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伏
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伏の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.30pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全40件 21~40 2/2ページ
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2012年にアニメ映画として劇場公開された長編伝奇小説。江戸を舞台に、 山からやってきた猟師の少女・浜路と、人間と犬のあいだの化け物・伏た ちとの戦いと奇妙な交流を描く。元々連載されていたので、映像的な活劇 内容が講談師のような語り口でテンポよく展開する。 本作の最大の特色は入れ子構造、しかもふたつのサブストーリーが埋め込 まれていることだ。ひとつは伏が誕生した因縁の物語。もうひとつは伏の ルーツを探る旅の物語。両編合わせて全編の3分の1以上に相当する。 桜庭は『南総里見八犬伝』を踏まえながら、滝沢馬琴が生きる19世紀の江 戸に、伏が化け物として人間社会に潜んでいるという設定を作り、その因 果のはじまりとして、馬琴が語るフィクションとは別の真実の歴史が、室 町時代の安房の国にあったという物語を、第一の劇中劇として展開する。 この劇中劇が、枠の物語よりも断然面白い。『私の男』でもそうだが、桜 庭は道徳的顧慮と無縁の禁忌の原始的な関係を描くのに長けている。決し て互いに分かり合えず、それでいて第三者は立ち入れない、本能で惹かれ あうような関係。伏姫と飼い犬の八房はまさにそのような結びつきとして 描かれる。そして伏姫に弟・鈍色の寄せる屈折した思いもまた近親相姦の 禁忌を前にした狂おしい様相を帯びる。この第一の入れ子の物語において 桜庭らしさが遺憾なく発揮されている。 もちろん枠の物語でも、人間と伏、狩る者と狩られる者の「分かり合えな いが惹かれあう」関係がテーマとして共通している。しかし神話的な物語 という点では断然入れ子の物語の方が魅力的だ。この魅力的な劇中劇が枠 の物語を損なうほど質量ともに優れているがゆえに、本作の流れは損なわ れ、バランスを欠いてしまっているのが惜しい。 | ||||
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序章だから…だったのでしょうか? モノローグや昔話がほとんどで、「昔、あんなことがありました」「こんなことがありました」という説明ばかり。 本筋の話がたまに出てきたと思っても、せっかく活動的な主人公(ヒロイン)という設定なのに活躍する場面も少なく、いざ戦闘となっても臨場感もあまりなく…。 肝心の伏との心の交流も、読み手としてはあまり心に残らないというか、残念な感じです。 それでも「これから面白くなるのだろう」と我慢して読み進めた結果、たいした盛り上がりもないまま終了しました…。 自分としては本屋さんの宣伝と背表紙のあらすじがきにダマされた気がする一冊。 続巻が出ても、もう買わないと思います。 | ||||
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何年か前に、文春に載ってた謎の時代物。 たまたま読んだのが、伏姫と鈍色の作中作部分だったので、桜庭一樹って時代物に挑戦したんだ…何か固い話だなくらいに思っていたので、こんな全体像だったとは、思いもよりませんでした。 まあ、文春のフェアの、らしくない帯に釣られ、キンゲ、ザムドの宮地監督の劇場版が絡んでると知り、「アニメは見とかなきゃならんが小説も原作として読んでみるか」という不純な動機で読みました。 すみません。 以前読んだ「ゴシック」では、人物の軽さとエピソードの暗さや戯画的な描写に違和感があったのですが、この「伏」では軽さが逆にさもあらん享楽的で刹那的な雰囲気を醸し出してました。 どの登場人物もどこか憎めないところがあり、屈託無く動きまわる様が爽快です。ラノベ、ジュブナイルのワクワク感、多層構造の構成の巧みさに引き込まれ、 二三日に分けて読もうと思っていたのが、一気読みになってしまいました。 文芸からのメディアミックスって、端から期待薄感が漂うけど、ある意味、原作にそれほど思い入れもないので、アニメが原作に比べて不十分という気分にはならなさそうです。 よく動きそうだし、「小説も面白かった。アニメもこれはこれで面白かった」、という風になればいいなあ、と思いました。 | ||||
