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月の満ち欠け
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月の満ち欠けの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.43pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全136件 121~136 7/7ページ
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「生まれ変わり」というテーマに魅かれ、どのような物語が展開するのかと楽しみに読んでみた。 結果、とてもロマンティックでセンシティブな男性の物語と感じた。 参考文献として巻末にあげられた「前世を記憶する子どもたち」は、読んだことがあるが、作中にもそれらしき本が度々登場し、少しそこに引っ張られ過ぎかなという印象はあった。 しかし、作者の描写力は確かで、ロマンティックな男性は読書の楽しみを味わえる本だと思う。 一方、女性の描き方がやや男性目線であり、女性読者はその点、どう感じるかなと言う懸念はあった。 | ||||
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直木賞候補作。 前世を記憶する子どもの話で、恋心から何度も生まれかわる女性が、 とても魅力的に描かれています。 ちろっと舌を出して笑う仕草。こんな小さな癖が、 周囲に「たしかに同じ魂だ」と気づかせるきっかけになる。 丁寧に、丹念に、ディテールを積み上げることで、 突拍子もない話に真実味が帯びる。 語り口調が終始、淡々としているのも、こういう物語には かえって効果的だと思いました。 | ||||
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直木賞にノミネートされた本。大変面白い本で食事も忘れ1日で読めました。 輪廻転生の本といえばすぐ思い浮かぶのが三島由紀夫「豊饒の海」(4部作)ですが、第一部「春の海」以外は結構読むのに時間がかかります。 それに比べると本書は易しい本です。 関連する本として、本書で推薦している「前世を記憶する子どもたち」も読みたいと思います。(高い本ですが) もう少し範囲の広い本として、絶版ですがリン・ピクネット「超常現象の事典」があります。心を病んでいる時に読むと良いです。何度も繰り返し読みました。 | ||||
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2017年上半期、いちばん面白かった本は間違いなくこれです。最近にないくらいのめり込みました。 ですが、人間関係が複雑なので、これから読む人は人物相関図を作りながら読むのをおすすめします。 大好きだった人に再会するために何度も生まれ変わりを繰り返して、彼と接触を試みようとする女性とその周囲の人々の話です。 だけど時の流れは残酷なもので、 彼女が何度かの生まれ変わりを繰り返している間、彼はどんどんおじさんになっていく・・・。 結果、少女がおじさんを心と体で求めてるような感じになってしまい、そのへんに生理的な不快感を感じる人もいるかもしれません。 何度生まれ変わってもあなたを求めてる・・・これを女の執念ととるか、純愛ととるかでも賛否は大いにわかれそうです。 ある登場人物が自分達の身近に起こったこの生まれ変わりらしき現象に対し、 「生まれ変わりが絶対にあると信じろと主張してるわけではないのです。 ただ生まれ変わりなどそれまで考えもしなかった人に、そういう考え方も一理あるということをわかってほしい」 というようなことを語るシーンがあります。これは世の中のどんなことにも当てはまります。 自分の中の常識だけにとらわれず、「こんなこともある」「こんな人もいる」と受け入れられる柔軟さって大切。 ちょっと作者の伝えたいメッセージとはかけ離れた感想になってしまうかもしれませんが、 こういう柔らかな目で物事を見ることのできる人になりたいと思いました。 | ||||
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大好きだった人に出会うために、何度も生まれ変わりを繰り返す女性とその周りの人のお話。 斬新な会話で笑うことはなかったのですが、ちょっとした仕草の表現だったり会話文だったりが面白くて、一字一句噛みしめて読みました。 最後はじーんときました。 | ||||
