悪魔が来りて笛を吹く

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評判

悪魔が来りて笛を吹くの評価:

4.38/5点 レビュー 80件。 B ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.38pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全184件 41〜60 3/10ページ
No.144
(3pt)

横溝正史の世界に、グイグイと引き込まれる作品。

いかにも、横溝正史ここに在り的な作品。
旧家の血縁関係で起こる謎の連続殺人事件。
決して明かされてはならぬインモラルな出来事。

当時は問題作であったかもしれないが、今回、40年ぶり
の再読では、兄妹間の性的関係に至る背景や人間としての苦悩
の部分が欠けているので、物語に厚みを感じない。そこが残念。

追記)読了すぐに、amazon videoで2018年NHK製作のTVドラマ
「悪魔が来りて笛を吹く」を鑑賞したが、原作の弱い部分を補充し
た力作でかなり感銘した。ただ、金田一耕助のみ違和感あり。
新版横溝正史全集〈12〉悪魔が来りて笛を吹く (1975年) Amazon書評・レビュー: 新版横溝正史全集〈12〉悪魔が来りて笛を吹く (1975年)より
B000J976J0
No.143
(3pt)

横溝正史の世界に、グイグイと引き込まれる作品。

いかにも、横溝正史ここに在り的な作品。
旧家の血縁関係で起こる謎の連続殺人事件。
決して明かされてはならぬインモラルな出来事。

当時は問題作であったかもしれないが、今回、40年ぶり
の再読では、兄妹間の性的関係に至る背景や人間としての苦悩
の部分が欠けているので、物語に厚みを感じない。そこが残念。

追記)読了すぐに、amazon videoで2018年NHK製作のTVドラマ
「悪魔が来りて笛を吹く」を鑑賞したが、原作の弱い部分を補充し
た力作でかなり感銘した。ただ、金田一耕助のみ違和感あり。
横溝正史全集〈第7〉悪魔が来りて笛を吹く (1970年) Amazon書評・レビュー: 横溝正史全集〈第7〉悪魔が来りて笛を吹く (1970年)より
B000J984QO
No.142
(3pt)

横溝正史の世界に、グイグイと引き込まれる作品。

いかにも、横溝正史ここに在り的な作品。
旧家の血縁関係で起こる謎の連続殺人事件。
決して明かされてはならぬインモラルな出来事。

当時は問題作であったかもしれないが、今回、40年ぶり
の再読では、兄妹間の性的関係に至る背景や人間としての苦悩
の部分が欠けているので、物語に厚みを感じない。そこが残念。

追記)読了すぐに、amazon videoで2018年NHK製作のTVドラマ
「悪魔が来りて笛を吹く」を鑑賞したが、原作の弱い部分を補充し
た力作でかなり感銘した。ただ、金田一耕助のみ違和感あり。
悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫―金田一耕助ファイル) Amazon書評・レビュー: 悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫―金田一耕助ファイル)より
4041304040
No.141
(4pt)

懐かしい

40年前、横溝ワールドのはまり込み読書に制を出しました。
再び読むと、当時と違った感覚が生まれています。
悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫―金田一耕助ファイル) Amazon書評・レビュー: 悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫―金田一耕助ファイル)より
4041304040
No.140
(4pt)

懐かしい

40年前、横溝ワールドのはまり込み読書に制を出しました。
再び読むと、当時と違った感覚が生まれています。
新版横溝正史全集〈12〉悪魔が来りて笛を吹く (1975年) Amazon書評・レビュー: 新版横溝正史全集〈12〉悪魔が来りて笛を吹く (1975年)より
B000J976J0
No.139
(4pt)

懐かしい

40年前、横溝ワールドのはまり込み読書に制を出しました。
再び読むと、当時と違った感覚が生まれています。
横溝正史全集〈第7〉悪魔が来りて笛を吹く (1970年) Amazon書評・レビュー: 横溝正史全集〈第7〉悪魔が来りて笛を吹く (1970年)より
B000J984QO
No.138
(3pt)

良かった。

良かった。
悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫―金田一耕助ファイル) Amazon書評・レビュー: 悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫―金田一耕助ファイル)より
4041304040
No.137
(3pt)

良かった。

良かった。
新版横溝正史全集〈12〉悪魔が来りて笛を吹く (1975年) Amazon書評・レビュー: 新版横溝正史全集〈12〉悪魔が来りて笛を吹く (1975年)より
B000J976J0
No.136
(3pt)

良かった。

良かった。
横溝正史全集〈第7〉悪魔が来りて笛を吹く (1970年) Amazon書評・レビュー: 横溝正史全集〈第7〉悪魔が来りて笛を吹く (1970年)より
B000J984QO
No.135
(5pt)

横溝正史風本格探偵小説の最高傑作

横溝正史風本格探偵小説の最高傑作が本作だろう。

いや、いや国内ミステリ投票で何度もトップを取る「獄門島」や第一回探偵小説クラブ賞受賞作の「本陣殺人事件」があるではないかという意見があるだろう。

確かに「本陣殺人事件」、「獄門島」は、傑作に恥じない作品だが、横溝正史の最高傑作なのかといわれると少し違う気がする。

「本陣殺人事件」は長めの中編小説とも言えて肉付けが弱い欠点があるが、「獄門島」は金田一物の2作目だけあってそのあたりも解消されておりオールタイム・ベスト級という世間の評価は妥当だと思う。
ただ、個人的な趣味であることは承知であるが、自分は天才作家が描いたオールタイム・ベスト級傑作であってもその作家の最高傑作であるとは限らないとおもっている。
作者の最高傑作は、作者の持ち味が発揮された上で出来のいい作品となるだろうがその分アクが強いために万人受けするとは限らない。
そうした理由で「獄門島」がオールタイム・ベスト級の傑作であることは認めるが、横溝正史の最高傑作ではないというのが自分の私論だ。

「本陣殺人事件」、「獄門島」は戦中に探偵小説が抑圧されていく中で、作家同士のより合いで出合った「井上良夫」から「ディクスン・カー」の諸作を紹介されてことが、戦後は本格推理小説を書くという熱意が結晶した作品。
この作品は、「ディクスン・カー」のみならずそれ以前から知っていた「エラリー・クイーン」「アガサ・クリスティ」の影響も見られる。

「ディクスン・カー」からは「事件の発生」→「捜査」→「解決」といった固まった書き方でなくてもっと自由な物語性を探偵小説に持ち込んでもいいという発見を横溝正史に与えた。
横溝正史というとなにかと「カー」が引き合いに出されるが探偵小説の仕掛けの部分は、人間関係自体にトリックを仕掛けるクリスティのやり方やロジックの組立方などは「エラリー・クイーン」のやり方にその影響を見られる。
そうした英米の有力作家に影響を受けながら、しっかりとした「本格探偵小説」を描くとしてでき上がったのが「本陣殺人事件」、「獄門島」。
横溝正史もこうした長編小説を描くのは始めてだったので自身の持ち味であるストーリーテラーの部分を全力で発揮すると戦前の代表作「真珠郎」のようになってしまうのを恐れたのか?後の作品に比べて「因縁話」や複雑な人間関係も抑えら得ている印象がある。

裏を返すと「獄門島」が今も尚、横溝正史の最高傑作のみならず全ミステリのオールタイムベストに選ばれるのは、自制しないと暴走してしまう草双紙趣味を抑えながらかつそれを全く使用しないという訳でもないという抑制感が本格ミステリの味付けとして効果を上げているからではないだろうか?