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年端の行かぬ少女が大した思い入れも無く単にカネのためだけに犯罪者予備群を銃殺してまわるというストーリー。 ちょっとした葛藤を見せたかと思いきや、結論はやっぱり大した理由無く狩る。(私は猟師だからな!) 筋と絡むでもない長いエピソードが度々差し挟まれてテンポは悪いわ、人物造形は浅く魅力的な登場人物はほぼ居ないわで、面白さが全く感じられませんでした。 あまり本を読んでつまらないと感じたことはないのですがこれは酷かったです。 おススメしません。 | ||||
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『八犬伝』は好きで、いろいろのリライト、歌舞伎や山田風太郎なども読みました。 著者、桜庭さんももちろんそれら多くの先行作品を踏まえて、新たな趣向で描こうとしたのだと思います。 まず浜路と道節の兄妹が、伏という「犬人間」の種族を狩って歩くという設定ですが、この第一作ではまだ、そのことによって浜路の成長を描く、あるいは伏一族との抜きがたい対立ドラマを描くという段階には入っていないのでは、と感じました。 浜路はふてぶてしいところもある、何とも愛らしいキャラクターですが、ここでは彼女自身を十分に掘り下げるよりも、彼女が伏たちの因縁にまつわる「話をきく」ことのほうに作者の主眼は置かれています。いわば、彼女は狂言回しのような存在で、馬琴の息子で瓦版屋の冥土の書いた「贋作・八犬伝」を読んだり、役者になっている伏の信乃から、その続編ともいうべき話を聞いたりする役割ではないでしょうか。 作中作品をはさみこんだ枠物語構成としては、山田風太郎の作品がすでにありますが、桜庭さんの『贋作・八犬伝』では、(少し「もののけ姫」を連想させる)独特の伏姫物語が描かれ、この部分は類例のない深みに達していると思いました。 人の歯のような銀色の葉にあふれる不思議の森。凶運を予言されて生まれ、父から、あらゆるものに顔をあげるなと「伏」と名付けられた姫は、奔放に力強く生き、馬琴の原作どおり安西景行の首をとってきた八房の妻として、その森に去ってゆきます。 そこではあらゆるものが名を持たず、人も獣も鳥もが交歓し、その交わりから人ではないものたちが生まれて暮らしています。ものごとの始原の混沌たる楽園であるとともに、人間世界から見れば狂気の世界でもあり、かつてその森に行った叔母の藍姫は心を失い、天守閣の座敷牢に幽閉され、そこには木が茂り・・・ぜんたいに泉鏡花の幻想世界のような妖しさ、そして人ではないものたちの幻めいた生命の華やぎに淡い悲しみがにじみます。 この著者ならではの「なつかしい根源の狂気」のようなものが、戦乱の時代にみごとに重ねられ、幻想絵巻をなしています。 伏姫の影のような地味な弟、鈍色も「遊女になりたい自分」という狂気を秘めたまま次代の領主になってゆきますし、みごもって戻ってきた姉をさらにまた座敷牢に幽閉しなければならない辛さ、そして生まれる幻の子どもたち・・・ 自然と一体になること、ほんとうの自分の源に帰ることは狂気かもしれない、というテーマに心ふるわせられます。 信乃が語る、この話の続きでは、種族の母というべき伏姫のことを知った「伏」たちがふるさとに旅をし、小さくなってしまった幻の森に入り、それが消えてゆくのを目にします。「この――自由という場所、この世の果てにぽっかり空いた銀の穴で、一人と一匹が人も獣もなく十年の時を過ごし、そうして俺たちのような生き物が生まれたのだ」 犬の寿命しか持たず、獣のように素直で無邪気で、本能のままに生き、刹那の激情をほとばしらせる彼ら。吉原の太夫でありながら、高楼から身を躍らせる凍鶴、愛した伏の娘を森に葬り、戻ってきてやはり賭場に入り浸って狩られた毛野。短い命をさわさわと生きる彼らの青白い美しさが、あちこち、どきりとするような文章でつづられます。 かれらはもう「国家にも、社会にも、世間にも、だれにも伏せない」で生きようとしています。 浜路はまだ、彼らの観察者としての役割にとどまっています。「狩るもの」として対峙しようとしていますが、まだ心に十分なゆらぎや葛藤もなく、彼らを受け止めるドラマが立ち上がってはいません。「伏」の生々しい獣としての匂いをとらえる感覚描写などは優れていますが、ここはまだ序幕。兄の道節のほうは妹とかけあい漫才をする程度の、さらにゆるめの描き方で、一膳飯やの船虫と併せて、彼のドラマも続巻からだという気がします。 江戸から逃れた伏を狙うこの兄妹を追って、瓦版屋にして語り手の滝沢冥土も上方へ向かう、というところで終わっています。 オリジナル『八犬伝』を背景に置きつつ、人と獣の夢幻的な交感の世界が天窓のようにはめこまれた意欲作として、続編を待ちたいと思います。 | ||||
