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夏と冬の奏鳴曲
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夏と冬の奏鳴曲の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.62pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全64件 21~40 2/4ページ
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新本格第二世代の旗手である麻耶氏の翼ある闇以上にこれまたミステリーファンに物議を醸し出そうと確信犯で書かれた問題作である。 が、物語自体は普通のクローズドサークルの孤島の連続殺人で、メインは雪の上の足跡のない首なし殺人と本格のガジェット満載でまあごく一般のミステリーと同じように進行していく。 特に難解とか事件の構造が複雑ということでもないのでそういうイメージから敬遠している人はかなり損をしている。 連続殺人自体の真相は表層的だがちゃんと判明するし、雪の上の足跡のない首なし殺人のトリックも実際こんなことあるのかという、前作の翼ある闇の首切断の密室トリック並みにトンデモないものだが、まあこれでもいいんじゃないでしょうか。 本作が訳が分からないと言われるのは挿入される短編映画と主人公の繋がりとラストのメルカトルの指摘の一文からだと思われるが、全体としてはちゃんとミステリーになっている。 新本格推理ファンには必読の一冊である。 | ||||
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推理小説は謎解きだと考えている方。 推理小説に探偵の鮮やかな回答、解決を望んでいる方。 この作品はオススメできません。 約700ページもの長編作品。 とは言うものの、内容的には薄っぺらい。 体脂肪率90パーセント。 なんだか・・・ラストを書くために作品を書いたような、 コナ〇君が好きな小学生が書いたような作品。 コナ〇君のような名探偵は出てきませんが。 私は、メルカトル鮎がどのような一言を言ったのか。 その一言で全てを解決しているのか。 それを知りたくて、それだけのために本作を読み進めました。 苦行でした。 時間とお金を無駄にしてしまった本。 そう思いながら読んでいました。 私がこの作品を面白いと感じたのは677ページの 後ろから5行目。 ある人物の一言からです。 やっと面白くなってきたー!と思いました。 もう終わっちゃうけど。 そして待ちに待ったメルカトル鮎の一言!! ぶっちゃけあり得ない。 メルカトル鮎の一言ではありません。 その一言によって判明する事がです。 そして主人公、烏有の馬鹿さがあり得ないのです。 最低です。 この作品のラストを書くために烏有のキャラクターがあるのです。 そして、その他のあまりにも多すぎる無駄な文章。 推理小説であるならば、 結末や真相に向けて布石とそうではない部分が書いてあるもの。 なのに本作には無駄しかない。そんな感じです。 この作者は短編作品では面白いのに、長編作品を書くと無駄な部分が多くなり さらには結末としても微妙なものがある。 謎解きを楽しみたい方は短編を読むことをオススメします。 メルカトル鮎の一言が全くの無駄ではなかったこと。 私なりにある程度納得のいく回答を考えることができたので★1つ | ||||
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私には難解過ぎたようです。 さっぱりわかりませんでした。 謎解き・探偵なしなんて・・・(犯人自白かよ!) 「キュビスム」という言葉が理解できない、もしくは苦手な人は 読まない方がいいと思います。読んでもめんどくさいだけです。 わかる人にしかわからない、って感じの内容だと思います。 分厚いですが、うんちくばかりでなかなかすすまず、 最後に駆け込みでいろいろ判明(謎解きではない)して「んなアホな・・・」と。 登場人物たちが話すのは思想論ばかりで事件のアリバイやなんかはほとんど語られず 隔絶された島なのにハラハラ感も感じませんでした。 歪んだ館のデザイン全くトリックに使われないなんて〜 結局モーゼのしわざですか、そうですか。 | ||||
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正直、人におすすめできません。 一般的なミステリ好きはいろんな謎がでても、最後には明確な回答があるというのがお気に入りです。 ただ、そういうのに飽きちゃった。そんなに探偵が万能なら、最初から犯人を指摘して未然に防げないの? なんて一度でも考えたことがあれば、もしかしたら楽しめるかもしれません。 少なくても、人にすすめられて読んでみて、わけわからん?どういうこと?説明して?とかはすすめた人に言わないという礼儀は持ってほしいですw | ||||
