■スポンサードリンク
坂の途中の家
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
坂の途中の家の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.73pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全140件 81~100 5/7ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
子供も孫もそれぞれ3人います。読み進む内に 保健師さんが来る時期 母乳の出が良くない主人公に義母が掛けた言葉 2歳の子供を歯磨きするやり方 被告がパソコンの育児日記に書き込んだ6ヶ月の乳児への授乳回数 被告の生活費 義母世代と被告・主人公の育児のギャップ 等々現実ではあり得ない描写をされていて 呆れるしかありませんでした。ちょっと母子手帳や育児書を読めば 小児科や産婦人科医に取材すればこんな描写にはならないはずです。想像だけで書かれたのだと思いました。 特に 乳腺炎ですが 角田氏は風邪と同列にでも考えてるのでしょうね。乳腺炎は 過去に敗血症を併発し亡くなられた方もおられるほど怖い症状です。軽ければ マッサージで溜まった母乳を絞り乳房を冷やすことで良くなりますが 重症だとマッサージの上 乳房を切開して膿を出す事になります。また 乳腺炎になると軽くても仰向けにしか眠れず 自力で起き上がる事すら出来なくなります。角田氏はこれらの事実を全くご存じないのですね。 他の方々の指摘と同じく 主人公の子供の反抗期の描写 主人公・被告の子供に対する育児姿勢なども 読後感が悪いだけの読むに値しない本でした。角田氏の本を読むのは 初めてでしたが もう氏の本を読む事は無いと思います。プロフィールを見ると 賞も多数取っておられるようですが ちょっと信じられないほど この本は駄書でしたね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
知人も「この本はすごい!リアルで、胸に来るものがある!」と言っていたので、とても楽しみに読みました。 でも、読んでみて・・・がっかりしたというのが本音です。 妊娠、出産、そして子育てに、なんていうのかな。リアリティがまったくなくて・・・。 そういえば、すごいと言っていた知人も、まだお子さんがいらっしゃらない人だったなと思いました。 子育てをしていない方や、男性にとっては、とてもおもしろく感じるのかもなと思います。 状況説明がリアリティがある分、母親の揺れ動く「感情」部分が抜けているのが目立って・・・。 妊娠出産子育て物として読まずに、あくまで裁判員裁判のミステリーくらいに思えばいいのかもしれませんね。そう思うと、それはそれで内容に不足がありますが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
じわじわくる、何とも怖いお話。 途中までは、里沙子の夫の言動に憤りを感じつつ読み進めていたが、終盤は、夫婦という関係のみならず、親密な他人との関係すべてにおいてありえる、深層でのパワハラ、あるいはマインドコントロールへの恐れにシフトしていくのでした。 そして、こういう感想をもつに至った根拠が里沙子の主観のみ、というところもまた怖い。 それにしても角田光代のうまいこと。大きな事件によることなく、食卓での会話など、小さなエピソードで、自分と他者との異質性を感じさせたり、褒め言葉として読んでてしんどくなります。 里沙子を待ち受ける今後のことを思うとラストは物足りなく、読後感はよろしくないけれど、読後感の良い本ばかり読んでも仕方ない、ということで、子どもを含めてパートナーがいない方にもオススメできる本です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
裁判の成り行きに興味を引かれ、一気に読みました。非常によくできた作品だと思います。専業主婦でありながら裁判員として呼ばれてしまった主人公の戸惑い、同じ年頃の子供を持つ母親が被告であるために起こる共感、自分と被告をいつしか同一視してしまう錯覚など、とてもよく書けていたと思います。 ただ、裁判の中で、次々と登場する証言が人によって食い違っていくあたりがとても面白いのに、そこへ主人公が家庭で抱えている問題が出てきて興をそがれるように感じました。主人公は被告を「子育てに悩む母親」と捉えたのに対し、他の裁判員やマスコミは「子供を邪険に扱うセレブ妻」と捉えた対比は面白かったのですが。 主人公が抱える問題をもっと控えめなものにしていたら、不協和音と捉えなくても済んだのではないか、と思います。とはいえ、非常にレベルの高い作品です。読んでよかったです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
