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飢餓海峡
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飢餓海峡の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全69件 21~40 2/4ページ
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三國連太郎が演じる犬飼多吉の「飢餓海峡」観てからキンドル版で購入しました。映画では伴淳三郎の演じる刑事もカッコ良かった。活字で読むことによってこの作品がさらに深く理解できました。 | ||||
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名作と名高い作品で映画化もされているが、特に下巻はお粗末。前半で刑事が遺体を掘り返すところまでがサスペンスの手つき。この作者は芸妓や花町に落ちた女性の日常を描かせると、その底に母性のはかなさを嗅ぎ取る独特の嗅覚をもっている。資質は殺されることになるヒロインの東京での心象風景に生かされている。そのテイストと作品全体に漂う飢餓感が統合できていない。戦後の殺伐とした時代背景がそれを補ってはいる。しかし、肝心の犯人が名士に成り代わった後の人生についての書き込みが不足しているのが最大の欠点。このため最終にいたると二時間ドラマの結末を思わせて軽いし、松本清張の『ゼロの焦点』の終末を連想させる。新たなクリエーターによって、よりアクティブに作品理解が深められ、映画化されることを望みます。 | ||||
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時代の変遷はその都度ヒシヒシ感じますが、人間の心の問題は、いくら現代のような利便性だけを 追求している世の中になろうが、全然進歩も発展も感じられません。人間の心だけはハイテクには なれません。やはり現代の教育に必要なものは倫理観、道徳観、向上心や向学心といった一種の 葉隠れ的な思想を学習することが重要だと痛感いたします。 | ||||
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・サノーさん一言コメント 「北国の荒々しい海が、人間の複雑な感情を全て飲み込んでいく。社会派推理小説の名手が描く、因果応報」 【サノーさんおすすめ度★★★★☆】 ・ウノーさん一言コメント 「人は、良いことも、悪いこともします。ひとつのボタンの掛け違いから、暴かれる真相を知ります」 【ウノーさんおすすめ度★★★★☆】 ・サノーさん、ウノーさん読書会 サノーさん(以下サ):著者は「松本清張」と並んで「社会派推理小説家」として、人気を集めた書き手だ。 ウノーさん(以下ウ):その時々の時事ネタや社会情勢、実際に起きた事件や事故から、社会の矛盾、社会で生きる声なき人々の「叫び」を織り込んで、推理小説として成立させるのが「社会派」ですね。 サ:この作品の舞台は、函館と岩内、東京だ。 ウ:実際に起きた「青函連絡船の遭難事故」と同じ頃に発生した「岩内町の大火」からインスパイヤされて、今回のストーリーは生み出されています。 サ:この二つの「事件」そのものが題材ではなく、それの発生と発生後に関連した殺人が、推理のテーマとなる。 ウ:青函連絡船の乗客数より遭難者数が2名多くても、追求しないのかしら?とは思いましたが、当時のアバウトさでは「あり得るかも」と納得してしまいました。 サ:それほど、描写がリアルで、臨場感がある。 ウ:その「きっかけ」から、様々な伏線が発生し、物語は「杉戸八重」という女性の「生き様」へと移行します。 サ:当時の「あいまい宿」の様子、北国の荒れた風土と、一人の女性が生きる「厳しさ」と「逞しさ」を読み取ることができる。 ウ:そして、そのストーリーが、最初の二つの事件へと、戻っていきます。 サ:「犬飼多吉」という、八重に大金を与えて消えた人物と「殺人犯」との接点が、やがて「線」となって、真相に迫っていく。 ウ:しかも、そこに「人間の二面性」を織り交ぜ、「凶悪な殺人犯」という側面と「成功した徳の高い実業家」という、相反する側面を、一人の人間のなかで描きます。 サ:そして、それが破綻するのも、「良心」と「悪意」という、相反する二つの感情の結果だ。 ウ:読み継がれる「推理小説」は、この感情を描く深さが違うのだということを改めて確認できる一冊です。 サ:もちろん、トリックや読み手を翻弄する「テクニック」も一流だ。 ウ:両方が揃って、「傑作」となるわけです。 【了】 | ||||
