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シブミ
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【この小説が収録されている参考書籍】
シブミの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.89pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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ドン・ウィンズロウの「サトリ」が良かったので、二十年ぶりぐらいに再読。 意外と内容、忘れてます。「サトリ」も東洋思想があったけど、こちらはさらにより深い。悪く言うと、理屈っぽい?かな。 ニッコが使う裸ー殺が模倣される恐れがあるからと具体的な言及がないのが、興味深い。 訳者の菊池光さんはゴリゴリとした訳文で読みづらいんだけど、これは読みやすい。 おすすめです。 | ||||
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ドン・ウィンズロウ著『サトリ』がよかったので、その原著で『サトリ』の後日譚である本書を読んでみた。 内容的にはオリジナリティに富んでおり、太平洋戦争中~後の日本についてよく調べてある。 アメリカにおける日本人移民に行われたひどい仕打ちが、同じ敗戦国のドイツやイタリアの移民には行われなかったことは、「人種差別」に基づくものであること、広島や長崎への原爆投下は壮大なる実験であったことが語られている。本文の中で「8月6日」について、登場人物の女性が何のことか全くわかっていない。 現実、いまだ大半のアメリカ国民は原爆投下を正当化している。日本人として怒りを禁じ得ないが、言い出したら切りがないのでここでやめておく。 …少なくとも著者はわかってくれていたようだ。 内容はよかった。 ただ、わかりにくいところが何カ所かあること(序盤から)、かなり冗長であること(特に洞穴に入っている場面)が難点だと感じた。クライマックスシーンは今一つモヤがかかっている印象だ。 ウィンズロウの方が無駄がなく明確な迫力があり、自分には合っていると感じた。 本作は1979年発表の作品であり、時代によるものなのかもしれないが。 | ||||
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個人的には極めて好ましいと感じるが、多くの読者にとってはネガティブな要素であろう、読了までの苦痛感。 これぞ、シブミなのかと、そう言い聞かせつつページをめくる。 着想、主人公のキャラクター構築、筆者自身の経験、知己に基づくものであろうディテールの描写。 全体を通して、粗密感の変化が著しく、プロ作家としては評価の分かれるところ。 しかし、それすらもシブミの境地を表現しているものだとしたら、これぞ裏の裏の裏を読んでこそという作品。 菊池光氏訳がこの作品を成り立たせているのか、あるいは、スポイルしてしまっているのか。 原文で読んでみたいと思った一作。 この日本という国が育んできた社会的、文化的価値観が瓦解しつつある今こそ、日々変わりゆく日常と本作において語られる、過剰な日本文化礼賛ともとれる表現の数々との対比を楽しむべき。 3度通読してこそ、真の価値が感じられるであろう、佳作。 | ||||
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自称「日本人の中の日本人」として、「シブミ」とは何なのか、本文を手掛かりに類推してみる。 「シブミ」とは言葉では言い表せないもののようだ。物質的利益の追求が犠牲にしてきたもの。 武士道とは異なり、忠誠の対象となる集団は必要ない。ノブレス・オブリージュとは異なり、世襲貴族のエクスキューズである慈善の対象も必要ない。個の内部で完結している。 それは正義でもなければ道徳でもない。"基本的な美徳はとかく都合のいい理屈の圧力の下で崩壊する傾向がある"。規範よりは美意識に近いものと思われる。 重みと深みを備えた様式美。素朴さの対極にある高度な鍛錬の賜物だが、外形的には自然体と映る。地味で控え目なことが、中身で勝負しているが故に一周回ってクールとなる。