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路上のX
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路上のXの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全54件 21~40 2/3ページ
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文庫本だと勘違いしてましたが、発送も早くすごくきれいな状態で届きました。どうしても見たかった新刊なので。通常1700円半額以下で買えてよかったです。また、おねがいします。家庭環境の複雑な高校生の苦悩や悩みがまざまざと描かれてて面白かったす。JKのアルバイトお気楽なのかと思ってましたが、過酷なのだと思いました。 | ||||
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好きな作家 | ||||
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10代後半のまだ保護者を必要とする家庭に恵まれない少女達が何人か登場しそれぞれの親がどんな人か?精神状態や児童一時保護所にも触れていて興味深かったです。 桐野夏生さんの洞察力は凄いです。同じような少女が憑依して描かせているのでしょうか?と思うほどです。 | ||||
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路上生活をする少女たちの実態が生々しく描かれていた。 育児放棄や虐待、レイプ、JKビジネスなど、普通に生活している高校生とは無縁の世界に入り込んでいく主人公の真由には同情してしまう。 物語に登場する3人の少女の中でも、リオナの境遇は特にひどかった。何度も再婚するうえ娘を信用しない母親、暴力を振るう義理父の中でも必死に生きる術を身につけ、一人でも生きていくためにJKビジネスの世界にはまっていく。 個人的には、秀斗のマンションでの生活の場面が好きだった。ドMという独特の趣味が垣間見れた。 お金が欲しくて切羽詰っている子どもを利用した大人のビジネスがまかり通ってしまう世界があることを痛感する物語だった。 | ||||
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女子高生の思考を言葉にするのは相当難しいんじゃないかと思う。 村上龍のラブ&ポップのような一人称の手法もあるだろうが、 知性ある大人が社会的な客観小説として書くには知性や語彙のさじ加減が相当困難じゃないでしょうか。 これは元々の頭の良い少女二人を主役に据える事で見事にクリアしています。 生きる事、生活する事の厳しさはときには女子高生のように考えてみないと分からないという事もあるでしょう。 筆者はファッションや音楽が分からない作家では決してなく、ここでは敢えて回避されて書かれてます。 辛さや残酷さを淡々と受け止めながらも芯がぶれないでいられるように。 | ||||
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帯文引用“幸せな日常を断ち切られ、親に棄てられた女子高生たち。ネグレクト、虐待、DV 、レイプ、JKビジネス。かけがえのない魂を傷めながらも、三人の少女は酷薄な大人たちの世界をしなやかに踏み越えていく。こんなに叫んでも、私たちの声は届かないの?” 男は勿論、女も屑ばかり登場する桐野らしい傑作。 渋谷でホームレス生活する元JKと中卒のナンチャッテJKの物語。 JKものというより少女ホームレスもの。 レイプされた過去が標準装備されているが、記憶してるのが辛い地獄の体験なので、本人も具体的な事は思い出せず、詳細なレイプ場面はない純文学である。 レイプ犯への直接的復讐の方法を参考に汁! 賢い女犯罪者の少女時代を描いたノワールシリーズへと発展して欲しい。 | ||||
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虐待やDV、ハラスメント等の弱い者いじめは 最終的に「力が弱く経済力の無い者」に回って来る。 小さな子供がそうだけど、 男の子は思春期以降は身体が大きく力が強くなる。 (個人差はあるけど女子よりは強くなる) でも、女の子は真面目に生きようとしたら力が弱く経済力も無いまま。 義務教育以降なら働ける、というのは正論ではあるけれど 保護者の後ろ盾がない未成年が働くことは 環境に恵まれなければ簡単に搾取の対象になってしまう。 だけど女の子は性的に自分を売ればその時は経済力ができる。 危険と隣り合わせではあるけれど。 虐げられている子、居場所のない女の子が性的に自分を売る事を ただただ非難するのは、結局それも弱い者いじめの延長でしかないのでは… と思わせる内容の本だった。 親や保護者が経済的に自立する年齢まで きちんと後ろ盾になる覚悟を持つのはもちろんだけど そうでない子には社会的に保護する制度をきちんと作って、 使いやすく整備し、それらを提示したうえで、ようやく 「性的に自分を売ってはいけない、他に安全に生きて行く方法が こんなにたくさんあるのだから」 と言えるのではないかと思った。 救いの無いラスト、と他のレビューにあったけど 現状ではそうなるよね、と思うラストだった。 | ||||
