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呪われた町
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呪われた町の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全43件 21~40 2/3ページ
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「上」の方は割とヴァンパイアとの戦いよりもそれまでの経緯や構成にページを割いてありましたが、「下」ではラストまで展開が早くドキドキしながら読めました。 町が少しずつ、でも確実に襲われていく恐怖感を味わえました | ||||
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吸血鬼小説の印字等と言ってもいいと思う。面白かった。さすがステイーヴン キング。 | ||||
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読みやすい訳で、すいすい読めました。実際、アメリカの田舎には、このような雰囲気の町があるので ちょっと怖くなりました。 | ||||
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三谷幸喜氏が、朝日新聞のエッセイの中で、一番夢中になって読んだ本として 挙げていたのが、この「呪われた町」だった。 それゆえ、読書開始。 古きアメリカ田舎町、その日常に少しずつ生じる異変、それが事の始まりであった。 読んでいると、B級アメリカ恐怖映画を見ているが如く、映像が浮かぶ。 如何せん、上巻のセイラムズ ロットの町の人々の生活、様子の記載が冗長である。 下巻は、一気に、吸血鬼の首領バーロー対決までドキドキが止まらず読み進んだ。 Stephen King の恐怖の原点をみた気がした。 40年前の作品とは思えぬ恐怖と戦慄がそこにあった。 | ||||
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だけど、なぁーんか俺の感覚に届かないところがあって・・・w匂いとか、しゅうしゅうという音、とかそういうのが・・・もっとうまく処理できんもんかと。感覚を論理に徹して噛み砕いた箇所はクドくても入ってくるんだけど、「ボム!」とか「ズバング!」的な擬音描写はダメですね。 とはいえ、キリストとヴァンパイアのどちらの教化も受けていない我々土民をもそれなりに楽しませてくれる作品ではある。なにが魅力かといえば・・・あれ?なんだろう・・・台詞回しが粋なところかな。 でもほかの小説や映像作品を差し置いて、この作品に時間を割かなきゃダメ!という魅力がどこにどれほどあるのかと問われると・・・wうーんw ファンのマニアックな視点から語らせてもらえば、ユーモラスなんですよね。この作品は特に。あるピンと張り詰めた、あるいは腐臭の漂うような胸の悪くなるような基調低音を崩さずに、首尾よく収まった酩酊状態の感覚にだけ響くようなオカシな描写があって・・・ たとえば町の最底辺の二人組がいて、そいつらが車に乗って話してる場面で、かたっぽのやつがつばを吐くんですけど、開いてると思ってた窓が閉まってて、その窓に垂れた唾をシャツでぬぐうところとか、え?これ彼らに忍び寄る何かの暗示?みたいなw 哲学と神学を突き詰めんとすると二つの真逆の地平のどちらを選択するかを迫られることになるかと思うんですが、キングは自身にもっともふさわしい不毛な荒野を吸血鬼と神父の対決の場面に用意してくれています。ありとあらゆる創作物の対決を扱ったもののなかで、一番好きな、一番腑に落ちる、もっとも頽廃的でセクシーな(ほめすぎかなぁ)シーンです。まったく暴力的ではないが、きわめて血生臭い。 所詮好みの問題なのかもしれませんが、キングの着眼点の鋭さと筆力は他を圧しています。それが細部にまで染み渡っている。キング自身は文筆活動を人工遺物を発掘する作業と語っておりますが・・・いやはや。 | ||||
