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伏の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.30pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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「八犬伝」は江戸時代に書かれた伝奇小説だ。有名な古典はたいてい現代語で気軽に読めるのに、見たことがない。元ネタは中国の「水滸伝」で、こっちは読んでいる。 パロディは山田風太郎とか吾妻ひでおの作品を読んだ。 本家はウイキであらすじを読むだけで疲れるほど長い。元祖ではなく派生だけ読むのも珍しいパターンだ。 伏(ふせ)は、人の形をした犬だ。人間らしい心が無く、殺人を繰り返す。 少女猟師・浜路は兄の道節と共に江戸に伏狩りにやってきた。滝沢馬琴の息子・滝沢冥土に出会い、贋作八犬伝を聞かせてもらう。伏の信乃を追うが、思いがけず行動を共にすることになる。 痛快なアクションに怪奇風味もあり、とても楽しめた。 ストーリーは一直線であっという間に読めるが、構造は凝っている。 まず冥土の書いた八犬伝は140ページあり、独立した中編として成立している。姉弟間の確執に異種族との婚姻という奇譚要素が加わり、おぞましく美しい好篇だ。このパートが最も桜井らしいかも。 本筋に戻ってからも信乃の語りが80ページほど入る。こちらも引き締まった中編だ。 話中話というのは、「アラビアンナイト」によく見られる形式だ。 作者は古典的な「お話」の形式で本作を語りたかったのか。良い狙いである。 ヒロインの浜路が魅力的で、生と死にまつわる抒情性も極上だった。傑作である。 | ||||
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曲亭馬琴(滝沢馬琴)の『南総里見八犬伝』の登場人物を借り、桜庭一樹が作り上げた新しい八犬伝。江戸に潜む「伏」と呼ばれる犬人間たちと、それを狩る者たちの物語。 キャラクターの深み、セリフの重さ、アクションの表現にいまいち入り込めないところもあるが、劇中劇となる『贋作・里見八犬伝』と犬人間 信乃が語る『伏の森』は良い。吊城と里見の土地が、まるで赤朽葉家のようであり、伏姫と鈍色の関係が、毛毬と百夜のようであり、伏の森の描写はまさに表紙の世界そのもの。鴻池朋子のカバー表紙や挿絵が良い。 | ||||
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『真田十勇士』を読んでみたくて探しに入った古本屋で、たまたま手にした一冊です。 最初は『贋作』という事で全く期待はしておらず、つまらなければ途中で止めても良いやと思い読み始めました。 本作は『千と千尋の神隠し』で助監督を務めた宮地昌幸氏が、2012年に公開された劇場アニメ『伏 鉄砲娘の捕物帳』の原作。 アニメの方は見て居ないので比較は出来ないが、本作自体がアニメを見て居る様にに読み進められる。 主人公の鉄砲娘『浜路』の動き、他の登場人物との掛け合いのシーンなど、本文には書かれていない声質や話すテンポまでもが映像を視ているかの如く頭に浮かび上がって来る。 作者の桜庭一樹さんは、1971年生まれで作家としては若い部類に入る方だと思える。しかも女性だ。 女流作家嫌いの私にしては、珍しく最後まで飽きることなく読み通す事の出来た1冊。ぜひ他の作品も読んでみたいと思える。 | ||||
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おもしろい! テンポ良く展開する物語。 伏と呼ばれる半獣半人と伏を狩る兄妹。 登場キャラクター達がそれぞれに魅力的。 軽快なのに濃厚な娯楽作品。 映画もみたくなる。 続編は作られていないのだが、もし続編が出版されれば間違いなく購入する。 続編を作ってほしい。 『私の男』『ファミリーポートレート』等とは違うおもしろさがある。 | ||||
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映画を見て、原作が読みたくなりました。 言葉が古いので少し難しかったんですが、その時代の背景を想像させるというか、 かなり本の中の世界を妄想しやすかったですw 内容は少し切ない話だったので読み終わって少し寂しい気持ちになりました。 映画が大好きなので興味がある方は是非。 | ||||