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1963年に刊行された推理小説だが長い。無実の人を2人殺している犬飼には同情できないし、刑事の人物像も平凡でバックボーンも詳しく描かれないので、ドラマ性もイマイチだし感動しなかった。飢餓海峡は映画を観ればいいだろう。 | ||||
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上下巻で約1000ページもあるので、毎日30ページ読んだとしても完読するのに一ヶ月は掛かる、物語は大体分かるので・興味がある方にはDVD鑑賞をお勧めする | ||||
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樽見京一郎は京都の僻村に生まれた。父と早く死に別れて母と二人、貧困のどん底であえぎながら必死で這い上がってきた男だ。その彼が、食品会社の社長となり、教育委員まで務める社会的名士に成り上がるためには、いくつかの残虐な殺人を犯さねばならなかった……。そして、巧なり名を遂げたとき、殺人犯犬飼多吉の時代に馴染んだ酌婦、杉戸八重との運命的な出会いが待っていた……。 | ||||
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「麻雀放浪記」の浅田哲也は改名して、純文学を目指し、陸奥盛岡で果てた。 「麻雀放浪記」をピカレスクなんて称して、満足する評論家風情。 「飢餓海峡」はまさしく「悪漢小説」、そして傑作なのだ。 | ||||
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1年の週刊朝日連載の終了は、「海峡は凪いでいた」で結ばれてた。勉さんはこれに加筆して、出版の宛てのない原稿を半年かけて纏めた。それが下巻に入っています。連載の優れた緊張感を、溶いて甘い感傷を綴ってしまった。内田叶夢監督の傑作「飢餓海峡」ではこの部分はカットされています。 「海峡は荒れていた」で始まった長編は、完成していたのです。 | ||||
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時代を超えて惻々と伝わる、極貧を生き抜く痛々しさと逞しさ。その出自、生い立ちゆえに、それをばねにして犯罪をも辞さない一種のルサンチマン。この作品は1961年末から1963年中盤にかけて執筆された。『霧と影』『海の牙』『火の笛』『野の墓標』と続く水上氏の初期の作家生活を彩る社会派ミステリーの最終作であるとともに頂点を極める大作である。ミステリーで俗に「人間が描けているか否か」とよくいわれるが、単なるトリックやの新奇さや謎解きの妙味ばかりが「知的な遊び」ともてはやされた時代に棹さして書かれたこのような作品をこそ、たとえ半世紀の時代を経ていようとも心してじっくりと玩味すべきではないか。ちなみに、水上氏は1976年刊行の全集のあとがきでこう書いておられる。二読三読されたい。 私はこの作品を書いた頃から推理小説への熱情を失っていた。つまり、約束事に縛られる小説の空しさについてであった。推理小説は、周知のように犯人当てが楽しみであり、事件の解明や殺人動機について奇抜な工夫が要求される。奇抜が奇抜であるほどに成果が高い。私はそういう小説の娯楽性を拒否するものではない。おもしろく読んできたし、また自分でも試作してきている。けれども、それがいくらよくきまって、よく仕上がっても、どこかから吹いてくる空しさ、それががまんならなかった。たとえ人によろこばれなくても、おもしろがられなくても、作者がこれだけは書いておきたかった、というような小説があってもいい。読者不在の小説とまではいわないが、多数の大向こうを相手にした作品ではなくて、しずかに、人生を語るような小説もあっていい。そんなふうな思いが深まった。こつこつ書いて得たもののひとつがそれだった。それで、私は、推理小説の原稿依頼には応えずに、勝手な物語を書くようになった。そうして、自然と、原稿依頼をしてくれる雑誌を自分から失っていった。致し方のないことながら淋しさに耐えた。作家の業というようなものがあれば、書くのも業だが、書かぬということも業のはずである。 | ||||
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当時実際に起こった事件と戦後の貧苦が絡み合ってとても面白く読んだ。はじめは八重にかなり感情移入したが、京一郎にもそうしなければならない理由があって考えさせられた。 真実を明らかにすることと事実を明らかにすることは違うと言うようなことを最後刑事が言う場面がこの作品全体を表しているように思う。 | ||||
