■スポンサードリンク
ミーナの行進
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
ミーナの行進の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.43pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全72件 21~40 2/4ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何度も読み返したい本です 小川洋子さんの中では、明るいほうでは ないでしょうか?(笑) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何の無理もない素直に読める。そして相変わらずあたたかく切ない。ポチ子の死、米田さんの死、ミーナのマッチ箱の最後の物語。さらっと平易に真理について触れているようにも思えた。コビトカバに乗った小学生の通学って発想も面白い。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
1972年(昭和47年)、新幹線は新大阪から岡山まで伸び、ミュンヘンオリンピックでは男子バレーボールが金メダルを獲得した。この小説はその年に親元を離れて一年間、伯母の神戸の超お金持ちのお屋敷で過ごした中学1年生の少女、朋子の物語である。 小川洋子と言えば映画にもなった「博士の愛した数式」が有名だが、この『ミーナの行進』もそれに劣らない素敵な物語である。作品中には「フレッシー」という清涼飲料水が登場する。そう、朋子が一年間居候するお屋敷の主は、フレッシーの製造で財を成したということになってるのである。オレは当然のように、子どもの頃によく飲んでいた「プラッシー」という米屋のオレンジジュースを思い出した。ちょっと酸味があって甘すぎず、かなりお気に入りだった。どきついオレンジ色をしたバヤリースオレンジの強烈な甘さが苦手だったオレは、色も薄い黄色で甘さ控えめのプラッシーを好んでいたのである。作品中に登場するきわめて重要なアイテムであるこのフレッシーをオレは自分がよく飲んでいたあのプラッシーに置き換えて読んだのである。 「博士の愛した数式」同様にこの「ミーナの行進」も淡々とした日常を丁寧に描き出す。「博士」にあたるのが、朋子の一つ年下でありお屋敷のお嬢さんである「ミーナ」だ。病弱なミーナは巧みな想像力でマッチ箱の挿絵の物語を紡ぎ出す。シーソー象の物語、タツノオトシゴの物語、流れ星の物語。わずか一年間の芦屋での生活は朋子にとっては宝物のように貴重な日々となった。時は流れても、思い出はそのままに色あせた写真と共にある。 いつでもそれを思い出すだけで幸福になれる、そんな宝物のような時間を所有できることは人にとってもっとも大切なことかも知れない。 「博士の愛した数式」を読み終えた後ですぐにもう一度最初から読みたくなったように、オレはこの「ミーナの行進」もたちまち二度目の読みに突入した。映画を二回見ると一度目には気づかなかった伏線がいくつも理解できるように、小説も二度読むと作者の丁寧な描写に改めて感嘆させられる。そしてこの作品の魅力は最後まで一気に読ませるその展開の巧みさもさることながら、食欲をそそるいろんな食べ物の描写に尽きるのである。六甲山ホテルのディナーからお弁当のおかずに至るまで説明は細部にわたる。料理を作る人の気遣いがそのはしばしに感じられるのである。 そんなに気に入れば当然映画化を期待したくなるところだが、現実世界を見渡したとき、ヒロインのミーナのように魅力的な少女がいったいこの世のどこにいるだろうか。このお屋敷の住人のように誇り高く上品な人たちがどこにいるだろうか。オレはそんな意地悪なことを思ってしまうのである。かつて確かに存在し、今はもうそこにはない失われたものへの哀惜、それが作品中の重要なテーマである。つまりこれは喪失の物語なのだ。誰もが心の中にそうした宝物を持っているからこそ、この作品は心に強く訴えるのである。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本には、恋愛も駆け引きもドロドロしたものが何ひとつ出てこない。 少女の視線からとらえた風変わりな人物や日常が細やかに描き出されている。 小川洋子はそういう書き手なんだとつくづく感心させられました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
それぞれの登場人物に気品があり個性的であるけれど、 今いる家族に思いやり深い人達のお話です。 小学六年生のミーナが、カバの背に乗り学校まで行進する姿が印象的です。 自分を大事にし回りの人を大切にする姿が好印象です。 か弱い少女も、時とともに独り立ちし成長するものなんですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
二人の少女が過ごした1年間の至福の時間、読み進み、のこり少なくなってきたら読み終えるのが勿体ないような、そんな気がして余韻を楽しみながら少しづつ読む! そんな物語だった。また、舞台となっている「芦屋」に多少とも土地勘のあるボクにとっては面白さが倍増!カバに乗っての通学がなんとも小川さんらしい奇抜なアイデアも楽しませてくれた。またまた小川洋子の美しい世界の浸ることができました。次はなにを読もうかな・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