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本を読み終わった後インタビューして書いたように中書で凄く感銘しましたので中学生の孫娘に読んで見てわと正月に来るから薦めるつもりです | ||||
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JKと呼ばれる子たちの日常が読みやすくまとめられている。ニュースなどでたまに聞いたりするけれど。知らない世界。一部の男性のどうしようもない性向、所業、本当に理不尽。 | ||||
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路上のXを読む半年程前に、本屋さんで 中村敦彦さんと鈴木大介さんの共書、貧困とセックス イースト新書 を買って読んで、暗澹たる気持ちになったのですが、軽い気持ちで手に取って読んだ路上のXも、同じ題材を主題にしていて、桐野さんは他の本もそうですが、きちんと取材をされて、小説を書かれている方なんだな~と思いました。 中村さんと鈴木さんの本は、路上のXで提言されている主題、貧困女性、困窮女性、子ども達に、じゃあどうすればいいか?がきちんと書かれてあるので、2冊合わせて読むといいんじゃないかな~と。 路上のXでは主人公の女性がレイプされてしまい、警察にも時間がたってからですが駆けこむのですが、証拠がないと言う事で立件は無理であると・・・・・。 2003年、早稲田大学にスーパーフリーと言うサークルがあって、そこでは若い女性を狙ったレイプが頻繁に行われていて、あるひとりの勇気ある被害女性が友達の付き添いで警察に相談、すぐに警察指定の病院へ行き検体を取れたため刑事事件として立件できたわけですが、どれだけの若い女性が性被害に遭ったら迅速に動かなくては相手を加害者として立件できませんよと教えてもらえているでしょうか?。知らない人の方が多いし、学校できちんと授業で教えるべきではないかと思います。 私が学校関係者だったら、桐野夏生さんの路上のXと、中村さんと鈴木さんの共書、貧困とセックス(イースト新書)と、2003年にあった早稲田大学のスーパーフリーの事件の概要を 10代の、これからそういう被害に遭いやすい年代の若者に読んでもらうと思います。 路上のXでは親から遺棄された若い女性3人が出てくるのですが、困窮している若い女性は、社会やお金も体力もある男性からは助けられる事はありません、搾取されるか、足元を見られた施しを受けるだけで、困った女性を助けるのは同じ立場の弱い困った女性達で、弱い者同士が支え合ったり助け合うしかないわけです。 弱者に弱者を支えさすと言う、違う形の貧困の構図が出ていて、困窮している若い女性のひとりは、祖母の援助で何とか高校入学できるメドが立つわけですが、祖母の事故死と言う形でその道が阻まれてしまいます。祖母の焼死は住環境の貧しさからで、悪くなる事はあっても、良くなる事はない、本来社会がサポートすべき社会的弱者への支援がOかマイナスで、 物語の最後の場面で、流産した仲間のひとりが、病院で知り合った高齢者のおじいさんの家にお世話になるから、残りのふたりで何とか暮らして行けたら、と話し合う場面があるのですが、男性でも高齢になれば女性と同じ社会的弱者となって、やっと同じ目線の中に社会的弱者が入るのかと思うと、明るい話なのか、実はそうではないのか・・・・。 高齢となった男性が若い女性を引き入れてフォローしてもらおうとするのは、自分と同じ男性だと、きちんとお世話してもらえないと言う自覚があるからではないかとも思います。 青木悦さんの著書、アスファルトのたんぽぽ、いじめは戦後社会の総決算と言う本の中で、日本と言う国が経済至上主義を掲げて、そちらの方へ舵取りした辺りから、子どもや高齢者への虐待が急増したと書かれてあるのですが、結局、その舵が変わらないまま、今に至っていると言う話なんだと思います。 母親である事をやめた母親をもつ女の子は、ひとりで生きていく事を決心しても、母親の顔を見に行ったり、自分とは違い落ち着いた成育歴の知り合いを突き放す等、人間である事をやめなかった、路上のXはリオナさんと言う女性が軸となって、主人公が自分とは違う道を行くよう提言するので、救いがない中の救いになっています。 