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スプートニクの恋人
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スプートニクの恋人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全188件 41~60 3/10ページ
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すみれは 小説家志望だった。すみれの恋に落ちた相手は『ミュウ』という日本で育った韓国人。 英語とフランス語が堪能であるが 韓国語が話せない。ピアノは子供ときから習っていて、優秀だった。 フランスの音楽学校で勉強したが、父親の経営をついでからピアノはやめた。 僕は小学校の教師をしている。すみれの学年の2年上である。 ムラカミハルキは言う 『物語と言うのはある意味では、この世のものではないんだ。 本当の物語にはこっち側とあっち側を結びつけるための、呪術的な洗礼が必要とされる』 象徴とは 一方通行で 記号とは 相互通行。つまり交換可能。 ミュウは言う 『この世界で目に見えるものがそのまま正しいわけじゃない』 すみれはいう 『彼女の前に出ると、その耳の中の骨がからからと音を立てるの。 薄い貝殻でできた風鈴みたいに。そして私は強く彼女に抱きしめられたいと望む。 すべてを任せてしまいたいと思う。もしそれが性欲じゃないと言うなら、 私の血管を流れているのはトマトジュースよ』 この トマトジュースと言うのが とても印象的だった。 あぁ。こういう表現を使うのかと。 すみれは ミュウの会社の手伝いをはじめ イタリア語を勉強し始める。そして、突然 ヨーロッパに旅行に行くのである。 読みながらいろいろなところで、はっとした言葉があった。 猫がニンゲンを食べる話。 観覧車にのって 自分の部屋を眺めたら、自分がそこで セックスしていた と言う話。 この二つのストーリーが 寓話のように入っている。 スプートニクとは ロシア語で taraveling companion 「旅の連れ」と言う意味である。 ミュウは言う 『どうして ロシア人は、人工衛星にそんな奇妙な名前を付けたのかしら。 一人ぼっちでぐるぐると地球の周りをまわっている。 気の毒な金属のかたまりに過ぎないのにね』 すみれはいう 『私はそのとき理解できたの。私たちは素敵な旅の連れであったけど、 結局はそれぞれの起動を描く孤独な金属のかたまりに過ぎなかったんだって、 遠くから見ると、それは流星のように美しく見える。 でも実際の私たちは一人づつそこに閉じ込められたまま、 どこに行くことも出来ない囚人のようなものに過ぎない。 私たちはまた絶対の孤独の中にいる。いつか燃え尽きてゼロになってしまうまではね』 ふーむ。スプートニクの恋人とは そういうことを言いたかったんですね。 文章のつむぎ方に 比喩を どうやって織り込むのか? そのことに ためらいもなく 力を注いでいることがわかる。 トラがバターになるくらい の比喩が多い。それが ムラカミハルキ式なんだろう。 | ||||
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ソクラテスは人間に知らないことがあることを知ること、すなわち無知の知を説いた。それは知らないことを「無知」とし、知ることを「(有)知」とするような二項対立をもたらした。一方、すみれはそのような知の有無比較による系統立てではなく、知それ自体にフォーカスして、知っていれば「知」、知っていなければ「非知」とするようなやり方で知を捉える。つまり、知と無知は両端に位置するような線ではなく、それぞれが独立した点として捉えられるのだが、そうした知の枠組みでは、知は身近な側(現実世界)に、そして非知は間遠な側(空想世界)に位置することになる。 すみれは小さい頃に母を亡くしたが、その母も含め、一旦、あらゆる事物を非知として捉えてきた。ところが、恋心を掻き立たせるミュウの出現は、状況を一変させる。恋人は遠いところにではなく、あくまで身近なところに置かれる存在であり、知の対象として捉えざるをえない。しかし、恋人のすべてを知ることは不可能であり、恋人という親密な関係があったとしても、我々は孤独から逃れられない。つまり、文字通りスプートニクのように我々はそれぞれ独自の軌道を描いて、生を送っていくしかないのだ。すみれの挫折と消失は、まさにその孤独な現実世界の虚しさを我々に投げかけているように思える。 ソクラテス、あるいはその弟子で知についての考察を題材にした作品を多く著したプラトンは、非知という斬新な知に対する捉え方についてどう考えるだろうか?あるいは、我々は究極的には恋人と結ばれない孤独な存在と考えるだろうか?本作品後半の舞台はギリシャの小さな島(島名は明らかにされないが、位置描写から作者の名前と同じのハルキ島であるらしい)だが、あたかも古代ギリシャの知の巨人ソクラテスと愛の哲学者プラトンを意識したかのような舞台設定である。 すみれ、ミュウ、そして主人公の「ぼく」が織り成すのは、ただただ孤独な軌道である。だが、軌道はどこかで一瞬交差することがある。恋というのはそのような一瞬のきらめきをいうのかもしれない。 | ||||