街の小さな本屋で目について、パラパラ見ると芦屋付近の良く知っている地名が出ている。これは買いだな、しかし受賞作だからamazon usedで安く出ているはず、と思い帰宅して注文したが200円位しか安くならなかった。こういう読後置いておく本は少しでも安ければいいといえばいいのだが。 小川洋子の本にはファンタジーがある。難しいことが書いていない。金光教の良さを教えてもらった。平凡な顔立ちだが優しそうで可愛い。だからファンなのだ。 この本はよく考えりゃぁ読売新聞に連載していた。私は新聞は2,3分しか読まないから何か書いてるなぁ〜、とは思っていた。今回読んでみていいものを書いていたんだぁ〜、と認識を新たにした次第。途中まで読んで、病弱なミーナが死んじゃうのかと思っていたら、ハッピーエンドだった。彼女の本は読後感がいいのだ。やっぱりファンなのだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
帯もついていてよかったです。上質な物語なので、表紙もきれいで うれしかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ほのぼの、心を豊かに深くしてくれるとても良い本です。 いついつまでも、側に置いておきたい本です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
おとぎ話のように物語は始まりますが、このまま幸せが続くのだろうか、それともひょっとして何か悲劇が起こるのでは、と胸騒ぎを抱えながら読み進みました。悲劇はたしかにありました。でも、悲劇も不幸もすべてつつんでしまう優しさと強さのある物語でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
家の事情で裕福な親戚の家で預かられることになった中学生. 1歳下の従姉妹ミーナとカバのポチ子を始めとする,少し風変わりな一家での1年をの物語. 大金持ち一家の日常の,しかしどこか不思議な非日常感の描き方が巧みである. 小説のフィクションとしては,それほど大きなイベントが起きるわけでもなければ, とんでもない秘密がかくされているわけでもないが, それらの出来事に対する多感な少女の細やかな心の動きが繊細なタッチで描かれている. 大人になったら気にとめないような些細な日常への純粋さ,必死さに, 大人になって何か忘れ物をしてきたような読後感を与えてくれる. | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
話題になった『博士の愛した数式』より良かった。 バスの中で読みながら泣いた。 でも、ミーナのその後はわからない方が、神秘的なミーナ像を壊さずにすんでよかったような気がするのだが、いかがなもんだろうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
映画3丁目の夕日のような暖かい気持ちになれる作品。 上品で、暖かい、上流階級の登場人物。 自分も子供のころに戻って、憧れていた家庭にお邪魔しているような やさしい気持ちになれました。 「博士の愛した数式」が好きな人にはお勧めだと思います。 優しい気持ちいなれたので 星四つ(I like it) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この作者の作品に共通しているのかもしれませんが、読後にじんわりする物語です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み終えた瞬間、小さく拍手! 読了感はすこぶるよい!のですが、 内容を振り返ってみると、おばさんが、 芦屋で過ごした少女時代を振り返っただけだよね、と (これを言ってしまうと身も蓋もなくなりますが)。 リアルな世界を描きつつも、 芦屋の家にかつてあった動物園や、 少女が背中に乗り学校に通うコビトカバなど、 ファンタジックなところもあって、なんだかフワフワと 空を飛びながら読んでいるような軽やかさがありました。 著者の本を読んだのは、これが初めてですが、 また別の本も読んでみたいと思います(笑顔) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昔、大切にしていた宝物を入れた箱を見つけた時のときめき、箱をあける瞬間の緊張感、そして、記憶の中の宝物に比べ、幾分色褪せてしまった宝物を目にした時の切なさ…いつかどこかで見たような、どこかで感じたようなそんな懐かしさに溢れたひだまりの匂いに包まれたこの世界に、いつしか愛おしげにページをめくっている自分がいました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読んだ後、涙があふれて、暖かい気持ちになれて、 とてつもない希望が見えてくる、そんな物語でした。 