そういう有り様が「シブイ」のである。 だとしたら、その勝負している「中身」が「シブミ」の正体ということになる。 <囲碁> 囲碁に要求される能力として、中長期的視野、洞察力、大局観、経験に基づく直観力、俯瞰した視界の中に自らも含める視点、などが挙げられる。これらは「シブミ」の重要な構成要素である重みと深みに欠かせない能力である。 <階級> 著者の言う「階級」とはカーストのことではない。主として精神的階梯のことを言っている。知力、体力は精神力を支える補助的な要素となるが、地位、財力とは無関係である。精神的強者による強力な自律こそが、「シブミ」の源泉だろう。 <血統> 著者の言う「血統」とはDNAのことではない。"抑制的文明を人工的に育てる"ことである。教養、躾、修行によって、人間の獣的側面を牽制する。環境よりも自らの制御を優先する。「血統」とは洗練の継承を指している。「シブミ」の背景には歴史と伝統の積み重ねがある。"形式(と礼儀)がすべてであって、問題は一過性の事象にすぎない" その血統も、今はもうフィクションの世界に細々と見出されるのみである。自らの行動様式である「スタイル」に殉じるハードボイルドの主人公たちが、その末裔なのだ。 シビレル。 | ||||
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作家がアメリカ人と知って驚いた。上を半分読んだところだが、下を買っておこうと思った。訳者が好きで購入したが、やはり面白い。日本人よりも日本人らしい主人公の生き様を堪能しよう。 | ||||
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世界中の街を「我が家」のようにして育った少年が己の核を日本の情緒に求める姿は面白いです。 「スタイル」を求めて生きる、ということそのものがとても味わい深く素敵なものに見え更にそれが「渋さ」なことにグッときます。 ストーリーとしては序盤からちょっと私にはわかりづらかったですね。 空港でのテロを装った殺人をその現場で伝えるのではなく、その様子を撮影した映像を多くの違う立場の者が一緒に観ている状態で伝えているので一層混乱します。 シブミを得ていくまでの過程が描かれ、やっとそれを見ている周りの連中とヘルとの関係性が明らかになっていった段階で上は終わります。 まだ本筋が走り出さずその前段階がやっと終わった感じです。 | ||||
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自分にとって、この小説の魅力は物事の本質に迫った洞察と、シニカルな考察(とくにハンナに対するシニシズム)だ。日本文化へのそれは興味深かったが、ケイヴィング(洞窟探検)やバスク人についてはやや退屈した。ちょっとニッチすぎる気がする。 そして暗殺者ニコライ・ヘルの、通俗を嫌う、ほとんど偏屈ともいえるキャラクターも秀逸。彼が手にする霊的な能力も、彼の超人性を高めている。 冒険小説としての出来はいまいちだと思うが、ハンナにからめて最終的な戦いに挑む結構は(あざといが)よかった。 それとIRAやPLOなど、実在する政治的テロ団体への(罵倒に近い)批判的視点も興味深かった。日本の小説は、このあたりを自主規制しているのだろうな。 | ||||
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お送り頂いた「シブミ上)は、梱包、中身特に問題ありません。文庫本ではなく、単行本か新書ものなら、最近、もの が読みにくくなった私には、喜びが大きいのですが、仕方がありません。関係者の皆さんに感謝申し上げます。 | ||||
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テロによるテロの報復事件が起こり、生き残ったテロリストが究極の暗殺者に助けを求めるが・・・というお話。 本書の要諦を箇条書きにしてみると、 1 テロリスト対テロリストを巡る謀略小説 2 日本の本質を極めた暗殺者を主人公にした冒険小説 3 東洋的視点で西洋を俯瞰した思索的スリラー 4 洞穴探検を詳細に描いた迫真の冒険サスペンス ということになると思います。そしてこの4つのどこをとっても欠損する部分のない一部の隙もない稀有な物語だと思います。 とくに我々日本人には日本と日本人の描写の正確さに驚かされます。ポストの「影の獄にて」同様にここまで日本の本質を理解した小説を私は他に知りません。よくぞここまで書いたと感心してしましました。 兎に角本書を読まずに冒険小説は語れない現代の古典。海外の視点から日本の見つめた小説としては前記のポスト「影の獄にて」やバラード「太陽の帝国」と並ぶ傑作。是非ご一読を。 | ||||