我が子は成人し、子育ては遥か昔になったが、理沙子の気持ちは手に取るように分かる。おそらく、多くのお母さんが、似たような経験があると思う。そして多くのお母さんは、運よく、子育てを終えている。運よく、夫や、家族や、友人やらに恵まれて。しかし、格差の広がる社会の中で、人のつながりが得られない母親は、どんどん増えてきているのではないか。母親だけでなく、自己肯定感を持てない人も増えているのではないか。空恐ろしくなる小説である。 裁判員となり、裁判に参加する中で、自分を深く見つめてしまう、この小説の手法は面白かった。途中で、もしや、真犯人は夫だったというどんでん返しが用意されているのかとも思った。しかし、理沙子が自分の主張をきっちり述べるというこの小説の方が、いい結末だったと思う。 住む家は、まだ人生の途中。まだまだ、坂は続く。重たい小説だが、子育て中の人にも、結婚を考えている人にも、読んでほしい一冊。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公、里沙子の気持ちがとても良くわかる。 子供がいるか否か全く関係なく。 夫からの目に見えない重圧。 日に日に自信を無くしていき、心身ともに消耗していく里沙子。 「不安になっても良いんだよ」と言ってあげたい。 それでも主人公の里沙子は真面目でよくやっている妻、母であると思った。 いろんな問題が生じたのは夫婦の相性ではないか?と最終的に思った。 里沙子が悪いのでもなく、だからと言って夫だけの責任でもないと思うので。 里沙子が自信をもって元気に生きていくことことを願った。 角田さんは女性の気持ちを正直に掘り起こし、それを丁寧に描写する。 なので、どんどん引き込まれ、自分も救われる気持ちになれる。 角田さんの次の作品を早く読みたいです♪ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読後不愉快になった。主人公こそ被害者意識のモンスターだと思う。人はいろんな感情を持ちながら、自分と向き合って、折り合いをつけて日常を送っているものだ。 主人公みたいな人が職場や周りにいたら大変。結婚退職で正解ですね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私も主人公に似たようなパーソナリティを持っているので凄く感情移入できるんですが、ストーリー自体は平坦です。真面目で不器用で不安だらけの主人公が、日常(イヤイヤ期の子育て)と非日常(裁判員裁判)を2週間両立させることになり、どう乗り切っていくのか…心の動きに焦点を当てたストーリーです。この二つの題材を組み合わせたのは主人公のパーソナリティーを浮き彫りにする材料として面白いと思います。私はカウンセラーなのでまるで主人公のセラピーをひたすら聴いてるような感じがしました。そのリアリティーには好き嫌いがあると思うので他人には勧めにくいというか、全部読んでもらえなさそうな本です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公と同じく2歳の女の子を育てる主婦です。子育てや夫との関係という日常ありふれた卑近な話題を丁寧になぞっている本は意外に少なく(そういったごくごく普通の日常生活が一般人と作家さんではだいぶかけ離れているから?)、苦しくなると心情の同調はひたすらネットの相談サイトに頼っていましたが、この本は珍しく主婦の心に肉薄していると思います。 「裁判員制度」という見目新しい制度を主婦の日常に切り込ませ、たった一週間ぽっちりのその裁判の中で、裁判員となった主人公自身が人生観を変えていく、外見上、客観的にはほぼ分からない、とてもスローな展開なのですが、主婦の内面の中で、それこそ天変地異のような変化をもたらしている、そこを詳しく丁寧に追っている作品です。 男女平等、1億総活躍社会が叫ばれるようになった日本でも、彼女のように夫から大変分かりにくいモラハラを受けている、所謂「下に見られている」女性はとても多いと思います。