中学1年生になる朋子は、シングルマザーである母が手に職をつけるため 1年間東京で勉強することになり、その間、 親戚のおうちに預けられることになりました。 芦屋にあるそのおうちは、今で言う超セレブ。17のお部屋を持つ洋館に、 お手伝いさんの米田さん、家主であり飲料会社の社長である伯父さんと、叔母さん、 伯父さんの母であるドイツ人の老婆、伯父さんとおばさんの子どものミーナ。 そして、ミーナを毎日小学校まで送迎するカバのポチ子、ポチ子のお世話をする小林さん。 ここの住人達は、時にすれ違いながらもお互いを思いやる愛にあふれ、 そんな家族の中で朋子はミーナと素敵な1年を過ごします。 ミーナは喘息を病み、小さな細い体で体力もないけれど 本をたくさん読み、素晴らしい想像力の持ち主。 朋子は、病弱なミーナに代わって、彼女の読みたい本を図書館に借りに行きます。 その図書館の司書であるとっくりさんが、朋子に語りかける言葉が、 とてもとても印象に残る言葉たちです。 小さなミーナは、やがて大きな力を蓄えて、一人で行進できるまでになっていきます。 そこまでの過程を見守るのが、読者の役目です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
2006年の小川洋子さんの作品ですが、これほど完璧にそれでいて控え目にやさしさと郷愁を歌い上げた作者の 想像力と大胆さに素直に感動させられた作品です。 病弱ながら裕福な家に生まれ、暖かい人々に見守られて育ったいとこのミーナと、その家に一年間だけあずけられた 主人公の日々が淡々と綴られます。センセーショナルな事件も大恋愛もありませんが、宝箱の中にそっとしまわれていたかのような 物語は、無条件に心に清涼感を与えてくれます。 二人が共に過ごした日々は、懐かしいお菓子と本と動物たちに囲まれ、家族は誰一人欠けることなく、永遠に続くかのような 幸せのマーチが鳴り響いているようです。 読めばきっと、幼いころの懐かしい人に会ったような気持ちになれると思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とても素晴らしかったが、一つだけとても気になるところがあった。 ローザおばあさんのことだが、明らかにユダヤ系ドイツ人という設定になっているが、後半、クリスマス料理の采配をふるうという場面にびっくりしてしまった。 私は在米35年、ユダヤ系アメリカ人と結婚して30年以上になるが、ユダヤ人の家庭ではクリスマスを祝わない。クリスマスを祝うのはクリスチャンだけだ。キリスト教とユダヤ教は全く別である。ユダヤ人といってもいろいろで、熱心な信者もいれば、宗教色に全く関係なく生活している人もいるが、日本のように宗教に関係なく誰でもクリスマスを祝うということは絶対にありえない。 ローザおばあさんがクリスチャンの日本人と結婚していたというのなら話は別である。そういうケースはこちらでもあって、私達の友人にもそういう夫婦がいるが、彼らの場合は例えば子供が生まれたらどう育てようとか、それぞれの宗教上の祝日などどうしようかとか、結婚する前からよく話し合っておくようだ。たいてい、どちらか一方に決めるか、両方お祝いするかだが、両方する場合は例えばクリスマスツリーのてっぺんにユダヤ教の象徴である「デービッドの星」を飾ったりする。 ローザおばあさんの結婚について上のような示唆が全然ないところへ、突然彼女がクリスマスを祝うのが出てくるのはとってもおかしい。彼女はドイツでクリスマス料理など作ったことはないはず。たとえ、日本人と結婚して、日本式のクリスチャンじゃなくてもクリスマスを祝うといった習慣を知ったとしても、自ら率先して、クリスマスを祝うことはとても疑問だ。 オリンピックのテロを見ている場面で彼女の家族の運命があかされ、彼女がユダヤ人だとわかるのは話の筋に自然に入り込んでいると思うが、クリスマスの場面でそれがぶちこわしになった感があって、とても残念。色づけにちょっとナチスのことをいれてみたという感じになってしまう。 小川洋子さんはそういう意図は毛頭お持ちでないと思うが、ローザおばあさんのことを読むと、またしても、外国人は誰でもクリスマスを祝うという誤解を植えつけてしまうのではと危惧する。また、もし「ミーナの行進」が外国語に翻訳され、ユダヤ系の人に読まれたら、やはり、クリスマスの場面でギョっとしてしまうだろう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
中学1年生と小学6年生の従姉妹同士の少女たちの1972年の思い出を描いた小説。 悲劇的なことはほとんど起きない(飼っていたカバが死んだり、祖母が死んだりはあるが...)にもかかわらず、なぜか、物語の最初から物語の結末がどうなるのか、二人の少女たちの将来がどうなるのか、漠然とした不安感が漂う。 これは、彼女の小説の特徴なのだろうか。また、喪失感というか、何かが欠けている、失われている感覚もある。決して満たされていないということではなく、失われる予感というのか、そういう感じが不思議だ。 決して不快な感じではなく、むしろ彼女の魅力になっている。この小説も最後まで、結末がどうなるのか、ドキドキしながら読んでしまった。でも、この結末はちょっと安心した。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!