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一歩間違えば失笑もんのホラーになりかねない輪廻転生の展開を、瑠璃とアキヒコの一途な純愛物語にまとめ上げたのはさすがです。 ラストでの二人の再会シーンは感動的でしたが、瑠璃は既に3回も生まれ変わってしまったので今や小学生で、年下だったアキヒコは独身中高年。 この二人は今後どのように結ばれるのか、アキヒコ君は大丈夫なのだろうかなどと余計な心配をしてしまいました。 それにしても妻と娘を交通事故で一度に失った15年前の悲劇から立ち直り、ようやく新たな人生を歩みかけた小山内さんの前に、亡き娘の生まれ変わりのルリが現れて前々生の事までぶっちゃけるのは、ちょっと残酷な気がしました。 物語の展開上必要なんでしょうけどねぇ。 | ||||
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また佐藤正午さんに楽しませてもらった。 冒頭場面から登場する不思議な少女。 佐藤正午さん独特間合いの人間関係描写。 いつも通り、まずは私の頭にいくつかの心地よい?マークが現れる。 構成も佐藤正午感満載。 引き込まれて一気に読み進んだ。 ?マークはだんだんと消えながらもまた新たな?マークが出て来る。 それでもグイグイ読み進み読み戻る。 男として、夫として、父として、瑠璃に関わり瑠璃を失くした者たちの物語でもあった。 最初の瑠璃の前にも瑠璃はいたのだろうか。 アキヒコの存在が消えたら瑠璃の生まれ変わりはどうなるのだろう。 考えながら読み進んだ。 そうだ、アキヒコがいるから瑠璃がいるんだ。 子を為せなかった瑠璃はそのために「月のように死ぬほう」を選んだのだから。 (小山内にとっての梢は娘を授かったうえで「月の満ち欠け」を選べたのか?) 確かに輪廻転生なんだろうけど、それよりも瑠璃の生き続ける想いが伝わる物語だった。 最初の瑠璃の後の3名の女性には瑠璃(るり)という名を使わずにストーリーを展開させるという手法もありかなと思った。 彼女たちの人格は瑠璃なのだからどういう手段でもアキヒコに伝えることができる。 この意見を無粋と捉える人もいるでしょうが。 30年にわたる瑠璃とアキヒコの心的な恋愛ストーリーだった。 ラスト13章は感動的だった。 泣く人もきっといるでしょう。 著者のデビュー作から30年以上ずっと楽しませてもらっている。 次作にも期待します。 | ||||
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普通に小説というジャンルでは「現実世界に極めて近いリアリティー」を描くか「まったくの想像の産物」を書くのか、どちらかであろうと思っていたが、本作は「ありそうでない世界ながら、なさそうである既視感」を完全に描ききった傑作。 野球でいえば「ボールからストライクになる球」と「ストライクからボールになる球」を自在に紙一重でコントロールできる超絶技巧派ピッチャーの安定感といったところ。すべての文章が伏線で、何気ない小道具ですらも後々完全につながる構成、さらにテーマは実は完全な剛速球であり、あっという間に完全試合を達成されたのに悔しさではなく、清々しさをじっくりと味わうことができる。今年の、というよりは近年の小説のなかで「ベスト第一位」にぜひ推薦したい。 | ||||
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むしろ、前世とか生まれ変わりが、あるかないかはこの小説ではどうでもいい。 それが起こってしまったとき、人はどう対応するのか?反応せざるを得ないのか?カフカのにもにたリアリティがこの小説にはある。 そして、場面展開の巧みさ。時間と場所に深みがある小説は数あれど、ここまで斬新な展開はあまりない。 | ||||
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白髪まじりの小山内堅(おさない・つよし)が東京駅で新幹線から降り立ったのは午前11時前。駅前ホテルのカフェで30代の女性とその7歳の娘と待ち合わせているのだ。少女は年齢に似つかわしくない大人びた口調で、初対面であるはずの小山内のコーヒーの好みを言い当てる。そして彼女は、にわかには信じがたい話を語り始めた…。 ----------------- 2014年に上梓された『』(小学館)以来の佐藤正午の新作です。しかも岩波書店からの出版。大きな期待とともに早速購入しました。 生意気な口ぶりの小学生と、50代とおぼしき小山内がカフェで対峙する冒頭シーンから、あぁこれはまさしく佐藤正午の世界だ、と大いにうなずかされます。 佐藤正午の世界ではいつも、夥しい数の人々が陸続と登場します。