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夏と冬の奏鳴曲
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夏と冬の奏鳴曲の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.62pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全39件 1~20 1/2ページ
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クローズドサークルのミステリーで読みごたえがありました。 ただ解釈がかなり難しい部分も多いので、もう少し分かりやすくても良かったかなと思います。 「密室」に関してはちょっと拍子抜けだったのが残念でした。 | ||||
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内容は申し分なく、面白いが、理解するには大層長い時間を要する作品と思う。 その理解に必要な時間が作品を、より面白くすると思う。ぜひ読んでみてください。 | ||||
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私がこの作品に出会ったのは15年前、高校生の時でした。当時ミステリにどっぷり浸かるとともに、難解な小説、古典、演劇、映画などを読み解くのに夢中になっていた私にとって、この作品は大好物でした。ですが、理解するまでに15年かかった作品は、これだけです。 今回、新装改訂版が出るにあたって、久しぶりに最初から一字一句飛ばさずに読みましたが、本当に無駄なシーンが一つもない。前半、殺人が起きる前を冗長に感じるかもしれませんが、烏有がほぼすべてのページで心の中で突っ込んでいる「こいつら何かおかしい」と思うことは、すべて最終的には解決され、理解して読むと、「そういうことか…!」と1シーン、1シーン、噛みしめながら楽しめ、序盤から何度もさむけを味わいました。アンチミステリである本書も、正しく、ミステリ的な楽しみ方ができる本であることを再確認しました。 何度も読み返していたので、キュビズムの論理、立体派の内奥、密室の持つ意味、春と秋の奏鳴曲、黙示録、武藤の目的、密室や雪のもつ意味、物議を醸した最後のアレ、烏有の選択の持つ意味、メルカトルの一言…すべてその意味を理解していたつもりでした。 ですが、自分にとってこの15年、最大の謎は、「なぜ麻耶雄嵩はデビュー2作目でコレを書いたのか」でした。 どんなに一作目「翼ある闇」が破格の高評価を受けたとしても、ミステリ作家として生きていけると決まったわけじゃない。有栖川有栖だって、「誰しもミステリを一作は書けるかもしれない。だが、二作目を書けるかどうかが、作家として大事だ」という内容のことを書いており、その有栖川有栖の二作目は正統派中の正統派、孤島パズル。それに対して、麻耶雄嵩は「夏と冬の奏鳴曲」…。控えめに言って頭がおかしい。こういうのはもう読者の評価とか気にしなくなったデビュー何十年の重鎮が戯れに書くような作品であって、デビュー2作目なら、普通は「鴉」のようなまっとうなミステリを書くものかと思います。でも、麻耶雄嵩は敢えてこれを書いた…それが、この15年、自分にとって最大の謎でした。 今回読み返して、その最大の謎がようやく解けて、本当にスッキリしたので、以下にそれを書きたいと思います。 作品自体のネタバレはなく、基本的にはキュビズム関連のところを面倒くさくなった読者に対するレビューです。そのため、ゆっくり年単位の時間をかけて、自分で本書を読み解きたい方は読まないでください。 それでは… 簡潔に言うと、「立体派の内奥は、後期クイーン的問題だった」ということかと思います。 キュビズムにおける展開…対象を相対化し、対象物の本質に迫るという行為は、ミステリにおける「作品の中のすべての事象を、探偵が自分の物差しで理解し、意味づけし、絶対的な真実に迫る、推理という行為」に極めて構造が類似しています。隻眼の少女的に言えば、「右目で見る」という行為であり、痾においてメルカトルが烏有に能を見せた理由でもあります。 そして、その中で「どんなに展開を続けても、キャンバス上に空虚な空間ができてしまう」ように、ミステリにおいても「どんなに推理を続けても、絶対に正しいと最後まで詰め切ることができない」という後期クイーン的問題が存在しています。 つまり、麻耶雄嵩は、キュビズムの論理とその失敗に、ミステリにおけるロジックの限界を重ね合わせて、この作品を書いたのではないでしょうか。 