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誰が主人公なのか。 なにが物語のテーマなのか。 長い割に読後感はいまひとつ。 登場人物たちも、感情移入する前に登場と退場を繰り返し、 過去編とも言える伏姫のお話も無駄に長い。 確かに、アタマの中での脳内補正された情景は、 美しいものだと認識される描写力はあるのでしょう。 でも、物語として、面白かったか? と問われると、私は途中から苦痛になるほどでした。 文庫で読みましたが、解説文が映画を売るための 宣伝になっていたのもなんだか・・・。 | ||||
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文句なく面白かった。時代小説が苦手な私でさえぐいぐい読み進めることができた。 人間の姿をして悪行の限りを尽くす犬人間「伏(ふせ)」が跋扈する江戸。身寄りがなくなり兄の動節を頼って江戸にやってきた山出しの狩人少女、浜路。この兄妹が伏に掛けられた懸賞金を目当てに狩りに乗り出す。と、これだけ書けばありがちな捕り物小説なのかと思うだろうが、里見八犬伝が絡んでくるのだ。作中で「贋作・里見八犬伝」を書くのは馬琴の息子の冥土。本編のなかにまるまる挿入された入れ子の小説を紐解くうちに伏の出自の謎が明らかになっていく。未完成のその物語は本編の終盤で浜路が伏のひとり(一匹)と対峙するときに、彼、信乃の語りによって収斂されていく。 浜路は狩るものだし、信乃は狩られるものではあるのだが、ふたりの足場はシーソーのようである。立ち位置が少しでもずれれば立場は逆転する。狩るはずのものが殺されることもあるし、逆もまたある。その瞬間ふたりはまったくの対等である。互いの立場が理解できるからこそ、その瞬間に友情めいた感情がチラリと交わる。犬人間として生きなければならない孤独や哀しみを初めて理解したのは浜路ではなかったか。「生きる痛みを忘れるために美しいものを見る」それは犬人間としての粗暴さとは真逆な描写なのだが、信乃がふるさとの森で見つけた蛍をガラス瓶に閉じ込めて大切に持ち歩いているさまが、伏として生きなければならない彼らの哀しみと孤独をよく現しているように思う。爽やかな読後感だった。 | ||||
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実は初めて読んだ桜庭一樹の小説。 この本はものすごく読みやすい。 適度に説明的な描写ですらすらと物語が展開し、 読書の喜びを堪能させてくれる。 いい意味で行間のない小説である。 万人が楽しめる小説。 描写されているまんまを受け取りながら読んでいけばいいのだ。 おそらく作者もそのあたりを意識しているのだと思う。 ほかの小説がこの手法で書かれているとは思えないので。 魅力的なキャラクターが繰り広げる破天荒な物語として本当に楽しんで読むことができた。 読書好きであれば、小学校低学年の子供でも軽く読める内容だと思う。 さらに求めるものがあるとすれば、クライマックスでの絶頂感か。 伏の森のシーンはとてもよかったが、 伏姫に関してのエピソードの落としどころもきっちりとつけた形でのものにしてほしかった。 ああいった形での続編もありみたいな終わりは避け、 この作品ですべてのエピソードを集約する形でのクライマックスで完結してほしかった。 ここまで読み物として徹底しているのだから、そのあたりも潔くしてほしかった。 いろいろ事情もあるのかもしれないが、そこが残念。 | ||||
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勧善懲悪の物語とは、正義が最後に勝つというおめでたい物語である。しかしながら、勧善懲悪物語の妙は、主人公がいかに善をすすめようとも(勧善)、悪役は強力で、なかなか懲らしめ(懲悪)られず、読者はハラハラドキドキすることにある。つまり、悪役が強力かつ執拗であればあるほど、懲悪のカタルシスは大きい。 そして、日本文学史上、最高のカタルシスを得られる勧善懲悪小説が滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』である。