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わざと忌み家を建てて棲む



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【この小説が収録されている参考書籍】
わざと忌み家を建てて棲む

わざと忌み家を建てて棲むの評価: 3.08/5点 レビュー 25件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.08pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全8件 1~8 1/1ページ
No.8:
(3pt)

私には丁度いい怖さですが・・・

好きな作家さんです。私には丁度いい怖さで、ワクワクしながら読み進める事ができます。
この作品も確かに面白いのですが、前作のように驚きの謎解きを期待していたので、そこは肩透かしを食らった気分でした。
また他の方も指摘していますが、文章だけでは間取りが分かりづらいです。図面があってもよかったのでは、と思います。しかし、新たな驚きを期待して他の作品もまた読んでみるつもりです。
わざと忌み家を建てて棲むAmazon書評・レビュー:わざと忌み家を建てて棲むより
4120049922
No.7:
(3pt)

目指したのは、『怪奇小説』?

惨劇のあったと思しき家を、いくつもつなぎ合わせて一つの建物とした『烏合邸』。
ここに住んだ人の手記2つ、入り込んだ人の残した音声テープ1本、調査した人のレポート一つ。
主にこの四つの資料を読み解く、主人公とその相棒的立場の三間坂。
それぞれの資料にあたるたびに、主人公と三間坂の周囲にも怪異がおよぶ……
というような、実話仕立てのお話です。

『全体的に中途半端で、今一つまとまりきっていない』というのが、最初の感想でした。

一番気になったのは、ほかの方もレビューなさっている通り、
怪異資料の合間に挟まれる主人公と美作のやり取り。

仮説がほとんど根拠のない憶測に過ぎず、なんだか大げさで、飽き足らない気持ちにさせられます。

また、著者の他作品の紹介も頻繁に見られ、『実話っぽさ』も確かに高まるものの、同時にこの作品が商業作品だということを思い出させられ、現実に戻される作用の方が多く働いている気がします。

中途半端なのです。

実話系怪談であれば、たとえば『耳袋』あたりが人気の火付け役だったと思います。
「どこかの誰かが、作者に語った日本のどこかの怪談」は、今も沢山の作家によって脈々と受け継がれています。

また、2ちゃんのオカルト板の果たした功績も大きかったでしょう。「だれが何のために書いているかわからない」有象無象の、玉石混合の怪談の群れは、ホラー好きには中々ワクワクさせられるものでした。これはTwitter(いまはXですね)に場所を移して、続いているように思います。

実話系怪談の一番のキモは、「どこの誰かよくわからない語り手が、何の目的もなく(少なくとも金銭を目的とせず)語っている」「実話系とはいえ、本当か嘘かわからない」という、得体の知れなさではないでしょうか。

そういう意味で『わざと忌み家を建てて棲む』は、目的が『本を売ること=金銭を得ること』と明らかになってしまっている段階で、一歩遅れを取ってしまうわけです。

ですからここで、この作品のオリジナリティーが発揮されなければなりません。

実話怪談という体で、一つ一つの資料を、主人公と三間坂がまとめ、最終的に一つの大きな流れに収斂させる。その必要があったはずです。

ですが、先に書きました通り、資料と資料をつなぎ合わせまとめていく役割であるはずの、主人公と三間坂のやり取りは、それには役不足すぎるのです。あまりにも。

そこに何か意味があるのではないか? と思ってしまいました。

すると思い当たるのは、幾度も出てきた『猟奇者』という言葉です。
古い言葉ですよね。今どき中々使わない言葉かと思います。ホラーが好きな人を指して『ホラー好き』『怪談好き』というのはわかりますが、『猟奇者』とはそうそう言わないのではないでしょうか。
『猟奇殺人』なんていえば、昭和中期以前には新聞にも使われていたと思いますが、現代ではトンと見ない言葉です。

考えてみれば、主人公が繰り返し話題に出していた作品群も、ずいぶん古いものばかりです。ネット以前に流行した『怪奇小説』、あるいはすこし内容がずれますが、『猟奇小説』のような。

主人公による、情報源をネットにのみ依存することへの警句のセリフ、その後の三間坂のセリフ、”そのネットが今回の件では、さっぱり役に立たないわけですからね。まったく何の関係もないとはいえ、今のお話は妙に暗示的かもしれません”。このセリフも、それ自体が暗示的に見えてきます。

