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スプートニクの恋人
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スプートニクの恋人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.94pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全188件 1~20 1/10ページ
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恋焦がれる相手から期待する反応が返ってこないだけでも悲しいのに、永遠に会えなくなるような予感で終わるなんて…残酷すぎやしませんか…村上作品の結末パターンはひどく都合良いのと絶望感に溢れているのが両極端で、もう少し何とかならないか…いーッとなります。まあ、すみれが僕の愛情に気付いて、それを受け入れ納得するようならただのラノベですもんねぇ。 | ||||
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一度では理解しきれない部分が多くあると思う、もう一度時間をおいて読みたい | ||||
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入り組んだ感情を持つ人たちの、誰一人報われることのない恋の物語かと思っていたのですが、後半からは急にオカルトが入ってきます。 そしてそこから、それまでもちょこちょこ垣間見えた哲学的な描写が非常に色濃く現れるようになり、物語の世界に圧倒されました。 ただ、ラストのあれは夢なのか現実なのか、こちら側からなのかあちら側からなのかは判然としません。 解釈によって結末の印象が大きく変わるので、読後感はすっきりしないような、何とも言えない気持ちにさせられました。 この物語を完全に理解するには繰り返し読んでの考察が必要です。 そんな時間があるなら積読本を消化したいので、私はよくわからないままこの作品は終わりにしますが、完全に理解は出来なくても、読み物として十二分に楽しめる出来でした。 | ||||
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村上春樹を初めからちゃんと読んでみるシリーズを再開したんだが。 再開というのは、漫画のキングダムをすすめられて、あまりの面白さに47巻まで読み続けたものの、本屋には48巻以降、在庫なかったから、村上春樹に戻ったんだけど。 キングダム読み始める前までは、もしかしたら読み慣れてしまって、村上春樹天才説までコメントしてしまったが、久方ぶりに読んでみたら、 SFファンタジー的な記載が感情移入できない。 すけべな描写が多い。 キザな修飾記述多過ぎてうざい。 物語がよくわからない という、村上春樹の本質を改めて認識して、村上春樹は天才説は案の定撤回するとともに、こんなやつノーベル賞もらえるわけないだろ感で満たされてます。 ストレス感じるんでは私には合わないし、ストレス感じない人間がいるとしたら、村上夫妻だけなんだろな。0てん | ||||
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以前、長編を読んだが、どこがよいのかサッパリわからなかったし、 短編には面白いものもあったが、それ以上読もうという気は起きなかった。 作家・作品の好き嫌いは誰にでもあり、世界的に評価され、多くの方に支持されていても、自分には合わなかった、あるいは少数派であったというだけだと思っていた。 では、なぜ本書を手に取ったのか、それは後で記す。 そもそも作家一般には、その構想力や筆力で、敬意を持っている。 小説は余り読まないが、活字はずっと好きだった。 日本は、知りたいことのほぼ全てを、母語の日本語で読める有り難い国で、本を全く読まない方は、もったいない。 どんな本でも活字に親しむ方が増えるのは良いことだ。 本書の出だし感想は、失礼ながら歯の浮くような言葉が並んでいて、読むのが気恥ずかしくなるといった所だった。 では、なぜ放り出さなかったのか。 それは、著者の素晴らしさは、どこにあるだろうかという視点で本書を読み始めたからだ。 本書を読む前に下品だと思ったが、検索語で「村上春樹のどこがよいのですか?」と入れてみた。 私と同じような感覚の方もいたし、皆さんの返答もまじめなもので参考になった。 また今回、「村上春樹」の説明ページも読んでみた。 