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告白
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告白の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.48pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全176件 61~80 4/9ページ
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河内弁の饒舌な訥弁が行替えもなく延々と続く思索小説です。引き返し可能な分岐点を何度も通り過ぎて、破滅への道に至るまでに800頁。 同じような構成の小説として花村萬月の「鬱」を読んだ記憶がありますが、「告白」の方が上でした。 ずるずるっと続けて書かれているから、視点の変換に気づきにくいのですが、独白中に「あかんではないか」という評論が入ったりして、独特の文体となっています。慣れてきたら抵抗なく主人公と同化でき、そうなってしまうと、なぜ人を殺すのかがわかるような気がしました。 無駄に長いようで、長さに必然性があった作品でした。 | ||||
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回りくどい町田節を延々800ページで、とにかく疲れたが、町田節は嫌いじゃない。 町人や友人との(アホな)小気味よい会話と独特の方言は、軽快で楽しい。 押しかけた田島家の番頭とのやりとり、正味の節っちゃん、河童の清やんとの対峙から盛り上がり、 そこから破滅的なクライマックスまで怒涛の展開が、重いながらも面白かった。 ただ。。。幼少期に出てきて、大人になってからも熊太郎を苦しめる、 あるエピソードが邪魔でしかない。 町田康の創作なんだが、意味がわからない。 終始熊太郎に大きな影響を与えるわりに、 結局何だったのあれ? ってのが無ければかなり良かったのに。 | ||||
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無為という感じがした。 面白い小説だったが、読んでいる間、「これは純粋に面白いだけの小説かもしれない」と思っていた。 事実、最後に熊太郎が辿り着いたのは、言語を絶した荒野であった。 何もなかったのだ。 あかんかった。 あかんではないか。 | ||||
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圧巻の676ページ(単行本バージョンです。以下、ネタバレあり)この分厚い本に巻いてある帯の文句はずばり、「人はなぜ人を殺すのか」。本城熊太郎という百姓の倅が、この世に生を受けてから、殺人者として山中で自害するまでの36年の一生を描いている。舞台は河内の寒村とその周辺の町や村、登場人物に英雄的存在は一人もいない。主人公の本城熊太郎からして、じつに軽薄で情けない男だ。でも、バカではない。バカでないどころか、かなり頭はよい。なによりも彼には自分を客観視できる能力があった。つまり「自分はどう思われているのか」という自意識がむちゃくちゃ強い人なんである。彼の周囲にはそういう思弁的な人間はおらず、皆、思ったままを口にして悩みのない人たちだった。熊太郎はなにかにつけ、なぜ自分はこうなんだとか、なぜあいつらはああなんだとか、いちいち思い悩む。幕末から明治という時代には似つかわしくないほど都会的、現代的感覚を持った若者だ。たとえば熊太郎は、汗水たらして働く幼馴染たちを見て、自分はなぜあんなふうにできないのだろう、と一瞬思うが、一方で「脇目もふらず真面目にやることが果たして真面目なのか」などと真剣に考えてしまうような男であった。「脇目もふらず、すなわち周囲に対していっさいの顧慮をしないで真面目にやるというのは一種のエゴイズムではないか」と考えて、もう、体が動かなくなってしまう、そんな奴だった。なんだか、「なぜ、みんな卒業したら疑問も抱かず、就職してしまうのだろう。働く意味とは?」といって立ちすくんでしまう若者たちと重ならなくもない。 そんな熊太郎が、とある事件に巻き込まれ、殺人を犯してしまう。この殺人、熊太郎から言わせれば正当防衛なんだけれども、客観的に見れば、彼が自分をよく見せたい、有利な立場に立ちたい、と思ってやってきた小細工の集大成でもある。その殺人がいつか人にばれるのではないか、という恐怖から、真面目に生きる意欲を失った熊太郎は、手におえない極道になり果てる。それでもときどきは悔い改めて、やりなおそう、という気になったりするのだが、ここぞというときにおだてに乗ったり、調子に乗ったりしてしまって、元の木阿弥に。顔も悪くはなく、頭も悪くなく、喧嘩もどちらかといえば強く、根っからの悪人ではないにもかかわらず、読み進むごとに熊太郎は不幸になっていく。その根源にあるのは、彼の「日常に対する耐性のなさ」だ。