■スポンサードリンク
死神の棋譜
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
死神の棋譜の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
将棋ミステリーとして傑作です。 将棋世界の観戦記を良く読みますが、全く違和感が無く、語り手が使う言葉に将棋用語が散りばめられていてリアリティを感じます。 将棋の心理を追求し、深海の様な深い世界で戦う棋士を悪魔的な描写で描いている所に狂気を感じます。棋士の先生が読んだらどう感じるのだろう。 2回読むと味が出ます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
龍神棋という実在しない将棋が出てきて、その対局が超ファンタジーで漫画的。 終盤イマイチよくわからないんだけど、なんとなく雰囲気を察して読み進められたので良い描写なのでしょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
小説巧者の奥泉光さんが、将棋を題材に書いたミステリ。将棋ファンとしては見逃せないと思ったが、期待を裏切らない出来で、濃密な読書を堪能した。登場人物は、元奨励会員や、女流棋士、将棋ライターなど、脚光を浴びるトップ棋士ではないのだが、マニアを唸らせるリアリティがあり、よほど将棋界の事情に通じているか、緻密な取材の賜物と思われる。わざわざプロに作成してもらった、最終盤の局面図も、将棋ファンが見ても納得の、本格的なものであった。 さらに特筆すべきは、三浦プロの疑惑問題を取り入れて、カンニングを扱い、人間を凌駕するAIが、踏み込む事の出来ない、特殊な将棋の世界を描いた事。ミステリ以前に、こんな設定だけでお腹いっぱいになった。 過去と現在が交錯するストーリーは、複雑で一筋縄ではいかず、私は読後しばらくうまく理解出来なかった。瀬川プロの解説を読み、アレ? と思って、読み返したのが事実。あんなにはっきり、真犯人の悪行が描かれてるのに、なぜかその人物を疑おうとしなかった。主人公に感情移入するあまり、読者の私まで詐術に掛かったようだ。これぞ正しく、「騙される」ミステリの醍醐味で、恐るべし、奥泉光。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
怖い話です。ラストでぶるぶる震えが来るほど。途中、棋譜が出てきたりするのですが、正直最後まで「将棋なんて全く関係ないじゃないか」と不満を覚えつつ読みました。その思いはラストで見事に覆されます。 2020年のミステリーベストテン入りしたのは納得。傑作には違いないのですが、著者である奥泉さんの文章がミステリー作家としては上手過ぎて、表現がぼやける箇所が幾つもあります。 もっとわかりやすい文章で書けば、より広範な層に届き、結果としてもっと売れたかもしれません。でも、奥泉さんは拒否するだろうと思います。文体が綺麗なのも彼の良さです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作者が中村(太)や糸谷と同期の年齢制限で退会した元奨励会員の雑誌編集者という設定で「矢文型の詰将棋」という図面をテーマとしたミステリ。上の記述で分かる通り、作中に登場するプロ棋士は羽生を含む全てが実在の棋士である(奨励会員関連は創作)。物語は作者と同じく年齢制限で退会し、約30年前に「矢文型の詰将棋」を鳩森神社で発見した夏尾三段(退会者だが、便宜上三段と記している)の失踪で始まるが、暫くはこの失踪は"放ったらかし"で、作者の筆は将棋界(特に奨励会)の上で縦横に踊る。付け焼刃の知識では到底書けない詳しさである(勿論、綿密な事前調査を行なったのだろうが、薀蓄が楽しい。ちなみに、羽生は鳩森神社で結婚式を挙げた)。 ところが、十河という学究派の奨励会三段の棋士(17歳で奨励会を退会する事になる)が夏尾が発見したモノと同じ「弓矢の羽根」が<赤>の「矢文型の詰将棋」を発見した後に失踪する。以下は十河の兄弟子の天野(江戸時代の名棋士の天野宗歩から採った名前で、やはり年齢制限で退会して現在は観戦記者)の回想譚である。ここでも、天野が影響を受けたと称する(皮肉か?)新本格派ミステリ作家が実名で言及される。天野は十河の師匠の佐治七段(直前に急逝)の実家がある土浦を訪れる。十河は生前の佐治に図面を見せた様で、天野は「弓矢の羽根」の色が<赤>だった事を佐治の姉に確認する。