今どき、怪談の語りは紙媒体からネットに移ってきているわけです。
そこで怪談の語り手がネットを見ないなんて、そんなことは不自然ではありませんか?
いっそのこと、怠惰では? 本当にホラーが好きなのか? というレベルです。

話を戻します。
そう考えてみると、主人公と三間坂のやり取り、描写が、なんだか外連味たっぷりの、昭和の『怪奇小説』チックに見えてくるではありませんか。

大仰な言葉で恐怖をあおり、けれど内容はそれほどない、こじつけとも思われる推察に満ちた、育ち切っていない文学。

あるいはかつて量産されたオカルト系雑誌の、今一つまとまりきらなかった記事の最後に載っている、『これについての情報をお持ちの方は、ぜひ編集部に連絡してほしい』(!)というような、あのノリ。
まさにこの小説の序文です。

著者が目指したのは、そのあたりの雰囲気だったのでは? という、一つの結論に達しました。

そう考えてみると、このラストは「やりやがったな」という爽快感すら感じます。

ただ、怪談が読みたかったのです。私は。
『わざと忌み家を建てて棲む』なんて最高のタイトルじゃありませんか。
どれだけ怖い思いをさせてもらえるんだろう、と期待して読んだのです。
私の感受性が原因かもしれませんが、そこまで怖くなく、、、

阿澄思惟は三津田氏の別名、なんて噂がありますが、どうなんでしょうね?
あちらは完全にネット文化に乗っかった、新しい怪談という風情ですが。
「みさき」は非常によくまとまったホラー小説だと感じました。
わざと忌み家を建てて棲むAmazon書評・レビュー:わざと忌み家を建てて棲むより
4120049922
No.6:
(3pt)

夏なので怪談が読みたくて

怪談話が読みたくて購入してみました。怪談自体は怖いのですが、途中に挟まれる作者の話で怖さをそがれてしまうというか結局結末もなんだかわからない感じで終わられてしまって残念に思われました。この作者のほかの作品も読んでいたら何か違ったのかな。
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4120049922
No.5:
(3pt)

長い

話自体はあまり好みではありませんでした。が、読み終えた翌日右目が異様に腫れてうまく開きません。この本のせいでしょうか?
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No.4:
(3pt)

「どこの家にも怖いものはいる」の続編<実話系ホラーの限界>

「どこの家にも~」が怖くて面白かったので、続けて続編のこちらを読みました。
前作は、似たような怪異が起こっている怪談話を集めていくと、実は…といったオチが用意されていましたが、
今回はオチがふんわりとしていて、消化不良な点は、他の人がレビューでも挙げている通りかと思います。

それは、著者が実際に体験しているといった体裁で書かれている以上仕方がないことなのですが、煽ればあおるほど、
フィクション系のホラーであればもっと怖いオチ(追いかけてくる何者かに関係者あるいは著者本人が殺害されてしまうなど)が描かれるのだろうなあと残念に思ってしまうという点につきるというか…。
あくまでも実際に体験した話として発表できている「としなければいけない」以上、
まあ(フィクションのオチに比べて)大したことがなかった、ということになってしまうからです(まわりくどい書き方ですみません)。

とはいえ、ネタとしては非常に魅力的。
怪異が起こると言われている幽霊屋敷を集めてきて、なんと一つの家の集合体を作ってしまうという、
まさに狂気の沙汰と言えるような建築物が出来上がります。
そこに、「適性がある」とみなした人を住まわせて、レポートを書かせ、何が起こるか観察する金持ちがいたらしいという、なんとも悪趣味な話な話です。

前作では、集めてきた怪談を読んだだけでは大した怪異に見舞われなかった著者(三津田さん)も、心臓がふるえるような怪異に見舞われます。
読むだけで怪異が「追いかけてくる」のです。
自宅にも、公園にも、そしてなんと三間坂が用意してくれた編集部の会議室にまで現れます。
この、「何か」がどこまでも追いかけてくる描写は非常に怖いのですが、「メリーさん」ではないけれど、やっぱり「いよいよ捕まるところ」までいかないと、
「で、どうなるの?なんだったの?」といった、ホラーとしては中途半端感が否めなくなってしまいます。

