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ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編
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ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.08pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全102件 1~20 1/6ページ
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30年ほど前に大学生のころに読んだ 懐かしくて再読。1部~3部まで一週間くらいで読み切った | ||||
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著者の長編はいくつか読みましたが、このねじまき鳥は結構読み進めるのに苦労しました。特に3部。比喩が何を指しているのかを探るのが著者の作品の面白いところだと個人的に思うのですが、本作品は特に難しく感じました。 ただよくこれだけの長編を色々な人物の視点、過去の歴史、空想世界と合致させて構成できるなと素人ながら感動しました。 内容は正直謎なのですが、ただ個人という本質やら内面やらの重要性、人間の内側の部分が侵食されると、それに足掻いてもそれを抹殺するしか、もう本来の姿には戻ってこれないような印象を得ました。うまく言えないのですが、皮を剥ぐ人物や綿谷ノボルの本来の姿、クミコが主人公と一緒になることで自分を取り戻したい気持ち、けど不可能だったなどから考察した結果ですが。ようやく読了したので再度読む気力は今は無いのですが、時間をおいて再読するとまた新しい見え方があると想像するとワクワクします。 | ||||
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分厚い3部作を読んだ感想が「なんだったんだろう」とは。 描かれていたのは、心と体、性、暴力、戦争。 普通の日常を送っていたはずの主人公が、巻き込まれていく世界。 引き込まれる展開でしたが、しかしこれが何の物語だったのかわかりません。 終盤で主人公が奥さんに繰り返す「僕は君を連れて帰る」のセリフは素敵でした。 村上春樹、やはりスゴすぎる。 | ||||
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良く、あんなにしゃべれますね。 | ||||
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村上春樹氏の作品の中でも、重層的で難解と感じていた本作品を、なぜラインナップしたのか、不思議に思っていました。audibleから村上春樹ワールドに入門される方は、カフカやノルウェイの方がコンテンツとして合っているように思えます。 audibleリスナー像としては、若いころリアルタイム(90年代)で書籍に挑戦し、わけのわからぬまま読了、でも何となく心に引っ掛かりつつも、家庭や仕事が忙しく、村上春樹どころではない中年。こんなところでしょうか。 ナレーションですが、第一部は違和感ありました。しかし間宮中尉や牛河、ナツメグが出てくるあたりは、ナレーターの方も井戸の底に落ちたかな、と思うくらいハマっていました。長時間の収録、おつかれさまでした。 | ||||
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1、2部はオーディブルで聴き放題対象でしたので、キャンペーンのオーディブルお試し期間で無料で聴きました。3部まであると知らず、3部は聴き放題対象ではありませんでした。「3部は買ってね」ってことらしく、まんまとマーケティング戦略にハマりましたが、続きが気になったので買いましたよ。 最後まで読むと面白いですが、とにかく長いです。1部の時点で何度か読むのを止めました。言い回しも所々回りくどく、正直まどろっこしさが否めません。もっと工夫して削れるところは削ったほうが洗練された感じは出るかと。これだと原稿の文字数稼ぎに見えなくもない為、ノーベル賞などは難しいでしょうね。 1部の前半部分で引き込む力が弱いです。オーディブルで普段は内容の濃いビジネス書を聴いていて頭が疲れた時、気晴らしにぼーっと聴けるものとして、小説を聴き流すというのを繰り返し、この小説もその流れで聴いてました。1部は聴きながら他の事を考えてたり、いつの間にか他の事をしてたりと、正直、読者をのめり込ませる強さに欠けます。面白い小説はそのような事が起こりません。2部辺りのなんたら中尉やら娼婦の独白あたりで、小説ならではの追体験の醍醐味が出てきてようやく引き込まれました。 笠原メイでしたか、16歳の設定のようですが、ちょっとませ過ぎですね。24歳くらいが適当な感じがします。こういった違和感を含めて、全体を通して、作者の女性に対する「男が知り得ない認知領域を女性は持っていてしかるべき」というある種の羨望を交えた思い込みが伺えます。翻って、作者は男なのに女性心理を良く理解している印象も受けます。深い人間洞察とそれを言語を使って浮き彫りにする能力は有していると言えるでしょう。 コンピュータを使ったチャットに関しては、完全に作者の想像で書かれたものというのが手に取るように分かり、ちょっと吹き出しました。でも、30年も前に書かれたものですし、そのような表面的なことは物語の本質ではないので許容範囲です。 精神世界と現実世界が交錯し、優男がハードボイルド化していく意外性とその結末が、なかなかよくできていて満足感を与えてくれます。読んで損はない一品ですが、とにかく長いです。 | ||||
