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バッテリーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.13pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全253件 81~100 5/13ページ
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当初は児童書として出版され、後に角川にて文庫化。 2006年3月には、滝田洋二郎監督にて映画化もされてた。 中学入学目前、天才速球派ピッチャー・原田巧は、父の転勤で岡山の小さな町に引っ越。 そしてキャッチャー・永倉豪と出会い、バッテリーを組む。 (巧のピッチャーに対するストイックなまでの)純粋さ (巧と豪及びチームメイトとの)友情 (巧と豪またはライバル門脇との)切磋琢磨 といったことを軸に話はえがかれる。 純粋さ・友情・切磋琢磨、表面のみを見るときれいにみえる。 しかし、物語性を抑え、内面描写を丹念に描写することにより、ある種の歪さを浮き彫りにしつつも凛とした真摯さを描き出す。 元々は児童文学でありながら、良き理想という模範を示すことに留まらない。 少年の成長を描くのでは無く、各々の少年の生き方とその変化を描く。 その生き方や変化(あくまで変化であり成長とは異なる)の良し悪しの評価やメッセージ性は無い。 何かに打ち込むことは、何かを捨てることでもある。 天才とは歪さを孕んでいるのかもしれない。 丁寧な内面描写の場面が非常に多い。 反面、試合の場面は少ない。 しかも、公式試合は皆無だ。 逆に、それゆえに傑作足り得てる。 | ||||
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巧と豪のこころのすれ違い。強豪横手の瑞垣の思い。 心理描写がどんどん大きくなり泥臭さが増していく。 読みやすく、読み続けさせる文章ではあるが最初のころと比べるとだんだん爽快感が無くなっていくような気がします。 | ||||
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正直、はじめの1巻2巻は読んでいても面白いと思えず、あまり共感もできませんでした。 でも、3巻くらいからようやく、この本の主題がわかってきました。 「まっすぐに向き合う」「真摯であることとは」などを問うている小説だと思いました。 わずか12歳の少年にそれを描こうとする…。 主人公、原田巧のボールとの向き合い方は、少年とは思えないほどのシビアさを持っています。 全然少年らしくないし、大人が同じことをしてもちょっと…と思ってしまうほどです。 だからこそ、わざわざ少年を主人公にしているのかもしれません。 おおらかなキャッチャー、永倉豪にも徐々に変化があらわれます。 彼らの「まっすぐさ」は、とても原始的な面も持っていて、生理的な衝動に突き動かされながら物語は進みます。 最後6巻まで読んで、ラストイニングまで読み終わりました。 途中で止めないでよかったな、と思います。 | ||||
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物語全体がマイナス思考で、心が晴れ晴れとしません。読み進めば読み進むほど妬み、恨み、嫉み、など若者の健全な精神面での成長をあえて妨げるような感情にさらされます。もちろん、健康優良児的な優等生物語ばかりが若者に好影響を与える訳でもありませんし、かえって反発を招き逆効果となることもあります。しかし、この作品はあまりにも世の中を斜めから見すぎていて、いずれは社会にはばたいていく若者を現実社会から引き離しているという印象を大変強く受けます。 試験、塾、人間関係、受験などから、うまくいかないことを通して、どうやって理想と現実の折り合いをつけていくのか、努力の大切さ、周囲と強調することの大切さなどに気づき、人間は成長していくのだと思います。 最初から絶対的で天才的な才能を持った投手とその期待に応えようと盲従する捕手、教員、親、友人、周囲の大人たちというこれ以上ないと思われる単純な構図で、読み物としても深みがかけらも感じられません。あえて例えれば、ウルトラマン、仮面ライダー、セーラームーンといった結論がわかっている安全パイの非常に稚拙なお話です。 