そう理解すると、「最後のアレ」は、もちろんキュビズム的に理解(絶対が××により相対化される)も可能なのですが、ミステリ的に言えば「延々と精緻なロジックを突き詰め続けて真実にたどり着いたと思ったのに、最後の最後で正しい推理が二つ産まれてしまった」状態と考えられます。 そこで、それに対して何をしたか? それが、異物です。 キュビズムであればパピエコレ、神父や武藤にとっては奇蹟であったように、ミステリであればそれは何か? 麻耶雄嵩は、どこまでいっても絶対に絶対化できない推理を絶対化するために、己の作品にぶち込んだ、本来ミステリには存在しなかった異物。それがメルカトルや鈴木、みかげといった麻耶雄嵩の描きたかった探偵像なのだろう、と。 正統派に、与えられた情報の中でしか推理できない「名探偵」の木更津を後目に、メルカトルは自分で証拠を持ってきたり、能動的に相手に証拠を出させたり、本当にやりたい放題します。鈴木については語るまでもないでしょう。みかげに至っては圧倒的なまでの作りこみにより、不可能と言われた壁の正面突破を試みた。だからこそ、彼らは後期クイーン問題を超えていける。 麻耶雄嵩が探偵に求めたのは、「推理を絶対に正しいとは詰め切れないときに、そこを超えていける力」なのではないでしょうか。だからこそ、最後で「あの決断」をすることができた烏有だからこそ、メルカトルから「優秀な探偵の才能がある」と言われるのです。 そう考えると、本作「夏と冬の奏鳴曲」は、2作目でありながら、その後の麻耶雄嵩の作家人生30年分を予言していた、まさに黙示録とも呼べる作品なのではないでしょうか。 | ||||
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長らく手に入りにくい状態だった本書、新装改訂版は本当にうれしい、感謝です。 20世紀に読んで衝撃的だった本書だが、20年以上も経つと内容もほとんど覚えていないため再読したかった本のひとつでした。 これから、また読めるかと思うとわくわくします。 | ||||
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綺麗に包装されていました。対応も速くて良かったです。 オークションサイトで高額販売されていた絶版なので、定価販売で購入できて助かりました、 | ||||
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独特すぎる世界観のため評価が割れると思うが個人的には面白いと思った。 | ||||
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自分の中では生涯ベスト級のミステリ小説ですが、これほど人にお勧めしにくい小説もないでしょう。 ページ数は多い、事件はなかなか起きない、衒学的な話が延々と続く、トリックが非現実的、など欠点を挙げればきりがありませんが、そんなことはどうでもよくなるような魅力が、この小説にはあるのです。 終盤に差し掛かったある場面で、自分はぐらぐらするような酩酊感を味わいました。世界が崩れ落ちるかのような感覚です。 そしてそこから結末に向けての怒涛の展開。 作中で起きた事件は解決しますが、それ以上の謎を提起して物語は終焉します。 作者である麻耶雄嵩さんの小説は読者を選ぶ・お勧めできないものが多いのですが、その中でも特にこの作品はお勧めできません。それでも何物にも代えがたい魅力がこの小説にはあるのです。 | ||||
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帰省の際に持って帰り、約10年ぶりに麻耶雄嵩の作品2冊目を手に ( ' ▽ ` ) (1)年月を経ても解釈が難しい作品 (2)淡々と世界観が崩壊していく過程と 向き合っていく作品 _φ(・_・ とても良い作品ですね | ||||
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亡き女優を偲のび二十年ぶりに孤島に集った男女に起こる惨劇。真夏に降る雪の中の密室殺人で幕を開ける。 事件発生へのテンポが緩慢で、読者を置いてきぼりにさせるくらいに衒学的であり途中まで欠伸が出る。怒涛のクライマックスへといきたいところだが、これはミステリというより、不条理な世界へようこそ!ダークファンタジーへ誘われてしまう。 テーマ?のアイデンティティへの問題を深読みしてしまうと、混乱の極みに陥るだろう。 ラスト1頁で銘探偵登場はご愛敬ですが、相変わらずの破壊力抜群のラストは、未解決の謎なんてなんのその痛快ですらある。 | ||||