草双紙趣味の効果的な使い方として「本陣殺人事件」を例に出すなら怪人物「三本指の男」がそのいい例だろう。
この人物が三本指である理由やその正体が本格探偵小説として上手く機能している。
いかにも草双紙的という人物を登場させておき、それがミステリの仕掛けに巧みに結びついている。

大きなトリックを使わない訳では無いが、小技や構成に神経を使ってそのミスデェクレションに草双紙趣味を用いるのが「横溝正史」という人の特徴であろう。

「本陣殺人事件」、「獄門島」の両作はこのあたりのテクニックが秀逸でロジックの切れが素晴らしい。

「本陣殺人事件」と取り上げたので「獄門島」触れるとこの作品、読み返すたびに伏線の引き方などに感服する箇所が多い。
まさに芸が細かいといったところ。

もっとも完璧な作品なのかというと、「鮎川哲也」氏の諸作のようにロジックが隅々まで行き届いているというわけでもなく細かい部分では傷もある。
犯人が行う隠蔽工作も金田一耕助や警察が、登場人物たちの細かいアリバイ調査を行っている部分がきちんと描かれていないので、不可能興味が盛り上がらないなどがあってミステリとしては致命的とも言える部分もある。

ところが、読み返してもあまりそこが気にならないのが意外と不思議だ。
細かい傷は合っても全体として問題無く仕上がっている。
素人の言いかたで申し訳ないがその構築美は「釘」でしっかりと作られた建物というより宮大工が作った建物を思わせる。
あたかもそうした建物が「釘」のようなものが使われていないのに長年の風雪に耐えるのに似ていると思うのは私だけだろうか?
一見して不安定にみえながらさまざまなピースがピッタとハマっていて強固な構造物になっている印象。
「獄門島」といえば、殺人事件の隠蔽工作やクリスティのあの名作に影響された作品のテーマがよく話題になるが、それだけでなくむしろ全体的な構成が素晴らしい。
作品のテーマになっていることも事件の動機にして常識的には「なんでそんなことをしたのか?」というツッコミが入ってもおかしくないが、構成の妙がそれらを「起こっても不思議でない」としている点が神がかっている。
トリックから逆算してストーリを作ったはずなのに読み終えてみると「起こるべき起きた事件」という印象を読者に与える。
こうした印象は初読時より再読時に感じられる。
アガサ・クリスティの某有名作が、典型的な犯人当て推理小説でありながら再読時には犯罪小説の印象に転換するようにこの作品は初読時より再読時に印象が変わってくる。
「都筑道夫」は「獄門島」を「偶然に使い方の巧みさ」の好例にあげているが、再読してみると「理解不可能な動機」でありながら、にも関わらず犯罪を実行せざろうえなくなる犯人を追い詰めていく「偶然の集積」とそれが連鎖してして行く流れを適切な流れで描いていく構成の妙に感服する。
真相をわかった上で読み進めていくと、犯人がまるで運命に流されるように犯罪を犯すことになっていく流れが読者にひしひしと伝わってく。
「ギリシア悲劇」を彷彿させるようなものでもあるが、「悲劇を生み出した根源」を日本の地方文化と結びつけて「日本人の悲劇」しており、作品に深みを与えている。
さらにこの部分が高度に探偵小説的仕掛けと密接に結びついている。
物語性と探偵小説の仕掛けの高次元で融合といえるだろう。
あまりいわれないが、個人的には「獄門島」は乱歩が言った「一つの芭蕉の問題」に耐えうる作品だろう。

両作で「本格探偵小説」に手応えを感じた横溝正史は、「八つ墓村」以降で前2作では抑えたストーリーテラーの作劇術を全面的に出してくる。
その分、「本陣殺人事件」、「獄門島」より「謎と論理」が後退した印象が「八つ墓村」以降の作品には感じられる。
ただ、全く無くなった訳でなくむしろ全面に出さなくなっただけで扱い方が巧みになったいうべき。
因縁話を絡めたストーリー展開が全面に出てくることで読者がそちらに意識が向くことで真相を隠すといったことを「八つ墓村」、「犬神家の一族」では行われている。
同じようなことを感じる人はいるようで、アマゾンの「八つ墓村」のレビューで「ストーリングの抜群の面白さが真相を隠すミスデェクレションに使われている」といったこと書いている人がいてニヤニヤしてしまった。

なにかと冒険小説的な扱いを受ける「八つ墓村」だが、巧みな手がかりの提示の仕方や、表面上は単なる扇動者にしかみえない「濃い茶の尼」の事件への関与のひねりなど、パズラー好きなら思わず膝をたたかずにはいられない。

「犬神家の一族」にしても同様で、人間関係自体にトリックを仕掛けるのが巧みである。
作中の途中で明らかになる佐平翁の過去の秘密が関係者に驚きを持って波紋が広がっていく。
これ自体が読者を引きつける要素になっているが、最後に金田一耕助によって事件の真相が明らかになると、ある人物の思惑が秘密の暴露でひっくり返ってしまったことが分かる。
佐平翁の秘密が単なる因縁話でなくて、事件と密接係っているあたり、「巧い・・」と本格探偵小説として思わず膝を叩いてしまう。
まさに人間関係自体がトリックになっている。

強いて言うなら「本陣殺人事件」、「獄門島」が欧米の黄金期ミステリの影響が強い傑作とするなら、それに飽き足らなかった横溝正史が自身の個性を発揮し始めたのが「八つ墓村」以降の作品であろう。

「本格探偵小説を書く」という意気込みが「本陣殺人事件」、「蝶々殺人事件」、「獄門島」を産んだが、ストーリテラーを自認する横溝正史としては物足りない部分があったようだ。

これらの作品で欧米流の本格探偵小説を書く・・という当初の目的を達成できた横溝正史は「八つ墓村」以降、物語性を重視する方向に作風を変化させていく。
正確に言うならそうした傾向は先に上げた作品にもあったが、「八つ墓村」以降はそれが顕著になっていく。

「八つ墓村」以降、「謎と論理」を重視しながらも物語性を全面に出すことで、ややもすると中盤が退屈になりがちな本格探偵小説の欠点をカバーすることでなによりも読み物として面白いという作風をこの時期横溝正史は作り上げあげた。

