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告白
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告白の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全176件 1~20 1/9ページ
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最初の1/3くらいまではじっくり読みましたが、あまり引き込まれる内容ではなく、ストーリー展開も焦れったくて、途中から読み飛ばし、かいつまんで読み続け、一応、頑張って最後まで読み切りましたが…、結果、「目が疲れただけ」という感想です。 | ||||
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大作楽しませていただいた。本作は河内音頭「河内十人斬り」を題材としている。そもそも河内音頭に河内十人斬りという定番があり、実際に起きた殺人事件をモチーフものであることを初めて知った。 ネタバレにならぬよう読む前にgoogleやウィキペディアなどで実際の事件について調べない方が良いかもしれない。主人公熊太郎は一体誰を殺すのか?なんで殺すのか?本作品は800頁以上の大作だが興味津々で読み進めるとアッと言う間に読み切ってしまう。 読後に、ああ本当に良い芝居を観たという感じになる。そして主人公熊太郎が数日間頭に残る。これぞエンターテイメント。さすが町田康!!! | ||||
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850ページもの大長編でした。 読み応えがある文章でした! | ||||
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230ページまで読み進めても全く面白くならなかったので読むのを辞めました。 大きなストレスは以下の2つです。 感情移入ができない主人公 ダラダラ長い自己満足の文章 高評価の方を否定するわけではありませんが、かなり人を選ぶ本であることを理解した上での購入をおすすめします。 全て読んでもいないのにレビューするのはどうかとも思いましたが、230ページまで読んでも本の世界に引き込まれないような本をこれ以上読む気にはなりませんでした。 | ||||
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INUの町田町蔵、ライトサイダーBの町田町蔵、弾丸ロックの町田康の文章、国語の教科書に載っていたのを読んだことがあったが、これは中公新人社員の帯を書店で見てジャケ買いです、これは素晴らしい!2回目に突入、死ぬまで読みつつけるかも? | ||||
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文章が読みやすく、面白い展開です。 | ||||
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町田作品の中でもダントツに気に入ってます。面白くて吹き出しながら笑いをこらえながら読みました。オススメです。 | ||||
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高レビューだったのと殺人犯の心理には興味があったので楽しみに読み始めましたが、本の中程まで読んでも話に(キャラに)全く引き込まれませんでした。細かい思考の描写も時にはしつこかったり、グロテスクだったりで次に進むまでに疲れてしまう。主人公がそんなに変わっている存在とも思えないままに大人になったあたりで、自分には珍しく途中で読むのをやめました。 主人公の誠意や忠実さが空回りして誤解され、社会から疎まれてしまう様を描いた作品はいくつかあり(サリンジャーのライ麦畑で捕まえて。やカミュの異邦人など)私にはこの作品はそこまでのインパクトも主人公に対する共感も生まれませんでした。感情やその結果の行動やなぜそうなったか読者に託し行間を読ませるのではなく、事細かに映像のように描写してしまう為、読者の想像力の域が限られるように感じました。私には合わなかった。 | ||||
