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デンジャラス
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デンジャラスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全16件 1~16 1/1ページ
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題名からは内容をとても想像出来ない物語。文豪、谷崎潤一郎の半生を描くが、どこまで真実かどこまでフィクションか判然としないまま、物語は進む。 女性の情念を細やかに描くのは女流作家ならではだろう。私を小説の中で描いてもらったと、喜ぶ主人公の気持ちは分からなくもない。何も無いまま、死んでいくより、そのことを生きる縁にするのも良いと思う。 名前は知っているが、読んだことのない作家の代表であるが「細雪」や「瘋癲老人の日記」なんかは、読んでみたいなと思った。 しかしながら、多くの時間を過ごした神戸の情景がまったく出てこないのは、どうしたことだろう? 著者自身に馴染みがないし、あまり調べようともしなかった結果だろうけど、残念です。 | ||||
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欲しかった本なので、購入できてよかった。 | ||||
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小説のモデルになったのが谷崎潤一郎とその家族の話だったので、興味深く読みました。主人公は谷崎の妻の妹の重子で、姉の家族に世話になっている居候のような存在で、最初は男性に庇護される弱い存在と思いきや、最後は以外にもという感じです。桐野さんの作品の主人公の女性はいつも自分の意見をもって、きっぱりと相手に言うところが大好きです。新作の日没の主人公もそうですが、いつもすっきりします。 | ||||
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桐野さんの他作品が面白かったので読んでみました。 女性の心の機微が緻密にえがかれており、そこに居たかのような臨場感を感じられます。 過激な描写はないのに、ページをめくる手が止まらないことが、桐野さんの実力を現していると思います。 私は谷崎文学は一作も読んだことがありませんが、非常に楽しめました。 | ||||
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桐野夏生の雰囲気で、文豪、谷崎潤一郎の半生を描く傑作 | ||||
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好きな作家 | ||||
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"女王様とお呼び!"、"私の足の指をお舐め!!"。『細雪』の三女雪子が谷崎潤一郎を折檻する『続・細雪』つーか『真・痴人の愛』つーか瘋癲色呆け老人谷崎潤一郎を雪子のモデルの重子が語った物語。作家と小説の本質を考察する純文学である。谷崎フェミニスト論も展開されるフェミニズムの教科書としてもアリ。女性を保護し家庭に閉じ込めて、職業婦人を馬鹿にする谷崎は似非フェミニストだと思うが、同時代の男逹が知らない、西洋のレディファーストの概念を知って、実践していたのは、DV男よりは、女性に優しくてマシだったというレベル。フェミニズム論はオマケ。メインは小説論である。身近な人物をモデルにして小説を書く作家は危険。小説世界に現実が引き寄せられて危険。が、危険な力を持つからこそ、小説に価値がある。という話です。毒にも薬にもならないありふれた小説を書いてる作家は、桐野の足の指の垢でも嘗めて反省汁! | ||||
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桐野夏生さんの小説はかなり読んでいるつもりです。初期の「顔にふりかかる雨」から「OUT」・「柔らかな頬」・「グロテスク」あたりまでで、一度その文体がいやになりました。吐き捨てるような妙な断定的な硬質さと、人間を描くのに少々「スタンダールもどき」とも言えるような少々嫌味な深刻さを感じたのです。すなわち、エンターテインメントなのに妙に文学性を目指しているような・・・・・(高村薫氏の「ドストエフスキーもどき」ほどではありませんが。)そんなわけで、しばらく読むのが嫌になりました。 昨年、久し振りに「夜の谷を行く」を読んでみたところ、少なくとも文体には妙な癖が感じられなくなりました。これは著者が平易に文章を書こうという気負いが無くなったせいかとも思われました。本作も文章的には誠に読み易い。しかし、「夜の谷~」でも感じたことですが、氏の中にはどうしても推理作家として読者にある意味の「サービス」をしたくなるのでしょうか?どこかで、ヤマを作りたくなるのでしょう。ある意味でどんでん返しと言ってもよいような・・・・・(「夜の谷~」では最後に主人公とかって生んだ息子との対面というかたちで、それが露骨でした。) 本作では谷崎潤一郎の代表作のモデルとなった松子夫人と妹の重子、そして嫁といってよい千萬子との人間模様を作者なりの見事な会話を中心とした人間描写で小説を作り上げています。しかし、婦人公論という雑誌連載で合ったせいか、場面も心理描写も繰り返しが多く、どうにも退屈です。そして最後には再びヤマを作っての、ある意味でのどんてん返しのような読後感を持ったのは自分だけでしょうか? 「デンジャラス」という題名は成程と思います。渡辺千萬子さんとその息女たをりさんからも話を伺ったようですから、千萬子さんの視点からもう一作書いて欲しいと思うのは自分だけでしょうか? | ||||