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先日、三度目再読。 友達に紹介する本ではないと思いつつ、10人位に紹介して読んでもらった。 めちゃくちゃ罵倒する人、大絶賛する人、賛否両論毀誉褒貶激しい本だとあらためておもった。 でも、どちらかと言うと面白くなかったという人が多かったかなという印象だ。 いろいろ話をした所、面白くないという人の意見もわからなくもないが、新本格ミステリを語る上では避けて通ることのできない本であることは間違いないと思う。 麻耶氏の出版されている書籍はすべて読んでいるが、一番とっつきにくいかもしれない、死人が出るのは中盤を過ぎてから、もちろん謎はあるが、それまで何百ページもの冗長と言われても仕方がない薀蓄と会話が続く。ミステリとは思えない密室トリック、実現不可能な謎。 だが、最後のカタストロフィーは、他のミステリがすべて陳腐に見える程の衝撃を受けた。 詳しい内容は読んでのお楽しみだが、アンチミステリでありながら本格ミステリであり、自分の存在自体が不確かになるほどのめまいを感じる。ドグラ・マグラに取って代わる奇書ぶりである。(もちろんドグラ・マグラも大好きだ) 私はこの書を戦後三大奇書(カテゴリーを勝手に作った)にしてもいいかと思う。 いろんな解説サイトを見ていると、最後の謎についていろいろな解釈がなされているが、私はあまり納得できていない。この本に関しては、謎は謎のまま残しておいたほうが良いのではないか。そう思うと、次作の痾は必要だったのかなと疑問に思う。 夏と冬の奏鳴曲の続編を出すのは著者の勝手だが、痾が存在することにより夏と冬の奏鳴曲の神秘性が一部薄れる結果となっているのではないか。 | ||||
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私のオールタイムベスト。 40年弱の人生でこれ以上に衝撃を受けた小説は無い。 ただし本当に前衛的過ぎるミステリだから(文章は美しいです。 叙情的ですらある)、覚悟は必要。 根っからのミステリマニアか、もしくは真逆に幻想小説が好きな人は気に入るかも知れません。 | ||||
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本書がメルカトルシリーズに分類されているのが、そもそも解せません(笑)。 いつ出てくるのか、ほんとに楽しみにしてたのに。 だいぶ終盤のころ、そして誰もいなくなりそうな展開になてきたので、 事後に何故かやってきたメルが、惨場を眺めての一言・・・。 それで世界がひっくり返る展開かなぁ~~と予想したりするも、全くそんなことはなく。 そもそも舞台自体なくなっちゃいますしね。 しかし”実行犯”がこんなにいるとはなぁ。十戒だか二十戒だかからも逸脱し過ぎです~。 (そんな規範に収まるために書かれたのではないことも踏まえつつ) 正直「よくわかんねぇ」まま終わりましたので、解説サイトとか探してその深みを探求したいと思います。 でも、「こんなん駄作だ」とは言い切れない、不思議な魅力を秘めています。 万人向けではなく、読み手次第ということも含めて、それだけはわかる。 ”探偵役”が類型的なキャラでないのも、ちょっとした魅力でした(途中までは)。 最後に、本日の時点でwikipediaで項目が作られていないことも納得出来ない(笑)。 | ||||
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新本格第二世代の旗手である麻耶氏の翼ある闇以上にこれまたミステリーファンに物議を醸し出そうと確信犯で書かれた問題作である。 が、物語自体は普通のクローズドサークルの孤島の連続殺人で、メインは雪の上の足跡のない首なし殺人と本格のガジェット満載でまあごく一般のミステリーと同じように進行していく。 特に難解とか事件の構造が複雑ということでもないのでそういうイメージから敬遠している人はかなり損をしている。 連続殺人自体の真相は表層的だがちゃんと判明するし、雪の上の足跡のない首なし殺人のトリックも実際こんなことあるのかという、前作の翼ある闇の首切断の密室トリック並みにトンデモないものだが、まあこれでもいいんじゃないでしょうか。 本作が訳が分からないと言われるのは挿入される短編映画と主人公の繋がりとラストのメルカトルの指摘の一文からだと思われるが、全体としてはちゃんとミステリーになっている。 新本格推理ファンには必読の一冊である。 | ||||
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正直、人におすすめできません。 一般的なミステリ好きはいろんな謎がでても、最後には明確な回答があるというのがお気に入りです。 ただ、そういうのに飽きちゃった。そんなに探偵が万能なら、最初から犯人を指摘して未然に防げないの? なんて一度でも考えたことがあれば、もしかしたら楽しめるかもしれません。 少なくても、人にすすめられて読んでみて、わけわからん?どういうこと?説明して?とかはすすめた人に言わないという礼儀は持ってほしいですw | ||||
