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シンデレラの罠
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シンデレラの罠の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
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訳者のあとがきがあまりに馬鹿げているので 異議を述べるレビューです。 記憶喪失の娘がミなのか?ドなのか?という正体を推理したくなる読者にとってはこの本は駄作です。 そもそも著者自体がそれほど辻褄を合わせようとしていないし、この作品はミステリーというよりはサスペンスと言える(P273、宙吊りのまま投げ出すかのような…) そして、P278生き残った娘はミだったが、それを鵜呑みにするわけにはいかない…P279オーデコロンの名を知らなかったかもしれない、虚構なのかも…と述べるのであれば、この本の全文自体、鵜呑みにするわけにはいかなくなるでしょう。 宿帳の署名はミであれ、ドであれドムニカ名義で書けるが、オーデコロンの名を知っているのもイタリア語が理解出来るのも【ミ】なので娘の正体は【ミ】である。(これには自分の事をドだと思い込んでいるミも含む) とはいえこの本は娘の正体を推理するより、後味の悪さ、気味の悪さを味わうサスペンススリラーだと思っている。 | ||||
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途中で何度も読むのをやめようとした。しっかりと読めばわかるのかもしれないが、行ったり来たりのイライラと何が真実がわからない展開でアッサリせず、確かめる気にもならない。 | ||||
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途轍もなく読みにくい訳で、途中で読むのをやめようかと思ったが、我慢して何とか最後まで読み切った。これまでに読んだ翻訳作品で、最も読み進めていくのに苦痛を感じた作品。会話文で誰の発言なのかがわかりにくかったり、代名詞が誰を指しているのかがわかりにくかったり、展開が唐突なのは原作者の責任だと思うが、直訳調で文章がこなれておらず、書いてある内容が頭に入ってこないし、意味が理解できない箇所もあった。 一人四役を実現させた手法や、主人公にとって皮肉な結末、主人公の正体に関する曖昧な終わり方は面白いが、登場人物の関係などを示した中盤は中だるみで退屈。犯行計画には無理があり、自分自身が死んでしまう危険性が高いし、入れ替わりは声の違いでばれてしまう可能性が高いのではないだろうか。 | ||||
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私がこれから物語る事件は巧妙にしくまれた殺人事件です 私はその事件で探偵です また証人です また被害者です そのうえ犯人なのです 私は四人全部なのです いったい私は何者でしょう 版元のフランス・ドノエル社がつくった内容紹介の宣伝文である。 本書は、こうして’62年10月(邦訳初版は’64年11月)、センセーショナルに世に出たフランスの作家ジャプリゾの2作目のミステリーである。 こういう一見不可能な設定がミステリーでどう“論理的”に解決されるか。その1点に注目して読んだ。 ‘私’は火災に遭い、髪も、顔も、皮膚も燃えて、真っ黒な体になって、しかも記憶を失っている。同年代の幼な友達がいる。余命いくばくもない億万長者の伯母さんの遺産相続人である。なるほどこういうことか。2度読み返して充分とはいえないまでもようやくシチュエーションが頭に入ってきた。 あやうい人間入れ替わりらしい述懐、何かと暗躍する後見人の35才の婦人、ラスト近くに登場する恐喝者。全217ページに凝縮された‘私’の一人称叙述による謎に満ちたサスペンス。 本書は、深刻な性格描写や綿密な動機づけより、プロット全体のツイストを効かせることを重視するというフランス・ミステリのエスプリである。 ひとつ言わせてもらえば、ひとり四役という宣伝文にあまりこだわったり惑わされたりせずに、素直にフランス流サスペンス小説として読むほうが楽しめるだろう。 | ||||
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私がこの作品を読んで、最初から最後まで、ずっと感じ続けていたのが、「この作品は、なぜ、こんなにも読みにくいのだろうか?」ということだった。私も、海外の名作ミステリは、結構、読んできたのだが、これほど読みにくいと思った作品は、初めてだったのだ。 ジャプリゾの筆致は、基本的には、簡潔だと思う。しかし、たとえば、クリスティーや東野圭吾の筆致が、簡潔にして明瞭で、すらすらと読み進められ、ページ数がどんどん進むのに対し、ジャプリゾは、同じ文章を二度読みしたり、ページを遡って確認せざるを得ない箇所が多過ぎて、一向にページ数が進まず、わずか217ページの作品を読み終えるのに、やたらと時間が掛かってしまうのだ。 私は、全文を三度、じっくり読んで、この「簡潔でありながらも読みにくい」という不思議さの原因を探ってみた。すでにカスタマー・レビューにも書かれているように、たしかに、一部には、明らかに訳者の責任と思える、日本語の文章としての不自然な箇所もあるにはあるのだが、アルレーの作品では、望月氏の訳文でも、すらすらと読めているので、やはり、この読みにくさの原因の大半は、ジャプリゾの筆致の方にあると思う。 ジャプリゾの筆致は、簡潔な分、抽象的でわかりにくく、読者が自分で文意を補って読み取っていかなければならないので、読みにくく、読むのに時間も掛かると思うのだ。 この作品のトリック自体は、「私はその事件で探偵です。また証人です。また被害者です。そのうえ犯人なのです」というキャッチ・コピーに不足のないものだとは思うのだが、それと同時に、奇抜なトリックだけが前面に出て、作品の構成自体には大雑把なところがあると思ったのも事実であり、ミステリに緻密な構成感を求める日本人には、作品的にも合わないような気がする。 | ||||
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