熊太郎は、なにかちょっといいこと――たとえば喧嘩に勝つとか、博打で儲かとか、美しい女にモテるとか――があったとき、「これですべてうまく」みたいな錯覚をする。そして、「いままでのウジウジした俺」とおさらばできると思ってしまう。それが彼の致命的な弱さだ。死ぬまで断ち切ることのできない、そして死んでも自分なしで続いていく日常に向き合うことが彼にはついぞなかった。何か決定的な瞬間があり、そこで自分は決定的な精神的体験をし、それを説明する決定的な言葉が降りてくるはずだ、と熊太郎は信じている。空っぽな自分を埋めるための「なにか」を待っている。しかしその「なにか」はいつまでたっても来ない。熊太郎の最期の言葉は、「あかんかった」である。この壮大な虚しさ……。でも、この一言を読むための600余ページだったのだな、と腑に落ちる。 じつは熊太郎にも、一度だけ「なにか」が来た決定的瞬間があるにはあった。それは、抑えきれない殺意を抱いたときだ。彼は物語の最期にもう一度、今度は「確信を持って」殺人を犯す。自分を陥れた人間たちを殺す、と決めた瞬間、彼の全細胞が殺意の磁気を帯びたようになる。しかし、大量殺人を犯して、もうどうしようもないところまでいっても、やはり日常はだらだらと続くのだった。やっぱり決定的な「なにか」は来ないのだ。自らの死を覚悟したときに口をついて出た自分の言葉のあまりの虚しさ、実のなさに熊太郎は愕然とする。この期に及んで、まだ自分は真実を言葉にすることができない……。熊五郎はついに絶望する。で、「あかんかった」となるのである。これは人間の不条理の物語だ。いい人と思われたい。本当にいい人になりたい、一目おかれたい、本当にその価値のある人間いなりたい……そう思ってとる行動によって自分が自分を疎外していく。熊太郎が、自分の小ささやつまらなさに、さっさと折り合いをつけてしまえるような人間だったら、こんな苦悩もなかっただろうに。それができない「文学青年」だったところが彼の不幸の始まりだった。全編コテコテの河内弁で、笑いどころ満載なんだけれど、やっぱりどこか切ない町田文学である。 | ||||
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近年読んだ中で最高級の物語でした。 この人の短編・中編がパンクだとしたら、これはドスンと来るようなバロック系のへヴィロックでしょうか。 最後まで全く飽きることのないダークなグルーヴ、、チャイルドインタイムな一冊でした。 | ||||
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このボリュームにしては読むのがそれほど大変ではない。 主人公が思ったことは誰でも感じていることかも知れない。(ぼくは本当はそんな人間じゃないんだ)と言う事を。 ラストシーンの疾走感は良かった。映画の様だ。 思い出に残る一冊。 町田康特有の表現が興ざめする。 元の事件を題材にして他の作家が書いていたら読んでみたい。 果てしなく冷たくシリアスに書いたものを。 | ||||
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やばい、 たぶん人生で1番かもしれない。 なんとも言えない気持ち。 哀しい、苦しい、痛い、優しい、強い、弱い、ばか、正直、、、もう、、心が痛かった。 でも常にそうではなく、、 だんだん、確実に、、そういう気持ちを混ぜて、渦になって、、、濃くなっていく、、 しかし、完璧に混ざることはなく、、、。 言葉にはできない。 でも、この本の分厚く、重いことが、全く苦ではなく、本当に面白い本であった。 わたしは電車の中で泣いた。 ねたばれはしたくないから、言えない。 でも、、、このぐぅーーーーっと心の底まで響いてくる本は相当ないだろう。というか、なかった。 でも、なんかこの、主人公が愛おしく、読んだ後に引きずる感じあったかなぁて思い返したら、、るろ剣。 昔るろ剣を読んで、剣心が、動けなくなって、そして戦いに復活する(だったよね?)あの、、、感じに似てたかもしれない。 あれは私が中学生とかで全然若い時だけど、、。あとから思えば確かに明治初期。 なんとなく一致してる。 本当に、、、はぁ、、。 本でこんなに衝撃を受けるもんなのだ。。。 | ||||
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今までこんな分厚い文庫本があったでしょうか? タイトルと内容が合ってないな〜と思いながら、 全部読みました。 | ||||