つまり、逆に言えば、この小説ほど、イヤらしく執拗で辟易する悪役が大活躍する小説はないのである。 本書は、馬琴の『南総里見八犬伝』の登場人物を借りて、桜庭一樹がまったく別の物語を書いたものである。勧善懲悪の八犬士たちは、江戸の町を荒らす半獣半人の妖怪(伏)として登場し、それを「伏ハンター」の犬山道節と浜路が追いかけるというストーリーである。つまり、馬琴の登場人物を借りた「吸血鬼ハンター」風な小説、である。 だが、正直なところ、馬琴の造型した個性的な登場人物たちが本書でイキイキ活躍しているとは言いがたい。むしろ、彼らは、平凡な人物になってしまっている。原作での妖婦船虫はここではたんなるコソ泥のおばさんだし、火遁の術をあやつる怪人道節は妹に頭のあがらない兄に、そして手弱女(たおやめ)ともいうべき薄幸の娘浜路は、現代的な娘になっている。 つまり、馬琴の造型した個性的なキャラは、ここではゆるいキャラとなっており、また、なんともゆるいお話となっている。桜庭一樹ファンにはいいが、八犬伝や馬琴が好きな人にはとうていおすすめできない小説である。 なお、現代作家の八犬伝翻案モノに関心がある方には、山田風太郎の『八犬伝』をお勧めする。八犬伝の物語と人間馬琴がこの本にはイキイキと描かれている。 | ||||
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アニメ化だとかそういうものが前提にあると、文春さんの連載の内容も影響されると思うんです。以前の長編のように、飛び跳ねながら、暗くいってください。応援しています。 | ||||
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ハードカバーで500頁弱の結構な長編であるが、読みやすいしストーリー展開もスピーディなので、一気に読了した。 内容はタイトル通り里見八犬伝を下敷きにしており、「伏」と呼ばれる犬の血が混じった種族を、14歳の少女の浜路と兄の道節が賞金稼ぎ目的で狩るのがメインストーリーだが、その過程で里見八犬伝の異説本として、里見家の布姫が犬の八房と二人で森に消えていく哀しい運命に至る里見家の没落の過程も描かれる。 結構凝った作りのよくできた作品と思うが、物語にどっぷりつかるというレベルまでは至らなかった。主人公やその他の登場人物に魅力が欠けていたからかも知れない。主人公の浜路という野性児のような少女は結構面白いキャラクターだと思うが、彼女の生い立ちや考え方といったパーソナルな記述は少なく、従って、彼女に好感を持てる要素が足らない。一方、贋作・里見八犬伝の姉弟に関してはより細かく描かれているのだが、二人とも魅力的とは言い難いキャラクターで、共感できるところまではいかなかった。 このあたりが原因なのだろうか。読後も登場人物もストーリーにも何となく淡泊な印象しか残らず、物足りなさが残った。 | ||||
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厚さにはじめはちょっとげんなりするも、ガシガシ読めて読後感はスッキリ。 これは、ファンタジーでしょう。映像化するといい感じと思います(アニメ化するらしいが)。 厳密に時代物的な捉え方をすると言葉もおかしいし、無駄な描写が多いと思いますが、全体をひどく貶めているわけでもなくリーダブルです。 逆に、何かミステリーのように捉えると、裏切られるでしょう。 既読感があるのは、ひとつには米村圭伍氏の『南総里美白珠伝』を読んでたから。 おてんばな娘が話を展開させていくのは、米村氏の得意な書き味で、ストーリ中に別の話が挟まるのもそう。 扱いは違うけど、八犬伝×娘×江戸時代の設定はでまったく同じ。 さらに、作中の白眉である『贋作・里美八犬伝』とその後の顛末は、なんとなく宇月原晴明氏の作品を思わせる色彩感がある。 (関係ないけど、宇月原氏の作品を誰か映画にしないかな) で、時間の流れに巻き込まれた大きな物語というテーマは、ガルシア=マルケス的でもあり、『赤朽葉家』的でもあって、段々とぐだぐだになっていくのも含めてそれを好む桜庭色が現れている。 これは悪い意味ではないです。おすすめ。 | ||||
