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スプートニクの恋人
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スプートニクの恋人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全188件 101~120 6/10ページ
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なんだこれは。結局何が何だか全然分からないのに、わかった気になる。恋愛の感情の動きを象徴的に描くとこうなるのかなー二つの世界、別の世界という表現が印象的でした。淡々と、静かに、でも力強く物語は進んでいく。さらさらとページは進み、なんだかよくわからないうちに終わるけど、いい余韻が残る。「国境の南、太陽の西」に似ている。欲望をデフォルメして、そのままありのまま書いている。というより、村上春樹の作品は全部こんな感じなのか。わけわからないが、満足感はそこそこある。 | ||||
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1999年にリリースされた本書は、ムラカミ・ハルキ作品の中にあって、完成度の高い小説としてきわめて重要な位置を占めると思う。ラブ・ストーリであり、ミステリーであり、スリラーであり、不倫小説でもあるという、いつもながらの読者フレンドリーなムラカミ小説のこと、幾通りにも読める。 タイトルには、びっくりしたなあ、もう。青山南の新訳がチョイ前に出た不良ナンパ小説「オン・ザ・ロード」の作者ケルアック。かれが、ビートニク作家であるということと、ソ連の最初の人工衛星スプートニクとを語呂合わせ気味に取り違えたミュウのああ、勘違い。 ヒロインが突如蒸発してしまうのは、「国境の南、太陽の西」のイズミ、「1Q84」のふかえりに通じるところであり、いまや、ムラカミ作品の定番手法! | ||||
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最初、物語がごちゃごちゃしていて「最後まで読めるかな?!」という不安があったんですが最後にはすっきり。ひきこまれました。 | ||||
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全編声を出して読みました。口に絡まるような会話が印象に残りました。不思議な女性ですが、現実でしたらイライラしそうですが、主人公は大きな心で受け止めているようです。海や島の描写はなんとなくイメージができたのでいい表現であると思います。雑誌に村上春樹氏の言葉が脳の裏側をくすぐるような感じがするという表現があり、久しぶりに読んだのでしたが、昔は勢い込んで読んだのですが、この頃になると少し斜め目線で読んだものの若い頃には感じなかった文章力(表現がやはりうまいのでしょう)がすごいと感じました。国語の教科書ではぜったいに×のような感じです。 海辺のカフカは読んでいないため、あまり偉そうなことは言えませんが、文章力は本当にすごいのだと思います。 | ||||
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22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。“こちら側”と“あちら側”という抽象的な世界を描いています。あらゆるものを失った先には孤独が待ち受けており、更に孤絶した世界が広がっているのでしょう…。「人はその人生のうちで一度は荒野の中に入り、健康的で、幾分は退屈でさえある孤絶を経験するべきだ。自分がまったくの己れ一人の身に依存していることを発見し、しかるのちに自らの真実の、隠されていた力を知るのだ」 | ||||
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村上春樹にとっては少し変わった(他の作品も変わっているが)恋愛小説。 主要登場人物は3人。 村上作品は主要登場人物が3人のことが多い。 ただし、今回は多少人物の関係性が他の小説とは異なる。 そして、ストーリーの展開も他の作品とは異なっている。 人物の関係性については読んでいただくとして、ストーリーの主題がこれまでと違うことが面白い。 他の小説であれば「生と死」が大きなテーマとなっている。 この小説は「生」に重きを置かれて書かれているような気がする。 確かに途中「すみれ」に絡んで死が意識されないわけではない。 しかし、それは飽くまで仮定としての死であって、存在の消滅にはつながらない。 そして、結末に向けての展開がやや唐突な感がある。 他の作品も確かな解が示されているわけではないが、この作品についてはとにかく解も何もあったものではない。 最後の最後の展開は非常に驚く。 そこまで投げ出して私たちはあなたの何を理解すればよいのだろう。 作品自体が難しい訳ではないのに、トータルではやはり難解だ。 | ||||
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村上春樹さんの作品を初めて読みました。色々勉強させていただきました。ペダンティックで性欲の強い作家だと友人から聞いていましたが、僕は表現が豊かで知識を増やしてくれる作家さんだと思います。スプートニク号であったり観覧車のような円を運命に例える作品はほかにもある。でも、ロシア語で旅連れを意味するスプートニク使うあたりはさすがだと思いました。 | ||||