更に、先輩から「棋道会」と言う大正から昭和の初めに存在した怪しげな将棋団体の話を聞く。「棋道会」は今回と同様の図面(ただし、「不詰め」)を使って他の団体に挑戦状を送ったと言う上に、その「不詰め」の「詰将棋」を「詰めた」と宣言した人間は皆、精神を病むと言う...。続いて、天野は十河の実家を訪れるが、そこで、「5一」と「5九」の二か所が抉られた血痕の残る将棋盤を発見し、戦慄を覚える。現在に戻って、天野は「5一」と「5九」の染みは"磐"と読めたと言う。"磐城"とは「棋道会」の後援者の華族の名前である。 紙幅の関係(既に長いが)で、これに続く内容の子細は書けないが、夏尾・十河の失踪の解決は勿論、奨励会三段の孤独・厳しさ(現行制度では半年当り2名しか四段(即ち、プロ棋士)になれない)、異形の「棋道会」と"磐"(の駒(!))が十河にもたらす形而上学的思惟、将棋の原形の遊戯的考察(「死神」(!)という駒がある)、作者の将棋愛及び将棋が持つ魅力と本質(特に「棋理」の追求)、「将棋に負けるのは少しだけ死ぬことだ」というチャンドラーの楽しい引用、女流棋士の抗い難い魅力、作者の鮮やかな"騙り"等が、題名とは裏腹に、むしろ明るく描かれる。「矢文型の詰将棋」という図面をテーマとして、奨励会三段の孤独・厳しさを中心として将棋界の諸々を作者特有の諧謔味を持って描いた将棋ファン垂涎の傑作だと思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
面白い | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
奥泉さんらしい本で、とても読みやすかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とても面白かったです | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
プロ棋士のほとんどは幼い頃から将棋にのめり込み、学校を出て就職してという人生とはかけ離れていると思われているきらいがある。 そんな彼らが繰り広げる盤上の世界は、時として宇宙にすら例えられ、一般の理解を超えた存在だと認識している人も一定数いるだろう。 プロ棋士はなにごとも論理的に捉えて先を読む人間ーーそれが真実なのだとしたら、彼らはどんな事象にも対処できるということになるが、もちろんそんなことはない。 主人公・北沢は元奨励会員であり、そんな将棋世界と人間くさい世界を行き来しながら眼前に立ちはだかる不穏な現実に巻き込まれていく。その様が、将棋を材に取ったということの醍醐味を感じさせてくれる一冊。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 将棋について詳しくなくても十分に楽しむことができます。 序盤では本筋を支える背景が丁寧に描かれており、プロを志す者たちの群像劇としても楽しめました。登場人物それぞれの人生が、随所で痛みを伴いながら共感を呼びます。 ミステリー作品としては、極私的な印象ですが、『ドラゴン・タトゥーの女』『ゴーン・ガール』といったデヴィッドフィンチャー作品に見られる「一筋縄ではオチない結末」みたいなものを堪能できます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
奥泉光のファンなので将棋を知らなくても楽しめましたが、将棋を知っていればもっと面白かったかも。ただ、いわゆるミステリと違い純文学の要素が強いので、読む人を選ぶと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
2011年5月、羽生名人と森内が争う名人戦、第四局一日目の夜。将棋会館の「桂の間」では数人の棋士と奨励会員らが解くことのできない詰将棋を囲んでいた。図式を持ち込んだアマチュア棋士の夏尾はその翌日に姿をくらませる。元奨励会員のライター北沢は、同じく元奨励会員の先輩ライター天谷から、その図式は別名で『魔道会』とも呼ばれる戦前の地下将棋組織による不詰めの図式であり、魅入られた全員が将棋界から去ったという不吉な逸話を耳にする。そして二十二年前にも、やはり『魔の図式』に導かれて一人の奨励会員が姿を消し、その男の捜索に天谷が向かった、魔道会の本拠地とされる北海道内陸部にある廃坑跡への旅と、そこで天谷の身に起きた不思議な出来事を知る。