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私は、映画を観てからこの小説を読みました。 映画では「なんだこの映画」と思っていたのですが、小説を読みスッキリしました。 はっきり言って、映画の脚本家がおっしゃっているようにこの作品を100分ちょいの時間で表現するのは無理だと思いました。 内容については書きませんが、この小説は、桜庭さんが彼女なりの解釈で「里見八犬伝」をアレンジしたもので、物語の中に引き寄せられるような魅力的な作品でした。 最後は、続きを匂わせる終わり方だったので続編を期待してしまいます。 あと、自身がない方は映画を見てからの方が理解しやすいと思います。 | ||||
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娘に買いました。 装丁の美しさに引き込まれます。やっぱりハードカバーはいい! | ||||
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ネタバレ満開。そして、わたしは映画を観ていません。 「いっとう上質なライトノベル」 という感想を目にして、嗚呼わたしの中にあった違和感はこれかと思いました。さくさくと進むお話、長々と冗長にならず描写が擬音で埋め尽くされている、勿論ライトノベルが悪いわけではありませんが言いえて妙とも思えました。 狩猟を得意とする、浜路。おのぼりさんで、ずうっと山で暮らしていて、じさまが熊にばりばりと喰われてしまったので実兄・道節をたよって江戸に上京する。『伏(ふせ)』という、犬と人間のあいのこ、を狩ることとなった。 『伏』は人とまったく変わらず、ただ激情の存在なのか、人の喉笛を食い破る、化け物のたぐいと、おそれられている。賞金も出るために、食い扶持を求めた浪人たちが我先にと『伏』狩りをおこなっていた。道節も同じだった。 浜路は、山でずうっと暮らしていたせいか、『鼻が利く』ため。『伏』がわかるのだった。曰く、なんだか獣くさく、妙に闘気を湧き立たせるのだという。 映画は、そんな浜路と信乃という『伏』の恋愛物語らしいけれど、この作品に恋愛はいらねェわナァと思ってしまった。っていうのも、作中で恋人同士(というか相思相愛同士)が出てくるし、所謂禁断の恋、っていうもので簡単に片づけられちゃ世界観が崩れるんでないかい? 映画を観たひとの中には、その浜路と信乃の恋路が気になって買ったというひともいたみたいだけれども。 一番最初、上京して道節を待つ中、信乃と対峙しているけれども、そのとき浜路は彼が『伏』だとはまだ知らないし、そもそも信乃という名すら知らずにいた。 序盤から中盤にかけての、遊郭、絢爛豪華な花魁が『伏』であり、彼女を仕留めようと躍起になる。そのときに、何故だかお金と手紙を託されるのだけれども、浜路はとても混乱する。何故敵にお願いをされなければならないのか。そして、自分が手をかけるまもなく彼女は暗い水の底へと身を投げた。 「寿命だ」と言い残して。 託された以上気にして、人に聞きつつお金と手紙を持っていったら、瓦版――いまでいう号外みたいなもの――に人相書きが成されていて、行った先は『伏』の住処だったもんだからとっつかまってしまう。 そのときに序盤に出会った『存在』が信乃だと知る。 すんでのところで道節に助けてもらい、その後、瓦版を書く冥土という人間から歌舞伎の券をもらい、観に行くこととなった。 その中で信乃を見つけ、仕留める、と追いかけっこをすることになる。 てんでばたばた、追い詰めたと思ったらひょんなところにあなっぽこ、ひゅうっと落ちてどうするべかと思い悩む。と思ったらなんと信乃も一緒におっこちていて、そこは江戸城に続く地下道だと教えられていたので二人でそこを目指すことになる。 道中、浜路がねだって信乃の話を聴くこととなり、『伏』のはじまりと終わり、そしてどんな存在なのかを知ることとなる。 まあその前に冥土の書く『贋作・里見八犬伝』(あの有名な『里見八犬伝』の、その後を或る意味夢想し記した物語。調べをしているから夢想とはいわないかもしれないけれど、そうであってほしい、そうではないか、と思いながら書かれた物語)を聴かされていたから、『伏』という存在意義みたいなものを聴かされたようなものだった。 