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内容は、主人公の男性とすみれの物語です。主人公とすみれは、大学時代に文学の共通の趣味があり友人関係にあった。大学卒業後は、主人公は小学校の教諭になり すみれは黙々と一人で小説を書いていた。ある時、すみれは従兄の結婚式の披露宴でミュウという14歳年上の女性と知り合う。すみれはミュウに一見惚れしてしまう。ミュウはワインの輸入業等の会社の社長をやっており すみれを入社するよう誘う。すみれはミュウの会社で秘書として勤める。主人公は、すみれの引っ越しを手伝った時に性的な欲望を覚えるが友人関係を壊したくないため我慢する。すみれは、ミュウの会社に勤めてからは、小説を書くのもそれほどしなくなり秘書業に専念する。出張でミュウがギリシャに行くことになり すみれも同行する。ギリシャですみれはミュウの体を求めようとするがミュウに拒まれる。その後 すみれはパジャマ姿のまま行方不明になる。ミュウから すみれが行方不明になった知らせを受けた主人公はギャリシャの小島に行く。ギリシャについて主人公は、すみれの荷物からフロッピーディスクに保存していた すみれが書いた小説を見つける。小説は、二つあり一つは すみれのミュウに対する想いともう一つは ミュウがどうして一夜にして白髪になったかが書いてあった。ミュウの関する小説では、ミュウが20歳くらいの時にピアノでパリに行き勉強しておりその時に遊園地の観覧車に乗った。観覧車は最終だったのでミュウを乗せたのを忘れて従業員は帰ってしまった。観覧車の天辺に一人残されたミュウは、そこから自分の部屋を双眼鏡で見た。すると自分のドッペルベンガーとフェルナンデスという男が裸で抱き合っているのを見てしまう。その後 気絶をして一夜にして黒髪から白髪になってしまい性欲もなくなってしまうというすみれの文章が残っていた。その後 主人公も丘から聞こえてくるギリシャの音楽につられてあちらの世界に行きかけたが気持ちを落ち着かせて何事もなく済む。ミュウと主人公は、すみれの探索をしたが見つからず主人公だけ日本に帰る。日本に帰ってから主人公の教室の生徒の仁村晋一の母親から連絡が入る。主人公と仁村晋一の母親とは以前から性的関係があった。主人公は呼び出しのあったスーパーマーケット向かう。スーパーマーケットでは仁村晋一と母親が警備員にお叱りを受けていた。仁村晋一が万引きを起こし捕まり黙秘を続けていたので担任の主人公が呼び出されたのだ。なんとかその場を繕い主人公と仁村晋一は喫茶店に行き話をする。仁村晋一は、一言もしゃべらなかったが主人公は ギリシャで起こった自分の身の上話をする。帰り道で仁村晋一は主人公にスーパーマーケットの保安室で盗んだ鍵を主人公に渡す。主人公はその鍵を川に捨てる。その後 主人公は仁村晋一の母親にも今後会わないと告げる。しばらくたって 行方不明だったすみれから公衆電話より連絡が入るという内容でした。感想は、著者の村上春樹さんのセリフ回しや独特の表現は好きなのですが、ストーリーがあまり面白みがなく レズビアンネタと不思議な現象だけではちょっと辛かった。 | ||||
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むかしむかしに読んだ話が長い年月を経て読み返すとまったく違う話にすり変わるということはよくあることだけど、これはまさに村上春樹の話のように、すり変わるどころかべつのはなしになっちゃいました❗ 村上春樹は、オトクです❗ | ||||
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世の中はどうしようもならないことで溢れている。 例えば、誰かを愛すること、身体を求めること、想いが届かないこと、大切なものを失うこと。 目の前に広がる「’こちら側」の世界に固執するのと、よく分からない「あちら側」の世界に身を投げるのは、どちらが自分の求めることなのか。 自分が心から欲しているものは何か、言葉として、文章として形にすることで明瞭になり、そしてそれは行動に繋がる。 そうだね? そのとおり! ...そんなことを感じた作品。ただ著者の作品は「自分で解釈を考えること」を強く求められるし、人により何を感じるか意見が割れるだろうな。 ただ少なくとも、本書は読みやすい長さで、異世界間が漂う著者の初期の作品より幾分か親近感を持てる世界観なので、村上春樹の作品を初めて読む人にはおすすめかもしれない。 | ||||