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キング初期の傑作。オマージュの小野不由美「屍鬼」より長さも手ごろですし、遥かに出来が良いと思うので、 「屍鬼」を既読でつまらなかった人も面白かった人も、是非ご一読を。 私、「屍鬼」はまったく面白くなかったですが、こちらは大好きですね。 プロローグ。アメリカ西部に流れ着いたわけありの放浪者二人。 小説家志望の男性ベンと親族ではない少年マーク。 ベンが地元の神父に語った恐怖の体験とは?ベンが毎日、新聞をチェックしている理由とは? 話はベンの過去へ。彼の住んだ平凡で小さな町が吸血鬼に侵食されていく様と、真実を知ったベン含む住人グループとの死闘が繰り広げられます。 冒頭ではっきりしている様に、主人公たちは町を守るのに失敗、仲間たちも様々な理由で脱落していくのはわかっているのですが、それでも、町の住人の詳細な描写と崩壊劇、主人公たちの苦闘は読ませます!! そして、エピローグ。プロローグ後へ話は変わり、何をベンが新聞で見ていたか?が明かされます。 過去編でも語られていたささいな伏線が最後にまさかこう生きるとは! 彼が狙っていた最後に放つ手段・・・。 少し複雑な変わった構成。匂わせるがはっきりさせないオチ、とキング作品でも、技巧に富み印象深いです。 続編を書く構想はあったそうで、つなぎに短編が書かれているのですが、その後の進展はなし。 主人公サイドの一人が「ダークタワー」に登場したり、「シャイニング」の続編も出た事なので、 これの続編も読んでみたいものです。 | ||||
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大好きな屍鬼の元となった作品ということで読みました。上巻は町の背景や日常生活を徹底的に書き込み、舞台が現代であることを実感できているところで静かに恐怖が侵入する。故に後半の日常生活が崩壊していく様は迫力満点、さすがはモダンホラーの巨匠、スティーヴン・キング!この人の作家になる前の生活を頭に入れながら小説を読むとなんだか元気が出る。 | ||||
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近年のキングのいささか冗長とも思えるヴォリュームの作品に比べ、ありふれたアメリカの田舎町が凄惨な恐怖の虜となる様を畳み掛けるが如きスピーディーな展開で描き、匂いたつような細部の徹底的なリアリティにただただ圧倒される。 古色蒼然たる吸血鬼伝説を最新式にアップデイトした最初期(長編第二作)の傑作。恐怖王の真髄ここにあり。 | ||||
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原著刊行から36年も経つのに些かもふるびていない現代の吸血鬼小説。私が初めて読んだのが中学生くらいで、今回20年振りくらいで読み返しましたが、当時と比べても面白さは全然変わっていず、逆に新しさすら感じて2日くらいで一気読みしてしまいました。興味深いのは後のキングの作品ででてくる、共同体の崩壊等特徴が既に幾つか垣間見られる処。既にこの時点でキングは完成していたと思わせます。「シャイニング」を初期の頂点とする人が多いと思いますが私は本書と甲乙つけがたいです。これがなければ「屍鬼」も「殺戮のチェスゲーム」なかったはず。まさに現代の古典。 昔、聞いた話だと続編の噂もあったそうですが、残念ながら今のところ実現していず、残念。 | ||||
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映画(最初のもの)を先に観てから原作を読みました。本の方が良かったです。この内容のまま映画化してほしかった。確かキング氏は不満で映画を作り直したとも聞きましたが。 ただ映画のビジュアルを観たから、情景が思い浮かび臨場感が味わえたのかも。 狡猾で残忍な吸血鬼にヤラレッぱなしでなく、徒党を組んで立ち向かう彼らに痺れました。特に、最年少のマーク坊やに。素晴らしい!吸血鬼さえ彼には対等に闘える初めての好敵手(キリスト以前から居たのに)として敬意を払っていましたね。マークに惚れました。 ただの怖い話で終わらず、愛する者(失った後でも)の為に闘い続ける。ホラーというより、私には冒険ものでした。 | ||||
