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ナラタージュ
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ナラタージュの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.70pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全195件 41~60 3/10ページ
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どんな理由をつけてでもつながっていたかった相手って、出会えるだけでも幸せです。ひとによって衝撃やいろいろなイベントがあったりしてその恋が色づけられるかもしれないけれど、そこまで理由をつけなくても惹かれてどうしようもない、けれども何もなければそれで終わりの恋ってたくさんあると思った。同時にどうしようもない抗しがたい衝動があって火がつけられる恋も存在する。 いずれにせよ「呼吸をするように思い出す恋愛」は誰にでもできるものじゃない。それはものすごく背徳的で本当に誰にも言えない恋愛かもしれないと思うと、泉にはずっと胸に秘めてほしかったな。だから一人称の回想でいいと思ったので☆4つ。 きらきらしていて告白せずにはいられない心中をちょっと理解できなかったのが、私のせいだとおもうと年をとったのかな・・とずきっとする。 | ||||
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とても感銘を受ける本でした。 よかったです。 実写も見たいです。 | ||||
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若いときに読んでいたら感情移入して「たった1度の恋」とか本気で思うんだろうが、おばさんになって読むと葉山先生みたいな恋人も夫もやだわ。10才くらい年下の元教え子に救いを求めたり、弱っ!と呆れるばかり。 小野くんもダメよ。かっこつけの小心者だし。 親目線で娘の相手なら黒川くんだね。ハキハキしていて野望もありそう。 | ||||
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数回映画を観てから原作を購入しました。 シーンが違う箇所もありますが、映画の中の心に響くセリフは原作から引用され 映画、原作と二度楽しむ事が出来ました。気に入った映画の原作はいつも読むようにしていますが、 島本さんの他の作品も読みたくなり早速注文しました。 ナラタージュも何度も読み返しています。映画も後2度は観に行くと思います。 | ||||
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昔読んだ本。最近、映画化されたようなので、引っ張り出してもう一度読んでみました。 私が年を取って、あの頃より恋愛経験が厚みを増したせいか、改めて読んでみると、登場人物それぞれの気持ちが分かりすぎて、心が痛く切なくなった。 今、葉山先生も小野くんも、現実には好きじゃないけど、それでも、共感ではない何かで胸の奥がギュッとなった。 昔読んだ時は、こんな感情にはならなかったから、読み返してみて良かった。 昔読んだ方は、もう一度読み返すのをお勧めしたい、そんな1冊です。 私はとても好きです | ||||
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2人が愛し合っていた、と解釈する人は若い恋に恋するお嬢さんでしょうか。 この本は泉の片思いの話に感じます。 葉山先生は、ただ奥さんのことだけを愛しています。 泉のことは愛していません。理解者であり大事ではあったんでしょうが。 だから、最後の写真のくだりは違和感ありまくりです。 泉にも葉山先生への深い愛情なんて感じません。まさに恋に恋するお嬢さん。 付き合う前の男性(小野君)の部屋に1人であがる女性です。貞操観念が低いです。 誰にも共感できず、自己陶酔してる主人公達の薄い恋愛小説を読んだなって印象です。 | ||||
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ナラタージュ映画観てきました。 ラストの1番肝であるシーンが削られていた事に本当に残念です。 そのラストこそが、物語の全てとも言える泉の多幸感と絶望、失望の混在を表している。 生涯、泉に託される大切なシーンであったはずなのに… 泉の万年筆も、柚子の葬式も全て意味のある演出が端折られていた。行定監督の作品はもう観ないことに決めました。 | ||||
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申し訳ないですが、イマイチでした。 文体や描写は上手いと思いましたが、登場人物の気持ちがハッキリしないというか… あまり感情移入出来ませんでした。 映画は行定監督なので、もしかしたら良質な恋愛映画になるのかもしれないですね。 | ||||
