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坂の途中の家
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坂の途中の家の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.73pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全140件 61~80 4/7ページ
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主人公のひたすら被害妄想的な思考回路、卑屈で常に人の目を気にした言動、、こんなにも鬱陶しい気持ちにさせられ途中から読むのが嫌になった本は初めてです。育児の大変さは経験してますがそれでも感情移入はさっぱりできませんでした。 もっと楽に考えたら?とイラつかされるばかりで、意見の表明はしないくせに内心毒づいて不満をためまくり、疑心暗鬼で精神が不安定になりますますその度合いを強めていく。こんな人、しんどすぎます。心理描写がすごいとの触れ込みでしたが、陰気な内心のつぶやきが延々と繰り返されるだけ。 本を読むのが好きでたいていどんな本でもそれなりの価値を感じて読み終えますが、これはまったく時間の無駄でした。本当に、費やした時間返してほしい。 | ||||
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初めての子育て。 その過程での繊細で微妙な心模様が手に取るようによく分かる。 補充裁判員となって審理が進められていく過程で熟考する。 同じような環境がある。 それはさりげない世間一般的な細かなことなのかもしれない。 どこが?という問いに明快な答えはない。 違和感があったものの、顧みると、見過ごすべきではない。 ベールに包まれた心理的圧迫の数々。 まわりの言葉は繊細な部分を徐々に傷つけていく。 結婚、出産、子育て。 身近なこと。 相手をおもんばかること。 たまには何気ない話でガス抜きをすること。 ぐちを言うなり、ばかげた話などで、きもちをやわらげる。 プレッシャーに押し潰されない。 ストレスを発散させることが大切。 | ||||
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なんとも苦しいというか不快というか… よくここまで心理面を描いたと感心します。 同じ環境ではないのに、何度も自分も巻き込まれるような気持ちになりました。気持ち悪かったです。 | ||||
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読んでいるとまさしく主人公に自分を投影していってしまい息が詰まるようでした。特に夫の憎悪は実は愛情の裏返しだったのかもしれないという思いが私自身にも当てはまって息苦しくなりました。角田光代さんのこの心理描写、凄いです。地味に思える裁判ネタに関わらず、どんどん引き込んでいきます。 | ||||
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主人公の里沙子と違い未婚で子供もいませんが、読み進めるにつれてまるで私ではないかと思うシーンが多々あり、それが辛く、読了までかなり時間がかかりました。 裁判員制度と育児、夫婦の問題を主軸に話は展開していきますが、本当のテーマはコミュニケーションの難しさと多様性だと感じました。 誰かに言われる言葉に覚える違和感、追い込まれる自分と、おかしいのは自分なのだろうと思うことでより混乱してしまうこと。里沙子や、里沙子が感じた水穂の姿は、私にとっては育児や夫婦の関係以外でもよくあることです。そしてやはり自分を強く責め、おかしいのではないか、自分が劣っているのではないかと感じ、必要以上に他人を疑ってしまいます。 角田光代さんという高名な小説家の方がそういう人を小説にしてくださったことで、そんな自分を1人ではないと思えました。そしてそれを理解できない人が多数いるということもまた、ただの現実として受け止めることができました。 うまく説明できませんが、読み終えた後、無性に誰かと話したくなりました。相手がどんな人であっても、何をどう感じ、考えるのか、そういうことにちゃんと向き合っていきたいという気持ちにさせてくれる一冊でした。 けしてわかりやすいハッピーエンドではありませんが、だからこそそう思えた気がします。 コミュニケーションで卑屈になりがちで、つい他人を攻撃的に感じたり、必要以上に落ち込んでしまう人には是非読んで欲しいです。 | ||||