そうしてようやく話が終わると、あとを追ってきた『伏』狩りたちが信乃に向かって矢を放ってきた。それまでぐったりしていたはずの信乃はいきいきと躍動し、浜路の前からさっと消えうせる。彼を追う浜路。 追って。追って。辿りついた先は城の上、見つけた、と思ったら、信乃の独白が紡ぎ出され、しかし浜路は揺るがず銃をぶっ放す。しかし信乃もただではすまない、ひょいっとかわしてその姿が消え、目の前から消えた信乃を心配して駆け寄る浜路の景色が反転する。そこにいるのは信乃。 突き飛ばされたのだった。 信乃を心配して畜生と思い、自分が死んでも兄のふところにはお金がはいるから安心だと思い、いろいろな考えがぐるぐると廻って、しかしすんでのところで道節と『伏』狩りたちに助けられる。 手を放してもいいと言うはずが「助けて!」と叫び、アレッと思いながらも泣きじゃくる。死ぬことのこわさ。やっとのことで助けられて、むせび泣きながら銃声を口の中でもごもごさせる。『伏』を仕留められなかった悔しさ、死ぬことのおそろしさ、兄に助けてもらった安心感、いろいろなものがまぜこぜになって涙はとまらない。 その後、江戸城の使いから『伏狩り』の認定をもらい、ほうぼうを旅することになる。という終わり。 続きが書けなくもない終わりであるし、続編が出たら映画のように恋愛を絡めることもできましょう。ただ、それは無粋かなとも思う。 有名な『里見八犬伝』をベースにしたファンタジー、原典を読んでみたくなりました。なんかもんのすごく長いらしいですけれども。 輪廻であるだとか、因果応報であるだとか、『生と死』をベースにしているみたいだから、恋愛というスパイスはなんだか邪魔に見えてしまう。だから作中にさらりと書かれているくらいでちょうどいいと思ってしまう。 何故『伏』というだけで殺されなければならぬのか、と思いながらも、まあ人の喉笛かっくらってるのが大半だからどうしても『恐怖』が打ち勝ってしまってならば丸ごと焼き払え、みたいな感じだったのでしょうか。 安寧に暮らせていれば、べつにそのままでもいいと思うんですがねえ。無駄な殺生さえしなければ、ねえ。 | ||||
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本編はもちろん、途中にはさむ「贋作・里見八犬伝」は物語に引き込まれ、読むのをやめられなくなります。 | ||||
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最近アニメかもされたようだ、スピード感のあるアクション映画を見ているような気分で、一気に読める。 情景や人物の風貌がリアルに想像できる描写がすばらしい! | ||||
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何年か前に、文春に載ってた謎の時代物。 たまたま読んだのが、伏姫と鈍色の作中作部分だったので、桜庭一樹って時代物に挑戦したんだ…何か固い話だなくらいに思っていたので、こんな全体像だったとは、思いもよりませんでした。 まあ、文春のフェアの、らしくない帯に釣られ、キンゲ、ザムドの宮地監督の劇場版が絡んでると知り、「アニメは見とかなきゃならんが小説も原作として読んでみるか」という不純な動機で読みました。 すみません。 以前読んだ「ゴシック」では、人物の軽さとエピソードの暗さや戯画的な描写に違和感があったのですが、この「伏」では軽さが逆にさもあらん享楽的で刹那的な雰囲気を醸し出してました。 どの登場人物もどこか憎めないところがあり、屈託無く動きまわる様が爽快です。ラノベ、ジュブナイルのワクワク感、多層構造の構成の巧みさに引き込まれ、 二三日に分けて読もうと思っていたのが、一気読みになってしまいました。 文芸からのメディアミックスって、端から期待薄感が漂うけど、ある意味、原作にそれほど思い入れもないので、アニメが原作に比べて不十分という気分にはならなさそうです。 よく動きそうだし、「小説も面白かった。アニメもこれはこれで面白かった」、という風になればいいなあ、と思いました。 | ||||