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函館観光にいき摩周丸をみて、この本をすぐに購入。非常に面白く下巻を購入したい! | ||||
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捜査の積み上がっていく様子に刑事と一緒に掴んだ事実にしびれていました。またひとつひとつの事象に対する疑問解消が丁寧に描かれていてまさに大作でした。 | ||||
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※削除申請(1件)
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『飢餓海峡』(水上勉著、新潮文庫、上・下巻)を読み始めた途端にぐいぐいと引きずり込まれ、文庫版の上・下巻合わせて850ページを貪るごとく一気に読み切ってしまった。 水上勉が渾身の力を振り絞って紡ぎ出した長篇だけに、日本文学の最高峰と言っても過言ではない作品に仕上がっている。推理小説であり、警察小説であり、犯罪小説であり、社会小説でもあるという多面性を有しているだけでなく、それらが見事に融合して、骨太、重厚な人間ドラマが展開する人間小説たり得ている。 昭和22年9月20日、青函連絡船層雲丸が台風によって沈没し、乗客、乗員532人が死亡するという海難史上空前の大惨事が起こる。事件処理に当たった函館警察署捜査一課の弓坂吉太郎警部補、51歳は、いつまで経っても引き取り手の現れない、乗船名簿に載っていない2死体に違和感を覚える。この上巻の出だしは、推理小説の発端として秀逸である。 この沈没事故とほぼ時を同じくして、北海道の札幌から120kmほどしか離れていない岩幌で質屋一家4人が惨殺された上、証拠湮滅の目的で放火された火が町の3分の2を焼き尽くし、大勢が死亡するという大事件が起こる。 この大事故と大事件の間には関連があるのではと疑った弓坂の粘り強い捜査が始まる。 「昭和22年10月16日のことである。津軽海峡に面したこの深い山の中腹で、樫鳥の啼く声が聞こえた。キキーッと生地を切り裂くようなその啼声は、無念の思いに胸を熱くしている一人の警部補の胸をえぐり、海峡にまでつきぬけた」。 「警部補の咽喉仏が大きく鳴った。飯ものどを通らない。自家に帰ってもこの男は捜査の鬼であった。外へ出ると暗闇の坂を走りだした」。 「弓坂は今や、追及の鬼であった。函館駅のよごれた建物に入りこむと、彼は勝手知った駅長室へ走りこんでいった」。 こつこつと捜査を続ける弓坂は、彼が犯人と睨んだ男が逃亡中に一人の女と接触したに違いないという確信に達する。 その女、杉戸八重は、青森・下北半島の大湊の淫売宿、もう少し上品に表現すると妓楼「花家」の娼妓で、偶然、客として訪れた犯人の男と一時を共にしたのであるが、これが八重にとって運命的な出会いとなるのだ。 「弓坂は甲板に立って、うしろに広がってゆく海峡をみていた。真犯人を掴むまではこの海峡を二どと渡らないぞ、と自分に言いきかせた」。 「弓坂はいま、杉戸八重の行方を探す一匹の鬼であった」。 弓坂の地道な捜査と並行して、八重の過去が綴られていく。彼女は青森の極貧の家に生まれ、高等小学校を卒業すると同時に家を出て、ほとんど稼ぎのない故郷の祖父、父、弟二人を養うために16歳で娼婦になる道を選ばざるを得なかったのである。色白で愛くるしい顔立ち、男好きがする体つきの持ち主で、健康な上に、明るい性格で素直で愛嬌があり、情があるので、どこの娼家に移っても馴染み客の多い売れっ妓であった。「可愛らしい、ぽちゃっとした顔をしていましてね、男好きのする女でしたよ。なかなか利口そうな眼もとをしていて、しっかりしているところがあって・・・人とはなす時には愛嬌がありましたよ・・・」。 この八重の存在なくしては、『飢餓海峡』の成功はあり得なかっただろうと思われるほど、彼女は重要人物であるが、著者は、厳しい境遇の中にあっても明るく健気に生きる女に温かい眼差しを送っている。娼婦という生き方がいいか悪いかを論じる前に、そうせざるを得ない貧しさというものに対する著者の怒りが沸々と滾っているのだ。 大事故、大事件後の10年間も八重の娼婦生活は続く。下巻の舞台は昭和32年6月を迎え、物語は思いがけない展開を見せる。 突如発生した事態に犯罪の臭いを嗅ぎつけ、緻密な捜査に乗り出したのは、日本海に面した京都北部の舞鶴東署捜査係長の味村時雄警部補、38歳である。現在は退職して警察の剣道指南をしている弓坂の協力を得て捜査を積み重ねていく。 「かわいそうなこの女のためにも、何としても、樽見京一郎の鉄壁の不在照明をくずしてやらねばならぬと、味村時雄は下唇を噛みしめるのだ」。 