それを私は「横溝正史風本格探偵小説」といいたい。

その代表作ともいえるのが「悪魔が来りて笛を吹く」であるというのが自分の意見だ。

惨劇の度に現場に鳴り響くフルート曲「悪魔が来りて笛を吹く」。
曲の作曲者は名門華族「椿家」の当主「椿子爵」。

子爵は一時期「天銀堂事件」の容疑者と疑われていた。
宝石店「天銀堂」に衛生局の職員と名乗って現れた男。
男の指示に従った複数の店員が、予防接種を受けるがその実それは予防接種ならぬ「青酸カリ」で店員達は死亡、犯人は大量の宝石を奪って逃走。
生き残った店員達によって作られたモンタージュに似ているとして子爵は警察に呼び出されるが、アリバイが確定して開放される。
しかし、なぜか?無実が証明されたはずの子爵は警察からの解放後に失踪、数ヶ月に自殺死体で発見される。

椿子爵は死んだ・・・

ところが、椿家で禍々しい事、不穏な事が持ち上がる度に椿子爵を目撃したという証言が関係者から持ち上がる。
子爵は生きているのか?死んでいるのか?
そもそも発見された死体は腐敗していたため、あれが別人の死体だったのでは?という疑惑も否定できない状況。
失踪した子爵が残した娘に残した手紙に書かれた「伝統ある椿家を奈落に落とす不名誉」とはなにか?

様々な小道具が読者のイメージを刺激する。
「栗本薫」女史は、「日本探偵小説集 横溝正史」の解説で「横溝正史は強烈なイメージが持ち味の作家」といったこといったが、この作品ではなによりも「悪魔が来りて笛を吹く」という曲のイメージが強烈。
小説なのだから実際に読者に音は聞こないはずなのだが、読み手が曲をイメージしながら読んでしまう。
このあたりが「横溝正史」というひとの凄みである。

全体を覆う重たい雰囲気。
横溝正史の作品は題名がおどろおどろしいので誤解を受けているがむしろ作品自体は明るい雰囲気すらある。
ところが、この作品には全くそれがない。
読者は没落華族達の行く末を横溝正史の筆で追って行く事になる。
救いのない話で因縁話が全体を覆っている。
実際トリックより物語自体が持つ悲劇性が、多くの読者にショックを与えたようでこの部分を評価する人も多い。
元ネタは作中で語られているように海外の著名な小説であるが、こと日本に置いて同様な設定を持つ小説を読んだ読者がこの作品について言及するぐらいにこの小説の肝になっている。

救いがたい悲劇性と因縁話が全面にでているが、ミステリ的な構造も手を抜いていない。

第一の事件から本格探偵小説の定番テーマというべき「密室殺人」を持ってきている。
本格探偵小説を書くという意気込みで書かれた「本陣殺人事件」こそ「密室殺人」を全面に出しているが横溝正史という作家性を考えるとむしろ「本陣殺人事件」は例外というべきだろう。

横溝正史と言う人は、「密室殺人」に代表される「不可能犯罪」を全面に出して読者に挑戦するというより「顔のない死体」や顔に傷がついて本人なのか特定できない人物を登場させてアイデンティティの喪失といた不可解な状況で読者を煙に巻いてミスディクレションをすることを得意としていた。

カーが「不可能犯罪派」というなら横溝正史はさしずめ「不可解犯罪派」といったところ。

ところが、この作品では「密室殺人」を第一の事件に持ってきており、作者の並々ならぬ意気込みを感じる。

もっとも、密室トリック自体は、カーの「三つの棺」、「ユダの窓」の様に後年まで語られるようなものではなく、人によっては肩透かしという印象を受ける人もいるようだ。
なにしろ、現場に到着した金田一耕助は密室殺人の状況に頭を抱える捜査陣を前にして・・・

「いまから言う方法がこの事件で使われたか不明ですが、密室にする方法だけならいくらでもありますとよ」

と言わんばかりに紐を使って部屋の外からドアの内側の掛け金を操作することで、外側から密室を作る方法を説明して見せる。

密室殺人の奇抜なトリックにこだわる読者からしたら、密室にする方法なんていくらでもあるといわんばりの金田一の態度に肩透かしを受けても仕方がないだろう。

しかし、ここから「不可解犯罪派」の横溝正史らしく密室殺人という分かりやすい謎だけなく、金田一耕助の指摘によって、現場の奇妙な様子が浮かび上がっていく。

例えば、被害者の状態・・・

・被害者は、鈍器のようなもので殴られた後に絞殺された様子。
・殴られた際に鼻血が出たようだが、被害者のハンカチでその血は奇麗にふき取れていた。

                ↓

・被害者が拭いたならなぜ犯人はその時間を被害者に与えたのか?
・犯人が拭いたならその理由は?

これが最後にきっちり説明される。
しかも、そうなっていまった理由が、密室状況であることと密接に結び付いてきて芸の細かさに驚嘆していまう。
金田一が事件発生時に「密室にする方法なんていくらである」といった言葉があるが、最後に明かされる密室事件の真相が、上記に示したような諸々のことがきちっと説明されることによって・・・

「密室にする方法なんていくらであるが、この事件ではこうしたことで密室が形成された」

・・・・ということに説得力を持たせている。

本格探偵小説の醍醐味はこうした細かい部分にまで張り巡らされた作者の配慮で、この作品でも横溝正史はその辺りに抜かりがない。

また、象徴的なことが明らかになるラストはなかなか衝撃的で「横溝正史風本格探偵小説」の最高傑作に恥じないできである。

物語の終わりも終わり、極端な言い方ををすれば最後の一行で衝撃な真相を明らかにして締めくくるやり方は、アメリカ探偵小説そのものといわれた「エラリー・クイーン」が得意としたテクニック。

クイーンにはこの手法を使った名作が多い。
「フランス白粉の謎」、「オランダ靴の謎」、「Xの悲劇」、「Yの悲劇」などなど・・・・。

「獄門島」における「きちがいじゃが仕方がない」がクイーンの某名作に影響されたと横溝正史自身がいっているように事テクニック面では横溝正史はクイーンを大いに参考にしている。

物語の組立方にはクイーンの王道的な展開よりなんでもありのカーの方に感服していた横溝正史だが、テクニック面ではクイーンの影響が大きい。

この作品では、クイーンの得意とした「最後の一撃」を行なっている。
私なぞは一読者として「やりやがったな!!」と思わず膝を叩いてしまう。

残念なのは横溝正史にある種の知識が乏しかったのでとんでもない誤りをしてしまい連載中に気付いたものの修正出来ずに連載を終えてしまった事。
単行本になる際に修正はされたもの当初の狙い通りにはならなかった。
上手くいっていれば当時にしてメディアミックス的な狙いに挑んだ作品になったであろうが、不発に終わったのが残念でならない。
とはいえ、現状でも充分に以上の効果をあげており、多くの読者がこの作品を一押しする要因になっているのは間違いない。

ただ、これが横溝正史の最後の輝きといえなくもない。
「悪魔の手鞠唄」も世評が高いけど、「悪魔が来りて笛を吹く」に見られたような細かい配慮が細部まで行き届いているかが疑問。

