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デンジャラス
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デンジャラスの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全24件 1~20 1/2ページ
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題名からは内容をとても想像出来ない物語。文豪、谷崎潤一郎の半生を描くが、どこまで真実かどこまでフィクションか判然としないまま、物語は進む。 女性の情念を細やかに描くのは女流作家ならではだろう。私を小説の中で描いてもらったと、喜ぶ主人公の気持ちは分からなくもない。何も無いまま、死んでいくより、そのことを生きる縁にするのも良いと思う。 名前は知っているが、読んだことのない作家の代表であるが「細雪」や「瘋癲老人の日記」なんかは、読んでみたいなと思った。 しかしながら、多くの時間を過ごした神戸の情景がまったく出てこないのは、どうしたことだろう? 著者自身に馴染みがないし、あまり調べようともしなかった結果だろうけど、残念です。 | ||||
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欲しかった本なので、購入できてよかった。 | ||||
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谷崎潤一郎を、妻や義妹や子供や孫との関係に対して、義妹の目線で描いた興味深い作品。周りに女たちを囲っているのが好きな性分のようにもみえ、谷崎潤一郎の人柄を勝手ながら誤解すること間違いなし。タイトルのデンジャラスの意味は何でしょうね。 | ||||
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小説のモデルになったのが谷崎潤一郎とその家族の話だったので、興味深く読みました。主人公は谷崎の妻の妹の重子で、姉の家族に世話になっている居候のような存在で、最初は男性に庇護される弱い存在と思いきや、最後は以外にもという感じです。桐野さんの作品の主人公の女性はいつも自分の意見をもって、きっぱりと相手に言うところが大好きです。新作の日没の主人公もそうですが、いつもすっきりします。 | ||||
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桐野さんの他作品が面白かったので読んでみました。 女性の心の機微が緻密にえがかれており、そこに居たかのような臨場感を感じられます。 過激な描写はないのに、ページをめくる手が止まらないことが、桐野さんの実力を現していると思います。 私は谷崎文学は一作も読んだことがありませんが、非常に楽しめました。 | ||||
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本書は谷崎潤一郎とその家族をモデルにしたものである。第二次世界大戦の頃から谷崎が亡くなるまでの約20年間をモデルにしたものである。 評者には次の三点で違和感を覚えた。 第一に、本書には谷崎とその家族に対する敬意が感じられない。谷崎に対する悪意さえ感じられる。本書を読んだ結果谷崎作品を読んでみようと思う読者はいないだろう。桐野氏の作風なのかもしれないが、評者は違和感を感じた。 第二に、ネタバレになるので多くを書けないが、ラストが桐野氏の創作した純粋なフィクションであることは間違いない。とすれば、それ以前も、どこまでが桐野氏が取材をした結果判明した事柄を物語にしたもので、どこまでが桐野氏の創作したフィクションなのか分からなくなる。 第三に、谷崎がこの時期に最も力を注いだのは、合計三回も行った「源氏物語」の現代語訳だったはずである。しかし本書には「源氏物語」の「げ」の字も出てこない。 もっとも評者は本書を読んで、谷崎の家族の複雑な人間関係や彼の引越し歴などを知ることができ(まさかこれらが桐野氏のフィクションということはないだろう)、読んだことが無益ということはなかったので、星2個にします。 | ||||
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一気読みできます。 谷崎の三度目の結婚以降の、女たちに囲まれた日常を、妻の妹の視線で描いています。 細雪で三女のモデルになったと言われている女性です。 何だか女性誌に連載されてそうな小説、と思ったら、やっぱりそうでした。 (これと同じ感想を以前のレビューで書いた記憶がある) 読後感は、やれやれ、って感じです。 谷崎の文学世界とは何の関係もありません。 作家の想像世界の中でモデルにされて、どうして誇りに思うのか、私にはさっぱりわからん。 腹が立つのなら、ちょっとわかるけど。 文学史に名前が残る? やれやれ。 私は30代の頃、付き合っていた相手から 「あなたのことは小説に登場させません。そんな失礼なことしません」 と言われたことがあり、そのとき心底びっくりしました。 小説のモデルにするのって、失礼なことなんだ、と驚いたのです。 個人的には、「書きたきゃ勝手に書くがいい、どう描こうと、それはこの私じゃない」 と思っていました。今でもそう思います。 その小説が文学史に残る名作であれ、駄作であれ。 一つだけ気に入ったのは、 デインジャラス、じゃなくて、デンジャラス、としたところ。 「女の実績」という訳の分からない言葉が何度か出てきますが、そういうところがやっぱり、 うん、デインジャラスじゃなくて、デンジャラス、という感じが似合うと思う。 なに言ってんだろう、わたし。 | ||||