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(上巻) 『アイガー・サンクション』『夢果つる街』読了済。 著者の情感溢れる筆致は大いに認めるものの、欧米作家の描く日本という設定に違和感を覚え、今日まで読まずにきた。 話の本筋よりは、ゴルゴ13を思わす稀代の暗殺者の出生の秘密と戦時下の上海・日本での青春時代の描写が秀逸。 アメリカ人とは思えない日本文化への理解と共感。 もし日本学の泰斗ドナルド・キーン博士が謀略小説を書けばこの様なものになるかも。 現代日本人には決して書けない廃れゆく日本の美への哀惜の念。 日本人の目には心地良いが肝心の母国の読者が理解できたのかが気になる。 (下巻) ノスタルジックかつリリカルな上巻から一転、ケイビング(洞窟探検)場面での幕開け。 当然これはクライマックスへ向けての伏線となっている訳だが、幾ら何でも80頁は長すぎる。 全体の4分の3くらい過ぎて、やっと話が動き出すが、最強の暗殺者と言いながら、攻めは強いが守りは弱い。 西洋版金田一耕助といったところか。世界を裏から牛耳る黒幕とは談合し、実行部隊に対してのみ復讐するなど、 今一つ感情移入し切れなかった。但、上下巻平均すれば水準以上の出来栄えと言える。 上巻が気に入ったら『夢果つる街』を是非 読んでほしい。哀感絶品。 『見知らぬ国は狼の国』『しかし、鳥はそれぞれ美しい巣を持っている』 | ||||
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日本では1979年に出版されたというこの作品、友人のすすめで今頃になって手にすることになった。覆面作家と言われ様々な名前で作品を発表していたトレヴェニアン、長い間、その正体はわからなかったが、2005年の没後、本名がロドニー・ホイッテッカーといいテキサス大の教授をしていたこともあるとわかったという。 読後、まず感じたのは、イスラエルの女性エージェントを救うというストーリーはもしかしてつけたしのようなものだったのか?ということ。というのは、主人公が上海で生まれて日本で育つ過程と戦後の日本でどうして生きのびたかという生い立ち、それから主人公の趣味である洞穴探検の話にかなりのページ数が割かれていて、その合間にストーリーが展開するという感じなのだ。洞穴探検がいかに手に汗を握るスリリングなスポーツかということがかなり詳しく描かれていて、のめりこむあまりに途中でストーリーを忘れてしまった?と思えるほど(笑)。 そして、作者が描きたかったのは、ニコライという主人公の人間性、日本的なる精神、そのスピリットと崇高さ、それに対比してアメリカやロシアの程度の低さ、そしてそんな文化的、精神的に貧しい国が大国となってしまい世界に大きな影響を持つことの恐ろしさだったのかも、と思ってしまった。 この作者は日本に住んでいたことがあるのだろうか?または囲碁や武道などを習っていた、日本に来たことがあるとか、もしくは日本人の知り合いがいたのだろうか?戦後の日本をまるで自分が見てきたかのように正確に描写し、日本人の気持ちを代弁する、というか、日本人が書いたといっても通るくらいに日本人の気持ちや視点に立って状況が描かれているのは驚きだった。外国人が描いた日本というのは、日本人から見たらどこかおかしい場合が多いのだけれど、ここまで正確に日本的なるものを描くことができるとは。 タイトルの「シブミ」というのは、日本人からすればあまりいい意味に聞こえないと思うけれど(私はまず「シブ柿」を連想してしまった、笑)「わび、さび」のような意味に取ってもいいかと思う。作者はアメリカ人にもかかわらず、アメリカの雑でデリカシーや風情のない実用一点張りのような文化、精神性が大嫌いだったのだろうか?どのような人だったのか、もっと知りたいのだがあまり情報がない。 また、読んでいる間にふと思い出したのはトマス・ハリスの「ハンニバル・ライジング」。日本人の伯母ムラサキに育てられたハンニバルが彼女から多大な影響を受けるという設定。こちらは日本と中国を混同している部分があってあまりいただけないのだが、映画で主役を務めたギャスパー・ウリエルの顔が「シブミ」を読んでいる間ずっとちらついてしまった。 この作者は一作ごとに作風がまったく違うそうだが、「バスク、真夏の死」や「夢果つる街」も評判が高いので、今度読んでみようと思う。また、「シブミ」の続編に当たると言われている「サトリ」もぜひ。 | ||||