夏尾の失踪から三カ月、北沢は、夏尾と遠縁にある女流棋士の玖村とともに、北海道の廃坑跡へと夏尾の捜索に向かう。 本作は将棋を題材として、謎の闇組織の存在が導く幻想的な要素を加えた、ミステリ小説作品です。作中には冒頭で記載したとおり、羽生、大山をはじめ故人を含む有名棋士や実在の棋戦が登場しますが、彼らが物語に直接的に絡むことはなく、ストーリーに関連する人物は(おそらく)全てが架空の人物です。主要人物のうち四人がプロ棋士になる夢を叶えられなかった元奨励会員であり、そのこと自体が物語に大きく関係します。語り手である主人公の北沢は、元奨励会員であることを除けばあくまで平凡な人物であり、普通の人間を探偵役に配しながら魅力的なミステリ作品として成立させていることが特色のひとつです。そして、地に足の着いた現実路線を基調としながらもオカルト的な要素を立ち上げ、事件としての現実性と幻想的要素を違和感なく共存させた作品として、最後まで引きつけられるとともに、整合性の高さと巧みな文章から余韻ある心地よい読後感を味わいました。 以降は主要人物を簡単に紹介します。 ---------- 【北沢】 主人公。三十過ぎの独身男性。元奨励会員で、現在は編集プロダクションで働くフリーのライター。観戦記者など将棋関連の物書きを主業としている。本作の探偵役を担う人物。 【夏尾裕樹】 年齢は北沢の三つ下。五年前に年齢制限で奨励会を退会したが、プロ編入制度で棋士になることを目指している。奨励会では北沢と同期だった。明るい性格。前述のとおり開幕早々に姿を消す。 【天谷敬太郎】 五十過ぎの独身男性。やはり元奨励会員で22年前に昭和の終わりとともに退会している。北沢同様にフリーのライターだが、将棋関連以外にミステリの書評、ルポ、推理小説、創作学校の講師など仕事の種類は多様。『魔の図式』が持ち込まれたことを知って動揺し、夏尾の行方を気にしている。 【十河樹生】 天谷の同門の後輩で、将棋一筋の元奨励会員。天谷の奨励会員時代の最終日の試合で勝ちを譲ったとも噂されているが真相は不明。無骨な性格で知られていた。夏尾と同様に『魔の図式』をきっかけに『魔道会』の存在を知った後、北海道に渡ったとされる。二十二年後の現在も行方知れず。 【玖村麻里奈】 女流二段。本作のヒロイン。すらりとして顔立ちも整っていることからファンは多く、非公式戦ながら優勝経験もある。「男気」ある性格で恋愛の噂はない。失踪した夏尾は兄弟子で、かつ同郷の遠縁。夏尾の捜索において、北沢のパートナー役を務める。 【佐治義昌 七段】 二十二年前に亡くなった故人。天谷と十河の師匠。魔道会に詳しかった。天谷の回想で登場。 【梁田浩和 九段】 七十過ぎの夏尾の師匠。四年前に引退。佐治と同門で、魔道会を知る。天谷の二十二年前の回想にも登場。 【山木渉 八段】 プロ棋士であり、夏尾と玖村の兄弟子でもある。夏尾を可愛がっていた。天谷の二十二年前の回想にも登場。 【高田聡】 北海道の新聞社で囲碁将棋欄を担当するベテラン記者。将棋界への愛情が深く、将棋関係者に優しい。 【磐城澄人】 戦前の子爵。北海道で炭鉱を経営する富豪だった。将棋狂で、金剛龍神教の創始者として棋道会、別名・魔道会を運営していた。不敬罪で有罪判決が下された後、一時保釈中に自殺。 ---------- (余談)2011年頃の事件と設定されている本作に、登場したある棋士に驚きました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
廃坑に作られた神殿での対局。異形の駒が天空を飛び回る。向い合った棋士の脳内の構想は、まさにそのようだと感じました。 迫力あるファンタジーです。名局には名曲を。山口一郎さんにお願いしたいです。おと子 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