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この言葉が高校生の自分にとってとても印象的で強く覚えています。初めて読んだのは10年以上前ですが、衝撃を受けてしばらく手に取れませんでした。賛否が別れる作品だと思います。 今回映画化に当たって、主題歌の歌詞の中にあるこの部分が物語をすごくよく表していると思いました。 「理由ばっかり尋ねる世界で、ワケなど一つもなく恋をした 正しい恋の終わり方なんて この世でわたし わたしだけが知ってる」私はこの歌詞がものすごくしっくりきました。読んで感じた感想とすごく似ていました。結局はこういうことを言っているんだと思います。なので賛否が別れて当然だと思います。 | ||||
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映画を観るので原作を読みました。 半分以上読んだところで、特に何も展開がなくダラダラと話が続き、この先どうなるのか、何かワクワクする展開があるのか期待して最後まで読みましたが、やっぱりダラダラとした印象しか残りませんでした。 壊れるほどの恋愛…高校生がそんな恋愛するのかなぁ? どっち付かずの中途半端な教師…もっと胸が熱くなる話かと期待しすぎていた様です。 松潤が主役だから映画を観に行きます。 | ||||
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10年以上前にこの本を読んだ時、「ナラタージュ」と言う聞きなれない言葉と共に、強烈なインパクトを受けた作品として記憶に残りました。 今回、映画化されるということで、改めて手に取りました。 「ナラタージュ」と言う言葉が、映画用語で「回想劇」の意味だということは、その時初めて知ったのですが、主人公が過去を引きずりながら、過去の思い出を回想しながら現在を生きているということで、今ではこのタイトルがぴったりと嵌まっている気がします。 特に、男女の関係については、現在の相手と共に過去の相手も心の底では繋がっている、そんな気がします。 比較するとかそういうことではなくても、いろんな習性の中に残ってしまっているということはあるだろうと思います。 主人公のような強烈な恋愛でなくても、そうしたことはありうると思います。 現代の様に、コミュニケーション手段が発達してしまうと、過去は現在に蘇りやすくなっているように思えます。 その手段に意図的な終焉をしない限り、いつでもコミュニケーションは復活します。 昔の様に、電話もなく手紙でしか連絡の手段がなければ、過去が蘇るチャンスは少ないでしょう。 蘇っても、それは記憶の断片でしかありえません。 しかし、現代にあっては、過去が蘇ることは可能です。 しっかりとした「終焉」を心に刻んでいなければ、復活は十分にあり得ます。 それだけに、現代の男女関係はむつかしいのかも知れません。 結婚生活をいつ過去が脅かしてくるかわかりません。 そうした過去をある程度共有した結婚生活が必要かも知れませんが、非常にむつかしいことの様に思えます。 でも、人間が生きてゆくには、過去との妥協が必要に思えます。 いつまでも過去に縛られていれば、未来を築くことはむつかしいと思います。 過去ー現在ー未来と、自分の中では連続していても、相手にとっては過去の自分でしかありません。 長い人生の中で人間は成長します。 ですから、早すぎた恋もあるでしょうし、遅すぎた恋もあるでしょう。 でも、それを容認して人間は生きてゆく他ない。 そんなことをこの本は言っている様に思えます。 | ||||
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主人公の闇、登場自分たちの歪みは、実は最近話題になっている『発達障害』によるものではないかと、個人的には思っています。 生きづらさを抱え、今現在も、もがき苦しんでいる人たちに、私自身、島本理生さんの作品は重要な意味を与えてくれると、信じています。 遅くなりましたが、私自身自閉症スペクトラム障害の当事者です。 | ||||
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内容の薄い登場人物が、ああでもない、こうでもないと言っている作品。 久しぶりにハズレを引いた気分。 | ||||
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"今でも呼吸するように思い出だす" という、冒頭の回想シーンで引き込まれていく。 たまらない。 好きなってしまった者の強さや弱さが、痛々しいほどに伝わってくる作品。 そして、 静謐さと烈しさ、ストーリー描写の美しさと想い合っていてもなお、現世では交われないというもどかしさがアンバランスに同居している。 登場人物たちの若さは、各々の歴史やバックグラウンドを内包した、瑞々しく人間らしい感情幅のある青さが残り、それもまた、この作品の魅力のひとつ。 葉山先生のズルさと抑えられない気持ちの抑えようが、数年ぶりに読んでみて、すこし、痛々しかった。 初読みしたのは、確か18か19のとき。 主人公の女の子に近い年齢だった。 当時は、葉山先生のどうしようもないズルさが印象的だった。 言ってみれば、浮気とか不倫紛いなもの。 時が経ち、葉山先生に近い年齢になって思う。 "仕様がなかった" "どうしようもできなかった"んだって。 出会ってしまったら最後、 嫌いにはならないし、なれない、 心だけじゃない、全身に相手の全てが刻み込まれて、それは記憶以上の記憶になっていく。 忘れたくない、忘れられない、 それはもう、自分の一部と化したものだから。 彼女の心の移り変わり、 変わる感情と変わらぬ感情は、何度読み返しても心が動かされます。 | ||||