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今作は「細雪」のモデルになっている姉妹のうちの2人が登場し、その妹の方が語り手となっています。 私が読んだ谷崎潤一郎作品は「痴人の愛」のみで「細雪」は読んでませんが、それで特に不自由することもなく楽しめました。 家族の中に体の関係じゃない「男女」の絡みがいくつもあって、 日々駆け引きをしながらも家族として暮らしている・・・なんてスリリングなシチュエーション!! どこまでが真実なんだろう・・・それを考えるだけでもゾクゾクしますね。 これは語り手を別の人にして、違う視点から書いたらまったく違ったものになったはず。 千萬子の視点で描いたものが読んでみたいですw 結局、勝者は誰? そして、この危うい家族の軸となり、静かにコントロールしてきたのは誰? すべては最後のホテルでの二人の会話で見せた重子の押しの強さと、女の業が物語っている気がします。 それにしても、巻末の主要参考文献の一覧を見ると、潤一郎と千萬子の往復書簡は本になってるんですね。 すごいww 読んでみようかなぁw | ||||
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谷崎潤一郎の「細雪」がとてつもなく面白い小説である、ということに60歳を過ぎての初読で知った。芦屋市谷崎潤一郎記念館の元館長のT・Kさんに繰り返し薦められていたのに、文庫本で3.8㎝の厚さ(中公文庫)に腰が引けていた。映画も原作に誘う魅力はなかった。ただ、もっと若いころ読んでいたら退屈して、その後二度と手に取ることはなかったかも知れない。 「細雪」に一層の「芸術的感興」を覚えたのは、NHKやスターチャンネルで放送され、欠かさず観ていた英国TVドラマ「ダウントン・アビー」に通じるものがあったからかもしれない。片や戦争の影が濃くなっていく1936年から41年にかけての大阪・船場の旧家4姉妹の物語、片や第一次世界大戦前から大戦後にかけての英国貴族3姉妹の物語。時代とともに黄昏れていく一家とその使用人たちのドラマが、いずれもくっきりとした人物像と日常生活の精緻な描写で鮮やかに描かれている。「ダウントン・アビー」が映像の美しさと会話のやりとりの面白さで堪能させるとしたら、「細雪」は読点で一体どこまでつなぐのかと時に思うほど息の長い文章、話括弧と地の文の絶妙な組み合わせで、日本語を読む快感を味わわせてくれる(「ダウントン・アビー」の方が登場人物は多彩で群像劇色は強い). 「デンジャラス」はその「細雪」の主要人物、三女雪子のモデルとされる重子の視点で、谷崎潤一郎と周辺の女性たちのデンジャラスな関係が語られる。実在の人物を実名で書いた小説なので、どこまでが真実で、どこからが作家の想像かわからないところもデンジャラス?重子は谷﨑の三人目の妻松子の妹で、夫の死後谷崎夫婦と同居。これに松子の連れ子の嫁千萬子がからみ、嫉妬、自尊、疑惑、愛情、さまざまな感情が入り組みながら、小説のためなら周囲を傷つけることも平気なジコチュー&筆一本で大勢を養う王国の主人谷崎があぶりだされる。 谷崎は松子に霊感を得て「盲目物語」「春琴抄」を書き、松子、重子らの姉妹は「細雪」、千萬子は「瘋癲老人日記」のモデルになったとされ、「私ども姉妹が、兄さんの芸術的感興を刺激しているのだと言っても、過言ではありますまい」と重子は語る。アルコール依存症で朝から盗み酒をする重子は、冷えた白葡萄酒を飲みながら、亡くなった谷崎と会話を交わし、谷崎のこんな言葉を書き留める。 「夢と現(うつつ)のあわいを行ったり来たり。あなたほど、僕の書く小説の中に生きたひとはいませんね」 えっというクライマックスシーンも用意され、谷崎が目指した境地「虚実ないまぜになった妖しさ」も味わえる。 雑誌連載のせいか、章が変わって同じ表現が繰り返し出てくるところが、少し残念かな。 | ||||
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谷崎の小説を最近になって読み返し、特に「細雪」を再評価していましたから、桐野夏生さんがこのような純文学の裏話をサスペンスタッチで描いていたことにびっくりしました。「細雪」は、「春琴抄」や「鍵」などのようなショッキングな場面が少なく、冗長で優雅で、あの戦争中に、何の苦労もなさそうな別世界の金持ちの話なので、若いときには読んでもピンとこないし、鼻につきました。改めて読み返すと、末っ子のやんちゃぶりが面白く、魅力的なはずの主人公の雪子さんが何だか煮え切らない、本当に美人なんだかわからないような地味なイメージで、姪の世話の時だけしゃきっとしていて、だらだらとお見合いを繰り返し、せっかく結婚しそうな最後は無粋にも「下痢」が止まらないという。その話も、この「デンジャラス」にあるモデル像を読んでみると深い理解ができました。とにかく、桐野さんは最初からの展開がうまいですね~。どうしたって途中でやめられないように引っぱって行かれて、結局、夜中の3時間読み終えるまで本を置くことができませんでした。千萬子さんは、不快で魅力的。雪子のモデルの重子さんは、あわれアルコール中毒症。史実も興味深いですが、筆力に感動しました。 | ||||