将棋をテーマにしたミステリーであり、謎の世界に迷い込む奥泉ワールド全開の作品である。 将棋にはあまり詳しくないので、果たしてストーリーに入り込めるかと危惧したが、そんなことは全くなかった。 将棋界にはプロ(4段)になる前に奨励会があり、3段たちがしのぎを削っている。 その昇段に失敗した将棋ライターが2人。 一人は30年近く前に失敗し、もう一人の将棋ライターは最近失敗して、プロになれなかった。 若い方の将棋ライターが主人公なのだが、事件の発端は将棋指したちが対局の前に立ち寄る神社の扉に刺さっていた、矢である。 その矢には詰将棋の図式を描いた矢文が付けられていた。 その図式は、戦前に存在していたという謎の将棋組織「棋道会(通称魔道会)」が発行していた本にあったものだった。 そして、登場人物たちは魔道会の神殿があったという北海道の廃坑へと吸い寄せられていく・・・。 書きながら、自分でもワクワクしてくるような奥泉ワールドなのである。 そして、妄想的な世界と現実世界の謎がからみあって、一体どうなるのかと思いながら読み進めると、最後にはちゃんと現実世界での謎は解かれて終わっている。 前作の『雪の階』も、最後はちゃんと現実に帰ってくるという構成で、ぼくには好ましかったが、本作もその傾向が踏襲されていて、ぼくには好ましかった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
. 私がこれまで、ファンレターをらしいファンレターを出した作家は、中井英夫と奥泉光の二人だけである。 もともと私には「ファンとは、好きな作家を遠くから想い続けるもの」であって、直接的なアプローチなどするのは無粋だという気分があり、普通ならば、どんなに好きな作家だろうとファンレターなど出したりはしないのだが、しかし、実際的な必要性があるなら、ファンレターを送ることに躊躇するような気持ちもなかった。 中井英夫にファンレターを送ったのは、正確には、自身の中井英夫論が掲載された同人誌を、せめて中井の下に届けたいと思ったので、それに手紙を添付した、ということであった。 一方、奥泉光の場合は、1991年(平成3年)当時、たまたま書店頭で見つけて読んだ『葦と百合』が、思いもかけず、『ドグラ・マグラ』『黒死館殺人事件』『虚無への供物』『匣の中の失楽』という「黒い水脈」に連なる作品だと気づき、さらに奥泉が何度か芥川賞の候補になった作家だと知って、「この作家を、純文学の方にとられてはならない。是が非でも、ミステリの方に引き摺り込まないと」と考えたからである。 つまり、私は奥泉光に宛てたファンレターのなかで「貴方は、中井英夫が言うところの〈黒い水脈〉に連なる稀有な作家なのだから、今後もこのような作品を書いて欲しい。結局はその方が、歴史に名を残す作品が書けるはずだ」と、微塵も臆することなく強く強く訴えたのだ。 その後、奥泉光は芥川賞を受賞したが、いわゆるオーソドックスな「純文学」作家にはならなかった。 しごく大雑把に言えば、奥泉は「幻想小説」「ミステリ」「SF」「戦争文学」「ユーモア小説」などを横断する「純文学らしからぬ純文学」作家へと成長して幅広い活躍を見せ、この種の個性的かつ器用な作家には珍しく、文学賞にも恵まれて、日本の純文学文壇にも着実にその地保を固めていった。 「黒い水脈」に連なる作家と言えば、およそ「メジャー」であることや「文学賞」には縁のない「マニアックな作家」だというのが、それまでの私の認識で、その意味では、奥泉光は「そのうち、凡庸な文壇小説家へと堕落するのではないか」という危惧を、私は長らく持ち続けていたのだが、本作『死神の棋譜』を読むと「三つ子の魂百まで」で、どうやらその心配はなさそうだと、あらためて安心させられたのである。 さて『死神の棋譜』だが、本作はいちおう「将棋ミステリ」に分類されることになるのだろうが、そこは奥泉作品で、いわゆる「合理的な論理性」を身上とする「本格ミステリ」の枠には収まらず、そこを逸脱して、所謂「アンチミステリー」になっている。 「アンチミステリー」というのは、中井英夫が自作『虚無への供物』を評した言葉だが、その意味するところは、必ずしも明確なものではなかった。その後、笠井潔などがミステリを論じるなかで「アンチ・ミステリ」についても、ある程度の定義を与えはしたが、もとよりそれに縛られる必要もなく、私が考えるところの「アンチ・ミステリ」とは「理性的探求を突き詰めた先に開示された世界を描くミステリ作品」ということにでもなるだろう。つまり、それは「反・理性」ではなく「理性の加速主義的な脱構築」であり、その結果としての「反・合理」的な作品を指す言葉だと言えるだろう。 無論「理性の加速主義的な脱構築」的小説とは、何も「ミステリ」の形式を採る必要はないのだが、もともと多くの小説ジャンルは「人間」を描くが故に、本質的に「非合理」なものであるから、そうした形式の小説では、「理性の加速主義的な脱構築」といったことが、そもそもやりにくい。 その点、その「理性」主義に過剰なまでの自負を持ち、その「論理性」を売りにする「(本格)ミステリ」という文学形式だからこそ、そこからの「人間的逸脱」というものもまた、輪郭鮮明に描きやすいのである。 