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「シャイニング」と並んでS.キングの代表作とされる作品。欧米で良く採り上げられる題材を、S.キングの筆力で、あたかも実在の物語であるかの様な印象を読む者に与える辺り流石と言える。特に、写実的な描写の積み重ねで、まずアメリカ東北部に架空の町を創ってしまう点が作者らしい。しかも、邦訳ではジェルーサルムズだが、そのものズバリの名前エルサレム(Jerusalem)と言う町を。 町の呪いの中核はかつて忌まわしい事件が起きたマーステン館。主人公の作家ベンは子供の頃、その現場を観た事がある種のトラウマとなって、町に舞い戻り、町をそして館を描こうとする。ベンが町に来た事がキッカケとなったように、犬の惨殺、町の若い兄弟の失踪と不審死、死んだ少年を埋めた墓堀人の不審死と不気味な雰囲気が次第に盛り上がる。そして、その墓堀人を教え子に持つ老教師マットが怪異現象を体験するに及んで、事態は最早錯覚とか妄想とは言えない現実の恐怖となる。この辺の展開は巧いと思うが、キリスト教徒以外にとって両刃の剣でもある。十字架とか日光、杭、ニンニク、聖水と言った御馴染みのアイテムを持ち出す程、形式に拘る必要があるのだろうか ? 魔の伝説を「古い皮袋に新しい酒を注いだ」現代的人間ドラマとして再構築したいとの意図は分かるが、少年マークの造形を除くとさほどの新鮮味は感じなかった。ホラー作家の第一人者として、「神と悪魔」の二元論以外の新しい恐怖の源泉を創り出す事は出来なかったのだろうか ? 町とその歴史を創り出し、更には町の住人達とその様々な人間模様を創り出す筆力がありながら、肝心の「恐怖」がゴシック・ホラーの域を出ないと言うのは(意図したものであっても)如何なものか。物語の細部が良く出来ているだけに惜しい。 | ||||
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「シャイニング」と並んでS.キングの代表作とされる作品。欧米で良く採り上げられる題材を、S.キングの筆力で、あたかも実在の物語であるかの様な印象を読む者に与える辺り流石と言える。特に、写実的な描写の積み重ねで、まずアメリカ東北部に架空の町を創ってしまう点が作者らしい。しかも、邦訳ではジェルーサルムズだが、そのものズバリの名前エルサレム(Jerusalem)と言う町を。 町の呪いの中核はかつて忌まわしい事件が起きたマーステン館。主人公の作家ベンは子供の頃、その現場を観た事がある種のトラウマとなって、町に舞い戻り、町をそして館を描こうとする。ベンが町に来た事がキッカケとなったように、犬の惨殺、町の若い兄弟の失踪と不審死、死んだ少年を埋めた墓堀人の不審死と不気味な雰囲気が次第に盛り上がる。そして、その墓堀人を教え子に持つ老教師マットが怪異現象を体験するに及んで、事態は最早錯覚とか妄想とは言えない現実の恐怖となる。この辺の展開は巧いと思うが、キリスト教徒以外にとって両刃の剣でもある。十字架とか日光、杭、ニンニク、聖水と言った御馴染みのアイテムを持ち出す程、形式に拘る必要があるのだろうか ? 魔の伝説を「古い皮袋に新しい酒を注いだ」現代的人間ドラマとして再構築したいとの意図は分かるが、少年マークの造形を除くとさほどの新鮮味は感じなかった。ホラー作家の第一人者として、「神と悪魔」の二元論以外の新しい恐怖の源泉を創り出す事は出来なかったのだろうか ? 町とその歴史を創り出し、更には町の住人達とその様々な人間模様を創り出す筆力がありながら、肝心の「恐怖」がゴシック・ホラーの域を出ないと言うのは(意図したものであっても)如何なものか。物語の細部が良く出来ているだけに惜しい。 | ||||
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本作は、S.Kingにとって「キャリー」に続きかかれた2作目であり、初期の傑作のひとつだろう。いわゆるクリストファ・リーが演じたような古典的な吸血鬼が現代に現れたとして、我々はそれを信じられるほどの余裕を持っていない。アメリカでは、まだ多くの国民がキリスト教徒で神を信じており、非科学的な事柄についてもそれを受け入れる宗教的な土壌を持っているが、無宗教な日本人はもはや吸血鬼やゾンビなどの存在など、冗談かパラノイヤとしか感じられない.小野不由美が「屍鬼」で、日本における吸血鬼、Living dead像を示そうとしたが、相当苦しいものとなって、ぜんぜん恐怖の対象とならなかった。しかし、この小説の中では、吸血鬼は悪であり、悪魔に近い存在で、Living Deadは厄介な怪物で、大陽の光でも、十字架でも、ましてや杭を打ち込んでもかんたんには消え去らない。未知なもの、不確かなもの、常識と違うものがおこったときにそれをありのまま受け入れ、常識を覆すのは非常に難しい。そういう人の心の弱さにつけ込む恐怖を描くKingのイマジネーションには毎回、感嘆させられる. | ||||