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10/10、10/17、10/24と一巻ずつ読了して完読しました。謎めいた登場人物たちとミステリー&サスペンス風の構成・語り口で、最後まで飽きることなく味読できました。最近では稀有の充実した読書体験でした。(最後の「東電OL」風のオチは、どうなのかとは思いましたが・・・)物語としてはいろいろな軸というか切り口で剖解できるかと思いますが(その意味で、次回の「100分de名著」での謎解き(というか、答え合わせ)を楽しみにしてます)、本書を分析的に語ることは却って味わいを損ねてしまうように思います。読み手がそれぞれに、本書全体を読了・把握したうえで自分の物語なりを主体的に紡ぎ出していくことを求めているような、そういうパワーを本書から感じ取りました。 私見ですが、「100分de名著」を観る方は、観る前に読んでおいた方がお得ではないかと考えます。 | ||||
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前半では、主人公の「僕」は、近所の空井戸に落ちてしまうが、加納マルタの妹によって救助される。後半で、また空井戸に落ちてしまうが、今度は、赤坂シナモンに助けてもらう。最後は感動的な青春ドラマ風の落ちになる。これをお話の骨格にして、この間、いろんな工夫・・・自分なりの表現、残酷なエピソード(ノモンハン事件とか満州でのカワハギ殺人とかバットでの撲殺とか)、エッチなもの(奥さんが激しい浮気で発情していた)、とか、スター政治家への怨嗟とかが出てきて、読者をひっぱりこむ。私もひっぱりこまれました。でもあとには何も残ってません。ひっぱり技術を評価して5点。現代日本小説の最高峰。日本の文芸・芸術の担い手は、今やコミック(劇画、漫画)であると確信。 | ||||
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全3巻読み終えた。 ハルキが、長編で初めて夫婦の問題を描いた。主人公の夫が、間接的に伝えらえる妻の別れたいという言い分に納得しないのはなぜだろうと思った。今まで、愛情抜きのセックスを描いてきたハルキにとって、妻というものの重要性はさしてないものだと思っていたのだが、この作品では様相が異なり、また、最後で妻は重要なことを行う。 ハルキの重要なモチーフである「根源的な悪」の退治方法は自殺(「羊をめぐる冒険」、「ダンス・ダンス・ダンス」)、声援を送る(「カエルくん、東京を救う」)と異なり、本作では井戸から抜け出た異界でバットで殴るという直接的かつ矮小な暴力的手段がとられる。退治方法の変化は興味深いが、バットで殴るという手段は、カタルシスがなくて個人的に納得できない。 作中では皮剥ぎ男など暴力的なシーンもあり、一方で、綿谷ノボルの行った暴力行為の内容がどう読んでも不明瞭であるなど、作者は「根源的な悪」の描写に意図的に差異を設定している。 週刊誌の記事、シナモンの書いている物語に本質が書いてあるなど、物語構造も凝っている。 しかし、一言で言って「1Q84」より読みにくい。疲れた。 | ||||
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文章に入りやすく、一巻から三巻通して読み終えました。若い夫婦の、妻がある日突然いなくなった話で、それに。いろいろな関係者が、現れ、戦前の戦争の話、近所の高校生、他それぞれ少しずつつながりがあり。白日夢のような感覚、性体験があり、読者を引き込んでいきます。村上ランドに浸っていく。読み終えると。何かけだるい感じはします。今の世の中すっきりしないことが多いので、時代にあっているのかも。麻薬のようなところがあり、また次の小説が読みたくなるような。出版社にはよいですね。以上はあくまで素人の感想です。 | ||||
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ワタヤノボルという純粋に破壊的な人物は政治家となって、(おそらく)戦争時には無慈悲な殺戮へと突き進んだ巨大なシステムを現代に再建しようとしていたのだろう。その姿は間宮中尉の語る皮剥ボリスと重なる。過去の歴史は現在において繰り返されるのだ。その人物を抹殺しない限り。 ワタヤノボルがクミコに、クミコの姉に、そして加納クレタにやったこととは一体何だったのだろうか?私の考えでは、それは意識という皮を剥ぎ、肉を引き裂いて心の奥底に侵入し、そこからその人自身にも知らない、取り扱うことのできない内容を引っ張り出して自己をバラバラにし、汚すことだった。・・・私にもまだよく分からないし、言葉では言い難いが、それは柔らかくて傷つきやすい人間の心を破壊する行為には違いない。 