そして、本作が「将棋」というものを扱っているのも、こうした意味において、ひとつの必然的な選択だと言えよう。 「将棋ミステリ」と言えば、前述の『匣の中の失楽』の竹本健治に、『将棋殺人事件』がある。竹本には、それだけではなく、「ゲーム三部作」として『囲碁殺人事件』と、コントラクト・ブリッジを扱った『トランプ殺人事件』があり、これらの作品は、本作『死神の棋譜』に比べれば「ミステリ」の形式に忠実ではあるものの、この三部作に共通するもうひとつのテーマとは、やはり「狂気」であった。 つまり「将棋」「囲碁」「コントラクト・ブリッジ」といったゲームは「厳格なルールによって規定された、極めて論理的で知的」なゲームなのだが、それゆえにこそ、その「論理性」の極まった先に、時空の逆転した空間を開示する、という「背理」が実現される。人間的な人間性から、あらんかぎり遠ざかろうとした果てに、人間的な「ブラックホール」がぽっかりと口を開いているのである。 「合理性と非合理性」「理性と狂気」は、一見したところ「対極的」であり「矛盾」の関係にあるように見えるのだが、その極まった先では、両端は円環をなしてつながっている。喩えて言えば、宇宙の果てを目指して一直線に進んでいった先に、出発点である地球にたどり着いてしまうような「宇宙」なのだ。 奥泉光は「国際基督教大学 (ICU) 」の卒業生であり、『研究者時代の共訳書に『古代ユダヤ社会史』(G・キッペンベルク著、教文館)』(Wikipedia)があるとのことだが、奥泉光のこうした原点は、元信仰者でありながら無神論者となった私の、徹底した「宗教批判」に通じるところを強く感じる。 それは「生半可な信仰は、信仰ではない」から「世の信仰は、ほぼすべて偽物だ」という批判であり、徹底した理性主義に基づく合理的批判によって「宗教」を批判し粉砕した先に現れる「本物を見たい」という願望である。 それは「アンチ」でありながら、誰よりもそれに魅せられ、それから離れられなくなった者だけが見ることのできる世界だと言えるだろう。そして、そこまでの突き詰めを可能にする「過剰な執着」は、「愛憎」の区別をも失効させる。「理性と狂気」が矛盾しないのと同様の徹底性において、そこは矛盾や背理を超脱した「世界」だと言えるだろう。 そうした世界を幻視する作品を、私たちは便宜的に「黒い水脈」と呼んでいるのだが、それは私たちの「凡庸な目」から見た場合の形容であって、当事者(幻視者)の目から見たならば、それはむしろ「黒い光芒」とでも呼ぶべきものなのではないだろうか。 奥泉光は「ユーモア小説」に分類される作品を書くし、人柄的にも「温厚」なものを感じさせるのだが、それは決して一面的なものではなく、そうした「この世界の私」の裏側に「反世界の私」を持った「私」の片面に他ならない。二つに引き裂かれて見える作者や、その作品もまた、その究極において一体なのである。 . | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
頭脳だけの勝負を生業とする将棋って怖い世界なんですね、ってことをまざまざと感じ知らされる小説。 もっとも、将棋の知識がなくても楽しめるようになっていて、通常の小説にある、過去と現在、東京と地方というコントラストだけじゃなく、現実とファンタジー、一流と底辺、大義と痴話といったコントラストが話に奥行きを与えている。 ちょっと締め方(将棋風にいうと感想戦)が雑な気もするがレヴェルの高い小説だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
奥泉作品に共通のモード、現実がいきなり夢魔的な仮想現実へ変容していく、は今回も全開である。最後の方の急転直下もミステリとしては合格点である。しかし、事件の全体像についてはその複雑さでどうも腑に落ちない細部があるように感じた、もしかしたら決め手になる表現を見落としてしまったのかもしれない。さて、本の帯に書いてある”地下神殿の対局”もなかなか読ませるし、勝負の世界の凄まじさのイメージ表現としての死神の造形も納得の描写と思う。今回は、恋愛要素もあるので、恋する人のヒリヒリする感じもうまく行っていると思う。評者は一向に将棋を理解していないので、数ページにわたる2箇所の指し手の進み行きがどうもよく理解できなかったのは残念だった。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!