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本格推理小説ファンの自分にとってはストーリーにちょっと無理があると思う。とくに雪密室のトリックは反則と思う。 | ||||
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と言ってもこの時代は棲み分けが出来ていなかった。 ライトノベルというのは最近聞く言葉で、また美少女アニメと いうのも当時はそれほど流行っていなかっただろう。そう考えると ずいぶん時代を先取りしているような気もしてくる。 題材的にはそれらで扱ったほうがよい出来になっただろう。 まず主人公の2人に感情移入が出来ない。 怪しげなアニメに出てきそうな17歳の女子高生と21歳の医学部を 中退した青年。この青年のあり得ない設定は苦笑するしかなかった。 女子高生の方は最近のアニメにしか出てこないようなタイプだった。 他にもどうして推理作家というのはクラシック音楽と絵画に興味を 持つのかと不思議に思う時があったり、東京大学への執着に 気持ちが悪くなった。高校生向けということであれば理解もできるが・・・。 京極堂が妖怪について長々と話すシーンと同じくらいの退屈 を感じた。 読後に何人かの解説を読んでみたが、どれも納得のいくものではなく 大抵がこじつけがましいもので、詰まり物を落とすことはできない。 そしてラストはちょっとアレなドクターのいる島を舞台にした 映画のラストのようでもあった。 いろいろな媒体で見たものをつぎはぎにされたような気分がして、 新鮮な驚きはほとんどない。 なんとか結論付けるとしたなら、この小説は学生が退屈な授業中に 妄想するようなことを紙に写した「哲学」のようなものだ。 これは大抵授業が終わると後日思い出そうとしても思い出せない。 しかし、この小説を熱烈に支持している人も多いようであるから 所詮感性の問題なのかもしれない。 それから表紙の絵がまるでアレのようなので、もっとファンシーな 絵に変えた方がいいと思う。 | ||||
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うゆーとうゆう。 黒い服と白い服。 最後に明かされる編集長の秘密。 思えば仕掛け自体はあからさまで明瞭だった。はじめて読むときは真夏に降る雪のように、 それどころではない圧倒的事態の連続の前にただただ打ちのめされるしかないにしても。 自分が好きだと思いそのために殺人までして守ろうとしたものが、 黒だったのか白だったのか。 京都の川べりで語り合った存在がどちらかわからなくなった時に主人公を襲った衝撃を思うと。 このシリーズの最後に何が待ち受けているかも含めて、これほど哀切でこれほど暗澹とした作品は二度とないであろう。 青春の一冊。 | ||||
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1993年、同じ月に出版された「聖アウスラ修道院の惨劇」と「竹馬男の犯罪」、そして「夏と冬の奏鳴曲」の3冊を持って旅行に出かけた。今から思えば荷物が異様に重かったはずである。 「聖アウスラ修道院の惨劇」、「竹馬男の犯罪」を楽しく読み、最後に「夏と冬の奏鳴曲」という順番。 他の2冊に比べ、圧倒的に小説世界への入り込みが違った。 「謎を知りたい!結末を知りたい!」 という欲求はすさまじく、帰りの列車の中でついに読了。ところが・・・ 本を投げつけようと思ったことは後にも先にもあのときだけ。特急列車の通路にこれ見よがしに捨てていこうかと思ったほどである。 謎がスッキリと解明されていない。ただこれだけだったのだが、あまりにも面白すぎて・・・爆発してしまったのだ。 当然それまでも酷い小説は何冊も読んできたが、こんなに途中まで面白いのに最後で裏切られたのは初めてだった。 旅行から帰ってきて読書仲間に延々とこの本の悪口を言っていたのを覚えている。 あれから18年の月日がたち、その間も麻耶雄嵩のほかの作品はしっかりチェックしてきて思うのは 「何であの作品だけ酷いのか?他はこんなにもおもしろいのに・・・」 ということ。 「もしかして自分は錯覚してる?」 そして再び手に取る。 「・・・(唖然)」 若くて青かった自分を思い浮かべる。あの頃の自分は作者の仕掛けが全然見えていなかったのだ。 読者に「読み解く」ことを強いる作品って・・・、そして、解答はは無い。 まるで作中の登場人物である。20年ぶりに島を訪れる人たちと18年ぶりに奇書を手に取る自分。鳥肌。 「黒死館殺人事件」を戦場に持っていった話は有名だが、私はこれを持って行くだろう。 | ||||
