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坂の途中の家
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坂の途中の家の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.73pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全140件 101~120 6/7ページ
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全てではありませんが、角田さんの作品は読んでおりましたが、 失礼ながら彼女にお子様が居るかどうかは知りませんでした。 読み進むうち、帯にもある 「(自分の娘が)いなくなったらと考えるだけで、胸がふさがる思いがする」 という一文で、「あれ、この作者は子どもが居ないのかな?」と感じました。 自分なら、”身を引裂かれる”や”胸が張り裂ける”という思いだからです。 判決が気になり最後まで読みましたが、のめり込む程ではなく残念でした。 | ||||
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大変失礼ですが、お子さんのいない筆者の作品とは思えないほど子どもの描写や母親の内面を捉えています。綺麗事じゃなく、誰にも言えない心の動きを文字にしてます。 私も現在1歳児の母で、生後2カ月から子どもを預け復職しました。当時は完全キャパオーバーでイライラしっぱなし。夫にはおろか、ママ友にも人格を疑われそうなので言えない真っ黒な気持ちを角田さんにバッチリ言い当てられてしまったような、そんな気持ちで読む手が止まりませんでした。 最高に面白いのですが、その後の主人公の動向が気になりスッキリしないので、星を一個減らします。 | ||||
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シンプルに概ね読者を満足させてくれる良書で、宣伝文句は決して誇大ではないかと。 晩婚化、少子化が進んでいるとはいえ、今後もマジョリティ派であろう子育て世代の母親とその周囲の環境が題材になっており、導入に難儀する方はほとんどないと思う。 細かいことだが、主人公が「補充」裁判員として選出されたという点も周囲をグラつかせる要因となっていて面白い。いい意味で著者の計算高さを感じる。 1つの事件を通して各々の登場人物の視点が入り混じるので、次は何?というハラハラ感を強く抱かせる。評者の稚拙な表現で伝わるかは分からないが、例えるならば、アスタリスク(*)の各々の線のようにすべての線は一度交わるのに、些末な認識の違いによりあらぬ方向に向かって交わりが解消されるという歯痒い展開になる。こうも人間同士の共感はもろいものか…。と。 読み手の心理を揺動させる作品だったので読後に適度な疲労感を覚えたが、これも著者の計算の内か。だとしたらあっぱれ。機会があれば他作にもあたりたい。 | ||||
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主人公は、山咲里沙子。 二歳の女の子をもつ母親。 ある日、里沙子は裁判員に選出される。 担当する事件は、生まれて間もない 女の子を虐待死させた母親の裁判だった。 裁判員として公判を続ける過程で、 里沙子は自分自身を被告に重ねていく。 里沙子の娘への接し方は虐待なのか・・。 里沙子の夫の接し方は愛なのか・・。 子供が居る女性であれば、 誰でも共感できる部分があると思う。 産後、子育て中の女性が陥ってしまう 負のスパイラルについて詳しく書かれていた。 しかし、里沙子も被告の女性も、 相手の言葉を極端に自分に批判的に 受け止める場面が多かった。 (それも含めての女性心理ということは、 理解できるが・・。) | ||||
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角田さんの小説は好きで、今回も内容をあまり知らないで読み始めました。 主人公の理沙子、被告の水穂は他人とは思えず、読みながら苦しくなってしまいました。 自分一人で子育てをしなくてはならないという重圧感、孤独感は味わった者でないとわかりません。 可愛い、という気持ちはもちろんあります。 でも、ある時、ふと思うのです。 「この子がいなかったらどんなに楽か」と。 もちろん、すぐ否定し、そんな気持ちはなかったことにしてしまいますが、感じたことは事実で、それが自分への嫌悪感になるのです。 理沙子の母乳の件でも、私と同じだったことで、ものすごく共感しました。 母乳が出ると言われれば、いろんなことを試しましたし、出の悪い自分を責めてノイローゼのようになりました。 育児書と違う、というだけで、子供の成長が悪いのではないか、と悩み、ハイハイが遅い、と言ってはどうかしてしまうくらい苦しみました。 私が彼女たちと違っていたのは、周りに何でも言える友人がいたこと、先輩の彼女たちには本当に助けられました。 彼女たちにもそういう人たちが周りにいたら違う形になっていたのではないでしょうか? でも、一歩間違えば彼女たちのようになっていたと思うと、読んでいる間、不眠になってしまいました。 頭の中で子育て中の事がグルグル渦巻きました。 忘れた、と思っていた事柄が次々思い出され、苦しくてたまりませんでした。 それだけ母親の心は悲鳴を上げているのです。 この小説を読んだ方が、そんな母親の孤独や悩みを理解してくれることを望みます。 本人は何気ない一言でも、当事者にとっては心が壊れそうになることもあるのです。 水穂のように追いつめられることは誰にでもあります。 つらいけど、素晴らしい小説に会えたこと、感謝しながら読み終えました。 | ||||