作者のあとがきを読んでも、深い思慮に欠け、素直に物事を見ようとしない中高生世代の軽佻浮薄な風潮をあまりにも安易に現状肯定していて、作品全体に社会性が見られません。 風景描写なども冗長です。これは「文学」作品とするべく重みを出そうと努力しているのかと思われますが、物語の展開がいかにも単純ですので、形式上の小手先の技術では補い切れません。 せっかく読書をするのなら、もっと精神面での成長(そんなに大上段に構えなくても例えば気分転換など)に繋がる優れた作品が数多くあるので、それらを先に若者にはすすめるのがふさわしいと思います。どうしても他に読むものがなくなったときはじめて手にしても遅くないと思います。 | ||||
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面白い作品であった。久しぶりに、「出会えてよかった」と思える作品だったと思う。 まず、巧の強烈な性格に圧倒された。他者から見れば、思い上がりや自惚れと紙一重の、恐ろしいまでの自身に対する自信。天賦の才に対する揺るぎのない自覚と、その才を生かすための努力。しかし、野球に関係のないことすべてを排除しようとする思考から、人間に興味を持てないという致命的な欠陥も持っている。この作品は、野球というよりも、強い反面もろい一面ももつ巧が、キャッチャー豪をはじめとする周囲の人間との触れ合いを通して、一皮向けていく様を描いているように見えます。 ただ一つ残念なのは、途中で話の中心が巧と豪の主役バッテリーから、ライバル校横手の天才スラッガー門脇とその幼馴染瑞垣に移行してしまったように思えること。巧が門脇と瑞垣の乗り越えるべき壁となってしまい、壁に初めてぶつかった門脇の苦悩と、天才の側にい続けなければならなかった瑞垣の門脇への愛憎と葛藤がメインテーマになってしまったみたいです。門脇も瑞垣もたいそう魅力的なキャラで、それはそれで面白いのですが、『バッテリー』はやはり巧と豪でまとめてほしかったなとも思います。 | ||||
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小学卒業後の春休み、岡山の田舎に転校した天才ピッチャーの卵の巧の精神的成長を中心に、病弱ながら天才的閃きを見せる弟の青波、巧と「バッテリー」を組む豪等を中心に若者の群像を描いた作品。この時点では、シリーズ化は考えていなかったろう。 巧は自信家で傲岸不遜。己の力だけで夢を叶えられると思っている。一方、豪は篤実な性格で、巧の実力を認め、巧の弱点である自己中心型性格を解きほぐそうとする。また、青波は自分と異なる強い巧に憧れているが、記述の中に巧を上回る天才的才能がある事が仄めかされる。また、巧達の祖父が元甲子園優勝監督と言うのはご都合主義だが、この祖父のアドバイスで、病弱な青波が野球を楽しもうとしたり、豪を初めとするチームのメンバが純粋に野球を楽しんでいる様に、巧も仲間との協調の大切さを自覚して行くと言う清新なストーリー。 私の印象では、登場人物の年齢設定が二年は低いと感じるが如何か。小学六年生でこの心理描写はないだろう。また、作者が野球に関して詳しくないのは明らかだが、如何にも野球のシーンが少なくかつ限定された場面しか描かれていない点に不満が残る。つまり、作者は野球にも少年心理にも詳しくないのだが、大人の女性が想像する少年像を映して見たら、偶々当たったという感じではないか。また、ドラマツルギーとして、受験に絡み豪の母親等が悪役になるのだが、顔を合わせて見ると結局は良い人で、良い人ばかりの物語になっているのである。「バッテリー」と言う題名からは外れるが、私は青波がもっと活躍を見せると思っていた。 その後のブームからして、荒廃した世相に対する一服の清涼剤となったのであろう。 | ||||
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正直な話、終わり方にがっかりした 横手二中との試合、それは公式戦でないにしても、そこに的を絞るというのは、非常に良いアイデアであると感じた こどものなかでは、公式戦ももちろん重要ではあるが、特別な相手との試合というものがある そういうことがよく描かれていると思った しかし、それなら最後まで書くべきなのではと感じた こどもの世界をこどもの目線で書くのなら、こどもが納得する、共感する終わりを提示すべきなのではと感じた 正直、男の子でここまでいろいろ考えている子はいるのだろうか?笑 女の子ならそれなりにしたたかな子はいそうだが 笑 | ||||