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文豪谷崎潤一郎の私生活を書いたもの。楽しめたけど、今まで読んだ桐野夏生さんの作品に比べたら、少し物足りなかったので、 | ||||
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桐野夏生の雰囲気で、文豪、谷崎潤一郎の半生を描く傑作 | ||||
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好きな作家 | ||||
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"女王様とお呼び!"、"私の足の指をお舐め!!"。『細雪』の三女雪子が谷崎潤一郎を折檻する『続・細雪』つーか『真・痴人の愛』つーか瘋癲色呆け老人谷崎潤一郎を雪子のモデルの重子が語った物語。作家と小説の本質を考察する純文学である。谷崎フェミニスト論も展開されるフェミニズムの教科書としてもアリ。女性を保護し家庭に閉じ込めて、職業婦人を馬鹿にする谷崎は似非フェミニストだと思うが、同時代の男逹が知らない、西洋のレディファーストの概念を知って、実践していたのは、DV男よりは、女性に優しくてマシだったというレベル。フェミニズム論はオマケ。メインは小説論である。身近な人物をモデルにして小説を書く作家は危険。小説世界に現実が引き寄せられて危険。が、危険な力を持つからこそ、小説に価値がある。という話です。毒にも薬にもならないありふれた小説を書いてる作家は、桐野の足の指の垢でも嘗めて反省汁! | ||||
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桐野夏生さんの小説はかなり読んでいるつもりです。初期の「顔にふりかかる雨」から「OUT」・「柔らかな頬」・「グロテスク」あたりまでで、一度その文体がいやになりました。吐き捨てるような妙な断定的な硬質さと、人間を描くのに少々「スタンダールもどき」とも言えるような少々嫌味な深刻さを感じたのです。すなわち、エンターテインメントなのに妙に文学性を目指しているような・・・・・(高村薫氏の「ドストエフスキーもどき」ほどではありませんが。)そんなわけで、しばらく読むのが嫌になりました。 昨年、久し振りに「夜の谷を行く」を読んでみたところ、少なくとも文体には妙な癖が感じられなくなりました。これは著者が平易に文章を書こうという気負いが無くなったせいかとも思われました。本作も文章的には誠に読み易い。しかし、「夜の谷~」でも感じたことですが、氏の中にはどうしても推理作家として読者にある意味の「サービス」をしたくなるのでしょうか?どこかで、ヤマを作りたくなるのでしょう。ある意味でどんでん返しと言ってもよいような・・・・・(「夜の谷~」では最後に主人公とかって生んだ息子との対面というかたちで、それが露骨でした。) 本作では谷崎潤一郎の代表作のモデルとなった松子夫人と妹の重子、そして嫁といってよい千萬子との人間模様を作者なりの見事な会話を中心とした人間描写で小説を作り上げています。しかし、婦人公論という雑誌連載で合ったせいか、場面も心理描写も繰り返しが多く、どうにも退屈です。そして最後には再びヤマを作っての、ある意味でのどんてん返しのような読後感を持ったのは自分だけでしょうか? 「デンジャラス」という題名は成程と思います。渡辺千萬子さんとその息女たをりさんからも話を伺ったようですから、千萬子さんの視点からもう一作書いて欲しいと思うのは自分だけでしょうか? | ||||