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角田光代さんの待望の新刊。 主人公里沙子の心理描写で話が進められていますが、 裁判が進むにつれて、 被告人水穂の境遇や心理に自分自身を投影している里沙子の様子、 こんな人、現実的にいるなと思うリアルな人物描写や、心理描写に 違和感なくぐいぐい引き込まれ、いつのまにか自分をも重ね合わせている ことに息苦しさを覚えるほどでした。 一見したところ、ふつうにみえる夫婦や親子関係に他人からは窺い知れない、 当事者同士ですら無意識に行ってしまっている歪んだ愛情表現を 見事に描ききっていると思います。 昨今クローズアップされている母親と娘の関係ですが、 こちらも考えさせられるような描写がいくつもありました。 フィクションでありながら、現実社会には誰にでも起こりうるのではと 思われる身近な人間間の関係性を見事に描ききっている点でも圧巻です。 | ||||
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主人公がマイナス思考すぎる、全体的に重苦しい、という意見を聞くのですが、 <孤育て>状態の私にとっては、作中の重苦しさは、育児中に常に感じていた息苦しさそのもので、最終的には主人公が自分で考えを纏められ、裁判という場で発表できた、痛快な小説でした。 主人公目線の一本調子で読み進められる一方で、登場人物の設定や、細部の構成が見事で、読み返すたびに違った発見があって、巧いなあと思ってしまいます。 周りに求められていることを敏感に感じ取る、それを全うしなければならないと思う、模範的でありたい、諍いを恐れる、察してほしい… 里沙子や水穂が、夫や裁判員たちや、読者からもズレていってしまうのは、こうした無垢な<女の子>らしさが原因なんだと思います。 ともすれば、ご都合主義やフェミニズム的な話になりそうですが、 角田先生が書いたからこそ、意味のあるテーマだったと思います。 子育て中の方はぜひ。 | ||||
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子を持つ親の一人として、子育てにおける苦悩、焦り、悩みや喜びと後悔がリアルに描かれ、それが自身の経験を思い出させ、読んでいて非常に息苦しさを感じるほどです。 自分ではどうにも抑えようがない苛立ちによって子どもに冷たく当たってしまい、後から冷静に振り返ると、なぜそんな小さな子どもに対してそんなにイライラする必要があったのかと罪悪感にとらわれ、次はもっと優しく接してあげようと思っているのに、さっき思ったばかりの思いが新たな苛立ちで消え、また罪悪感に陥る。 「良き親であろう、善き人であろうと思いつつ、余裕がなくなるとすぐにかっとして、その怒りをコントロールできなくなる。いつもならたしかに持っているはずの思いやりや気遣いがとたんにできなくなる。」 そしてそのことは本人も「わかってるんだけどね」。 分かってるんだけど・・ この心の動きがとてもリアルで、その気持ちがストレートに伝わります。 だからこそ、本作は読んでいて苦しくなる。 主人公里沙子は裁判員裁判の補充裁判員として、我が子を殺したとされる母親をめぐる裁判で彼女の境遇に触れるうち、ある種の恐怖を感じる。 この事件は何もかも特殊に思えるけど、実はそうではなく、もっと自分たちと近しいことなのではないかと感じていることでこわくなる。自身の子どもに対する日々の実情に重ね合わせ、本件が決して他人ごとではないと感じさせられ、ますます苦しくなっていく里沙子と気持ちに自分自身がシンクロし、こちらまで息苦しくなってしまうのです。 読後感は決してすっきりとしたものではありません。もやもやしたものが残ります。 それは本書がとてもリアルだからかもしれません。 | ||||
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ネガティヴ•マイナス•オーラが全編を容赦無く覆い尽くし、読書のボジティヴィティを奪うかのような小説だ。 裁判員というのも実は候補者を何十人か呼び寄せて、その中から人格的に適正な人物を選ぶ事になっていると聞いたことがあるのだが、この作品の主人公ときたらもう。。 極限まで他人の立場に自分を同化すると、どのような心理変化が訪れるのか? 一周廻ってギャグになりそうにヘヴィでホラーテイストな作品となっている。 | ||||