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『八犬伝』は好きで、いろいろのリライト、歌舞伎や山田風太郎なども読みました。 著者、桜庭さんももちろんそれら多くの先行作品を踏まえて、新たな趣向で描こうとしたのだと思います。 まず浜路と道節の兄妹が、伏という「犬人間」の種族を狩って歩くという設定ですが、この第一作ではまだ、そのことによって浜路の成長を描く、あるいは伏一族との抜きがたい対立ドラマを描くという段階には入っていないのでは、と感じました。 浜路はふてぶてしいところもある、何とも愛らしいキャラクターですが、ここでは彼女自身を十分に掘り下げるよりも、彼女が伏たちの因縁にまつわる「話をきく」ことのほうに作者の主眼は置かれています。いわば、彼女は狂言回しのような存在で、馬琴の息子で瓦版屋の冥土の書いた「贋作・八犬伝」を読んだり、役者になっている伏の信乃から、その続編ともいうべき話を聞いたりする役割ではないでしょうか。 作中作品をはさみこんだ枠物語構成としては、山田風太郎の作品がすでにありますが、桜庭さんの『贋作・八犬伝』では、(少し「もののけ姫」を連想させる)独特の伏姫物語が描かれ、この部分は類例のない深みに達していると思いました。 人の歯のような銀色の葉にあふれる不思議の森。凶運を予言されて生まれ、父から、あらゆるものに顔をあげるなと「伏」と名付けられた姫は、奔放に力強く生き、馬琴の原作どおり安西景行の首をとってきた八房の妻として、その森に去ってゆきます。 そこではあらゆるものが名を持たず、人も獣も鳥もが交歓し、その交わりから人ではないものたちが生まれて暮らしています。ものごとの始原の混沌たる楽園であるとともに、人間世界から見れば狂気の世界でもあり、かつてその森に行った叔母の藍姫は心を失い、天守閣の座敷牢に幽閉され、そこには木が茂り・・・ぜんたいに泉鏡花の幻想世界のような妖しさ、そして人ではないものたちの幻めいた生命の華やぎに淡い悲しみがにじみます。 この著者ならではの「なつかしい根源の狂気」のようなものが、戦乱の時代にみごとに重ねられ、幻想絵巻をなしています。 伏姫の影のような地味な弟、鈍色も「遊女になりたい自分」という狂気を秘めたまま次代の領主になってゆきますし、みごもって戻ってきた姉をさらにまた座敷牢に幽閉しなければならない辛さ、そして生まれる幻の子どもたち・・・ 自然と一体になること、ほんとうの自分の源に帰ることは狂気かもしれない、というテーマに心ふるわせられます。 信乃が語る、この話の続きでは、種族の母というべき伏姫のことを知った「伏」たちがふるさとに旅をし、小さくなってしまった幻の森に入り、それが消えてゆくのを目にします。「この――自由という場所、この世の果てにぽっかり空いた銀の穴で、一人と一匹が人も獣もなく十年の時を過ごし、そうして俺たちのような生き物が生まれたのだ」 犬の寿命しか持たず、獣のように素直で無邪気で、本能のままに生き、刹那の激情をほとばしらせる彼ら。吉原の太夫でありながら、高楼から身を躍らせる凍鶴、愛した伏の娘を森に葬り、戻ってきてやはり賭場に入り浸って狩られた毛野。短い命をさわさわと生きる彼らの青白い美しさが、あちこち、どきりとするような文章でつづられます。 かれらはもう「国家にも、社会にも、世間にも、だれにも伏せない」で生きようとしています。 浜路はまだ、彼らの観察者としての役割にとどまっています。「狩るもの」として対峙しようとしていますが、まだ心に十分なゆらぎや葛藤もなく、彼らを受け止めるドラマが立ち上がってはいません。「伏」の生々しい獣としての匂いをとらえる感覚描写などは優れていますが、ここはまだ序幕。兄の道節のほうは妹とかけあい漫才をする程度の、さらにゆるめの描き方で、一膳飯やの船虫と併せて、彼のドラマも続巻からだという気がします。 江戸から逃れた伏を狙うこの兄妹を追って、瓦版屋にして語り手の滝沢冥土も上方へ向かう、というところで終わっています。 オリジナル『八犬伝』を背景に置きつつ、人と獣の夢幻的な交感の世界が天窓のようにはめこまれた意欲作として、続編を待ちたいと思います。 | ||||
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文句なく面白かった。時代小説が苦手な私でさえぐいぐい読み進めることができた。 人間の姿をして悪行の限りを尽くす犬人間「伏(ふせ)」が跋扈する江戸。身寄りがなくなり兄の動節を頼って江戸にやってきた山出しの狩人少女、浜路。この兄妹が伏に掛けられた懸賞金を目当てに狩りに乗り出す。と、これだけ書けばありがちな捕り物小説なのかと思うだろうが、里見八犬伝が絡んでくるのだ。作中で「贋作・里見八犬伝」を書くのは馬琴の息子の冥土。本編のなかにまるまる挿入された入れ子の小説を紐解くうちに伏の出自の謎が明らかになっていく。