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横文字のタイトルですが中身は和風。というかこれ実在の人物をモデルにした小説だったんですね。恥ずかしながら谷崎潤一郎という人物をよく知らなかったので、読了後に人様のレビューを見て初めて本作がフィクション小説ではないということに気付きました。基本的にノンフィクション物に食指が動かない人間なのでそのことを知っていたら本作は手に取ってなかったと思います。そういう意味では気付いたのが読了後でよかった。これすごく面白かったので。 主な語り部は谷崎潤一郎ではなく、その妻の妹です。谷崎潤一郎についての知識は皆無でしたがそれでも一人の小説家に振り回される家庭の生々しさには惹き込まれました。実際に物語の中で起こったことはたいしたことではなく、昼ドラ的というか、もっと言えば2ちゃんの家庭板あたりでよく見かけるようなありふれたドロドロ話です。初めての作家さんですがこんな珍しくもない出来事をここまで面白く書けるのはすごいなと思いました。特に感情の機微が素晴らしく、生の人間をそこに感じる文章を書かれます。 戦時中の話ですが登場人物の感情の流れを軸にして物語が展開するためあまり小難しい感じはなく、スルスルと最後まで読めました。文章力や構成力は非常に高く、谷崎潤一郎に興味がない読者も最後まで引っ張っていくストーリーの牽引力には舌を巻きます。読了後、なにがデンジャラスだったんだろう?と思いましたがこの小説の登場人物が全員実在しているという点がデンジャラスだったのかも。もう明け透けも明け透けですからね。 総合して☆3.5。他の小説も読んでみたい、作家買いしたいと久々に思わせられたアタリ作家さんでした。 | ||||
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偉大なる文豪、谷崎潤一郎を生涯にわたって支え、インスパイアーした松子夫人の妹重子とその義理の嫁渡辺千萬子を軸に、その芸術と人生の内幕を鋭くえぐる。 谷崎の創作の女神は周知のごとく「蘆刈」「春琴抄」の頃は松子だったが、「細雪」「鍵」は重子、「瘋癲老人日記」からは若くて生意気な千萬子に変わっていった。伊吹和子によれば最晩年の作家は、千萬子をモデルにした「天児閼伽子の小説」を書こうと最後の創作の焔を燃やしていたが、潤一郎の視野にはもはや松子・重子の老残の姿など欠片すらなかった。はずであった。 ところが本書によれば、死んだはずの重子さんが文豪に最後の逆襲をかけ、本家に縁もゆかりもない異邦人の千萬子を輝けるミューズの王座から引きずり下ろし、作家を奴隷のように跪かせるのである。 「あなた様こそが、私の創作の源流でした。あなた様がいらしたからこそ、松子が輝き、私たち夫婦が仲睦まじくしていられたのです。あなた様ほど大事な方はおりません。あなた様ほど複雑で素晴らしい女人はおられません」 土下座して告白する谷崎の左肩の上に、重子は足袋を穿いた右足を置いて足先に力を籠め、本命の女神は「なら、千萬子はどないするんや」と脅迫して「千萬子はもう二度と会わないようにします。どうぞ私を信じて、お許しください」と言わせるのであるが、これって本当に本当だろうか? フィクションであるとはいえ、当の渡辺千萬子本人の協力を得て書き上げた小説だけに、とても気になる本書でもっともデンジャラスな個所である。 | ||||
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今作は「細雪」のモデルになっている姉妹のうちの2人が登場し、その妹の方が語り手となっています。 私が読んだ谷崎潤一郎作品は「痴人の愛」のみで「細雪」は読んでませんが、それで特に不自由することもなく楽しめました。 家族の中に体の関係じゃない「男女」の絡みがいくつもあって、 日々駆け引きをしながらも家族として暮らしている・・・なんてスリリングなシチュエーション!! どこまでが真実なんだろう・・・それを考えるだけでもゾクゾクしますね。 これは語り手を別の人にして、違う視点から書いたらまったく違ったものになったはず。 千萬子の視点で描いたものが読んでみたいですw 結局、勝者は誰? そして、この危うい家族の軸となり、静かにコントロールしてきたのは誰? すべては最後のホテルでの二人の会話で見せた重子の押しの強さと、女の業が物語っている気がします。 それにしても、巻末の主要参考文献の一覧を見ると、潤一郎と千萬子の往復書簡は本になってるんですね。 すごいww 読んでみようかなぁw | ||||
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谷崎潤一郎の「細雪」がとてつもなく面白い小説である、ということに60歳を過ぎての初読で知った。芦屋市谷崎潤一郎記念館の元館長のT・Kさんに繰り返し薦められていたのに、文庫本で3.8㎝の厚さ(中公文庫)に腰が引けていた。映画も原作に誘う魅力はなかった。ただ、もっと若いころ読んでいたら退屈して、その後二度と手に取ることはなかったかも知れない。 「細雪」に一層の「芸術的感興」を覚えたのは、NHKやスターチャンネルで放送され、欠かさず観ていた英国TVドラマ「ダウントン・アビー」に通じるものがあったからかもしれない。片や戦争の影が濃くなっていく1936年から41年にかけての大阪・船場の旧家4姉妹の物語、片や第一次世界大戦前から大戦後にかけての英国貴族3姉妹の物語。時代とともに黄昏れていく一家とその使用人たちのドラマが、いずれもくっきりとした人物像と日常生活の精緻な描写で鮮やかに描かれている。