しかも彼らの間には互いに一切の続き柄がないかのよう。ところが物語が進むと、彼らの間に奇縁としか呼びようのない結びつきがあることが徐々に見え始め、やがては読者を大いに驚愕させるのです。 登場人物たちの繋がりのきっかけは、彼ら自身の自発的なものでも意識的なものでもありません。あたかもこの世間を超越した何ものかによってあらかじめ宿命づけられたものとして動き始めるのです。これまでの佐藤正午作品である『』しかり、『』しかり、です。 私は『ダンスホール』を「「六次の隔たり(Six Degrees of Separation)」が人に生きる力を与える物語」だとレビューしたことがあります。その奇妙奇天烈ともいえる「隔たり」が今回もまた見事に顔を見せるのです。 事実、物語が始まってまだ間がないところ(19頁)で次の言葉が綴られています。 「いまこうしてここに自分がいるのはひとえに偶然のたまものだ、と他人事のように思うのもそのせいに違いなかった。自分は見えないものの手でここに連れてこられた」。 実存主義的な見方からは間遠(まどお)い世界観かもしれませんが、<縁起>の考えが仄(ほの)見えるこのくだりは私の意に強く添いました。 さて、小説『月の満ち欠け』がどのような巡り合わせを描く物語であるかは、あえて伏せたいと思います。私は、佐藤正午の新作であること以外の情報を頑固なまでに遮断したうえで頁を繰り始めました。そのおかげで心地よいざわつきをこの胸に得ることができました。ほかの読者にも同じ読書体験をぜひとも味わってもらいたいのです。 ただこれだけは言えます。この小説は、事の次第が明らかになったのち、小山内が残りの人生をいかに歩むのか、その詳細は明らかにされず、読者の想像に委ねられるのです。 それは佐藤正午ワールドの常(つね)なること。登場人物もまた、今朝の私たちと同じく、自らの人生がどこへ向かうのかを、今はまだ、知らないのです。 | ||||
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短編の各章をつなげるとひとつの物語ができあがるというのはどうだろう、 少人数の関係が最後に大きな枠組みの大団円に向かうのはどうだろう。 作家にはいろいろな課程があり、今回はある恋情が円環的に登場人物を変えて続いていくのはどうなんだ?という構成です。 だから狙ってだろうけども、男(大卒で上場企業に就職)、恋情をもった女、少女、協力者という似たような人物が時代を超えて出てくるので、 おせっかいながらご忠告として(前作同様)人物略図を書きながら読んだ方がいいです。時系列線も入れないとややこしい。 真性のペドフィリアが脇に出てきた小説もあったけど、今回はそのかたちを借りたことに結果としてなった(生まれ変わりですからね、 やっぱり生まれ変わるほうはどんどん若くなる)、テーマは突然断たれた命に「人生のやり残し感」「熱情」「執着」の行き場があったら ってかんじなかあ。少女とおっさんやおじいさんの組み合わせ、タイムリーと言えばタイムリーなのか。あるいは現代版浦島と読むこともできるのか。しっかり戦略をもった女、若気の至りでなにも気づかずにいた男、そうして気づかされたことで男たちのその後はそれぞれに 変化していくのでした、ってやっぱり男のロマン的な話ですね。おばはんとかばあさんと少年っていうほうが女性読者にはうけたかなあ。 なにも生まれ変わりが毎回同じ性でないほうが、この時代、説得力があるんじゃないか?というのはよけいなお世話でしょうか。 | ||||
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僕の中で佐藤正午、というだけで、新刊はどれも面白いと決まっているが、今回もまたその期待に見事にこたえてくれました。 読みやすく引き込まれる文章、巧みなストーリー構成。 読書の時間が充実しているから、いつも、読み終わると別離の寂しさを禁じえませんが、 きっとこれも月の満ち欠けと同じで、いつかまた新作に出会えるのでしょう。 | ||||
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文章に震えて一行を何度も読み返し、構成に唸って数十ページを何度も行きつ戻りつし、そして、あのラスト数行で、号泣した。 純文学的テーマをエンタメの手法で書き続ける佐藤氏の大傑作。(『鳩の撃退法』も素晴らしかった!) だがしかし、「このモチーフ」を内容紹介やレビューで記してしまうのは、ほかに書きようがないとはいえ、どうだろう? 冒頭、しばらくして、「ああ、もしかして!?」と読者が気づく楽しさ、震えを奪ってはいないだろうか? とはいえ、それを上回る楽しさ、震えが、その先たっぷりと待ってはいるのだけれど……。 | ||||