「評価」として様々な方のコメントが並んでいて興味深く面白かった。 ざっと目を通したが、あえて肯定的な意見にも目を留めた。 印象的だったのは、外国の方で、 ジェイ・ルービン氏の「言葉が読み手の心の中に飛び込んでくる」 ドナルド・キーン氏の「米国文学の影響を強く受けた村上春樹の小説には興味がない」、 国内では、河合隼雄氏の 「現代人の心の傷とその癒しについて多くのことを考えさせられた」だった。 臨床心理学者としての、河合氏の作品は若い頃、何冊か読んでいる。 確か彼は、スイスのユング研究所に学んでいた。 読書という行為を癒やしの視点で捉えるならば、物語読書において、臨床心理学的には「より高次の心の統合性を目指す試み」ということか。 カウンセリング関係の本も読んだことはあるが、専門家ではないので、すっかり忘れてしまった。 ただフロイトとユングの大まかな違いや、ユングの集合的無意識やシンクロニシティは面白い発想だなとして覚えている。 夢は、フロイト的な無意識が抑圧されたものの現れか、 あるいはユング的な、夢は無意識からのメッセージなのか。 河合氏がどのような立場で、どんな考えを支持しているかも知らない。 しかし、ユングにおいては、夢は個人的な無意識の現れで、 集合的な無意識の現れは、「昔話・神話」を通してであるとされる。 だとすると、現代の昔話・神話の書き手である現代作家の村上春樹氏の作品を、そうした視点で捉えることも可能であろうし、自分の浅学から勝手に想像すれば、河合氏の好意的な反応もうなづけた。 ユング的な視点に立てば、村上春樹氏の作品が世界的に受け入れられているのは、人類の集合的無意識の現れだとする見解もありかもしれないし、そんなのは、ただの戯言だとする意見もあり得る。 もっと単純に、フロイト寄りの、我々が野生動物であった頃の原始的な衝動を無意識がかかえていて、それを作家が開放してくれるから、読者が喜ぶといった解釈も成り立つ。 喜ぶが通俗的なら、ルービン氏の「言葉が読み手の心の中に飛び込んでくる」でもよい。 本書を読了して、今までとは違った視点で考えさせられることがあったので、☆は5つとした。 第15章は、浮いた言葉が少なく、ああした叙述には好感が持てる。 もし始めたばかりのロシア語学習が継続して、少し文章が読めるようになったら、この第15章をロシア語で見てみたい。 他の章は、申し訳ないが病的な匂いがして物語に入り込めなかった。 実は自分自身に病的な(ADHD的・アスペルガ―的)な自覚があり、そうした雰囲気は避けたいという心理が働いているのかも知れない。 こうした病理学的言葉が流布していない、私の育った昭和であれば、多少変わった人も、それぞれの個性としてとらえ、ゴチャゴチャした社会の中(多くの明治人が存命の時代)で居場所があったと思う。 現代のように高度に細分化・マニュアル化された社会では、個性的な人物は、より居心地が悪いだろうと想像される。 だからこそ逆説的だが、本書のような癒やしにもなる物語が受けるのかなと考えた。 小説は余り読まないし、人が亡くなる話も好まないが、簡潔な文体が心地よいので、たまに「松本清張作品」を開く。 清張作品の殺人犯も考えようによっては皆病的だ。 物語の進行上、殺人事件が起きるわけだが、動機としては軽い気がする。 本作も推理小説仕立てなら、もう何人も殺されているだろう。 大事件が起きずに、マッタリと進行していくのは、かえって健常だという見方もできる。 まあ、日常生活の落とし穴、日常に潜む危険・恐怖・狂気、心に闇などを、作家の執念で紡ぎ出す物語は、表現方法は違っても同じなのかもしれない。 いずれにしても、私には文学的な感性が不足していて、小説を癒やしの為に、七面倒臭く読みたいとは思わないが、もしかしたら自分も癒やされているのかも知れない。 私には、「米ソのロケット開発物語」といった本の方が癒しとなる。 それで結局は、キーン氏のように、好みは人それぞれということに落ち着くし、 本書には興味深いことに、小説を好まない人間の心理も上手く描写されている(p.34)。 それと本書を手にした理由は、ロシア語版を先に入手したからだ。 ロシア語版は、内容を知らずに買った。 気まぐれのロシア語学習は、まだ33文字もおぼつかない。 すぐ止めるかもしれないが、初歩の段階でロシア語の本を手元に置くと嬉しい気持ちになる。 ソ連の「スプートニク」という響きは、自分にとっては懐かしい。 ソ連時代の輝かしい題名に惹かれて購入した年配のロシア人がいたら、本書の感想を訊いてみたいものだ。 文中にも説明があるが、ロシア語のスプートニクを「露和辞典」で再度確認した。 意味は、①「道づれ」(文例に「旅仲間・人生の伴侶」)②「つきもの」(文例として「失業は資本主義につきものである」)③「衛星」④「人工衛星」とあった。『博友社ロシア語辞典 昭和50年 第1版』より。 「つきもの」の例文が時代を感じさせる。【作家には「憑き物」が、SPUTNIKだ!?】(以上) | ||||
