のセリフに背中が痺れました。
この作品を通り抜け、海辺のカフカにいたるまで随分と時間がたっているのだな、と再確認しました。でもそれは当然のように必要な時間だったのでしょう。
長い3部作ですが、一気に読ませます、すごくおもしろかった。
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No.39:
(4pt)

文学の捧げもの

悪者に誘拐された恋人(妻)を奪還しようとする話…。古典的な勧善懲悪の活劇パターンを、村上春樹が料理するとこんなに複雑で、意味深で、謎めいた物語になるのかぁと、ため息を禁じえませんでした。
どこがどう面白いのかわかりませんが、読み出したらとまらない。本の中では「想像することがここでは命取りになるのだ」というのが一つのキーワードとして出てきますが、あれこれ想像せずにはいられなくなります。
推理小説の種明かしのように、ストンストンと腑に落ちて爽快!という読後感ではありませんが、当分身の周りに春樹ワールドが漂っているような不思議な気がします。しかもそれが心地よい。
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No.38:
(5pt)

村上春樹の真骨頂

村上春樹ファンの人にとってはマスト的な一冊。彼の作風には、現実的で切ないものと、メタファーを駆使した一読では作品を把握しづらいものの二種がある。ねじ鳥に関してなら確実に後者に相当するだろう。難解で訳分かんなくて二千ページ以上読んでも結局謎だらけで終わってしまう小説だが、つまらないという事はけしてない(私はすでに三回も読んでいる)。レディオヘッドのトムヨークも絶賛の長編なのでぜひ一読されたし。ハルキムラカミの不思議な世界へご招待。
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No.37:
(4pt)

とても私的な感想

村上春樹氏の長編小説。
言葉が集積して迫ってくるような
妙な圧迫感を感じました。
この感じは・・・ドストエフスキーの『罪と罰』。同じ空気。
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No.36:
(5pt)

前兆、繋がり、謎

賛否両論に分かれる小説であることは明確ですね。春樹さんの読者に結末を委ねるスタイル、好きです。解明されていない謎があるけど、それは解明しても意味ないのかもしれない。
3部作を全部読んで感じたのは「繋がり」がテーマのひとつではないかということ。すべてが後で時間をかけて繋がっていく。
加納マルタはもしかしてクミコの姉とリンクしていて、クレタはクミコとリンクしていて、間宮中尉は顔のない男=虚ろな人間とリンクしていて、ボリスは綿谷ノボルと、間宮中尉は岡田トオルとリンクしてるように感じた。
コルシカはなぜかクレタの子供で、間宮中尉と暮らしているらしいし、なぜか岡田夫婦の将来の子供もコルシカの名に・・・。
「繋がり」はあちらの世界とこちらの世界を繋ぐ井戸でもある。
今、僕は一読してこんなことを考えている。
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No.35:
(3pt)

この第三部はあった方がよかったのか?

村上春樹の最高傑作「ねじまき鳥クロニクル」の完結編。彼の本は大体単行本で読んでいたんですが、初めて文庫で読んでみました。う〜ん。これは・・。あった方が良かったのか?なかった方が良かったのか?第一部第二部は良かったんだけど、これは苦しいか。という印象が拒めません。
登場人物から行くとシナモンという若いイケメンの動きのしなやかな男が白眉。ナツメグという彼の御母堂様はなんだか団塊世代の理想の女性。働き者で、自分があり、そして成功の暁には、滅茶苦茶スノッブになる女。そして、妙〜な小男、牛河(牛の皮を被った男?)の出現。この男こそ、これ以後の村上春樹を方向付ける特徴的な性格となっていると思います。この男の猥雑さが2000年以後の彼の作品を良くも悪くも多彩で騒々しいある意味ドストエフスキー的な小説に変えて行くようにみえます。
小説の纏まりからすると第三部は不思議な熱を放つこぶ?のようですが、小説家のスケールの展開という意味では、計り知れなく大きい意味を持つ里標なのかも知れません。
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No.34:
(5pt)

回転扉の中でダンスを踊る

あらゆる困難な状況に追い込まれていても、自分の信念を貫き通す主人公や間宮中尉の言動に心を打たれました。
自分を取り巻く環境というのは必ずしも自分で選び取ることができるものではありません。
どの回転扉の仕切りに入っても、自分なりのベストを尽くすという姿勢が大切なんだと再認識させられました。
周りにモノや情報があふれ、自分自身を見失ってしまいがちな現代人にとって、そのような姿勢は非常に大切なことだと思います。
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No.33:
(5pt)

人間の悪…

何度読み直しても、どのように話と話が関係してるのか何度想像してみても、答えは出てこなくて、でも想像してみるごとに世界が広がっていきます。はっきりとアザのこと、綿谷昇の能力のこと、ノモンハン事件との関連のことなど書かれていなくて、なんのことだかわからず終わったという人もいると思いますが、自分で想像して謎を解くという感覚がとても楽しかったです。読んでいる途中に何度も読むのを止め、妄想にふけってしまいました。3巻の中盤になってくると、終わるのが惜しくてゆっくり読みたいけど、次が読みたくてあっと言う間に読んでしまいました。ノモンハンでの皮剥ぎボリス、現在での綿谷昇が、権力を使って人々を抑圧する悪で、現在とノモンハンは間宮中尉VS皮剥ぎボリス、僕VS綿谷昇というところでリンクしているのではないかと思います。この作品には人間の悪の部分が書かれていると思います。戦争だったり、権力を悪用したりなど…。人々は気付かないうちに、また気付いていても言えずに、悪の言いなりになっているのかもしれません。
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