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外国人が日本人を語るのは、 勘違いが多くて読み心地が悪いかなと思いましたが、 そんなことなかった。 日本の描写に違和感がないんです。 日本文化や原子力の利用への考察など、 今の日本人が読むと結構 感じるものがあるのではないでしょうか。 | ||||
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ニッコの生い立ちから描かれています。 どのようにして、この今に至ったのか。 その今、というのは、72年、ミュンヘンオリンピック事件の後です。 小説は79年に出ており、当時としてはとても時機を得た生生しい物語だったのだろうと思います。 ところが。30年を経た今、読んでも、とても生生しい物語。 他のレビューでは、古くさい匂いがするかのように書かれているものもありますが、 私は、最初、最近の小説だと思って読んでいました。 ファットボーイは、今では、Googleのようなもの。 上巻は、事件の始まりと、これからの対決に向けての布石がたくさんあります。 そして、下巻。5分の1くらいが、ケイヴィングの描写に費やされていますが、 これはこれで非常に楽しめます。 下巻、2分の1すぎたあたりから、怒濤の勢いで物語が進んで行きます。 暗殺の場面はあっという間。 そして最後は。 シブミの世界へ。 楽しめました。 映画化されていないのが不思議なくらいです。 「ボーン アイデンティ」や、2010年の「ソルト」など、 この「シブミ」の影響が大きいのではと思わせられます。 | ||||
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ドン・ウィンズロウの「サトリ」を読み、いたく感動して本書を手にとりました。日本では、1980年に早川ノヴェルズで刊行された後、2006年文庫版新装版が出たものが、改めて2011年に再版されています。「サトリ」の出版がなければ、本書も絶版のまま埋もれていた名作に数えられていたかもしれません。「サトリ」は本書の前日譚とよく紹介されていますが、上巻はむしろ、「サトリ」の前日譚と言ってもいいのではないでしょうか。ヘルが岸川将軍とであった経緯、なぜヘルは戦況を碁に見立てて分析するのか?近接感覚はどのように身についたのか?など、「サトリ」の疑問が上巻でほぼ明らかになっていきます。 本作品の執筆時は東西冷戦が時代背景としてあり、その中で日本は経済成長を謳歌していたころだと思います。その時代において、本書では日本が敗戦を経てテロ戦争後のイラクと同様の蹂躙を受けたことを、日本人ではない作者が嘆いていることは驚くべきことです。終戦後アメリカは日本にアメリカ的な正義、価値観、倫理観を移植され日本の文化を、教育を通して捨てさせることに成功しました。アメリカにとってそれは国民洗脳の大いなる成功例であるといえるでしょう。 そのことを執筆時に的確に指摘し日本文化の喪失を、ニコライ・ヘルを通じて嘆いていますが、当時それを自覚していた日本人が何人いたでしょうか。ニコライ・ヘルは日本文化と精神をシブミと総称して愛していましたが、これは現在私たちが持っている、文化、精神とは異なっている部分があります。それは作者の日本観への考察が不足しているのではなく、敗戦を通して日本人が変わってしまい、それ以前の日本には敬意を表しているものの、戦後の日本人はアメリカ人に蹂躙され自ら文化を放棄した日本人に対する大いなる批判が込められているように思います。 作中、作者はアメリカ的価値観を徹底的に否定しています。40年前これを読んだ日本人は意味が分からなかったのではないのでしょうか。作者はアメリカ人を、文化を持たない卑しい商人として描き、雑種で民族ですらない。ヨーロッパで生きていくことのできなくなった屑が集まってできた国だと表現しています。また、民主主義と資本主義を他国に押し付け、市場に変えてしまうことを善(正義)と考え、嬉々として実行している点を批判していますが、911以降イスラム圏にしてきた文化的蹂躙を経て初めて得心できるという意味で思想書としても読むことができます。 | ||||