「ダウントン・アビー」が映像の美しさと会話のやりとりの面白さで堪能させるとしたら、「細雪」は読点で一体どこまでつなぐのかと時に思うほど息の長い文章、話括弧と地の文の絶妙な組み合わせで、日本語を読む快感を味わわせてくれる(「ダウントン・アビー」の方が登場人物は多彩で群像劇色は強い). 「デンジャラス」はその「細雪」の主要人物、三女雪子のモデルとされる重子の視点で、谷崎潤一郎と周辺の女性たちのデンジャラスな関係が語られる。実在の人物を実名で書いた小説なので、どこまでが真実で、どこからが作家の想像かわからないところもデンジャラス?重子は谷﨑の三人目の妻松子の妹で、夫の死後谷崎夫婦と同居。これに松子の連れ子の嫁千萬子がからみ、嫉妬、自尊、疑惑、愛情、さまざまな感情が入り組みながら、小説のためなら周囲を傷つけることも平気なジコチュー&筆一本で大勢を養う王国の主人谷崎があぶりだされる。 谷崎は松子に霊感を得て「盲目物語」「春琴抄」を書き、松子、重子らの姉妹は「細雪」、千萬子は「瘋癲老人日記」のモデルになったとされ、「私ども姉妹が、兄さんの芸術的感興を刺激しているのだと言っても、過言ではありますまい」と重子は語る。アルコール依存症で朝から盗み酒をする重子は、冷えた白葡萄酒を飲みながら、亡くなった谷崎と会話を交わし、谷崎のこんな言葉を書き留める。 「夢と現(うつつ)のあわいを行ったり来たり。あなたほど、僕の書く小説の中に生きたひとはいませんね」 えっというクライマックスシーンも用意され、谷崎が目指した境地「虚実ないまぜになった妖しさ」も味わえる。 雑誌連載のせいか、章が変わって同じ表現が繰り返し出てくるところが、少し残念かな。 | ||||
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過去にも作品で作家を描いている作者が、今回は日本文学を代表する作家である谷崎潤一郎が主人公。作品を読んだことはなくても、ネームバリューは一番ではないかと思います。個人的には耽美派という印象が強烈にありますが、その谷崎潤一郎の家族や取り囲む女性たちを桐野夏生氏が描くのは何となくピッタリではないかと思います。 物語は、谷崎潤一郎の小説の登場人物のモデルとなっている重子の苦悩や葛藤が中心です。亡夫への思わぬ感情、松姉への想い、若い千萬子への敵愾心等が赤裸々に描かれています。ただ根底にあるのは、作家・谷崎潤一郎の作品のモデルという矜持と、良い作品を生み出して欲しいという信念だと思いました。 | ||||
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谷崎の小説を最近になって読み返し、特に「細雪」を再評価していましたから、桐野夏生さんがこのような純文学の裏話をサスペンスタッチで描いていたことにびっくりしました。「細雪」は、「春琴抄」や「鍵」などのようなショッキングな場面が少なく、冗長で優雅で、あの戦争中に、何の苦労もなさそうな別世界の金持ちの話なので、若いときには読んでもピンとこないし、鼻につきました。改めて読み返すと、末っ子のやんちゃぶりが面白く、魅力的なはずの主人公の雪子さんが何だか煮え切らない、本当に美人なんだかわからないような地味なイメージで、姪の世話の時だけしゃきっとしていて、だらだらとお見合いを繰り返し、せっかく結婚しそうな最後は無粋にも「下痢」が止まらないという。その話も、この「デンジャラス」にあるモデル像を読んでみると深い理解ができました。とにかく、桐野さんは最初からの展開がうまいですね~。どうしたって途中でやめられないように引っぱって行かれて、結局、夜中の3時間読み終えるまで本を置くことができませんでした。千萬子さんは、不快で魅力的。雪子のモデルの重子さんは、あわれアルコール中毒症。史実も興味深いですが、筆力に感動しました。 | ||||
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同時代でなはい文豪と、彼を取り巻く女性たちについて、さまざまな人が書いていて、ある程度の情報を読者が知っているうえで、このような内容を書いても、新鮮味はないし、小説として思い切った観点で書くにはリスクが高すぎる。なぜ谷崎潤一郎と明確にして書いたのか疑問が残る。先に口述筆記を実際にしていた中央公論の編集者の「われよりほかに」を読んだだけに、その臨場感と事実に基づいていながら、充分、浮世離れした面白さを味わっただけに、小説はそれに負けた感あり。 | ||||
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前作の「夜の谷を行く」で 桐野さんのどうしようもない同世代の男に対する憎しみが 昇華してしまったのか・・・と思っていたら 発酵してまた違う毒になっていたような 君臨する男。谷崎潤一郎 寵愛される女たち。細雪のモデルとなった姉妹たち 最後の最後で本当に君臨しているのは誰なのか 本当は寵愛される女こそが谷崎を支配しているのだと納得できました 桐野さん、素敵な毒をありがとうございます! | ||||
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