それに甘んじてしまって、それに気づけていない主人公のような女性もかなりいるでしょう。私もモラハラとは行かないまでも、時折感じる夫からの違和感や、姑との関係、主婦の日常の不自由感に、形や言葉を与えられたような感じで、ある意味本を読みながらうさを晴らしていくような解放感を感じました。しかし開けてはいけないパンドラの箱を開けているような、ホラーを読むような恐怖を味わいました。事実、普通に日常を営んでいた本の主人公は、終盤に至るにつれその日常を狂わせていきます。人によっては見て見ぬふりをしていた違和感に気づかされ、周りとの関係を変えてしまいたくなるようなきっかけとなるかもしれませんので、注意が必要です。 結婚している女性にとって、夫、子ども、親戚といった日常的に周りにいる人物に対する違和感というのは、たとえ小さくても、つもり積もれば本当に自分の性格を変えてしまい、人生を変えてしまい、果ては「自分」が何だったのか分からなくさせる、「自分」が何をしたかったのか分からなくさせる、本当に恐ろしい力を持っていると思います。 忙しい日常生活の中でも、つかの間、自分取戻しの時間を、是非持ちたい、持つことが大事だと、心から思わせてくれた作品でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
子育て、イヤイヤ反抗期の所は共感できましたが後はつまらない作品でしたね | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
裁判員裁判の補充裁判員に選ばれたヒロインの眼を通して「家族のあり方」を問い掛けた作品で、読んでいて身につまされた。事件はヒロインと同世代の女性による乳幼児の虐待死。作者の工夫は、ヒロインと被告人の家族構成を同一にしている点(両者が元キャリア・ウーマンという設定も同一)で、子育て中の被告人の心理過程及び苦労がヒロインのそれと重層的に読者及びヒロインに対して押し寄せて来る。 実際、ヒロインは裁判員になったせいで、自身の苦い子育て体験を思い出し(まだ子育て中だが)、夫の無理解及び自身の神経過敏によって、夫との関係がギクシャクしてしまう。また、定番ではあるが、嫁姑問題も自然と浮かび上がる。何より、「自分に子育てをする資格があるのか」というヒロインの自責(多分、被告人の自責でもある)の問い掛けが重い。家庭、特に子供、を持つ読者にとっては惹き付けられずにはおられない内容である。作者が裁判員裁判を採り上げた上手さの一つは、公判が進むに伴い、状況証拠が次第に明らかになると共に、ヒロインの苦い子育て(結婚)体験の記憶も鮮明となり、ヒロインの心の揺れも次第に増幅する点である。読んでいて、本作の意匠が「身近な他人の気持ちの受け止め方(特に受け手が感じる<悪意>)」の追求にあるのではないかとも思った。 表題の「坂の途中の家」とは、被告人が住む家の形容でもあるが、"子育て期間"が家庭を築くまだ途中段階との比喩でもあるのだろう。その「坂の途中」を緻密な心理描写で描いた秀作だと思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
角田光代さんの本は大好きでいつも読んでいますが、こちらは本当になんというか共感出来たり、自分を振り返る本になりました。私はまだ20代で結婚、子供もいません。しかし、こちらで描かれている表面化しない大切だと思っている相手への言葉の攻撃。なんだか思い当たる部分が多いなと感じました。角田光代さんの中では序盤は単調だなと感じましたが、読了後の喪失感は断トツであると思います。いつか自分が結婚し、子を持つときに備えて勉強させられ振り返るべき点が見えてためになったと心から思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
星1コメント、拝読させてもらいました。なんだかんだ読了なさってて立派。 私は最初の5頁位でアウト。 角田さんの本は湊かなえさんと同様、二度と手を出さない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