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1993年、同じ月に出版された「聖アウスラ修道院の惨劇」と「竹馬男の犯罪」、そして「夏と冬の奏鳴曲」の3冊を持って旅行に出かけた。今から思えば荷物が異様に重かったはずである。 「聖アウスラ修道院の惨劇」、「竹馬男の犯罪」を楽しく読み、最後に「夏と冬の奏鳴曲」という順番。 他の2冊に比べ、圧倒的に小説世界への入り込みが違った。 「謎を知りたい!結末を知りたい!」 という欲求はすさまじく、帰りの列車の中でついに読了。ところが・・・ 本を投げつけようと思ったことは後にも先にもあのときだけ。特急列車の通路にこれ見よがしに捨てていこうかと思ったほどである。 謎がスッキリと解明されていない。ただこれだけだったのだが、あまりにも面白すぎて・・・爆発してしまったのだ。 当然それまでも酷い小説は何冊も読んできたが、こんなに途中まで面白いのに最後で裏切られたのは初めてだった。 旅行から帰ってきて読書仲間に延々とこの本の悪口を言っていたのを覚えている。 あれから18年の月日がたち、その間も麻耶雄嵩のほかの作品はしっかりチェックしてきて思うのは 「何であの作品だけ酷いのか?他はこんなにもおもしろいのに・・・」 ということ。 「もしかして自分は錯覚してる?」 そして再び手に取る。 「・・・(唖然)」 若くて青かった自分を思い浮かべる。あの頃の自分は作者の仕掛けが全然見えていなかったのだ。 読者に「読み解く」ことを強いる作品って・・・、そして、解答はは無い。 まるで作中の登場人物である。20年ぶりに島を訪れる人たちと18年ぶりに奇書を手に取る自分。鳥肌。 「黒死館殺人事件」を戦場に持っていった話は有名だが、私はこれを持って行くだろう。 | ||||
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「新・新本格もどき」を読んだので、久しぶりに再読したくなりました。やはり傑作です。絶海の孤島に建てられた奇妙な館での連続殺人、美少女に迫る危機、20世紀美術と音楽を題材にしたペダントリイ。本格推理ファンを喜ばす要素をふんだんに用いながら、できあがったものは本格推理とは似ても似つかぬもの。それ自体が立体派や十二音音楽を思わせる構成です。細部に相当無理があるのは事実だと思いますが、一つ一つは仄めかし的ながら伏線がかなり丁寧に引いてあるので、注意深く読むと事件の全体像だけはつかめるようにできています。いくつかのヒントを辿って読解して行くうちに、ポストモダンな言説が命を失っていなかった当時、全てが相対化されそうになっていた中で、「神」でも「自己同一性」でもいいのですが、何か絶対的なものを得ようとする登場人物達の必死な営為が浮かび上がってきます。それも吐き気を催すようなやり方で。このようなリドル・ストーリー的な要素がこの作品の最大の魅力ですね。自己同一性がどうのこうのとのんびりしたことを言っていられなくなった現在、これだけの厚さの文字の迷宮を楽しむのはなかなか贅沢な時間の使い方ですね。 | ||||
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「新・新本格もどき」を読んだので、久しぶりに再読したくなりました。やはり傑作です。 絶海の孤島に建てられた奇妙な館での連続殺人、美少女に迫る危機、20世紀美術と音楽を題材にしたペダントリイ。本格推理ファンを喜ばす要素をふんだんに用いながら、できあがったものは本格推理とは似ても似つかぬもの。それ自体が立体派や十二音音楽を思わせる構成です。 細部に相当無理があるのは事実だと思いますが、一つ一つは仄めかし的ながら伏線がかなり丁寧に引いてあるので、注意深く読むと事件の全体像だけはつかめるようにできています。いくつかのヒントを辿って読解して行くうちに、ポストモダンな言説が命を失っていなかった当時、全てが相対化されそうになっていた中で、「神」でも「自己同一性」でもいいのですが、何か絶対的なものを得ようとする登場人物達の必死な営為が浮かび上がってきます。それも吐き気を催すようなやり方で。このようなリドル・ストーリー的な要素がこの作品の最大の魅力ですね。 自己同一性がどうのこうのとのんびりしたことを言っていられなくなった現在、これだけの厚さの文字の迷宮を楽しむのはなかなか贅沢な時間の使い方ですね。 | ||||
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麻耶雄嵩氏の中で最も難解な作品。はっきりとした解決はありません!迷宮をさ迷う様な浮遊感とカタルシスを味わいます。二度熟読してもわかりません。これから読まれる方に一つヒントを。少女の『うゆーさん』、『うゆうさん』の呼び方に注目! | ||||