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最初読んだ時は、好きではありませんでした。 しかしタイトルと表紙の絵が好きだったからか、何度か読み返していくうちに段々と良さが分かった気がします。 なぜだろうと考えてみても、はっきりとした答えが浮かばないのですが、そういう曖昧な領域こそがこの小説の魅力ではないかなとも思います。 本文中に、「理解とは常に誤解の総体にすぎない」という言葉があります。その言葉の意味に注意しながら読んでいくと違った世界観が感じられると思います。それはミュウが閉じ込めれていた世界であったり、すみれが入っていってしまった世界だったり、また読者がいつの間にか迷い込んでしまった世界だったり・・・・。 | ||||
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「僕」が帰ってきたとか、そんなことはどうでも良いです。 年齢も性別も超えて、ただ純粋に恋に落ちて、誰かに死ぬほど恋焦がれるなんて、 ロマンチックじゃないですか。 すみれみたいな理屈も保身もない恋、 一度でいいからしてみたいものです。 | ||||
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初めて触れた村上作品。 もちろん好き嫌いはあるだろうが、独特な言い回しや展開に慣れが必要だなと感じた。 ノンフィクション作品に親しみがある身には現実離れ感が先に来てしまう。 他の作品も読んでみる必要がありそうだ。 | ||||
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当初、単行本で発売当時(10年くらい前)に読み、同著者の「ダンスダンスダンス」や「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に比べてあまりよい作品とは思えなかった。物語のカタルシスがなく、単調なストーリーに思えた。 今回、文庫本で再読すると、自分に変化があったのか、前回のような印象はまったくなかった!村上春樹の文章そのものが魅力的で、『気の毒なお月様が使い古しの腎臓みたいにぽこっと浮かんでいる」や「くだらない冗談を燃料にして走る車が発明されたら、あなたはずいぶん遠くまで行けるわよね」といったフレーズにあたると、目を閉じて、ゆっくりその言葉を味わって楽しめた。 スプートニクという人工衛星からイメージする無重力の広大な宇宙空間で絶対的な孤独と、大切なものを失う喪失感、それらにすべて許容して生きていかなければならない悲しさと勇気が与えられるような小説だった。 | ||||
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話の内容を簡単に説明すると、主人公、「僕」がする恋について、または「その他の登場人物」のお話です。 主人公と密接な関係を持っている「すみれ」は小説家になりたい22歳の女の子で、僕とは友達という関係でとても沢山話をするのです。恐らく世界中のどの恋人たちより最も長く語り合っている仲であると主人公は語っています。そう思います。 しかしその関係は恋に発展することはありません、なぜなら「すみれ」はある在日韓国人の女性と出会うことによって、生まれて初めての恋に落ちるからです。 「すみれ」はレズビアンなのです。そういうことについても彼女は「僕」に多く話します。在日韓国人の女性は会社を経営するとても奇麗な女性でした、名前は「ミュウ」といいます。 ミュウは「すみれ」を仕事の秘書として雇うことにします。そこから「すみれ」と「ミュウ」の関係というものが始まっていきます。しかし決してレズビアンの話ではないのでご安心ください。 「すみれ」「ミュウ」「僕」の関係がラブ・ストーリーで展開していきます。 展開していく様とか最終的なエンディングは・・・ まず印象的だったのは、その村上さん独特な登場人物同士の会話の表現です。 また、会話とは別に主人公の思考状態が逐一表現されます。その描写もとても面白くて、やっぱり惹かれるものがありました。 また、主人公と僕自身についての思考パターンにいくつかの接点がありました。 僕が本を読むとき、主人公に少なからず感情移入をしてしまいます。 そのことも思考パターンにいくつかの接点があった理由かもしれませんがそういう感じ方が小説の中の登場人物とリンクするということは結構まれです。 そう何冊もの本がそのようにリンクすることはないので、この本は特別な魅力みたいなもので僕は惹きつけられているのだと感じました。 | ||||
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絶対的な存在を持つ3人、言い換えれば、それを失えば完全なる孤独に陥る3人の物語。 「ミュウ」は25歳の時、絶対的な存在だった芸術(音楽)から捨てられ半身を失った女性。彼女は芸術(文学)を目指す17歳年下の若きすみれから彼女の芸術への想いを無意識に奪い、決して戻ることのない失った半身を取り戻そうとする。 「すみれ」は僕から深く愛され、求められているのを知りながら(文中のセリフから判断)、絶対的な存在を小説家になることからミュウへの恋と性欲と愛を貫くことへと変じる。 「僕」は不実な恋(不倫)で自らの精神(性欲)の均衡を図りながら、苦悩と共にこの世でただ一人の絶対者すみれを愛し抜く。 やがて3人はギリシャの島での出来事から、ある帰結へと導かれる。完全なる孤独を抱えてしまった人間の恋と性欲と愛の物語。村上さんのベスト作品ではなくとも、人間が抱える根源的な孤独と理不尽な恋と性欲と愛を深く考えさせられる稀有な価値ある小説です。 ミュウはすみれと(恐らく村上さんと)共にベートーヴェンの32曲のピアノソナタを音楽史上最も重要なピアノ曲とし、Wilhem Backhausの解釈を最も適切とした感性の持ち主ですが、絶対的な存在足り得るクラシック(音楽)と小説(本)は本書の裏の重要なファクターでもあり、「僕」と同様、本と音楽を絶対的な存在とし、絶対的な他者を喪失した人は深くシンクロせざるを得ない作品です。しかしそれは、決して負ではなく正(生)へのシンクロでした。 | ||||