もちろん、人気作だけあり美点もある。
手毬唄の通りに若い娘たちが殺されていく。
しかし、動機不明。
途中で殺された娘たちに意外な共通点がわかっていくが、かといってそれで連続殺人の動機は見えてこない。
この辺は「不可解犯罪派」としての「横溝正史」の面目躍如といったところ。
このあたりのサスペンスは実に巧い。
こうした不可解状況が、終盤で金田一が明らかにする意外ではあるが極めて単純な錯誤に関係者が騙されていた明白になることで、動機が一気に明確になっていく。
この章題が「最後の驚愕」で「横溝正史」も自信があったと見える。
実際、この急転直下の展開が実に素晴しい。
また、物語の締めくくりかたも叙情的で小説としても余韻がある。

しかし、不満な点が多すぎるもの事実。

題名になっている「手鞠唄」がミステリのトリックとして有効に発揮していないことや、現れる怪人物にしても本陣殺人事件の「三本指の男」、八つ墓村の「濃い茶尼」のようにパズラーファンが膝を叩くような巧みな使い方をしているとは言いがたく、雰囲気を盛り上げるために登場させたのでは?といった印象。
悪い言い方をすれば「江戸川乱歩」の通俗小説にでてくる怪人物とさして変わらない。

手毬唄にしても怪人物にしても雰囲気を盛り上げるだけに見えてしまい、パズラーとしての必然性が弱いといったところ。

もっとも通常ではありえないような偶然の集積が事件の背後で動いていて、それが犯人に手毬唄殺人を起こさせたと思えなくもない。
ただ、「獄門島」だとそうしたことを作者が神経を使って描いているが、「悪魔の手毬唄」にはそうした印象が薄い。
作者の神経が作品の隅々まで張り巡らせれていると思えず、そこに不満が溜まってしまう。

「悪魔の手鞠唄」は抑えた文体や複雑な人間関係が織りなすドラマなど横溝正史文学の集大成といった作品ではあるが、本格探偵小説の面を観た場合にそれまでの作品より細部に行き届いた神経云った点で、後退している。

むしろ、「悪魔の手鞠唄」よりその後の「仮面舞踏会」の方が出来がいいと思うが、それでも「悪魔が来りて笛を吹く」に見られたような神経が細部まで張り巡らされた作品とは言いがたい部分もある。
大好きな作品ではあるが、本格探偵小説としての強度が「悪魔が来りて笛を吹く」以前の作品より弱い印象は否めない。

この期に書かれた「病院坂の首縊りの家」「悪霊島」も複雑な人間関係が織りなすドラマが私などは魅了されるが、パズラーファンが膝を叩く部分がなくなってきている。

そうした意味でも「横溝正史風本格探偵小説」の最高傑作として「悪魔が来りて笛を吹く」をお勧めしたい。

追記:
この作品で横溝正史が連載中にやってしまった致命的なミスに関しては有名なので知っている人も多いだろう。
もし、知らないと言う人は読了後にネットなどで調べてみるといいだろう。
すぐにみつかると思う。
新版横溝正史全集〈12〉悪魔が来りて笛を吹く (1975年) Amazon書評・レビュー: 新版横溝正史全集〈12〉悪魔が来りて笛を吹く (1975年)より
B000J976J0
No.134
(5pt)

横溝正史風本格探偵小説の最高傑作

横溝正史風本格探偵小説の最高傑作が本作だろう。

いや、いや国内ミステリ投票で何度もトップを取る「獄門島」や第一回探偵小説クラブ賞受賞作の「本陣殺人事件」があるではないかという意見があるだろう。

確かに「本陣殺人事件」、「獄門島」は、傑作に恥じない作品だが、横溝正史の最高傑作なのかといわれると少し違う気がする。

「本陣殺人事件」は長めの中編小説とも言えて肉付けが弱い欠点があるが、「獄門島」は金田一物の2作目だけあってそのあたりも解消されておりオールタイム・ベスト級という世間の評価は妥当だと思う。
ただ、個人的な趣味であることは承知であるが、自分は天才作家作者の最高傑作=オールタイム・ベスト級傑作と思っていない。
作者の最高傑作は、作者の持ち味が発揮された上で出来のいい作品となるだろうがその分アクが強いために万人受けするとは限らない。
そうした理由で「獄門島」がオールタイム・ベスト級の傑作であることは認めるが、横溝正史の最高傑作ではないというのが自分の私論だ。

両作は戦中に探偵小説が抑圧されていく中で、作家同士のより合いで出合った「井上良夫」から「ディクスン・カー」の諸作を紹介されて戦後は本格推理小説を書くという熱意が結晶した作品。
この作品は、「ディクスン・カー」のみならずそれ以前から知っていた「エラリー・クイーン」「アガサ・クリスティ」の影響も見られる。

「ディクスン・カー」からは「事件の発生」→「捜査」→「解決」といった固まった書き方でなくてもっと自由な物語性を探偵小説に持ち込んでもいいという発見を横溝正史に与えた。
横溝正史というとなにかと「カー」が引き合いに出されるが探偵小説の仕掛けの部分は、人間関係自体にトリックを仕掛けるクリスティのやり方やロジックの組立方などは「エラリー・クイーン」のやり方にその影響を見られる。
そうした英米の有力作家に影響を受けながら、しっかりとした「本格探偵小説」を描くとしてでき上がったのが「本陣殺人事件」、「獄門島」。
横溝正史もこうした長編小説を描くのは始めてだったので自身の持ち味であるストーリーテラーの部分を全力で発揮すると戦前の代表作「真珠郎」のようになってしまうのを恐れたのか?後の作品に比べて「因縁話」や複雑な人間関係も抑えら得ている印象がある。

裏を返すと「獄門島」が今も尚、横溝正史の最高傑作のみならず全ミステリのオールタイムベストに選ばれるのは、自制しないと暴走してしまう草双紙趣味を抑えながらかつそれを全く使用しないという訳でもないという抑制感が本格ミステリの味付けとして効果を上げているからではないだろうか?