ちょっとネタバレになりますが、今回は「いろいろなもの」が追いかけてくる中で、
唯一「しゃべる人間」も追いかけてくるので、ぜひその人とは直接会話して問い詰めてもらいたかったです。
ただ追いかけてくるだけで何もしない怪異は「なんだ、結局ついてくるだけか」と、途端に怖さを感じなくなってしまうからです。

各家に滞在した人の怪異から「最後まで体験してしまった人は死んでしまったのではないか」と予測させることで、
「三津田さんについてきたものも、最終的には三津田さんを殺すのではないか」と想像はさせるのですが、
各家に滞在した人の記録ももちろん「手記」「日記」「録音」といった体裁をとっているため、
本当に死んでいるのか、何が起きたのかは本人が書けない(録音できない)ため、当然記録に残っていません。
すべて想像するしかないのです。

記録できていない以上、各家に滞在した人の話も、尻切れトンボとなってしまってい、
全体的に「すごく怖いことが起こりそうな家だけど、何が起こったのかは結果的にわからない」となり、怖さが半減してしまっています。

ネタが面白いだけに残念なのだが、三津田さんには、ぜひ、同じネタで良いので、オチをつけてフィクションとして仕上げてもらいたいです。
実話系の体裁をとっていたとしても、どうせフィクションなのだからw
唯一オチがついていてすっきりするのは、研究者が幽霊屋敷に潜入する話でしょうか。

長くなりましたが、「実話」という体裁をとってしまうといろいろと制限ができてしまうので、「ブレアウィッチ~」以降「実話系ホラー」もよく作られるようになりはしましたが、
こういう「良いネタ」は、「著者が描く実話系ホラー」といった体裁を取らずに、とにかく怖がらせること(エンターテイメント)に徹して仕上げてもらいたかったと思いました。
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No.3:
(3pt)

怖さを求めないように

ホラー小説、怪談をもとめて読むのならおすすめしません。怪談の研究、参考資料として読むほうがいいです。
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No.2:
(3pt)

質が下がっている気がする

メタ展開が著者氏の持ち味であることは知っているが、このシリーズでは、それがあまり上手く機能していない気がする。

というか、そもそも、作中における「三津田」と「三間坂」は要らない気がする。はっきり言って邪魔だ。
ミステリ談義なんかどうでもいいし、ネット評価・ネット情報に対しての愚痴も要らない。そういう話はエッセイか何かでやってほしい。私は三津田信三氏の小説が読みたいのであって、そんなものは求めていない。

短編におけるミステリ談義や、作中「三津田」の述懐は抵抗なく受け入れられたが、本シリーズでの二人の会話は冗長にすぎる。こんなものを幕間に入れるから、せっかくの「記録」の怖さが薄れてしまう。これよりも「三間坂」の伯母だけの視点で物語が展開する方が、ずっと良かったのにと思う。
(『ついてくるもの』や『八幡藪知らず』のような、ストレートな物語の方がはるかに怖くて面白い)

作中に出てくる四つの「記録」は、どれも不気味でいいのだが、物語の最後の方に出てくる「もしかすると〜」は反則である。なんでこんなものを入れるのか。
頼むから、もっと素直に怖がらせてほしい。そう言いたい。
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4120049922
No.1:
(3pt)

ホラーとしてもミステリとしても中途半端

この作品はどちらのジャンルの観点から見ても消化不良になっちゃってる気がします。まだ前作の『どこの家にも怖いものはいる』の方がホラーとしても面白みがあったしミステリとしてもそれなりに着地点のある終わり方だった感じがします。
それぞれのエピソードを総括して無理に考察する談義は不要だったし、それをするならしっかりした真相を提示するべきだったんじゃないかなと思いました。
これなら幕間の章を挟まずに普通にオムニバスホラー短編集でもよかった気がします。
それぞれのエピソードはさすが三津田先生と言わんばかりにいろんな体裁で書かれた良質なホラー短編だっただけに残念です。
わざと忌み家を建てて棲むAmazon書評・レビュー:わざと忌み家を建てて棲むより
4120049922

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