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うゆーとうゆう。 黒い服と白い服。 最後に明かされる編集長の秘密。 思えば仕掛け自体はあからさまで明瞭だった。はじめて読むときは真夏に降る雪のように、 それどころではない圧倒的事態の連続の前にただただ打ちのめされるしかないにしても。 自分が好きだと思いそのために殺人までして守ろうとしたものが、 黒だったのか白だったのか。 京都の川べりで語り合った存在がどちらかわからなくなった時に主人公を襲った衝撃を思うと。 このシリーズの最後に何が待ち受けているかも含めて、これほど哀切でこれほど暗澹とした作品は二度とないであろう。 青春の一冊。 | ||||
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1993年、同じ月に出版された「聖アウスラ修道院の惨劇」と「竹馬男の犯罪」、そして「夏と冬の奏鳴曲」の3冊を持って旅行に出かけた。今から思えば荷物が異様に重かったはずである。 「聖アウスラ修道院の惨劇」、「竹馬男の犯罪」を楽しく読み、最後に「夏と冬の奏鳴曲」という順番。 他の2冊に比べ、圧倒的に小説世界への入り込みが違った。 「謎を知りたい!結末を知りたい!」 という欲求はすさまじく、帰りの列車の中でついに読了。ところが・・・ 本を投げつけようと思ったことは後にも先にもあのときだけ。特急列車の通路にこれ見よがしに捨てていこうかと思ったほどである。 謎がスッキリと解明されていない。ただこれだけだったのだが、あまりにも面白すぎて・・・爆発してしまったのだ。 当然それまでも酷い小説は何冊も読んできたが、こんなに途中まで面白いのに最後で裏切られたのは初めてだった。 旅行から帰ってきて読書仲間に延々とこの本の悪口を言っていたのを覚えている。 あれから18年の月日がたち、その間も麻耶雄嵩のほかの作品はしっかりチェックしてきて思うのは 「何であの作品だけ酷いのか?他はこんなにもおもしろいのに・・・」 ということ。 「もしかして自分は錯覚してる?」 そして再び手に取る。 「・・・(唖然)」 若くて青かった自分を思い浮かべる。あの頃の自分は作者の仕掛けが全然見えていなかったのだ。 読者に「読み解く」ことを強いる作品って・・・、そして、解答はは無い。 まるで作中の登場人物である。20年ぶりに島を訪れる人たちと18年ぶりに奇書を手に取る自分。鳥肌。 「黒死館殺人事件」を戦場に持っていった話は有名だが、私はこれを持って行くだろう。 | ||||
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1993年、同じ月に出版された「聖アウスラ修道院の惨劇」と「竹馬男の犯罪」、そして「夏と冬の奏鳴曲」の3冊を持って旅行に出かけた。今から思えば荷物が異様に重かったはずである。 「聖アウスラ修道院の惨劇」、「竹馬男の犯罪」を楽しく読み、最後に「夏と冬の奏鳴曲」という順番。 他の2冊に比べ、圧倒的に小説世界への入り込みが違った。 「謎を知りたい!結末を知りたい!」 という欲求はすさまじく、帰りの列車の中でついに読了。ところが・・・ 本を投げつけようと思ったことは後にも先にもあのときだけ。特急列車の通路にこれ見よがしに捨てていこうかと思ったほどである。 謎がスッキリと解明されていない。ただこれだけだったのだが、あまりにも面白すぎて・・・爆発してしまったのだ。 当然それまでも酷い小説は何冊も読んできたが、こんなに途中まで面白いのに最後で裏切られたのは初めてだった。 旅行から帰ってきて読書仲間に延々とこの本の悪口を言っていたのを覚えている。 あれから18年の月日がたち、その間も麻耶雄嵩のほかの作品はしっかりチェックしてきて思うのは 「何であの作品だけ酷いのか?他はこんなにもおもしろいのに・・・」 ということ。 「もしかして自分は錯覚してる?」 そして再び手に取る。 「・・・(唖然)」 若くて青かった自分を思い浮かべる。あの頃の自分は作者の仕掛けが全然見えていなかったのだ。 読者に「読み解く」ことを強いる作品って・・・、そして、解答はは無い。 まるで作中の登場人物である。20年ぶりに島を訪れる人たちと18年ぶりに奇書を手に取る自分。鳥肌。 「黒死館殺人事件」を戦場に持っていった話は有名だが、私はこれを持って行くだろう。 | ||||