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副題に贋作とあったので、わたしは、里見八犬伝に感銘を受けた著者が、 「私もあんなの書きたい!」と思い立ち、里見八犬伝風に書いた如何物なのか と思ったが、そうではなかった。 本書中における現世(江戸時代)には、人間と伏と呼ばれる人間と犬との あいだに生まれた存在が共存する。 しかし伏は、人間に害を及ぼすとして、掃滅の対象となってしまう。 「贋作・里見八犬伝」とは、本書中での史実、伏達のルーツを記すもの。 里見八犬伝の作者である滝沢馬琴の息子の手によって、書き綴られていく。 物語は主に、人間vs伏の攻防を追って展開する。 読後の全体的な印象は、おとぎ話のような世界観でとても心地よかった。 その余韻から抜け出すのが、惜しいような感じ。 それに、原作さながら擬音語が多用されるせいか、漫画を読んでいるときの ような茶目っけが感じられ、軽やかでさわやかで良かった。 なのだが、わたしは原作・里見八犬伝ファンなのである。 伏姫と八房(犬)との交わりにより、子孫が産まれたという設定には 大いに抵抗を感じた。 原作で伏姫は、人畜異類の定めを侵すことを、何よりも忌み嫌う。 また、原作と同名で質の異なる登場人物にも混乱した。 そういった主観的難点はあったのだが、以上を差し引いても、 読み物としては十分楽しかったので、★は多めにつけておいた。 | ||||
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桜庭一樹が情景描写に挑戦した作品。 「情景描写には主人公の心情が反映されており、 大変大切なものである。よい小説に無駄な情景描写はないと思って読め」 というのは、高校時代の国語教師の発言である。 この発言に僕は大いに反発を感じた。 「ストーリーを読むのに邪魔になる情景描写がある小説は名作にも、いくらもあるではないか」 名作にもあるくらいだからこの作品にもあった。 残念だが僕には桜庭さんの情景描写が邪魔になって、 ものすごくこの小説が読みにくかったのである。 『赤朽葉家の伝説』で見せてくれたぐいぐい読ませる物語を 桜庭さんには望む。以上、極私的感想。 | ||||
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読み始めたときは、最後まで読めるかなあとも思いましたが、最後まで楽しめました。 桜庭さんの直木賞作品や、その他の現代ものの作品は、結構ハードで暗いものが多く そのうえ現実感がなくって、好みが分かれるものが多かったですが、 これは、桜庭さんの良い面が出ている作品だと感じました。 途中、滝沢冥土が語る「贋作里見八犬伝」は、とてもいい話だと思ったし、物語全体を包む 空気感もおどろおどろしいが一方でファンタジーのような感じもあり、上橋菜穂子の様な感じもしました。 里見八犬伝をベースにしてこれを書くという作者の筆力はやはりすごいです。 主人公の浜路もかわいかったし‥。久しぶりに桜庭作品で★四つです。 | ||||
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読んでみた感想としては全体的に薄い気がします。 別にツマラナイわけではないのですが、言うほど面白いというわけでもない、と言う印象を持ちました。 猟師の浜路と犬人間“伏”達との心の交流とテレビでは宣伝されてましたが、言うほどの心の交流を感じませんでした。 一番最初の吉原での捕り物ですが、捕り物と言う割にはアクションもどこか足りない印象を受けます。 それに笑いながら死んだ太夫、犬人間の凍鶴との会話も薄いし意味深な会話もなくなんとなく肩すかしでした。 それから犬人間の現八もあれだけキャラ立てしておいてあの終わり方は「へ?」と思いました。 ですが犬人間の信乃のセリフは深いところもあると思いましたが、それでもなんとなく薄いと思います。 それでも信乃のセリフは作者の言いたいことが込められている気がしてよかったと思いました。 全体的には思ったよりアクションとしては弱く薄いと言う感想ですが、もし映像化されるのであれば面白くなるのではないかと思いました。 ですが本の感想としては星は3つと言う評価にさせていただきました | ||||
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この著者の別の作品である「GOSICK」が旧ヨーロッパの世界を舞台に幻想的に表現しているのに対し、この「伏」は日本の江戸をその作者の表現力をもってこれまた幻想的に表現されている。 それはまるで字で書かれた絵本を読んでいるかのようである。 あらすじは、江戸を舞台に、主人公が妖怪と戦い、その中で成長していくのだが、その中でさらにある物語が登場するというものである。 簡単に書けばこのようなものなのだが、この妖怪との戦いや登場人物の掛け合いのテンポがよくおもしろいうえ、なにより作品中で語られるもう一つの物語が、繰り返しになるが幻想的でまるで文字の絵本を読んでいるようなのだ。 とまあ書いてはみましたが上手いこと書けません。 とにかく百聞は一見にしかず。とりあえず読んでみてください。そうすればいかにこの本がこのレビュー以上に面白いか、そしていかにこのレビューの表現がこの本よりも稚拙かがわかります。 | ||||