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テーマは作者自身も話している通り「人が人を殺す理由」について。本当の理由なんてものはない、というのがいわばオチなのですが、世の中で求められる「本当の〜」というところに対しての疑問符が常々あるので、作者の文体も展開の仕方も含めて非常に楽しめました。 熊太郎の心理描写が物語の中心にずっとあるのだけど、これだけ様々なことが述べられていても、最後に大立ち回りする本当の理由を彼は見出すことができなかった。 でも、読んでいる人からすると、いやいやこれだけ理由に足ることがあるじゃないかとか、こんな環境で育てばそう思うのも仕方ないとか、勝手に物語を作ってしまうことだろう。 これって昔も今もよくある話で、マスコミにしてもそれぞれにしても素人探偵となってああだこうだと犯人像とかその動機というところを詮索してみるのだけど、実は当人たちにはその瞬間の感情はあっても、別に殺しそのものの動機っていう動機はないことも多いんだろうなと思う。後から思い返せば、確かに殺したいほどの理由でもないなと思うこともあるだろう。 だから周りは怖いと思うし、それを少しでも和らげるためにも論理的な理由を求めたいだけなじゃないかという気がする。 がっつり800P以上も語っておいて、結局何もなかったってなんだよ!と思う人もいると思うけど、それは受け取る側の勝手な願いなだけで、きっと世の中の大半はそんなものだと思う。 不安や恐怖の本質は自分の意思だけではどうしようもないところにあるもので、他人なんてなその最たるものの一つだしね。 | ||||
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昭和生まれの私なので、大好きだったおばあちゃんは、明治生まれでした。 この小説の時代背景は、明治ですね。 明治時代が身近に感じられる世代です。 若い方は、明治? でしょうね。 今、明治の人が生きていたら凄いことですものね。 実話 大阪河内が舞台の何とも陰惨な後味の悪いお話でした。 実話!ですからね。 確かかなり前に 河内音頭 流行りましたよね。 河内家菊水丸さん。 全然聴いていなかったから、10代位だったかな? その内容がこの話ですか。 町田康さんも、文献に載せていましたね。 どんな時代も殺人はあると思います。 人は、何故人を殺すのか? 知りません。 思ったことないから。 だから、知りたいと思いました。 世の中がこんなに、殺伐としていますからね。 熊太郎が主人公。 あほ。あほ!なんで、そこで、そんな事するわけ? そんなに考えてどうするわけ? 嗚呼あほ! あほ! と、又吉さんは、笑ったと帯に書いてらしたけれど、笑えない。 イライラしてしまいました。 そんなんごちゃごちゃ考えるんやったら博打すな! そこで、情けかけるな! 自分でやったことが運が悪いところもあるとしても、落とし前の付け方が、方向が、全くおかしい。 ただ、そのおばかさんを、利用する、更に屑の様な人々がえげつない… 悲しくなりました。 救いの無い。 唯一、熊太郎を、兄ぃと慕う弟分も、不幸な生い立ちで、頭は切れるけれど、ただのいらち。短気。 短絡的。ムカつくから殺す。分かりやす過ぎ。 違うでしょう。逆に考えなさい…。 最後の惨殺。 最後の逃亡。 最期の、あかんかった。 って…。 只のエゴイストの一生を、よくも、これだけ長く書けた事自体、 ある意味、狂気を感じました。 | ||||
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町田康作品は、「きれぎれ」やその他数冊読了していた。 それらはおもろいと思って読んでいたが、特別ではなかった。 ので、「告白」はスルーしてた。 しかし読めば特別だった。 | ||||
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誰が何と言おうと、町田康最高傑作である。 ばばばばばばばばば、以上 | ||||
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レビューが良いので期待して読んだ。 面白くない。面白くない。面白くない。ダラダラ何書いているのかと思った。 エピソードも熊太郎の思考も陳腐で非常につまらない。 なんとか大量殺人のところまで読もうと思ったが、時間の無駄だと考え直し読み切れなかった。 | ||||
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書き出しも面白い、毎回毎回起こる事件のエピソードも面白い、解説は石牟禮道子、ピースの又吉も絶賛している。だがなんか物足りない。 町田さんは主人公が身を持ち崩すのは自分の考えている思念と言葉のかい離から起こる現象だと説明しているように見えるが、凶行に及ぶ人や身を持ち崩す人の思考はもっと頑固で即物的でこんなに思念的ではあるかなあ?と疑問が起こる。 著者の説明と最後に向かっての悲劇の出現とがどうもしっくりこない。内面の分析は間違っているなあと思いながらの読書だったので、正直楽しめなかった。 | ||||
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同じ関西出身なのですんなり文章が入ってきて、一気に町田ワールドに引き込まれました。 文章力も凄くて、今までにない魅力の持ち主だと思います。 10人斬りの背景もあながちフィクションではないのかもとまで思いたくなる内容でした。 これからも町田作品読んでいきたいと思います。 | ||||