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独特の世界観独特の世界観 すきなかたには堪らない。堪らなく、まるで交響曲を読んでいるかのような錯覚に陥ってしまい、言葉と言う音符に魅了されてしまうのではないのでしょうか。 そうでもない人には非常に無意味な文章が羅列され、作者の自己満足に終了。付き合いきれないというかんじではないのでしょうか | ||||
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村上さんが、1999年4月に発表した長編小説である。この直前に発表した「ねじまき鳥クロニクル」が結局3巻と言う長い作品になったから、この作品はだいぶ短く感じられる。 冒頭の文章は数多くの村上さんの書き出しの中でもかなり印象深くて、暫らく読んでいなくとも再度本を開いた時には、そうだ、すごく勢いのある文章だった、と思い出すことができる。村上さんもどこかのエッセーで、ある日この冒頭部分が頭に浮かんで、そして書き留めておいて、こんなところが一流の作家と凡人の違いであるといつも思うのだが、この「スプートニク……」を書く時に使った、と書いていたことを思い出す。 それだけでなく冒頭の印象に残る文章の直後に、22歳の大学中退で作家志望の“すみれ”が、韓国人の既婚の39歳の女性に恋愛すると言う設定になっているのだから、ただでは済まないと言うことが読者にはすぐに明らかになるだろう。 “すみれ”がこの既婚女性に出合ったのは、従姉の結婚式であった。その時に会話に出てきたのがジャック・ケルアックと言うフランス系カナダ人で後にアメリカに移り、Beat Generationとして活躍した作家である。この作家は、1922年に生まれ、1967年に大量の飲酒が祟って、47歳で内部出血のために亡くなってしまった。村上さんのことだから、きっとケルアックに傾倒したこともあったのだろう。 | ||||
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私たちは人生の途上で行き詰った時、自身のあり方に疑問を抱き、あるべき自己像を求めます。 どうすればその本来の姿を発見し、人生を再構築することができるのでしょうか? 内的世界に足を踏み入れるすみれと、外的世界で現実と向き合う主人公のぼく。 幻想的なギリシャの小島を舞台に、二人の自己再生の行方が描かれます。 【すみれの恋】 「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。」 同性愛の衝動と亡き母への思慕が、すみれを新たな世界への挑戦に導きます。 【ミュウの喪失したもの】 「ここにいるわたしは本当のわたしじゃないの。今から14年前に、わたしは本当のわたしの半分になってしまったのよ。」 ミュウは自我の強さゆえに、大切な自分のたましいを失っていました。 【にんじんとの邂逅】 「ぼくは子供の頃からずっと一人で生きてきたようなものだった。家族の誰とも気持ちが通じ合わなかったんだ。」 にんじんとの対話を通じて、こころを失いかけた過去、ひとりぼっちの寂しさを振り返り、少年と心を重ね合わせます。 そして、かけがえのないすみれを失ってしまったことを改めて実感します。 「すべてのものごとはおそらく、どこか遠くの場所で前もってひそかに失われているのかもしれない」 村上作品の終盤で繰り返されてきたこのセリフに、物語がこのまま終りを迎える予感が漂います。 【すみれの生還】 「いろいろ大変だったけど、それでもなんとか帰ってきた。ホメロスの「オデッセイ」を50字以内の短縮版にすればそうなるように」 すみれは「あちら側」の世界に辿り着き、私たちの知らないところで物語を完結させていました。 失った魂を取り返し、自己を再構築し、そこから新たな人生を推し進める彼女の無限の可能性を秘めた生き方。 そんなこの世のものと思えない奇跡の物語が語られる時を、ぼくは静かに待ち続けます。 | ||||
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割とさらっと読了。 これ以前の村上作品と比べて、割と「わかりやすい」小説だったように思う。人に薦めやすくはある。今までだったらぼかしていただろう部分も丁寧に小説内で説明されていた。ねじまき鳥でもその傾向はあったが、よりその方向が明確になった。 初期作品は日本を舞台にしているにもかかわらず、全然違う異世界の話にしか感じられなかった。この小説の表現を借りるなら、「鏡の向こうの世界」「夢の世界」といった小説世界だった。でもこの「スプートニクの恋人」はちゃんとこちら側の世界にあるように感じられた。 個人的には前のテイストの方が好きだったので、少し残念。でもそれは比較の話で、この小説単体としてはとても面白く読めた。 | ||||