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「新・新本格もどき」を読んだので、久しぶりに再読したくなりました。やはり傑作です。絶海の孤島に建てられた奇妙な館での連続殺人、美少女に迫る危機、20世紀美術と音楽を題材にしたペダントリイ。本格推理ファンを喜ばす要素をふんだんに用いながら、できあがったものは本格推理とは似ても似つかぬもの。それ自体が立体派や十二音音楽を思わせる構成です。細部に相当無理があるのは事実だと思いますが、一つ一つは仄めかし的ながら伏線がかなり丁寧に引いてあるので、注意深く読むと事件の全体像だけはつかめるようにできています。いくつかのヒントを辿って読解して行くうちに、ポストモダンな言説が命を失っていなかった当時、全てが相対化されそうになっていた中で、「神」でも「自己同一性」でもいいのですが、何か絶対的なものを得ようとする登場人物達の必死な営為が浮かび上がってきます。それも吐き気を催すようなやり方で。このようなリドル・ストーリー的な要素がこの作品の最大の魅力ですね。自己同一性がどうのこうのとのんびりしたことを言っていられなくなった現在、これだけの厚さの文字の迷宮を楽しむのはなかなか贅沢な時間の使い方ですね。 | ||||
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「新・新本格もどき」を読んだので、久しぶりに再読したくなりました。やはり傑作です。 絶海の孤島に建てられた奇妙な館での連続殺人、美少女に迫る危機、20世紀美術と音楽を題材にしたペダントリイ。本格推理ファンを喜ばす要素をふんだんに用いながら、できあがったものは本格推理とは似ても似つかぬもの。それ自体が立体派や十二音音楽を思わせる構成です。 細部に相当無理があるのは事実だと思いますが、一つ一つは仄めかし的ながら伏線がかなり丁寧に引いてあるので、注意深く読むと事件の全体像だけはつかめるようにできています。いくつかのヒントを辿って読解して行くうちに、ポストモダンな言説が命を失っていなかった当時、全てが相対化されそうになっていた中で、「神」でも「自己同一性」でもいいのですが、何か絶対的なものを得ようとする登場人物達の必死な営為が浮かび上がってきます。それも吐き気を催すようなやり方で。このようなリドル・ストーリー的な要素がこの作品の最大の魅力ですね。 自己同一性がどうのこうのとのんびりしたことを言っていられなくなった現在、これだけの厚さの文字の迷宮を楽しむのはなかなか贅沢な時間の使い方ですね。 | ||||
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キュビズムの目的は絶対性であったが、その論理には致命的な問題が存在する。故に、キュビズムを三次元に敷衍するという方式でも、現実には絶対など得られないのであるが、大事なのはその絶対性の消失の仕方だ。絶対が二つあることにより絶対が相対化されてしまう。ではそれを三次元の現実世界で考えるとどうなるか?そもそも烏有にとっての絶対とは何なのか、それを考えて行けば至極まっとうな結末なのである。 単にわけのわからないストーリーを展開させる不条理劇でもなければ、論理に縛られ飛び立てない本格ミステリともやはり一線を画す。 麻耶の作品というのは、極めて論理的で全て一直線に理解できる。しかしそれでいてその整然とした厳格な論理が自縄自縛とならず、非常にドラマティックに動こうとするのが魅力だろう。 能において大事なことはまず演者が人間でなく、人形のような「物」になることが求められるが、かといってそれがロボットのように動いたのではおもしろくない。その人形がまるで人間のように動くところにおもしろさがあるのである。麻耶の作品もまったく同じだ。神様ゲーム、鴉、瑠璃鳥などの作品にも見られるように、非現実的ではあるがその中では整合性がとれた独創的かつ非情な論理で世界を構築し、それがまるで現実のものでありたがるように行動するところに興がある。そしてこの夏と冬の奏鳴曲はそうした作風が最もよく現れた芸術作品と言える。 このように論理で世界を構築するからこそ、そこに存在するドラマが、本来水と油の関係であるはずのミステリ性と融合するのである。単に人間ドラマを充実させたミステリではなく、この世界の論理と人間ドラマが切っても切り離せない絶妙の和音を響かせている。 取り敢えずこの作品を読む時は、中盤のややこしいキュビズムの論理から目を背けてはならない。そこさえおさえれば謎はすべて氷解する。烏有にとっての絶対が如何にして相対化していくか、また相対化した絶対を再び絶対化するためには何が起こることが必要なのか(それは皮肉にも作中のある人物の論理に従うことになる)、そうした点がすべて繋がり、他の小説とは比較にならない圧倒的なカタルシスを得られるはずだ。 ただメルカトルの最後の一言と「春と秋の奏鳴曲」については痾の内容をふまえるに一種のコラージュと見るべきなのだろうが、その点については論理的ではあるがドラマティックとは言えず、蛇足である気はする。 | ||||
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