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麻耶雄嵩氏の中で最も難解な作品。はっきりとした解決はありません!迷宮をさ迷う様な浮遊感とカタルシスを味わいます。二度熟読してもわかりません。これから読まれる方に一つヒントを。少女の『うゆーさん』、『うゆうさん』の呼び方に注目! | ||||
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キュビズムの目的は絶対性であったが、その論理には致命的な問題が存在する。故に、キュビズムを三次元に敷衍するという方式でも、現実には絶対など得られないのであるが、大事なのはその絶対性の消失の仕方だ。絶対が二つあることにより絶対が相対化されてしまう。ではそれを三次元の現実世界で考えるとどうなるか?そもそも烏有にとっての絶対とは何なのか、それを考えて行けば至極まっとうな結末なのである。 単にわけのわからないストーリーを展開させる不条理劇でもなければ、論理に縛られ飛び立てない本格ミステリともやはり一線を画す。 麻耶の作品というのは、極めて論理的で全て一直線に理解できる。しかしそれでいてその整然とした厳格な論理が自縄自縛とならず、非常にドラマティックに動こうとするのが魅力だろう。 能において大事なことはまず演者が人間でなく、人形のような「物」になることが求められるが、かといってそれがロボットのように動いたのではおもしろくない。その人形がまるで人間のように動くところにおもしろさがあるのである。麻耶の作品もまったく同じだ。神様ゲーム、鴉、瑠璃鳥などの作品にも見られるように、非現実的ではあるがその中では整合性がとれた独創的かつ非情な論理で世界を構築し、それがまるで現実のものでありたがるように行動するところに興がある。そしてこの夏と冬の奏鳴曲はそうした作風が最もよく現れた芸術作品と言える。 このように論理で世界を構築するからこそ、そこに存在するドラマが、本来水と油の関係であるはずのミステリ性と融合するのである。単に人間ドラマを充実させたミステリではなく、この世界の論理と人間ドラマが切っても切り離せない絶妙の和音を響かせている。 取り敢えずこの作品を読む時は、中盤のややこしいキュビズムの論理から目を背けてはならない。そこさえおさえれば謎はすべて氷解する。烏有にとっての絶対が如何にして相対化していくか、また相対化した絶対を再び絶対化するためには何が起こることが必要なのか(それは皮肉にも作中のある人物の論理に従うことになる)、そうした点がすべて繋がり、他の小説とは比較にならない圧倒的なカタルシスを得られるはずだ。 ただメルカトルの最後の一言と「春と秋の奏鳴曲」については痾の内容をふまえるに一種のコラージュと見るべきなのだろうが、その点については論理的ではあるがドラマティックとは言えず、蛇足である気はする。 | ||||
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面白いと言えば面白いけど…。何とも未消化な結末。この作品の評価が賛否両論にはっきり別れる所以だと思う。本格推理小説にしては、多分に読者には不親切な作品。根本的な謎はそのまま放置されて…これで納得感が得られるはずはない。作者の独り善がりか?それとも私に理解力がない?確かに、途中は面白いけど…。読み終えて後、何なんだ―という気持ちが大きい。様々な謎がリンクしているけど、一部の謎解きで推理小説ファンが納得するとは思えないけど。何かすっきり感がないなぁ…。賛否両論、人それぞれに解釈の仕方は違うのだろうけど…、私は?のまま読み終えた作品でした。 | ||||
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面白いと言えば面白いけど…。 何とも未消化な結末。 この作品の評価が賛否両論にはっきり別れる所以だと思う。本格推理小説にしては、多分に読者には不親切な作品。根本的な謎はそのまま放置されて…これで納得感が得られるはずはない。作者の独り善がりか?それとも私に理解力がない?確かに、途中は面白いけど…。読み終えて後、何なんだ―という気持ちが大きい。様々な謎がリンクしているけど、一部の謎解きで推理小説ファンが納得するとは思えないけど。何かすっきり感がないなぁ…。賛否両論、人それぞれに解釈の仕方は違うのだろうけど…、私は?のまま読み終えた作品でした。 | ||||