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あっという間に読みきりました。子育て母の孤独に正面から向き合った内容も素晴らしいけどそれで終わらず、幅広くジェンダー論まで、考えさせられることが多かったです。 | ||||
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久しぶりに駄作 角田光代さんの本は失敗がないので今回も何も考えず購入。 角田光代さんは子供がいない割に子供に関係する話をよく描かれますが、やっぱり子育てをしたことがない人の書く内容かなと。途中でやめようと思ったくらいつまらないです。 | ||||
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角田光代は秘密保護法案に反対しています。左記、白いものを白い、赤いものを赤いと書いているだけです。ガイドラインに抵触するものではありません。 作品には作者の思想が反映されています。 | ||||
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角田光代さんは大好きな小説家の一人です。 この小説も大変楽しみにしていましたが、途中からは早く読み終わらないかなあと思ってしまいました。 子育てをした女性なら共感できる部分も多々ありますが、日常というのはこの小説に書いてあるような 事ばかりではないはず。 人間のブラックな部分にばかり焦点を当てすぎ、深く考えすぎな部分が多く、 それが物語をハラハラドキドキさせずに、長々と感じさせてしまいました。 | ||||
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まだ途中までしか読んでいないのに気持ちが高ぶって書いてしまいました。レビューの中には、角田さんにはお子さんがいないから母親の気持ちが分からないのだろう、というようなものがありましたが、そんなことはありません。子供に腹を立てて無視してしまい、ひどい自己嫌悪におそわれ、これも虐待なのだろうかと思ったり、産後母乳のことで追いつめられたり・・・どれも自分のことのように思えました。そのつもりでなくても、母親は色んな立場の人たちから追いつめられるのです。そのほとんどが、悪意なく放たれた言葉だと分かってはいても、母親の孤独が深いとやはり落ち込み追いつめられます。看護士、保健師、保育士、園長、家族、同僚。主人公と同じように自分の子供が赤ちゃんだった頃を思い出しながら読んでいます。 読み終えて・・・乳児が母親によって死に至らしめられたことよりも、心理的に追いつめられることに戦慄を覚えました。モラハラってこういうことなのか、と。我が子を死なせた妻と離婚するつもりはない、という夫。これは怖いと思いました。そして、他人からは決して理解されないという絶望感。自分には気持ちを吐き出せる親友なり同僚がいて救われたと気付きました。傷つけるのも人なら、ほんの細やかな言動で救ってくれるのも人。自分以外のお母さんたちはみんな優しく、子供を感情的に怒鳴ることもなければ、箸の持ち方、服のたたみ方、文字の教え方も上手く、栄養たっぷりの手作りの食事をあげてるんだろうなと、本気で母親は考えてしまいます。また、ちょっとした言葉がそれを助長してしまうのです。もっとそれを知って欲しいです。そうしたらこの登場人物のように追いつめられる母親が減るのでは? | ||||
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極めて今日的な社会問題を的確に描いた作品でした。 裁判員という特殊な事象に誰の身に降りかかるかという不安を誰しもが抱いているし、そこに被告の立場にもなりうるかもしれない二重の重圧の中で裁判員裁判に臨んだヒロインの恐怖にも似た感情は読者にも十二分に伝わるものがあります。 | ||||
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多くの方の感想にあるように、かなり感情移入できる小説。特に、主人公と同じ境遇の人だけでなく、立場の違う人や実際子育ての経験のない人でも、容易に感情移入出来てしまうところが凄いです。それは、題材が大きな社会問題であることや、何より作者の舞台設定や文章力、表現力の巧みさに関係するものだと思います。 子育てに追われる普通の主婦の理沙子は、事もあろうに自らと同年代の母親が被告の乳幼児虐待死事件の補充裁判員に選出されてしまう。裁判が進むにつれて、事件の背景や経緯が自らの環境と徐々にシンクロし、我が子への愛情に疑問を持ったり、自己否定等で精神のバランスが大きく崩れていきます。そのあたりが実にサスペンスフルで、主人公が裁判の判断と自らの気持ちにどう決着をつけるのかがドキドキします。 また、事件は決して許されるものではありません。が、そこには様々な事情があって一方的に言えるものでもない場合がある等、いろいろと考えさせられました。 | ||||