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良質およびよいプロダクト 私はこの購入をしてうれしいです。 優れた経験 優れた品質の製品と超高速出荷! もし私がもっと必要ならば、私はこの店に来るだろう。 店主は非常に忍耐強い、約3日間の前に購入することを決定した。私は非常に満足している品物を受け取った。 | ||||
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どうしたらこんなに素敵な言葉を綴れるのだろうかと いつも思ってしまう。とてもかなわない、当たり前な のだけれど。 書棚を整理していたら「おや、『スプートニクの恋人』?と 思い手にとった」。数ページ読んで思い出したのだけど 最後まで読んでしまった。 こんな感じで、村上春樹氏の作品は繰り返して読むこと が多い。なんど読んでも引き込まれてしまう。村上春樹 マジックで春樹ワールドに引き込まれてしまう。 内容に触れるのは野暮なので、この辺にしておこう。 帯より 『22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻の ような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片端から空 に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩き潰した。そして勢いをひとつま みもゆるめることなく大洋を吹きわたり、アンコールワットを無慈悲に崩し、インドの 森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかの エキゾチックな城塞都市をまるごとひとつ砂に埋もれさせてしまった。みごとに記念碑的 な恋だった。恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。更に付け加えるなら 女性だった。それがすえての物事が始まった場所であり (ほとんど)すべての物事が終わった場所だった。』 | ||||
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個人的には、カフカと並び有ってもなくても良い作品。 すみれの失踪?と、再び現れるくだりが、納得が行かなかったのですが、全体的な雰囲気、読了感は良かったので、星三つ。 | ||||
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「どうしてこれほどまで孤独にならなくてはならないのだろう」「この惑星は人々の寂寥を滋養として回転をつづけているのか。」(p272) 今作の中で最も感服させられた部分。 | ||||
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村上春樹の作品の中でも、特に好きな作品です。 小学校教師の僕に、僕が想いを寄せる作家志望の友人すみれ、そしてすみれが想いを寄せる実業家の年上の女性ミュウ。 物語はこの3人の一方通行的な想いを中心にして展開されます。 作中にある「すれ違い、別れていくばかりの孤独な人工衛星」の比喩が示す通り、「孤独」「喪失」「大切な人の不在」が根底にあり、所謂エンターテイメント的なハラハラドキドキストーリー!を期待するとやや退屈な内容になるかもしれません。 しかし、どこにも行けないことを知りながらも回り続けることを止められない僕と、思考し回り続けるのを止め、「あちら側」へと消えてしまったすみれ、そして自身の半分を残して「あちら側」に持って行かれたミュウが示す通り、「こちら側」と「あちら側」の対比が非常に印象的。 起伏のあるストーリー展開そのものよりも、そうしたテーマ自体に焦点が当てられていると言いましょうか、とにかく村上春樹の独特の世界観が濃縮され堪能出来る作品だと思います。 失って孤独になってそれでも大切な人を想うことは止められない。 美しい文章が胸をかきむしるようです。 好き嫌いは分かれるかもしれませんが、興味があれば是非手に取ってみて欲しい作品のひとつ。 | ||||
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まずこの物語のキーパーソン、すみれ。 この人物設定は生き急ぐことが民族性でもあるかのような、日本人への非常に強力なアンチテーゼになっています。 この人物は日本や韓国のような国において非常な効力を発揮するでしょう。 「よく育つものはゆっくり育つ」のです。この言葉に彼女という存在は集約されています。 そして最後に出てくる登場人物、にんじんとスーパーの警備員。 にんじんというのはジュール・ルナールの書いた非常に残酷な虐待小説、「にんじん」に出てくる少年の名前と同じです。 「にんじん」と「スプートニクの恋人」のにんじんは、子供というのがどれほど大人の無思慮な、邪悪な行動で傷つくかを克明に描き出しています。 そして警備員。 彼は日本の、子供は平等という概念、まやかしとそれを前提に行動する学校教員や社会に対し痛烈なセリフを放ちます。 子供は「学校でだけは」平等な(ように見える)のです。 「人は無意味に生き急ぐことで損なわれていく」「子供は大人の無思慮で損なわれていく」などの、村上春樹の大事な思想が詰まった小説です。 村上主義者は必読! | ||||