現実は自分よりも若く世間も知らない無垢な女性を喰い物にする女性もいるでしょうし、岩波文庫から出ている女たちのアジア 松井やより さんの本の中で、自分と同じ地元の若い女性をブローカーに売る女性も出てきて、ひどい話ですが、でも、今の若い人達に必要なのはそういう現実のある社会に今私達は生きていると言う事実を知る事と、じゃあどうすればいいか?のふたつを常に考え模索し、最悪そういう事態に陥った時に迅速に行動する、抗議する勇気を持つ事でしょう。 それと世界はリオナさんのような人に支えられていて、そしてそういう人達は決して決して表に出る事はないんだな~と思います、でも本を読んだ読者は知っている。そういう見えない心ある人達の存在が今ある社会を存続させていると知る事が出来るわけです。 火垂るの墓では生きる事が出来なかった社会的弱者の象徴である兄妹が、繁栄した神戸の町を見ている場面で映画は終わるわけですが、そういう人達は存在していて、本来その人達のいる場所に私達はいるかもしれない。自分の無理のない範囲で、社会的弱者の人に対してやれることはあるんじゃないか、リオナさんだって出来ているわけですから。 | ||||
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夢中になって、一日で読み終えました。 フィクションだとは思うものの、今の日本のどこかに、こういう子たちはいそうで、考えると切ないですね。 とはいうものの、JKたちにも、大人の視線で見れば、たしかに悪い所もあるし、何故、そっちに行くのぉーと声をあげたくなる場面もたくさんありました。リオナの場合はともかく、真由に関しては、もうちょっと考える点もあったのでは、とも。叔父の家の台所のシーンなど、あんたも食器ぐらい洗ってあげなさいよ、トイレ掃除したげなさいよ、などと思ってしまうのは、子どもの側に立てない大人目線のせい? | ||||
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言葉では言い表せないような感情が湧いてきました。 すごくリアルな描写でした。 | ||||
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つくづく小説というものの価値を思う。 データやドキュメンタリーだけではわかり得ない現状の、ほんの一段ほどかもしれないけれど、深いところに触れることを可能にしてくれる。しかもその世界に入り込んでしまうことで、肌感覚に近い体験ができる。もちろん、当事者たちと同じ体験ができるとまでは思わないけれど。 好きでそんなふうに生きているわけではないのに、社会の目は冷たく、ただモノのように扱われる彼女たち。そんな環境の中で彼女たちは学び、一日一日をやり過ごしている。読みながら、今すぐに渋谷の街に飛んで行って、とりあえずこの3人の女の子たちを救ってあげたい、という衝動に何度も何度も駆られた。しかし現実においては、この3人を救ったからといって根本的な解決になど到底ならないこともわかっている。 叫んでも届かない声。その声に積極的に耳を傾けるのは、責任を持たない大人だけ。 本当にこの社会は病んでいる。どこかが狂っている。 間違いだらけの社会のあり方なのだが、その歪みのシワ寄せはいつだって最も弱き者のところにいくのだ。 救われない彼女たちはどんどん強くなり、なんとかして生きていく。大人たちを憎み、社会を憎みながら、利用できるものは利用して。 それが社会通念的に正しい道だとは思わないけれど、彼女たちなりの道で生きていくことだけが、彼女たちの希望なのかもしれない。 大人を、社会を信じられなくなった彼女たちは、いったいどんな大人に、そして、どんな親になるのだろう。 | ||||
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今が昔と比べて良い時代なのは当然のことだと思う。 だからって、これ以上の変化を求めることが贅沢で、無くても困らないなんて思っている人に気づいてほしい。 それは「今が良い時代」なのではなくて、「あなたが良い暮らしをしてる」だけのことだと。 いわゆる社会的弱者と呼ばれる人たちが、同じ日本でどんな暮らしをしているのか知っていますか。 (ちなみに女性や子どもも社会的弱者の定義に含まれます。) 知っていても、そこから抜け出せないことを本人の努力不足として、蔑むような人も少なくありません。 また、「努力」で解決できると思っている人の中には、「努力不足」の人は切り捨てていい存在だと思っている人もいます。 そもそも、成り行きで流れ着いたのが今の時代ではありません。 