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すみれ がお気に入りの登場人物です こういう感じの人 確かに居るなと思う ギリシャの島に 行きたくなります 何か 明確に聞いてある訳じゃないんだけど 生きていく力が 沸いてくると思う | ||||
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高校生の時、村上春樹の小説が大好きだったのでレビュー投稿。 この本のタイトルのオシャレさと、冒頭の言葉のチョイスと韻律のカッコ良さは、少なくとも日本一で、今後も更新されることはないでしょう。村上春樹の小説は、平成生まれの私からみても、何故か古いやつの方が良いですよね。 | ||||
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これはミステリ風でいて異国の雰囲気をたっぷり味わえる盛り合わせみたいな小説。すみれという女性がとても魅力的。読後感より途中の盛り上がりがいい。 自分が失われてしまうっていう感覚は、どんなんだろう。なにかが出来なくなるとか老いを感じるということはあるけど、この小説に出てくることはそうじゃない。あちらとこちらの問題となっているけど。 | ||||
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プロットはでたらめの一つ星だけど、この作者の人気の一端はオシャレで読みやすい文章にある、ということが確認できただけ、★ひとつおまけをしておきました。 『海辺のカフカ』を読んだ時も、伏線回収能力もないくせに、やたら謎めいた伏線を張って読者を引っ張っていくのがポピュラー作家の手管と分かったから、もう読むこともないだろうと思ったものです。 でも、あるサイトで、医学部の統合失調症の講義で教授に、この作品を勧められたので、一読してみました。 何の役にも立ちません。統合失調症の理解の為なら、今は当事者による手記がいくらでも出ています。 文学なら、二世紀近く前のバルザックの『ルイ・ランベール』が、緊張型統合失調症を描いて最も心にのこる作品になっています。 | ||||
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すばい対応 | ||||
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さくっと読めるけど、不思議な世界にどっぷりと没入できました。 | ||||
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「人食い猫」や紀行文の文章を取り入れることで、この小説は成り立っている。終盤のすみれの夢は、シュールレアリズムの絵画のようで見事であり、ミュウの観覧車の話は村上ワールドの醍醐味であり、深夜の月あかりの丘の上の音楽は幻想的で印象に残る素晴らしい描写である。しかし、小説全体を通してみると、ダレ場が目立つように感じた。 村上春樹の小説には、精神医学的には、発達障害、解離障害、パーソナリティ障害、統合失調症等の病名のつくであろう女性を主要人物として登場させ、主人公の男性がその病的な純粋さに惹かれるという設定が数多くみられる。主人公も抱えているものがあり、その抱えているものが、1人っ子であった村上春樹自身の投影と思われ、この病的な感覚が、村上春樹のたまらない魅力になっていると感じる。 所々に優れた描写があるものの、残念ながらこの小説は、村上春樹の長編小説の中では上位に位置することのない小説であろう。 | ||||
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文章がすばらしく読みやすい。そして、読みにくい。 「ぼく」の心の描写が細かく、僕は「ぼく」になってしまったようだった。 読み終わっても、「さて、なんの話だったっけ?」と思ってしまうのだが、それはそれでいいような気もする。 ただ言えることは、この本を読んでいる時間がすごく心地よく感じられた。 それだけで、読む価値はあるのはでないだろうか。 | ||||