先ほどたまたまネットで、40代の中年の男が小学4年生の9歳女児に性的暴行を加えたというニュース記事を読んだ。『ねじまき鳥』を読了してまもない私には、その行為はワタヤノボルのしていたこととそれほど違わないように感じた。人間を汚し破壊する、やってはいけないおぞましい行為だ。 後の『海辺のカフカ』でもそのような純粋な破壊姓(ジョニー・ウォーカー)との戦いが繰り広げられることになる。愛情と破壊姓の戦い、生の本能と死の本能の戦いとでも呼べるだろうか、そのような対立は過去だけでなく、私達のまわりでも、私達の中でも繰り広げられているかもしれない。 また、夫婦関係というテーマも個人的に好きです。私たちは自分のパートナーをどこまで理解できるんでしょうか?主人公の「僕」は愛情でもってその限界に挑んでいます。 とにかくスケールが大きく、味わいきれないほど大きな物語でした。このような物語は村上春樹さん以外書けないでしょう。 | ||||
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面白かった、という言い方より感慨深いというほうが近いかな。 これまでの村上作品にはあまり感じなかった暴力性、というかワルイ奴の登場で、これまでの主人公たちの辛気臭さがなくなったように感じたのか読みやすく、テーマや物語性が際立ち、かつ深まってきているように思う。 特に強く感じるのは、一般的には対立的と捉えられているものの不可分性というか一体性というか、うまく言えないけど東洋的な感覚、精神性だった。 意識/意識下、癒し/汚し、現在/過去、自己/他者、ただある/だからある・・・などが、混然一体、包み包まれている中で否定や肯定ではなく、受け入れることで前に進む。 自分から世界へ、世界から自分へ、というようなものの見方・考え方もこれまでの作品以上に強く伝わってくる。 予知や夢やイメージを描きながら、過去とその認識についても多く語られる。 忘れてはいけない、諦めてはいけない。 村上さんの「自分」以外へのメッセージを本作で強く感じた。 人が生きていくということはどういうことなのかということを考えさせられた。 この物語の登場人物に笠原メイという少女がいる。 彼女に関するストーリーに、すごく元気が出た。 主人公が悶々とし、時に暴力という表現しかなくなる中で、自分の力で自分を見出していく彼女の姿は清い。 ドロドロとしたようにも読める作品だけれど、とてもピュアな一作だなと思う。 | ||||
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図書館で借りて読み、もう一度手に取りたくて注文しました。村上春樹さんご本人のサインまであって、驚くと同時に嬉しかったです。 | ||||
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ねじまきどりクロニクル 1q84 騎士団長殺し 村上春樹作品ををみなおしました、読んでいる間とても充実していた時間を持てました。それぞれの作品にもう1冊ずつ続編希望です。 | ||||
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読後感としては、物語の中でちらちらと見え隠れするシナモンという人物について、もっと詳しく描いた作品を読んでみたいなと思いました。 全体を通しては、1・2部は比較的すんなりと読み進められましたが、3部に入っての展開に多少ひっかかりを覚え、スピードが落ちてしまいました。 また、戦争についての記述(回想という形での)はとても重く受け止められました。たくさんの人に読んでほしいと思います。 | ||||
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3部から、主人公が人間臭くなるのが印象的でした。 登場人物の話し言葉に、どこか優しさや思いやりが感じられるのも良かったです。 ハッ!とさせられる言葉の数々には、毎回感心させられます。 職場に皮剥ぎボリスのような上司がいて、職場の雰囲気がガラッと暗い方向へと変わってしまった経緯もあって、個人的に大変引き込まれました。 心に囚われのような物が残り、苦心している最中だったので、この本を読んで、悪に囚われすぎることなく前に進もうという勇気を貰えた気がします。 的外れなレビューかもしれませんが、書き記しておきます。 | ||||
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物語の舞台である80年代は、ポストモダン思想によって「大きな物語の終焉」が告げられた時代でもあります。 宗教や東西対立のイデオロギーはもはや私たちの行動規範に成り得ず、表舞台から退場して行きました。 ねじまき鳥が世界のねじを巻くこの物語は、このような神なき実存世界の行方を描いています。 【「夜の国」と「昼の国」の闘い】 「それは君が僕の側の世界から、綿谷ノボルの側の世界に移ったということだ。大事なのはそのシフトなんだ。」 主人公(夜の国)と綿谷ノボル(昼の国)の対立がこの物語の構図になっています。 しかし、多様性が認められる時代にあって、聖も邪も相対的な価値基準にしか過ぎません。 「僕にはそれを証明することはできない。