未完成のその物語は本編の終盤で浜路が伏のひとり(一匹)と対峙するときに、彼、信乃の語りによって収斂されていく。 浜路は狩るものだし、信乃は狩られるものではあるのだが、ふたりの足場はシーソーのようである。立ち位置が少しでもずれれば立場は逆転する。狩るはずのものが殺されることもあるし、逆もまたある。その瞬間ふたりはまったくの対等である。互いの立場が理解できるからこそ、その瞬間に友情めいた感情がチラリと交わる。犬人間として生きなければならない孤独や哀しみを初めて理解したのは浜路ではなかったか。「生きる痛みを忘れるために美しいものを見る」それは犬人間としての粗暴さとは真逆な描写なのだが、信乃がふるさとの森で見つけた蛍をガラス瓶に閉じ込めて大切に持ち歩いているさまが、伏として生きなければならない彼らの哀しみと孤独をよく現しているように思う。爽やかな読後感だった。 | ||||
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アニメ化だとかそういうものが前提にあると、文春さんの連載の内容も影響されると思うんです。以前の長編のように、飛び跳ねながら、暗くいってください。応援しています。 | ||||
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厚さにはじめはちょっとげんなりするも、ガシガシ読めて読後感はスッキリ。 これは、ファンタジーでしょう。映像化するといい感じと思います(アニメ化するらしいが)。 厳密に時代物的な捉え方をすると言葉もおかしいし、無駄な描写が多いと思いますが、全体をひどく貶めているわけでもなくリーダブルです。 逆に、何かミステリーのように捉えると、裏切られるでしょう。 既読感があるのは、ひとつには米村圭伍氏の『南総里美白珠伝』を読んでたから。 おてんばな娘が話を展開させていくのは、米村氏の得意な書き味で、ストーリ中に別の話が挟まるのもそう。 扱いは違うけど、八犬伝×娘×江戸時代の設定はでまったく同じ。 さらに、作中の白眉である『贋作・里美八犬伝』とその後の顛末は、なんとなく宇月原晴明氏の作品を思わせる色彩感がある。 (関係ないけど、宇月原氏の作品を誰か映画にしないかな) で、時間の流れに巻き込まれた大きな物語というテーマは、ガルシア=マルケス的でもあり、『赤朽葉家』的でもあって、段々とぐだぐだになっていくのも含めてそれを好む桜庭色が現れている。 これは悪い意味ではないです。おすすめ。 | ||||
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副題に贋作とあったので、わたしは、里見八犬伝に感銘を受けた著者が、 「私もあんなの書きたい!」と思い立ち、里見八犬伝風に書いた如何物なのか と思ったが、そうではなかった。 本書中における現世(江戸時代)には、人間と伏と呼ばれる人間と犬との あいだに生まれた存在が共存する。 しかし伏は、人間に害を及ぼすとして、掃滅の対象となってしまう。 「贋作・里見八犬伝」とは、本書中での史実、伏達のルーツを記すもの。 里見八犬伝の作者である滝沢馬琴の息子の手によって、書き綴られていく。 物語は主に、人間vs伏の攻防を追って展開する。 読後の全体的な印象は、おとぎ話のような世界観でとても心地よかった。 その余韻から抜け出すのが、惜しいような感じ。 それに、原作さながら擬音語が多用されるせいか、漫画を読んでいるときの ような茶目っけが感じられ、軽やかでさわやかで良かった。 なのだが、わたしは原作・里見八犬伝ファンなのである。 伏姫と八房(犬)との交わりにより、子孫が産まれたという設定には 大いに抵抗を感じた。 原作で伏姫は、人畜異類の定めを侵すことを、何よりも忌み嫌う。 また、原作と同名で質の異なる登場人物にも混乱した。 そういった主観的難点はあったのだが、以上を差し引いても、 読み物としては十分楽しかったので、★は多めにつけておいた。 | ||||
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読み始めたときは、最後まで読めるかなあとも思いましたが、最後まで楽しめました。 桜庭さんの直木賞作品や、その他の現代ものの作品は、結構ハードで暗いものが多く そのうえ現実感がなくって、好みが分かれるものが多かったですが、 これは、桜庭さんの良い面が出ている作品だと感じました。 途中、滝沢冥土が語る「贋作里見八犬伝」は、とてもいい話だと思ったし、物語全体を包む 空気感もおどろおどろしいが一方でファンタジーのような感じもあり、上橋菜穂子の様な感じもしました。 里見八犬伝をベースにしてこれを書くという作者の筆力はやはりすごいです。 主人公の浜路もかわいかったし‥。久しぶりに桜庭作品で★四つです。 | ||||