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同時代でなはい文豪と、彼を取り巻く女性たちについて、さまざまな人が書いていて、ある程度の情報を読者が知っているうえで、このような内容を書いても、新鮮味はないし、小説として思い切った観点で書くにはリスクが高すぎる。なぜ谷崎潤一郎と明確にして書いたのか疑問が残る。先に口述筆記を実際にしていた中央公論の編集者の「われよりほかに」を読んだだけに、その臨場感と事実に基づいていながら、充分、浮世離れした面白さを味わっただけに、小説はそれに負けた感あり。 | ||||
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前作の「夜の谷を行く」で 桐野さんのどうしようもない同世代の男に対する憎しみが 昇華してしまったのか・・・と思っていたら 発酵してまた違う毒になっていたような 君臨する男。谷崎潤一郎 寵愛される女たち。細雪のモデルとなった姉妹たち 最後の最後で本当に君臨しているのは誰なのか 本当は寵愛される女こそが谷崎を支配しているのだと納得できました 桐野さん、素敵な毒をありがとうございます! | ||||
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久々に充実感ある読み終わりでした! 桐野さんの独特な世界、毒、とげある描写が作品に、よいフックが叩き込まれています。 ベースは真実なのでしょうが、会話等、想像なるやりとり、 そして、 女性の嫉妬や男性の欲望など、人間世界を垣間見ました。 谷崎潤一郎の「細雪」を私は読んでいたのであれですが、読まれていなくても楽しめるとは思いますが、読んでおればなお楽しめるだろうと思うし、もっと谷崎潤一郎を知っている人はさらに楽しまれることでしょう。。。。 女性作家が書いているだけに、最後、女性のこわさしりました。 そして、 おとなしい女性ほど、奥底のしつこいこわさを感じずにはいられません。 派手な女性ほど、見た目より弱く、実は真逆なのでしょうね。 285ページの終わりの辺、 ○○の嫉妬は私の嫉妬・・・ これはやはり円。 最後はまわりまわり自分に帰る。 よいことも悪いことも、まわりまわり自分に帰る。 うまく気持ちを描き切れませんが、 なんか人間、人生の哲学が、このページに真理が書かれて、埋め込まれている気がしてしょうがないです。作品を超越した真理を感じました。 桐野さんの傑作のひとつだと思います。 | ||||
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桐野夏生さんは『ナニカアル』で林芙美子を、『IN』で島尾敏雄を描きました。 この『デンジャラス』は文豪谷崎潤一郎と彼の代表作『細雪』のモデル、 つまり妻松子(『細雪』では幸子)、その妹重子(雪子)を軸に据えた作品です。 語り手は重子。『細雪』の雪子のモデルとして理想化された彼女ですが 華族出身の夫との結婚生活もあまり幸せではなく、戦時中は谷崎一家とともに苦労を重ねます。 この重子の夫に関しては、谷崎関係の本を少々読んできた私も知らなかった事実が多く描かれて興味深く、 『鍵』に登場する郁子の行為が実は重子をモデルにしていたことも意外でした。 姉の夫、谷崎に愛されたことを喜んだ重子も、やがて新時代の女性、嫁の千萬子の存在に翻弄されることになります。 濃密な描写で人間の悪意を描くのが巧みな桐野さんですが、上品な関西弁のせいか本作では登場人物の駆け引きにもどこか雅さが感じられます。 千萬子と谷崎の関係については二人の往復書簡を読んだ後では特に新味はありませんでしたが 重子や松子の晩年の懊悩が迫真的に描かれています。 谷崎の創作の源でありながら、彼の才能と個性に翻弄される女たちの緊張関係を描いた本作。 ラストのあっと言わせる展開には賛否両論あるでしょうが、私には納得できるものでした。 最近読んだ『抱く女』『夜の谷を行く』はいささか期待外れでしたが、 もう少し書き込んで欲しいと感じさせられる部分もあったものの、本作では桐野節を堪能できました。 文豪谷崎の巨大なエゴと渡り合った、複雑さを孕んだミューズ、重子が実に魅力的な作品です。 | ||||
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心理的な駆け引きと言ったらいいのでしょうか。 今、「誰が精神的に支配しているのか」という事を考えるだけで、ゾクゾクしました。 物語の中心人物の1人である重子が、自分の事をさらけだす姿に共感し、でも「実はまだ 何かを隠しているのではないか」という事を想像すると、読む手が止まりませんでした。 最後のパートが、個人的にはたまらない!! 他の読者の方がどんな感想をもったのか、聞いてみたいです。 | ||||
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