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乳児虐待死事件の裁判員小説です。しかし犯人が誰とか、主人公がどんな決断をするかはあまり関係ありません。裁判だからいちおう判決は出ますが、白か黒かはこの小説の中で意味が無いと感じました。主婦の自分は働いている女性の気持ちを、完璧に皮膚感覚までわかることは無いと思います。逆に仕事を辞め自分の子を生むまで、そして実際抱っこするまでその重みや不安はわかりませんでした。他人の子を一瞬抱っこするのとも違いました。「すごく重い、すごく大変」と言葉を尽くされても、これは経験しないとわからなかったと思います。どちらが良い悪いでなく。 事件が起きる前に、決断せず曖昧なまま保つていられれば‥最後のほう、主人公も少しバランスを崩しているような感じがしますが、何とかグレーなまま保つてほしいです。坂の途中で立ち止まることの出来る、タメをもつことが出来たら。倒れずバランスがとれたら。自分の内にも、人との関係にも。 | ||||
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私自身、子供を産んで1ヶ月ぐらいに裁判員の通知が届いたこともあり(選ばれなかったが)、また現在1歳になる娘を育てていることもあり、この本に出てくる二人の女性と自分を重ね合わせて読まざるをえませんでした。 自分が出産後に感じている違和感のようなものが何なのか、この主人公の女性と一緒に自分も考えることができました。 少しずつ変化する心理描写の巧みさがさすがだと思いました。 | ||||
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内容がダラダラしていて私はつまらなかったです。 | ||||
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ネガティブなのに負けず嫌いで、 バカにされたくないからって言いたい事を飲み込んだくせに 誰もわかってくれない、どうせ理解されない。と溢れんばかりの被害者意識で ひたすら憤懣を継ぎ足し継ぎ足し煮込みにして暮らしてる。 思考だけはぐるぐると回しているが、現実ではひたすら押し黙り 妄想の世界の悪夫、悪義母、悪娘にひたすら悪態をついている。 それが、この主人公が思う大人の振る舞いらしい。 その割に自己肯定感は高く 良からぬ事態は全て他人のせい、裁判のせい。 私は悪くないです。としつこいほどアピールしてくる。 なんなんだこいつは! 結末にそうきたか!って展開を期待して読み進めたけど、 裁判の展開も、まぁ、そうでしょうね。。って感じだし 主人公の症状は右肩上がりに悪化し続けたまま治療もせず終了。…マジか。 育児とか、モラハラとか、虐待死は自分の身にもにも起こりうるとか、裁判員裁判とか、 そんなことが一切頭に残らないくらいに、この主人公が奇妙奇天烈なだけの話だった。 | ||||
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女性の細やかな心理描写をうまく表現できていました。自分と誰かを重ね合わせて、その人の心を推測する内に自分とその人が入り混じってしまい、自分が誰か見失ってしまう。あるかもしれません。 | ||||
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ネグレクト、幼児虐待と言ってしまうとショッキングなイメージだが、極端な事態に至らずとも、どこの子育てにも日常的に起こりうることだと勉強になる。「坂の途中の家」というタイトルは、誰だってどっちにも転がるというような意味が込められているのか。 自分自身を受け容れられるに至らず、他者を理解する想像力を持ち合わせず、劣等感につきまとわれ、他人からのネガティブな評価ばかりに想像を巡らし膨らませ恐々とし、益々周囲を、他者を理解できなくなっていく悪循環に本人は気づかない。更に他者の介入を素直に受け容れらずに単一視点、近視眼に陥り、自らの中で堂々巡りを繰り返し深みにはまっていく。この状態が一所懸命、真面目、頑張り屋などと評される行動となる場合もあれば、頑固、身勝手、思いやり、気遣いが足りないと評される行動になる場合もあると思う。100パーセント自信を持てる人間なんていない。100パーセント完全な養育環境などもありえない。不完全な自分や不完全な他者を受け容れられ、理解できることが大事なことだと思うが、人は往々にして自らの観方、考え方に自らを縛り付け、別の視点への想像力を欠きやすい。子供を死なせてしまった母親を一方的に断罪することは、自らも同類であるということだと思う。 と、色々考えさせられるリアルな描写だが、主人公の認知・思考プロセスが大半なので、「もうちょっと俯瞰して見られないかな~」と正直ウンザリし、イラつくのも確か。主人公からの描写なので子供がかわいくないように描かれているのは当然。自分が子供を愛していると思い込ませようとはしているが、実際は面倒を自分独りで見なければならない厄介な存在として見ているのだから。単に今は「イヤイヤ期」だから駄々をこねるんだと理解している。何故駄々をこねるのかを理解しようとしていない。結局何もわかろうとしていない、本当の意味で子供に興味、関心を持っていない。だからそれが永遠に続くのではなどと、短絡的で愚かな想像に陥る。しかし、裁判員として自らと二重写しの被告のことを想像するプロセスを通じて自分自身を客観視するきっかけを得ていく。と、今は全体の三分の二ぐらいなので、そんなところまで。 しかし、結局こういう人にはどのようにしたらよいのだろうと考えたり、勉強にはなるが、決して楽しい作品ではない。 | ||||