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2巻まで読みました。それ以上は無理でした。 描写が「いかにも」って感じで女性作家がよく描く感覚に訴えかけるような作品なので、その手の作品が苦手の方にはお勧めできません。 2巻までの感想ですが、それぞれの人物の性格が良くも悪くもストレートすぎて私の心には響きませんでした。 この年代の男の子には必ず「性」への葛藤やアイデンティティーの 不一致などに対する悩みがつきものだと思います。青春特有の青臭さが感じられず、野球のプレーの表現もとても陳腐なものでした。 これよりも五木寛之氏の「青春の門」を読んだ方がよっぽど後の人生で ためになるよ。 | ||||
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ストイックなまでに自らの投球を追い求める巧、純真な少年の青波など、キャラは確かに魅力的。 特に巧の、どこから湧き出てくるのか、底の知れないマウンドへの渇望は中々のもの。タイプは違うが「おおきく振りかぶって」の三橋となんとなくかぶる部分がある。 でも、だからこそ腹立たしいのが、肝心の作者が野球をないがしろにしている点です。 ぶっちゃけ、巧が情熱を燃やすのは、野球じゃなくても成り立ってしまうと思うんです、この作品。それがもの凄く不満。 作者は野球を通じて巧という少年を描こうとしている。だったら、その野球をもっと生かしたらどうなのか。というか、生かすのが筋でしょう。 三巻まで読んだけど、正直な話、作者は大して野球を好きではないのではないか? と感じました。ネットで見てると、どうやらその通りみたいですね。 なんにせよ、あまりに野球の描写が酷い。 関係ないけど、腹立たしいといえば、これも既出ですが、この一巻の三浦しをんの解説です。腹立たしいを通り越して呆れると言うか。 この程度の観察眼と考察力しか持ってない人が、本当に直木賞作家なのか? もしウケを狙って書いてるなら、滑りすぎでしょう。 | ||||
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わかりやすく読みやすいですね! あの朝日新聞や福島中央テレビで特集紹介された図書館のすぐれちゃん、真珠書院、あがさクリスマスも推薦していました。 | ||||
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ある天才ピッチャーと彼を支えるキャッチャー(同級生)の物語。天才ならではの狷介さで周囲との間に軋轢を産みながらも、才能ゆえに人を魅了する主人公のキャラクターは魅力的。世の中には努力で太刀打ちのできない才能というものがあるけれど、実力差が明確に結果に結びつくスポーツの世界ではそれは残酷なことだと思う。 ただ、一方でストーリーがそれに偏りすぎているような気がして、弟や祖父といった魅力的なキャラクターが描かれているのに、彼らとの関わりが十分に描かれていないように思える。兄とは別の才能を秘めていそうな弟、彼がどう成長するのか。肉親であると同時に野球人として主人公を見つめる祖父は主人公の成長にどう影響を与えるのか。友人との関係はどう発展するのか。比較して語られることの多い「一瞬の風になれ」と比べると、小説としての完成度はやや劣るように思える。ただ、もともと児童向けに書かれたとあって、読みやすい文章なので、一度読み始めたら一気に読める。 | ||||
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新田東中は、1年生の原田巧、永倉豪のバッテリーを軸に、吉貞、沢口、東谷に先輩の海音寺が登場し巧と豪の気持ちに修復の兆しが表れ始める。 一方強豪の横手2中の門脇修吾、瑞垣俊二は新田東を侮れないと思うようになる。シャープな判断力を持つ瑞垣がエリート街道まっしぐらの門脇に対する感情は複雑なものがある。 横手2中のバッテリー萩雄途と城野達矢は幼なじみだがそれぞれ自我がでていて面白い。 この小説も、もう5巻目、一寸長すぎてわざとらしい所に違和感を感じる。 | ||||