これまでの角田光代の作品、「空中庭園」「対岸の彼女」「八日目の蝉」などに出てくる主人公というのは、至って普通そうに見えるが、しかし実は大きな問題と違う価値観を孕んでいる人たち。今回の作品はそれを更に具体化し、私たちに疑問を投げかけてくる、とても考えさせられる作品でした。 多くの人が、対岸の彼女や八日目の蝉を始め、今回の作品でも「感情移入できない」「理解できない」と言っても過言でないと思います。私も、子供がいるわけでもなければ、この作品の人間たちの感情を全く理解できるわけではないです。しかし、それは自分が見ていない世界や価値観であって、存在していないものではない。決して水穂や里沙子のような、「ひどい」と思われる母親が、いないわけではない。ありえなくもない。そういった受け入れ難くも現に存在するかもしれない価値観に、この作品は光を当て、私たちに疑問を投げかけてきます。「もしかしたら、水穂は自分のことかもしれない。」と。 確かに、結末があっさりしているように見えるが、そこがかえって、この本の中の問題だけでなく、私たちの生活の中にも、この作品の中で出てくるような「陰」が隠れており、それを皆軽く装っているだけなのだと、言っているように感じました。 重くて辛い話でしたが、沢山のことを考えさせてくれる、素晴らしい作品である、と私は思い、五つ星をつけました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
子供を虐待死させた事件の補充裁判員に選ばれた主人公は、被告人と同じ、娘を持つ母親だ。 物語は裁判が進むに連れ、主人公が心理的に追い込まれていく様子を、ありがちなモチーフを散りばめて綴られている。 主人公のそれまでの生活も、 『坂の途中』や『補充』といった位置付けが、欠陥では無いが、信じることだけで構築されていた中途半端な幸福感の中に暮らしていたことを予見させる。 それが裁判員となったことで、どんどん気付かされてしまい、視野が狭められていく。 裁判員制度は選ばれたという表現を使うから、自分を過大評価してしまう人がいるらしい。 主人公もこの時点でアメを貰っているから、自分が経験したことの無い特殊な環境にいるのに、馴染みのある人々や、 自分と同じ母親である被告人の言葉に心を支配されていくのだろう。 よく理解できるから耳に入るし、思考力があるから、こだわるほどに考えてしまう。 つまり、彼女の知性が偏った結果がムチになってしまうのだ。 調書を読みこなす自信も、現場写真やイラストを見る自信も無い自分だが、今回は角田光代という真綿に首を絞められたままで結末を迎えた。 今日もそろそろお母さんたちが、子供を乗せた自転車で街を駆け抜ける時間だ。 みなさん、ご安全に! | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公の里沙子の、心理描写、こどもに対する複雑な思い、自分自身が娘を育ててきて いろいろなことが思い出され あまりにも苦しくて苦しくて 読み進むことがなかなかできず ようやく読み終わり、胸のなかのどっしりとした重みをどうしたらいいやら ・・・ 自分自身、暴力と罵倒のなかで育ちました。だから実家とは疎遠です。 でも 親は今は罪滅ぼしのつもりか、経済的援助をしてくれてます。そのことにも自分に嫌悪感を感じます。 私はこどもをうむつもりはまったくありませんでした。 暴力で育てられた自分はきっと同じことをする、確信がありました。 被告人の女性も、里沙子も実家とはうまくいっていません。 そのことも 身に染みてあらためて苦しくなりました。 娘を産んだ以上 責任をもって育てなければいけない その思いが、「かわいい」「いとおしい」と思う以上に大きい。 娘が中学生になったいまも その気持ちはあります。 小さいころ保育園から帰り、ぐずる娘にいらいらして手がでたこともありました。 虐待まがいのこともしました。 今 中学生になった娘に あのころはごめん、と謝っています。 でももう遅いような気がしてなりません。 3歳児くらいまでのお子さんを育てるお母さんの環境がお母さんにとっても お子さんにとってもおだやかなものであるよう、まわりのケアが充実していくよう願ってやみません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
怖い怖い。裁判員になったような気がした。ものすごいバーチャルリアリティー。 それに、犯罪のテーマもハマりすぎ。ちょうどこの前、しつけのために親が子供を置き去りにする事件があった。現代に恐ろしくリンクした小説だ。 角田さん、小説家としてのりまくっている。文学賞もあらかた取りきってしまったし、出版するたびに『代表作』クラスの迫力作品ばかりだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