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主人公の「僕」は小学校教師で「すみれ」という女友達がいる。主人公はすみれに恋愛感情を持っているがすみれにそんな気は全くなく、主人公は仕方なく他の女と付き合っていて、現在の彼女は担任のクラスの生徒の母親、当然、不倫である。主人公はある日すみれから恋をしていると相談されるが、その相手「ミュウ」はすみれと同じ女性だった。 ザ・村上春樹とでもいうようなとても春樹らしい作品だと思う。よく言われる文章比喩の洒落た感じとか、年上の美しい女性との恋とか、いつの間にかファンタジーになってしまう展開とか。それに面白いし文章のリズムが良くて、グイグイ引っ張られるのではなくさりげなくエスコートされて物語に引き込まれる感じも悪くない。でも個人的に私がハルキストになれない理由も歴然としている。 以下ネタバレです。 すみれは結局ミュウに振られて行方不明になる。ミュウはすみれが自殺したのではないかと心配して主人公に相談するが、主人公はすみれは別の世界に行ったのだろうと考える。 そうなると、いやいや無理でしょう、と現実的な私は考えてしまうのだ。多分すみれは自殺したのであって死体が見つかっていないだけだろうと普通は考えるでしょ?他の世界に行ったんでしょう、なんてそんな馬鹿な。 後半には主人公と不倫の関係にあった女性との問題も出てくるのだが、かなり危険な関係であると理解しているにも関わらず、主人公のノンシャランぶりにはもうあきれるしかない。 要するに主人公は不幸な事実を否認して、結局は自分だけのファンタジー世界に閉じこもってしまうのだ。それもこっちが戸惑うほどの自然さで。 まあ誰が困るわけでもなければ、どのように現実に向かおうとそれは彼の自由なんです。だけど現実に不倫相手の子供である彼の生徒は変になってしまうわけだし。私にはちょっと…いやいやそれは無理があるでしょう、とどうしても思ってしまうのだ。 | ||||
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この小説にはなぜか強く心を引きつけられるところがあり、通しで10回くらいは読んでいると思う。 わかりやすく言ってしまえばこれはすれ違いの物語だ。 語り手である「僕」はすみれを求め、すみれはミュウを求める。しかしミュウは誰も求めていない。 それゆえに彼・彼女の思いはどこにも届かず、みんな孤独の中で生きている。 すれ違いに耐えられなくなったのか、すみれは姿を消し、ミュウは心を失ってしまう。 僕もまた満たされない思いを抱えて生き続け、すり減っていくが、自分の生徒との思わぬ交流によって心を取り戻す。 そしてその僕の元に、姿を消したすみれから連絡が届く。 筋立てだけを書いてみるとなんとも奇妙で、一読しただけですんなりと受け入れられる物語ではない。 それゆえに私は何度もこの作品を読んでいるのだろう。 村上春樹の作品はあちらとこちら、2つの世界を行き来する物語が多い。 この作品ではあちらの世界のことがほとんど描かれておらず、こちらの世界に取り残された僕の視点から見たものが描かれている。 その点が作品のわかりにくさになっていて、それを乗り越えるために作者は三人称の文体に移行し、多面的に物語を描くための形式を手に入れていったのだろう。 村上春樹が一人称から三人称に移行していく過程の中間に位置する作品で、村上春樹の作品を系統立てて読むのであれば、はずすことのできない作品だろうと思う。 | ||||
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多くのクリエーター達の名前がその実績が認められるのと共に本人の元を離れ“ブランド”となるように、“村上春樹”という名前もまた、独自の世界観を持った良質の作品を示す商標として今や世界中で認識されるようになりました。この作品も例外ではありません。 主人公のすみれと語り手の“ぼく”はそれぞれ“どこにも行きつかない袋小路のような恋”に落ちます。お互いにお互いの存在が必要である事を強く感じながらも、自分の感情にひたすら素直に年上の女性との成就し得ない恋に突き進むすみれと、自分のものにはならないと知りながらも彼女を思い、寄り添い続ける“ぼく”。やがて彼らは彼らの孤独な魂が、お互いの中にのみ真実を見出し、お互いの存在を通してのみ世界と結び付く事ができる事に気が付いて行きます。 すみれと“ぼく”がお互いに深く繋がっている事を必要とするように、人が本当の意味で生きていくためには、心の深い部分を開放して繋がる事ができる場所が必要なんだと改めて確認できました。それが、家族や恋人であれ、哲学や宗教であれ、物語であれ、音楽であれ、心全部で繋がれる場所を持つ事で人は力を得、孤独の圧迫を振り払い、前に進む事ができる。そしてそのような魂の居場所を持てるという事はそれだけで本当に特別で幸せな事だと。…この物語はそんな事を私に改めて認識させてくれました。 私などが言うまでもなく、村上印の作品ですので品質は間違いありません(笑)。 | ||||