味村と弓坂の執拗な捜査によって、八重のその後と、京の山中の孤村で屈辱的な極貧の中に生まれ育ち、尋常小学校の6年を終えると家を出て、大阪や北海道で苦労を重ね、その後、強かに成り上がっていく犯人の実像が明らかにされていく。 「10年目に、弓坂吉太郎は、捜査の難関であった杉戸八重の東京での生活の大半の足取りを知ることが出来た上に、いま、貴重な物的証拠の待っている畑部落へ急ぐのである。弓坂の胸は、はりさけるような喜びにふるえていた。彼は、汽車が上野を出ると、列車の座席にすわるなりいったものだ。『やっぱり、味村さん、物事は途中で捨てるもんじゃない。誰が何といおうと、最後まで喰いさがった奴が最後の成功者ですな。そんなわかりきったことを、いままた、わたしは身にしみて感じますよ』。味村時雄は、長旅の疲れか肉のそげ落ちたような頬を心もち紅潮させている弓坂をみると、自分も嬉しさはかくせなかった。だが、二人には、一抹の不安はないとはいいがたかった」。 「『署長、わたしは、とにかく、その堀株へこれから行ってみます』。味村時雄は若者のように眼を光らせていった。いま、この警部補は獲物をみつけた一匹の犬であった」。 「堀株の開拓村と、泊町の駐在をたずねたことで、捜査の鬼とも言える一人の警部補の足は、やがて、樽見京一郎の過去を洗いざらい調べあげることに成功したのであった。・・・この時は、海に向って叫びたいような喜びに全身をふるわせた」。 「弓坂吉太郎は眼を炯らせて聞いていたが、この関西の小都市からきた若い警部補の足の成果にびっくりすると共に、その執念に敬服するばかりであった」。 「味村さん。これですべてがそろったようなものだ。あなたはわたしが在職時代の捜査をうけついで、よくぞ、この闘いに勝って下さった」。 これまでこの著者の作品はいくつか読んだことがあるが、今回、『飢餓海峡』を読み終わって、水上勉は私にとって大好きな作家の一人となった。生涯を終える前に、この作品に出会えた幸運に感謝している。 | ||||
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『飢餓海峡』(水上勉著、新潮文庫、上・下巻)の下巻を読んで感じたことは、人間はどこまで極貧に耐えられるかということだ。 舞鶴東署の味村警部補と函館警察署の弓坂元警部補の粘り強い捜査によって、犯人が京の山中の孤村で極貧の中に生まれ育ったこと、尋常小学校6年の学歴しかないため、その後も、苦労の連続だったことが明らかにされていく。 極貧の親のもとに生まれた子供は、成人後も極貧の生活を送らざるを得ないケースが多い。そして、この極貧は次の世代に受け継がれていく。まるで、極貧が遺伝するかのようだ。 本書の物語は敗戦前後が舞台となっているが、残念ながら、極貧問題は現代でも根強く存在している。改めて、極貧問題を考えさせられる作品である。 | ||||
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この作品の通奏低音は「貧困」である。 小説は貧困がきちんと書き込まれているが、 ストーリーの重さと比重が同じため ちょっと違和感がある。 週刊誌の連載小説だったからか 映画ではその貧困の描き方の分量が少ない。 資料を当たると、内田叶夢監督の最初の編集は 192分という長さであり、 東映側からカットを命じられた監督は編集を拒否 助監督が167分に編集した。 結局東映側に監督が妥協する形で 183分のものができあがった。 本DVDは183分版。 カットした9分に貧困が描かれていたのかも知れない。 | ||||
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この作品の通奏低音は「貧困」である。 小説は貧困がきちんと書き込まれているが、 ストーリーの重さと比重が同じため ちょっと違和感がある。 週刊誌の連載小説だったからか 映画ではその貧困の描き方の分量が少ない。 資料を当たると、内田叶夢監督の最初の編集は 192分という長さであり、 東映側からカットを命じられた監督は編集を拒否 助監督が167分に編集した。 結局東映側に監督が妥協する形で 183分のものができあがった。 本DVDは183分版。 | ||||
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日本の戦後、昭和二十年代を舞台にした傑作ミステリーの上巻。青森の下北半島で酌婦を生業としていた杉戸八重は客の犬飼多吉と出会い、犬飼から大金を渡される。大金を手にした八重は借金を完済し、上京するのだが… 上巻では杉戸八重を中心に物語が展開し、犬飼多吉を始めとする男たちがミステリーを紡ぎ出していく。昭和二十年代の世相が非常にリアルであり、下北半島と東京という地方と東京を舞台にした八重の波瀾に満ちた人生と、そこに影を落とす犬飼の謎に包まれた人物像にページをめくる手が止まらない。 | ||||