草双紙趣味の効果的な使い方として「本陣殺人事件」を例に出すなら怪人物「三本指の男」がそのいい例だろう。
草双紙趣味的な怪人物であるが、この人物が三本指である理由やその正体が本格探偵小説として上手く機能している。
いかにも草双紙的という人物を登場させておき、それがミステリの仕掛けに巧みに結びついている。

大きなトリックを使わない訳では無いが、小技や構成に神経を使ってそのミスデェクレションに草双紙趣味を用いるのが「横溝正史」という人の特徴であろう。

「本陣殺人事件」、「獄門島」の両作はこのあたりのテクニックが秀逸でロジックの切れが素晴らしい。

「本陣殺人事件」と取り上げたので「獄門島」触れるとこの作品、読み返すたびに伏線の引き方などに感服する箇所が多い。
まさに芸が細かいといったところ。

もっとも完璧な作品なのかというと、「鮎川哲也」氏の諸作のようにロジックが隅々まで行き届いているというわけでもなく細かい部分では傷もある。
犯人が行う隠蔽工作も金田一耕助や警察が、登場人物たちの細かいアリバイ調査を行っている部分がきちんと描かれていないので、不可能興味が盛り上がらないなどがあってミステリとしては致命的とも言える部分もある。

ところが、読み返してもあまりそこが気にならないのが意外と不思議だ。
細かい傷は合っても全体として問題無く仕上がっている。
素人の言いかたで申し訳ないがその構築美は「釘」でしっかりと作られた建物というより宮大工が作った建物を思わせる。
あたかもそうした建物が「釘」のようなものが使われていないのに長年の風雪に耐えるのに似ていると思うのは私だけだろうか?
一見して不安定にみえながらさまざまなピースがピッタとハマっていて強固な構造物になっている印象。
「獄門島」といえば、殺人事件の隠蔽工作やクリスティのあの名作に影響された作品のテーマがよく話題になるが、それだけでなくむしろ全体的な構成が素晴らしい。
作品のテーマになっていることも事件の動機にして常識的には「なんでそんなことをしたのか?」というツッコミが入ってもおかしくないが、構成の妙がそれらを「起こっても不思議でない」としている点が神がかっている。
トリックから逆算してストーリを作ったはずなのに読み終えてみると「起こるべき起きた事件」という印象を読者に与える。
こうした印象は初読時より再読時に感じられる。
アガサ・クリスティの某有名作が、典型的な犯人当て推理小説でありながら再読時には犯罪小説の印象に転換するようにこの作品は初読時より再読時に印象が変わってくる。
「都筑道夫」は「獄門島」を「偶然に使い方の巧みさ」の好例にあげているが、再読してみると「理解不可能な動機」でありながら、にも関わらず犯罪を実行せざろうえなくなる犯人を追い詰めていく「偶然の集積」とそれが連鎖してして行く流れを適切な流れで描いていく構成の妙に感服する。
真相をわかった上で読み進めていくと、犯人がまるで運命に流されるように犯罪を犯すことになっていく流れが読者にひしひしと伝わってく。
「ギリシア悲劇」を彷彿させるようなものでもあるが、「悲劇を生み出した根源」を日本の地方文化と結びつけて「日本人の悲劇」しており、作品に深みを与えている。
さらにこの部分が高度に探偵小説的仕掛けと密接に結びついている。
物語性と探偵小説の仕掛けの高次元で融合といえるだろう。
あまりいわれないが、個人的には「獄門島」は乱歩が言った「一つの芭蕉の問題」に耐えうる作品だろう。

両作で「本格探偵小説」に手応えを感じた横溝正史は、「八つ墓村」以降で前2作では抑えたストーリーテラーの作劇術を全面的に出してくる。
その分、「本陣殺人事件」、「獄門島」より「謎と論理」が後退した印象が「八つ墓村」以降の作品には感じられる。
ただ、全く無くなった訳でなくむしろ全面に出さなくなっただけで扱い方が巧みになったいうべき。
因縁話を絡めたストーリー展開が全面に出てくることで読者がそちらに意識が向くことで真相を隠すといったことを「八つ墓村」、「犬神家の一族」では行われている。
同じようなことを感じる人はいるようで、アマゾンの「八つ墓村」のレビューで「ストーリングの抜群の面白さが真相を隠すミスデェクレションに使われている」といったこと書いている人がいてニヤニヤしてしまった。

なにかと冒険小説的な扱いを受ける「八つ墓村」だが、巧みな手がかりの提示の仕方や、表面上は単なる扇動者にしかみえない「濃い茶の尼」の事件への関与のひねりなど、パズラー好きなら思わず膝をたたかずにはいられない。

「犬神家の一族」にしても同様で、人間関係自体にトリックを仕掛けるのが巧みである。
作中の途中で明らかになる佐平翁の過去の秘密が関係者に驚きを持って波紋が広がっていく。
これ自体が読者を引きつける要素になっているが、最後に金田一耕助によって事件の真相が明らかになると、ある人物の思惑が秘密の暴露でひっくり返ってしまったことが分かる。
佐平翁の秘密が単なる因縁話でなくて、事件と密接係っているあたり、「巧い・・」と本格探偵小説として思わず膝を叩いてしまう。
まさに人間関係自体がトリックになっている。

強いて言うなら「本陣殺人事件」、「獄門島」が欧米の黄金期ミステリの影響が強い傑作とするなら、それに飽き足らなかった横溝正史が自身の個性を発揮し始めたのが「八つ墓村」以降の作品であろう。

「本格探偵小説を書く」という意気込みが「本陣殺人事件」、「蝶々殺人事件」、「獄門島」を産んだが、ストーリテラーを自認する横溝正史としては物足りない部分があったようだ。

これらの作品で欧米流の本格探偵小説を書く・・という当初の目的を達成できた横溝正史は「八つ墓村」以降、物語性を重視する方向に作風を変化させていく。
正確に言うならそうした傾向は先に上げた作品にもあったが、「八つ墓村」以降はそれが顕著になっていく。

「八つ墓村」以降、「謎と論理」を重視しながらも物語性を全面に出すことで、ややもすると中盤が退屈になりがちな本格探偵小説の欠点をカバーすることでなによりも読み物として面白いという作風をこの時期横溝正史は作り上げあげた。

それを私は「横溝正史風本格探偵小説」といいたい。

その代表作ともいえるのが「悪魔が来りて笛を吹く」であるというのが自分の意見だ。

惨劇の度に現場に鳴り響くフルート曲「悪魔が来りて笛を吹く」。
曲の作曲者は名門華族「椿家」の当主「椿子爵」。

子爵は一時期「天銀堂事件」の容疑者と疑われていた。
宝石店「天銀堂」に衛生局の職員と名乗って現れた男。
男の指示に従った複数の店員が、予防接種を受けるがその実それは予防接種ならぬ「青酸カリ」で店員達は死亡、犯人は大量の宝石を奪って逃走。
生き残った店員達によって作られたモンタージュに似ているとして子爵は警察に呼び出されるが、アリバイが確定して開放される。
しかし、なぜか?無実が証明されたはずの子爵は警察からの解放後に失踪、数ヶ月に自殺死体で発見される。

椿子爵は死んだ・・・

ところが、椿家で禍々しい事、不穏な事が持ち上がる度に椿子爵を目撃したという証言が関係者から持ち上がる。
子爵は生きているのか?死んでいるのか?
そもそも発見された死体は腐敗していたため、あれが別人の死体だったのでは?という疑惑も否定できない状況。
失踪した子爵が残した娘に残した手紙に書かれた「伝統ある椿家を奈落に落とす不名誉」とはなにか?