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私事だけれども、ぼくはしばらく小説とは遠ざかっていて、ぼくの読書はここ数年来、岩波文庫の青帯のような、思想系の本に偏っていた。それでも、昔熱心に読んでいた村上春樹を再読したいという思いはもう五年くらい続いていて、何度も村上春樹を再読したいと思いつつも、それを実現できないことで、フラストレーションを感じていた。いちばん目立つ机の本棚には岩波文庫の青帯を並べていたけれど、それを丸ごと、村上春樹の本と交換した。村上春樹の文庫本だけで30冊、あるいは40冊くらいあるだろうか。自分の視界の真ん中に村上春樹の本がずらりと並んでいるのを眺めているだけで、満足感、充実感のようなものを覚えた。 そして、前置きが長くなったけれども、まずこの『スプートニクの恋人』から読み始めた。今回で通読は三回目くらいだ。ぼくはこの本の内容全体についてまとまったレビューを書くことは、少なくとも現時点ではできない。けれども、今回久し振りに小説というものを一冊読み通してみて思ったのは、混沌たる、不条理な現実を前にして、安易に白黒と結論をくだすのを先送りにして、ただ観察することに徹することは、とても大切なことだし、こうした能力は、小説を読むことで鍛えられるのではないか、ということ。 本書の主人公の「ぼく」は、「あまりにもすんなりとすべてを説明する理由なり論理なりには必ず落とし穴がある。それがぼくの経験則だ。誰かが言ったように、一冊の本で説明されることなら、説明されないほうがましだ。つまり僕が言いたいのは、あまり急いで結論に飛びつかないほうがいいということだよ」と言っている。また、村上春樹の『約束された場所で』のなかでは、「現実というのは、もともとが混乱や矛盾を含んで成立しているものであるのだし、混乱や矛盾を排除してしまえば、それはもはや現実ではないのです」、「そして一見整合的に見える言葉や論理に従って、うまく現実の一部を排除できたと思っても、その排除された現実は、必ずどこかで待ち伏せしてあなたに復讐することでしょう」と言っている。 また、最近読んだ鷲田清一の『哲学の使い方』(岩波新書)という本にも、これと同じ問題について書いてある。 「さらにそれは、すぐにはわからないことにわからないままつきあう思考の体力といいかえてもいいし、すぐには解消されない葛藤の前でその葛藤に晒されつづける耐性といってもいい。 というのも、個人生活にあっても社会生活にあっても、大事なことほどすぐには答えが出ないからである。いやそもそも答えの出ないことだってある。だから、人生の、あるいは社会の複雑な現実を前にしてわたしたちが紡ぐべき思考というのは、わからないけれどもこれは大事だということを見いだし、そしてそのことに、わからないまま正確に対処することだといってもいい。」(鷲田清一『哲学の使い方』、岩波新書、p64) ともあれ、この『スプートニクの恋人』を読み通して、こうした「思考の肺活量」を身につけるためには、小説をたくさん読むことが大切だということがわかった。ぼくがしばらく思想、宗教の本、例えば西田幾多郎、鈴木大拙、木村敏などを熱心に読んでいたのは、かつて自分の置かれていた状況、いま自分の置かれている状況を言葉で理解したいという思いからだった。実際、自分の体験を言語化するために、こうした思想、宗教の本を読む時期は、ぼくにとって必要だったのだと思う。 以上、自分語りが過ぎたな、と反省してはいるが、結論として、個人的に、この小説を読み、混沌とした不条理な現実を前にして、結論を出すのを先送りにして、ただ観察を続けるというような「思考の肺活量」を身につけるために、小説をたくさん読むことは有用なのだということを、改めて感じたということが、ぼくの言いたかったことだ。 | ||||
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すでに以前購入していて電子書籍化してあるのですが、やはり紙媒体で持ち歩きたいとおもい購入。ところが間違えて単行本を買ってしまい結局無駄になりました。ネット購入の落とし穴。最後に購入ボタンを押すときに再度よくみることが大事ですね。 | ||||
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