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雑誌編集者の如月烏有は、助手で女子高生の舞奈桐璃と、日本海に浮かぶ 孤島「和音島」で行われる、ある人物の二十周忌の取材に行くことになる。 真夏に雪が降り積もった朝、彼らは断崖のテラスで島の主の 首なし死体を発見するのだが、周囲には誰の足跡もなかった……。 著者のみならず、九十年代初頭における新本格最大の問題作。 特に前述した《雪密室》にたいし、著者が示した解法は、あまりに奇想天外であるため、 生真面目なミステリ読者には到底受け入れられず、非難と嘲笑の的となると思います。 それにも増して読者を唖然とさせるのは、ヒロインの舞奈桐璃でしょう。 萌えキャラ的人物造型であるため、年配の読者には、それだけで生理的嫌悪の 対象だと思われますが、それのみならず、終盤には彼女にまつわる不可思議な 秘密が、十分な説明を伴うことなく、唐突に明かされることになります。 あまりに一方的で、読者を置き去りにしているといえます。 (ただ、叙述の表現形式によって一応の伏線は張られている) ほかにも、解明されずに放置される謎がいくつかあるのですが、結末で登場する、 メルカトル鮎の一言が示唆する事実だけを残し、物語の幕は下ろされてしまいます。 要するに本作は、一種のリドル・ストーリーであり、いわゆる普通の謎とその 論理的解明を骨格とする狭義の本格ミステリには該当しない作品なのです。 しかし、だからといって本作が駄作であるとはいえません。 本作以降、本作の趣向だけを安易に模倣し、ガジェットに淫して 謎解きを放棄した作品が陸続と世に出ました。そのほとんどは センスと教養のなさを露呈するという残念な結果に終わっています。 いみじくも本作のテーマであるキュビスムの絵のように、 本物と凡人の落書きとでは、おのずと違いがあるのです。 | ||||
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京極夏彦の「姑獲鳥の夏」(文庫)の解説に作品名があったので、興味が沸いて蒸発しないうちに呼んでみました。 まぁ、話の大筋はあらすじなり他レビューなりで既に充分に書かれていることなので省略させていただきますが、 先ず(何よりも先に)、絵画に基づく(または纏わり付く)思想だの哲学だの宗教的理念だの信仰心だの、やや新古典というか近代美術というかを基盤に引いてる美学だの、他に地盤の崩れに眩暈を起こさせるような(素晴らしい)設定(ここではややアンフェアなどんでん返しと解釈されているのだろうか)に浪漫を感じない方、一切興味の無い方(頭の柔らかい本格狂いを除いて)には激しくお勧め致しません、ね。 いや、私はあまりにもがたがたにお堅いがちがちの本格よりはこうした道理の有る、夢の有る、希望は無いが、なんかこう、幻想美に配慮を見せた型破りなミステリの方が文学的にはもちろん芸術的にも価値が高いと・・・あぁ、それは関係ないと言われるのか。にしても、この素晴らしい著作がなぜか所々悲しくなるような評価を下されているのは、読者が読む作品を選び間違えたとしか・・・。 これは、そう、少し読者を選ぶ作品かもしれません。ミステリ好きだからと軽々とした気分で読むには向かないかもしれません。少なくなくとも、万人の口には合わない、少し特殊な味がするために、所々低い評価を・・・。(でも、わからないかなぁ、手抜きだなんて有るけど、この考え抜かれた設定が。問題作的名作にふさわしいプロットが・・・視えないかなぁ) ま、こうした雰囲気に浪漫を感じる方々、眩暈が好きな方々等は楽しめるでしょう。とにかくプロットは絶品。 えーっと、ちょっとラストにやや不満があるような方々へ、 最後に訳がわからないとか謎が解けてないとかおっしゃる方々、何を申されるか。メルカルトル鮎が最後にちゃんと全てを解明してくれたじゃありませんか。確かに活字として細部が印字されているわけではありませんが、私はあの一言で全ての不可解、浮遊感、眩暈、なんかこう、ぐるぐるとする落ち着かない吐き気にも似た不安定感が、まぁ、多少の「えっ?!何これどういうこと?!」という叫びの後に、するすると消えて行きましたよ。これは決して不条理なエンディングではありません。有る意味では本格と呼んでも差し支えない。 読者にも推理力と称してもとくに害の無い想像力は必要ですよ。鮎の言葉から連想される可能性を考えてみることですね。全ての結果が書き記してある考えなくても解る書物が現代の当たり前となっているようですが、そんなこと。甘やかされていますよ。(古典文学を読む人にはこの感覚がきっとわかる)。確かに、疲れているときに読めば癒しどころが不快感や頭痛に見舞われるのかもしれませんが、まぁ、これは読む人の気心次第として。 私は中盤から結末までを夜中二時辺りに読んでいたのですが(こう、暗鬱とした気心で)最後にメルカルトルさんが来てくれなかったら(そこを読まずに寝ていたら)気色悪い悪夢に魘されていたことは確実。彼のおかげで安心して眠れました。裏表紙の言葉は嘘じゃない。 追伸的なもの。ー完読の三日後、「烏有に帰す」という言葉を知りました。あぁ、成る程って思いました。(ドイツ語でヌルは英語のゼロなので予想できた筈だったりもしたのですが。登場人物に対して残酷な作者だなという感想を抱きました。 続編らしき「痾」を読んだらこの感想は変わるのかしらん) 以上 | ||||