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こういうさっぱりとしたストーリー私は好きだ。 今回は巧にいろんな面で変化がみられる。料理や洗濯をするシーンは何だか微笑ましかった。 豪が初めて巧に本音をぶつける。"お前とおるとしんどい"その言葉を聞いた巧は…。 沢口たちも良かった。普通のバッテリーではだめなのかと問いかける。野球切り離して豪と付き合えるのか、と。 なるほどなと思った。巧にとって豪は最高のボールを受け取ってくれる存在。"友達"という表現で表す存在ではないのだ。 そんな巧に対して、東谷は豪を心配するあまり、きつい口調になってしまうが、この後の巧の態度に沢口たちは驚く。巧の変化が見られるシーンだ。個人的にこのシーンはお気に入りだ。 祖父である洋三の台詞も胸に響く。青波も良かった。いつもと少し違った面が見れる。 後半の豪と巧の掛け合いは良かった。巧がある行動を起こし、それに対し豪が巧を叱るシーンだ。 "おれのミットをみろ。おれがここに座っている限り、おまえの球の向かう場所は、他にないだろう" そんな豪のひたむきさに胸が打たれる。巧の"怖かった"という台詞も印象的だ。 それぞれの心情描写が丁寧で美しい。何度も読み返したくなる作品だ。 | ||||
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原田巧は妥協しない。昂然としてわが道を進む。 永倉豪は、包容力ある大人の風格。 巧の弟、青波は病弱だが優しく観察力に秀でている 同級生の東口、沢口も好人物。 中学の野球部での先輩たちとの暴力事件、優しい美人の小野先生は巧の味方? 青春物っていつも登場人物の精神年齢が高いと思うのだけどそうしないと 小説にならないのかな。 さあ、3巻目が楽しみです。 | ||||
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○主人公は原田巧、小学6年で超弩級の投手。最近家族と岡山県境の地方都市に引越してきた。この春進学するのは新田東中学。巧は野球のピッチャーとしての完成度を高めるのに一途。他のものは目に入らないし、自負心が高く、ストイック、協調性にかける。 ○巧と組むのは捕手の永倉豪。ガタイは巧より大きいし協調性、思いやり、視野の広さ、懐の深さがあり捕手としての技量もすぐれている。映画スタンドバイミーに出てきたリーダーの男の子風。 ○井岡洋三は巧の母方の祖父で、新田高校の野球部の監督で何度も甲子園出場してきた。14年前に監督を退いたが野球への情熱は変わらない。 ○原田青波は巧の弟、進級して小4。体が丈夫でないため母がやや過保護気味、ものの見方にすぐれたところがあり、兄、祖父の影響もあって野球に興味がある。スタンドバイミーで言えば作家になった主人公風。 この小説は著者のあさのあつこさんの、もし人生やり直しができて小6になって、しかも男の子であればこうなってみたかったという憧憬が映し出されているようです。 | ||||
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まず、面白い。どの程度売れているのか分からないが、もっとヒットして欲しいと思う。 実際、ここ数年で社会現象になった小説よりも、明らかに「すごい」と思わせる要素がこの小説にはある。 この小説(バッテリー2)は一見、現代の教育の問題点や人間関係の難しさなどを描いているように見えるが、実は違う。 人間の存在そのもの、自由とは何か?、今の社会のあり方は正しいのか?、そういう深い哲学的なテーマも内包している。 たしかに主人公の巧は協調性に欠けている。が、それは精神的に子供というわけではなくて、ただ自分の感性を強く信じ切っているだけなのである。 彼はスポーツマンというよりも、むしろ芸術家に近い。 | ||||
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長く手を出していなかったけど、文庫を手に入れたので一気読み。 本当に一気に読めてしまいました。 少年たちの会話と行動、心で思っていることを丹念に積み上げていく ことで、特定の年齢の、瞬間の少年たちの、刻々と移り変わる変化を つかもうとしています。ひたむきで、繊細で、でも時には凶暴で残酷で。 子どもの頃、時間がやたらと長く感じたものですけど、それだけ濃密 だったということ。1年のことを書くのに10年かかった、というのも わかる気がします。ああ、本当に面白かった。 でも子どもが読んだらどうなんだろう、とは思いました。面白いと思うか、 近親憎悪?を抱いてしまうか。「今の子どもはいいなあ、こんな面白い 話を読めて」とは思いませんでした。自分が中学生の時に、この本に 出会ったら、途中で放り出してしまったかもしれません。 登場人物たちの内面をさらけだす描き方をしているので、そういうのが 生々しい、辛い、と感じる気がします。辛い、という感情を、登場人物 あるいは作者に対する嫌悪感とすりかえそう。 大人になった今は相当鈍くなりました。涙もろくはなりましたけど。 だから彼らの生の感情を嫌悪感なく受け止められる。 大人になったからこそ、その時代を振り返って、ああ、そうだったなあと 冷静に、時には懐かしく思いかえしながら読む。そんな読み方でした。 | ||||