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昭和の傑作ミステリーが完結。 昭和二十年代。 当時としては珍しく、日本列島の北から南を舞台にし、二人の刑事が執念で、一人の男の犯罪を暴く。 犬飼多吉こと樽見京一郎の犯罪がついに暴かれるが、背景にあったのは哀しい京一郎の半生だった。 当時を思えば、これだけのスケールのミステリーを描いた努力は並々ならぬものだったに違いない。 また、ミステリーの面白さと共に描かれる人間の宿命が物語に重厚感を与えている。 | ||||
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青森県大湊の歓楽街、喜楽町にある、あいまい宿「花家」で千鶴と言う名で出ている杉戸八重のところへ六尺近い大男が表れた。男は復員服を着て顔は陽に焼け赤銅色で濃い無精髭を生やし、呆然と花家のたたきに突っ立っていた。男は漁師だと言ったが、手には石か棒で力強く殴られた様な大きな傷が有り、血の噴き出した跡をまざまざと示し紫色に肉を腫れ上がらせていた。男は犬飼多吉と関西訛りで名乗った。犬飼は長い時間をかけて風呂に入り、出てくると髭を剃って見違える様な若々しい男に変わっていた。八重は傷の事が気になって消毒薬と傷薬を使い、丁寧に包帯を縛った。営みは淡かったが犬飼は八重の心遣いが嬉しかったのか帰り際、雑のうを引き寄せると皺くちゃの新聞紙に一掴みの札束を包んで八重の前に置いた。八重が後で勘定してみると6万8千円有った。犬飼は「闇商売で儲けた金だ」と言ったが八重にはそう思えなかった。 これより少し前の昭和22年9月22日津軽海峡は台風の接近で大荒れだった。青函連絡船層雲丸は一度沖へ向かったものの港湾待機に移ろうとしたところ突然の大波をかぶり乗員854名を乗せたまま転覆した。海難史上空前の大惨事となった。この時、引き取り人のいない2つの不思議な遺体が有った。奇しくも同日、函館から120キロ程しか離れていない岩幌町で、ボヤで済んだはずの小さな出火が層雲丸転覆の大事故を起こした台風の影響を受け瞬く間に火の手が広がり、全町の、三分の二の3450戸を全焼する悲惨な大火事を起こしていた。火元を調査したところ佐々田質店から撲殺されたと思われる家族4人の惨殺死体が発見された。この惨殺死体と層雲丸事故での不明遺体とは何か関係が有るのだろうか? 飼から与えられた大金で「花家」にあった借金を返し自由の身になった八重は、知人を頼りに東京に移る。八重は、犬飼を恩人だと感謝し改めてお礼をしなければと考え、捜し出し、なんとか一度会いたいと思っていた。この時、別の意味で八重や犬飼の行方を追っている男達がいたのだった。 7年ほど経った頃八重は新聞の一覧に目が釘付けになった。舞鶴市の篤志家が刑余者更生事業資金に3000万円を寄贈したという記事で顔写真まで載り、樽見京一郎氏とあった。<ここから下巻>八重は、その食品工業会社の社長、樽見氏の写真を見て犬飼多吉と瓜二つではないかと瞬間に思った。関西訛りの犬飼と京都府北部にある舞鶴市がそれを連想させた。三日後、八重は舞鶴に向かった。八重と樽見の再会がこの後新たな事件を起こし話は新展開してゆく。追い詰められた樽見はどの様な行動に出るのか。この後は読み応え満載でした! 本書は水上氏の代表作の一つであるのは言うまでもない。津軽で起きた連絡船転覆の大惨事と岩幌町で起きた大火と実際に起こった災難に端を発し小説化された事は周知の事だと思うが、改めて読み直してみて貧困と言うテーマが底辺に流れている事を感じる。 水上氏は本書で刑期を終えた受刑者たちが、金も無く行く当ても無く、社会もそれを受け入れる体制が整っていない事を批判し、それが新たな犯罪を起こしていると指摘している。現在は保護司などの活動によって当時より幾分改善されていると思うが、再犯率の高さなどを考えると現在でも十分な社会の仕組みが出来上がっていないとも言える。 上巻の温泉湯治の場面など八重が父長左衛門に対する思いやりや気遣い、また八重の異性に対する純粋な様などは「五番町夕霧楼」の夕子と父三左衛門関係と似通ったところが有るのを感じた。水上氏の父娘関係への共通な思いなのかもしれない。映像などでも幾度も取り上げられているのは言うまでもないけれど壮大なスケールの素晴らしい名作でした! | ||||
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