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京極夏彦の「姑獲鳥の夏」(文庫)の解説に作品名があったので、興味が沸いて蒸発しないうちに呼んでみました。 まぁ、話の大筋はあらすじなり他レビューなりで既に充分に書かれていることなので省略させていただきますが、 先ず(何よりも先に)、絵画に基づく(または纏わり付く)思想だの哲学だの宗教的理念だの信仰心だの、やや新古典というか近代美術というかを基盤に引いてる美学だの、他に地盤の崩れに眩暈を起こさせるような(素晴らしい)設定(ここではややアンフェアなどんでん返しと解釈されているのだろうか)に浪漫を感じない方、一切興味の無い方(頭の柔らかい本格狂いを除いて)には激しくお勧め致しません、ね。 いや、私はあまりにもがたがたにお堅いがちがちの本格よりはこうした道理の有る、夢の有る、希望は無いが、なんかこう、幻想美に配慮を見せた型破りなミステリの方が文学的にはもちろん芸術的にも価値が高いと・・・あぁ、それは関係ないと言われるのか。にしても、この素晴らしい著作がなぜか所々悲しくなるような評価を下されているのは、読者が読む作品を選び間違えたとしか・・・。 これは、そう、少し読者を選ぶ作品かもしれません。ミステリ好きだからと軽々とした気分で読むには向かないかもしれません。少なくなくとも、万人の口には合わない、少し特殊な味がするために、所々低い評価を・・・。(でも、わからないかなぁ、手抜きだなんて有るけど、この考え抜かれた設定が。問題作的名作にふさわしいプロットが・・・視えないかなぁ) ま、こうした雰囲気に浪漫を感じる方々、眩暈が好きな方々等は楽しめるでしょう。とにかくプロットは絶品。 えーっと、ちょっとラストにやや不満があるような方々へ、 最後に訳がわからないとか謎が解けてないとかおっしゃる方々、何を申されるか。メルカルトル鮎が最後にちゃんと全てを解明してくれたじゃありませんか。確かに活字として細部が印字されているわけではありませんが、私はあの一言で全ての不可解、浮遊感、眩暈、なんかこう、ぐるぐるとする落ち着かない吐き気にも似た不安定感が、まぁ、多少の「えっ?!何これどういうこと?!」という叫びの後に、するすると消えて行きましたよ。これは決して不条理なエンディングではありません。有る意味では本格と呼んでも差し支えない。 読者にも推理力と称してもとくに害の無い想像力は必要ですよ。鮎の言葉から連想される可能性を考えてみることですね。全ての結果が書き記してある考えなくても解る書物が現代の当たり前となっているようですが、そんなこと。甘やかされていますよ。(古典文学を読む人にはこの感覚がきっとわかる)。確かに、疲れているときに読めば癒しどころが不快感や頭痛に見舞われるのかもしれませんが、まぁ、これは読む人の気心次第として。 私は中盤から結末までを夜中二時辺りに読んでいたのですが(こう、暗鬱とした気心で)最後にメルカルトルさんが来てくれなかったら(そこを読まずに寝ていたら)気色悪い悪夢に魘されていたことは確実。彼のおかげで安心して眠れました。裏表紙の言葉は嘘じゃない。 追伸的なもの。ー完読の三日後、「烏有に帰す」という言葉を知りました。あぁ、成る程って思いました。(ドイツ語でヌルは英語のゼロなので予想できた筈だったりもしたのですが。登場人物に対して残酷な作者だなという感想を抱きました。 続編らしき「痾」を読んだらこの感想は変わるのかしらん) 以上 | ||||
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驚愕の名作!?これがミステリー?謎解きやトリックはどこに? ページに蔓延しているのは、作者の知識を自慢しているらしい小難しい芸術論や宗教論であり、読み物としての面白さは微塵もなく、疲れだけが残った。 読んでいても残りのページを見ただけで憂鬱になり、楽しむどころか、途中からはノルマのような気がしてならなかった。 孤島にある怪しげな館。雰囲気に期待して買ったものの、綾辻行人氏の「館シリーズ」や霧越邸殺人事件の方が圧倒的に楽しめる。久しぶりに買って損をした気分が味わえた。 700ページで900円。それだけの価値があったのだろうか? 登場人物の名前をとっても現実味がなく、まったく感情移入もできなかった。 | ||||
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