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これはほんとに児童書か。いや、児童書だからこそか。 いや、そんなのは関係ない。ジャンルなんて関係ない。 『バッテリー』というひとつの作品としてみればいい。 『バッテリー』の特徴は、会話でストーリーがすすむということ。 ページを開けてみるとわかるが、そのほとんどが「」でくくられている。 そして会話以外の部分も、登場人物の心情を表現したものが多い。 きれいな情景描写などもあるが、多くは心理描写である。 そこがこの物語に惹き込まれるひとつの理由である。 巧だけではなく、豪、海音寺、門脇、瑞垣 それぞれの心の内が見事に表現され、読者をシンクロさせる。 これは大人だからこそわかるのかもしれない。 本作は児童書だが、いわゆる「児童」が読んだらどんな感想を持つだろう。 きっと、「おもしろかった」と言うに違いない。 でもきっと「登場人物の心理が‥‥」とは言わないだろう。 『バッテリー』がヒットした背景にはやはり大人が読んだということが挙げられるのだ。 幅広い読者をとりこんだ著者はすごい。 | ||||
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小学生から中学生に至る多感な時期の子供の心理はどんなものだろうか。 子供たち本人に聞いてもわからない。うまく表現出来ないよね、自分のことでも。 それは大人になっても同じだろう。 あさのあつこと言う作者を、不覚にも知らなかったし、この本が評判であると言うことも知らなかった。 偶然、盟友とも思っている仲間からこの本を手渡され、読む機会を得た。彼女に感謝したい。 ごくごく素直に面白かった。 舞台設定、人物設定、等々、若干ステレオタイプなところがなくもないが、素直に受け入れることができた。 このところ、いささか殺伐としたものを読み過ぎたせいか、何だか嬉しくもなった。 大人の思う子供の心理だから、間違いも思い込みもあるだろう。 だからか、大人同士のいさかい、心の揺れ、特に女性のそれの部分の方が安心出来るところもある。 それでもやはり、あぁ、そうだ、そうそう、と思えるのは、当たり前だけど、大人もかつては子供だっただからだろう。 大人こそ、自分を見つめ、思い返すにいい本かも知れない。 そう、これで今の子供をわかった気になってはいけないな。 でも、自分も一人のかつて子供だった思いから、とてもうなづける一シーン一シーンを味わうと 時代を超えても、対大人、子供同士、の人間関係の変わらない部分はある、と思う。 向こうっ気とプライドと、自分への自信。そして、はっきりとはわからないが芽生える不安。 多感な少年から青年期を迎える一人の人として主人公と彼を取り巻く人達のこれからにとてもとても興味が涌いた。 大変面白い。素直にいい作品だな、と思っていいのだと思うな。 | ||||
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北上次郎氏が絶賛していたので3巻まとめて購入し読んでみたけど、1巻を読み終えすべて処分してしまった。今まで、読もうとした小説を途中でやめたことはほとんど無いのだけど。 一番の理由は主人公の人格に納得いかなかったこと。12歳ぐらいの設定なんだけど全然子供らしい所がない。どんな家庭に育ったらこんな人格に育つのだろうかと思うが、小説ではどこにでもあるごく普通の家庭として描かれている。さわやか野球小説の主人公と言うよりはシリアルキラーか外国のホラーでよくある悪魔の子の成長過程を読んでいるようだった。 子供というのは時に大人よりも残酷だったりするけれど、そういう無知ゆえの残酷さとも違う酷薄で薄気味悪いものを感じた。こんな子供っているんだろうか。 | ||||
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