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長編小説なので読後感が半端ない。これからも頼むぜ。very good | ||||
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この「告白」は熊太郎の告白だけなのだろうか。 昔の事件を題材にしてはいるが、もしかしたら「町田自身」の告白が描かれているのではないだろうか。 いろんな思考がめぐり、皆に伝えたいのに伝わらない。伝えているのに伝わらない。それでも伝えなくてはいられない、叫ばずにはいられない。彼のパンクの衝動のような何かが、この、三島の『仮面の告白』のような傑作を書かせたのかとも思う。 そう言ってみると、三島の『金閣寺』のようなラストに向かっての疾走感や、『憂国』のような刃物と血の生々しい描写も感じられる。 現代版関西の三島に、と期待しつつ、星は一つ預けます。 追伸: 町田自身の「告白」だとすると、最初に殺した顔のでかい「葛木ドール」は〇〇〇か?そして最後に殺した「葛木モヘア(熊次郎)」は自分の言うことをアホ扱いしたすべての人々なのか…妄想だが。 | ||||
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文庫本で850頁。上・下の分冊にもなっておらず、持ち運びで荷物になったが、足掛け4日ほどかけて読み継ぎ、読み終えて、1冊に収めた作者なりのこだわりが分かってきたような気がした。それほどに、破局に向かってなだれ込んでいくような連続感・疾走感がうかがえた。 明治中期、大阪・河内の寒村で起きた極道者2人による「十人斬り」事件を、幾多の記録・資料を踏まえて再現し、やたらと思弁にふける主人公、熊太郎の内面に向かっていく。「河内饒舌体」とでもいうべき、長々しい熊太郎の独白・思弁にはえもいえぬ迫力があり、同時に、地の文での作者自身の作者らしいツッコミなどが顔を出してサービス精神も旺盛。独特の面白さが感じられた。評者が勝手にピックアップした本作のキーワードは、最初のころに2、3回出てくる「あかんではないか」だった。 | ||||
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熊太郎「あかんかった」 うんうん、でしょうね、そうでしょうね、 というだけの話。突き詰めたら(突き詰めなくても)たったそれだけの話。 ものすごく素晴らしいラスト10ページちょいに至るまでが、ものすごく長い長い長い話。 こんなんまともに読むほうが阿呆やわ。この本自体が、熊太郎そのものやん。こんなん相手にするほうがおかしわ。この本読んでなんや分かったよなふりしてレビュー書きこむとか自分阿呆やな。おほほほほほほ。と笑われているような気がするけども何か書き残したくなる傑作。 | ||||
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今し方読了したが、かつてない脱力と衝撃で、この文字を打つ指がうまく動かない。もう詳しくは読んで欲しいとしか言いようが無い。四の五の言わんで良いから、まずはこの八百頁超の大作の、一頁目を開いてみることをお勧めする。 「人は何故人を殺すか」というテーマ、とあるが、果たしてそうであろうか。作者の町田康がそう言っているのなら、そうかもしれないが、しかしこの惨殺事件の根幹は、城戸熊太郎の個人に問題があって、殺人者全ての共通にはなり得ないだろうと思って読んでいた。 それが覆されたのは、ラスト五頁のことである。 様々な人がこの作品を紹介する際、「思弁的な主人公の、他人に自分を告白できないもどかしさ」と言う。主人公である城戸熊太郎は、確かに「思弁的」である。しかし熊太郎は最後、その思弁が、他人の為で無く、自分の為のみに行われたものだと気づく。本当に最後の最後のことである。 つまり、熊太郎の思弁の中で、最後に辿り着いたのは、「自分の為に思弁する自分」即ち個人である。そうした場合、様々な因果を持つとされる数々の殺人者は、皆最後は個人に帰ってくるという図式が自然に成り立つ。 町田康は、読者の知らぬ間に、熊太郎が信じたもの、縋ったもの、全てがドツボの中の曲がった壁となる様子を、八百頁の中に次々と書いていく。そしてそのドツボに蓋をするのは、熊太郎の最後の考察であり、読者はそこまで到達するまで、熊太郎、アホだなぁ、という風にしか読めないように町田康の文章によって緻密に操られ、そして読者は最後の最後に、熊太郎の最後の最後に到達する。 そして熊太郎の「告白」に至る。 その熊太郎の「告白」がどのような結末を迎えたかは、八百頁超の熊太郎の人生を、町田康に操られながら読んだ読者のみ到達できる地点である。是非、一読すべき作品だ。 | ||||
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