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簡単な文体ですが心理描写が細かく、さらっと読める作品です。 前半に比べて後半は駆け足の展開でした。 工藤泉は葉山先生の何が好きだったんだろうかと、思うほど葉山先生は10歳歳上の男性としての包容力も思いやりも何も無い。 高校生の時に困っていた泉に優しく接していたのは、自分の不安定な心を埋めるため。 若い未成熟な女子に思わせ振りな言葉に、卒業の時にはキスをして。 そんなに美人でもない泉には、忘れることが出来ないのが分かっていて、手を出す悪くて弱い大人になりきってない葉山先生。 結局、別れられない妻とのことも進まない、泉のことも好きで求めてしまう、すべてを後回しにしてただ時を重ねる葉山先生。 泉が付き合った小野君は少し独占欲が強いけれど、泉の心の中の葉山先生の影を不安視していたなら仕方ない行動ともいえる。 恋に恋している時期に好きだと思った人をここまで引きずるものなのか。 柚子ちゃんのエピソードはとても重いけれど、それに対してはさらりと受け流せるのが怖い。 泉は結婚したら新しい生活に前向きであって欲しい。葉山先生はエゴイストだから。 映画は原作とは違うラストになりそうなので、そちらも楽しみにしている。 | ||||
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何だか最初から違和感ばっかりで 登場人物の誰にも感情移入出来ない。若い女性が書いた、少女小説。 | ||||
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初版時から何度か読み返しをしている作品。 主人公の泉とその周囲の人々の、危うい恋愛における人間の弱さや徐々に追い詰められていく心の描写は、非常に美しく繊細な印象を受ける。 泉と葉山先生の深い信頼関係には「確かにここまで深く理解し合える相手もいる」と共感をする一方で、終盤では2人の陶酔っぷりにやや嫌悪感を抱いた。 別れ際のセックスは必要だったのか。 既に深く入り込みすぎている関係である上に最後に最も濃密な時間を過ごしてしまったが故、葉山先生の不誠実さが際立ってしまったように感じた。 個人的に印象に残ったのは、柚子から新堂への手紙。 心が壊れていく描写がリアルで、繊細で、それでいてとても悲しく美しかった。 中でも『いくら死にたくなかったからって一瞬でも受け入れようとした自分をおぞましく思うのです』という自責の文面には、涙が止まらなかった。 表現の深さに脱帽。 また、最初と最後に登場する泉の結婚相手の『子供だったから愛とは違うとかじゃなくて、子供だったから、愛してるってことに気付かなかったんだよ』という台詞も味わい深い。 先に述べた一夜の出来事や葉山先生が復縁後も泉との写真を持ち歩く描写がなければ、美しい過去の純愛として捉えることができたのではないかと思うが、それは読者の好みだろうか。 読者のこれまでの経験次第で評価が大いに割れる作品であると感じた。 | ||||
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あまり葉山先生、主人公の工藤泉にも共感できませんでした。 泉が葉山先生を好きであるにも関わらず他の男と付き合う理由がよく分かりませんでした。 二人が両思いで、葉山先生は好きになってはいけない人を好きになっている。二人共ぐちゃぐちゃに感情が揺さぶられる恋愛、でしたが、自分に経験がないせいか、「へえ、こんなことあるんだ」くらいの気持ちで読みました。 | ||||
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この方の描く主人公は、ふらふらしてる、という印象があるけれど、ちゃんと生きている人間という気も同時にする。 男性はダメなヤツなんだけど、今の時代に合ってるのかもしれない…(^_^;) | ||||
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島本理生さんは、多分、長編に仕上げたい気持ちが強かったのでしょうが、前半は、もっともっと短くしてもよかったかも。 後半になって、狂おしい「思春期引きずり」年代の女の子の気持ちが渦巻き、その点は、普遍的なものを敢えて描いたそうだけど、心情細やかに描かれていて、引きずり込まれます。 読み終わった途端、「ああこれは、二十数年前、独特だと、日本国内でも話題になった映画、フランス作家での論客女性マルグレット・デュラスの名作『ラ・マン(愛人』の映画版に影響されているな、と思いました。『ナラタージュ』の中で、主人公と高校教師の関係は、不毛の関係だし、たとえ環境的に不毛の関係でなくても前に進めない関係、だけど、終わってみて、純粋な関係だったと分かる、終わってみてだからこそ分かる、そこが、多分、作者の一番言いたかったこと、『ラ・マン』の映画版と共通してます。 映画『ラ・マン』は、私はじめ、同世代のあの頃の女子が密かに共感出来ていた映画。懐かしいものに再会した気分がします。 | ||||
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