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濃厚です。ウィンズロウのサトリから入ったのですが、そちらに比べると、本家らしくものすごく濃いです。濃いのに、しつこくなく、まさにシブミの極地です。日本の風俗も、無理に付け足した風も無く、自然に受け止められ、それが、ストーリをしっかり盛り上げてます。今まで知らずにいたのが、無念です。'80年代に出会いたかった。 | ||||
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シブミ上巻。 『夢果つる街』とともに、タイトルは知っていたが未読だった本。この本に対しては、既存の枠組みでとらえるという行為は、意味がないどころか、却ってわからなくさせてしまうと思う。この作品がある面において「冒険」小説的な性格を有していることは、確かにそうだと思うが、それはこの作品のあくまでもごく一部を表しているに過ぎない。別の面を見れば、青春小説のようにも見え得るし、また、スリラーともいえる。そして、そのような言葉に還元することが困難な面をも有している。 だからこそ、敢えて既存の枠組みにあてはめることは、この作品に対しては適当ではない。この作品は、それ自体が一つのジャンルといっても良いほど、独特な立ち位置にあるといえる。この作品が「世界中を熱狂させた」とある。それ自体はそうかもしれないし、そうなのだろうと思う。ただ、その内のどれだけが、この作品を理解し得たのか。この作品は読まねばわからないのは勿論だが、読んだ所で理解出来る保証はない。人によっては、何度読んでもダメだろう。 基本的に、作品それ自体が面白ければ良いと思う。したがって、通常作者が誰であるとか、どういうつもりで書いたのか、といった国語の設問にあるようなことを考えるのは、どうでも良いことだと思っている。しかし、この作品に限っていえば、この作品の周囲にあるもの、背後に潜むものも気になる。こういう傾向の作家なのか。それとも、この「シブミ」が異端なのか。少し調べてみたいと思った。 | ||||
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トレヴェニアンには思い入れがある。もう10年以上前、いや20年近く前になるだろうか、「夢果つる街」を読んだ時、そのリリシズムに唸ったものだった。今でも私の海外ミステリベスト3に入っている作品だ。 ふつう、それだけ良い作品にあたると、その作家の他の作品も読みたくなるもので、次に見つけたのが「シブミ」だった。梗概をざっと読むと、どうやら日本を舞台にしているようである。こう言っては何だが、いくらトレヴェニアンでも、外国の作家の日本を舞台にした小説は荒唐無稽になってしまっているのではないか――。そういう危惧感から、読むに至らなかった。 そのトレヴェニアンが亡くなった事を知り、重い腰を上げた。 「渋み」とは――ごくありふれた外見の裏にひそむきわめて洗練されたものを示している。 この上なく的確であるが故に目立つ必要がなく、激しく心に迫るが故に美しくある必要がなく、あくまで真実であるが故に現実のものである必要がない。 シブミの精神が〈寂〉の形をとる芸術においては風雅な素朴さ、シブミが〈侘〉として捉えられる哲学においては消極性を伴わない静かな精神状態、そして、人の性格の場合には支配力の伴わない権威とでもいうか―― 。 1972年のミュンヘンオリンピックで、イスラエルの選手がテロリストに射殺され、復讐を期したミュンヘン5のメンバーもローマ空港で凶弾に倒れた。 仲間でひとり生き残ったハンナは、世界有数の暗殺者ニコを頼るべく、彼の住むバスクへ向かうが――。この暗殺者ニコの過去と現在が錯綜して物語は展開する。 日本を舞台にした場面は多少の違和感はあるものの、荒唐無稽さはない。よくぞここまで書けたなという感がする。 | ||||