様々な小道具が読者のイメージを刺激する。
「栗本薫」女史は、「日本探偵小説集 横溝正史」の解説で「横溝正史は強烈なイメージが持ち味の作家」といったこといったが、この作品ではなによりも「悪魔が来りて笛を吹く」という曲のイメージが強烈。
小説なのだから実際に読者に音は聞こないはずなのだが、読み手が曲をイメージしながら読んでしまう。
このあたりが「横溝正史」というひとの凄みである。

全体を覆う重たい雰囲気。
横溝正史の作品は題名がおどろおどろしいので誤解を受けているがむしろ作品自体は明るい雰囲気すらある。
ところが、この作品には全くそれがない。
読者は没落華族達の行く末を横溝正史の筆で追って行く事になる。
救いのない話で因縁話が全体を覆っている。
実際トリックより物語自体が持つ悲劇性が、多くの読者にショックを与えたようでこの部分を評価する人も多い。
元ネタは作中で語られているように海外の著名な小説であるが、こと日本に置いて同様な設定を持つ小説を読んだ読者がこの作品について言及するぐらいにこの小説の肝になっている。

救いがたい悲劇性と因縁話が全面にでているが、ミステリ的な構造も手を抜いていない。

第一の事件から本格探偵小説の定番テーマというべき「密室殺人」を持ってきている。
本格探偵小説を書くという意気込みで書かれた「本陣殺人事件」こそ「密室殺人」を全面に出しているが横溝正史という作家性を考えるとむしろ「本陣殺人事件」は例外というべきだろう。

横溝正史と言う人は、「密室殺人」に代表される「不可能犯罪」を全面に出して読者に挑戦するというより「顔のない死体」や顔に傷がついて本人なのか特定できない人物を登場させてアイデンティティの喪失といた不可解な状況で読者を煙に巻いてミスディクレションをすることを得意としていた。

カーが「不可能犯罪派」というなら横溝正史はさしずめ「不可解犯罪派」といったところ。

ところが、この作品では「密室殺人」を第一の事件に持ってきており、作者の並々ならぬ意気込みを感じる。

もっとも、密室トリック自体は、カーの「三つの棺」、「ユダの窓」の様に後年まで語られるようなものではなく、人によっては肩透かしという印象を受ける人もいるようだ。
なにしろ、現場に到着した金田一耕助は密室殺人の状況に頭を抱える捜査陣を前にして・・・

「いまから言う方法がこの事件で使われたか不明ですが、密室にする方法だけならいくらでもありますとよ」

と言わんばかりに紐を使って部屋の外からドアの内側の掛け金を操作することで、外側から密室を作る方法を説明して見せる。

密室殺人の奇抜なトリックにこだわる読者からしたら、密室にする方法なんていくらでもあるといわんばりの金田一の態度に肩透かしを受けても仕方がないだろう。

しかし、ここから「不可解犯罪派」の横溝正史らしく密室殺人という分かりやすい謎だけなく、金田一耕助の指摘によって、現場の奇妙な様子が浮かび上がっていく。

例えば、被害者の状態・・・

・被害者は、鈍器のようなもので殴られた後に絞殺された様子。
・殴られた際に鼻血が出たようだが、被害者のハンカチでその血は奇麗にふき取れていた。

                ↓

・被害者が拭いたならなぜ犯人はその時間を被害者に与えたのか?
・犯人が拭いたならその理由は?

これが最後にきっちり説明される。
しかも、そうなっていまった理由が、密室状況であることと密接に結び付いてきて芸の細かさに驚嘆していまう。
本格探偵小説の醍醐味はこうした細かい部分にまで張り巡らされた作者の配慮で、この作品でも横溝正史はその辺りに抜かりがない。

特にある象徴的なことが明らかになるラストはなかなか衝撃的で「横溝正史風本格探偵小説」の最高傑作に恥じないできである。

物語の終わりも終わり、極端な言い方ををすれば最後の一行で衝撃な真相を明らかにして締めくくるやり方は、アメリカ探偵小説そのものといわれた「エラリー・クイーン」が得意としたテクニック。

クイーンにはこの手法を使った名作が多い。
「フランス白粉の謎」、「オランダ靴の謎」、「Xの悲劇」、「Yの悲劇」などなど・・・・。

「獄門島」における「きちがいじゃが仕方がない」がクイーンの某名作に影響されたと横溝正史自身がいっているように事テクニック面では横溝正史はクイーンを大いに参考にしている。

物語の組立方にはクイーンの王道的な展開よりなんでもありのカーの方に感服していた横溝正史だが、テクニック面ではクイーンの影響が大きい。

この作品では、クイーンの得意とした「最後の一撃」を行なっている。
私なぞは一読者として「やりやがったな!!」と思わず膝を叩いてしまう。

残念なのは横溝正史にある種の知識が乏しかったのでとんでもない誤りをしてしまい連載中に気付いたものの修正出来ずに連載を終えてしまった事。
単行本になる際に修正はされたもの当初の狙い通りにはならなかった。
上手くいっていれば当時にしてメディアミックス的な狙いに挑んだ作品になったであろうが、不発に終わったのが残念でならない。
とはいえ、現状でも充分に以上の効果をあげており、多くの読者がこの作品を一押しする要因になっているのは間違いない。

ただ、これが横溝正史の最後の輝きといえなくもない。
「悪魔の手鞠唄」も世評が高いけど、「悪魔が来りて笛を吹く」に見られたような細かい配慮が細部まで行き届いているかが疑問。

もちろん、人気作だけあり美点もある。
手毬唄の通りに若い娘たちが殺されていく。
しかし、動機不明。
途中で殺された娘たちに意外な共通点がわかっていくが、かといってそれで連続殺人の動機は見えてこない。
この辺は「不可解犯罪派」としての「横溝正史」の面目躍如といったところ。
このあたりのサスペンスは実に巧い。
こうした不可解状況が、終盤で金田一が明らかにする意外ではあるが極めて単純な錯誤に関係者が騙されていた明白になることで、動機が一気に明確になっていく。
この章題が「最後の驚愕」で「横溝正史」も自信があったと見える。
実際、この急転直下の展開が実に素晴しい。
また、物語の締めくくりかたも叙情的で小説としても余韻がある。

しかし、不満な点が多すぎるもの事実。

題名になっている「手鞠唄」がミステリのトリックとして有効に発揮していないことや、現れる怪人物にしても本陣殺人事件の「三本指の男」、八つ墓村の「濃い茶尼」のようにパズラーファンが膝を叩くような巧みな使い方をしているとは言いがたく、雰囲気を盛り上げるために登場させたのでは?といった印象。
悪い言い方をすれば「江戸川乱歩」の通俗小説にでてくる怪人物とさして変わらない。

手毬唄にしても怪人物にしても雰囲気を盛り上げるだけに見えてしまい、パズラーとしての必然性が弱いといったところ。

「悪魔の手鞠唄」は抑えた文体や複雑な人間関係が織りなすドラマなど横溝正史文学の集大成といった作品ではあるが、本格探偵小説の面を観た場合にそれまでの作品より細部に行き届いた神経云った点で、後退している。