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某戦争国家のロシアは本書を禁書・焚書に指定したそうである。 「言葉というかたちをとらない何か…言葉というかたちをとるべきではないなにか」に挑戦した小説にさえ泥を塗ろうとする暴徒だ。 「彼らは生きていた。彼らがぼくの肉を食べ、ぼくの心臓をかじり、ぼくの血を吸っている…彼らの赤く粗い舌先が、ぼくの意識のやわらかなひだをうまそうになめた。そのひとなめごとに、ぼくの意識は陽炎のように揺らぎ、薄れていった」 講談社系でも続編があるとしたら、その総合小説、全体小説は当初から宣言されていた通りドストエフスキーをも堅く抱き締めることになるだろう。 | ||||
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Gooood | ||||
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村上春樹さんの長編小説は殆ど読んでいます。短編小説も結構読んでいます。どちらも大好きです。 でも、この作品は、すみれの失踪以降、特に主人公が日本に戻ってからは自分はついていけなかった。以下、ネタバレあり、注意。 主人公が、失踪したすみれを探しにギリシャに行ったところから、10~20ページぐらいかもしれませんが、描写がおかしくなり、表現が急に安っぽくなり、エセ文学的になりました。でも、すぐに、いつものハルキに戻りました。その時に、この作品はもしかしたら・・・と思ったのですが。 最後まで読んで、すみれの失踪で筆を止めておいた方がよかったのではないかと思う。 その後に書かれる、不倫相手との関係やその息子の万引き事件は、ただの(村上春樹にたまにある)無駄な引き伸ばしにしか感じられない。 そして、最後の最後の流れは、こういうのって、説明も無しに理解しろって言う方に無理がある。予定調和にも程がある。こういう結末にするならするで、きちんとした説明が必要だと思います。 | ||||
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村上春樹の世界観を味わいたい方にオススメの本です。 | ||||
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読みながら、三部作の鼠やノルウェーのレイコさんや、あちら側とこちら側のことなど、これまでの村上作品を思い出したけど、だからと言ってこれまでの焼き直し、という代物ではない。 あちら側とこちら側、その境に扉があって、それを開くか閉ざすか、留まるか押し込められるか。 しかも、あちら/こちらは、解放/束縛、魅惑と危険/凡庸と安全といった単純な二元ではない。 相変わらずの語り口で淡々と、ある時は心地よいリズムで読み進められるのだけど、あちらとこちらについて自らに問いかけるような読み方をしてしまったので、重みのようなものも感じた。 終わり間近に、主人公が担任しているクラスの小学生が万引きをし、スーパーの保安室に呼び出される章がある。 この章がとてもよい。 あちら側とこちら側について自分なりの整理ができるきっかけのような話。 この章があってラストに繋がったから、わたしは図らずも落涙してしまったのだと思う。 | ||||
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模様かと思うくらい帯焼けしてる初版本が 一応帯付きで届きました。 なんと表現したら良いか。。。 売られて誰かの物になった事がないという意味なら新品かもしれない。 でも本屋さんに売ってる新しいキレイな本とは全然違う。 帯も傷付き、中も2~3ページ引っ掛けて折れたような痕があった。 新品かもしれないけどかなり年期が入ってる。 プレゼントだったのでそこはかなりマイナスですね。 もう一度言います。新品と聞いて思い描く「キレイな本」では絶対にないのでそこが大丈夫な方ならいいと思う。 | ||||
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ミュウと主人公がギリシャの島で出会ったところから、読むのが止まらなくなりました。 一筋のホラーと、不思議な(現実にはきっと起こりえない)展開に引き込まれました。 海辺のカフカが好きな私としては、最後まで楽しく読めました。終わり方も好きでした。 | ||||
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