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母親となった者ならば、感じざるを得ない「既視感」。それを、これほど深く精緻な描写で語られると、単なる感情移入で読み進んでいくだけでは済まされないような気に すらなった。 誰に? 主人公である理沙子に。被告人席の水穂に。理沙子の夫の陽一郎に、陽一郎の父母に。そして理沙子と同じく裁判員制度に参加している人々に。 誰しもがごくごく普通の市井の人々だ。被告人本人、そしてその家族ですら、きっと。 世の全ての人々にある歪んだ優越感、悲壮感、そして心から手に入れたいと願う平凡な日々の幸福感が、後半猛烈なスピードで様々な登場人物の口から吐かれていく。それを、主人公理沙子の思考を通して丁寧に折り畳まれていく。 この折り畳んでいく過程を男性読者がどう感情移入できるのかは、正直わからないと思った。 それは「母性」云々という話ではない。女性の社会進出によって、選択肢の少なくない昨今の「育児」という現実問題は、男性の想像力を遥かに超えた壮絶なものが ある。今、話題になっている「日本、死ね」というツイートも一体男性のどれほどが一緒に声をあげて闘う事を望んでいるのか? 「育児」は、「家庭」は、今も尚、女性だけが「母性」「良妻賢母」の名の下に背負うべきだ、という考えは実はもっと根深いのかもしれない。 主人公理沙子のこれからの選択肢がいかようにも考えられるラストもよかった。 | ||||
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主人公は、ある事件の被告に、補充裁判員というまったく一方的な形でかかわる。 法廷で耳に入ってくる検察側、弁護側からのさまざまの情報によって 彼女の心は揺さぶられ続け、自分の中に沈んでいた澱、自覚したくない現実に気づく。 夫と幼い子どもと自分。たった3人の中でしか存在していない、自分。 至らなさばかりをクローズアップしてしまう自分。 社会との接点を見失ってしまった主人公はあまりに影がうすく、儚い。 角田さんがつづる、主人公の思いや感情は発展しようのない繰り言かもしれない。 (じっさい読んでいて、じれったく、ずーんと疲れてしまう。 角田さんの『森に眠る魚』を思い出した) 閉塞した毎日に入り込んでしまうのは、 子育てに右往左往している母だからということが理由ではないと思う。 出口を見つけられないのは、主人公だけではない。 物語の終盤、主人公が補充裁判員としての自分の考えを述べるシーンで、 ようやく私はほっとした。儚い姿の主人公に、細い線ではあるが輪郭ができたように思えた。 主人公のじれったさよりも、イライラさせられたのは 裁判員の一員として登場する歳を重ねた女性と、義母である。 彼女たちは、常識やあるべき姿によって、現実を諮る。 その正義ゆえに他者を慮ることができない。 その狭隘さ。恐ろしさを感じる。 | ||||
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これは、私が書いた文章なのかと、そう錯覚した。 現在、自分も乳児を育てている。 とても可愛く、愛しく、虐待などは、もちろんしたことがない。 だけど、育児ってそれだけじゃない。 オムツを変えても、母乳を与えても、抱いてあやし続けても泣き止まないときがある。 一日中、家にいるにも関わらず、夕方ふと気がつくと、部屋はぐちゃぐちゃ。洗濯もまだだ。先に、夕食の準備をしなくちゃ、と、そんなときに限って、またぐずりだす。 手をあげたりしたことはないが、そんなとき、心の中で、ものすごく汚い言葉で、乳児をののしっているときがある。 毎日、報道され続ける虐待のニュース。 それを見るたび、感じる怒り。 だけど、少しだけ思う。 この人、辛かったんだろうな、と。 虐待する人の気持ちが、少しでもわかるって、私はおかしいんじゃないだろうか。 昨日、悪態をついた自分と、虐待をした人とは、実はそんなに違わないんじゃないか。 そんなふうに考えて、そんな自分が、怖かった。 この本で、主人公が被告人の女にシンクロするように、自分は主人公に強くシンクロした。 そして、自分でもわからなかった自分のきもちが、そこには書かれていた。言葉になり、ああ、そういうことだったのか、と、すとんと落ちた。 主人公にとって、公判が人生に影響を与えたように、この本は私に、それを与えた。 今後、幾度も、この本を読み返すことになるのだろう。 | ||||
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初めっから終わりまで、もやもやとしてじりじりとして釈然としない、「反撃したいんだけど、糸口が掴めず、口を閉ざさざるを得ない」気持ち悪さにどっぷりと移入した。 終盤で、それは「彼の愛し方」であり、「母の愛し方」であるという「答え」の提示がなかったら、読後引っ張っただろう。 提示してくれたのがとても親切だと思ったw↑の様な愛は要らないが、それは「愛なんだ」というのが酷く理不尽に思えた。 夫が恐ろしく思えると共に、相手を見て態度を変える「子供」も恐ろしく感じてしまったのは、自分は子を持っていないからだろう。 自分の「普通」に疑いを持たない、善良な他の裁判員にも「恐ろしさ」を感じた。 丸々全部楽しませて頂きました。 | ||||
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