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主人公熊太郎の思弁を通し、ここまで人の心理のひだに分け入って掘り下げて、追いかけて捕まえて逃がすまいともがいてもがいて、周到に執拗に緻密に純粋に、言葉にならない人の心の深層を言葉で表現しようと悪戦苦闘する執念と情熱は、ドストエフスキーに通じるものがあるな~と思い当たりました。 これはまさしく心理小説の金字塔だと思います。言葉の力に圧倒されます!コテコテの河内弁で表現した作者の才能にも圧倒されます!ぶっ飛んでいても、端正でなくても、文学ってこういうことなんだな~と、強烈なパンチを食らいました。 「人はなぜ人を殺すのか」 河内十人斬りを描いていますが、十人斬りよりも最後の殺人が問いかけてくるものに、本当の「人はなぜ人を殺すのか」の深層があるように感じました。斬った十人と違って、最後に殺した1人との間には、世の中の理不尽や熊太郎の劣等感、強烈な自意識が大きく介在していたとは思えません。それでも殺してしまうほどの孤独や絶望がなぜ生まれてしまったのか?本当の伝わらない辛さ、分かり合えない悲しみが、この最後の殺人で示されているのだとしたら辛すぎる。人の心とは、言葉とは、コミュニケーションとは何なのか?熊太郎の最後の告白の主語は何だったのか?ずっと気になって知りたくて何度も読み返すことになるんだと思います。そこを見込んで、重苦しい内容でも爆笑あり涙あり、義理人情の浪花節も炸裂するエンターテイメントに仕上げてくれたのかな。 登場人物では弥五郎が好き。胸をかきむしられるほど哀切で美しい妹との別れのシーンは、重いテーマの傍らで作者がプレゼントしてくれた大切な宝物。そして弥五郎の簡潔でダイレクトで全く思弁的でない言葉が、逆に言葉以上の情緒を伝え心を映す鏡となっているという言葉の可能性を描き、熊太郎にとっては理性や感性を忠実に伝えるには不正確で不十分だった言葉の限界・呪縛と対比させることで、深遠なテーマに対し双方向から迫る作者の知性を感じました。真理や本質を言語化するために、言葉を信じ疑いながら言葉にこだわり言葉と格闘することは、熊太郎にとっても作者にとっても、大げさに言えば言葉を獲得した人類にとっても永遠の宿命なのかもしれない、と考えさせられるほど深い読書でありました。 極道の人殺しの話でありながら、その心の在り方には彼らを極道と呼ぶ者達よりも汚れのない何かがあり、哀しい人間賛歌のようになっていることにも感情を揺さぶられます。分量の多さは中身の濃さ。読書好きを夢中にさせること間違いなし。 テーマ、文体、感性、世界観など、何を挙げても稀有な読書体験であり、文学への認識そのものを新鮮にしてくれた一冊であったことに最大級の賛辞を捧げたいです。そして翻訳しても絶対に伝わらないであろう日本語の面白さ、奥深さ、豊かさ、美しさ、音楽性、抒情性、独創性を、日本人であるがゆえに堪能できた自分は本当にラッキーだと思えた一冊でもありました。町田康、素晴らしい‼!! まぎれもない傑作だと思います。 | ||||
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途中までは熊太郎というクズに共感し、社会からつまみ出されたものへの同情の念が少なからずあった。しかし熊太郎があの事件を起こしてからは、自分の中で彼がただの犯罪者に成り下がってしまったのが悲しかった。 | ||||
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こんな作品、町田康さんにしか書けないと思います。独特な文体とリズムで。さすがパンクロッカー。合う合わないはあるかと思いますが。 この作品が下敷にしている司馬遼太郎の『俄』を読んでいると、より愉しめます。 | ||||
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若い編集者が大絶賛するので初めて町田康の本を読みました。帯の宣伝の「平成を代表する一冊」とか、中央公論新社新入社員の「人生の一冊になることをお約束します」とか、(時代を経た或いは時代を経るであろう古典や傑作を読んだことがある身としては)ちゃんちゃら可笑しくて、文中の言葉を借りれば、銭、銭、銭の宣伝文句に感じました。 本をあまり読まない新入社員(若い人)が読書のとっかかりの一つとして読むのは有りかも知れませんが、私なら決して薦めません。可能性は秘めていたものの古典・傑作の系譜にその未熟さ故に連なり損ねた佳作以下の超長編小説ではないでしょうか。 本書から著者が意識的・無意識的に影響を受けていると感じた本物の傑作を以下に記します。 ・「罪と罰」「悪霊」(ドストエフスキー) ・「居酒屋」「ナナ」(エミール・ゾラ) ・「ねじまき鳥クロニクル」(村上春樹) ・「赤目四十八瀧心中未遂」(車谷長吉) | ||||