むしろ、「悪魔の手鞠唄」よりその後の「仮面舞踏会」の方が出来がいいと思うが、それでも「悪魔が来りて笛を吹く」に見られたような神経が細部まで張り巡らされた作品とは言いがたい部分もある。
大好きな作品ではあるが、本格探偵小説としての強度が「悪魔が来りて笛を吹く」以前の作品より弱い印象は否めない。

この期に書かれた「病院坂の首縊りの家」「悪霊島」も複雑な人間関係が織りなすドラマが私などは魅了されるが、パズラーファンが膝を叩く部分がなくなってきている。

そうした意味でも「横溝正史風本格探偵小説」の最高傑作として「悪魔が来りて笛を吹く」をお勧めしたい。

追記:
この作品で横溝正史が連載中にやってしまった致命的なミスに関しては有名なので知っている人も多いだろう。
もし、知らないと言う人は読了後にネットなどで調べてみるといいだろう。
すぐにみつかると思う。
横溝正史全集〈第7〉悪魔が来りて笛を吹く (1970年) Amazon書評・レビュー: 横溝正史全集〈第7〉悪魔が来りて笛を吹く (1970年)より
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横溝正史風本格探偵小説の最高傑作

「本陣殺人事件」、「獄門島」は、傑作に恥じない作品だが、横溝正史にとって最高傑作なんかといわれると少し違う気がする。
両作は戦中に探偵小説が抑圧されていく中で、作家同士のより合いで出合った「井上良夫」から「ディクスン・カー」の諸作を紹介されて戦後は本格推理小説を書くという熱意が結晶した作品。
この作品は、「ディクスン・カー」のみならずそれ以前から知っていた「エラリー・クイーン」「アガサ・クリスティ」の影響も見られる。
むしろ、「ディクスン・カー」からは「事件の発生」→「捜査」→「解決」といった固まった書き方でなくてもっと自由な物語性を探偵小説に持ち込んでもいいという発見を横溝正史に与えたのではないか?
探偵小説の仕掛けの部分は、人間関係自体にトリックを仕掛けるクリスティのやり方やロジックの組立方などは「エラリー・クイーン」のやり方にその影響を見られる。
そうした英米の有力作家に影響を受けながらしっかりとした「本格探偵小説」を描くとしてでき上がったのが「本陣殺人事件」、「獄門島」。
横溝正史もこうした長編小説を描くのは始めてだったので自身の持ち味であるストーリーテラーの部分を全力で発揮すると戦前の代表作「真珠郎」のようになってしまうのを恐れたのか?後の作品に比べて「因縁話」や複雑な人間関係も抑えら得ている印象がある。

裏を返すと「獄門島」が今も尚横溝正史の最高傑作のみならず全ミステリのオールタイムベストに選ばれるのはその抑圧感にあるのかもしれない。
読み返すたびに感服する作品で細かい傷は合っても全体として問題無く仕上がっている。
素人の言いかたで申し訳ないがその構築美は「釘」でしっかりと作られた建物というより宮大工が作った建物を思わせる。
あたかもそうした建物が「釘」のようなものが使われていないのに長年の風雪に耐えるのに似ていると思うのは私だけだろうか?

両作で「本格探偵小説」に手応えを感じた横溝正史は、「八つ墓村」以降抑えたストーリーテラーの作劇術を全面的に出してくる。
その分、「本陣殺人事件」、「獄門島」より「謎と論理」が後退した印象が「八つ墓村」以降の作品には感じられる。
ただ、全く無くなった訳でなくむしろ全面に出さなくなっただけで扱い方が巧みになったいうべき。
なにかと冒険小説的な扱いを受ける「八つ墓村」だが、巧みな手がかりの提示の仕方や単なる扇動者にしかみえない「濃い茶の尼」の使い方などは、パズラー好きなら思わず膝をたたかずにはいられない。
「犬神家の一族」にしても同様で人間関係自体にトリックを仕掛けるのが巧みで作中に途中で明らかになる佐平翁の過去の秘密が明らかになったことである人物の思惑がひっくり返ることが最後に明らかなる。
まさに人間関係自体がトリックになっている。

強いて言うなら「本陣殺人事件」、「獄門島」が欧米の黄金期ミステリの影響が強い傑作とするなら、それに飽き足らなかった横溝正史が自身の個性を発揮し始めたのが「八つ墓村」以降の作品であろう。
それを私は「横溝正史風本格探偵小説」といいたい。

ある意味ではその代表作ともいえるのが「悪魔が来りて笛を吹く」ではないだろうか?
全体を覆う重たい雰囲気。
横溝正史の作品は題名がおどろおどろしいので誤解を受けているがむしろ作品自体は明るい雰囲気すらある。
ところが、この作品には全くそれがない。
読者は没落華族達の行く末を横溝正史の筆で追って行く事になる。
救いのない話で因縁話が全体を覆っている。
実際トリックより物語自体が持つ悲劇性が多くの読者にショックを与えたようで世評も高い。
とはいえ、ミステリ的な構造も手を抜いていない。
密室トリック自体はそれほど読者の度肝を抜くものではないが・・・・

・被害者は、殺害時に鈍器のようなもので殴られた後に絞殺された様子。
・殴られた際に鼻血が出たようだが、被害者のハンカチでその血は奇麗にふき取れていた。

                ↓
・被害者が拭いたならなぜ犯人はその時間を被害者に与えたのか?
・犯人が拭いたならその理由は?

これが最後にきっちり説明される。
本格探偵小説の醍醐味はこうした細かい部分にまで張り巡らされた作者の配慮でこの作品でも横溝正史はその辺りに抜かりがない。
特にある象徴的なことが明らかになるラストはなかなか衝撃的で「横溝正史風本格探偵小説」の最高傑作に恥じないできである。

ただ、これが横溝正史の最後の輝きといえなくもない。
「悪魔の手鞠唄」も世評が高いけど、「悪魔が来りて笛を吹く」に見られたような細かい配慮が細部まで行き届いているかが疑問。
題名になっている「手鞠唄」がミステリのトリックとして有効に発揮していないことや、現れる怪人物にしても本陣殺人事件の「三本指の男」、八つ墓村の「濃い茶尼」のようにパズラーファンが膝を叩くような巧みな使い方をしているとは言いがたい。

むしろ、「悪魔の手鞠唄」よりその後の「仮面舞踏会」の方が出来がいいと思うが、それでも「悪魔が来りて笛を吹く」に見られたような神経が細部まで張り巡らされた作品とは言いがたい部分もある。

この期に書かれた「病院坂の首縊りの家」「悪霊島」も複雑な人間関係が織りなすドラマが私などは魅了されるが、パズラーファンが膝を叩く部分がなくなってきている。

そうした意味でも「横溝正史風本格探偵小説」の最高傑作として「悪魔が来りて笛を吹く」をお勧めしたい。
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No.132
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最大のヒントはタイトル”悪魔が来りて笛を吹く”(ネタバレなし)