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日常会話の中で「生まれ変わり」について何気なく話題にすることは誰にでもある。 「生まれ変わったら何になりたいか」「生まれ変わったら男か女のどちらになりたいか」など大概はその場だけの他愛のない話として終わってしまう。「生まれ変わり」という現象が自分の身近なところで現実に起きたらと本気で考える者はいないだろう。 本書は我が子、愛する人が不幸にも亡くなり、その後他人として生まれ変わることによる一連の顛末を描いた小説である。生まれ変わった【彼女】は或る日高熱を発症し意識混濁状態に陥る。まもなく回復すると同時に前世の記憶を甦らせ、その信じがたい言動で周囲を戸惑わせる。【彼女】は前世で愛した人との時を超えた邂逅を一途に求め続ける。現世の両親や前世で恋人であった者は【彼女】の出現に驚愕し悩み苦しむこととなる。双方とも決して幸福にはならず、その行き着く先には・・・ 参考文献として挙げられている(小説中で登場人物が読んでいる)『前世を記憶する子どもたち』を読んでみた。世界で起きた「生まれ変わり」事例が学術論文のように詳細に考察されている内容である。この文献によれば、子どもの前世の記憶は一生続くのではなく成長するにつれて消えていくという。これはある意味で現世の人間にとって救いなのではないかと思った。 「生まれ変わり」が決して他人事ではなく、自分の身の回りで本当に起こったら、それにどう対処すればよいのだろうか。本書の読了後、これまで超常的なもの、心霊的なものに無縁だと思っていた自分がいつのまにかそのような思いを持っていることに気づいたのである。 | ||||
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登場するのは、「瑠璃」という名の女性(たち)と複数の男たち。 、、あり得ない語が展開します。 突拍子もないほら話だとわかっているのに、 段々と実話にさえ思えてくるのは、著者の卓越したストーリーテリングと キャラクターたちの瑞々しい存在感によるものでしょうか。 胸が裂けるような場面が随所にありますが、 特にエンディングが忘れ難いです 、、更にその先のことまでをも想像すると、、 、、人の愛の「未練」というものがあまりに切なすぎる、そんな物語でした。 | ||||
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「運命の人」は、出会った時に一目で「この人だ」とわかるという。そして、その人と「添い遂げたい」と強く願うのである。もし自分が先に死ぬならば「生れ変わって、ふたたび愛する人の前に現われたい」とも望むかもしれない。何度でも生れ変って愛する人の前に現われる。この輪廻回生こそ究極の愛のかたちではないか。佐藤正午の20年ぶりの書下ろし小説は、この究極の愛である「生まれ変わり」を主題にしている。 東京で会社員をしている小山内堅は、仕事にも家庭にも恵まれてささやかな幸せを得ていたが、ある日の突然の事故で妻と娘を失う。14年後、故郷の青森県八戸に帰って独身でいる彼の前に娘の生れ変りだと名乗る少女が現われる。そして、亡くなった娘と妻の過去が次々に明らかになり、忘れていた奇妙な出来事が結びついて、信じられない事実が浮かび上がるのだった。 三人の男と二人の女性の30年に及ぶ物語である。二人の女性と書いたが、生まれ変わった人物を含めるとさらに多くなる。いつもの 作者らしく淡々と物語は進んでいく。感情を煽るでもなく、深刻ぶるでもなく、簡潔な事実の記述が却って読者を不安に誘う。意外な展開が続き、どこに連れていかれるのかと、思わず身構える。冷静で巧みな文章が「生れ変り」というスピリチュアルなテーマにリアリティを与えている。幾重にも張られた伏線と予想もできない展開に、私は翻弄されるままであった。そして、ラストの一行の見事さに胸が震えた。 振り返れば、佐藤正午はデビュー作の「永遠の1/2」以来、ありえないことをあたかも現実のごとく書くことで読者の心を掴んできた作家である。緻密な構成と鮮やかな人物描写、巧妙に仕掛けられた伏線、そして研ぎ澄まされた文章で、さりげない日常に潜む異常を読者の前に突きつけたのである。この作品は、「小説とは何か」を追求し続ける作者の発想と試みが結実した、ミステリーの形をとった、心揺さぶる恋愛小説である。 追記: 岩波、みすず、白水社など、硬派の出版社が出す小説はどれも面白くて質が高い。本書も例外ではなかった。 | ||||
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