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祖父の下で猟師として暮らしてきた14歳の少女・浜路は、祖父の死をきっかけに江戸にいる異母兄・道節のもとに引き取られる。その頃、江戸には伏という人間と犬のあいのこがいて、時々人間を襲っていた。道節は貧しい浪人暮らしをしながら、その賞金稼ぎをしており、浜路も猟師としてその仕事をすることになる。 伏は見た目はまるで人間なのだが、身は軽く、気ままで時に残虐で、体のどこかに牡丹の様なあざがある。そして寿命は20年くらいと短い。そして人間の生活に紛れ込んで生きている。 浜路はそんな伏を追いかけているうち、滝沢冥土という青白い読売に出会う。曲亭馬琴の息子であるという冥土は、伏に関する瓦版を売りながら、伏について詳しく調べていた。そして、父・馬琴の書く里見八犬伝の本当の物語、里見義実とその姫・伏、弟の鈍色と彼が拾った犬・八房の物語を浜路に語って聞かせるのだった。 江戸にわずかに残った伏を浜路に追っかけさせながら、その過程で出会う冥土や信乃に伏にまつわる物語の始まりと終わりを語らせるという構成になっている。このため、作中に冥土の著した贋作・里見八犬伝や、信乃の語る伏の森という章が挟まれる。 物事にまつわる光と影。あるものが司るルールの中で繁栄を謳歌するものもいれば、そのルールにより虐げられ苦しむものもいる。世の中の良い悪いはこのバランスの具合による。これを象徴するものが伏姫と鈍色であり、里見の里と伏の森であり、村雨丸と伏であろう。 この秩序と無秩序の中で、浜路というちっちゃな猟師は、基本的には秩序を守るために伏を討つという姿勢は揺らがせないものの、その幼い純粋さにより、伏の生き様にも涙し共感したりする。 時代の流れ、人々の考えにより、バランスの重石は左右する。浜路や道節と、伏たちの狩る狩られるの行ったり来たりは、結局どこへと辿り着くのか。 | ||||
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副題となっている「贋作・里見八犬伝」と言う言葉に惹かれてページを開きました。 実際、この本の中ほどに、滝沢冥土作「贋作・里見八犬伝」が登場します。 それは、「里見八犬伝」の前段の話です。 里見の里の姫君伏の数奇な運命の物語です。 そして、本編の物語は、その伏と愛犬八房の子孫の物語です。 彼らが世の中の「影」の部分を分担します。 それに対し、「光」の部分を担当するのは、猟師の娘浜路です。 読み書きも出来ず、まだ世の中の何たるかも良く知らない純粋な少女です。 とは言え、作者は決して「影」たる伏を悪しきものとして書いている訳ではありません。 作者は、「光」と「影」は常にあるものであり、そのバランスの上に世の中は成り立っていると語っているかのようです。 | ||||
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小説の書き出しは、想像力をかきたて、これからの活劇を予感させました。 が・・・面白くはなかった。残念。 映画化するらしいから、その前宣伝的な目的で出版されたのかな。 なんかぼんやりとした情景のシーンが多くて、話の大半が思い出話とか、架空なのか事実なのかはっきりしない描写の連続(映画として、幻想的で綺麗なシーンをたくさん入れたかった?)。 八犬士の名前を付けられた登場人物も、掘り下げが浅くて魅力を感じない。 その内の、とても重要そうな子供(信兵衛)も、出てきてすぐいなくなってその後はまったく出てこない。 なんだかもったいぶって登場させて、ていねいに謎めかしていたのに・・・ そして一番大事な、敵役がなぜそのように生まれついたのかという経緯の最後の部分が、中途半端にボヤかされて終わる。 一冊の本の中で、何かがはっきり分かって、ちゃんと終わるということが1つもない。 ラストも、あざとくシリーズ化を狙っている。映画もシリーズにしたいからか? とにかく、小説のあちこちで商売の匂いがしてくる本だった。ひさしぶりに、買って後悔をさせられた。 | ||||
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