非常に緻密なつくりの推理小説だと思います。
小道具を使ったトリックや、細かいヒントがいくつも散りばめられ、
いつもは事件の傍観者として最後に解説するような役回りが多い金田一探偵が、積極的に犯人を追い込んでいく場面もあります。
後半は怒涛の展開で読者をひきこみます。
犯人がいかにして人を捨て、悪魔になったのかを語る場面は圧巻です。
トリックよりも人間関係の謎を推理し、動機としてアウトプットされ、
謎が解ける構造になってるのが面白いと思います。

失踪した椿子爵が娘、美禰子に示唆した悪魔とは誰なのか?
その目的と動機は?どういう人生を経たのか?
様々なヒントから金田一耕助は見事に推理し、犯人を追い詰めますが、最大のヒントを見逃していた事を最後の最後で知らされます。
それは読者が確認してください。
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No.131
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最大のヒントはタイトル”悪魔が来りて笛を吹く”(ネタバレなし)

非常に緻密なつくりの推理小説だと思います。
小道具を使ったトリックや、細かいヒントがいくつも散りばめられ、
いつもは事件の傍観者として最後に解説するような役回りが多い金田一探偵が、積極的に犯人を追い込んでいく場面もあります。
後半は怒涛の展開で読者をひきこみます。
犯人がいかにして人を捨て、悪魔になったのかを語る場面は圧巻です。
トリックよりも人間関係の謎を推理し、動機としてアウトプットされ、
謎が解ける構造になってるのが面白いと思います。

失踪した椿子爵が娘、美禰子に示唆した悪魔とは誰なのか?
その目的と動機は?どういう人生を経たのか?
様々なヒントから金田一耕助は見事に推理し、犯人を追い詰めますが、最大のヒントを見逃していた事を最後の最後で知らされます。
それは読者が確認してください。
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No.130
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最大のヒントはタイトル”悪魔が来りて笛を吹く”(ネタバレなし)

非常に緻密なつくりの推理小説だと思います。
小道具を使ったトリックや、細かいヒントがいくつも散りばめられ、
いつもは事件の傍観者として最後に解説するような役回りが多い金田一探偵が、積極的に犯人を追い込んでいく場面もあります。
後半は怒涛の展開で読者をひきこみます。
犯人がいかにして人を捨て、悪魔になったのかを語る場面は圧巻です。
トリックよりも人間関係の謎を推理し、動機としてアウトプットされ、
謎が解ける構造になってるのが面白いと思います。

失踪した椿子爵が娘、美禰子に示唆した悪魔とは誰なのか?
その目的と動機は?どういう人生を経たのか?
様々なヒントから金田一耕助は見事に推理し、犯人を追い詰めますが、最大のヒントを見逃していた事を最後の最後で知らされます。
それは読者が確認してください。
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No.129
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安定の面白さ

金田一耕助シリーズの面白いところが凝縮された作品ですね。八つ墓村や犬神家を読んだので、他の作品も読んでます。戦争とか、元子爵とか伯爵が登場する時代背景も、我々の世代にはかえって新鮮に感じられます。
シリーズ特有のドロドロした人間関係やトリックもあり、ミステリーファンは必読でしょう。
あえて問題点を挙げると、ミステリーファンからすると、登場人物が出そろった時点で、なんとなく犯人の目星がついてしまう所でしょうか。
このパターン、きっと、横溝の作品が先で、あとの作品が模倣なんでしょうけどね。
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安定の面白さ

金田一耕助シリーズの面白いところが凝縮された作品ですね。八つ墓村や犬神家を読んだので、他の作品も読んでます。戦争とか、元子爵とか伯爵が登場する時代背景も、我々の世代にはかえって新鮮に感じられます。
シリーズ特有のドロドロした人間関係やトリックもあり、ミステリーファンは必読でしょう。
あえて問題点を挙げると、ミステリーファンからすると、登場人物が出そろった時点で、なんとなく犯人の目星がついてしまう所でしょうか。
このパターン、きっと、横溝の作品が先で、あとの作品が模倣なんでしょうけどね。
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安定の面白さ

金田一耕助シリーズの面白いところが凝縮された作品ですね。八つ墓村や犬神家を読んだので、他の作品も読んでます。戦争とか、元子爵とか伯爵が登場する時代背景も、我々の世代にはかえって新鮮に感じられます。
シリーズ特有のドロドロした人間関係やトリックもあり、ミステリーファンは必読でしょう。
あえて問題点を挙げると、ミステリーファンからすると、登場人物が出そろった時点で、なんとなく犯人の目星がついてしまう所でしょうか。
このパターン、きっと、横溝の作品が先で、あとの作品が模倣なんでしょうけどね。
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No.126
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伏線とかトリックは良いと思う

ネタバレですが、、

伏線はたくさん、そして読者にわかりやすく配置してあって良いと思うが、
動機とか犯人の背景が「悪魔の手毬唄」に似ている気がする。
複数の女性と関係する「けしからん男」と、
その結果としての、
異母兄弟、経歴ロンダリング、当人たちは兄妹と知らないままに惹かれ合う、という流れ。
(作品発表は、手毬唄のほうが5年ほど後)
殺人事件の首謀者が親世代か子世代かという点とか、いろいろ細かい点は異なるし、
元凶となった男の「けしからん度」からすると、この作品のほうがひどいんだけど。。
とかなんとかいいながら、面白く読みました。

自分は、小説を先に読んで、後から映像化のキャストを想像して楽しむことが多い。
例えば、以下のような描写をされる脇役たちを誰が演じるのか。

「あき子の隣には、世にこれほど醜い女があるだろうかと思われるような老婆が坐っていた。おそらく……、老女の信乃なのだろう。…中略… 醜いのもここまで極端だと気にならない。いや、むしろ芸術的でさえある。それに年齢の錆が彼女の感情から、羞恥だの気取りだのという垢を洗いおとしてしまったらしく、彼女自身、自分の醜いことも忘れたように、泰然として…
…中略…
世にこれほど醜い女はないが、また、いっぽう、世にこれほど威厳にみちた女もない。おでこで、眼玉がとび出して、鼻がへしゃげて、口が大きく、しかも顔中皺だらけなのが、まるで古雑巾のようである。」

古雑巾とまで形容をされる「信乃」という老女役を、どんな女優さんが、どんな演出で演じるのか。
実はヒロインの一人である「美禰子(19歳)」も、小説中の描写を読むかぎり、トゲトゲしたやや不美人という設定なのだが、数年前のドラマでは、普通に可愛い娘が演じていた。
悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫―金田一耕助ファイル) Amazon書評・レビュー: 悪魔が来りて笛を吹く (角川文庫―金田一耕助ファイル)より
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No.125
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映画よりずっと面白い

何回か映画されていてるけど、「獄門島」や「犬神家の一族」のような派手な絵になるようなシーンがないため、どちらかという印象に残らない感じだったけど、小説は全く違います。小さな伏線があって、最後にその意味が出てきます。映画よりもやっぱ活字で読んだ方が、おどろおどろしさが出てきて面白いです。今のところ、金田一耕助シリーズで一番面白いと思います。
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