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本作は、S.Kingにとって「キャリー」に続きかかれた2作目であり、初期の傑作のひとつだろう。いわゆるクリストファ・リーが演じたような古典的な吸血鬼が現代に現れたとして、我々はそれを信じられるほどの余裕を持っていない。アメリカでは、まだ多くの国民がキリスト教徒で神を信じており、非科学的な事柄についてもそれを受け入れる宗教的な土壌を持っているが、無宗教な日本人はもはや吸血鬼やゾンビなどの存在など、冗談かパラノイヤとしか感じられない.小野不由美が「屍鬼」で、日本における吸血鬼、Living dead像を示そうとしたが、相当苦しいものとなって、ぜんぜん恐怖の対象とならなかった。しかし、この小説の中では、吸血鬼は悪であり、悪魔に近い存在で、Living Deadは厄介な怪物で、大陽の光でも、十字架でも、ましてや杭を打ち込んでもかんたんには消え去らない。未知なもの、不確かなもの、常識と違うものがおこったときにそれをありのまま受け入れ、常識を覆すのは非常に難しい。そういう人の心の弱さにつけ込む恐怖を描くKingのイマジネーションには毎回、感嘆させられる. | ||||
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「キャリー」は映画を先に見てしまい、後から原作を読んだので、どうしてもあの新聞記事の多い構成に入り込めなかった。しかし、本作はまず原作を読んで、3時間以上のTV版映画を見た。キングには珍しく、原作の雰囲気がある映像化だった。2作目で吸血鬼、3作目で幽霊屋敷を扱って、「モダンホラー」の旗手と言われるようになったが、本作は”モダン”という名称に恥じないない出来映えである。派手なシーンは少なく、ただ淡々と人々が吸血鬼に変わっていく様が、手を変え品を変え描かれていく。日常の中のふとした恐怖を積み重ねて、次第に大きな災いに変化していく描写は、すでに本作でたっぷり味わえる。「キャリー」と「シャイニング」という派手な作品の狭間に隠れているが、とてもキングらしい作品である。 | ||||
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Kingが発表した2作目となるこの小説を手に取ったのは、実を言うと村上春樹があるエッセーの中で、‘Carrie’に比べると小説の腕が格段に上達している、と評価しているからだった。 この小説のPrologueは、親子と見まがわれる男と男の子の話から始められるのだけれども、実を言うとこれは後日談であると言う事が、Prologueを読み進めていくと分かってくる。然し、子供はともかくとして、その大人の男性が誰であるのか非常に興味があった。そしてKingは考えられる可能性の中で最も残酷なplotを選択していく。 たまたま幼少の時期を過ごしたSalem’s Lotに戻った作家のBenが出会った女性が後にGirlfriendとなるSusanであった。彼女はBenの愛読者であり、彼女が図書館で借りていたBenの本にサインをしてもらうところから彼らの交際は始まる。Suzanにはboyfriendモドキも居たのだけれども、そのboyfriendモドキを捨てるようにして、Benに接近していく。そしてそのまま愛が進行すれば普通の恋愛小説なのだが、Kingだから決してそういう展開にならないだろうと想像する事は容易だろう。 さて、この2人に何が起こるのだろうか。長さも‘IT’や‘The Stand’に比べればずっと短いのでとっつきやすいのではないだろうか? 然しKingの想像力には何時ものように驚かされる。奥さんであるTabithaが、偶然に口にした、「ドラキュラがこのアメリカに、メイン州に現れたらどうなるのでしょうね」、と言う言葉に創造力を駆り立てられた、とIntroductionで記しており、また奥さんに感謝しているとも書いている。この作家にして、この奥さんあり、と言う事だろうか……。 | ||||