それが正しいという根拠はなにもないんだ。」 「でもこの場所にいる僕はそれに勝たなくてはならない。これは僕にとっての戦争なのだ。」 【笠原メイの視点】 「ねじまき鳥さん、何かあったら大きな声で私を呼びなさいね。私と、それからアヒルのヒトたちをね。」 笠原メイのエピソードは、物語の精神世界をしっかりと後ろから支えているように思えます。 魂の領域に近づく一方で、メイの視点のような外的世界の常識を失うならば、私たちの現実はたちまち破綻してしまうことでしょう。 【魂のクロニクル(年代記)】 「彼の引きずりだすものは、暴力と血に宿命的にまみれている。そしてそれは歴史の奥にあるいちばん深い暗闇にまでまっすぐ結びついている。」 私たちの過去の歴史を俯瞰すれば、戦争と暴力の悲劇を繰り返してきたことに思い至ります。 呪われた家系を背景にして起こるこの悪夢の出来事は、私たちの過去と未来を暗示しています。 【クミコの手紙】 「不思議なことですが、私はもう兄のことを憎んではいません。今の私にはただあの人の命を、この世界から消し去らなくてはならないと静かに感じているだけです。」 クミコの決断によって、呪いの遺伝子の内側から悪の連鎖は断ち切られます。 私たちの中にある根源的な悪を推し測るものは、法律や社会通念ではありません。 ましてや、旧世界の神やイデオロギーでもありません。 それは、今を生きる私たちが想像し共感する力にゆだねられているのではないでしょうか。 作者が読み解いた80年代の精神構造に、私は今でも説得力を感じています。 そして私たちが抱える問題(ポピュリズムの台頭や非寛容なネット社会)の根が大変深いものであることも。 | ||||
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久しぶりに読み直したんだが最初から最後まで安定の春樹ワールドでは無いだろうか。春樹さんのトピックに野暮ったくも感じる主人公が成長する事もあると思うんだが今作では主人公は物理的暴力に訴えるまでに至っている。春樹さんの持ち味はそれでも主人公に望んだ結果がもたらされない事か。羊をめぐる冒険やダンスの続編が読みたいという様なファンなら大満足の一気読み作品では無いでしょうか。個人的には春樹さんの作品は今作までの大半がフェイバリットと言っても良い。今作以降は性的表現などが露骨になって来てどうも個人的に違うので初期3部作を1番愛するにわか春樹ファンには今作が大きなコンマになってます。 | ||||
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最初にクミコの内面でアニムスが動き出し、混乱し、そして崩壊しクミコはオカダトオルのもとを去っていく。 絶望的な状況の中、オカダトオルはあきらめずに自分の内面にある影と戦う。ときには老賢者のアドバイスをうけ、複数のアニマと接触し、自己に迫る。そういった元型たちを、外界に投影した人々と接触する過程の中で、オカダトオルは少しづつ変わっていく。成長していく。全体性を獲得していく。井戸の底まで降りて、壁を抜けて普遍的無意識の世界まで接触することができるようになる。そのことでクミコも変わっていく。クミコも自分で成長する。オカダトオルに支えられ、アニムスの問題を自分で戦い、克服する。 そして夫婦は元の場所に戻ってくる。元の場所だが、それは以前とは少し違った場所かもしれない。 現代の夫婦の愛の問題を扱った素晴らしい物語だと思います。 このような力のある小説を書く作家(しかも同じ日本人です)と、同時代を生きられるのは本当にラッキーだと思います。 新作も楽しみです。 | ||||
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第1部、第2部と読み継ぎ、最も分厚い第3部に至って、ストーリーは一気に加速し、スピードを上げてラストになだれ込んでいく。事実、文庫本3冊は同時刊行だったが、単行本のとき、3部はかなり時間を空けての発表だったようで、その分、第3部はタッチもテンポもダイナミックになっている。という次第で、物語も登場人物も多義性を増し、いろんな想像を許す構成になっているように読めた。 ギギーッ、と啼くらしい「ねじまき鳥」はもとより、主人公が潜り込む「井戸」や、主人公の顔に突然できる「大きなアザ」、不思議な姉妹の加納クレタとマルタ、不思議な母子の赤坂ナツメグとシナモン、さらに人に不快感を与えるだけの男、牛河、シベリアの収容所の話などなど、いろいろなシーンがメタファー色強く混在し、最大のナゾともいうべき綿谷ノボルなる人物の実相も見えないまま。しかし、どんな奇妙な展開であっても「不自然な感じがしない」(どことなく必然性がうかがえる)という筆力がキープされ、とうとう全部が見通せないまま、最後まで付き合わされた。 なお、1部から3部にわたり、主人公らの食事の場面が何度も出てくる。ただ、手に取るのはパンかパスタ、ビスケット、サラダばかりで、誰ひとりとして白米を食べるシーンがないように思う。評者の見落としかもしれないが、ご飯だけでなく、お茶漬けやチャーハンを出さないところに、村上春樹らしい独特の固執があるようにも思った。 | ||||
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