時代は、戦って、勝ち取られてきた結果です。 これからも勝ち取らなければいけないことがたくさんあって、 それは贅沢品ではなく、命がけで戦う理由と価値のあるものです。 私はこの題材を今更とは感じません。 いつまで経っても問題としてそこにあることが、また新たな問題であるとも思います。 小説としても、素晴らしい作品でした。 社会問題の提起をするだけでなく、エンターテインメント性も十分なハラハラさせられる展開。 悲惨な展開ばかり用意して「衝撃作」と宣うB級ホラーやサスペンスとは異なる帰結。 そして人の心はどこまでもリアル。 個人的に大好きな作風です。他の作品ももっと読んでみようと思います。 | ||||
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2流のドラマや小説は、主人公が危機に陥っても「ハア、でどうよ?」とまったく感情移入出来ないが、桐野さんの作品はどれもハラハラとし続ける。「真由!駄目だよそっち行っちゃ。早く戻っておいで!」と心の中で叫び続け、グッタリと疲れる。このまま、取り返しのつかないところまで行ってしまうのかと心配で仕方なかったが、どうにか最後は踏み止まったみたいで、良かったです。 | ||||
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この豊かな日本の狭間で、今夜寝る場所と食べる為だけに身を差し出すJKと言われるある種ブランドを持った若い少女達。出てくる大人がクソばっかりで哀しくなる。 | ||||
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この本を読んでいる時、ちょうど「児童・生徒の自殺対策講習会」を聞く機会があった。 その中に、「あなたは望まれて生まれてきた。あなたの両親はあなたを大事に育てたはずだから命を大切にしましょう」と訴える授業が、逆に、「親に愛された記憶のない子どもたち」を傷つけ、追い詰めるという話があった。 親や周囲の大人に大切にされた記憶のない子どもたちは自己肯定感が低く、困ったときに助けを求める行動を取ることができない。そして自傷行為を繰り返す。 ノンフィクションから着想したという「路上のX」の、真由とリオナの二人の違いがこの辺りにあるように思えて、この本の持つリアリティを感じるとともに、「著者はしっかり取材したんだろうな」と思った。 親や社会、システムに守られない少女は、剥き出しの、生身の身体のまま容赦なく傷つけられていく。真由たちの行末が気になって仕方ないラストだった。 しかし、「真由」という名が何度も「真田」に見えた。 | ||||
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まずは、同じ日本で一応寝るところもあってお金に困ることもなく、1日3食普通に食べることができて、仕事の悩みと言っても大したこともない自分がとっても幸せなんだなあと感じる小説でした。あと、私は高校出て予備校まで通わせてもらって大学を出たのですがその有り難さも教えられました。作者がラストにどういう意味を込めたかは、はっきりわかりませんでしたが私も他の方と同様に「救いがない」と感じました。ハッピーエンドで終わって欲しいとは思っていませんでしたが、救われない人が救われないまま終わったような感想を持ちました。 | ||||
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作家さんは何を考えて、既出の名前や芸能人を連想させる名前を、自分の小説の 登場人物に付けるのか?今まで誰も使ったことのない名前を付けようとは、全く 思わないのだろうか?複数の作家の作品で、特定の人物を集団リンチしているの ではないだろうけれど、心が疲れている人は、往々にして要らんパズルを解きが ちなので、読むのは中々辛いのでは?身体障害者が読みやすいものを探るばかり でなく、精神障害者にも優しいコンテンツの在り方が、きっとあると私は思いま す。おかしなことを言ってすみません。 | ||||
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「家族や愛が大事・・」といったような、ありきたりで抽象的な軽い結末ではなく良かったと思う。 だが、結末にもう少し「救い」があってもよいのではないか。 ルポやノンフィクションではなく「創作(小説)」なのだから、救いようのない「現実」に対して、 作者なりの「解決策」や「希望」を提示してほしかった。 たぶんそれが「一流」の表現なのだと私は思う。 | ||||
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