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キングの2作目は早くも上下巻に分かれた大作となっています。『キャリー』がベストセラーになってそういう書き方が許されるようになったのでしょう。確か宮部みゆきが本作をキングの最高傑作に推していたので楽しみにして読んだのですが、150ページ目くらいまでは大した事件が起こらないことに驚きました。ずいぶんのんびりとした筆致なのですが、それがラスト近くの怒濤のクライマックスの恐怖感を支えていることに読み終わった後で気づかされます。ストーリーは典型的な吸血鬼もので、現代において吸血鬼物語が通用するかどうかということにチャレンジしたかったのだと思います。ブラム・ストーカーとかを読んでいないと意味がわからない箇所が多いのですが、逆にそういうものが好きな人にはたまらない魅力を放っています。吸血鬼に関する文学を全部読破してみたい気分になりました。 | ||||
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今時吸血鬼なんてと思っていても、こんな風に現れたらなんて思わせてしまうところがこの作者の真骨頂。今回の地震でもそうだが、山間の小さな町で起こったことは情報が外に出にくい。あっという間に町全体が崩壊することはありえない話ではない。でも「吸血鬼があなたの隣にいる」ということと「十字架は悪に勝つ」という2点を比べた時、後者に全くリアリティーを感じなった私は俗世界に汚されているんだなあと思った。後に書いた「ニードフル・シングス」の原型とも言える作品。(丸写ししたような日本の小説もあった)彼の他の作品と同じく一気に読ませます。推薦します。 | ||||
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シアトルからサンフランシスコへ向かうグレートハウンドバスに乗っていくと、途中こぢんまりした町中を通ります。バスの窓から外をのぞくと、ちょうど夕方にさしかかって、住宅街の窓には明かりも灯りはじめ、その町のゆったりした生活をかもし出しています。僕がアメリカを旅していた頃は、こんな町があちこちに点在していました。 この事件はアメリカのどこにでも有るようなこんな郊外に、一人の男がやってきたことが発端となります。 夕暮れ、兄と連れだって友人の家に遊びに行く途中、兄のすぐそばで弟が行方不明となり、一人戻ってきた兄はそのときの記憶が定かでありません。貧血がひどく病院に運ばれますが、原因不明で兄の死んでしまいます。弟の死体が見つからないまま、兄の葬式が執り行われます。 次に、その葬式に墓堀人として参加していた男がひどい貧血状態となり、日もたたぬうちに兄弟の両親までも同じような貧血状態を表し始めます。町の中にはネズミ算式にそんな人たちが増えていき、気づくと、こののどかだった町の公園や道路から昼間人々の姿が見られなくなっていきます。彼らに共通な表情は・・・全く飲食を受け付けなくなる・・・昼間の光を嫌うなどで・・ どこにでもある生活の中にヴァンパイアが入り込んで、あっという間にその町がゴーストタウンとかしてしまう恐怖を、キングは彼独特の文体で語りかけてきます。(キングは日常の中に恐怖を見つけ出す天才です。たとえば「クジョー」はその一番の例)これは、人の心を映し出す細かな描写と、大胆な言葉遣いで読者を恐怖に引きずり込んでゆくキングの2作目の作品です。今読み直してみると、何となく初期の頃の作家としてのキングの意気込みをも感じさせられます。一緒にキングの切ないほどの恐怖を楽しみましょう。 | ||||
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ちょっと思い出してみてほしいのだが、みなさんの小さい頃の「怖いもの」の中に、吸血鬼は入っていただろうか?まず、たいていの人にとっては別に怖いものでも何でもなかったんじゃないかと思う。かくいう私も、ドラキュラは知っていてもちっとも怖いとは思わなかった(笑) それは何故か? 十字架、ニンニク、太陽の光、etc…たぶん、あまりに弱点が多くて、しかもそれがコドモにまで知れ渡ってしまっているからである。弱点については、この小説の吸血鬼も例外ではない。ところが…怖いのだ、これが。平凡な田舎町に何の前触れもなく現れた「彼」によって、街は文字通り死んでゆく。ゆっくりと、だが確実に。これを読んだ後でも、吸血鬼なんて怖くないと言えるかどうか。興味があったらぜひ確かめてみてほしい。 | ||||
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