映画「八日目の蝉」がとても面白かったので購入しました。 育児経験がある方は、母が追いつめられていく様子が、非常にリアルな描写であると感じると思います。 しかし、結末がちょっと...私には一方的な考えに偏ったものだと思い、少し苦々しく感じました。 世の夫たちはどう思うでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
補欠裁判員に選ばれた子持ちの主婦(33歳、夫あり、娘3歳)が、 自分と同じような環境の被告が子供を殺した事件を通して、 自分と重ねて考えていく、という物語です。 角田光代さんの本は好きです。 私は「紙の月」より良かったです。 この後の主人公(里沙子)もまた知りたくなりました。 うちは子供がいませんが、私も専業主婦だからか、 主人公の気持ちに共感することができました。 子育てだけの問題でなく、妻(被告や主人公)と夫、妻と義母・義家族、妻とその母・家族、 との関係性が深く書かれています。 また裁判員になったらどんな状態なのか、ということも垣間見えます。 子育てと裁判員については、私は「大変なんだなー」と疑似体験し、 子育て中の親御さんや裁判員になった人に、今後労いの気持ちを持てそうです。 対夫、対義母・義家族、対母・家族に関しては、深く考えましたし、 だらだらと長い描写だとは思いませんでした。 被告とそれらの関係と、主人公とそれらの関係を書こうと思ったら、 このようになると思うし、それができる角田さんがやっぱりスゴイと思いました。 おそらく、被告や主人公と同じ生い立ちでないと理解できないかもしれません。 もしくはそういう人たちが、夫・義母・母と同じ側(性格)の人かもしれません。 また、被告と主人公と自分も同じなのに、気づいていない人たちも多いと思います。 気づいていないと、何が原因なのか分からずに家庭崩壊していってしまうのではないかと。 今回テーマになっている部分(最後に分かりますが)は、 これからの世の中で重要なことだと思います。 暴力、あきらかな暴言、分かりやすいイジメ、それらも辛いですが、それらは表面化しやすいです。 人に話しても共感や同情を得やすい。 そうでない今回のようなことは、気づいている人が今はあまりにも少ないと思う。 カウンセリングの世界では常識的なことだったりするし、今後一般的になってくるんじゃないでしょうか。 その最後に分かることは、途中で主人公の夫に対して、私は気づいていました。 だけど、主人公の母と絡めて最後にそうまとめるか、と思い、やっぱり上手いと思いました。 私自身、母に同じようなことを感じたことがあるのに、そこまで思いが至りませんでした、 純文学ですからね。読みやすい大衆文学とは違います。 それでも読みやすい方だったと思います。 私は入り込んで、すぐに読み終えました。 被告や主人公側から見るだけでなく、 自分が主人公の夫や主人公の母のようになってはいないか? と気をつけるのにも、良い機会になる本だと思います。 これって反対に、奥さんが(今回の夫の立場で)旦那さんに同じことしてる場合もあると思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本を読んだこの気持ち、「面白い」とか「のめり込む」とかそういう言葉で片付けられるものじゃないです。 苦しくて、重たくて、感情移入しすぎて・・・。つまんないのとは別の理由で、読むのにこんなに時間のかかった本も久しぶりでした。 角田さんはこの作品で「会話というコミュニケーションの曖昧さ、言葉で伝えることの難しさ」と描きたかったと仰っていました。 同じことを聞いても、人によってこんなにも受け取り方が違うのかと感じたし、 もし自分がこの事件の裁判員だったらどんな判決を下すかな?と考えてみても、読み終えた今になってもその答えを出せずにいます。 里沙子は事件に触れるうちに自らの境遇をも犯人に照らし合わせてしまい、その重圧から負のスパイラルに陥っていきます。 やがては自分は子供を愛しているのかとすら疑問を抱き、離婚まで考え・・・・。 でもこんな風に自分自身を照らし合わせてしまうのは里沙子だけでなく、読者自身にもあてはまること。 私は日々の生活の中で無理をしてはいないか? 逆に家族に無理はさせてはいないか? ・・・この本を読んだことは、それを考えるいい機会にもなりました。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!