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二歳の女の子の母親である里沙子が主人公。 物語全体が里沙子の心の中のつぶやきで進められていくかのようだ。里沙子の心の細かな動きが手に取るように伝わってくる。 子育てや夫との関係に疲れ切って、もうどうにもならなくなり子供に手を上げたり無視したりして、なおかつそれを夫や他人に知られることを恐れて取り繕う。 これは何も育児の場面だけのことではないだろう。介護の場面でも、あるいはもっと深刻な形で出ている問題かもしれない。 私自身は、育児はとうの昔に終えており、今は老齢の母を介護している。だからこのシーンは身につまされる。 育児や介護という坂を登り切るためには何が必要なのか? たったひとりでは坂の途中で道に迷い倒れてしまうかもしれない。 そんな自分を迷い道から引き戻し上へと押してくれるのは共感者なのではないか。 里沙子は公判に通ううちに自分と被告人の水穂の姿がしだいに重なって見えてくる。 水穂の疲労や心の痛みと自分のそれとの区別がわからなくなってくる。 水穂の中に自分自身を見る。 子供を浴槽に落とす感覚まで里沙子にははっきりとわかる。 ただ最後のところで里沙子は水穂にはならないだろうという確信のようなものが残ったのではないだろうか? 里沙子は水穂に救われたのだと思う。 里沙子にとっては苦しい10日間だったが、その間水穂は里沙子にとって共感者でもあり併走者でもあったのだ。 これから里沙子の家庭はどうなるのだろう。里沙子はどう生きるのだろう。 きっと坂の上を目指して強く一歩を踏み出すだろう。 苦いけれども、私には納得のいく結末だった。 里沙子の義母の描写は面白かった。思いやりのある気のいい人柄。神経ピリピリの里沙子の言動にオロオロする姿は可愛らしくも気の毒だ。 | ||||
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子育て中の夫婦関係について考えさせられた。 二歳児を育てる専業主婦として、手にとって良いのかと戸惑いつつも読み進めた。 筋は、裁判員裁判に駆り出された主人公里沙子にとって、裁判で生後三ヶ月の我が子を風呂につけて殺した被疑者のバックグラウンドが明らかになるに連れて、自分のことだ、とシンクロしていく。裁判員裁判の「出勤」に加え、その前後に遠く埼玉の義実家にイヤイヤ期真っ盛りの娘を送迎せざるを得ず、有形無形の圧力を受け、家事・育児もなおざりにならざるを得ない。 その中で、夫からの発言が実は自分を貶め押さえつけるようにしくまれているのてはないか、と思い始める…。 私が感じた一番の違和感は、里沙子が夫に遠慮しまくっていて、自分の意を通すよりも夫を通していることだ。 結婚式の披露宴の引き出物の決定を任せられたにもかかわらず、「常識がない」と覆されたりしても、「自分はまともな家庭でちゃんと育ってないから…」と、開けて通している。 男性で、妻の行動や仕事や育児・家事に対して、バイアスがかかってない人などいないのだから、それは結婚当初から、違和感を感じたら主張して喧嘩して…と、していかないといけないのに、開けて通してるんだなー、と思ったり。 しかし、逆になんでも話し合う家庭のほうが、まだまだ珍しいのかな、と思ったり、そして家庭に憧れて結婚をする人、結婚さえすれば、なんとなく円満な家庭になっていくと思う人もまだまだ多いのだろうな、と思ったりした。 何より、自分のバックグラウンドに自身がもてず、またそのことを相手に伝えることができないまま、「きっとこれが理想の妻・母」だろう、と、仕事をしていたときのような生真面目さで頑張ろうとしている、ほんとに頑張り屋さんな彼女が切なくなる。 私よりよっぽど家事・育児気をつけてやってるよ、と。 でもその分、基準がないから、やってもやっても足りないんじゃないか、もっとがんばるべきじゃないか、と感じてしまうお母さんも、現代には多いのかもしれないな、と思った。 自分の周りのママ友にも、こういう人もいるのかもしれないな、とちょっと気を配ろう、という気になった。 結婚と同時に、自分の感じ方、違和感、思いやってほしいことなどを相手に主張をしないといけなかったのに、してこられなかった里沙子はこれからどうなるのか、離婚も視野に入れているが、自分を尊重してもらう生き方に転換できるのか、この後の展開、気になる〜。 がんばれ里沙子〜! | ||||