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クリント・イーストウッド主演の映画『アイガー・サンクション』(1975) の原作者トレヴェニアンの作品。アイガー・サンクションの主人公は暗殺者にして絵画コレクターという設定だったが、『シブミ』の主人公の暗殺者は碁の名人。この主人公はその他にもいくつか人のまねできないような技を持っており、こういう設定が面白い。設定が面白いだけでなく、ストーリー自体もかなり洗練されており、一気に読み通せる。ちなみに私のお気に入りの登場人物は主人公の友人、LeCagot なる人物である。 | ||||
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超寡作ながら、『夢果つる街』(’88年、「このミス!」創刊号・海外編第1位)、『ワイオミングの惨劇』(’04年、「このミス!」海外編第3位)など、1作ごとに趣向の異なる名作を生み出した異色の覆面作家トレヴェニアン。本書は’79年発表の“冒険スパイ小説の金字塔”と謳われるトレヴェニアン名義の第4長編。 時は1970年代後半、ミュンヘン・オリンピックのイスラエル選手殺害事件に端を発したユダヤ人グループとアラブ人パレスチナゲリラとの抗争。それに、アラブ諸国と手を結び、国際的な石油とエネルギー関係の主要企業を支配し、アメリカにおいてCIAをも傘下におさめる巨大組織・母会社≪マザー・カンパニー≫が介入する。対するはフリーランスで“孤高の暗殺者”ニコライ・ヘル。敵の接近を肌で察知する<近接感覚>、必殺の<裸−殺>の技を持って自身<スタント>と呼ぶまさに達人の域に達した“仕事”を行う。 本書においてヘルの<スタント>と復讐行為は下巻の僅かのページを占めるにとどまり、大半はその境地に至るまでのヘルのヒストリーが、上海の租界地時代、日本での修行時代を中心に描かれる。トレヴェニアンの描く日本の戦前・戦中・戦後史、碁の世界をもとにした“侘び”“寂”“渋み”といった日本文化は私たち日本人一般読者の理解を凌ぐ正確さと、奥深さを誇っており、感心してしまう。 本書は、ヘルがいかにして“シブミ”を会得したかという物語であると同時に、トレヴェニアン流の日本文化論であり、アメリカ文化に対する鋭い批評でもある。是非ゆっくりと味わって読みたい秀作である。 さて、本書の前日譚『サトリ』が、かのドン・ウィンズロウによって発表される。ニコライ・ヘルの若き日の苦闘を描いたという作品だとか。大いに期待したい。 | ||||
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超寡作ながら、『夢果つる街』(’88年、「このミス!」創刊号・海外編第1位)、『ワイオミングの惨劇』(’04年、「このミス!」海外編第3位)など、1作ごとに趣向の異なる名作を生み出した異色の覆面作家トレヴェニアン。本書は’79年発表の“冒険スパイ小説の金字塔”と謳われるトレヴェニアン名義の第4長編。 時は1970年代後半、ミュンヘン・オリンピックのイスラエル選手殺害事件に端を発したユダヤ人グループとアラブ人パレスチナゲリラとの抗争。それに、アラブ諸国と手を結び、国際的な石油とエネルギー関係の主要企業を支配し、アメリカにおいてCIAをも傘下におさめる巨大組織・母会社≪マザー・カンパニー≫が介入する。対するはフリーランスで“孤高の暗殺者”ニコライ・ヘル。敵の接近を肌で察知する<近接感覚>、必殺の<裸−殺>の技を持って自身<スタント>と呼ぶまさに達人の域に達した“仕事”を行う。 本書においてヘルの<スタント>と復讐行為は終末の僅かのページを占めるにとどまり、大半はその境地に至るまでのヘルのヒストリーが、上海の租界地時代、日本での修行時代を中心に描かれる。トレヴェニアンの描く日本の戦前・戦中・戦後史、碁の世界をもとにした“侘び”“寂”“渋み”といった日本文化は私たち日本人一般読者の理解を凌ぐ正確さと、奥深さを誇っており、感心してしまう。 本書は、ヘルがいかにして“シブミ”を会得したかという物語であると同時に、トレヴェニアン流の日本文化論であり、アメリカ文化に対する鋭い批評でもある。是非ゆっくりと味わって読みたい秀作である。 さて、本書の前日譚『サトリ』が、かのドン・ウィンズロウによって発表される。ニコライ・ヘルの若き日の苦闘を描いたという作品だとか。大いに期待したい。 | ||||
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