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短編なら『くっすん大黒』『けものがれ、俺らの猿と』、長編なら本書の後に発表された『宿屋めぐり』『ギケイキ』といった傑作もあれど、町田康の最高傑作は何かと問われれば、2005年発表の本書をあげる方が多いのではないでしょうか。 1893年(明治26年)に大阪府の金剛山麓の村で実際に起こった殺人事件をベースに、そこに至らざるを得なかった犯人城戸熊太郎の思考の流れを少年時代から描き出す、渾身の作だと言えます。 単行本で676ページと読み応えある作品ですが、最初から最後までだれることなく力業で書ききった感があります(町田康の長編作品には「同じことの繰り返しじゃないか」と読むのが嫌になるもの、たとえば『ホサナ』のような作品がないでもないのですが、本書はラストに向けてくんくんに読ませる力を感じさせます)。 10歳の餓鬼の頃「俺はなぜこんなに思弁的なのだ」の気づくものの、田舎の百姓の子供ばかりの中でその思弁を共有する友達などいるはずもなく、このことが熊太郎の根本の不幸であった。 極度に思弁的であるものの、それを言葉で表すことができないがため、熊太郎が思っていることは村の人には絶対に伝わらず、よって、村人から見れば、あほでもできることができない大たわけものとみられてしまう。 村人の心無い言葉に熊太郎は絶望した。 熊太郎はふるふるし、「空からにゅうめんが」「空からにゅうめんが」とおめく。 現実に起こった殺人事件をモデルにしているので、当然後半は「人間停止っ」と怒鳴りながら熊太郎を追い込んだ村人を殺害することになるのですが、不謹慎ながら、ここに至って少なからずの村人が感じたカタルシスを読者も感じることでしょう。 | ||||
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主人公の熊太郎は、思考をうまく言語化することができないという。 しかしほんらい、思考と言語とは不可分であろう。 熊太郎の思考内容は、地の文で独白的に、雄弁に、詳細に記されている。 思考内容を言葉として表出できないとすれば、運動性失語や吃音のごとき障害が存する可能性もある。 だが会話文を読むかぎり、そういうことではないらしい。 とすれば、熊太郎は言語に頼らず思考しているのか?そしてその思考を、著者が代弁しているのか? ・・・これはやはりおかしい。「言語なしの思考」を前提に置く時点で、破綻している。 文章が魅力的であるだけに、こうした不自然さが余計に残念である。 | ||||
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私には全く合わず。 クライマックス場面だけでもと思ったがそれすら耐えきれず。 | ||||
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大量殺人事件。その犯人に同調できるはずがない。と思っていたのに、読み進めるに従って、これは…それはそうやろな…と思う。 子ども時分からの些細なことの積み重なりがその人を作る。ひとつひとつは、実にあるあるである。本人の生来の性質、周りの環境も時代もひっくるめて、こうして運命は動き出す。そのことがよくわかる。 町田康のバンド「汝、我が民に非ズ」の「土の記」も併せて必聴。「告白」の世界が詞と音楽の中に霧のように立ち上る。ので結構驚いた。 | ||||
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長い。この男は思考そのものが冗長。ただその葛藤がこの男の人間臭くて憎めないところで、一方の最期の告白はあまりにも潔く簡潔で、どこまでも人間臭い男だった。地獄の苦しみを味わい抜く、辛苦の味の書。 | ||||
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関西人でないと読みにくいかも。 関西人であればリズミカルなテンポが心地よいかも。 思弁の語りがいい。教義的なことは一切なくて、迷い続ける人間の心理を共感できるように丁寧に丁寧に綴っているのが印象に残った。読みごたえはありまっせ。 | ||||
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単行本p668からの熊太郎の告白が秀逸。乖離症的な主人公の魂の遍歴が集約されている。面白かった。 | ||||
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明治時代に起きた事件を基に登場人物像やストーリーは著者の創造になる部分があるのだろうが、自分がそこに紛れ込んで立ち会わせてる錯覚にとらわれる現実感親近感にひかれ映画を見ているように読了して思ったのは、人の為す善悪のこと。世間という虚構にとらえられ引きずられてひたすら見てくれに生きることへの反逆は痛快。悪しき手段をもってしかその時実現できなかった善はいかに、D.ボンヘファーがヒットラーを暗殺しようとしたように。弥五郎がいとおしい。 | ||||
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