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結局、焦点は「僕」と「すみれ」の関係だったと思う。 この2人は、夜中に突然電話をしあえるぐらいの仲であり、 ある意味、恋人同士のような関係と言ってもいいぐらいだった しかしながら、そこに性的な関係はない。(「僕」の片想いだった。) でも、「僕」は、その「すみれ」を 地球の周りを交わることなく飛ぶ人工衛星(スプートニク)のように見守る・・ そして、まるで保護者のような愛を注ぐ。 (他にガールフレンドを作りながらも。) そして、「すみれ」が行方不明になった時、 その思いは、より自覚的になる。 その後の出来事の描写(「にんじん」への告白など)が、 「僕」の中で、「すみれ」が不在になった時の虚無感を鮮明にしている。 『すみれは彼女にしかできないやり方で、ぼくをこの世界につなぎとめていた』 最後「すみれ」から電話がかかってくる、という結末はHappy Endだったけど、 その後、2人が交わるかどうかは、また別の話だ。 また、「すみれ」が消えた理由については、最後までわからないけど、 それも、ある意味、どうでもいい。 不在だったものが、存在になった。 『血のあとはもうない』 『僕らは同じ世界の同じ月を見ている』 | ||||
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宇宙を漂う衛星のように完全なる孤独の空間に佇みながら、 果てしなく低い確率でありながらも お互いを感じながら同じ軌道を進む・・・。 どんなに接近しても、完全なる孤独の中にいる。 そんな絶望的な切なさを感じさせながら、相手を感じることができるだけで、 何もかもが繋がっていると感じられる安心感。 かけ離れた感情がうまく表現された小説でした。 読み終わったあと、放心状態になりました。 | ||||
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読む前ただの恋愛小説だと思った。 違う。私自身に現実を超えた自己認識への疑問を問う作品となった。 でもジャンルわけなんてばからしくさせてくれる傑作。 新しい文体への挑戦だとか難しいことはわからない。 でもこの作品が多かれ少なかれ衝撃的であることは間違いがないと思う。 | ||||
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キーワードは幾つか存在する。象徴と記号、不在、喪失など。ぼくとすみれとミュウ、だれもが喪失を抱えて生きている。本当に失ってしまったものは、何にも代替できない。オブラートに包むことはできても、ただ飲み込んで生きていくだけだ。喪失の味はじわじわと甘く広がる。 すみれが姿を<煙のよう>に消してから、物語は盛り上がりをみせる。とことん不在の意味を考えさせられた後、ふっと、<煙のように>現れる。これは現実なのか夢なのか、パッピーエンドなのかさえ、どうでもいいような心持ちになる。 | ||||
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読んだら何となく得した気になった。描写に清潔感があり、程よく現実的で程よく幻想的なのが自分にあう。 それにしても、すみれが消えていった世界が気になる。どこへ行ったのか?一度「ぼく」もその世界らしき空間に足を踏み入れるシーンがある。これが非常に幻想的でイメージを沸き立たせる。 | ||||
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この小説は最後にすみれが帰ってきたという意味ではハッピーエンドなのだと思う。けれどもその代わりにミュウを失わなければならなかったという意味では捉え方は複雑になってしまう。個人的には悲しい終わり方だと感じた。天秤の一方が上がるためには一方は下がらなければならないのか?ただし主人公の「ぼく」はミュウの姿を脳裏に焼き付けてこれからも生きていく。そしてすみれの中にミュウは残る。この二人であればミュウを受け止めて生きていける。それがせめてもの救いだと思う。 | ||||
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孤独さが悲しくて仕方が無かった。この作品は現実の世界を描いていない。人間の生きている世界から、観念的な部分だけを取り出して物語にしたもの。そう思わないと、自分の中の片恋がむき出しになって、つらいのだ。けれど、意図的に目を背けて見ないようにしている感情のひとつを思い出させてくれて、今呼吸することの幅を確かに広げてくれる、優れた作品だと思う。 | ||||
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