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未婚で子供なしの女です。両親とも他界し身内は世帯を持った弟のみです そういう女の人生の王道?から外れた女の感想としては正直、子どもに対しての感情は他人事として冷静に読めました 徹底的に冷めた目で見ても興味深く面白かったです 我が身にひきつけて切実さを感じたのは残りわずか数ページに書いてあった理沙子の母親への記憶。。まさに私と同じでした 母は表向きは私を応援してるふりをしましたが自分の不本意きわまりない結婚生活のうさを晴らしたいのかそれとも自分より若い同性への単なる嫉妬なのかわかりませんが、私をことあるごとにけなしまくり私が友人と遊ぶのを嫌い自分と違う自由で幸福な人生を選ぶのを全力で阻止しました 自分のような男に依存するだけの人生を選んで苦しんでほしくないという純粋な母心と、一人の女としては自分とは違ってあらゆる選択肢を選べる時代に生まれた娘に対する羨望と嫉妬でおそらく母親自身も切り裂かれていたんでしょう 母の私に対する態度と弟(母にとっては息子)に対する態度の違いは死ぬまで変わりませんでした よくあることですけど娘は奴隷扱い、息子は王子様→夫で満たされなかった男性からの愛を代替的に満たしたんでしょうね 女の人は思春期をすぎたら母親を冷静に見たほうがいいですよ。母親なんてそんなきれいなもんじゃないです 母親といえど人間、一人の人間の一つの属性にすぎないです(世間はそう見てないようですけどね) | ||||
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我が子が小さい頃のことを思い出しつつ読みました。 叩いてしまうとか、落としてしまうとか、そういう経験の無い私でも、積み重なっていく疲労や、泣き止まない時のストレスやイライラはよくわかるので、ほんの紙一重の差で、もしかしたら自分にもありえたのかと思うと怖く感じる部分がたくさんありました。本当に結構怖かったのでマイナス1です(笑) いつも側にいてくれる旦那に感謝の念が湧きました(笑) また、偶然にも裁判員に選ばれそうになった事があり、(選ばれませんでしたが)、もし選ばれていたらこんなに大変だったんだな、と思いました。 | ||||
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4歳と1歳の子供を持つ母です。 読み始めると夢中で一気に読み終えてしまいました。 子供を持つ母として、寒気を覚えるほど主人公に共感するばかりでした。 夫婦間の微妙な関係、保健師とのやりとり、様々な友人との関係、義母と夫の関係、そして子供に対する想い…虐待する母、しない母に関わらず、こういったことはあると思います。 そして、子供が産まれる前と産まれた後で、良くも悪くも夫婦の関係は変わると思います。 私だけが感じていた訳ではなかったのですね… こんなにも微妙な心情を絶妙に描かれた角田さんの素晴らしさに改めて驚きました。 | ||||
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裁判員裁判の裁判員に選ばれ、担当事件と自分の子育て、家族との関係を書いたものである。 私は、角田光代は大好きで、ほとんどの作品を読んでいる。 いつもその心理描写に引き込まれるが、この作品も主人公の気持ちが伝わってきて、あっという間に読み終えてしまった。 作者には子供はいないはずだが、子供の描写、母親の心理、みごとにリアリティーがある。 読み応えのある一冊である。 | ||||
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角田さんの本はたくさん読ませて頂きましたが この作品は初めて読むのがしんどかった。 理沙子に全く共感できない。文香の描き方が ひどい。独身女性がこれを読んだら結婚にも 出産にも希望を持てなくなりそう。 | ||||
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暴力と言うと、殴る・蹴るといった物理的な暴力を連想しがちだが、 相手の人格や能力を「非常識」「他の人より劣っている」などと否定し続けて、本人に その通りだと思うように仕向けるという心理的な暴力もある。 しかも、それによって、被害者自身が、加害者を嫌うどころか逆に『自分は間違っている』 『自分が悪い』と思い込み、加害者の言いなりになって(加害者に支配されて)しまうようになる。 こうした心理的暴力は、親子間・夫婦間・兄弟間といった家族内でも、国や社会全体でも 行われうるし、現に行われていると思う。これは、一種の洗脳であり、物理的的暴力よりも恐ろしい。 この本では、その恐ろしさがジワジワと伝わってきて怖くなった。 なお、この本はフィクション小説なのだから、現実を正確に表していなくてもいいと思う。なので、 「こんな乳幼児はいない」「乳幼児検診の仕組みが現実と違う」「栽培員制度の仕組みや運営が現実と 違う」等の批判は、この小説の本旨ではなく枝葉末節を批判したもので、あまり当を得ていないのではないだろうか。 | ||||
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実際に2歳の娘と暮らしていて、産後は実母と上手くいかなかったこともあり、何度もどきりとした。 | ||||
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