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この著者の別の作品である「GOSICK」が旧ヨーロッパの世界を舞台に幻想的に表現しているのに対し、この「伏」は日本の江戸をその作者の表現力をもってこれまた幻想的に表現されている。 それはまるで字で書かれた絵本を読んでいるかのようである。 あらすじは、江戸を舞台に、主人公が妖怪と戦い、その中で成長していくのだが、その中でさらにある物語が登場するというものである。 簡単に書けばこのようなものなのだが、この妖怪との戦いや登場人物の掛け合いのテンポがよくおもしろいうえ、なにより作品中で語られるもう一つの物語が、繰り返しになるが幻想的でまるで文字の絵本を読んでいるようなのだ。 とまあ書いてはみましたが上手いこと書けません。 とにかく百聞は一見にしかず。とりあえず読んでみてください。そうすればいかにこの本がこのレビュー以上に面白いか、そしていかにこのレビューの表現がこの本よりも稚拙かがわかります。 | ||||
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祖父の下で猟師として暮らしてきた14歳の少女・浜路は、祖父の死をきっかけに江戸にいる異母兄・道節のもとに引き取られる。その頃、江戸には伏という人間と犬のあいのこがいて、時々人間を襲っていた。道節は貧しい浪人暮らしをしながら、その賞金稼ぎをしており、浜路も猟師としてその仕事をすることになる。 伏は見た目はまるで人間なのだが、身は軽く、気ままで時に残虐で、体のどこかに牡丹の様なあざがある。そして寿命は20年くらいと短い。そして人間の生活に紛れ込んで生きている。 浜路はそんな伏を追いかけているうち、滝沢冥土という青白い読売に出会う。曲亭馬琴の息子であるという冥土は、伏に関する瓦版を売りながら、伏について詳しく調べていた。そして、父・馬琴の書く里見八犬伝の本当の物語、里見義実とその姫・伏、弟の鈍色と彼が拾った犬・八房の物語を浜路に語って聞かせるのだった。 江戸にわずかに残った伏を浜路に追っかけさせながら、その過程で出会う冥土や信乃に伏にまつわる物語の始まりと終わりを語らせるという構成になっている。このため、作中に冥土の著した贋作・里見八犬伝や、信乃の語る伏の森という章が挟まれる。 物事にまつわる光と影。あるものが司るルールの中で繁栄を謳歌するものもいれば、そのルールにより虐げられ苦しむものもいる。世の中の良い悪いはこのバランスの具合による。これを象徴するものが伏姫と鈍色であり、里見の里と伏の森であり、村雨丸と伏であろう。 この秩序と無秩序の中で、浜路というちっちゃな猟師は、基本的には秩序を守るために伏を討つという姿勢は揺らがせないものの、その幼い純粋さにより、伏の生き様にも涙し共感したりする。 時代の流れ、人々の考えにより、バランスの重石は左右する。浜路や道節と、伏たちの狩る狩られるの行ったり来たりは、結局どこへと辿り着くのか。 | ||||
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副題となっている「贋作・里見八犬伝」と言う言葉に惹かれてページを開きました。 実際、この本の中ほどに、滝沢冥土作「贋作・里見八犬伝」が登場します。 それは、「里見八犬伝」の前段の話です。 里見の里の姫君伏の数奇な運命の物語です。 そして、本編の物語は、その伏と愛犬八房の子孫の物語です。 彼らが世の中の「影」の部分を分担します。 それに対し、「光」の部分を担当するのは、猟師の娘浜路です。 読み書きも出来ず、まだ世の中の何たるかも良く知らない純粋な少女です。 とは言え、作者は決して「影」たる伏を悪しきものとして書いている訳ではありません。 作者は、「光」と「影」は常にあるものであり、そのバランスの上に世の中は成り立っていると語っているかのようです。 | ||||
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